カテゴリー「教師の成長・研修」の記事

教師に求められている能力とは何か、どうすれば身につくか

 教師に求められている能力は、
1 話術と専門的な知識
 従来の講義型授業で求められる専門的な知識や独演会的な話術である。
(1)話術
 話法が単なる技術として、その大切さが軽視されている。
 授業を成り立たせる要素の一つが「語りのうまさ」である。
 ベテランの教師に話術のたくみな人が多かった。
 例えば、語りの上手な次のような教師がいた。
 ある小学校の教師は、お話を低学年の子どもたちにして、45分間飽きさせなかった。
 話しの構成、間の取り方、声の強弱、身振りと表情に工夫をこらして話しをした。
 その教師は、大学生のときから、紙芝居、人形劇、寸劇などの表現活動を中心に行うサークルに入り、20年近く活動を続けている。
 話しの分かりやすさは、話しの構成力に負うところが大である。
 話しのおもしろさは、話し方と豊富な雑学的知識による。
2 子ども理解能力
 一人一人の子どもに対する的確な理解を行う能力。
 子どもの気付きや、驚き、感動や興味を尊重し、子ども独自のものの見方や考え方の筋道を重視する。
 教師が授業中、子どもの発言、行動観察、作品(ノート・ワークシート)等より、さまざまなことを把握すること。例えば、子どもたちは、
・何に関心をもっているか。
・何にこだわっているか。
・何がネックになって学習が進まないか。
・どのような発想をするか。
・どのようなことによって、考え方や見方が変わるのか。
・どのような筋道で物事を考えているか。
・どのようなことに学ぶ喜びや達成感を感じているか。
 授業の巧みな教師は、毎日の授業で、無意識のうちに子どもを理解し評価する活動を頭の中で行っている。
 将棋のプロ棋士は、一瞬のうちに最善の手を見つける。
 授業中の瞬時の判断こそ、力量の差が表れる場面である。
3 対応力(対話力)
 子ども理解に基づく臨機応変の対応力(対話力)である。
 コミュニケーション授業がうまい教師の授業に共通していることは、教師が自分も知らないこと・知りたいことを問い、子どもが知らないこと・知りたがっていることを伝える。
 教師が一方的に話すのではなく、子どもの話しを引き出し、それに応える。例えば、
(1)ある発見や気付きに導いていく能力
(2)一定の時間内に、一定の内容について対話を終える必要もある。
(3)クラス30人の勝手な思いと対話していくことができる。
 先輩の授業を参観して、実際に子どもの前に立って授業をして失敗し、もう一度やってみるという繰り返しが必要。
 対話を成り立たせるためには、相手の理解が不可欠である。
4 教師の能力向上のための研修
 「伝承」と「創造」の二つが必要である。
 将棋の格言・定跡のように、初心者は格言・定跡を使って基本を身につけ、「名人に定跡なし」とトッププロは、新しい手をひねりだす。
 教師の指導力向上のために、授業では、子どもとのコミュニケーションや、子どもの学習への評価(理解)などが重要である。
 小学校における指導力不足教員は、40~50歳代が多く、研修後、学校現場への復帰者が少ないことから、若手のうちに予防策を講じることが必要である。
 専門とする教科・領域を定め、時間外にも行える研究仲間との研究会方式が効果的である。
 教師の指導力向上のためには、
(1)「鉄は熱いうちに打て」と言われるように、素直に吸収できる教職5年目までの期間に、授業の基礎を身につけさせておくことが必要である。
(2)内容は授業研究に大胆に時間をおく
 若い教員が授業に集中できるよう、校務を精選する。
 服務事故の原因の多くは、指導力不足からくる、子ども・保護者・同僚とのストレスにある。
 経験を重ねるにしたがって、校務処理、学校運営などに比重を増やしていく。
 私の経験から言うと、学力の定着度が高い学校というのは、生活面でも落ち着きが見られ、学校行事や学級活動において、子どもがいきいき活動している。
(3)自己研修
 授業力の向上は、常に自分の授業の問題点を意識し、改善の努力を続ける姿勢が必要なのである。
 ある教科にしぼって、1年間、全授業を録音し、通勤途上に聴くという方法を勧めたい。
 私は、若い20歳代後半に、専門とする社会科のすべての授業について事前に学習指導略案を作成した。
 授業後、苦手であった話し合い指導の場面についての授業記録を起こした。
 板書を記録し、子どもの作品をすべてコピーして授業分析を行った。
 準備に3時間、記録と分析に3時間、計6時間かかった。
(4)授業が楽しければ学級崩壊はおこらない
 子どもは、「授業が楽しければ学級崩壊はおこらない」と思っている。(大阪大学の秦政春教授の調査)
 授業に自信をなくしている教師が多い。
 授業を苦痛に思うことが「よくある」「ときどきある」という教師が6割(同上)。
 授業がうまいと「あまり思わない」「まったく思わない」という教師が6割(同上)。
 忙しくて疎かになっている仕事の1位は、教材研究(39%)であった。
 大阪大学の秦政春教授は、
 「授業さえ、きちんとしていれば子どもはついてくるものだという自信が教師になくなったことが、学級崩壊に反映されていると思う」と述べている。
 子どもは、教師と子どもの人間関係づくりに精力を傾けるよりことよりも、授業の充実に力を注いでくれることを望んでいる。
 授業が充実すれば、教師に対する信頼感が生まれ、人間関係もよくなる。
 教師は専門職である。実際に何回も失敗を重ねながら、その資質や能力を高めていくものであろう。
 一心不乱に授業のことを考える、そんな毎日を過ごすことによって教員の授業力は高まる。そのことを後ろ押しする教員研修の在り方が、今、問われていると思う。
(鈴木義昭:東京都公立小学校教師を経て、元東京都教育委員会統括指導主事。指導力不足教員を対象にした研修に携わった後、問題を起こした教員を対象にした研修を担当した。多くの教員を見てきた経験から、メディアなどで提言を行った)

 

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教師が実力をつけるためには、どのようにすればよいか

 一流の模擬授業を見ることが、授業の腕を上げる最高の方法です。私もいくつかの模擬授業を見ましたが勉強になりました。
 プロの厳しさを求めて努力できる人間は伸びます。師を持つと言うことはとても大切なことです。人生の師、教育の師を持つことができれば幸せです。
 場数を踏むことが腕を上げる最短の方法です。
 続けていれば必ず力がつきます。
 時間と労力をかけた分、力がつきます。
 圧倒的な努力をしたものだけが、圧倒的な力をつけます。
 学んだことは、できるだけすべてを追試したいです。追試する中で力がつきます。学んだことを吸収するには追試が一番です。
 人間が伸びるのは自分を鍛える場があることです。
 自分の足で出かけ、自分の目で体験することが、力をつける最上の方法です。私は自らその場を求め修行してきました。努力は必ず報われます。
 モーツァルトは、最初は自分の音楽の様式はなかったらしい。
 モーツァルトは、いろいろな音楽の様式や他人の作品を吸収し、自分のものにしてのオリジナルな音楽を創った。
 だから、A先生からも学ぶし、B先生からも学ぶ。そしていつか、A式でもない、B式でもない、自分の型・自分方式を創りだせばよいのです。
 学んだらすぐにやってみるというのが大切です。
 教師は自分たちで学ぶ場を作り、学びあうことが一番の力になります。
 授業の厳しい自己反省から素晴らしい授業が生まれます。
 我流が全て悪いわけではありません。我流の中でも理にかなっていれば正しいわけです。
 ただ、これから力を付けていくには、優れた実践を追試し、その中から自分でたしかめ、自分の実践を作っていけばよいと思います。
 力が伸びるときに、伸ばすというのが大切です。
 観衆の気持ちを瞬時に読み取る。これは指揮者だけではなく、漫才、落語、演劇の方も語っています。
 客の雰囲気、空気を感じて内容を変えたりして、引き込み、盛り上げ、笑いを作っているそうです。
 一つの仮説を立て、地道に実践し、仮説を確かめていくところに教師の苦労と喜びがあります。
 批評を受けて、磨いていくというプロセスが大切です。
 根気よく指導をしていってください。必ずできるようになります。私も最初はそうでした。
 何度も何度も、繰り返し指導していく中で、指導のコツをおぼえていきます。
 多くの実践を自分の目で見て鍛える。見る目を鍛えることが授業の腕を上げていきます。
 目標を常に高くして、実践をしていってください。目標があると人間は伸びていきます。
「全員できるようにする指導技術を身につける」ことを目標に、私は実践して来ました。
 回数を重ねれば余裕を持ってできます。
 自分で課題を解決していくことは大切です。
 上手、下手は問題ではありません。自分の世界を少しでも他の人間に伝え、人間というのは素晴らしいことを伝えていってほしいのです。
 研究会の講師の先生方の力量を直接勉強できる機会、貴重な体験を持つようにします。
 質の高い場をたくさん踏むことによって、力量がついていきます。
 実践の中から発見した方法が一番強いです。そのあと理論付けをします。そこに初めて、創造が生まれる。
 一番しんどい道だけれども、異質なものから学んでいく。軋轢に悩みながら、自分の実践を創っていく。そこに初めて、創造が生まれる。
 のめり込むとき、他から受け入れられればよいが、受け入れられないと身体がもたない。
 だから、熱狂ではなくて、自分を第三者の目で見る目が欲しい。「もっと別な方法、考え方はないだろうか」というように。
 授業の腕を上げるには優れた授業を真似することです。
 授業者のリズム、テンポ、間を理解することができます。
 我流にならずに授業者の意図に沿った授業をすることによって、さらに授業の腕は高まります。
 最終的には、独自の授業作りをすることです。
 そのためにも本や動画を通して授業のコツを掴み、腕を磨いてほしいです。
 直接、人に会い、直接、人の話を聞くことが最大の学びです。そういう生きた体験が実践を作ります。
 毎日、毎週、毎月の積み重ねが自分を成長させます。自分をいかに管理できるかが勝負です。
 一流のスポーツ選手に共通しているのは、目標を高く掲げ、その実現に向かって主体的に取り組んでいることです。
 そして、並外れた努力をしています。頭で理解するのではなく、体が無意識に動くまで練習をしています。その結果、一流になるためのコツを体得しています。
 ノーベル賞を取った江崎玲於奈氏が言っていたが、創造的な仕事をしたいという願望があるのなら、偉大すぎる師にいつまでもつきすぎないということ。
 偉大な師について学ぶことは勿論大切なことだが、ずっとついているとその中に収まってしまい、新しいことができずに抜けられなくなるということがある。
 厳しい評定に接することによって力が付きます。
 逆境の中で本物の実践が生まれます。
 地道な努力が成功への道です。
(根本正雄:1949年、茨城県に生まれ、元千葉県公立小学校校長。「根本体育」を提唱し,全国各地で体育研究会・セミナーにて優れた体育指導法の普及に力を注いでいる)

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新任教師が教室での戸惑いやショックを乗り越えるには、どのようにすればよいか

 新任教師は、これまで学び手として経験している教室の風景と、教える側として経験する教室の風景は全く違っていることに戸惑います。
 子どもたちのさまざまな学びの要求が渦巻く教室で、すべての学び手に配慮し、各々の学びを高めていくということは、決してたやすいことではありません。
 さらに、新任教師がこれまで育ってきた文化と、子どもたちが今生きている文化の間には、世代的にも、ギャップがあります。
 それをすり合わせながら、学びの空間をつくっていくことが教師には求められます。
 教師は異文化の子どもたちからショックを受け、教師は自らの世界を広げることが必要なのです。
 このことは、ひとつの危機であるとともに、教師になるための必要な最初のイニシエーション(通過儀礼)であるともいえます。
 このショックを乗り越える方法は、2通りあるように思われます。
 1つの道は、新任特有の親しみやすさを大切にして、たとえ拙くても、目の前の子どもたちと格闘しながら、ともに歩む道です。
 そして、先達の教師たちの励ましの中で、これまでの子どもについての見方、教師の役割についてのとらえ方を見直しながら、自らを育てていくあり方です。
 そして、もう1つの道は、子どもたちにナメられないよう、主観的に教師らしくふるまい、自分の、子どもについての見方、教師の役割のとらえ方に固執するあり方です。
 このように、子どもたちや年輩の教師たちから学ぶ回路を閉ざしてしまうと、成長の機会を自ら失うことにもなりかねません。
 つまり、主観的に教師らしくふるまうことが、子どもたちからの信頼を得られる「本当の教師らしさ」を育てることを妨げるというパラドックスが生まれるのです。
 教師が自分の授業を確立し、常識より一段深い子どもの見方を身につけるには、多くの場合、15年から20年の歳月が必要です。
 その間、量的な積み重ねだけでなく、質的なものの見方が変わることもまた求められます。
 自分の授業を確立して、教育実践記録を綴っている教師たちの多くは、新任期から数多くの試行錯誤と格闘の経験をもっています。
 新任期は、ショックという危機への対応をめぐって教職生活のひとつのターニング・ポイントを形成しています。
 新任期における、教師の仕事、教師の役割のとらえ方の深さが、この後の教師としての成長の可能性を大きく規定しているように思われます。
(秋田喜代美 :1951年生まれ、東京大学教授。世界授業研究学会(WALS)副会長。内閣府子ども子育て会議会長)

 

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多くの人との出会いがあって今の自分がある、先達に学ぶということは教師の世界でも大切だ

 私は、教師になってから多くの人との出会いがあった。
 同僚や地域の先生方、授業づくりネットワークの先生方、個人的に師事した先生方、大学の先生方、教育に関わる企業や出版社の皆さん等。
 多くの出会いがあって、今の自分があるのだと思う。感謝してもしきれないほどだ。
 その中でも特に影響を与えてくださった、有田和正氏との出会いを紹介したい。
 先達に学ぶということは、教師の世界でも大切である。
 有田和正氏は、私にとっては、授業について目を開かせてくださった方である。
 私が教師になって2年目、車で3時間以上かけて、有田和正氏の講演を聞きにいった。
 子どもを見る目の大切さ、子どもの意欲をどう育てるかについて、ユーモアたっぷりに熱弁をふるってくださった。
「自分も何かをしたい」という気持ちにさせられるような、すばらしい話しだった。
 教師になって3年目。有田和正氏の多くの著書を読んでいくうちに「やはり氏の授業を見なければならない。氏が鍛えた子どもたちを見なければならない」という思いを強くもった。
 当時、氏は筑波大学附属小学校勤務である。定期的に公開研究会を開いていた。
 私は校長に「しっかり学んできたい。ぜひ有田学級を参観させてください」と頭を下げた。
 校長は「目標を持つのはいいことだ。たくさん学んで来なさい」と言われた。
 全国的に有名な氏は、参観者が数百人にのぼるので、学校では授業はできず、近くの全林野会館で行われた。
 授業は9時半からであるが、7時に会場に行った。それでも私よりも早く来ている人が20人ほどいた。
 授業が始まってからは、子どもたちの熱気あふれる発表ぶりに圧倒されっぱなしであった。
 3年生の社会科。教師が問いを発するたびに、次々と自説を主張する。「教師に対しても論争を挑んでいる」そんな感じに映った。
「どうしたら、あれほど表現力のある子どもたちが育つのだろう」
「どうしたら、あれほど調べてくる子どもたちが育つのだろう」
 と、不思議に思うと同時に「鍛えられた有田学級の子どもたち」が理想の学級となった。
 すこしでも有田学級に近づきたいという目標ができた。
 それから、授業で有田氏を追うことを始めた。
 改めて今まで購入していた氏の本を見直し、授業した通りに資料を使い、同じ発問をする。
 本に書かれている通り、そのまま追試したのである。以前よりは活発な話し合い活動になる。
 さらに、問いもオリジナルのものを加え、少しずつではあるが、社会科では楽しい授業ができるようになってきた。
 自分がたくさんのことを学ばせてもらったお礼に有田先生に手紙を書いた。すると、和紙に毛筆で、次のようなご返事をいただいた。これには恐縮してしまった。
「今後のためには、具体的なテーマをきめる。それにそって仮説をたて、気長に実践し、記録していくことが大切だと思っています」
「例えば『板書』で少ししゃべれるくらい勉強することです。研究とはいかにしぼりこむかです」
 このように書かれていた有田先生の手紙は、わたしにとっての宝物になった。  
(佐藤正寿:1962年秋田県生まれ。岩手県公立小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに教材開発に力を入れている)

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教師は力量を高めるために、どう考え、具体的にどうすればよいか

 教師であれば誰でも「よい授業をしたい」と願う。
 今の教科書は必要最小限のことしか書かれていない。教科書と教師用指導書があればそれなりの授業はできるだろうが、きわめて底の浅い学習にとどまる危険がある。
 したがって、教師は「生きた教科書」として、文化・科学・社会への理解を深めておく必要がある。
 すぐれた教師は本をたくさん読むといわれてきた。それは教育書だけでなく、さまざまな分野にも関心が向いている。
 これが教師自身の教養となって、人間としての幅広い知識、豊かなものの見方・考え方を形成していく。
 斎藤喜博は「授業者としての力」の前に、教養や経験の蓄積によって生じる「人間的な力」の必要性を説いている。何よりも教師自身が知的かつ魅力的な人間でなければならないのである。
 例えば、国語の授業で教師の読みが深くなければ、「わかりきったことをきく」という表面的なレベルで終わってしまう。
「子どもをゆり動かす」ような授業をするためには、常識的・一般的な教材解釈にとどまっていたのでは無理である。
 そのためには、日頃からすぐれた小説や詩にふれて、読む力を養っておくことが必要になる。
 毎日、子どもたちと接して教育活動を行っている以上、教師はコミニケーションの熟達者でなくてはならない。
 授業で教師の「発問・指示・説明・板書」などは明確でわかりやすいものでなくてはならない。
 また、子どもたちの発言を聞き取り、意見をつなげたり、まとめたりすることが適切にできなければならない。
 大村はまは、話し方の修業のために、話し言葉の本を多く読んだり、自分の授業の録音を聞いたり、社説の朗読を続けたり、よい講演を聞いて耳を養ったりしたという。
 佐藤学は、教師たちが日頃から授業を公開し、学び合う同僚性の関係をつくることが重要だと述べている。研究授業も1年間に1人最低5回は行うべきだという。
 確かに、自己流で授業をしていたら進歩や変革はない。他者からのコメントを受けることで、気づかなかったことがわかってくる。
 他の教師の授業を見ることでさまざまな知見が得られる。
 向山洋一は、プロ教師になる条件として、研究授業100回をあげている。「指導案を書く」「検討会をする」「文章で分析する」ことが前提になっている。
 稲垣忠彦が提唱する「授業のカンファレンス」は、授業者以外の多くの人の目を通して授業を多面的に検討する方法である。授業の録画を見て意見を述べ合う点が特徴である。
「授業づくりネットワーク」が開発した「ストップモーション方式」は、授業の録画を自由にストップをかけて、教師の意図や授業行為の意味・代案などについて話し合う。
 村川雅弘らが提唱する「ワークショップ型の授業研究」は、参加者一人ひとりが付箋紙にコメント(成果と課題)を書いて、それを整理・構造化するなかで授業を検討する。
 こうした授業研究によって、授業を改善するための情報を得ること、さらに実践力量を形成することが重要である。
 そのためには「本当に自分の授業の腕をみがきたい」「少しでも授業者として成長したい」という強烈な願いを持っていることが必要である。
 校内で授業を見せ合うだけでなく、外部の研究会に出かけて自分を高めるということも必要になる。
 例えば、教育技術の法則化運動で、すぐれた発問・指示を追試する。
 国語科では「教科研や文芸研方式」「読み研方式」「一読総合法」、理科では仮設授業研究会の「授業書」が知られていて、授業書に従って授業を進めていけばどの教師でも一定の成果が得られるという。
 算数科では「水道方式」が知られている。タイルを用いて数を「量の概念」としてとらえる。計算指導では「一般から特殊へ」という原則に基づいて指導する。
 自主的に民間の教育研究会に参加することは、身銭を切ることで「少しでも授業の腕をみがきたい」という意気込みに変わる。
 その場合、1つの研究会だけでなく、できればさまざまな研究会に参加し、そこから自分なりの授業スタイルを形成していくことが重要である。
 つまり、1つの授業スタイルに固定化することを避けるのである。
 授業に、絶対的な方法はありえない。いつでもどこでも同じようなパターンで授業をすることは有害である。
 さまざまなものから、幅広く学んで、よいところを摂取していくという姿勢がよい。長所だけを取り入れて自分なりの授業スタイルをつくっていくのである。
 これまで、民間の各教育研究会は、それぞれの理論・方法を絶対視する傾向があった。これが実践の閉塞化を生んでいた。異質なものから学び合うことが求められる。
 研究会の参加だけでなく、教育書、教育雑誌や、さまざまな専門情報誌を読み、理論的・実践的な研究成果から幅広く学ぶことによって、自分の合った授業スタイルをつくっていくことが望ましいのである。
 教師修業の道に終わりはない。「これで十分だ」と自分の授業に満足してしまうと、思わぬ停滞を生むことになる。
 絶えず高いところに目標を設定して、自ら学び続けることが最も重要である。
 自分の身のまわりに「話し方」の上手な教師がいたら、その技を盗んで自分のものにするというようにして、さまざまなものから学んで最終的に自分なりのスタイルをつくっていくようにしたい。
 しかし、授業の達人の表面的な部分をまねることを追いかけていくだけでは効果は一時的なものにとどまり、根本的な力量が形成されることは難しいだろう。
 授業の達人に潜んでいる願いや思想を理解しなければならない。理解することによって、その教師の行為の意味、今ここで行われている授業の意味が明らかになってくる。
 授業は不確実性がある。教室の状況を「目利きする力」、斎藤喜博がいう「見る力」が求められる。
 教師の力量を高めるためには、教室での出来事の意味をその場で「洞察」「省察」「反省」しながら対話的・協同的な学びを追求していく姿勢(反省的実践)が基本とならなければならない。
 授業の理論・技術はそのなかで授業の目標(ねらい)を効率的に達成するための補助手段と考えるべきである。
 向山洋一も「技術で解決できるのは、7,8%だ」と述べていた。それ以外の部分は教室の個々の状況のなかで反省的思考に委ねられているのである。
(鶴田清司:1955年生まれ、都留文科大学教授、全国大学国語教育学会理事長)

 

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教師は若いときは力量が無いから子どもが動かず反発をされる、しかし教師が勉強し力が上がれば、子どもは喜ぶし保護者は信頼を寄せてくれる

 教員に採用されて赴任先の小学校に行ってみたら、これまで自分が住んでいたところとの違いに驚きました。しかし、実際に住んでみたら、本当によいところだらけの場所でした。
 まず、小さい学校で単学級でしたから、若輩者なのに責任ある仕事を任してもらえます。おかげで学校の仕事のほとんどを覚えられました。
 また、地域や保護者が「先生」ということで、敬ってくれるような土地柄だったことも良かったです。
 そこの地域の教育研究サークルに参加し学びました。
 教員1年目は、センスで生きていました。自分では、授業も学級経営もなんとなくうまくいっていると思っていたんですね。
 けれども先輩の先生から見たら、かなり危なっかしかったのでしょう。
 あるとき先輩の先生から、向山洋一先生の「授業の腕を上げる法則」を貸してもらいました。「これ、読んでみるといいよ」といって。
 読んでみると「ああっ!」という衝撃が走りました。それまでは、読むものと言えば「週刊プロレス」くらいだった私ですが、以後は、向山先生、有田和正先生の本を読むようになりました。
 読み出すと、それらの本が非常に面白いのです。そこである日、アパート隣にいた友人の教師に勧めてみました。いつもいっしょにいましたから。それと、本に感動すると人に勧めたくなりますからね。
 兵庫県は、3年後に異動希望が出せます。出したら幸運にも芦屋市の小学校に帰ってくることができました。
 初任者のときの田舎の小学校とは親の雰囲気が違うということはあったものの、大きな違いはあまり感じません。それよりも、学んだことがどんどん使えるうれしさがありました。
 同じ学校の先生たちと新たに教育研究サークルを作りました。さらに、サークル以外からも学ぶようになりました。
 そうした充実した教師生活を送っているとき、阪神淡路大震災が起こりました。1995年のことです。学校現場は大変なことになりました。
 もちろんサークル活動どころではありません。勉強会が再開できたのは、震災後2~3年後くらいのことだったと思います。
 私は幸いにして、教師を辞めたいと思ったことはありません。しかし壁を感じたことはあります。
 それは40歳前後の頃。私は、全国各地から参観者が来られる朝日ヶ丘小に勤務していました。公開授業には、1000人以上の先生が集まるような学校です。
 このときの私は、子どもたちをぐいぐい引っ張っていくタイプの授業に憧れて、実際かなりできるようになってきていました。
 担任した6年生が中学校に入学してから、小学校に遊びに来て「先生、中学校つまらん。先生の授業がいい」などと言って来ます。
 それを聞いて、私は、正直誇らしい気持ちになっていました。
 けれどもあるとき、隣のごく一般的な先生が受け持った子どもたちの方が、中学に入ってから伸びていることに気づきました。
 これを見て私は、「小学校6年が人生のピーク」みたいな子を育てていたのではないか、という疑問が湧いてきたのです。
 決して子どもたちに無理強いをしていたつもりはありません。しかし、私が受け持ったことの反動を起こさせているのは間違いないようでした。
 これではいかんのやな、と思いはしたものの、どうすればいいかというのは、簡単には思いつきません。
 そこで、それまで以上に授業の楽しさを考えるようになりました。同時に、子どもたち同士をつなげるようなクラス作りを志向するようにもなりました。
 教職ネットマガジンを購読しているような先生は、きっと熱心に勉強される方でしょう。
 けれども、そうした「勉強」をしていると、同じ学校の先生が頼りなく見えることがあるはずです。
 しかしそれは間違いです。あなたが気づいていないだけで、すごい実践をしている人は学校に必ずいます。
 何しろ同じ学校の先生なら、見ている子どもは同じだし、地域も同じです。
 だから同僚教師の意見は、非常に参考になるはず。自分の実践を見てもらえるメリットもあります。つまり、自分の学校ほど優れた勉強の環境はないのです。
 そしてお勧めの勉強法は、まず自分の授業のイメージを作ること。
 例えば「指名無し討論の授業がしたい」と思ったら、その授業を実際に見てイメージするのです。
 例えば、縄跳びの指導でも、上手に跳んでいる子どもの様子を実際に、あるいは映像を見せたらできるようになるでしょう。
 それと同じです。私と同じ学年を組んだ若い先生も、私のクラスを実際に見て、指名無し討論の授業をやっていました。
 公開授業の見学も同じです。同じ学校の若い先生と、立命館小学校岩下修先生の授業を見学しにいったとき、私が横で若い先生に、すべて解説してあげたことがあります。
 これは非常に効果的でした。その先生の音読指導が大きく変わり、自分の学校で公開授業をしたとき、音読は参加者から絶賛されていました。
 同じ学校の先生とすぐれた授業を実際に見ることと、それを解説してもらうことが大事。同じ土俵で語れるのですから。繰り返しますが、最良の勉強法は、同じ学校の先生と学ぶことです。
 先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる仕事です。私自身、年々楽しくなっていますから。
 若いときは力量が無いから子どもが動かないし、反発を食らったりします。
 しかし力が上がれば、子どもはみんな喜ぶし、保護者は信頼を寄せてくれるようになります。
 さらに、学校で最もしんどいクラスを受け持てば、学校内でも無敵の状態になることでしょう。
 自由裁量の幅が広がり、自分のやりたことができる状況になるはずです。
 勉強を頑張りましょう。いま悩んでいたとしても、勉強を頑張ったらきっと楽しくなります。
 あと少し頑張れるかどうかは、あなたにしか分かりません。ただ、確実に言えることは、頑張れば必ず報われるということです。
(俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校校長)

 

 

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新任教師が教師力をアップするためのヒントとは

 新任教師が教師力をアップするためのヒントを次に紹介します。
1 子どもを把握し、即時に授業へ生み出すことが重要
 目の前の子どもの状況を把握して、それに適した授業を即時に生み出すことはとても重要なことです。
 新任教師は、次の点を意識して、授業の状況を把握しましょう。
(1)どこまで知識・理解・技術等が子どもに定着したかを瞬間的に判断する
(2)子どもが活動に対して心を開き没頭しているか否かを見極める。
(3)子どもの姿勢、表情など、身体的所作を感覚的にとらえる。 
 このように授業を進めるには、多様な鑑識力が教師に要求されます。そのために、刻々と変化する子どもの瞬間的な状況を一つたりとも見逃すまいとする姿勢が重要となります。
 すなわち、授業を進めながらも、子どもの状況の細部までとらえられるような、いわば教師が
「観察者としての授業者になれるような訓練を積む」
 ことが大切でしょう。
 これを前提として、子ども全員の能力、興味・関心の対象など、多くの情報を事前に把握しておくことも重要です。
2 経験を積んだ教師から学び、自分の授業スタイルをつくりあげる 
 新任教師は、経験を積んだ教師の授業をたくさん観る必要があります。同僚教師だけでなく、外部の研究会などへ参加するのもよいでしょう。
 観るだけでなく、質問してアドバイスを受けることが大切です。
 さまざまな授業の展開を追試し、試行錯誤して、自分のクラスの実態に合う方法を見つけていくのもよいでしょう。
 そうして、少しずつ自分自身の個性やカラーを出して、授業スタイルをつくりあげていくのです。
3 素晴らしい授業に出会うように研究会等に参加する
 優秀な教師は、必ずと言っていいほど、教師になって1~2年目の頃に、素晴らしい感動する授業と出会っている。
 この経験は、年月を経ても鮮明に残り、生涯の目標を生み出す糸口ともなるのです。
 授業がうまくいかないスランプの時期があっても、前進できる人は、若い頃に心の支えになるような授業にふれています。
4 各教科の授業ルールづくりをする
 各教科ごとの授業の進め方を、教師と子どもの間で約束し、確立しなければなりません。
 各教科ごとに紋切型ではなく、授業パターンやバリエーションを変え、常に学習ルールづくりを工夫しなければなりません。
5 授業を振り返り反省する
 新任教師は授業のあり方に迷います。それを乗り越える手だては、自らの授業を振り返ることしかありません。  
 反省点を改善し、試行錯誤を繰り返すのです。
 授業を振り返る姿勢こそが、新任教師の成長を促進し、授業観を形成させるのです。
6 授業が困難に陥ったときは、成長のためのレッスンと捉える
 授業で遭遇する困難は、成長のための大切なレッスンである。
 教師力をアップする方法が成功するか否か。その鍵を握るのは、困難を「大切なレッスン」と考えられるようなポジティブな精神状態なのです。
(高見仁志:兵庫県公立小学校教諭(18年間)、湊川短期大学、畿央大学を経て、佛教大学教育学部教授)

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教育雑誌や教育書を何回も読むと教師力を高めることができ、教師修業に欠かせない

 私が新任教師のころの研修主任の先生は、時間があれば本を読んでいました。
 私が「何の本を読んでいるのですか?」と尋ねると、
「これは、現代教育科学、授業研究、国語教育、作文と教育の教育雑誌、これは斎藤喜博、大村はま先生の本・・・・」
と、次々と、机の上にあった本を見せてくれました。
「教育雑誌や教育書は、読んだほうがいいよ。教育界の今の課題や流れなどを知ることができるからね」
「子どもたちに勉強を教えるのに、教師が勉強していなかったら、おかしいよね」
 言い方は優しかったけれど、私の心につき刺さる言葉でした。
 小学生の教科書の内容くらい教科書さえ読んでいれば、簡単に教えられると思っていた自分の考えの甘さが恥ずかしくなりました。
 学校帰りにすぐ、本屋に立ち寄りました。とにかく、読みまくって勉強するぞ、という気持ちになりました。少しでも、いい授業がしたい、教師としての力を上げたい。
 本を読み進めると、面白くてたまりませんでした。
 そこには、自分が知らない世界が広がっていて、なぜ今まで読まなかったのだろうと後悔しました。
 この日から、10冊近い教育雑誌の定期購読を始めることにしたのです。一冊でも多くの教育雑誌を読む。教師修業の本格的なスタートです。
 いざ読み始めると難しい内容ばかりです。頭の中に、簡単にすーっと入ってきません。
 研修主任の先生に、読み方について聞くと
「福山さん、これ見て」と、手元にあった教育雑誌とノートを見せてくれました。
 雑誌には、たくさんの線が引いてありました。何か言葉も書いてありました。
 ノートを見ると、雑誌から書き出した言葉が並んでいました。
 私は甘かった。本を一回読んで、あきらめていたのです。ノートに書き写すなんてことは、やっていません。
 さらに、私は質問しました「この雑誌は何回読んだのですか」
「確か、3回かな」「一回読んだぐらいじゃ、分からないからね」
 本当に甘い自分だと思いました。
 本の中に出てくる実践内容や理論が、一つでも多く自分の頭に入ってくるように、何度でも読み返せばいい。
 まずは、分からない内容があったら「?」を書いて読み飛ばす。時には「?」と書いて、ノートに記録しておこうと、考えるようになったのです。
 多い時には、15回も再読したことがありました。頭にすっと浮かぶものも出てきました。
 30数年経った今でも、読み続けています。読むスピードが速くなりました。内容も、さっと読んで分かるものがたくさん出てきました。
 本は読めば読むほど、自分の教師力を高めてくれる「学びのねた」に出会ってきました。
 本の再読を楽しむ。これは、教師修業に欠かせない心持ちだと思うのです。
(福山憲市:1960年山口県生まれ、山口県下関市立小学校教師。サークル「ふくの会」、「ミスをいかす子ども達を育てる研究会」を組織している)

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教師はいかに学びあい、授業力をつけていけばよいのでしょうか

 私は職員室で時間を見つけては、子どものようすや授業について語り合うようにしています。
 これはと思う教材も紹介する。そして、話しただけでは具体的にわからないので、自分の授業を見てもらうようにしています。
 私は、教師になってしばらくは、全国の優れた授業実践を本や雑誌などで学びました。民間などのいろいろな研究会にも参加しました。
 私の若いころから職場では、「子どもから学ぶ」ことが大事だといわれてきました。しかし、私自身「子どもから学ぶ」ということがよくわかりませんでした。
 実際には、目の前の「子どもの姿をもとに授業を創る」重要さがわかり始めたころから、授業が変わってきたように思います。
 自分の身近にある生の素材から授業を創る体験が、授業力アップにつながります。
 教師は、困難に直面しているときはすごくつらいですが、その事態を深く見つめ続けていくと、ある時期、光が見え始め、そうするとまったく違う対応ができるようになるんです。
 私も荒れた6年生を担任していた時期は、子どもたちが朝会などで話を聴かなくて、それは大変でした。
 ところが、子どものようすを見ていると、聴かなくなるのはきまってつまらない話をしているときなんです。いい話をするときは、そんな子どもたちもちゃんと聴いている。
 小学校の高学年になると、話の質をすぐ見抜くんですね。
 それ以来、「6年生なのに」と思っていたことを「6年生だから」ととらえ直しました。
 そのときに、はじめて彼らの内面が見えてきたんです。おしゃべりも、なぜおしゃべりが起きるのかを深く考えてみる必要があります。
 現代の子どもは、人間関係に非常に不安を感じていて、疎外されたり関係を断ち切られたりすることが、教師に叱られる以上につらいことなんです。
 おしゃべりが「友だちとつながっていたい」という気持ちの表れだととらえ直すと、対処法が変わってきます。
 おしゃべりそのものを叱ってもだめで、教室に安心できる人間関係をつくっていかなければ、根本的な解決にはなりません。
 私は、子どもから学んでいけば、もっと楽に実践できると思います。
 まず、子どもの声を聴く。ある程度子どもに任せる。
 子どもが押してきたら、押し返すのではなく、むしろ押されて少しバックしてみる。
 そういうふうに、キャリアを積んだ年代の教師であればこそ、子どもの姿からつくっていく実践にもう一度チャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。
(今泉 博:1949年北海道生まれ、東京都公立小学校教師、北海道教育大副学長(釧路校担当)を経て松本大学教授。「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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教師の成長にとって、どのような場が必要なのでしょうか

 教師の実践的力量を高めていくには、教師一人ひとりが「自分の力をもっと高めよう」という強い意志がなければいけない。

 教師が最も意義があると感じているものとして「自分の意欲や努力」「学校現場の雰囲気や人間関係」「現任校での研修」をあげている。

 また、フォーマルな研修よりも、子どもとの日常的な関わりの中で行われるインフォーマルな自己研修や実地経験のほうが有効だと認識されている。

 特に初任者の場合、自分の力量形成に役立ったものとして「子どもとの日常の交流」「同じ新任教師、年齢の近い若手教師との経験交流」「経験豊かな年輩教師の日常のアドバイス」が上位を占めている。

 力量形成の契機になったものとして、学校内での「研究会、研修」「すぐれた先輩や指導者との出会い」「自分にとって意味ある学校への赴任」「教育実践の経験(学級指導、生活指導、特定の子どもとの出会いなど)」「学校外でのすぐれた人物との出会い」をあげる教師が多い。

 このように、日常的かつ自主的な研修の意義は大きいといえる。

 子どもの事実に基づいて、絶えず自分の実践を省察・吟味し、同僚や先輩の教師たちと語り合い、学び合いながら、新たな課題に挑んでいくことが重要である。

 いわば、学び続ける教師、学び合う教師であることが教師の成長にとって不可欠である。

 歴史に名が残るような教師は、例外なく生涯学び続けている。蔵書も半端ではない。

 いろいろな教室を訪問して、そのたびに痛感するのは、よく学んでいる教師のクラスは、子どもたちもよく学んでいるということである。

 発言も論理的で、追求型の学びが成立している。

 たくさん本を読んでいる教師、身銭を切ってさまざまな研究会に参加している教師、サークルの仲間と学び合っている教師など、そうした教師の姿は授業に反映する。

 教師自身も一人の聞き手・学び手として、子どもたちの発言や出来事に開かれている。

 そして、その事実の意味を省察して、適切に対応している。

 子どもたちは教師のそうした姿を見て、学びの態度や方法を吸収していくのである。

(鶴田清司:1955年生まれ、都留文科大学教授、全国大学国語教育学会常任理事、日本教育方法学会理事)

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