カテゴリー「先生の実態」の記事

子どもに好かれ、学級を育てる、成長する教師と、その逆の教師との違いは何でしょうか、 子どもに好かれ、学級を育てる、成長する教師になる秘訣とは

 子どもに好かれる教師と、そうでない教師とがいます。また、活気に満ちた学級を育てる教師と、学級を育てられない教師がいます。
 どこに違いがあるでしょうか。
 子どもに好かれ、学級を育て、伸びる教師と、その逆の教師との違いと、子どもに好かれ、学級を育て、伸びる教師になる秘訣を紹介します。
1 子どもに好かれる教師
) 厳しくて、おもしろくて、力をつけてくれる教師
 子どもたちが期待している教師とは「厳しい」と「おもしろい」を兼ね備えた教師です。そして、力をつけてくれる教師です。
(1)
厳しい教師
「厳しい先生」を子どもたちは、きらってはいません。このことを私たち教師は、もう一度、考え直してみる必要があります。
 ダメなことをした時には、きちんとダメであることを指摘し、そのわけを教えてくれるのが教師です。
「正しいこと」と「ダメなこと」とをあいまいにする「まあまあ教師」を、子どもたちは決して期待していません。
(2)
おもしろくて、力をつけてくれる教師
 ユーモアがあって、楽しい話をしてくれる教師。何よりも、授業をおもしろくしてくれる教師を子どもたちは歓迎し尊敬します。
 授業がおもしろくなかったら、子どもたちは毎日が退屈です。子どもたちは、勉強して力をつけたいと願っています。
) 明るく、やさしい教師
 ニコニコしていて、元気で落ち込まない教師。カッと怒らないで、話を聞いてくれる、やさしい教師が好かれます。
 教師は、一人ひとりの子どもを人格的、知的に成長させるために、もっと専門性を高め、人間力を磨かなければなりません。
2 嫌われる教師
1)
子どもが気にしていることを平気で口にする「嫌味」を言う教師。
2)
お気に入りの子どもをかわいがる「えこひき」をする教師。
3)
元気がなく、表情も暗い感じがする「暗い」教師。
4)
失敗をいつまでもネチネチと言う「しつこい」教師。
5)
気分によって話の中身が変わる「言うことが変わる」教師。
 子どもたちの指摘を素直に受け入れて、明るい元気な教師になるように努めたいものです。
3 学級をダメにする教師
1)
物事を悲観的に見る教師
 物事を悲観的に見る教師は、子どもを伸ばせません。「子どもに、やる気がなくて困ります」といっていつも悲観的に考えている。教室の雰囲気も暗くなり、学級は沈滞していきます。
2)
まじめすぎる教師
 まじめすぎる教師も、学級を育てることができません。まじめすぎるあまり、許容範囲が狭くなり、子どもが少しでもはめを外すと「ダメ」と禁止します。
 子どもたちは、いつも窮屈な雰囲気の中にいることになり、学級に活気がなくなります。
 教師自身もまじめ過ぎるため、ストレスも溜まりやすく、暗くなることが多くなり、学級は育たなくなります。
3)
友だちのような教師
 友だちのような教師は、学級が崩れ、学習も成立しなくなってきます。
 子どもたちは、しばらくは「優しい先生」と身を寄せてきますが、何となく頼りがいがなく感じ、いつしか離れてしまいます。
 気軽に話せること、子どもと一緒に遊ぶことは、子どもと教師との関係を保っていく上では大切なことですが、気軽さが信頼を生むものではありません。
 子どもは信頼できる教師についてきます。
 子どものことを真剣になって考えてくれる。問題や悩みがあるとき、どのような方法で解決していけばよいかを的確に愛情をこめて示してくれる。
 子どもが「この先生なら大丈夫」という安心感を持てたとき、初めて教師を信頼するのです。
 子どもは、教師のプロとしての力量を鋭く見抜きます。力量が低いと見破ると、教師の指示を受け入れなくなり、学級が崩れ出します。
 目をさまし、プロ教師をめざして精進していきましょう。
4 学級を育てる教師
1)
強い意志と気迫がある教師
「すご腕の教師だ」と感心させられる教師は、「すごい学級に育てるぞ」「いじめは絶対ださないぞ」「国語の大好きな学級にしてみせるぞ」という、強い願いを体中から発散しています。心に秘めた強い意志と気迫が感じられます。
2)
子どもを乗せるのがうまい教師
 また、学級を育てる教師は、子どもの乗せ方が大変うまいことにも気づきます。
 がんばっている子を見て「いい調子だ。その調子でやればどんどんよくなるよ」と持ち上げる。すると、その気になって伸びていきます。
3)
授業がじょうずな教師
 また、授業がじょうずなことも大事な条件です。
 1日に1時間は、子どもが目を輝かせる授業をする。これを本気でやり通すことで子どもの目の輝きが変わってきます。
4
)向上心のある教師
 学級を育てる最終のポイントは、教師が「自らも成長しようとする向上心」です。
 教師が腕で上げよう、成長しようと努力している姿が子どもの目に映り、子どもの成長に大きな影響を与えていくものです。
 私が授業の録画を撮り、放課後に教室で再生し見ていると、子どもたちは「先生もがんばっているね」と励ましてくれました。
5 まねをする教師は、伸びる教師
 私は、若手教師とサークルを立ち上げ、研究活動をしています。たくさんの実践報告が飛び交います。
 実践報告を、すぐに、どうどうとまねをする教師がいます。
 一方、まねをするのですけれど、自分で考えた方法でないので、引け目を感じ遠慮しながら実践をする教師がいます。
 また「どうもあの方法には問題があるようなので」と実践に取り入れない教師もいます。
 どうどうとまねをする教師は、まねている間に新しい考えを出したりします。新しい実践をつくりだします。
 遠慮しながら、まねている教師は、一つの方法を身につけますが、新しい方法を見つけ出せません。
 まして、理屈を先行させ、まねをしない人は、残念ながら伸びずに終わります。
 どうせ、まねるのだったら、どうどうとまねをして実践力を高めた方が有効です。
 実践力を高めるために、明るく堂々と他人のよい実践をまねましょう。それが、あなたの実践力を高める早道です。
6 教師よ、自信を持て
 自信のある教師は伸びるし、自信のない教師は伸びません。
 学級や子どもを伸ばすエネルギーの源は、教師が自信を持つことです。
 まず、教師自らが自信を持たなければ、学級も子どもも育ちません。
「私は、すごい教師です。明るく、元気で、子どもをぐんぐん伸ばしていく教師です」
と声に出して言ってみませんか。
 これが、子どもを伸ばす最大のコツなのですから、誰もいないところで、堂々と声を出して言ってみましょう。
 誓いの言葉を述べるように叫んでみましょう。想像しているだけで、体が熱くなってきせんか。
 ある学校の研修会で、この呼びかけをしました。終わって廊下に出たとたんに「先生の話を聞いていたら、体が熱くなってきました」と、若い教師がかけよってきました。
 学級づくりの細かなコツは学べば分かってきます。しかし、肝心の教師が元気でなければ、学級づくりのコツは生きてきません。
 いつも物事を暗く考え込んでしまう教師は、すぐに考えをやめることです。少々無理をしてでも「私は、子どもを伸ばす名人です」と叫んでみてください。何かが変わり出しますよ。
 元気を出して明るく対応していけば、難局を乗り越えることができ、大きく成長します。
 また、周りにはあなたを支えてくれる仲間がいます。一人で問題を抱え込まないで、素直に助けを求めればいいのです。
(
山本昌猷:1942年生まれ、元石川県公立小学校校長、教師の交流館「わいわいハウス」開設
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私は約900学級の授業を見て、今の教師に足りないものに気づいた

 ある年、私は約900学級の授業を見た。見ていて、いらいらすることが多かった。なせだろうとかと考えた。
足りないものが「教材・モラル・笑顔」にあることに気づいた。
1 教材が決定的に弱い
 教材が決定的に弱い。つまり知性があっても弱い。
 よい授業は、今も昔も教材がよい。子どもが熱中するものを提示している。
 多くの教師は、教科書を教えながら、その教科書の内容をきっちりつかんでいない。「これだけは何としても教えたい」というものを鮮明に持って授業に臨んでいる教師は多くない。
 私は教科書を最低20回くらい読む。教科書の内容が鮮明になるまで何回も読むことである。すると、そこで教えなければならない内容が鮮明になる。
 単元ごとに読むと、中心になることや、最も面白いことが見えてくる。こうなると、教科書の順序にとらわれず授業は「最も面白いところから切り込む」ということだ。
 そうすれば、今までと違った授業展開になる。次は子どもたちが「何が食べたいか」ということを教えてくれる。子どもたちが教えてくれた内容へ進めば、子どもの意欲も下がることはない。
 きっちり教材研究した教材を提示し、的確な発問・指示を行えば、どんな子どもでも変容する。
 教師は教材を調べる時間がないという。私は現場の忙しさはよく知っている。「時間はあるものではない。自分で工夫してつくるものである」というのが私の主張である。
 教師の技として「時間の管理のしかた」があると思う。私の家の机の周りには、すぐ使う資料や本を置き、捜すために、いちいち動かなくてよいように配置を工夫した。
 この仕事の次はこれと順序を見えるように工夫している。そうしないと時間が足りなくなる。
 また、今できることをあとでやろうなどと先送りしないことだ。今やること、これにつきる。
2 モラルがない
「何しろ、挨拶一つできない、教師としての最低限のモラルさえ身につけていない教師が多い」と多くの校長がなげく。挨拶一つできないというのだから、こちらも驚いてしまう。
 ある若い教師が、突然連絡もなしに学校を訪ねてきた。「授業を見せてくれ」という。1時間だけと言っていたのに4時間参観して、無遠慮に子どものノートをひっくり返して見たりした。
 帰りぎわ、「自分でもこの程度の授業ならできるという自信を持ちました」と言った。
 授業を見ても「見る人の実力ほど」にしか授業は見えないのである。ある人には見えて、ある人には見えない。見ることも技しだいである。このことに気づいてない人が多い。
 お礼もいわずに帰っていった。もちろん礼状もなかった。「技を磨く」ことも「マナー」も身につきそうにない教師だ。
 このような教師に、いやというほど出会った。常識を疑うような人に時々出会う。教師の人間教育をやり直さなければならないのかと思う。
 授業の名人といわれる人たちは、みんな笑顔が素敵である。声の出した方も心得ていて、てきぱきと、大きな声で話すのは、聞いていて気持ちがいい。そして、大きな声で笑う。
 名人はどことなく「品」がある。「品」というのは人間性である。教師に大切なのは、この「品」のよさである。
「お前ら、そこで何をしとるんじゃ」と言った女教師など品のかけらもない。教師の言葉づかいの悪さが問題になる。
 教師と子ども、保護者と信頼関係を築くにはどうすればよいか。
 教師の指導技術が低いと子どもが教師をバカにする。教科書に書いてあることをそのまま板書する。それを説明している。こんな教師に、子どもたちは技を感じるわけがない。尊敬し信頼するわけがない。
 今の若い教師は、子どもにやたらと甘い。いくら行儀が悪くても、他人のじゃまをしても厳しく叱れない。信頼関係をとりもどすには「やさしさと厳しさの使いわけ」をすることだ。
 ふだんは、やさしさが必要だし、子どもをかわいがらなければならない。しかし、時には、厳しく叱り、正さなければならない。
 そして、最も大切なことは、教師が身をもって態度で示さなければならない。言うこととすることが違っていては、子どもは教師を信頼しない。
 子どもが育ってくると、保護者が教師を信頼するようになる。これが一番はやい信頼関係のつくり方である。子どもが心から教師を信頼するようになったとき、保護者も教師を信頼するようになるのである。
3 笑顔
 話をしても、授業をしてもニコリともしない教師がいる。まるで能面のようである。
「ニコニコしていたら、子どもにバカにされる」と、ある中学校の教師が言った。それで私は
「ニコニコしなくても、すでにバカにされていますよ。今日見た授業でもそう見えましたよ」
と言ったら、ムッとした顔をしていた。
「授業は楽しいものだよ」ということを教師の表情でも示さなくてはいけない。笑顔は教師の義務だと私は考えている。
「一度も笑いのない授業をした教師は、授業終了後、直ちに逮捕する」という冗談を私は20年も前から言っている。
 私が若い教師のとき、子どもから「先生はネクラだから、もっと明るくならないと子どもから嫌われるよ」と言われ、びっくりした。
 このことがあって以来、笑顔の練習をし、面白い話をするように心がけてきた。
 顔の表情は練習次第で変わる。私がやっている方法は、机の上に常に10センチ四方の鏡を置いて、時々表情を見ることである。
 毎日、何度となく自分の表情を見ていると「自分の表情のクセ」がわかる。
 特に電話をかけるとき、どんな顔で話しているかわかる。笑顔のないときは、言葉もきつくなっている。
 これではいけないと反省し、急に笑顔をつくってみると、何と言葉が変わってくる。反省の材料になる。わずか100円の鏡で、ものすごい勉強ができる。
 これは「技」というよりは「人間性」といった方がよいだろう。ネクラからネアカに人間を変えるのである。これも教師の義務であると考えている。
 私は、子どもたちや保護者の前に立つと自然に笑顔ができるようになったと思っている。しかし、飛行機の客室乗務員にはかなわない。客と話したりするとき、必ずこぼれるような笑顔になる。
 教師はサービス業である、笑顔を身につけたいものだ。せめて子どもの前だけでも笑顔を絶やさないようにしたいものである。
 わたしが見た授業の名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。
 笑顔のある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

親からクレームをつけられたり、学級崩壊を経験するのは当たり前の時代、どうすればよいか

 学校の中で孤立に追い込まれる教師が後を絶ちません。精神的に追い込まれていく教師。どうすればよいのでしょうか。
 
 いまは教師受難の時代です。教師にとって、子どもも親も難しい時代だから、長い間教師をしていれば、一度くらいは学級崩壊になったり、精神疾患になるのも当たり前です。
 
 だから、クラスが荒れても、親からクレームをつけられるのも特別なことではなく、恥ずかしいことではないのだから、一人で抱え込まないようにして、自分の体験を話してお互い支え合っていけばよいのです。
 
 ある教頭先生は学級崩壊を経験しています。当時を振り返りながら
 
「そのとき、周りの教師に支えられて退職せずに済みました。こうして教頭になることもできました」
 
「いま振り返っても、自分の学級運営が格段に悪かったとは思わない。私のクラスにたまたま問題児がそろっていたのです」
 
「荒れる可能性をもった子ども同士が、ある意味、相乗効果を発揮して爆発すれば、どんなクラスでも崩壊してしまいます」
 
「子どもも親も難しい時代だから、一度くらいは学級崩壊になるのも当たり前です」
 
「だから、一人で抱かえ込まないで、お互い支え合っていこうと、呼びかけているのです」と語っています。
 
 その教頭先生がいる学校で、クラスが荒れて悩んでいる先生が
 
「子どもが好きで先生になったのですけど、最近は子どものことを可愛いと思えなくなった。物は飛んでくるわ、黒板に死ねと書いてある」
 
「けれど、この学校には教師同士、お互い何でも語り合え、支え合える雰囲気があるのです。それで私も何とか続けられているんです」と言っています。
 
 管理職がリーダーシップを取って「弱音を吐ける職員室づくり」を進めていくことが一番大切です。
 
 弱音を吐けて、早めに他人に助けを求められることは教師に必要な能力です。
 
 教師には真面目で頑固な人が多い。融通が利かず、問題を一人で抱かえ込んでしまうことが多い。だから、教師の孤立化を防ぐのに大切なのが教師自身の意識改革です。
 
 クラスが荒れても別に恥ずかしいことではありません。親からクレームをつけられるのも特別なことではありません。
 
 これだけ難しい時代なだから、問題が起きるのも当たり前というぐらいの意識をもってほしいと思います。
 
 これからの教師に必要な能力として、弱音を吐けること、早めに他人に助けを求めることが求められます。
 
 溜めこんで、どうしようもなくなった時点でお願いしますと言われても、迷惑するだけです。
 
 理解のある管理職に出会うのは、簡単なことではありません。ではどうすればよいか。
 
 私は、教育相談やカウンセリングの勉強をしている教師が音頭をとって教師同士の支え合いの会をつくるとよいと、提言しています。
 
 有志の集まりですから、最初は数人しか来ないでしょう。しかし、月1回程度、開き続けることが大切です。
 
 成功のポイントは、司会者の教師自身が、自分のクラスでうまくいっていないことを話すのです。
 
 全員が自分の抱えている問題について語ります(1人5分程度)。絶対に批判はしない。
 
 あくまで温かい雰囲気を心がける。そして、一人ひとりの抱かえている問題について、4~6人で知恵を出し合いながら解決策を考えていくのです。
 
 その際、とりあえず、どうなりたいか(短期目標)、そのためにさしあたり何ができるのかを話し合うことです。
 
 少しでも解決のための糸口を手にすることができ「来てよかった」「元気が出たし、得をしたな」と思える会にすることです。
 
 教師同士でグチをこぼし合ったり、無駄話ができるような場所を確保しておくことです。
 
 利害関係のない相談相手を見つけるのもよいと思います。学校外での教師同士のネットワークも大切です。
 
 初任者研修などで知り合った仲間を大切にして、困ったことや悩みなどを打ち明けられる関係を保っておいてほしいと思います。
 
 授業づくりでも何でもいいから、同じ関心をもつ仲間と時々会っていろいろ話す機会をつくっておくようにしてほしいのです。
 
 そんな仲間こそ、何かつらいことがあったとき、最も信頼して相談できる相手だからです。しかも、利害関係のないことが大事。同じ学校に勤務していると、いくら気が合うといえ相談内容によってはばかられる場合があります。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先生を見ていて、先生に向いているなと感じる人はどのような人でしょうか

 その先生がいると、指示されたわけではないのに、子どもが自然と黙って、すっと聞き入る。そういう先生はすごいなと思いますね。
 先生が前に出て行くと、ざわついていた子どもたちがスッと静かになるというのはすごい力ですよね。
 何かあったときに、聞くだけじゃなくて、聞き出す力のある先生はすごいなあと思います。
 私が子どもたちに聞いても言わなかったことも、そういう聞きだす力のある先生は、その先生が聞けば、子どもたちが言う、ということがけっこうあった。
 子どもに対して絶対に気をぬかないし、他の先生との人間関係なんかも、適度に声をかけて、やる気にさせる人。
 情熱がすごい。子どもたちを育てて、一人前の人間にしたいという情熱がひしひしと伝わってくる。
 教育に対する情熱。今の子どもたちをこうしなきゃいけない、みたいな責任感。それは情熱から生まれてくるのかなって気がします。
 何かあったときに、その現象の根っこが何なのかを見抜ける力がある人。気づく力、洞察力がある。
 子どもたちを生かす力のある人が先生に向いていると思います。
 協調性とか、人に対してしっかり挨拶ができるとか、ていねいだとか、報告・連絡・相談がしっかりできるとか、社会人として、立ちふるまいができるということも、教師に向いている人の大きな特徴だと思います。
 その人にしか出来ない授業ができる人。
 子どもと保護者、教職員とでコミュニケーションの仕方をかえる人。特に対保護者とのコミュニケーション能力。
 子どもの背後には保護者がいますから、子どもに何か言うことは、保護者に対して言うのと同じだなと、強く思います。
 話しが上手な人。どんなに頭で考えていることが素晴らしくても、熱い思いがあっても、話は上手じゃないとだめだな、と思います。 
 授業においても、上司とのコミュニケーションにおいても、誤解させずに、うまく伝わらなかったら意味がない。
(
学校の先生はじめました編集委員会編)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保護者のイチャモンは、教師が子どもと「ふれあう時間」が減少すればするほど増える

 私が2000ぐらいの事例を集めた結果からいえる大原則は
 
「子どもとふれあう時間が減少すればするほど、イチャモンが増える」
 当たり前のことですが、保護者はわが子がどのようにあつかわれているかに最大の関心を持っています。
 担任がわが子のことをじっくりと見ていてくれるという安心感があれば、多少のトラブルは、すぐに解決に結びつくことが多いと思います。
 しかし、合理性がどこまであるのか疑わしいような教育改革が、学校現場で渦巻いています。教師は職員室で書類に目を通しているか、パソコンに向き合っている状態です。
 私が学校現場を歩き回ってみて、教師が子どもと接する時間が大幅に減ってきている実態を実感しています。
 子どもと教師が接する時間が減れば減るほど、行きちがいが発生する可能性が高くなります。
 また、同じように忙しく立ちまわっている保護者と子どもの間にもズレが生じることでしょう。それは教師と保護者とのズレにもなります。
 もし、子どもと教師が接したり、話したりする時間があれば、かりにトラブルが生じたとしても、それが大きくこじれることはないと思います。
 しかし、その時間やゆとりが学校現場から急速になくなっていることが問題です。
 重ねていうと、だからこそ、子どもたちの前に教師を「戻す」ということがいま、緊急に求められていると思います。
 保護者のみなさん、学校というところに、ぜひ一日でも二日でもいいから、先生に小判ザメのように張りつくかたちで、いっしょに動いてみてください。
「そんなヒマないわ」と思われたら、一時間でも結構です。
 いま学校の教師が、どのようなサイクルで、どう行動しているか、見ていただくと、よくわかるはずだと思います。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私が新任で担任して起きた、いじめ、保護者のトラブル、パニック事件とは

 初任で小学校4年の担任になりました。夏休みに子どもたちは大きく変化しました。ギャングエイジに突入し、先生よりも友だちが最強な時期となったのです。
 9月になって、子どもたちは落ち着きがなくなりました。
 話には聞いていたものの、子どもたちの変化に驚き、戸惑いました。どう接したらよいのか、迷いが生まれました。
 運動会が9月下旬にあるので、熱いさなか、連日練習ざんまいの日々でした。
 運動会当日の朝、子どもたちは興奮して騒がしくしていました。
 Aさんを真ん中にしてクラスの4名がキャッチボールをしていました。Aさんにわざと当てて、いじめているような様子が見られました。
 あわててやめさせましたが、十分な指導をすることができず、保護者を交えた指導にまで発展し、11月頃まで尾を引きました。
 運動会の準備や学年の仕事、初任者研修などに追われ、子どもたちと向き合う時間が少なかったこと、子どもの変化に気づけていなかったことを思い知らされた事件でした。
 いじめ事件が発生した後、落ち着くまで時間がかかったこともあり、クラスの中にはぎこちない雰囲気が漂っていました。
 Cさんの母親は、わが子がクラスの中で浮いているのではないかと気にしていたようです。その中で、BさんがCさんの母親のことを「○○さん(男性ミュージシャン)に似てるね」と言ったことが大きな問題になりました。
 Cさんの母親は、わが子のみならず、自分もバカにされているのではと、感情的になったのです。最終的には「弁護士を呼ぶ!」との騒ぎにまで発展してしまいました。
 この件を経験して、保護者が孤立し、思い悩むことのないよう、日頃からの連携が大切であると、しみじみ感じることになりました。
 2月のある日の掃除の時間に、いつもリーダーシップを発揮するDさんが「オバケがいる!」と叫びました。私は「大丈夫、いないよ」と言って、5時間目の準備のために職員室へプリントを取りに行きました。
 教室に戻ってみると、クラスは大騒ぎになっていました。やんちゃな子がクラス中に「オバケがいる」と言いふらし、恐がりな子たちは泣き、他の子どもたちも「見える」と言いだし、パニック状態になっていたのです。
 パニック状態がエスカレートし、45分間泣き続ける集団ヒステリー状態になり、私はなすすべもなく立ちつくしてしまいました。指導教員から学級崩壊と言われました。
 私が、クラスの統率力がなかったせいで収束できなかったのか、もっと効果的な話し方があったのか、今でもどうすればよかったのかがわからない事件となりました。
(
山田桃子:小学校教師)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

新任で担任を受け持った一年間は困難や苦悩に満ちたものでした

 私の新任教師としての教師生活そのものが困難で苦悩の日々でした。
 経験不足や仕事がわかっていないことからくるものでした。指示や指導が適切でなく、子どもたちがどうすればいいのかわからなくて、困っている状況は毎度のことでした。うちのクラスだけ遅かったりしました。
 職場の教師は 「わからないことがあれば聞いてね」と言ってくれるけど、すべてがわからないので時間がかかり、それにつきあってもらえるという雰囲気がないから、結局何も聞けなくなってしまう。
 
いつ、どのタイミングで何を聞いていいかもわからなくて、そのことが次の失敗へとつながっていきました。
 新任者研修の出張の日に、T男が学校を抜け出しました。その日からT男との格闘の日々が続きました。
 私を小バカにし「あっそ、よかったね」「無理ー、拒否ー」「こっち見んといて」「なんで先生がきめんねん」「死ね」と暴言を投げつけてきます。
 クラスの子にも暴力、暴言、落書き、嘘をついたり、学校で一番の問題児となりました。
 そんなT男がいるクラスで、私はまともに授業も指導もできないのですから、子どもの不満はたまってきます。正直に言って、T男がいなければどれだけ楽だろうかと思った。
「クラスの雰囲気づくりには遊びが有効よ」と言われ、ドツジボールをしてみると、ケンカが始まります。
 何をしても悪循環に陥る中で、私と子どもたちの関係は悪化していきました。
 子どもの不満は保護者にも伝わり、保護者も不満を持つようになりました。口に出して攻撃してくる保護者がほとんどいなかったことが救いでした。
 T男とのことは苦悩の一つだったけど、それでもなんとかやってこられたのは、二人とも阪神ファンだったことです。T男と野球をしているときは、あの挑発的で憎々しいまでの表情が嘘のような、子どもらしい表情でした。
 これから先、今までと違う関係をつくっていけるかも知れないという前向きな気持ちを持たせてくれた。
 T男の家を家庭訪問したとき、家での楽しみがほとんどないことを知りました。T男の問題行動の背景には、育ちの中でのしんどさがあることが見えてきました。
 それが困難を受けとめるクッションのようになり、学校でどんなことができるか前向きに考える回路が出来るようになりました。
 初任者研修で私と同じように苦悩を抱えている教師がいることを知って、希望や勇気を与えてくれました。
 その教師は保護者対応でトラブルがあった。でも、親の言い分を理解しようと努め、その親の生活を知ることで、自分の考え方をもう一度とらえ直していった。
 
「あ、私だけじゃない。やっぱり、その子や親の生活を知るって大切なことなんやな」と安心させてくれました。
 学校の職場では、じっくりと同僚教師と話す時間がありません。そんな中で、サークルや研究会の仲間たちとのつながりは本当に大きなものでした。
 それらの場で、自分の困難や苦悩を語り、吐きだしていました。そのために、その時感じたことをメモに書き残していました。書き残したことで、自分の状態を客観的にみることができたのだと思います。
 それと、サークルや研究会で仲間が必死に生きていこうとしている姿や話を聴くことで励まされ、勇気づけられました。
(
石垣雅也:1974年生まれ、滋賀県公立小学校教師。滋賀教科研会員)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

力のあるたくさんのプロ教師と接してきたが、プロ教師の共通点と、素人教師との違いとはなんでしょうか

 私は全国の研究会をまわり、力のあるたくさんのプロ教師と接してきた。プロ教師にはつぎのような共通点があることに気づいた。
1 仕事が早い
 メールを送ったら、すぐ返信されてくる。手書きの手紙を送ったら、即返事が返ってくる。誰に対しても返事が早いというところがすごいのである。
2 常に向上し続けるための手だてをとっている
 学ぶのを止めたら、力は下がっていくと考えている。
 必ず何かを自分に課している。若いうちから、実力を磨こうと人一倍努力している。 
 本を読む。セミナーに参加する。文科省の答申を隅々まで読む。教育論文をチェックする。
 自分の授業を録音や録画して、自分をチェックしたり、自主的に研究授業を定期的に行い100回達成することをめざしている教師もいる。
 ある教師は研究授業を一度見ただけで、検討会で授業者の言葉を全て再現してみせた。プロ教師は素人にはできないことができるものだと、ほれぼれしたのを覚えている。
3 人間的に甘えがない
 信念をもとに行動しているから、自然と芯の強さが表れる。
 何ごとも自分が主体となって、独立心を持って自分で何とかしようとし、できない言いわけをしない。
 プロ教師の考え方で、私が印象に残った言葉は
「実力は、上がるか下がるで、現状維持はない。つまり、プロとして生きるか、アマとして生きるか、二つに一つしかない」
 学び続ける教師の実力は向上し続ける。やがて、子ども、保護者、同僚から信頼を集めるようになる。
 すると、次々と重要な仕事を任されるようになる。こうして、ますます実力が上がって行くサイクルができあがる。
 反対に、学ばない教師の実力は、現状維持にはならず、下がり続けるのである。プロとの差が開きすぎると、困ったことに自分とプロの差が見えなくなり「自分はまんざらでもない」と思えるようになる。
 教師の世界は、実力の世界である。どんなに経験を積もうが、どんなに年をとろうが、最終的に「子どもを伸ばしたかどうか」で判断されてしまう。
 だからこそ、教師の実力を高めることが大切だと、プロ教師は考えている。そして、高い理想を追い求めている。子どもたち全員を伸ばしたいと本気で考えている。
 子どもは誰でも可能性をもっており、それを伸ばせないのは教師の力量不足の問題だととらえている。
 高い理想を追い求めているからこそ、プロ教師の行動は、他の教師と変わってくるのだろう。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師が「子どもたちを立派な人間に育てる」という高い意識を持ち続けることが難しくなった

 教師が高い意識を持ち続けられるかどうかは、外的要因が大きく影響する。
 外的要因が何かといえば、それは子どもたちや保護者からの「信頼」である。信頼され、尊敬されていれば、教師も高い意識を持ち続けられる。
 しかし、あまり高くないのが現実であるようだ。
 英国の教育慈善団体「バーキーGEMS財団」が小中学校教師に対する信頼度などを数値化した「世界教員地位指数」が世界21カ国中、日本は17位だった、と朝日新聞(電子版)2013年に報じている。
 かつて、教職は「聖職」と呼ばれたりしていた。そこには信頼と尊敬の気持ちが込められていた。ところが、最近は、教師を特別な存在として認めるような人はめずらしい。
 それどころか、ますます「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者が増加している。子どもをちょっときつい言葉で叱ったりしようものなら「オレの子を虐待している」と怒鳴り込んでくる。
 教師が土下座して謝るまで許さない保護者もいると、小学校の教師に聞いたことがある。それくらい「モンスターペアレント」はめずらしい存在ではなくなった。
 そういう親はわが子に教師の悪口をいいたい放題だから、子どもも教師を軽んじることになり、教師は信頼や尊敬など、ほど遠い存在でしかない。
 現在は、教師が威張ったりすれば「モンスターペアレント」のターゲットにされかねないし、子どもに無視されるに決まっている。
 こういう関係では、教師に高い意識を持ち続けろ、というほうが無理というものである。
 若い教師であれば、もともと高い意識で教師になったのだから、情熱を持って現実に立ち向かえるかもしれない。
 それが、勤続年数が長くなり、このような現実を長く経験してくると、情熱もしぼんでくる。
 
「子どもたちを立派な人間に育てる重要な役割を担っている」といった高い意識を維持できなくなるのも当然だ。
 信頼もされない、尊敬もされない環境が、教師たちの意識を低下させて、教師を続けていく意欲も減退させる一因となっている。
(
前屋 毅:1954年鹿児島県生まれ。「週刊ポスト」の経済ライターを経て、フリージャーナリストに。教育、経済、政治、社会問題などをテーマに執筆を展開している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新人教師が研究指定校に赴任し「これ以上続けると自分が壊れてしまう」と思うほど忙殺された

 Aさんが新人教師のころを振り返ってみると「忙殺」という言葉がぴったりだった。
 教師の世界の厳しさを知らなかったわけではない。父親は中学校の教師で、その背中を幼いころから見ていた。
 大学時代、ボランティアで小学校に出入りするようになった。教師が宿泊学習で一睡もせず、子どもを見守ったり、行事を通して子どもが成長するのを支えたりする姿を見て、きついがやりがいのある仕事だと感じた。
 採用試験に合格したことを、小学校のときの恩師に報告すると「授業が大変だし、保護者からいろいろ言われるし、とっても厳しいよ」と言われた。
 横浜市の小学校でスタートを切った。たちまち、忙しさの渦に巻き込まれた。
 三年生の担任になったが、何から仕事をしてよいかわからない。先輩の教師たちは大量の仕事を抱え、必死に取り組んでいるため、話しかけられる雰囲気ではない。
 
「何だ、これ」と思いながら、見よう、見まねで仕事を始めた。自己流なので失敗し、やり直す。そのくり返しで人の二倍以上の時間がかかった。
 まず、大変だったのが、四月からの数週間だった。こまごまとした仕事が、ばかにならない。子どもの名前のはんこを押して、ロッカーや下駄箱、荷物をかけるフック用の名札を用意する。
 特別教室の配当表をもとに時間割をつくり、家庭用に印刷する。全校の掃除分担の割り当て表をもとに、班ごとの掃除分担を考える。
 連絡網をつくる仕事もまごついた。きょうだいのいる子の保護者は、別の学年の連絡網と重なるので省かなければならない。全体の表ができると、列ごとの表をつくり、子どもには自分の列の連絡網だけを配る。個人情報の保護のためだ。
 書類作りも待っていた。学級経営案をつくり、教員評価用の自己観察書も提出した。子どもから出してもらう書類も整理しなければならない。数日たっても揃わない場合は、一件一軒、家庭に連絡を入れた。
 そんな事務処理をこなしながら、子どもたちと向き合い、授業の準備を進めなければならない。四月中旬になると家庭訪問の時期がやってくる。日程表を配って保護者に都合のいい時間帯に丸をつけてもらう。その調整もたいへんだった。
 四月下旬になると学校は運動会一色になる。空いた時間を見つけて、健康診断の結果を児童保健調査票に書き込み、指導要録に名前のはんこを押すなど、仕事は途切れなかった。
 教師は指導力よりも、まず事務処理能力が求められているということがわかった。作業は手が抜けず、あと回しになるのはいつも授業の準備だ。睡眠時間を削ると、子どもたちに笑顔で接することができない。
 朝7時には学校に到着する。その日に教える単元の指導書をざっと読み、方針を立てる。8時に子どもたちが登校すると、空いた時間はまったくなくなる。
 子どもたちが帰っても、丸つけなどで教室に残る。5時ごろまで、さまざまな校務の会議が待っている。校務は一人3役、4役はあたりまえだ。
 その後、残った作業をすると夜の9時、10時頃に帰宅することになった。帰りにコンビニで弁当を買って、下宿で食べると倒れるように眠った。
 土日くらいは休みたいが、仕事が間に合わず、毎週1日は出勤した。地域の行事やお祭りなどがあれば、全員参加と決まっているので、新人教師がさぼるわけにはいかない。
 Aさんが他の新採用の教師と比べて負担が重かったのは、この学校が研究指定校だったためだ。1時間の研究発表のために、単元全体の授業計画を練り、指導案を書く。子どもたち一人ずつカードをつくり、毎回の授業でコメントを書いて返した。
 研究大会が開かれているときは、全県から教師が集まるため、校内の整備をした。掲示物の作り替え、校庭整備、庭の草刈り、教室の掲示物の準備など、することは尽きない。
 教師になって2年目もいきなり任されたのが、仕事の多い体育主任だった。前年度からの引き継ぎもなく、資料もない。
 運動会の準備を会議で提案しても、教師も忙しいため、なかなか協力が得られない。暗くなるまで運動場のライン引きやこまごまとした準備をする日々だった。
 一生懸命に頑張っていたつもりだが、先輩の教師から「いつもと子どもの席のつくりかたが違う」と怒鳴られたときは、何もわかってもらってないと捨て鉢になりかけた。
 そうこうしているうちに、次第に体が悲鳴をあげ始めた。頭がずきずきし、肋間神経痛にも悩まされた。視力も落ち、10メートル先の子どもの顔が見えない。
 職員室の話題は子どもの悪口が増え、まわりの教師をほめたり、ねぎらったりすることもほとんどなかった。みんな、ぎりぎりで走っていたのだと思う。
 教師はまじめな人が多く「ほかの人も忙しいんだから」と愚痴を言ってはならないと思っている。
 これ以上続けると、自分が壊れてしまうと思ったAさんは異動希望を出し、4年目に別の町の学校に異動した。
 異動してみると、前任校の日々がうそのように思うほど、落ち着いた日々だ。校務が少なく、研究授業もなく、子どもたちのことを第一に考えるゆとりがある。
 前任校では、若手教師として育ててもらっているという感覚がもてなかった。
(
朝日新聞教育チーム)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いじめの指導 | さまざまな子どもの指導 | ものの見方・考え方 | カウンセリング | 不登校 | 人間の生きかた | 保護者との協力関係をつくる | 保護者にどう対応するか | 保護者の実態 | 優れた先生に学ぶ | 優れた授業とは | 優れた教科授業例 | 先生の実態 | 危機管理 | 叱る・ほめる・しつける | 各国の教育 | 各教科の授業 | 同僚・管理職との関係 | 問題行動の指導 | 国語科の授業 | 地域 | 子どもから学ぶ | 子どもたちに対する思い | 子どもたちの関係づくり | 子どもと向き合う | 子どもの失敗 | 子どもの実態 | 子どもの成長をはかる | 子どもの指導の方法 | 子どもの見かた | 子どもの話し方 | 子育て・家庭教育 | 学び合う学び | 学校の実態 | 学校経営と組織 | 学級づくり | 学級の組織と活動 | 学級の荒れ | 学級崩壊 | 学級通信 | 学習指導・学力 | 学習指導案 | 実践のための資料 | 家庭 | 掃除 | 授業づくり | 授業のさまざまな方法 | 授業の展開・演出 | 授業の技術 | 授業中の生活指導 | 教師との関係 | 教師と子どもの関係づくり | 教師に必要とされる能力 | 教師の人間としての生きかた・考えかた | 教師の仕事 | 教師の心の安定 | 教師の成長・研修 | 教師の話しかた | 教師の身体表現力 | 教材・指導案 | 教材研究 | 教育の技術 | 教育の方法 | 教育の理念や思い | 教育史(教育の歴史と変化) | 教育改革 | 教育法規 | 教育行政(国・地方の教育委員会) | 新学級づくり | 理科の授業 | 社会環境(社会・マスコミ・地域) | 社会科の授業 | 算数・数学科の授業 | 経営とは | 英語科の授業 | 評価 | 話の聞きかた