カテゴリー「先生の実態」の記事

力のあるたくさんのプロ教師と接してきたが、プロ教師の共通点と、素人教師との違いとはなんでしょうか

 私は全国の研究会をまわり、力のあるたくさんのプロ教師と接してきた。プロ教師にはつぎのような共通点があることに気づいた。
1 仕事が早い
 メールを送ったら、すぐ返信されてくる。手書きの手紙を送ったら、即返事が返ってくる。誰に対しても返事が早いというところがすごいのである。
2 常に向上し続けるための手だてをとっている
 学ぶのを止めたら、力は下がっていくと考えている。
 必ず何かを自分に課している。若いうちから、実力を磨こうと人一倍努力している。 
 本を読む。セミナーに参加する。文科省の答申を隅々まで読む。教育論文をチェックする。
 自分の授業を録音や録画して、自分をチェックしたり、自主的に研究授業を定期的に行い100回達成することをめざしている教師もいる。
 ある教師は研究授業を一度見ただけで、検討会で授業者の言葉を全て再現してみせた。プロ教師は素人にはできないことができるものだと、ほれぼれしたのを覚えている。
3 人間的に甘えがない
 信念をもとに行動しているから、自然と芯の強さが表れる。
 何ごとも自分が主体となって、独立心を持って自分で何とかしようとし、できない言いわけをしない。
 プロ教師の考え方で、私が印象に残った言葉は
「実力は、上がるか下がるで、現状維持はない。つまり、プロとして生きるか、アマとして生きるか、二つに一つしかない」
 学び続ける教師の実力は向上し続ける。やがて、子ども、保護者、同僚から信頼を集めるようになる。
 すると、次々と重要な仕事を任されるようになる。こうして、ますます実力が上がって行くサイクルができあがる。
 反対に、学ばない教師の実力は、現状維持にはならず、下がり続けるのである。プロとの差が開きすぎると、困ったことに自分とプロの差が見えなくなり「自分はまんざらでもない」と思えるようになる。
 教師の世界は、実力の世界である。どんなに経験を積もうが、どんなに年をとろうが、最終的に「子どもを伸ばしたかどうか」で判断されてしまう。
 だからこそ、教師の実力を高めることが大切だと、プロ教師は考えている。そして、高い理想を追い求めている。子どもたち全員を伸ばしたいと本気で考えている。
 子どもは誰でも可能性をもっており、それを伸ばせないのは教師の力量不足の問題だととらえている。
 高い理想を追い求めているからこそ、プロ教師の行動は、他の教師と変わってくるのだろう。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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教師が「子どもたちを立派な人間に育てる」という高い意識を持ち続けることが難しくなった

 教師が高い意識を持ち続けられるかどうかは、外的要因が大きく影響する。
 外的要因が何かといえば、それは子どもたちや保護者からの「信頼」である。信頼され、尊敬されていれば、教師も高い意識を持ち続けられる。
 しかし、あまり高くないのが現実であるようだ。
 英国の教育慈善団体「バーキーGEMS財団」が小中学校教師に対する信頼度などを数値化した「世界教員地位指数」が世界21カ国中、日本は17位だった、と朝日新聞(電子版)2013年に報じている。
 かつて、教職は「聖職」と呼ばれたりしていた。そこには信頼と尊敬の気持ちが込められていた。ところが、最近は、教師を特別な存在として認めるような人はめずらしい。
 それどころか、ますます「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者が増加している。子どもをちょっときつい言葉で叱ったりしようものなら「オレの子を虐待している」と怒鳴り込んでくる。
 教師が土下座して謝るまで許さない保護者もいると、小学校の教師に聞いたことがある。それくらい「モンスターペアレント」はめずらしい存在ではなくなった。
 そういう親はわが子に教師の悪口をいいたい放題だから、子どもも教師を軽んじることになり、教師は信頼や尊敬など、ほど遠い存在でしかない。
 現在は、教師が威張ったりすれば「モンスターペアレント」のターゲットにされかねないし、子どもに無視されるに決まっている。
 こういう関係では、教師に高い意識を持ち続けろ、というほうが無理というものである。
 若い教師であれば、もともと高い意識で教師になったのだから、情熱を持って現実に立ち向かえるかもしれない。
 それが、勤続年数が長くなり、このような現実を長く経験してくると、情熱もしぼんでくる。
 
「子どもたちを立派な人間に育てる重要な役割を担っている」といった高い意識を維持できなくなるのも当然だ。
 信頼もされない、尊敬もされない環境が、教師たちの意識を低下させて、教師を続けていく意欲も減退させる一因となっている。
(
前屋 毅:1954年鹿児島県生まれ。「週刊ポスト」の経済ライターを経て、フリージャーナリストに。教育、経済、政治、社会問題などをテーマに執筆を展開している)

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新人教師が研究指定校に赴任し「これ以上続けると自分が壊れてしまう」と思うほど忙殺された

 Aさんが新人教師のころを振り返ってみると「忙殺」という言葉がぴったりだった。
 教師の世界の厳しさを知らなかったわけではない。父親は中学校の教師で、その背中を幼いころから見ていた。
 大学時代、ボランティアで小学校に出入りするようになった。教師が宿泊学習で一睡もせず、子どもを見守ったり、行事を通して子どもが成長するのを支えたりする姿を見て、きついがやりがいのある仕事だと感じた。
 採用試験に合格したことを、小学校のときの恩師に報告すると「授業が大変だし、保護者からいろいろ言われるし、とっても厳しいよ」と言われた。
 横浜市の小学校でスタートを切った。たちまち、忙しさの渦に巻き込まれた。
 三年生の担任になったが、何から仕事をしてよいかわからない。先輩の教師たちは大量の仕事を抱え、必死に取り組んでいるため、話しかけられる雰囲気ではない。
 
「何だ、これ」と思いながら、見よう、見まねで仕事を始めた。自己流なので失敗し、やり直す。そのくり返しで人の二倍以上の時間がかかった。
 まず、大変だったのが、四月からの数週間だった。こまごまとした仕事が、ばかにならない。子どもの名前のはんこを押して、ロッカーや下駄箱、荷物をかけるフック用の名札を用意する。
 特別教室の配当表をもとに時間割をつくり、家庭用に印刷する。全校の掃除分担の割り当て表をもとに、班ごとの掃除分担を考える。
 連絡網をつくる仕事もまごついた。きょうだいのいる子の保護者は、別の学年の連絡網と重なるので省かなければならない。全体の表ができると、列ごとの表をつくり、子どもには自分の列の連絡網だけを配る。個人情報の保護のためだ。
 書類作りも待っていた。学級経営案をつくり、教員評価用の自己観察書も提出した。子どもから出してもらう書類も整理しなければならない。数日たっても揃わない場合は、一件一軒、家庭に連絡を入れた。
 そんな事務処理をこなしながら、子どもたちと向き合い、授業の準備を進めなければならない。四月中旬になると家庭訪問の時期がやってくる。日程表を配って保護者に都合のいい時間帯に丸をつけてもらう。その調整もたいへんだった。
 四月下旬になると学校は運動会一色になる。空いた時間を見つけて、健康診断の結果を児童保健調査票に書き込み、指導要録に名前のはんこを押すなど、仕事は途切れなかった。
 教師は指導力よりも、まず事務処理能力が求められているということがわかった。作業は手が抜けず、あと回しになるのはいつも授業の準備だ。睡眠時間を削ると、子どもたちに笑顔で接することができない。
 朝7時には学校に到着する。その日に教える単元の指導書をざっと読み、方針を立てる。8時に子どもたちが登校すると、空いた時間はまったくなくなる。
 子どもたちが帰っても、丸つけなどで教室に残る。5時ごろまで、さまざまな校務の会議が待っている。校務は一人3役、4役はあたりまえだ。
 その後、残った作業をすると夜の9時、10時頃に帰宅することになった。帰りにコンビニで弁当を買って、下宿で食べると倒れるように眠った。
 土日くらいは休みたいが、仕事が間に合わず、毎週1日は出勤した。地域の行事やお祭りなどがあれば、全員参加と決まっているので、新人教師がさぼるわけにはいかない。
 Aさんが他の新採用の教師と比べて負担が重かったのは、この学校が研究指定校だったためだ。1時間の研究発表のために、単元全体の授業計画を練り、指導案を書く。子どもたち一人ずつカードをつくり、毎回の授業でコメントを書いて返した。
 研究大会が開かれているときは、全県から教師が集まるため、校内の整備をした。掲示物の作り替え、校庭整備、庭の草刈り、教室の掲示物の準備など、することは尽きない。
 教師になって2年目もいきなり任されたのが、仕事の多い体育主任だった。前年度からの引き継ぎもなく、資料もない。
 運動会の準備を会議で提案しても、教師も忙しいため、なかなか協力が得られない。暗くなるまで運動場のライン引きやこまごまとした準備をする日々だった。
 一生懸命に頑張っていたつもりだが、先輩の教師から「いつもと子どもの席のつくりかたが違う」と怒鳴られたときは、何もわかってもらってないと捨て鉢になりかけた。
 そうこうしているうちに、次第に体が悲鳴をあげ始めた。頭がずきずきし、肋間神経痛にも悩まされた。視力も落ち、10メートル先の子どもの顔が見えない。
 職員室の話題は子どもの悪口が増え、まわりの教師をほめたり、ねぎらったりすることもほとんどなかった。みんな、ぎりぎりで走っていたのだと思う。
 教師はまじめな人が多く「ほかの人も忙しいんだから」と愚痴を言ってはならないと思っている。
 これ以上続けると、自分が壊れてしまうと思ったAさんは異動希望を出し、4年目に別の町の学校に異動した。
 異動してみると、前任校の日々がうそのように思うほど、落ち着いた日々だ。校務が少なく、研究授業もなく、子どもたちのことを第一に考えるゆとりがある。
 前任校では、若手教師として育ててもらっているという感覚がもてなかった。
(
朝日新聞教育チーム)

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教師を取り巻く過酷な現状とは、保護者対応など、どうすれば解決できるか

 「教師を支える会」の代表である私は、いろいろな学校現場の先生方の悩みをカウンセラーとして十数年間、お聞きしてきました。その中で感じるのは、現代はまさに「教師受難の時代である」ということです。
 学校の教師でうつ病にかかる者の割合は、一般企業の2.5倍にものぼると言われています。教師を追い込み、メンタルヘメスを悪化させてきた背景には、つぎの要因が相互に絡み合っています。
1 多忙さ
 いろいろな学校を見ていても、教師が放課後に子どもとゆっくり話し込んだり、勉強を指導して語り合ったりという場面はほとんど見られません。
 多くの先生方は「もっと子どもとふれあう時間が欲しい。けれども忙しくて時間が確保できない」と言います。それほど多くの書類に追われているのです。
2 学級経営、生徒指導の困難
 小学校の学級崩壊が話題になったのは1990年代半ばです。その頃から子どもたちの間に「わがままを貫き通せば先生は言いなりになるんだ」という風潮が高まってきました。
 その原因のひとつに、教師の指示を聞けない子どもが増えてきたことが挙げられます。その背景には、子どもたちの「どうせ私なんか」と自分を卑下する自己肯定感の低下、心の脆弱さがあります。
3 保護者対応の難しさ
 教師たちの大きな悩みのひとつとなっているのが、保護者対応の問題です。「教師を辞めたい」と訴える先生方の悩みの約7割は、保護者との関係の悪化がなんらかの仕方で影響しています。
 特に20歳代の若手教師や、50歳代のベテラン教師に対する視線には厳しいものがあります。集中攻撃を受けた教師は、たまったものではありません。精神的にボロボロになっていきます。
 
「それは、あまりにも、ひどい。相手が教師だったら、何をやってもいいというのか。教師も、人間なんだぞ」
 教師の悩みを聴いてきたカウンセラーとして、これまで、そんな怒りを感じずにいられなかったことが何度もありました。
 今や「保護者と良好な関係を作ることができる」「難しい保護者にうまく対応できる」ことが、教師人生を続けていくうえで、不可欠な能力となっているのです。
 学校に批判的な親の対応においては「関係づくり」が何より重要です。まじめな教師ほど「正論」で説得しがちです。その結果「わかってくれない」と敵対心を募らせます。
 まずは、じっくりと話を聴き「この先生は信頼できそうだ」という気持ちを抱いてもらえるまで、ねばり強く対応することが重要です。
 クレーマーの大半が「傷ついている親」で、内心は「被害者感情」でいっぱいなのです。したがって「自分は大切にされているかどうか」にひどく敏感です。
 こうした心理を敏感に感じ取って「大切にされている」という感情を抱いてもらうように対応することで、攻撃が緩和されていくことが多々あります。
 関係づくりができたところで「いっしょに考えていきましょう」と、共に問題解決を考える姿勢を打ち出していくようにします。
 さらに信頼関係が作れたならば「ひとつだけお願いがあるんですけど」と切り出していきます。このような慎重な姿勢が大切です。
 配慮すべきポイントは
(1)
チームで対応すること
 教師と保護者の間で「言った、言わない」と応酬することがあります。チームで対応することで回避できます。
(2)
「できないことは、できない」と明確に伝える
 こじれるケースでしばしばあるのが、保護者の怒りを買うのを恐れて、実現可能性の低い要求に対して、あいまいな回答をすることです。保護者の要求がエスカレートしがちです。
(3)
謝罪すべきことは明確に謝罪する
 謝罪すべきことは、最初に明確に謝罪するほうが、その後の信頼関係の回復につながりやすい。
(4)
話す時間枠を設定する
 保護者からの長時間に及ぶクレームで、メンタルヘルスを崩す教師も少なくありません。最初に「今日は、○○時までしか時間をお取りできないんです」と時間枠を明示することで、面談を進めやすくなります。
(5)
教師の個人情報を守る
 教師の家に保護者が何回も長時間訪れたり、電話したりして苦情を寄せられ精神疾患になったり、家庭崩壊に追い込まれてしまうことも少なくありません。
 教師の人権とメンタルヘルスを守るためにも、教師の個人情報を守る学校態勢づくりが必要です。
4 同僚や管理職との人間関係の難しさ
 今は教師受難の時代です。現場教師の支え合い、チームワークが必要になります。しかし、教師同士のチームワークは弱体化し、教師の支え合いの欠如がメンタルヘルスの悪化に大きく影響しています。
 原因のひとつは、教師の人事考課の問題です。荒れた学校で全教職員が一丸となって成果を上げても悪い評価の教師を出さなければなりません。給与に反映させている自治体においてはひびが入りつつあるのが実情です。
 同僚や管理職との人間関係ができていない教師が精神的に追い込まれていきます。精神疾患による休職教師の約半数が、その学校への勤務をはじめて2年以内に休職している、という事実にも示されています。
 教師にとって、同僚や管理職による支えほど、教師人生の危機を乗り越えるうえで大きな力になります。
 「弱音を吐ける職員室」「支え合える職員室」が、個々の教師を支えます。学級崩壊のような危機的状況にあっても、その問題をみんなで共有できる学校では、共に危機を乗り越えていくことを通して、一人ひとりの教師が成長していけるのです。
 教師には「学級経営の失敗をさらすのは恥である」といった意識が根強い人がいます。しかし、担任が問題を抱え込むと、保護者との関係の悪化などの問題が生じる可能性が高くなります。
 このようなことを防ぐためには、早期対応であり、教師には「上手に助けを求める力」が求められます。それが教師に求められる資質であると考えられます。
 メンタルヘメス不調の教師の多くは「学校で孤立しています」「誰も私の苦しみをわかってくれる人はいません」と言います。
 一人でもいいので「何でも言える人」「わかり合える仲間」を見つけていきましょう。このような仲間の存在こそが、教師人生をまっとうしていくうえで、最大の支えとなるのです。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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失敗しやすい教師の性格とは、どうすれば教師であることを楽しむ教師になれるか

 教師の性格が子どもに何かしら影響する。明るく、屈託のない教師の学級では、おおむね子どもは明るく、屈託なく育つ。しかし、逆に軽率になり子どもの心を傷つけるかもしれない。
 教師は自分の性格を自覚しているだろうか。正義感の強い教師は、憎しみの情の強い教師であると考えられる。子どものちょっとしたいたずらを憎んでしまう。憎むことが自分の正義感の表れのように感じていることもある。
 教師はあまり意識していないが「子どもはこのようにあるべきだ」という「・・・・すべきだ」があるのではないか。それが教師の子どもを見る基準になっている。
 そういう教師は、例えば「誰とでも仲よくすべきだ」ということが、できていない子どもがいれば、その子を責め、とがめる。その教師としては「人としての常識」を教えてやっていると思っている。
 しかし、責められ、なじられている子どもにすれば、教師に愛されているとは受けとれない。むしろ教師に憎まれていると感じる。
 子どもは内心「わかっているよ、そんなこと。やれないときってあるじゃねェか」と思っているかもしれない。
 しかし、教師は気づかず「何ですか、その顔は」「先生の話は素直に聞くものです」などと言ってしまう。
 教師は、よほど用心しないと、自分で考えた「・・・・・すべき」「・・・・・であるべき」に縛られて、子どもの気持ちを受けとれず、柔軟に対応できなくなってしまうことがある。
 それは結局、教師自身、子どもに「言うことをきかせたい」気持ちと、「子どもをぎゅうじりたい」気持ちにゆきつくのではないか。
 小学校高学年から中学生には、自分のことは自分でやりたい、自分たちの「とりきめ」は自分たちできめたいという自立の欲求が強くなる。だから、子どもたちの不満が強くなる。
 子どもたちはおもしろくない。そして、結局は教師の指導の失敗ということになる。問題は「かくあるべし」と押しつけてくる柔軟性のないことが失敗を招くものというそうである。
 自己嫌悪の強い人ほど他者嫌悪も強いといわれる。
 教師に限らず人に大切なのは「自分を受け入れること」自己受容していることである。つまり、自分に対する態度と人に対する態度は相関関係がある。
 教師が自分の性格やものの考え方や感じ方を自覚することは、ものごとを広く見たり考えたりできることにつがる。それが自分を肯定的に受け入れる自己受容になることを思えば、自分を調べることは大切である。
 子どもが好きになれない教師は子ども心(ふざけたり、甘えたり、笑ったり、遊んだりしたい)を嫌悪しているからではないかと考えられる。自分が「よい子」であろうとし過ぎるのではないか。
 状況に応じて自由に「子ども心」を出し入れする現実感覚(大人感覚)が必要ということである。教師は自分の中に「子ども心」を受け入れなければならない。
 そうすれば、子どもに好意をもてるようになり、子どもを受け入れられるようになるだろう。そのうえに、教師は教師であることをエンジョイし、楽しみたいたいものである。
 教師であることを楽しむ教師になるには、やはり修業がいる。修業や努力なしで教師を楽しもうとするのは、虫がよすぎる。
 教師は「気さく」でなければならない。子どもが気らくに「先生!」と寄ってきやすい人柄である。
 さらに、教師は「先生!」という子どもの声の響きによって、その子の気持ちとか、何か訴えたいのだな、とピンとくる「打てば響く」感性の豊かな教師でありたい。
 子どもになめられないか、といった不安がある教師は、堅く身構えたり、笑顔を見せず、心に硬い構えがある。
 そういう人の特徴は、話し言葉がカタイ。緊張している。冗談が通じない。まじめでおもしろみがない。
 気さくな教師は、笑顔で、けじめはあるがあまり形にとらわれない教師、ふだんの言葉で語れる教師、同僚教師や子どもの意見に素直になれる教師。リラックスしていて相手もリラックスさせてくれる教師である。
 気さくになるには、ありのままの自分をだしていく、教師という役割から抜け出してよい状況のときは、大いに抜け出す勇気をもつことである。
 教師は、生活空間を広げ、もっとふれ合う範囲を広げた方がいい。それが教師という役割に縛られない自分をつくっていくことになり、教師の構えをとり、ものごとに柔軟に対処できることにながる。
 子どもにとって「打てば響く」教師とは、子どもと同じような体験をもった教師であるといえる。とんとん拍子に人生をわたってきた教師には、子どもの心情がピンとこない場合が多い。
 そのために、関接体験をたくさん積むようにする。
 例えば、さまざまな人生を経てきた人たちと積極的に付き合う。今の自分と違った状況、集団に身をおく。さまざまな問題を起こした子どもとじっくりと付き合ってその心情を学んでいく。庶民の哀歓が感じられる小説や、さまざまな異なる世界の本を読むことをすすめたい。
 教師は人生に肯定的であってほしい。人生に憎悪がある人は、人生を楽しめない。自分だけでなく周囲の人々を暗くしがちで、何かにつけて失敗しがちである。
 自分の生い立ちを調べていくと、自分がそのようにしか感じられなかったのはどうしてか、子どものころの自分の気持ちを考え直すことにもなる。  
((
関根正明:1931年生まれ、小・中学校教師、指導主事、東京都公立中学校校長、大学助教授を経て、元山形大学講師。親や教師への相談、講演などにあたっている。子どもの心、教師、親の心をとらえたアドバイスには定評がある)

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今の若い教師はけなすとすぐ意欲をなくす

 私は、幸か不幸か、教育大学附属小学校に25年間勤務した。その間、「ほめられたことは一度もない」のである。けなされる一方であった。これが「普通」であった。
 今の若い教師はけなすとすぐ意欲をなくす。ほめられることになれすぎている。このくせを直さないと伸びない。
 私にとって、実力がないからけなされるのが普通であって、もし、ほめられたら気持ちが悪かったはずである。
 授業を見てもらって、もっとけなしてもらうことである。授業を見せないようでは、伸びるわけがない。
 教育大学附属小学校の教師でさえ、ちょっとけなすと「頭にきた」「むかむかした」などと言う。自分の実力は棚に上げて・・・・・。
 とにかく、指導案を書いて、授業を見てもらって率直に意見を言ってもらうことだ。
 うまくいかなかった授業からは「なぜうまくいかなかったか」という原因が学べる。
 うまくいった授業からは「これはいい教材だ」とか「この発問がよかったのだ」、「これだけは何としても教えたいという強い願いがある」・・・・ということが学べる。
 意欲ある教師にみえるのに、雑誌一冊もとっていない教師がいる。これにはあきれる。
 伸びている教師をみていると、雑誌をよく読んでいるし、本をよく買っている。そして、よく内容を覚えている。
 進歩の時計の針を一度止めると、なかなか動かない。毎日コツコツと、一歩一歩努力を積み重ねるしかない。私も今、時計を止めないように修業中である。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)




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新任の教師が追いつめられるのは、どのようなときでしょうか

 新任の教師が追いつめられるときには、つぎの二つのことが関係しているようです。
(1)
子どもとの関係がうまくいかないとき
 新任の教師は、子どもを愛しながら日々を送るのですが、子どもたちは、だれもが素直に教師のいうことを聞いてくれるわけではありません。
 それに、困難な事情を抱かえる子どもがいると、教室は落ち着きを失っていきます。このことが「みんな、私が悪いのだ」と、若い教師の心をさいなみます。
(2)
子どもの指導に、保護者や管理職から批判されるとき
 新任の教師なら、子どもの指導をめぐって誰もが悩みを抱かえるものです。学級が落ち着かないと、管理職から指導の弱点や問題点の指摘、責任の追及がはじまります。
 これに、保護者の批判の声が重なると、若い教師には、それが心を病むほどの鋭い痛みや傷となります。
 例えば、授業参観で、子どもの笑顔があったのに、参観の後、保護者から「いったいあの授業は何ですか」という感想があると、深い挫折感でいっぱいになります。
 こうした、日頃の指導に対する意見には、心がつながる仲間の教師にグチを言ったりしながら、それなりに乗り越えていくことができます。
 しかし、モンスターペアレントと思われる保護者からの執拗なクレームがあると「もう、辞めたいな」と思うことがあります。
 例えば「うちの子がいじめられているのでないか」「先生は、わが子の言い分をちゃんと聞いてくれているのですか」といった内容の連絡帳や電話が毎日のように続くと、電話の音を聴いただけで、身の縮む思いがして、暗い淵に落ちこんでいくような気がします。
 このような問題は一日や二日で解決できないことが多くあります。数か月かけて子どもの納得や笑顔をとおしながら信頼を得るように、教師が精神的に苦しみながら打開しなければならないことがあります。
 だからこそ、学校の責任者である管理職は「クレーム」を寄せられている教師たちの声を聞きとり、支えていかなければならないのです。
 必要なときは、管理職が担任に代わって保護者の前に立ち、保護者の子育ての悩みを聞き取りながら、学校と保護者が共同して歩むようにしていかねばならないと思います。
((
山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

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若い教師は日常、学級づくりなど、どのように実践しているのでしょうか

 若い教師たちと話し合っていると、仕事の忙しさ、「授業の進度や掲示物を学年で合わせるように」と注意されるなど同僚の教師との関係づくりのむずかしさや、保護者が怖いという声も聞かれました。
 今日の学校がおかれている厳しい状況をそのまま反映したものですが、それにしても、若い教師が感じている窮屈さは尋常ではありません。
 その一方で、これほど厳しい状況のなかでも
「聞くことと、待つことを大切して子どもと関わっていきたい」とか
「子どもと通じ合えたと思える瞬間があるから、この仕事はやめられない」
といった、子どものそばに立ち続けたいという強い意志を、若い教師たちが持っていることに感動をおぼえました。
 おそらく、全国には、同じ思いを持つ若い教師たちが、泣き、笑い、そして少しずつ成長する日々を送っていることでしょう。
 どんなにすばらしい実践でも、その教師と子どもたちとの教室の文脈のなかで生まれたものです。同じやり方をしたからといって、自分の教室でうまくいくとはかぎりません。
 それよりも、悪戦苦闘しながらも、自分らしく生きようとしている「教師仲間たち」の思いにふれることが、困難な現実と格闘している若い教師たちをはげますことになるのだと思います。
 若い教師仲間たちがどんなとり組みをおこなっているのか集めてみました。そこには、若い教師の教育観や子ども観を垣間見ることができます。
1 座席の決め方
(1)
席替えはクラスの大事なイベントです。新しい人間関係がそこで生まれます。最初は名簿順、その後の席替えは「いろんな子と関係を作ることが大切」と伝えて、必ずくじ引きにします。
(2)
席替えは「くじ引き、先生の案、好きな人どうし」など、毎回どれにするか子どもたちと相談してから決めます。メリット・デメリットを話し合い、子どもたち自身で方法を決めるので、後から文句をいいっこナシになります。クラスの状況によって、けっこう変わります。
2 朝の会・帰りの会
(1)
1年生でも日直ができるよう、セリフの書いた紙を見えるところに貼っておきます。
 スピーチは朝、日直が必ずやる。原稿の型をつくっておき、前日の空いた時間や放課後に子どもを呼び、いっしょに考えるようにした。自分で考えられる子は原稿だけを持って帰った。
(2)
帰りの会で「今日、輝いていた人」「今日あった、いいこと」などを出させます。「今日、○○ちゃんが手伝ってくれた」とか、私が気づかなかったことを話してくれます。
(3)
今日、よかったことを言ったり、係からのお知らせを言います。帰りの会は短く。
(4)
帰りの会で「今日のステキ」というコーナーをつくった。
 友だちについて「やさしくしてもらったこと」「頑張っていたこと」「ステキなところ」を発表しあう。友だちからほめてもらえることで、自己肯定力が芽生える。「ステキな行動をしよう」とクラスのみんなに広まっていく。
3 給食
(1)
毎日、担任は一グループずつ回って子どもといっしょに食べる。お誕生日の子どもがいたら、係の子が前にでて、牛乳でカンパイ。
(2)
一班4人にして、一人一役リーダー制にすると、全員が責任もつことができてよかったです。給食リーダーが班員に声をかけて机を移動、マットを準備させ、静かに座ってるようにします。準備OKの班から日直が呼んで給食を取りに行くようにすると、静かでスムーズに早くできます。
(3)
デザートなどがあまったときには「おかわり券」方式にしました。一人一回使ったらもうそれ以降は使えない。このおかげで「今日は使わない」という子がいるので、じゃんけんで争奪戦という場面がありませんでした。
4 掃除
(1)
「キレイになったよ。ありがとう」と声をかけて回る。
(2)
一生懸命やっている子たちをとことんほめます。「このクラスは掃除が早くてうまい」とクラス全体をほめると、掃除のやる気もアップするし、みんなで協力するようになっていきます。
(3)
「天国と地獄」「剣の舞」など、テンポのよい曲を15分くらいかけます。毎回15分意識して掃除ができます。 
5 休み時間
(1)
外遊び(おにごっこ、ドッヂボール・・・・)します。
(2)
けん玉、ビー玉、おはじき等を教室に置いています。
(3)
外で遊ぶ時間にします。家に帰ったら外で遊ばない子が多い。体を動かすことはとても大事なことです。
(4)
とにかくいっしょに遊ぶ。子どものありのままの姿が見えるし、信頼関係ができる。先生が遊びに入ることでクラスのみんながいっしょに遊ぶようになる。男女仲よくなる。
6 教室掲示
(1)
子どもたちが集中しにくくならないよう、教室前面黒板の周辺は、あまりいろいろ貼らずスッキリさせる。
(2)
学習した内容は廊下側の壁に、各教科ごとに模造紙にまとめて掲示しています。子どもたちが前に学習したことを思い出すのに役立つようです。
 後ろの壁には、全員の「顔写真」と「めあて」がはってあります。
 そのそばに付箋紙がたくさん置いてあり、友だちのがんばっているところや、ありがとうを伝えたいことなど、自由に書いて、顔写真の下に貼っていけるようにしてあります。 書いてある内容は、帰りの会や学級通信でも紹介します。
7 係活動
(1)
面白かったのは「給食の時間を楽しくするお笑い係」で、曜日代わりでコントや「などなど」をやってくれました。
(2)
係があることでクラスが楽しく、明るくなる。みんなで必要な係を考え出し合って決めます。例えば、レク係、ギネス係、音楽係、お笑い係などです。できるかぎり自分がやりたい係になるようにします。
8 楽しい生活づくり
(1)
学級通信に子どもの作品をたくさん載せるようにした。高学年のとき、ユーモア詩を載せたことで、クラスの空気が変わった。
(2)
お誕生日会を2,3カ月に一回計画している。席替えしたときに、班対抗ジャンケン大会をする。
(3)
学期に1,2回お楽しみ会などの集会を開きます。司会進行、飾り付けなど、すべての仕事を子どもたちに任せ、教師はサポート役に回ります。やる前「みんなで楽しむ会にする!」と確認します。
9 叱る
(1)
頭ごなしに叱って、心が通じなくなってしまったことがよくあった。
「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」と最後に問うと、子どもから「謝る」など出てくるので、お互い納得した解決ができたと思う。
 叱る言葉は一切言わず、聞くことに徹したことで、本心が出てきて解決の糸口が見つかった。
(2)
子どもに理由や願いを聞く。方法が間違っている場合は、間違っていると言い、願いは認める。納得するまで話は聞く。
(3)
ゆっくりていねいな言葉で話すように心がけています。感情的、一方的にならないよう努力して聞く姿勢を大切にしています。
(4)
先生が叱るときのポイントを子どもたちに提示しておく。
「命に関わる危険なことをしたとき」「人を傷つけた、いじめをしたとき」「うそをついたとき」
この3つがあったときは本気で叱る。
(
佐藤/隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

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教育現場を取材していると「さすが子どもに接するプロだな」と感心させられる教師がいる

 埼玉県志木市教育委員会が行った「一度出来たら一生もの授業」を取材しました。今回は一輪車の授業です。
 会場は大にぎわい。はじめは「できるかなあ」と不安げな表情の子どもたちでしたが、1時間もすると「できた!」の声があちこちから上がるようになりました。
 なぜ、わずか1時間でできるようになるのでしょうか。先生の教え方が上手なのはいうまでもありませんが、指示の出し方、集中のさせ方にも秘密があるように思えました。
 よく観察してみると
 
「前を見て」「姿勢を正しく」「こっちにおいで」
 の3つの言葉が聞こえてきました。
 この言葉以外はほとんど聞こえなかったように思います。
 長年、子どもたちを教えてきた教師らしく手慣れたもので、発する言葉は少なくても、じっと子どもを見すえ、子どもに安心感を与えながら指導していました。
 体育館や屋外での指導では危険も伴うので、声を張り上げないといけない。だらだらと話していては、子どもはあきてしまうどころか、ふざけてケガをしかねません。
 要領よく、子どもを集中させるためのポイントは
(1)
要点をまとめた単語を強く印象づける
(2)
子どもをよく見すえる
これは、一輪車の会場で見て思ったことです。
 他の競技にも同じことがいえると思います。子どもたちが、全員動きを伴う場合は、とても有効だと思います。
 この会場には先生方が、その指導方法を学びにたくさんこられていました。
 自信がないと、言葉を多く使いがちです。子どもをしっかり見るためにも、何の言葉が必要なのか、再確認してみるとよいと思います。
 私はマスコミの仕事をはじめて以来、ずっと現場で徹底取材を貫いてきました。ラジオ番組の教育担当として取材に伺った場所は1000カ所を超え、数えきれないくらいの人たちに出会ってきました。
 最近、取材を通して感じるのは、先生方にゆとりがなくなってきているということです。「子どもたちとゆっくり話す時間がなかなかとれなくて」という声を聞くことがあります。
 たとえ短い時間でも、子どもたちが先生とコミュニケーションにとても満足している姿を見ることもたくさんあります。
 
「さすが先生は、子どもに接するプロだな」と感心させられてしまうような、コミュニケーションのコツを心得ている先生方がいらっしゃるのです。そうした先生方は、保護者への接し方もとても上手でした。
(
中村弥和:1968年福岡県生まれ、LICフレグランス代表。アロマとハーブの予防医学の第一人者として20年の経歴、教育ジャーナリスト、人材育成講師として活躍。熊本放送アナウンサーを経て、TBS,ニッポン放送などレギュラー番組を持つ)

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一流の教師と二流、三流の教師とは、なにが違うのか

 最近の教師は、保護者からもやられるので、横着な人は少ないと聞いている。でも、校長にたずねると「いますよ」と必ずいう。
 若い教師の勉強会に招かれ、授業をし講演をした。子どもたちも楽しく授業にのってくれた。すべてが終わり、主催者のA先生の挨拶を聞いて驚いた。私は発言を求めてつぎのように言った。
 
「今、A先生は『学ぶべきものは何もありませんでした』と言いました。私の勉強不足は認めます。だから学ぶべきものはなかったのかもしれません」
 
「しかし、授業は『見る人の実力ほどにしか見えない』のです。実力があれば、新採の先生の授業からでも学べます。見る人、聞く人の実力によって、見え方・聞こえ方が違うものです。このことを考えてほしいのです」
 
「私の授業のよくなかったことのいいわけではありません。本当のことをいっているのです。今日は、大変申し訳ありませんでした」
 A先生の年齢は3639歳の間であった。この年齢の教師は、どうしてこんなに不遜になるのだろうか。3639歳以外にも、不遜な教師はいくらでもいる。ただ割合からいって多いので、すぐに年齢がわかるのである。
 思いだすのは大村はま先生が書いていた「おしゃか様の指」(『教えるということ』共文社)という話である。おしゃか様が天から人間の世界を見ていると、一人の男が荷車を引いて歩いていて、ぬかるみにはまってしまったのが見えた。困った男は一生懸命、引いたり、押したりするが荷車はびくともしない。
 誰か人が通りかかるのを待つことにしたが、いくら待っても誰一人通らない。おしゃか様は、男が人にたよらず、自分の力で何とかぬかるみから荷車を引き出そうと決心したのを知ると、見えない指で、荷車をちょっと押してあげた。
 もし、おしゃか様が「わたしが押してあげたのですよ」といえば、男は、次にこういう困ったことが起きたとき「おしゃか様が助けてくれるのではないか」と、他人にたよる心が起きるだろう。だからこそ、おしゃか様はだまって、見えない指で押してあげたのである。
 私たちは「見えない指」で押されて生きているのである。それに気づくかどうかである。
 一流の教師は、子どもに「自分一人の力で育ったのだ」と思わせることのできる教師である。二流、三流の教師は「先生が教えてあげたから合格できたのだ、成長できたのだ」と恩をきせる教師である。「学ぶべきものはなにもない」という教師も、一流とは言えないだろう。
 子どもが困っているとき、ぐっとがまんして、手を出さないことが本当に子どものためになるのである。野球の選手でも「さよならホームラン」を打ったのに「チームのみんなが打たせてくれたのです」とか、○○賞をもらったとき「ぼく一人がもらったのではなく、チームがもらったのです」などという人がいる。
 これを聞いて「これが一流選手なのだなあ」と思う。二流、三流選手は「ぼくが打ったから勝ちました」「ぼくが投げたから勝ちました」などという。
 一流のお母さんは、子どもに「自分一人で育ったのだ」と自信を持たせることのできる人である。「私がいう通りにしたから成長したのだ」などとはいわない。
 教師でも、お母さんでも、一流になると、すべてわかっているのに「どうしたらよいだろうね」と、子どもに考えさせたり、気づかれないように目に見えない手で支援しているのである。
 
「そんなこともわからないの」と、教えてしまうのは、二流か三流である。
 私たちは、子どもが困っていると、すぐ手を出して助けたくなる。そこをぐっとがまんして、子どもに困難を乗り越えさせることが大切なのだ。
 あるお母さんから「うちの子は、先生に出会ったから今があるのです。ありがたいことです」といわれたことがある。
 
「それは、私の方がいいたいことです。子どもは、このようにして困難を乗り越えるのだ、ということを教えてくれたのはお宅のお子さんですよ」
 
「お宅のお子さんと出会って本当に幸せだったと感謝しています」と申し上げたことがある。今も全く同じ気持ちである。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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