カテゴリー「教師の仕事」の記事

プロ中のプロ教師になる道とは何か、どのように進めばよいのでしょうか

 全てにおいてプロとしての技量を持っているんだけど、特に高い評価を得ている方、それがプロ中のプロなのです。
 対談した先生方は、個性的で傑出した力を持つ次の3人です。
1 八巻寛治
 ソーシャルスキルやグループエンカウンターの第一人者と言われる、仙台の八巻寛治さんです。
 今回、特に強く受けた印象は「乗り越える」というイメージでした。
「思春期をきちんと乗り越える」ということです。例えば、
「私は、子どもがすっと変わる瞬間というのが楽しかったんですね」
「子どもたちは、いろんな反応を示します。シグナルで伝えているはずなんです。そこをぜひ、心配してほしいんです。心配し過ぎるくらいに心配してほしいし、確かめてほしい」
「もし、違っていたら『ごめん、違っていたんだね』でいいんです」
 私は確かに、子どもたちに乗り越えさせずに終わっていることって、多いなあと思いました。
 穏やかに話す八巻さんですが、熱い人なのだということも、確かめることができました。熱い思いを優しい言葉で包んでいるんだなぁと思うところがありました。
 八巻さんのスキルはたくさんある。それは自分の生活経験から出てくるのです。
2 中村健一
 お笑いとネタで、全国の若い先生たちを勇気づけている信念の教師の山口の中村健一さんです。
 話を通じて強く感じたのは「最前線で戦う部隊長」ということでした。厳しいところで体を張って教育しているからこその言葉が、たくさん飛び出してきたように思います。例えば
「なんぼ、授業が上手で、ポリシーがあっても、目の前の子どもが変わらないと意味がない」
「子どもや保護者にそっぽ向かれたら、教育って成り立たない。その一方で、それだけになびいてもダメだなと思うんだ」
「理屈ばっかり言って、子どもを動かせない。それって、はっきり言ってプロじゃない」
「僕らは、目の前の子どもを変えるのが全てだ。できるようにする、それが楽しいんだ」
「俺が楽しいのは、子どもが楽しいからであって、子どもが楽しくないと、俺も楽しくない」
「人のやっていることを、その通りやったら、絶対にうまくいかないよ。空気読みながらやらないと」
「勉強になるのは、子ども。目の前の子どもが全てだから。子どもから学ぶ」
 若い先生たちの力になりたいという思いが強い。目の前で多くの教師仲間がぼろぼろになっていく姿に、怒りまで感じているのでしょうね。
3 山田洋一
 子どもとの関係づくりと授業づくりで次々とメッセージを発信する札幌の山田洋一さんです。
 山田さんの言葉の使い方は的確で、明晰さと学問がちらちらと顔を見せるのです。相当な勉強が山田さんのバックにあることを感じさせられました。例えば、
「うまくいったというのは、うまくいくための前提条件が膨大にあるはずなんですよ」
「この仕事に無駄なんて一切ないんだと思うんだ。無駄と思うことも、無駄じゃなくなってくるんだ。積み重ねたおかげて、できるようになるんだ」
 砂をかむような苦しい思いを通り越して、今の山田さんがある、これは本物ですね。
「自分のダメさを認めることのできた教師」が、プロとして一流に向かっていくんだろうなあと思いました。
 3人に共通して感じることは、今行っていることに自信を持っているということです。
 それは、自分の学級なら絶対に大丈夫だ、というような傲慢な自信ではありません。この3人の先生方からは、傲慢さは全く感じられませんでした。
「このやり方ならば、子どもたちは、こうなってきた」
という成果に基づいた自信なのですね。
 それから、楽しそうだということです。
 求道者のような教育実践家ではなくて、自分が楽しいことをしているという感覚が伝わってきます。
 これは実は、プロとしては、とても大事なことなのですね。
 楽しんでいるということは、子どもに対して
「私は、こんなにがんばって、してやっているんだぞ」
といった気負いや傲慢さがないということです。
「楽しませて、もらっています」
というような感覚があるのです。
 これは、長続きしていく、元となるのですね。
 そして、よく勉強しているということです。
 それぞれの学んでいるところは違いますが、だからこそ、おもしろいのです。
 学びながらも、自分の道を確実に歩んでいるということです。
 つぎの3点が共通点のように思えました。
「自信と信念」
「楽しさ」
「自分の学び」
 これから、プロ中のプロを目指される先生方に、ぜひこのあたりのことを大切に考えていってほしいと思いました。 
(多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

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学校の仕事で一番大事なことは何か、授業の真髄とは何か

 NHKの「ようこそ先輩」や民間放送の「世界一受けたい授業」という番組を見た人も多いと思います。
 教員免許がない人だって、素晴らしい授業をします。
 ああいうところで授業をする人たちは、端的に言うと「サービス精神がある」から良い授業ができるのです。
 ふだんから「お客さん(市場)に鍛えられている」からです。
 たとえば、一流デザイナーと呼ばれる人たちが母校に帰って授業をする。
 一流デザイナーとしての力量は誰が認めるのでしょうか。お客さんが「この人のデザインが良い」「あの人より、この人が良い」と支持してくれるからでしょう。
 だから、教師は授業で、聴いてくれるお客さん(生徒)に理解してもらおうと考えるから、良い授業ができるのです。
 やっぱり授業で大事なことは、まず聴いてもらうこと。
 どんなに立派なことを話しても、聴き手が聴いてくれなければ、話にならない。
 聴き手が聴いてくれないと言うならば、興味深く聴けないということだから、話し手は反省しなければならない。
 基本的には、教えるほうの自分で、子どもの反応を受け止めて、話を進めなければなりません。
 先ほど、この講演の冒頭で、みなさんに学校の仕事で一番大事なことは何だと思いますか、と尋ねました。
 そうしたら、ほとんどの教師が「授業」と言ってくれたので安心し、素晴らしいと思いました。
 学校で一番大事な仕事は授業です。
 学校は授業が基本であり、すべてである、ということをしっかり胸に刻んでいる点が、素晴らしいと思います。
 良い授業とは何でしょうか。むろん自分で良い授業と思っていてもダメです。
 子どもたち学習者に「良い授業」「素晴らしい授業」と評価される授業が「良い授業」なのです。
 自分では良い授業だと思っているが、子どもはそのように思っていない。こういうミスマッチも、学習者の意見が反映しない教師本位に問題があるのです。
 ダメな教師の授業は子どもが相手にしないから、授業が成り立たないで学級崩壊するのは、昔も今も変わらないことがよくわかります。
 大多数の良い教師や、しっかりした教師の授業は、ふつうに粛々として行われていることは昔も今も変わりはありません。
 学ぶ学習者から率直な意見を聴取するのも、ひとつの方法ですし、同僚の教師の授業を見せてもらい参考にするなど、あらゆる方法で、日々、授業の改善工夫をこらす以外に道はないのです。
 それで給料をもらっているのだから、当然のことです。これが教師の仕事のいちばんキモのところです。
(戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

 

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教師は忙しくて疲れやすい、教師の仕事を効率的して、元気な教師になるにはどうすればよいか

 教師は忙しい。忙しさが教師の心身を疲れさせています。
 教師の疲れは、目の前の子どもたちに影響します。
 教師が疲れて元気がなければ、子どもたちもまた元気がなくなります。
 教師が元気はつらつならば、子どもたちも元気はつらつになります。
 ですから、教師が仕事の忙しさから解放され、疲れを癒し、心身ともに元気はつらつとして子どもの前に立つことは、子どもたちが元気になるためにとても大事なことなのです。
 では、そのためにどうしたらいいのでしょうか。
 少しでも教師の仕事を効率化し、教師に時間的なゆとりを作り出すとよい。
 時間的なゆとりは心のゆとりを生み、健康的な身体づくりを後押し、元気な教師になるでしょう。
 教師の仕事を効率的にするには、
1 仕事を「見える化する」と、見通しが立つ
 何となくたくさん仕事があると、気が滅入ります。はっきり見えないと、大変そうに思えるものです。
 そんな時は、仕事を「見える化する」とよい。
 はっきり見えると、先が見えて計画が立ち、すっきりします。
 具体的には「しなければならない仕事のリスト」を作ることです。やるべきことがはっきりします。意識していなかった仕事に気付くこともあります。
 リストは、1行に1項目を書き、期限があれば書きます。(例:① 3/20 仕事名)
 その仕事が終われば、〇数字を塗りつぶす(●)と、やるべき仕事と終わった仕事が一目でわかります。
2 仕事を分ける
 仕事を緊急性に従って3段階に分けます。
 仕事を「すぐやらなければならない仕事」「早めにやる仕事」「後でやればよい仕事」に分けて、仕事の書類を机の上3か所に分けて置きます。
「すぐやらなければならない仕事」の一番うえの仕事を迷わず取り上げて処理を始めます。
 始まると意外に片付いていくものです。
3 疲れている時は、まず単純作業から始める
 疲れている時、嫌なことがあった時などは、頭が働かず仕事に取りかかれないものです。
 こんな時は、頭をあまり使わなくてすむ、単純作業から始めてみましょう。
 どんな仕事でも、1つの仕事が終わると気分がいいものです。達成感が気分を高揚させ、脳の働きを活発にし、面倒な仕事でもやる気になってきます。
4 仕事のアイデアが出なくなったら、別の仕事をしてみる
 仕事をしていてアイデアが出なくて困ったら、思い切って中断して別の仕事をしてみるとよい。
 別の角度から物事を見ることになり、最初の仕事のアイデアが浮かんでくることがあります。
 新鮮な気持ちで仕事に向かうことができ、集中力を生みます。
 切り替えた仕事がある程度、区切りがついたところで、最初の仕事にもどります。
5 よくわからない仕事をしなければならない時は、その道の専門家に教えてもらう
 よくわからない仕事は、仕事の処理の仕方がよくわからずに、あれこれと考えたり、試行錯誤することがあります。
 よくわからない仕事をしなければならないときは、自分であれこれと考えず、その分野の先人や、その道の専門家が近くにいれば、聞いて、教えてもらったりすればよいと思います。
 その代わり、助けてもらったその教師に、自分の得意分野でお役立てをするようにします。
(山中伸之:1958年生まれ、小・中学校教師。「渡瀬にこにこサークル」代表を務めるほか、実感道徳研究会会長、日本基礎学習ゲーム研究会研究部長)


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教師は人間関係のプロであれ               諸富祥彦

 教師という仕事は、絶えず人間関係の中で行う仕事である。
 教師の悩みは、子どもや保護者との対応にかかわる悩みと、教師同士の人間関係にかかわる悩みである。いずれも人間関係にかかわる悩みである。教師は人間関係のスキルを磨くほかはないのである。
 教師が身につけるべき人間関係の定石は、たとえば、次のようにである。
(1)自分がカーッとなったとき、すぐに言動に移さず、一呼吸置くべし。
(2)自分の考えが正しいか、間違っているか以上に、それを言うことが、相手にどんな影響を 与えるかを考えよ。
(3)同じ内容でも、どんな言葉、どんな言い方であれば相手が抵抗なく聴くことができるか、相手によく伝わるか、考えてから言葉にせよ。
(4)相手が興奮しているとき、さらに追いつめるひと言を放ってはならない。火に油を注ぐだけである。しばらく”間”を置き、クールダウンすること。
(5)相手を理解したら、理解していることを言葉や態度、表情で伝えよ。
(6)相手を落ちつかせたら、まず自分が落ちつくこと。ゆったりしたペースでやわらかい口調で語りかけれこと。
(7)相手に何か伝えたいことがあるときは、まず、相手の話を聞いたうえで、相手の自尊心を損なわない仕方で、わかりやすく伝えること。
 そして、こうした人間関係の定石を、ハウツーの形で具現化したものが、カウンセリング・テクニックなのである。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学)

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子どもを教える仕事をする人に絶対必要な心構えとは何か

 当時、生活指導主任をしているA先生の学級の前を休み時間に通ると、教卓のところに子どもたちが何人も群がっていた。笑い声がいつもおきていた。
 群がっている子どもたちはいつも決まっていた。それはクラスで一番勉強ができない子。みんなに嫌われている子だった。
 A先生のひざの上にいるのは、決まって「できない子」であり「嫌われている子」だった。
 勉強のできる子をひざの上にのせていることはなかった。
 ある日、私は「A先生は、いつも子どもがいっぱいいますね」と声をかけた時、初めて所信を語った。
「勉強のできる子や人気のある子は、これから先の人生で、いつだって脚光をあびたり、人から大切にされたりするんだ」
「だけど、クラスでは最下位のような子は、今大切にしてやらねば、再び大切にされることは、ないのかもしれないんだ」
「今大切にしてやって、人生のバランスはとれているんだ」
 私はそれ以来、心の中に「教師として、子どもを大切にしているかどうか」という明確な判断基準が加わった。
 クラスで最も嫌われている子がひざの上に来るような教師なら「子どもを大切にしている」と私は判断する。
 口先だけ、うまいことを言う教師ではだめだ。子どもは敏感なのである。内心「嫌だ」と思っていることは相手にも伝わるのである。鏡の原理が働くのである。
「最も嫌われている子どもがひざの上にのる」ことは簡単ではない。どうしても通過しなければならない心の革命を必要とする。
 それは、次のことである。「いかなる状態のいかなる考えの子も、すべて暖かく包み込める」
 教師は人を教えて育てるという恐ろしい仕事をしている。
 人を教えたり、人を助けたりする仕事の人が、絶対必要な心構えがある。
 それは、子どもを「包みこめる」ということであり、「暖かく接することができる」ということである。
「ぼくは先生なんか、大嫌いだ」と憎たらしく言う子をも、なおも包み込まなければならない。
 これが教師という仕事の宿命なのである。
 子どもたちのすべてを受け入れて、包み込み、そしてさらに「子どもの可能性を伸ばそうという努力」が重なった時、子どもは別の表情をみせるのである。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる
)

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教師の仕事をやりきるためには、教師の服装が非常に重要であるということがわかってきた

 学校というのは、社会が子どもを一人前の社会人に育てるためにつくったもので、基礎的学力、基本的生活習慣、集団(社会)生活の仕方の三つを子どもに身につけさせることが、その中心的な役割である。
 人間は放っておいて、この三つの文化を自然に身につけるようにはなっていない。そのために、家庭や社会での教育と同時に、近代になって初めて学校での教育が必要になったのである。
 文化の伝達は、基本的におしつけなのである。だから、教育は基本的に強制はまぬがれないし、大人の側がそれにひるんでしまったら、子どもは一人前の大人になることなどできはしない。
 学校は、子どもがいきたくて来るところではない。親によって無理やり通わされるところなのである。もちろん、子どもにとっても、学校は将来の自分にとって意味のあることである。
 一人ひとりの子どもにあった学校を、などとバカなことを言う人たちがいる。しかし、そんなことは現実的にできることではない。
 また、一人ひとりにあうような学校を本気でつくろうとすると、一対一の家庭教師にいきつかざるをえず、それは学校とは呼べない。
 学校というところは、子どもにとっては、基本的におしつけられ、がまんしなければならないところなのである。自分が欲望を抑えることによって、初めて学習が成立するのである。
 中学生の時期は、欲望が大きくふくれあがり、自我を強く持ち始める時期である。放っておいて、つらいこと、嫌なことに立ち向かわせることが非常にむずかしい時期なのである。中学校の基本的な困難さはここにある。
 どうすればよいか。
 日本の学校は、子どもを生徒に限定するためのさまざまな小道具をつくり出している。制服はそのシンボルと言ってもいいだろう。
 家や街中で自由な私人としてふるまっていた子どもを、家を出る時に制服に着がえさせることによって、公人に変身させようとしたのである。
 演劇において衣装が重要な要素になるのと同じと考えていいだろう。
 学校は舞台であり、子どもは制服の衣装を着ることによって、生徒という役に変身し、がまんして学習することが可能になるのである。衣装の他に、せりふ、演技が重要になってくることは言うまでもない。
 学校では、これらすべての小道具を校則としてまとめあげたのである。
 さて、このように考えてくると、教師にとっても服装が決定的に重要なことがわかるだろう。
 教師にとっても、学校は私的な空間ではない。自由な個人としてふるまうことによって教育ができると思うのは、単なる思いあがりでしかない。
 学校には与えられた役割と目的があり、教師はその目的を達成させるために雇われているのである。好き勝手に家庭教師をやっているのとはわけが違うのである。
 授業中うるさければ、どなってでも静かにさせ、そうじをサボッていれば、なんとかしてやらせる努力もしなければならない。
 つまり、教師としては、個人としてはやりたくないこと、嫌なことであっても、仕事としてやらなくてはならないことがゴマンとあるということなのだ。
 教師は自分たちで、お互いに厳しく律していかなければ、どんどん崩れていくものなのだ。
 私は自由、人権、平等、個人尊重などの民主主義の理念をしっかり身につけて大きくなった。
 教師になった時、このような理念を学校現場のなかに実現しようと勢いよく乗り込んでいったのである。
 しかし、現実は理念とことごとくぶつかった。理念を第一に考えて行動すると、授業はうるさくて収拾がつかなくなるし、教室はゴミだらけ、クラスは混乱状態となった。
 私は、自分の理念(生き方)と教師としての仕事の矛盾のなかで、何度も教師をやめようと思った。しかし、中途半端で投げ出すのはなんとも悔しかった。
 ギリギリ教師の仕事をやってみて、自分に無理ならその時やめてもいいと決意した。ちょうど30歳になっていた。
 それから10年、私は教師の仕事に徹する努力を必死に続けた。それは精神的にも肉体的にも非常につらいものであったが、40歳になってやっと、教師としての仕事をやり続ける自信がついてきた。
 そのなかで、教師としての仕事をやりきるためには、教師の服装が非常に重要であるということがわかってきた。
 私はそれまでのジーパンにTシャツというラフな私的なスタイルを捨て、ネクタイにスーツというスタイルに変えることにした。私的に生活している自分を、ネクタイ、スーツを着ることによって教師に変身させようとしたのである。
 これは、自分を教師に限定し、生徒や他の教師にも、自分を限定させるために大いに力があった。どんなに寒くてもYシャツにネクタイ、スーツでとおした。どんなに暑くてもネクタイははずさず、やせがまんした。
 掃除の時は、サッと更衣室でジャージに着がえ、終わるとまたサッとネクタイ、スーツになることを自分に強制している。演劇における早がわりである。面倒だと言い始めたら、舞台は成立しないだろう。
 おもしろいことに、そういうなかで、だんだん自分が教師を演じることができるようになったのである。
 個人のなまの力で、なにかできると思うのは思いあがりである。自分の好きなように自由にふるまって教師の仕事ができるのは、天才的な教育者にのみ許されたことである。
 私たちは、ただの人である。とすると、演劇と同じように、衣装とせりふと豊かな演技力が必要になってくるのである。さまざまに武装して、教師を演じるしかないのである。
 現在、はげしい学校たたきのなかで、自由が大きく学校のなかに入りこんできている。教師-生徒(教え-学ぶ)の関係をつくることが非常に困難になっている。
 しかし、どんなにむずかしい状況になっていても、私たちが教師の役割をしっかりと演じなければ解決など不可能なのである。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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仕事が趣味なら人生は天国だ、私は教師としての仕事を趣味にするように努力してきた

 私は教師になりたくてなったわけではない。母親が私を田舎に引き止めるために「教師になってくれ」と言われてなったのである。
 大学に入って教育の勉強を始めてみると、なかなか面白い。それに、小原国芳学長の人柄と講義の面白さにとりつかれた。これで完全に「教師になる」ことに決心がついた。
 教育実習でお世話になった先生が、これまた人格者で私は深く尊敬の念を持った。その感化を受けて、社会科へのめり込んでいった。
 教育実習に行って初めて専門性に目覚めたのである。それに、子どもと遊ぶこと、触れ合うことの面白さ、楽しさを実習で味わった。
 教育実習で、すばらしい先生とかわいい子どもに出会い、教師になることに喜びを感じるようになった。
 教師になって担任として出発してみると、教育実習のときに感じたような楽しさはなかった。思うように子どもは動いてくれず、悩みばかりつのる日々であった。
 尿の色が変わり、体調が悪くなった。食欲もなくなり食べ物を胃がうけつけなくなった。翌日は、体中が黄色くなり学校を休んだ。
 この時「教師という職業は、私の体に合わないのではないか」と思い、学校をやめたくなった。教師になって3か月目のことである。
 気分転換と趣味と子どもと仲よしになるという実益を兼ねて、月2回くらい、日曜日に子どもたちとあちこちへ出かけるようになった。これで気持ちが変わり、体調もよくなってきた。
 社会科の研究が面白くなってきた。少し勉強して授業を行うと、子どもたちの反応が違った。子どもたちのためにも勉強しなくては、と考えるようになった。
 バイクや車を購入して取材に出かけるようになった。これが楽しくてしかたがなかった。取材したところをスライドにしたり、資料にしたりして、授業の改善に取り組んだ。
 社会科の教科書にでている事例地へは、ほとんどでかけて取材した。自分で歩き、調べ、体験したことの中から「これは面白い」と思うものを教材化して、授業に提示した。今考えるとこれが教材開発だったのである。
 取材して面白い事実を見つけて提示すると、子どもたちが喜んでくれる。これがうれしくて、また取材に出かけるということを繰り返した。これが、私の「生き方」になっていることに気づいた。
 教材を開発しては授業を行い、授業をしてはその実践の事実を書くようになった。
 人間は、その時その時「楽しい、面白い」と思うことしか、しないものである。「楽しい、面白い」と思うことが、教師のするべきことと結びついたのがよかったし、幸運であった。
 教師として活動することは「子どものためになる」「子どもとかかわる」ことにならなければ意味がないし、価値もない。
 私は、常に「子どもを喜ばせたい」という願いをもっていた。このために「自分は今、何をすべきか」というように考えてきた。
 今すべきことが、自分にとって「楽しいこと、面白いこと」になるように努力してきた。これを切り離さないように気をつけてきた。
 つまり、趣味と実益を切り離さず、一緒のものとしてやるように努力してきたのである。
 私は、教師という仕事を「趣味」にするように努力してきた。子どもを教育することは、楽しいことだ、と考えるようにしてきた。
「考えるようにしてきた」ということは、楽しいばかりではなかったということである。それどころか、苦しいことや困難なことのほうが多かった。
 しかし、この困難なことや苦しいことを乗り越えたときのうれしさは、たとえようがなかった。困難なことに出会うと「うれしいことが待っている」というように考えてきた。
 こういう努力をしていると、誰かが、どこかで見ていてくれることを知った。
 わずか2ページの小文を一生懸命に書いた。知られるような雑誌ではなかったのに、明治図書の編集長から連載してくれと言われた時は、本当にびっくりした。
 公立小学校に9年勤めた後、2つの附属小学校へ25年勤めさせていただいた。誰かが、どこかで見ていて、入れてくださったのである。
 人を育てることほど楽しいことはない。物はつくってもなくなるが、人はどんどん成長していく。特に、子どもは大きく成長する。将来、どんな人になるか楽しみである。
 私は「仕事を趣味にする」ようになった。
仕事が趣味なら人生は天国だ。仕事が義務なら人生は地獄だ」という言葉がある。
 私は「仕事が趣味だから仕事をすることが一番楽しい。いくら遊んでも、私の仕事をする楽しさには及ばない」といった、心境である。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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教師の仕事のすごさとは、どのようなことなのでしょうか

 私はすごく単純だから、やる気のなかった子がやる気になったり「先生、分かった!」と言って、一生懸命、学習に取り組んで、表情がすっごくよくなったりするでしょう。
 そういう、ちょっとした子どもたちの変化を見ると、私の疲れが吹き飛んでしまう。
 教師がその子のことを、とてもよく考えているんだ、ということがその子にわかったとき、その子は変わります。
 子どもが変わると保護者も変わります。学校に振り向いてもくれなかった保護者が、いろんな会に参加してくれるようになったりすることがある。それがすごくうれしい。
 私は教師になりさえすれば、子どもたちを支配できるんだと思っていました。
 しかし、子どもは私に反抗し、子どもと取っ組み合いになって、私は便所に入って泣いた。子どもが可愛いなんて思わなかった。
 私が自然体で子どもに接することができなかったことへの、痛烈な子どもたちのアピールだったんだと思います。
 子どもたちは屈折していたりして、素顔が見えてくるまでに時間がかかりますからね。
 あのころ、私は「ここで辞めたら、何のために教師になったのか分からなくなる」と意地で続けました。
 問題行動をする子どもと関わらせてもらうなかで私は、成長させてもらったし、人間好きにさせてもらったっんだと思いますね。今では、本心から子どもがかわいいと思いますね。
 私が初めて四年生の担任になったとき、ある子どもとどうしても気持ちが通じなかった。どう接してよいか、やり方も分からないし、その子と接するたびに悲しくなって、泣きながら自転車に乗って帰ったこともありました。
 私は子どもにプラスの影響を与えられないと思うと、辛いし、辞めたほうがいいのかなあと思ったりしました。
 でも、子どもって変わるんですよ。全然やる気のなかった子どもが、何度か話をしているうちに「先生、私、実行委員やってみる」と言い出して、どんどん変わっていく。
「私との関わりで変わってくれたのかもしれない」と思うと、ものすごくうれしい。教師という仕事はすばらしいと思ってしまいます。
 この前、教え子が手紙をくれたんです。その子はあまり勉強ができなかったんですけれど、今、うどん屋で働いていて、仕事はきついわけ。
「でも先生、私はね、先生のクラスだったときのことを思い出すと、頑張れる」と書いてあるの。ジワーッと心にきました。
 教師の仕事は、その子の人生に決定的な影響を及ぼすことがある。子どもは大人と違って純粋ですから、これが教師の仕事のすごさですよ。
(
松下光志: 別冊宝島編集長
)

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自然の本質にふれ合うと、子どもの本質とふれ合うことができ、子どもの事実を動かし、子どもをよくしていくことができる

 私は、私が歌人であったことが、教育の仕事のなかでどんなに役に立ったかわからないと思っている。
 自然をよくみることは、子どもをよく見つめることと同じだからだ。
 自然と心をふれ合わせることは、子どもとか、同僚の教師とかと、心をふれ合わせることと同じだからだ。
「自然の本質」とじかにふれ合うことができるということは「子どもや同僚の教師の本質」と、じかにふれ合うことができるということだからだ。
 正岡子規が明治33年につくった歌
真砂なす数なき星のそのなかに吾に向かいて光星あり」
という歌がある。
 私はこの歌がすきで、よくそれを口ずさみながら、星をみたり、草や木をみたりするが、真砂のようにたくさんある星のなかから、自分と心を通い合わせている星を持つことのできる人間に私は感動する。
 こういう自然との心の通い合いのできる人間であってはじめて、子どもとも心を通い合わせることができるのだ。
 教師はもっと自然をよく見、自然から学び、自然と心を通い合わせ、自然や人間の本質と、じかに交流できるようになる必要がある。
 自然や人間から豊かに、ものを学びとり、自分を豊かに変革していけるような謙虚な人間になる必要がある。
 教育という仕事は、具体的な子どもの事実についていき、具体的に子どもの事実を動かし、子どもをよくしていかなければならない仕事である。
 事実をつくりだしたり、事実を動かしたりするためには、それまでに自分が持っている、知識とか経験とか技術とかを総動員して、立ち向かわねばならない。
 それとともに、事実にしたがって、あたらしく創造もしていかなければならないものである。事実はいつも同じだとはかぎらないからである。子どもの事実にしたがって考え、創造的な仕事をしていかなければならないものである。
 教育の仕事は、教師の精神の飢えを感じることによってつくり出されていくものである。
 絶えず自分自身や子どもたちの現実に対して飢えを感じ、そこから抜け出そうとして、何かを求め続けることによって、はじめて創造は生まれるからである。
 飢えを感じないということは、現状に満足し、停滞し固着していることであり、自分自身や子どもたちの現実に鈍感になっているということである。
 これでは、創造的な教育の仕事などとおよそ関係のないところにいるわけであり、子どもを固着させ、停滞させてしまうだけである。
 そう考えると、自分自身や子どもの事実に対して飢えを感じるということは、教師としての一つの重要な資質となると考えてもよい。
 飢えを感じることがあってはじめて、きびしく仕事をしていくことができるからである。また、一つの地点に到達したときも、その地点での新しい飢えをつくり出し、さらに別の世界を追い求めていくようになるからである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)


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教師の仕事が苦手な人が、ステップアップし、人気のある教師になるためにはどうすればよいか

 子どもも保護者も、まずは「教師という仕事に本気で取り組む、元気で明るい教師」を求めています。教師という仕事に生きがいを抱き、人生を生きてほしいものです。
 教師が疲れていたり、沈んだ表情をし、怒りやすかったりすれば、子どもたちに影響を与えます。
 教師として満足いく仕事をするために、心と体の健康が一番です。健康な体をつくるための心得は「早寝、早起き、朝ご飯」が教師にも当てはまります。
 性格的に悩みやすい教師は、仕事以外の世界(趣味や娯楽、教師以外の人間関係)に自分の居場所を持つことも、一時的にはやむを得ないでしょう。
 教師という仕事は、どこまでやればよいということは、はっきりできない仕事です。要は、いかにメリハリのある仕事術を身につけるかということです。要領や段取りの悪い教師は、人気教師にはなれません。
 人気教師は、人気人間にもつながります。大人としても魅力度の高い人間になってください。
「えこひいき」しない態度こそ、人気教師への第一歩です。
 コミュニケーションで最も大切なことは「えこひいき」しない態度を一貫してとることです。
 どうしても、素直で明るい子、ものわかりの早い子、可愛い子を教師は好みますが「どの子もいい子なんだ、公平に扱おう」と自分の心に呼びかけるようにしてください。
「この子は〇〇だから」と決めつけることも誤りです。
「この子は落ち着きがない」「うそを言ったことがあるから」とマイナス面ばかりを見たり「△△さんは、ピアノがうまいから演奏してね」とその子の実力以上の課題を与えてしまうこともあります。
 子どもにレッテルをはらず、常に自然体で接するように心がけたいものです。ほかの子と比べたり、できて当たり前という見方ではなく、その子の力で「ここまで、できたね」と認めてあげることがポイントです。
 子どもの話を聴いてあげ、子どもの言ったことばをオウム返しのように繰り返してあげることで、子どもは「先生は、話を聞いてくれている」という安心感を抱くようになります。
 さらに、教師が「いつも、心配しているんだよ」と、自分の気持ちを子どもに伝えると、子どもが「先生に心配をかけたんだ」、「じゃあ、どうしたらいいかな」と自分で考えるきっかけとなります。 
 連絡帳に保護者からの連絡コーナーを設けることも大切です。(学級通信の末尾に設けてもよい)
 プライベートな問い合わせや急ぎの用事でない保護者からの連絡事項などは、子どもの連絡帳に書いてもらうように、お願いします。
 そうすることで、連絡帳を介した保護者と教師との見えないつながりをお互いに意識できます。
 小学校の教師は多くの教科を受け持っています。授業で勝負する人気教師ほど、教材の収集には熱心です。
 理科で電池の仕組みを教える場合、電池を数種類準備しています。社会科で江戸時代の学習する場面でも、参観交代の様子が描いてある和菓子の包装紙を持っていたりします。
 人気教師は学習内容に応じて教材が用意できる、豊かなストックを持っているものです。
 授業の名人と言われた教師が、大型(A3)の封筒を教室の棚に置いておられたことを思い出します。
「中身は何ですか?」と尋ねると「古い新聞記事や、教材に使える各種のパンフレット類だよ」と教えてくれました。
 短い期間では収集できないが「これは教材にならないかな」という目で日常生活を送っていれば、案外見つかるものです。
 資料の一部を隠して提示することによって、注目させるやり方があります。
 例えば、社会科で、日本の水産業の学習で、漁獲高の推移を示す折れ線グラフを、ある年代から先を隠して黒板に貼り、
「この後、遠洋漁業の漁獲高はどうなったでしょう?」
と問いかけるのです。
 歴史の学習でもこの方法が使えます。絵巻物や絵図の一部を隠して提示すれば、子どもは隠された部分に関心を持ちます。
 このように、教材提示の方法を工夫することで「じっくりと見て、考える力」を育てることができます。
 人気教師のクラスは話し合いも活発です。特に国語や社会などでは「話し合い」が学びの基本になります。
 学級全体で「話し合い」を深めていく場合、子ども同士で意見のやり取りを円滑に進めるために考案されたのが、挙手するときの「ハンドサイン」です。
「わかった(5本指)」「わからない(グー)」「質問(3本指)」「賛成(2本指)」「つけたしの意見(1本指)」の5種類があります。
 これを図にして黒板の横に貼って確認させながら挙手をうながすと、積極性が育まれます。小学校3年生くらいから導入できます。
 教師は、ハンドサインの形を眺めて「質問」や「つけたしの意見」などの子どもが何名であるかを即座に把握します。
 話し合いの状況を見て、最初にどのサインを取り上げるかを判断します。
 授業への参加をうながし、話し合いの視点を深めるために「質問」や「つけたしの意見」を最初に当てれば、うまくいきます。
 社会科の授業で「秀吉が行った刀狩りは良い政治と言えるでしょうか?」などと質問し、ハンドサインで答えさせると「考える」授業にも導入できます。
 さらに「わたしは反対の意見です。その理由は・・・・・・」と、自分の意見をはっきりとさせ、理由も述べさせる指導をこころがけたいものです。
 人気のある教師になるためには、キャラクターグッズがあげられます。
 子どもの提出物に、特注で自分の顔をキャラクターにしたスタンプで、確認の印を押すのです。
(
寺本 潔:1956年熊本市生まれ、筑波大学附属小学校教師、愛知教育大学教授を経て玉川大学教授。中央教育審議会専門委員(社会)等を経て日本社会科教育学会評議員)

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