カテゴリー「先生の実態」の記事

教師は「悪口を言われるのも、お給料の内」、戦場となっている教室では熱意や誠実さだけでは戦えない策略を巡らせて戦う必要がある

 学校現場は厳しい。教室は「戦場」のようなものだ。
 それなのに、初任者の教師は「武器」も持たず「策略」も練らずにやってくる。それでは「攻撃してください」と言っているようなものだ。
 教師になるような人は、真面目で叱られ慣れていない。だから、打たれ弱い。
 私も打たれ弱い性格だと自覚している。だから、打たれないようにと気をつけながら、なんとか無難に毎日を切り抜けられるようにしているのだ。
 しかし、若手教師は無難に過ごすことは無理だろう。気をつけていても、失敗するはすだ。たった一つの失敗でも、人格否定されるような攻撃を受けることもある。
 特に、学級懇談会が怖い。保護者が集団になって担任をつぶしに来る可能性があるからだ。学級懇談会の後、私は職員室で泣く若手教師を何人も見て来た。それなりの策略を練り、臨むべきだ。
 それでも、集中攻撃を受けることはあるだろう。傷ついたとしても、絶対に辞めてはいけない。
 初任者のクラスの8割が荒れると言われている。1年目の若手教師はどれだけ失敗しようが、辞めないことが一番いいことだ。厳しい1年目を乗り切れば、2年目は絶対に楽になる。
 ちなみに、私は「教師は悪口を言われる商売だ」と思っている。
 どんなに私の前で「中村先生が担任でよかったです!」と言ってくださる保護者がいても、信用してはいない。 リップサービスだと思って、話を半分に聞いている。
 保護者は担任に何かしらの不満を持っていると思っておいた方がよい。そして、陰で集まって悪口を言ったり、メールやLINEで悪口をやり取りしているに違いない。
 教師は悪口を言われるのもお給料の内なのである。そう思えば腹も立たない。また、陰で悪口を言って気が晴れるのなら、とても有り難いことである。教師にやいばが直接向ってくるよりは、よっぽどいい。傷つかなくて済む。
 教師は内閣総理大臣の支持率のようなものだ。内閣の支持率が100%はあり得ない。
 悪口を言われていることを自覚しながらも「策略」を巡らせ、内閣支持率を上げていくことが大切なのだ。
 私が一番こだわっているのが予防です。例えば、やんちゃくんが反抗的になってしまうと、どんな手を使っても指導は入りません。そこで、やんちゃくんが背を向けないように予防することが大切です。
 やんちゃ君とは絶対に対峙しないことです。戦わなくてすむように予防する配慮が必要なのです。戦わなければ負けることはないですからね。
 やんちゃくんと対峙して反抗的になるぐらいなら、放っておけばいいのだ。やんちゃくんの周りの子どもを個別に叱る。やんちゃくん予備軍の子どもたちがやんちゃくんの真似をして悪いことをしようとしたら、怒鳴って止める。
 やんちゃくんが増えていくと、学級崩壊の危険が高まる。だから、やんちゃくんが増えないように周りの子を厳しく叱るのだ。
 ただ、みんなの前で怒鳴られたことを恨みに思って、やんちゃくん化されても困る。だから個別に呼んで叱る方が効果的だ。
 今の教室は戦場になっています。戦場では熱意や誠実さだけでは戦えません。しっかりと策略を巡らせて戦う必要があります。
(中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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教師が気をつけること、教師が力をつけるために、大事なこととは何んでしょうか

 私の場合は、教師以外の方との付き合いの中から多くを学ばせてもらったような気がします。
 もちろん、先輩教師にも素晴らしい方はたくさんいましたし、教師の中からも学んできました。
 けれども、自分の知らない世界で学んできた方からの学びというものは、学校の中で、いくら逆立ちしても及びもつかないことです。
 教師以外の方から学ぶことの素晴らしさを私は体験することができたのです。
 私たち教師の毎日は、子どもが相手なんですね。教室に行けば、王様です。程度の低い相手としか付き合わない日々なんです。
 そうして10年、20年、30年とたった時に、その人々がどうなるかは、火を見るより明らかです。うっかりすると、自分を下げ続けていくしかないんですから。
 下の者とばかり付き合っているから、いつの間にか程度が低くなりがちです。
 私たち教師は、少なくとも自分より上の人と努めて付き合う日々とすべきです。
 今の自分よりも、もっと高い自分になるためのチャンスを作ることが大切です。
 師を持つことが大切です。自分の及ばない高さの力をお持ちの方と接するということは、自分を向上させていく、大きな目標になるし、力にもなるのです。
 いつも、自分の及び難い上の人と付き合っていれば、ずっと伸び続けることができるんです。
 私は、苦しいことや辛いことを皆さんに伝えているのではありません。
 レベルの高い人と付き合うということは、じつは、素晴らしく楽しいことなんです。
 それは、富士山の5合目までしか登ったことのなかった人が、6合目に上がれば新たに6合目の景色を見られるということだからです。
 「良き師」「良き友」「良き書物」、これが人生を充実させる三つの糧だと言われます。
 良き友というのは、自分よりレベルの高い友であることが望ましいです。
 良き師はむろんのこと。良き書物も同じです。
 一級の人物は、必ず一級の師匠を持っている。
 高杉晋作、山形有朋、伊藤博文らを育てた吉田松陰が松下村塾を開いたのは、2年半くらいでしょう。
 一人の偉大な人物の感化や影響というのは、決して時間じゃないのですね。どんな質で出会うか、ということです。
 人生は一回一回の出会いが、非常に大切なんですよ。
(野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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教師に向いていないと考える人こそ、教師に向いている人、どうすればよいか

 失敗して、くよくよして教師に向いていないのではないかと、思い悩む日々があります。
 そんなときは、とても苦しいものです。
 それでも、元気に子どもの前に立ち、少しずつがんばりたいと思います。
 例えば、どうしても相性が合わないものがいるものです。無理に合わせようとしても、かえってすれ違ってしまいます。
 子どもに嫌われないためにできることは、少なくとも教師が子どもを嫌いにならないことです。
「あの子は嫌い」という教師の気持ちは、敏感な子どもたちにはすぐに伝わってしまいます。
 逆に「あの子が好き」という気持ちは、合わない子でも感じ取ります。
 合わない子のどこか好きなところを見つける。これは教師が意識すればできることです。
 教師が子どもたちに教えられる一番のことは「学び続ける」ことだと思います。
 教師自身が失敗しても、振り返り、そこから学び、元気にチャレンジする姿を見せる。
 それが、子どもにとって、一番の学びになるはずです。
「師」とは自分の学ぶ姿を弟子に伝える存在です。
 つまり、自分は教師に向いていないのではないかと考える姿こそ「師」として子どもに見せるべき一番大切な姿なのです。
「教師に向いていないと考える人こそ、教師に向いている」という言葉は、私自身が、自分の師とする人から言われた言葉です。
 ちょっと抜けたところもある教師だからこそ、子どもにも伝わることがあるはずです。
 そうはいっても、どうしてもしんどくて元気がでない時は、決して無理をしないようにしてください。
 教師の仕事は、自分の存在をすべてかける、やりがいのある仕事です。それを生きがいにして元気になるなら、大丈夫です。
 しかし、どうしても、しんどいときが必ずあります。
 しんどいときに、無理に頑張っても、何も解決できないことがあります。
 そんなときは、子どもたちのためにも、自分の身体や心を休め、大切にしてください。
 少し時間をおくと、状況が変わり、解決することもあるでしょう。
 楽しく学び続ける教師の姿こそが、子どもに一番いい影響を与えます。
(桔梗友行:1977年宮城県生まれ、兵庫県公立小学校教師。ユニット授業や学び合いに取り組む。「学び合うin神戸」主宰)

 

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教師たちの仕事上の悩みの声を聞いてみた

 教師として生きる日常をもう一度振り返り、教師仲間たちの声を聞いてみましょう。
〇新任のとき、クラスがまとまらず、課題を抱かえる何人かの子どもにうまく対応できず、学級懇談会で、
「隣のクラスと比べて、落ち着きがない」「もっと細かく連絡してほしい」
など、かなり厳しい意見が出た。
〇教職2年目、病的にクレームを言ってくる保護者に「担任を降りてほしい」と日曜参観の授業中に言われた。
〇校長に「若い女性の先生はダメ」と、最初から決めつけられ、子どもの前でどなられたり、校長室で説教させられた。
〇机の上に物を置いて金曜日に退勤したら、月曜日、机に赤マジックで「机上整理!」と書いた紙が貼ってあった。
〇先輩の教師が「力で抑えつけろ」的な考えだったので、パワハラの恐怖で子どもたちを抑えつける指導をつい、してしまうことがあった。
 理想と現実の間で悩み、自分の人格が歪められた気がして、教師を辞めようと思ったことがあった。
〇同学年を組む教師と進度や掲示物をそろえないと責められる。
〇初任者の1学期、クラスがまとまらず、保護者からの不信感で、臨時の保護者会と、授業参観を開きました。
 授業もへただったので、管理職が授業を監視していました。
 一度、授業の最中に割って入って、
「この授業をこの先、どうやるつもり。私が続きをやるから、あなたは見ていなさい」
と、子どもの前で言われ、シッョクでした。 
〇とにかく仕事量が多く、かなりの負担です。
〇クラスがうまくいかなくなると、管理職から責められる。
〇初任者の年、しんどい時に、養護教諭や事務職員に話を聞いてもらいました。「一人じゃない」と思える環境に自分からしていくことができました。
(佐藤/隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

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教師になって30年、教師人生の中で唯一誇れることは、教師を辞めたいと思ったことは一度なかったこと

 私は教師になって30年になります。
 そんな教師人生の中で唯一誇れることは、教師を辞めたいと思ったことは一度もなかったということです。
 今、教師は難しい状況の中におかれています。
 教師は日々、多忙を極めています。
 子どもたちと、うまく関係を築けず学級運営に困っている教師。
 授業がうまくいかず四苦八苦している教師。
 多忙さから辞めたいと思っている教師。
 このような教師が、どの学校にも多くいます。
 私が辞めたいと思わなかった理由は、つぎのような「人との出会い」があったからです。
(1)
子どもたちとの出会い
 子どもたちの言葉、子どもたちのサインから教師としてどのように立ち振る舞うべきなのかということを突き付けられました。
 たくさんのことを子どもたちから、どうすればよいか学んだように思います。
(2)
研究会で出会った仲間
 研究会で出会った仲間です。困ったとき、行き詰まったとき、多くの仲間からアドバイスをもらいました。
 同じ志を持つ仲間を持つことは、教師として成長するには欠かせないことだと思います。
(3)
アーティストとの出会い
 そして、三つ目は、アーティストとの出会いです。この出会いが、もう一度、自分の実践を見直すことになりました。
 また「どう生きるべきか」ということについても、考え直させてくれたのです。
 例えば、世界的に名声のある穐吉(あきよし)敏子(米国在住ジャズピアニスト)にお願いして学校鑑賞で演奏してもらいました。
 そのとき、穐吉さんから「レベルの高い音楽をめざしたかったのでアメリカに行った。迷いはなかった」という話をお聞きしました。
「道を決めたら迷わない」という、大事なことを私は教わった。
 いろんな出会いが、私の教師人生を豊かなものにしてくれたのだと思います。
(
糸井 登:1959年生まれ、京都府公立小学校教師を経て、私立立命館小学校教師)

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子どもと関わり、成長していくのを見ることが教師としての私の喜びです

 東京都内の公立中学校に勤務する20年目の美術科女性教師。美術教師は「風変わりな教師が多い」とは世の風評だが、この先生もかなりユニークで、元気印教師。話を聞いてみた。
 私が教師になったのは「教師は時間があるから自分の絵を描ける」と思ったから。じつは大間違いだったけど。
 でも今は自分の作品を描くより、子どもに描かせる才能のほうがはるかにあると思う。
 ちょっとアドバイスしたら「あらら、この子、どうしちゃったの?」と思うくらい、いきなり二段階ぐらいうまくなっちゃうことがあるもの。
 そういう意味では、やっぱり私には教師が天職なんだと思うわ。
 私、中学教師って「おいしい仕事」だなって思う。ちっちゃな子どもだった子が3年間の間に一人前になっていく姿を目の当たりにする。
 しかも、家族にも見せない顔を、私たち教師は間近かでみることができるんですよ。
 中学時代って精神的に不安定なぶん、一生のうち一番キラキラ輝いているときじゃないかな。
 たとえば、すごい感性を持ってて、将来どんな作家、どんな芸術家になるんだろうって子がいる。
 そういう子を見ていると、きっと私たち教師だけが、その子の一生のなかで一番の輝きを見ているんだなって思うんです。
「最近、教師と子どもは信頼関係がないのでは?」なんて問われても、私にはなんとも言えないな。
 だって、子どもとの関係なんて、それこそ一人ひとり、みーんな違う。生徒も親も3年ごとに変わるでしょ。
 でも、私は子どもたちの本質は、どの学校でもそんなに違わないと思うんですよ。
 やっぱり、可愛がられたい、評価されたいという気持ちは同じだと思う。ただ、その表現の仕方が違う。
 中学生といえば思春期まっただ中。一年生のときは緊張感もあって大人しくても、二年生になると反抗期で生活が乱れたり、やる気をなくしたり、悩んだり。三年生になって受験体制に入るのが最近は遅い。
 子どもたちってね、あるとき教師を乗り越えていく瞬間がある。たとえば、教師の意図を超えていい企画が生まれたり、あっと思うような行動をすることがあるんです。
 それと「つぶしがきかない」というかな、生徒指導の方法として、一度失敗させて、自分たちで考えさせるという方法があるんですけど、今の子はそれができないんですよ。失敗するとシュンとなっちゃう。だから生徒との会話でもすごく気を使う。
 私は、生徒との関係に一番気を使っているんじゃないかな。なるべく子どもを追いつめないようにね。
 どんなふうに話すか、言っちゃいけない言葉は何か。その子との対話のなかで素早く嗅ぎ分ける必要がある。
 例えば、受験の前日に夜遅く生徒から電話があって、寝ぼけまなこで電話にでると「先生、明日の試験に行けません」と。
 最初の1,2分が勝負で、まず気を落ち着かせるために、私は「何があったか最初から話してごらん」と、その間にこっちはどう言うか考えるの。時間かせぎね。結局その子は説得されて受験しました。
 そんなふうに落ち着かせるときもあるし、場合によっては泣かせることもある。
 子どもへの対処は毎回違うんですよ。それがうまく当たると「ヤッた」という快感があってね。
 私は、いつも「基本的に、あんたが好き」って態度で生徒に接している。
 なかには合わない生徒もいますよ、合わない生徒に合わないことを悟らせないために、相手のいいところを探して「好き」になる努力をしますからね。
 だから、生徒がいやで教師を辞めたいと思ったことは一度もないな。
 私は、けっこう生徒たちと人生を語り合っちゃうんだよね。放課後とか委員会の後とかに。
 教師と生徒の関係って不思議でね。ときには恋愛関係よりも深いつきあいがあるんですよ。すごく深いむすびつき。なんていうか「あうん」の呼吸なのね。
 いわば会社でチームの仕事をしていて、有能な部下を持った上司の気分なのね。
 私は昔から、クラス担任だけじゃなくて、生徒会とか委員会とか、いくつも担当しているの。なんでかといえば、面白いから。
 それぞれの子どもへの関わり方が違うし、生徒を動かすというか、一方的な命令や管理じゃなくて、いろいろ指導していくうちに、こちらの意図を裏切って育っていく姿を見るのは本当にうれしいですね。
(
東京都公立中学校の美術科女性教師
)

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教師が心を痛め休職したりする原因は何か

 教師は真面目で誠実だ。誠実だから教師になったのだ。真面目でない人間には教師は絶対つとまらない。
 心を痛めて、休職する教師が増えている。辞める教師が増えている。
 それを取り上げてくださるマスコミも多い。有り難いことである。
 しかし、マスコミの方々は、われわれ教師の「さが」をよく分かっていらっしゃらないようだ。
 教師が自殺したり、休職者数が増加したりすると、すぐに労働時間などが問題にされる。
 確かに教師の仕事は忙しい。しかし、私は、そんなことは問題でないと思っている。
 教師が心を痛める原因は何か? それは「報われない」からである。
 どんな仕事でも、辛いことはある。忙しくて、睡眠時間も満足に取れないことがあるだろう。
 仕事は、厳しいものである。それは仕方ない。
 それでも、その努力が報われれば、人間はがんばれるのだ。
 どんな忙しかろうが、徹夜が続こうが、報われている限りはがんばれる。
 われわれ教師は真面目なのだ。良心的なのだ。子どもたちの笑顔を見て、やりがいさえ感じられれば「教師になって良かった」と思える。
 どんなに仕事が忙しくても、体がきつくても「がんばって良かったな」と思える。
 それなのに、いまどきの教師は「報われない」、がんばっただけの見返りがない。
 見返りとは、現金ではない。子どもたちの笑顔、保護者の笑顔、つまりは「先生のお陰で」と言われることが少なすぎる。
 いや、逆に一生懸命やった、がんばりが裏目に出ることが実に多いのだ。
 これでは、われわれ教師は「報われない」、がんばれない。
 教師という仕事の本来の喜びは、子どもの成長である。かけ算九九ができるようになったなど、子どもを成長させることができると、ものすごくうれしい。
 そして、自分の成長を実感した時の子どもたちの笑顔を見ると、さらにうれしい。
 これが、教師の「さが」である。そのためなら、どんなに大変でもがんばれる。
 われわれ教師は辛いのは、忙しいからではない。「報われない」から辛いのだ。
 今、教師に必要なのは、教師が報われることである。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている
)

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小学校の教師が人事交流で幼稚園に赴任して、わかったこと

 中部地方の小学校教師が2年前に人事交流で大学の附属幼稚園に赴任した。
 子ども観が大きく変わったという。ニコニコしながら、小さな子どもに語りかけるような、ゆっくりとした口調で話してくれた。
 幼稚園に赴任した頃は、4,5歳の子を扱ったことがないから、何をしていいかわからなかった。
 それに幼稚園って教科書がないでしょ、4月にこれを勉強させなきゃいけないっていうのがない。
 折り紙の時間に子どもがケンカをしても「ケンカしちゃダメ!」なんて言わない。ケンカを通して痛みもわかるし、子どもが育っていくことをすごく大事にしているんです。
 プールの時間でも、入りたがらない子に無理じいしない。「この子はまだ、そういう時期じゃないんだ。機が熟すまで待とう」と。子どもの心の解放が大切なんですよ。
 つまり、子どもに「〇〇しなさい」と強制しないんですね。もっと自由でいいんじゃないかと。自由な時間を与えて、自分の生活を主体的につくらせる。
 わが子を見てても「子どもって、ほんとに自分の思うようにならないなあ」と感じるけど、幼稚園はそれが集団だから、すごい世界なんです。
 もろに本能のぶつかりあいで。逆に、教師が変わらなきゃならない。
「できるようにさせる」という関わりじゃなくて、その子が「やりたい」と思っていることや、発達段階で大事なことを先生が認めたり、助けてあげる。
 一人ひとりの子どもの成長に、どこまで関われるかが大事。4歳や5歳という幼児期に大事なことを伝えていく、という考えなんですね。
 それで、自分のことをふりかえったんですよ。
 小学校の教師でいたときは「私のクラスは、ぜったいに全員、逆上がりができるようにさせてやるぞ」みたいなことが、すごく強かったなあって思ったんです。
「それができるのが、教師の力量だ」なんて、私は偉そうに思っていたし、保護者も喜んでくれたし。
 小学校では目標達成主義で、子どもたちを育てている。できなかったら「あなたの指導が悪いんだ」と、教師の評価にもなってしまう。教師も追いつめられちゃうんですね。だから、子どもがいうことを聞かないと叱る。
 幼稚園に来て「教師のほうから、子どもたちのほうに行く」のが大事だと、思うようになりました。
 小学校1年生のクラスが5月に学級崩壊したという報道が以前ありました。
 5月ということは、幼稚園から上がったばかりで、はたして子どもが、授業中ずっとおとなしく席に座ってられるのか。この時期はまだ無理なんですよ。
 もしも、子どもが全員きちんと座っているようだったら、それは幼稚園のときに「やりたい」「楽しい」ってことを抑制されてた、としか言いようがない。
「先生に怒られるから、とりあえずおとなしくしてるよ」っていうレベルで、子どもは受けとめちゃう。
 それじゃ、教育じゃない。自分から主体的に「相手のために、話を聞くんだ」という大事なことは育たない。
 その子の心が今、どこにあるのかってことを見届けていく必要があると思うんですよ。
 私が幼稚園に来て「おはよう」と言っても、あいさつしない子がいた。「ちゃんと、あいさつしなさい」とは叱らなかった。
 でも、1年かけたら、その子も「先生、おはよう」って言うようになりました。
 あと1年半で幼稚園の勤務は終わるけど、早く小学校に戻って授業をやりたいですね。
 幼稚園で学んだこと、実感したことを生かして、子どもたちに接していきたい。
 きっともっと幅の広い授業なり、子ども理解なりができるんじゃないかなあ。それが私の使命だと思うし。
(
中部地方の小学校教師
)

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今どきの保護者・子どもの対応で、教師は精神的な疲れがドーッと来る

 以前から、小学校高学年の大変さというのはありましたけど、小学校の低学年から大変ですね。
 落ち着いて話が聞けない子ども、何かをやると言うと最初からイヤダーと叫ぶ子。いまは、1,2年生はおとなしく椅子に座って、先生の言うことをよく聞くという状況じゃないですよ。
 私のクラスでも、1人の男の子が手当たり次第に友だちに暴力をふるうんですよ。その子は小さいころ病気がちで、友だちと交わりのないまま小学校に入ってしまった。どうやって人と繋がったらいいのか、分からないんですね。
 そういう人と繋がれない子どもが急速に増えています。その一方で、ちょっとした刺激や苦痛にも耐えられない、ひ弱な子どもがいます。
 家庭では、父親が不在で、母親がいつも子どもとだけくっついている。
 それで、感情だけで可愛がるか、怒るかで、客観的に子どもを見ることができないんです。だから、子どもの気持ちが安定しないんですね。それでひ弱な子や、わがままな子ができる。
 特に、高学年の男の子は、がわがままになっている子が多いんですよ。
 母親は男の子をどう扱っていいかわからないですよ。それで子どもはいうことを聞きません。父親がかかわっていれば、バンと言ってくれるはずなんですが。
 母親は同姓として分かる部分があるので、女の子には結構厳しくしつけますから、逆に5,6年生になると女の子はしっかりします。
 中学生になると男の子は女性教師に対して差別的な目で見てくるんです。それは母親との関係のせいなんですね。もう歴然としています。
 私自身、男子生徒が後ろを向いて座ったり、好き勝手におしゃべりして、授業なんてどうでもいいよ、というポーズをとられたり、さんざん試されました。
 そういう時に、私は「何、その話、面白そう」と言って、クラス全体の話に持っていったりするんです。
 そうするうちに「この先生、少々のことでは動じない」とか「自分たちの中に入ろうとしているな」とか思ってくれる。
 子どもたちは敏感ですね。今はとってもなついてくれるんだけど。その辺、若い教師が一生懸命なあまり、子どもと正面にぶつかって、すごく苦労している人もいます。
 子どもは、人の気持ちが分からなくても平気という雰囲気がある。聞きたくない子どもの話は聞かなくても平気。
 何か話し合いをさせると、すぐにケンカが始まってしまうので、教師はどこで介入するか常に神経をピリピリさせていないといけないんです。
 地域にもよるでしょうが、怖さで子どもたちを押さえつけるというのは、子どもたちは受けつけないです。
 まず、子どもの話を聞いて、自分たちの思いを教師が受けとめてくれて、それから何かアドバイスをしてくれる先生を求めますね。
 高学年になって問題が起きてルールを決めるときも、教師が「こうしなさい」と言うのではなく
「その問題について、あなたたちはどう考えるの?」と聞いて、
「それだったら、どういうルールが必要?」
って考えさせて、その上で決めないと、子どもたちは守らないです。
 だから、時間がかかっても話し合いで決めさせます。
 今、親が人の話を聞けなくなっている。授業参観の時に後ろで親たちのうるさいこと。ベチャベチャしゃべって。クラスの男の子が「うるさい!」って怒鳴ったんで、私は笑ってしまったんですけど。
 母親はわが子の話を聞かないんです。しかも、自分はわが子の話を聞いているつもりなんです。
 実は子どもがちょっと何か言うと「あなたは、こうで、こうなんでしょう」と話を横取りしてしまう。
 子どもは、まただ、と思って話すことをやめてしまうし、親は子どもが納得したんだと思い込むんです。
 親は、学校に対する苦情はバンバンいいますよ。
 例えば、運動会をやった後、第一声に出てくる言葉が「子どもたちの先生の話を聞く態度がなってない」「あの時の進行が悪かった」なんですよ。
 うちの学校で、高学年の子が集団万引きしたんですよ。そしたら、その中の1人の親が、学校に抗議に来たんですね。
「ウチの子はそんな子じゃない。友だちにそそのかされた。学校の集団生活でこういう子どもにされた」
「学校側が子どもに対する具体的な指導の方針をきちんと示さないかぎり、二度と子どもを学校には出さない」って言って、子どもを学校に来させないんですよ。
 他の学校で子どもがいじめられたらしい。学校が善処しなかったら、裁判を起こすという親もいました。
 担任は、それでなくても大変なのに、裁判なんか起こされたら、本当に落ち込みますよ。
 担任とよく話し合えば、誤解だったとか、自分も見直さなければいけない点があるとか、見えてくるはずなんですけれど。
 そうしないで、親はバーッと感情をぶつけてきて、校長や教育委員会に言ったり。感情のままにという解決の仕方です。
 そういう風に言ってくる親のまわりには「学校に言うべきよ」って応援する親が必ずいるんですよ。
 逆に、まともに考えている親たちがものを言えない雰囲気がある。以前だったら「そうは言っても、ウチの子もこうだから」となだめ役になってくれる親がいたんですが、今は少なくなりました。
 日々教師は、親との対応、子どもとの対応の中で、精神的な疲れがドーッと来る。忙しさの中にも、精神的なゆとりのなさと、時間的な大変さがあるんです。
(
別冊宝島編集部)


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子どもを見ていて、やばいゾって場面があったとき、修羅場の経験が役立つ

 ある地方都市の小学校のベテラン教師。子どもの頃は相当なワルだったとは本人の弁。
 港町で育ったから、荒っぽい港湾労働者や海上生活者がいっぱいいて、カツアゲや刃物事件は日常茶飯事。
 そうした修羅場を生きてきた経験が教師の仕事に大いに役立っているという。
 学校での事件や、不祥事の対応に「そうした教師の経験・資質の差がでるんです」と具体的な事例をまじえて話してくれた。
 学校のなかで、なにか事件とか事故が起こったときに、教師が最初になにを考えるかというと、いかにして学校のなかでうまく決着をつけられるかを考える。
 表向きの理由は「子どもたちを傷つけたくない」「子どもたちに配慮して」ということなんですけどね。でも本音は「内々で済ませたい」と。
 学校でできることは何かというと、再発を防ぐ努力をするしかないわけ。
 学校の不祥事というのは、いじめなど内部で処理できなかった問題を指すんです。
 外部に漏れて問題になるのは、一つには内部告発があるから。対応に親が満足できなくて、教育委員会やマスコミ、警察に通報するとか。
 どんな小さな問題でも教育委員会から調査が入る、そうなったときは大変な騒ぎになります。
 なにか事件や事故があった時、それをどう対処するかは、教師それぞれが持っている経験や資質に左右される
 いまは教師自身が比較的いい子ちゃんで育ってきているから、いざ何かあっても自分の判断で対応できないんですね。
 例えば、殴り合いのケンカで脳震盪を起こして倒れている子どもを、どうしたらいいかなんて経験している教師は、なかなかいないわけです。
 僕のように経験があって、落ち着いて対応できれば不祥事にまでならないで済むことが多いんですけど。
 親が学校に怒鳴り込んできた時、教師の対応がだいたい三種類くらいに分かれる。
 いたたまれなくてその場からスッといなくなる教師。ただオロオロしている教師。とにかく売り言葉に買い言葉ですぐケンカしてしまう教師。
 僕なら、そこで「どうしました」と、まずお茶でも出して、ワンクッション置いて、とりあえず落ち着いて話を聞こうよってことが、どうしてもできないんだよね。そういう初歩的な対応が。
 僕にも、ここはちょっと緊張して頑張らないと、やばいゾって場面が一週間に一度はありますよ。
 子どもを見ていて、こいつ、ちょっとキレそうだからしっかり見ておかなきゃとか。あの子はちょっと元気がないから家まで送ろうかとか。あの親に一本電話しておこうとか。
 そういうのは、本当に勘だけど、それが結構、当たっちゃうから嫌だよね。
 例えば、子どもが頭を打ったら、すぐに病院に連れていく。そのときに痛いとか意識あるとか、担任と養護教諭がいろいろ様子を見ますよね。
 そういった経過も含めて、親にきちんと言うのと言わないのでは、もう全然違うんですよ。
 それをせずに、子どもが家へ帰って夜に、もどしたなんてことになったら大変ですよ。ところがその一言、一本の電話ができない教師がいる。
 それができないのは、経験のない若い教師ばかりといえば、そうじゃない。年配の教師でも「うるさい親だから」ってやらない教師がいるんだよね。
 リスクに対して、どう対応するかってことは大事。
 あんまり、こういう言い方は良くないかもしれないけど、やっぱり教師って、修羅場を経験していない人が多いんだよね。
(
地方都市の小学校教師
)

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