カテゴリー「教師の成長・研修」の記事

新任教師が教師力をアップするためのヒントとは

 新任教師が教師力をアップするためのヒントを次に紹介します。
1 子どもを把握し、即時に授業へ生み出すことが重要
 目の前の子どもの状況を把握して、それに適した授業を即時に生み出すことはとても重要なことです。
 新任教師は、次の点を意識して、授業の状況を把握しましょう。
(1)どこまで知識・理解・技術等が子どもに定着したかを瞬間的に判断する
(2)子どもが活動に対して心を開き没頭しているか否かを見極める。
(3)子どもの姿勢、表情など、身体的所作を感覚的にとらえる。 
 このように授業を進めるには、多様な鑑識力が教師に要求されます。そのために、刻々と変化する子どもの瞬間的な状況を一つたりとも見逃すまいとする姿勢が重要となります。
 すなわち、授業を進めながらも、子どもの状況の細部までとらえられるような、いわば教師が
「観察者としての授業者になれるような訓練を積む」
 ことが大切でしょう。
 これを前提として、子ども全員の能力、興味・関心の対象など、多くの情報を事前に把握しておくことも重要です。
2 経験を積んだ教師から学び、自分の授業スタイルをつくりあげる 
 新任教師は、経験を積んだ教師の授業をたくさん観る必要があります。同僚教師だけでなく、外部の研究会などへ参加するのもよいでしょう。
 観るだけでなく、質問してアドバイスを受けることが大切です。
 さまざまな授業の展開を追試し、試行錯誤して、自分のクラスの実態に合う方法を見つけていくのもよいでしょう。
 そうして、少しずつ自分自身の個性やカラーを出して、授業スタイルをつくりあげていくのです。
3 素晴らしい授業に出会うように研究会等に参加する
 優秀な教師は、必ずと言っていいほど、教師になって1~2年目の頃に、素晴らしい感動する授業と出会っている。
 この経験は、年月を経ても鮮明に残り、生涯の目標を生み出す糸口ともなるのです。
 授業がうまくいかないスランプの時期があっても、前進できる人は、若い頃に心の支えになるような授業にふれています。
4 各教科の授業ルールづくりをする
 各教科ごとの授業の進め方を、教師と子どもの間で約束し、確立しなければなりません。
 各教科ごとに紋切型ではなく、授業パターンやバリエーションを変え、常に学習ルールづくりを工夫しなければなりません。
5 授業を振り返り反省する
 新任教師は授業のあり方に迷います。それを乗り越える手だては、自らの授業を振り返ることしかありません。  
 反省点を改善し、試行錯誤を繰り返すのです。
 授業を振り返る姿勢こそが、新任教師の成長を促進し、授業観を形成させるのです。
6 授業が困難に陥ったときは、成長のためのレッスンと捉える
 授業で遭遇する困難は、成長のための大切なレッスンである。
 教師力をアップする方法が成功するか否か。その鍵を握るのは、困難を「大切なレッスン」と考えられるようなポジティブな精神状態なのです。
(高見仁志:兵庫県公立小学校教諭(18年間)、湊川短期大学、畿央大学を経て、佛教大学教育学部教授)

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教育雑誌や教育書を何回も読むと教師力を高めることができ、教師修業に欠かせない

 私が新任教師のころの研修主任の先生は、時間があれば本を読んでいました。
 私が「何の本を読んでいるのですか?」と尋ねると、
「これは、現代教育科学、授業研究、国語教育、作文と教育の教育雑誌、これは斎藤喜博、大村はま先生の本・・・・」
と、次々と、机の上にあった本を見せてくれました。
「教育雑誌や教育書は、読んだほうがいいよ。教育界の今の課題や流れなどを知ることができるからね」
「子どもたちに勉強を教えるのに、教師が勉強していなかったら、おかしいよね」
 言い方は優しかったけれど、私の心につき刺さる言葉でした。
 小学生の教科書の内容くらい教科書さえ読んでいれば、簡単に教えられると思っていた自分の考えの甘さが恥ずかしくなりました。
 学校帰りにすぐ、本屋に立ち寄りました。とにかく、読みまくって勉強するぞ、という気持ちになりました。少しでも、いい授業がしたい、教師としての力を上げたい。
 本を読み進めると、面白くてたまりませんでした。
 そこには、自分が知らない世界が広がっていて、なぜ今まで読まなかったのだろうと後悔しました。
 この日から、10冊近い教育雑誌の定期購読を始めることにしたのです。一冊でも多くの教育雑誌を読む。教師修業の本格的なスタートです。
 いざ読み始めると難しい内容ばかりです。頭の中に、簡単にすーっと入ってきません。
 研修主任の先生に、読み方について聞くと
「福山さん、これ見て」と、手元にあった教育雑誌とノートを見せてくれました。
 雑誌には、たくさんの線が引いてありました。何か言葉も書いてありました。
 ノートを見ると、雑誌から書き出した言葉が並んでいました。
 私は甘かった。本を一回読んで、あきらめていたのです。ノートに書き写すなんてことは、やっていません。
 さらに、私は質問しました「この雑誌は何回読んだのですか」
「確か、3回かな」「一回読んだぐらいじゃ、分からないからね」
 本当に甘い自分だと思いました。
 本の中に出てくる実践内容や理論が、一つでも多く自分の頭に入ってくるように、何度でも読み返せばいい。
 まずは、分からない内容があったら「?」を書いて読み飛ばす。時には「?」と書いて、ノートに記録しておこうと、考えるようになったのです。
 多い時には、15回も再読したことがありました。頭にすっと浮かぶものも出てきました。
 30数年経った今でも、読み続けています。読むスピードが速くなりました。内容も、さっと読んで分かるものがたくさん出てきました。
 本は読めば読むほど、自分の教師力を高めてくれる「学びのねた」に出会ってきました。
 本の再読を楽しむ。これは、教師修業に欠かせない心持ちだと思うのです。
(福山憲市:1960年山口県生まれ、山口県下関市立小学校教師。サークル「ふくの会」、「ミスをいかす子ども達を育てる研究会」を組織している)

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教師はいかに学びあい、授業力をつけていけばよいのでしょうか

 私は職員室で時間を見つけては、子どものようすや授業について語り合うようにしています。
 これはと思う教材も紹介する。そして、話しただけでは具体的にわからないので、自分の授業を見てもらうようにしています。
 私は、教師になってしばらくは、全国の優れた授業実践を本や雑誌などで学びました。民間などのいろいろな研究会にも参加しました。
 私の若いころから職場では、「子どもから学ぶ」ことが大事だといわれてきました。しかし、私自身「子どもから学ぶ」ということがよくわかりませんでした。
 実際には、目の前の「子どもの姿をもとに授業を創る」重要さがわかり始めたころから、授業が変わってきたように思います。
 自分の身近にある生の素材から授業を創る体験が、授業力アップにつながります。
 教師は、困難に直面しているときはすごくつらいですが、その事態を深く見つめ続けていくと、ある時期、光が見え始め、そうするとまったく違う対応ができるようになるんです。
 私も荒れた6年生を担任していた時期は、子どもたちが朝会などで話を聴かなくて、それは大変でした。
 ところが、子どものようすを見ていると、聴かなくなるのはきまってつまらない話をしているときなんです。いい話をするときは、そんな子どもたちもちゃんと聴いている。
 小学校の高学年になると、話の質をすぐ見抜くんですね。
 それ以来、「6年生なのに」と思っていたことを「6年生だから」ととらえ直しました。
 そのときに、はじめて彼らの内面が見えてきたんです。おしゃべりも、なぜおしゃべりが起きるのかを深く考えてみる必要があります。
 現代の子どもは、人間関係に非常に不安を感じていて、疎外されたり関係を断ち切られたりすることが、教師に叱られる以上につらいことなんです。
 おしゃべりが「友だちとつながっていたい」という気持ちの表れだととらえ直すと、対処法が変わってきます。
 おしゃべりそのものを叱ってもだめで、教室に安心できる人間関係をつくっていかなければ、根本的な解決にはなりません。
 私は、子どもから学んでいけば、もっと楽に実践できると思います。
 まず、子どもの声を聴く。ある程度子どもに任せる。
 子どもが押してきたら、押し返すのではなく、むしろ押されて少しバックしてみる。
 そういうふうに、キャリアを積んだ年代の教師であればこそ、子どもの姿からつくっていく実践にもう一度チャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。
(今泉 博:1949年北海道生まれ、東京都公立小学校教師、北海道教育大副学長(釧路校担当)を経て松本大学教授。「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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教師の成長にとって、どのような場が必要なのでしょうか

 教師の実践的力量を高めていくには、教師一人ひとりが「自分の力をもっと高めよう」という強い意志がなければいけない。

 教師が最も意義があると感じているものとして「自分の意欲や努力」「学校現場の雰囲気や人間関係」「現任校での研修」をあげている。

 また、フォーマルな研修よりも、子どもとの日常的な関わりの中で行われるインフォーマルな自己研修や実地経験のほうが有効だと認識されている。

 特に初任者の場合、自分の力量形成に役立ったものとして「子どもとの日常の交流」「同じ新任教師、年齢の近い若手教師との経験交流」「経験豊かな年輩教師の日常のアドバイス」が上位を占めている。

 力量形成の契機になったものとして、学校内での「研究会、研修」「すぐれた先輩や指導者との出会い」「自分にとって意味ある学校への赴任」「教育実践の経験(学級指導、生活指導、特定の子どもとの出会いなど)」「学校外でのすぐれた人物との出会い」をあげる教師が多い。

 このように、日常的かつ自主的な研修の意義は大きいといえる。

 子どもの事実に基づいて、絶えず自分の実践を省察・吟味し、同僚や先輩の教師たちと語り合い、学び合いながら、新たな課題に挑んでいくことが重要である。

 いわば、学び続ける教師、学び合う教師であることが教師の成長にとって不可欠である。

 歴史に名が残るような教師は、例外なく生涯学び続けている。蔵書も半端ではない。

 いろいろな教室を訪問して、そのたびに痛感するのは、よく学んでいる教師のクラスは、子どもたちもよく学んでいるということである。

 発言も論理的で、追求型の学びが成立している。

 たくさん本を読んでいる教師、身銭を切ってさまざまな研究会に参加している教師、サークルの仲間と学び合っている教師など、そうした教師の姿は授業に反映する。

 教師自身も一人の聞き手・学び手として、子どもたちの発言や出来事に開かれている。

 そして、その事実の意味を省察して、適切に対応している。

 子どもたちは教師のそうした姿を見て、学びの態度や方法を吸収していくのである。

(鶴田清司:1955年生まれ、都留文科大学教授、全国大学国語教育学会常任理事、日本教育方法学会理事)

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すぐれた教師になるためには、どのようにすればよいのでしょうか

 教師であれば誰でも「よい授業をしたい」と願う。どのようにすれば教師としての専門的な力を身につけることができるのでしょうか。
 今の教科書は必要最小限のことしか書かれていない。
 したがって、教師は「生きた教科書」として、文化・科学・社会への理解を深めておく必要がある。
 すぐれた教師は教育書だけでなく、さまざまな分野にも関心が向いている。
 これが教師自身の教養となって、人間としての幅広い知識、豊かなものの見方・考え方を形成していく。
 斎藤喜博は、授業者としての力の前に、教養や経験の蓄積によって生じる人間的な力の必要性を説いている。
 何よりも教師自身が知的かつ魅力的な人間でなければならないのである。
 毎日、子どもたちと接して教育活動を行っている以上、教師はコミニケーションの熟達者でなくてはならない。
 授業で教師の「発問・指示・説明・板書」などは明確でわかりやすいものでなくてはならない。
 また、子どもたちの発言を聞き取り、意見をつなげたり、まとめたりすることが適切にできなければならない。
 大村はまは、話し方の修業のために、話し言葉の本を多く読んだり、自分の授業の録音を聞いたり、社説の朗読を続けたり、よい講演を聞いて耳を養ったりしたという。
 佐藤学は、教師たちが日頃から授業を公開し、学び合う同僚性の関係をつくることが重要だと述べている。研究授業も1年間に1人最低5回は行うべきだという。
 確かに、自己流で授業をしていたら進歩や変革はない。他者からのコメントを受けることで、気づかなかったことがわかってくる。
 他の教師の授業を見ることでさまざまな知見が得られる。
 向山洋一は、プロ教師になる条件として、研究授業100回をあげている。「指導案を書く」「検討会をする」「文章で分析する」ことが前提になっている。
 稲垣忠彦が提唱する「授業のカンファレンス」は、授業者以外の多くの人の目を通して授業を多面的に検討する方法である。授業の録画を見て意見を述べ合う点が特徴である。
「授業づくりネットワーク」が開発した「ストップモーション方式」は、授業の録画を自由にストップをかけて、教師の意図や授業行為の意味・代案などについて話し合う。
 村川雅弘らが提唱する「ワークショップ型の授業研究」は、参加者一人ひとりが付箋紙にコメント(成果と課題)を書いて、それを整理・構造化するなかで授業を検討する。
 こうした授業研究によって、授業を改善するための情報を得ること、さらに実践力量を形成することが重要である。
 そのためには「本当に自分の授業の腕をみがきたい」「少しでも授業者として成長したい」という強烈な願いを持っていることが必要である。
 校内で授業を見せ合うだけでなく、外部の研究会に出かけて自分を高めるということも必要になる。
 自主的に民間の教育研究会に参加することは、身銭を切ることで「少しでも授業の腕をみがきたい」という意気込みに変わる。
 その場合、1つの研究会だけでなく、できればさまざまな研究会に参加し、そこから自分なりの授業スタイルを形成していくことが重要である。
 つまり、1つの授業スタイルに固定化することを避けるのである。
 授業に、絶対の方法はありえない。いつでもどこでも同じようなパターンで授業をすることは有害である。
 さまざまなものから、幅広く学んで、よいところを摂取していくという姿勢がよい。長所だけを取り入れて自分なりの授業スタイルをつくっていくのである。
 これまで、民間の各教育研究会は、それぞれの理論・方法を絶対視する傾向があった。これが実践の閉塞化を生んでいた。異質なものから学び合うことが求められる。
 研究会の参加だけでなく、教育書、教育雑誌や、さまざまな専門情報誌を読み、理論的・実践的な研究成果から幅広く学ぶことによって、自分の合った授業スタイルをつくっていくことが望ましいのである。
 教師修業の道に終わりはない。「これで十分だ」と自分の授業に満足してしまうと、思わぬ停滞を生むことになる。
 絶えず高いところに目標を設定して、自ら学び続けることが最も重要である。
 自分の身のまわりに「話し方」の上手な教師がいたら、その技を盗んで自分のものにするというようにして、さまざまなものから学んで最終的に自分なりのスタイルをつくっていくようにしたい。
(
鶴田清司:1955年生まれ、都留文科大学教授、全国大学国語教育学会常任理事、日本教育方法学会理事)

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秋田県が全国学力トップクラスである要因は「探求型授業」と「共同研究システム」にある、どのようなものか

 秋田県は2007年以来、全国学力調査で全国トップクラスの成績を残してきた。
 その要因として「子どもたちの授業姿勢のよさ」「家庭学習が充実」「学校・家庭・地域の連携」などがある。
 なかでも重要なのが「探求型授業」と「共同研究システム」である。
1 探求型授業
 探求型授業は、子どもたちの、話し合い、意見交換を重視した授業である。
 例えば、次のような授業スタイルである。
(
)導入(学習課題の設定)
 教師と子どもたちで学習課題を決める。
(
)展開
1.
自力思考
 子どもたち一人ひとりが思考を展開する。
 自力思考がむずかしい子どもには教師が援助を行う。
2.
グループで対話
 すべての子どもが考えを持てた段階で、4人程度のグループで、考えを出し合いながら対話をしていく。
3.
グループの発表
 ある程度グループでの対話が煮詰まったら、各グループの状況を学級全体に発表する。
4.
学級全体で学び合う
 各グループの発表を、教師と子どもで整理し、共通点、相違点、論争点を明確にする。
 そのうえで、学級全体で学び合う。再度グループの検討に戻す場合もある。
 グループの対話や学級全体の学び合いの過程で、教師は必要に応じて
 ・助言をし、発問をする。
 ・「ゆさぶり発問」をする。
 ・重要な点を取り出して、再度全体の課題として返す。 
(
)授業の終末
 授業の終末で、構造的な板書を振り返りつつ、それまでの探求を振り返る。
 そのうえで、子どもたちは自分の学びを振り返り、文章にし、発表し合う。
 そういった探求によって、より高次の試行錯誤、判断・批判、推理・検証、発見・創造が展開される。
2 共同研究システム
 探求型授業は、深く豊かな教材研究、具体的な目標・ねらい・切れ味のある学習課題や指導言、グルーピングなど、通常の授業以上に高度な指導を求められる。
 そのため、教師一人ひとりの準備が必要となる。
 しかし、一人の努力だけでは限界がある。教師同士が共同して探求型授業をつくり出していく必要がある。
 秋田県では優れた共同での授業研究システムがある。
 そのシステムのなかで、若手教師も質の高い探求型授業を展開する力をつけていく。
 共同研究システムは、校内研究会、小中連携研究会等で研究授業を行う場合、
「事前研究」→「研究授業」→「ワークショップ型検討会」→「事後研究」
が基本となる。
 はじめは学年、教科で研究チームをつくる場合が多い。少しずつ学年や教科を越えた合同研究チームをつくっていくと効果的である。
 教科の専門性は重要である。しかし、専門外だからこそコメントできるというよさもある。
(
)事前研究
 研究会前までの事前研究が重要である。これが授業研究の成否を決める。
 事前研究の弱い授業研究では限られた成果しか得られない。秋田県ではていねいに行う。
 そのために研究チームをつくり、次のような項目について、ていねいで厳しい検討を行う。
1.
教材選択
 単元の系統性を意識しながら、教科書等から選ぶ
2.
教材研究
 深く豊かな教材研究が探求型を実質化する。
3.
目標・ねらいの決定
 この具体性が授業設計を緻密にする。
4.
指導計画の作成
 単元全体の指導過程と到達点・各授業の到達点。
5.
本時案の作成
 はじめは本時の大きな流れから始め、次の細案に進む。
6.
本時案を具体化した細案の作成
 学習課題、指導言、板書を含む
7.
細案に基づくプレ研究授業
 研究チームで授業を行う。教師が子ども役になり実際の流れで授業をしてみて検討し合う。
(
)研究授業
 教師全員が参加する。授業を撮影し映像記録をとる。
(
)研究授業後のワークショップ型授業検討会
 もちろん教師全員が参加する。教科や学年が違う教師が授業検討にかかわることが鍵になる。そのために「ワークショップ型」検討会が有効である。
 まず、教師全員が付箋紙に授業についてのコメントを記入する。
 例えば、授業で評価できる点について水色の付箋紙、課題・改善すべき点はピンクの付箋紙を使う。その2種類の付箋を持ってグループごとに集まる。
 グループ編成は、学年や教科、研究メンバーは分散させる。
 各グループには司会役のリーダーを置く。授業の優れた点と課題・改善点を鋭く抽出する役割を担う。
 模造紙に付箋を内容別に分類しながら貼り付けていく。それらをマジックインキ等で囲み、グループで検討を深めていく。
 全体会で各グループが発表する。
 多くのグループから出された課題・改善点が見えてくる。とくに重要な点については、再度グループで検討する時間を取ることが効果的である。かなり多様な代案が出てくる。
(
)事後研究
 授業を撮影した映像記録を使って、授業研究会の少し後に事後研究をすると、授業の成果と課題・改善点が具体的により鮮やかに見えてくる。
 研究チームで映像を再生しながらリフレクションを行う。
 授業のポイントとなる部分で再生をストップし、検討会で指摘された点を再度確認しつつ、新たな優れた点と課題・改善点を発見していく。
 以上のような共同研究によって若手教師を含め多くの教師が高い授業力を獲得していく。
 主体的、対話的で深い学びを有効に授業に生かせるかどうかは、共同研究を実質化できるかどうかにかかっている。
(
阿部 昇:1954年生まれ。秋田大学教授、附属小学校校長も勤める。専門は国語科教育学。全国大学国語教育学会理事。日本NIE学会理事。秋田県内の小中学校を数多く訪れ、全国学力テストの好成績について分析。私学中高校での教師経験もある)

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学級が荒れ・崩壊したときの経験は必ず生きる、自分なりの実践を創造していくうえで貴重な経験となる

 学級が荒れたときの精神的な苦痛は、他の仕事と比較にならないほど大変なものです。
 子どもたちから「うるせー」「ボケ」「死ね」などという暴言を浴びせられることだって少なくはなく、ときには小学校においてさえ、子どもから暴力を受けることだってあります。
 その屈辱たるや、おそらく想像しがたいほどだと思います。
 授業中立ち歩いたり、四六時中おしゃべりがあり、授業妨害などがあれば、教師としての自信が急速に失われていきます。
 疲れきって、退職を余儀なくされる教師も見られるのは、そのためです。
 それでは、荒れ、崩壊した学級を担任したとき「教師にとってプラスになることはないか」と言えば、けっしてそんなことはありません。
 大変な学級をもつことで、見えてくることも少なくないからです。
 むしろ荒れた子どもたちと接することが、指導力をアップしていくきっかけになることも事実です。
 自分の実践の問題点も浮き彫りになることもしばしばあり、教育観や子ども観を深める機会になることも多いものです。
 そういう意味では荒れた子どもたちと出会うということは、教師が従来の指導の枠や固定観念を崩し、新たな成長を遂げていく時期でもあるのです。
 それは、教師が子どもと教育を再発見する旅立ちでもあります。
 自分の感覚、感性をもとにつかんだものは、本を読んで学んだことと違い、自分なりの実践を創造していくうえで貴重なものです。
 ひとつの発見が実践を豊かにしていく場合が少なくありません。
 私がこれまで、何度か荒れた子どもたちを担任する機会がありましたが、その中で得たことの一つは、度胸がついたということです。日常の実践では重要な意味をもつものです。
 私の場合、荒れた学級を担任した経験によって度胸がつきました。
 度胸がつくと、教師が子どもたちに同じことを言ったとしても、教師のまなざしや顔の表情などの微妙な違いが生じ、子どもたちの受け取り方はかなり違ってくる。
 度胸は実践が困難なときであっても「なんとかなるさ」という思いにさせてくれます。余裕を生むのです。
 ああ、どうしようという焦りを緩和する役割を果たします。必要以上のストレスを防いでもくれます。
 冷静に判断することが可能になり、管理主義的な対応を避けることができるのです。
 このような教師の姿勢は、子どもとの信頼関係をつくっていくうえで不可欠です。
 学級が荒れた場合には「なんとかなるさ」という思いになれるかどうかは、かなり重要なことです。
 荒れをくぐり抜けることで、度胸はつくられていきます。
 一回や二回クラスが荒れてどうしようもなくなったとしても、長い教師生活からみれば、決して無駄なことではないのです。
 人間の心理は複雑です。子どもの心理も複雑です。教育という仕事が毎回毎回うまくいくなどと考えること自体が、そもそも無理なことです。うまくいかないからと言って、落胆ばかり必要はないように思います。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師、北海道教育大教授を経て松本大学教育学部教授。「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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私は新任の頃から、どのように研修し、コミュニケーション力の指導に力を入れるようになったのか

 若い教師にとって、尊敬できる先輩教師との出会いは何よりも貴重な財産になります。
 私の場合、初任校の研修担当である教務主任でした。「ふだん、どんな授業をしているか見せなさい」と、教室の後ろに立たれました。
「ごんぎつね」を学習していたところでした。私の授業を引き継いだ教務主任が発問しても、子どもたちは何も答えられない。
「今まで、こういう勉強をしていないから仕方がないね」と言われて、私はショックを受けました。
 それまでの私の授業といえば、ただ教材を教えるだけで、指導書さえも見ていないような、お粗末なものだった。
「これではいかん」と思い、同期の教師3人と一緒に毎週勉強会を始めました。教務主任にアドバイスをいただきながら、必要な場面ではじっくり子どもたちに考えさせるなど、授業にメリハリをもたせる大切さを学びました。
 それまで、全く指導方法を知らなかったので、アドバイスがスポンジに浸み込むように入っていきました。
 自分の成長と、学び合う楽しさを実感した私は、その後も教務主任に誘われて特別活動の研究会に参加したり、国語科の教材研究を考えたり、積極的に学ぶようになりました。
 そんな時、桑田泰助先生に声をかけていただきました。当時、全国紙に執筆されるほどの力量のある地元の高名な大先輩。
 恐る恐る勉強会にうかがうと、私の実践はボロクソと言っていいほど厳しく問題点を指摘されました。
「知恵がない者が、いくら頭を絞っても知恵は出てこないよ。人と出会い、本を読んで知恵をつけなさい」と言われました。
 それからというもの、先生の話はひと言も漏らさない意気込みでノートをとり、話に出てきた本を購入し、片っ端から読むようにしました。
 ある日、私は桑田先生に「なぜいつも楽しそうに国語の授業をされるのですか?」と尋ねると、桑田先生は「道楽だから」と笑顔で答えました。
 若い頃の私は、自分の足もとしか見えず、1日をこなすことに精一杯で、授業を楽しむなんて考えもしませんでした。そんな私に、もっとずっと先まで見ることの大切さを教えてくださったのです。
 学ぶことの大切さを知った私は、全国の優れた実践に目を向け、研究会に参加するようになりました。自分の実践にも少しずつ自信をもち始めていました。
 そんな矢先、自分の根本を見つめ直さざるを得ない子どもたちと出会いました。
 教師9年目に受け持った6年生に簡単な自己紹介をしてもらったところ、何人かが涙ぐんでしまったのです。
 他の子どもたちも、話す際の声が、か細かったり、落ち着かない様子で体をずっと動かし続けたりしていて、まともに自己紹介ができる子どもは誰一人もいませんでした。
 クラスで静かな学級崩壊が起こっていたのです。崩壊した学級の冷ややかな子どもたちの現実を見た私は、愕然としました。
 自分に自信をもてず、安心感のない学級をどのように立て直せばいいのか。ゼロどころかマイナスからのスタートです。
 教育書からビジネス書まで手当たり次第に読み、研究会でお世話になっている先生方にアドバイスを求めても、納得できる答えは得られませんでした。
 そんな時、桑田先生から「話すこと」を指導してみたらどうかと助言され、やってみることにしました。
 とはいえ、当時はコミュニケーション力を育てる指導の教材や指導法などありません。私は独自に指導方法を考え、無我夢中で「話す」指導に取り組みました。
 すると、三学期の頃には子どもたちに変化が見られました。仲間とのふれあいを通して、温かい雰囲気の学級になっていったのです。
 これを機に、私は「言葉」の力を豊かにするコミュニケーション力の指導に一層、力を入れるようになりました。
 さまざまな問題を抱かえた子どもたちに自己肯定感をもたせ、教室を安心できる場にしたいと取り組みはじめたのが「ほめ言葉のシャワー」です。
「ほめ言葉のシャワー」は、その日に対象になった子のよいところをみんなで見つけ、帰りの会で発表し合います。
 さらに、朝の会で対象になった子について全員が質問する「ミニライフヒストリー」にも取り組んでいます。
 こうした取り組みの中で、子どもたちは相手を認め、自分自身も認められるようになっていきました。
 教育書やセミナー等を通じて、さまざまな教育実践を学ぶことはもちろん大切です。
 しかし、いくら優れた教育実践に取り組んでも、目の前の子どもたちの実態に合っていなければ、何の意味もありません。
 本当の学びは目の前の教室の中にこそあるのです。
 子どもたちの成長は、教師にとって、自分の取り組みが間違っていない何よりの証です。
 指導には「これは絶対」という正解がありません。だから、今でも日々気づかされることがあります。
 それがとても楽しい。桑田先生がおっしゃっていた「授業は道楽」の意味が、最近少しわかってきたような気がしています。
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞
)

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子どもが変われば、それに合わせて自分を変えなければ時代にとり残される、成長を止めないのが本当の教師である

 今では、塾にきても全く勉強しない子もいるそうだ。まして、学校は、どんな子どもがいても何の不思議もない。
 何でもきちんとできる「しつけ」がなされている子は、とんでもないことをしない。
 例えば「あいさつ」が笑顔できちんとできる子どもは、授業中あばれたりすることはめったにない。
 基本は「しつけができていない」ことである。これがすべての根源のようである。
 私が飛び込み授業をするときは、いきなり教室に入って、あいさつをする。この「あいさつ」でほぼそのクラスの実力がわかる。
 明るく、にこやかにあいさつのできるクラスは、学習にゆとりがある。もちろん緊張なんかしていない。
 私は、小学校一年の担任が最も重要だと、以前から主張している。一年生の時、きちんとした「しつけ」をしないと、それ以後の担任は大変である。
 初めての学校に伺ったとき、よく昼の清掃を見て回る。教師が子どもと一緒になって、一生懸命やっている学校は、授業もいい。
 子どもまかせにして、教師の姿が全く見えない学校では、授業は絶望的ということが多い。子どもがまともに掃除をしていないのに、注意する教師がいないのだから、遊ぶのは当然である。
 子どもの態度のみだれている学校は、子どもや教師の服装もみだれている。
 一つできないと、それに連動してすべてのことがみだれるものだ。このことに気づき、例えば「あいさつをきちんとするように」とか「清掃をきちんとさせる」など指導のポイントを決めて、きちんと行うことだ。
 これは生活の基礎的技能の不足している子どもの指導といえる。
 私は授業を参観するとき、発言を二つ三つ聞く。そして、子どものノートを5,6人さっと見る。板書や教師の表情は、もちろん見える。
 これで、そのクラスの実力が大体わかる。
 基礎的技能が不足している子どもがたくさんいるということは、
(1)
このことに教師が気づいていない
 教師に力のないことすら見えていない。最も問題だろう。結構いる。指摘すると驚いて、いいわけをする。
(2)
気づいてはいるが、どのように授業したらよいかわからない
 しっかり指導してもらいたい。そうすれば必ず力はつく。
(3)
気づいているが、教師にやる気がない
といったことが考えられる。
 基礎的技能の不足している子どもが多いということは「授業をする教師に、基礎的技能が不足している」ということである。
 地図が読めない子がたくさんいるということは、その教師は地図が読めないので指導できないのである。
 イラストの読み取り技能のない教師に読み取り指導はできない。
 理科などは、教師の技能不足がものすごくはっきりと見える。教師がビーカーや試験管の基礎的な使い方を知らなければ、当然指導はできない。
 教師の力量によって、子どもの基礎的技能が全く違ったものになることは間違いのないことである。
 子どもが大きく変化してきている。塾に行っても遊んでばかりいる子どもが出てくるくらいである。
 とても一筋縄ではいかない子が増えている。
 これに対応した指導技術を身につけなければ、これから教師として指導することはできなくなる。
 指導力不足のため、教師をやめなければならない人が増えてきている。これは、勉強不足か、自信過剰である。
 子どもに基礎的な技能をつけるためには、教師が基礎的技能を体得しなければならない、ということが結論である。これは、子どもをどう指導するか以前の問題である。
 私が「自分を変えなければ」と最初に思ったのは、教師になって初めて卒業生を送り出すときであった。子どもから「先生は暗い。もっと明るく面白い先生になってほしい」と言われた。
 私は、シッョクを受けるとともに「絶対に明るく面白い教師になろう」と思った。
 それから、ネアカ修業を始めた。
 明るく面白い先輩教師を見習い、ユーモアや笑いの本を読みあさった。落語や漫才を聞くことを楽しむようになった。
 ユーモアの最大の先生は子どもであることに気づくまでには、時間がかかった。子どもはもともとネアカで面白いことが大好きである。子どもに学べるかどうかが、成長できるかどうかのポイントである。
 附属小学校に転勤したとき、一年間で11回、研究授業を行った。研究授業を行うたびに、かんぷなきまでたたきのめされ、自分を変えるしかなかった。30歳まで何をしていたのだろうと思った。
 大したものをもっていないのに、自分ではかなりのものを体得したと思っていたのだ。今までのものは捨てさり、新しい自分と自分らしい社会科を創りださねば、これから先、生きていけないと考えた。
 私は「子どもが追及する社会科」をつくり出そうとした。
 子どもたちが追及の鬼になるには、面白い教材が必要であることに気づき「教材開発」に力を入れるようになり、「一寸法師」「バスの運転手」など800くらいネタ開発を行った。
 やればやるほど面白いネタが見つかり、ネタが見つかれば授業をやってみたくなる。
 他人に批判してもらうことが、成長のカテになることに気づき、思いきり批判してもらった。
 私に多少の資質・能力があるとしたら、それは「努力と挑戦」ができることだろうと思う。
 全く変わらない教師もいる。こういう人は「今の自分でいい。今の実力で十分だ」と考えているのだろう。
 子どもが変われば、それに合わせて自分を変えなければ、時代にとり残されることになる。「成長という時計」を止めないのが本当の教師である。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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若い教師がプロの教師にふさわしい力と教師の心をつかむには、どうすればよいか

 教師になれば、年齢や指導力に関係なくプロの教師として振るまうことができる。
 だとすれば、プロの教師にふさわしい力量を自ら求めて身につけなければ、自分に自信が持てず、子どもたちに対して申しわけない。
 若い教師が教師の心をつかむには、どうすればよいか
1 朝の会、帰りの会
 朝の会は「一日のさわやかな出会いをつくる」ためにある。誕生日を祝えば、それだけでさわやかな出会いが生まれる。
 帰りの会は「明日も学校へ行きたいな」と、子どもに思わせるためである。「よかったこと、うれしかったこと」を発表すれば、学級の雰囲気が明るくなる。
2 叱ることを恐れるな
 人を差別したりバカにしたりすることは絶対に許さないという姿勢が担任には必要なのです。中途半端な叱り方はいけません。本気できびしく叱ります。
 長く叱らない。後に残さない。罪を憎んで人を憎まずの精神で臨みましょう。
3 ほめる
 ほめるのは技術ではありません。技術でほめてはダメ。子どもは教師が本気でほめているかどうか、見抜きます。
 おせじ、おだてではなく、ほめずにいられないようになりたいですね。
 教師が何もせずにいて「ほめるところがない」というのはプロの教師ではありません。
 教師は、ほめる場を用意するのです。例えば
「Aくん、ぞうきんを持って、先生と一緒に机の上をふいていこうね」
 こうすれば、仕事をしたAくんをほめることができますね。
「今日は、Aくんがぞうきんで机をていねいにふいてくれましたよ」
 これでわかるように、仕掛けたのは教師ですね。しかし、実行したのは子どもです。子どもは自分でやったんだと思っています。みんなに紹介されたので、うれしさと、自信を持つようになるはずです。
4 保護者との関係を密に
 子どもを理解しようと思えば、保護者を理解しなければならない。保護者の子育ての方法は子どもに反映すると思われるからである。
 教師の方が保護者に近づいていかなければならない。
(1)
参観日に自分の教育観を
 授業参観の後に懇談会がセットされているので、教師はわが教育観を述べて保護者に理解と協力をお願いすることになる。次の三点でよいだろう。
)めざす子ども像
)学級の子どもの実態
)指導の方法や手順など
 注意すべきことは、子どもの具体的な事実をもって話すようにする。子どもの実態を前面に出して自分の教育観を述べていく。
 そうすれば、保護者は、この先生はわが子を大事に思ってくれている、と受けとめる。
 見ず知らずの教師と保護者が、子どもをよくしていこうという点で、理解と協力の関係に立つことができるのである。
(2)
家庭訪問
)子どもの長所を聞く
 私は、家庭訪問は保護者に会って「子どもの長所を具体的に教えてもらう」ため、と考えている。
 つまり、インタビューする人に徹すればよい。保護者が「とりたてた長所はありません」と言っても、ねばり強く聞いていくと話してくれる。
 子どものことを話題にして保護者と教師が楽しくなっていくのである。
)健康と性格を聞く
「〇〇くんの健康や性格の問題で、担任として知っておいた方がよいと思われることがあれば、教えてください」と聞く。秘密は守らなければならない。
)保護者の願い
 保護者がわが子に何を願っているかを聞く。
(3)
学級通信で報告・連絡・相談(ほうれんそう)
 教師の思いを広く全員に伝える手段として、学級通信はますます重要になってきた。
)発刊
 計画的に発刊するようにする。
)読んで楽しくなる内容を
 子どもの生活をよく知らなければニュースが書けず学級通信を出せない。ニユースは明るく楽しいものでありたい。
)子どもたちの作品も
 全文を教師が書かなくてよい。子どもの作品を含む学級通信にすると、内容に変化が出てくる。ただし、どの子にも掲載の機会があるように配慮したい。
)学級の歴史として冊子に
 学年末にこれを冊子にまとめ、表紙をつけると、これが学級の歴史となる。
 表紙の文字やイラストをどうするかは個人にまかせると、ユニークな作品になる。
 子どもたちが自らの学びを自己評価できる具体物にもなる。
5 報告・連絡・相談(ほうれんそ)で人間関係づくりを
 子どもに何かあったときは、同僚の先生や保護者、教頭とよく報告・連絡・相談して、一人で決めないようにします。
 学校の外で研修が終わった時などは必ず管理職に報告しておきたいですね。
 報告・連絡・相談は、とても大事なことです。
6 教師の心をつかむ
 初任者は研修期間をどう過ごすかで、その後の教師生活が左右されるといっても過言ではない。
 その学びは、指導教師等から実践的な「教師の心」をつかむことであると私は考えている。
 学校では思いもよらないことが起きる。それに対応できるマニュアルを求めても、それは無理というもの。だったらどうするか。
「教師は一人ひとりの子どものためにある」
という原点に立ち返り、一つ一つ自分で判断して問題に臨む以外に方法はあるまい。
 その原点を、私はあえて「教師の心」として表現したのである。
(
倉田侃司:1938年広島生まれ、広島大学附属小学校教師を経て広島文教女子大学教授、広島経済大学教授を歴任した
)

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