カテゴリー「教師の仕事」の記事

教師の仕事をやりきるためには、教師の服装が非常に重要であるということがわかってきた

 学校というのは、社会が子どもを一人前の社会人に育てるためにつくったもので、基礎的学力、基本的生活習慣、集団(社会)生活の仕方の三つを子どもに身につけさせることが、その中心的な役割である。
 人間は放っておいて、この三つの文化を自然に身につけるようにはなっていない。そのために、家庭や社会での教育と同時に、近代になって初めて学校での教育が必要になったのである。
 文化の伝達は、基本的におしつけなのである。だから、教育は基本的に強制はまぬがれないし、大人の側がそれにひるんでしまったら、子どもは一人前の大人になることなどできはしない。
 学校は、子どもがいきたくて来るところではない。親によって無理やり通わされるところなのである。もちろん、子どもにとっても、学校は将来の自分にとって意味のあることである。
 一人ひとりの子どもにあった学校を、などとバカなことを言う人たちがいる。しかし、そんなことは現実的にできることではない。
 また、一人ひとりにあうような学校を本気でつくろうとすると、一対一の家庭教師にいきつかざるをえず、それは学校とは呼べない。
 学校というところは、子どもにとっては、基本的におしつけられ、がまんしなければならないところなのである。自分が欲望を抑えることによって、初めて学習が成立するのである。
 中学生の時期は、欲望が大きくふくれあがり、自我を強く持ち始める時期である。放っておいて、つらいこと、嫌なことに立ち向かわせることが非常にむずかしい時期なのである。中学校の基本的な困難さはここにある。
 どうすればよいか。
 日本の学校は、子どもを生徒に限定するためのさまざまな小道具をつくり出している。制服はそのシンボルと言ってもいいだろう。
 家や街中で自由な私人としてふるまっていた子どもを、家を出る時に制服に着がえさせることによって、公人に変身させようとしたのである。
 演劇において衣装が重要な要素になるのと同じと考えていいだろう。
 学校は舞台であり、子どもは制服の衣装を着ることによって、生徒という役に変身し、がまんして学習することが可能になるのである。衣装の他に、せりふ、演技が重要になってくることは言うまでもない。
 学校では、これらすべての小道具を校則としてまとめあげたのである。
 さて、このように考えてくると、教師にとっても服装が決定的に重要なことがわかるだろう。
 教師にとっても、学校は私的な空間ではない。自由な個人としてふるまうことによって教育ができると思うのは、単なる思いあがりでしかない。
 学校には与えられた役割と目的があり、教師はその目的を達成させるために雇われているのである。好き勝手に家庭教師をやっているのとはわけが違うのである。
 授業中うるさければ、どなってでも静かにさせ、そうじをサボッていれば、なんとかしてやらせる努力もしなければならない。
 つまり、教師としては、個人としてはやりたくないこと、嫌なことであっても、仕事としてやらなくてはならないことがゴマンとあるということなのだ。
 教師は自分たちで、お互いに厳しく律していかなければ、どんどん崩れていくものなのだ。
 私は自由、人権、平等、個人尊重などの民主主義の理念をしっかり身につけて大きくなった。
 教師になった時、このような理念を学校現場のなかに実現しようと勢いよく乗り込んでいったのである。
 しかし、現実は理念とことごとくぶつかった。理念を第一に考えて行動すると、授業はうるさくて収拾がつかなくなるし、教室はゴミだらけ、クラスは混乱状態となった。
 私は、自分の理念(生き方)と教師としての仕事の矛盾のなかで、何度も教師をやめようと思った。しかし、中途半端で投げ出すのはなんとも悔しかった。
 ギリギリ教師の仕事をやってみて、自分に無理ならその時やめてもいいと決意した。ちょうど30歳になっていた。
 それから10年、私は教師の仕事に徹する努力を必死に続けた。それは精神的にも肉体的にも非常につらいものであったが、40歳になってやっと、教師としての仕事をやり続ける自信がついてきた。
 そのなかで、教師としての仕事をやりきるためには、教師の服装が非常に重要であるということがわかってきた。
 私はそれまでのジーパンにTシャツというラフな私的なスタイルを捨て、ネクタイにスーツというスタイルに変えることにした。私的に生活している自分を、ネクタイ、スーツを着ることによって教師に変身させようとしたのである。
 これは、自分を教師に限定し、生徒や他の教師にも、自分を限定させるために大いに力があった。どんなに寒くてもYシャツにネクタイ、スーツでとおした。どんなに暑くてもネクタイははずさず、やせがまんした。
 掃除の時は、サッと更衣室でジャージに着がえ、終わるとまたサッとネクタイ、スーツになることを自分に強制している。演劇における早がわりである。面倒だと言い始めたら、舞台は成立しないだろう。
 おもしろいことに、そういうなかで、だんだん自分が教師を演じることができるようになったのである。
 個人のなまの力で、なにかできると思うのは思いあがりである。自分の好きなように自由にふるまって教師の仕事ができるのは、天才的な教育者にのみ許されたことである。
 私たちは、ただの人である。とすると、演劇と同じように、衣装とせりふと豊かな演技力が必要になってくるのである。さまざまに武装して、教師を演じるしかないのである。
 現在、はげしい学校たたきのなかで、自由が大きく学校のなかに入りこんできている。教師-生徒(教え-学ぶ)の関係をつくることが非常に困難になっている。
 しかし、どんなにむずかしい状況になっていても、私たちが教師の役割をしっかりと演じなければ解決など不可能なのである。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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仕事が趣味なら人生は天国だ、私は教師としての仕事を趣味にするように努力してきた

 私は教師になりたくてなったわけではない。母親が私を田舎に引き止めるために「教師になってくれ」と言われてなったのである。
 大学に入って教育の勉強を始めてみると、なかなか面白い。それに、小原国芳学長の人柄と講義の面白さにとりつかれた。これで完全に「教師になる」ことに決心がついた。
 教育実習でお世話になった先生が、これまた人格者で私は深く尊敬の念を持った。その感化を受けて、社会科へのめり込んでいった。
 教育実習に行って初めて専門性に目覚めたのである。それに、子どもと遊ぶこと、触れ合うことの面白さ、楽しさを実習で味わった。
 教育実習で、すばらしい先生とかわいい子どもに出会い、教師になることに喜びを感じるようになった。
 教師になって担任として出発してみると、教育実習のときに感じたような楽しさはなかった。思うように子どもは動いてくれず、悩みばかりつのる日々であった。
 尿の色が変わり、体調が悪くなった。食欲もなくなり食べ物を胃がうけつけなくなった。翌日は、体中が黄色くなり学校を休んだ。
 この時「教師という職業は、私の体に合わないのではないか」と思い、学校をやめたくなった。教師になって3か月目のことである。
 気分転換と趣味と子どもと仲よしになるという実益を兼ねて、月2回くらい、日曜日に子どもたちとあちこちへ出かけるようになった。これで気持ちが変わり、体調もよくなってきた。
 社会科の研究が面白くなってきた。少し勉強して授業を行うと、子どもたちの反応が違った。子どもたちのためにも勉強しなくては、と考えるようになった。
 バイクや車を購入して取材に出かけるようになった。これが楽しくてしかたがなかった。取材したところをスライドにしたり、資料にしたりして、授業の改善に取り組んだ。
 社会科の教科書にでている事例地へは、ほとんどでかけて取材した。自分で歩き、調べ、体験したことの中から「これは面白い」と思うものを教材化して、授業に提示した。今考えるとこれが教材開発だったのである。
 取材して面白い事実を見つけて提示すると、子どもたちが喜んでくれる。これがうれしくて、また取材に出かけるということを繰り返した。これが、私の「生き方」になっていることに気づいた。
 教材を開発しては授業を行い、授業をしてはその実践の事実を書くようになった。
 人間は、その時その時「楽しい、面白い」と思うことしか、しないものである。「楽しい、面白い」と思うことが、教師のするべきことと結びついたのがよかったし、幸運であった。
 教師として活動することは「子どものためになる」「子どもとかかわる」ことにならなければ意味がないし、価値もない。
 私は、常に「子どもを喜ばせたい」という願いをもっていた。このために「自分は今、何をすべきか」というように考えてきた。
 今すべきことが、自分にとって「楽しいこと、面白いこと」になるように努力してきた。これを切り離さないように気をつけてきた。
 つまり、趣味と実益を切り離さず、一緒のものとしてやるように努力してきたのである。
 私は、教師という仕事を「趣味」にするように努力してきた。子どもを教育することは、楽しいことだ、と考えるようにしてきた。
「考えるようにしてきた」ということは、楽しいばかりではなかったということである。それどころか、苦しいことや困難なことのほうが多かった。
 しかし、この困難なことや苦しいことを乗り越えたときのうれしさは、たとえようがなかった。困難なことに出会うと「うれしいことが待っている」というように考えてきた。
 こういう努力をしていると、誰かが、どこかで見ていてくれることを知った。
 わずか2ページの小文を一生懸命に書いた。知られるような雑誌ではなかったのに、明治図書の編集長から連載してくれと言われた時は、本当にびっくりした。
 公立小学校に9年勤めた後、2つの附属小学校へ25年勤めさせていただいた。誰かが、どこかで見ていて、入れてくださったのである。
 人を育てることほど楽しいことはない。物はつくってもなくなるが、人はどんどん成長していく。特に、子どもは大きく成長する。将来、どんな人になるか楽しみである。
 私は「仕事を趣味にする」ようになった。
仕事が趣味なら人生は天国だ。仕事が義務なら人生は地獄だ」という言葉がある。
 私は「仕事が趣味だから仕事をすることが一番楽しい。いくら遊んでも、私の仕事をする楽しさには及ばない」といった、心境である。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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教師の仕事のすごさとは、どのようなことなのでしょうか

 私はすごく単純だから、やる気のなかった子がやる気になったり「先生、分かった!」と言って、一生懸命、学習に取り組んで、表情がすっごくよくなったりするでしょう。
 そういう、ちょっとした子どもたちの変化を見ると、私の疲れが吹き飛んでしまう。
 教師がその子のことを、とてもよく考えているんだ、ということがその子にわかったとき、その子は変わります。
 子どもが変わると保護者も変わります。学校に振り向いてもくれなかった保護者が、いろんな会に参加してくれるようになったりすることがある。それがすごくうれしい。
 私は教師になりさえすれば、子どもたちを支配できるんだと思っていました。
 しかし、子どもは私に反抗し、子どもと取っ組み合いになって、私は便所に入って泣いた。子どもが可愛いなんて思わなかった。
 私が自然体で子どもに接することができなかったことへの、痛烈な子どもたちのアピールだったんだと思います。
 子どもたちは屈折していたりして、素顔が見えてくるまでに時間がかかりますからね。
 あのころ、私は「ここで辞めたら、何のために教師になったのか分からなくなる」と意地で続けました。
 問題行動をする子どもと関わらせてもらうなかで私は、成長させてもらったし、人間好きにさせてもらったっんだと思いますね。今では、本心から子どもがかわいいと思いますね。
 私が初めて四年生の担任になったとき、ある子どもとどうしても気持ちが通じなかった。どう接してよいか、やり方も分からないし、その子と接するたびに悲しくなって、泣きながら自転車に乗って帰ったこともありました。
 私は子どもにプラスの影響を与えられないと思うと、辛いし、辞めたほうがいいのかなあと思ったりしました。
 でも、子どもって変わるんですよ。全然やる気のなかった子どもが、何度か話をしているうちに「先生、私、実行委員やってみる」と言い出して、どんどん変わっていく。
「私との関わりで変わってくれたのかもしれない」と思うと、ものすごくうれしい。教師という仕事はすばらしいと思ってしまいます。
 この前、教え子が手紙をくれたんです。その子はあまり勉強ができなかったんですけれど、今、うどん屋で働いていて、仕事はきついわけ。
「でも先生、私はね、先生のクラスだったときのことを思い出すと、頑張れる」と書いてあるの。ジワーッと心にきました。
 教師の仕事は、その子の人生に決定的な影響を及ぼすことがある。子どもは大人と違って純粋ですから、これが教師の仕事のすごさですよ。
(
松下光志: 別冊宝島編集長
)

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自然の本質にふれ合うと、子どもの本質とふれ合うことができ、子どもの事実を動かし、子どもをよくしていくことができる

 私は、私が歌人であったことが、教育の仕事のなかでどんなに役に立ったかわからないと思っている。
 自然をよくみることは、子どもをよく見つめることと同じだからだ。
 自然と心をふれ合わせることは、子どもとか、同僚の教師とかと、心をふれ合わせることと同じだからだ。
「自然の本質」とじかにふれ合うことができるということは「子どもや同僚の教師の本質」と、じかにふれ合うことができるということだからだ。
 正岡子規が明治33年につくった歌
真砂なす数なき星のそのなかに吾に向かいて光星あり」
という歌がある。
 私はこの歌がすきで、よくそれを口ずさみながら、星をみたり、草や木をみたりするが、真砂のようにたくさんある星のなかから、自分と心を通い合わせている星を持つことのできる人間に私は感動する。
 こういう自然との心の通い合いのできる人間であってはじめて、子どもとも心を通い合わせることができるのだ。
 教師はもっと自然をよく見、自然から学び、自然と心を通い合わせ、自然や人間の本質と、じかに交流できるようになる必要がある。
 自然や人間から豊かに、ものを学びとり、自分を豊かに変革していけるような謙虚な人間になる必要がある。
 教育という仕事は、具体的な子どもの事実についていき、具体的に子どもの事実を動かし、子どもをよくしていかなければならない仕事である。
 事実をつくりだしたり、事実を動かしたりするためには、それまでに自分が持っている、知識とか経験とか技術とかを総動員して、立ち向かわねばならない。
 それとともに、事実にしたがって、あたらしく創造もしていかなければならないものである。事実はいつも同じだとはかぎらないからである。子どもの事実にしたがって考え、創造的な仕事をしていかなければならないものである。
 教育の仕事は、教師の精神の飢えを感じることによってつくり出されていくものである。
 絶えず自分自身や子どもたちの現実に対して飢えを感じ、そこから抜け出そうとして、何かを求め続けることによって、はじめて創造は生まれるからである。
 飢えを感じないということは、現状に満足し、停滞し固着していることであり、自分自身や子どもたちの現実に鈍感になっているということである。
 これでは、創造的な教育の仕事などとおよそ関係のないところにいるわけであり、子どもを固着させ、停滞させてしまうだけである。
 そう考えると、自分自身や子どもの事実に対して飢えを感じるということは、教師としての一つの重要な資質となると考えてもよい。
 飢えを感じることがあってはじめて、きびしく仕事をしていくことができるからである。また、一つの地点に到達したときも、その地点での新しい飢えをつくり出し、さらに別の世界を追い求めていくようになるからである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)


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教師の仕事が苦手な人が、ステップアップし、人気のある教師になるためにはどうすればよいか

 子どもも保護者も、まずは「教師という仕事に本気で取り組む、元気で明るい教師」を求めています。教師という仕事に生きがいを抱き、人生を生きてほしいものです。
 教師が疲れていたり、沈んだ表情をし、怒りやすかったりすれば、子どもたちに影響を与えます。
 教師として満足いく仕事をするために、心と体の健康が一番です。健康な体をつくるための心得は「早寝、早起き、朝ご飯」が教師にも当てはまります。
 性格的に悩みやすい教師は、仕事以外の世界(趣味や娯楽、教師以外の人間関係)に自分の居場所を持つことも、一時的にはやむを得ないでしょう。
 教師という仕事は、どこまでやればよいということは、はっきりできない仕事です。要は、いかにメリハリのある仕事術を身につけるかということです。要領や段取りの悪い教師は、人気教師にはなれません。
 人気教師は、人気人間にもつながります。大人としても魅力度の高い人間になってください。
「えこひいき」しない態度こそ、人気教師への第一歩です。
 コミュニケーションで最も大切なことは「えこひいき」しない態度を一貫してとることです。
 どうしても、素直で明るい子、ものわかりの早い子、可愛い子を教師は好みますが「どの子もいい子なんだ、公平に扱おう」と自分の心に呼びかけるようにしてください。
「この子は〇〇だから」と決めつけることも誤りです。
「この子は落ち着きがない」「うそを言ったことがあるから」とマイナス面ばかりを見たり「△△さんは、ピアノがうまいから演奏してね」とその子の実力以上の課題を与えてしまうこともあります。
 子どもにレッテルをはらず、常に自然体で接するように心がけたいものです。ほかの子と比べたり、できて当たり前という見方ではなく、その子の力で「ここまで、できたね」と認めてあげることがポイントです。
 子どもの話を聴いてあげ、子どもの言ったことばをオウム返しのように繰り返してあげることで、子どもは「先生は、話を聞いてくれている」という安心感を抱くようになります。
 さらに、教師が「いつも、心配しているんだよ」と、自分の気持ちを子どもに伝えると、子どもが「先生に心配をかけたんだ」、「じゃあ、どうしたらいいかな」と自分で考えるきっかけとなります。 
 連絡帳に保護者からの連絡コーナーを設けることも大切です。(学級通信の末尾に設けてもよい)
 プライベートな問い合わせや急ぎの用事でない保護者からの連絡事項などは、子どもの連絡帳に書いてもらうように、お願いします。
 そうすることで、連絡帳を介した保護者と教師との見えないつながりをお互いに意識できます。
 小学校の教師は多くの教科を受け持っています。授業で勝負する人気教師ほど、教材の収集には熱心です。
 理科で電池の仕組みを教える場合、電池を数種類準備しています。社会科で江戸時代の学習する場面でも、参観交代の様子が描いてある和菓子の包装紙を持っていたりします。
 人気教師は学習内容に応じて教材が用意できる、豊かなストックを持っているものです。
 授業の名人と言われた教師が、大型(A3)の封筒を教室の棚に置いておられたことを思い出します。
「中身は何ですか?」と尋ねると「古い新聞記事や、教材に使える各種のパンフレット類だよ」と教えてくれました。
 短い期間では収集できないが「これは教材にならないかな」という目で日常生活を送っていれば、案外見つかるものです。
 資料の一部を隠して提示することによって、注目させるやり方があります。
 例えば、社会科で、日本の水産業の学習で、漁獲高の推移を示す折れ線グラフを、ある年代から先を隠して黒板に貼り、
「この後、遠洋漁業の漁獲高はどうなったでしょう?」
と問いかけるのです。
 歴史の学習でもこの方法が使えます。絵巻物や絵図の一部を隠して提示すれば、子どもは隠された部分に関心を持ちます。
 このように、教材提示の方法を工夫することで「じっくりと見て、考える力」を育てることができます。
 人気教師のクラスは話し合いも活発です。特に国語や社会などでは「話し合い」が学びの基本になります。
 学級全体で「話し合い」を深めていく場合、子ども同士で意見のやり取りを円滑に進めるために考案されたのが、挙手するときの「ハンドサイン」です。
「わかった(5本指)」「わからない(グー)」「質問(3本指)」「賛成(2本指)」「つけたしの意見(1本指)」の5種類があります。
 これを図にして黒板の横に貼って確認させながら挙手をうながすと、積極性が育まれます。小学校3年生くらいから導入できます。
 教師は、ハンドサインの形を眺めて「質問」や「つけたしの意見」などの子どもが何名であるかを即座に把握します。
 話し合いの状況を見て、最初にどのサインを取り上げるかを判断します。
 授業への参加をうながし、話し合いの視点を深めるために「質問」や「つけたしの意見」を最初に当てれば、うまくいきます。
 社会科の授業で「秀吉が行った刀狩りは良い政治と言えるでしょうか?」などと質問し、ハンドサインで答えさせると「考える」授業にも導入できます。
 さらに「わたしは反対の意見です。その理由は・・・・・・」と、自分の意見をはっきりとさせ、理由も述べさせる指導をこころがけたいものです。
 人気のある教師になるためには、キャラクターグッズがあげられます。
 子どもの提出物に、特注で自分の顔をキャラクターにしたスタンプで、確認の印を押すのです。
(
寺本 潔:1956年熊本市生まれ、筑波大学附属小学校教師、愛知教育大学教授を経て玉川大学教授。中央教育審議会専門委員(社会)等を経て日本社会科教育学会評議員)

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若い教師が、難しい場面も苦しくならずに乗り切るためのコツとは

 若い教師は、まず、子どもたちと接するのと同じように、保護者とも早めにつながることを意識するとよいでしょう。
 懇談会が苦手であれば、学校の子どもたちの様子を写真をスライドにして流すなどして、伝えるとよい。保護者とつながるよい方法は「よいことで電話をする」ことです。教師のことを信じてくれる保護者は増えると思います。
 子どもたちはキレたり、暴れたり、泣いたり様々なことをします。子どもたちは、うまくいかなかったことがあったり、苦しんだりしながら成長していきます。
 子どもたちが何か問題を起こしても「よし、子どもが成長できるチャンスだ」と思って指導できるくらいの気持ちで臨んでいきたいものです。
 クラスで気になる子どもは必ずいます。その子しか意識できなくなり、叱ってばかりいると、クラスはどんどん悪い方向へすすんでいきます。こうしたときほど、一人の子に固執しないことが大切です。私は叱らないで関わる時間を増やすようにしています。
 そんなときほど、周りの子を見るという意識を持つ必要があります。クラス全体に指導していくことが大切です。指導の仕方を工夫し、ほめたり、促したり、誘ったりしながら、子どもたちが納得できる方法で行いましょう。
 休み時間は様々な方法で子どもたちと関わってみましょう。遊んだり、子どもたちの興味関心のあることをおしゃべりしたりすると、子どもたちとのつながりも強くなります。
 保護者でも同僚でも、自分の応援してくれる人を増やしていくようにします。とにかく、報告・連絡・相談をして、いろいろな人に聞いて学ぼうとする姿勢を大切にしてください。謙虚に一生懸命に頑張っていれば、応援してくれる人は増えていきます。
 学ぶ姿勢がなくなったら、教師としては失格だと私は考えています。勉強だけでなく、あらゆることを学びたいという気持ちがかかせないのです。
 授業には様々な方法や考え方があります。その方法や考え方にしたがって取り組んでいくと、必ず成果が出てきます。しかし、気をつけなくてはいけないのが「子どもたちが見えているか」です。
 どんな素晴らしい方法でも、「いつもそうやってきたから」と疑問をもたず、その方法のために子どもたちを動かしてしまってはいけません。
 大切なことは、子どもを第一に考え「子どもたちのために方法や考え方がある」ということです。
(
長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立小学校教師、岐阜県公立小学校・中学校教師を経て京都市私立小学校教師。2004年に「第40回わたしの教育記録」(主催/日本児童教育振興財団)新採・新人賞を受賞。授業づくりネットワーク理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、『教師になるには』編集代表、クラス・マネジメント研究会代表)

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教師にとって本物に出会い、実践の根底に流れる原理を持つことが重要である

 教師は本物の優れた教師に出会うことが大切である。
 宮城まり子()は「人間は生まれたときから、本物に出会いつづけないと、将来もののよさが分からない人間になってしまう」と言っている。
 このことは教師をめざす学生にもあてはまる。彼らがほんものの教師に出会うことが、大切で重要な意味を持っている。私はそういう認識のもと、学生たちに斎藤喜博と深く出あわせるよう努めてきた。
 私は授業でビデオ「教える-斎藤喜博の教育行脚」を学生に見せる。学生はつぎのように書いている。
「教育とは、教師と子どもが手をつないで旅をすることと同じことだと思います。教師が子どもたちに声をかけながら手をさしのべることによって、子どもは困難を乗り越えられるのだと思うのです」
 充実感を授業の中で子どもたちに味わわせ、子どもと一緒に教材の世界を旅していくのが教師の仕事なのだ。
 その教材を通して、子どもたちが今いる世界から、もっとすばらしい世界、心のゆたかになる世界へと、困難をともにしながら旅をしていくことであろう。
 教育は「教師対子ども」で行われるものではなく、「人間と人間」でするものなのだ。そうしたことが一番難しく、それでいて一番価値があるのではないか。
 ふつうの教室でよく見られる「先生と子ども」という上下関係を斎藤の教室では見いだすことができなかった。
 その代わりに、一人の教師が子どもたちと人間として対峙し、追求をしている姿を学生たちは発見していった。
 
「先生と子ども」の関係でなくて「人間と人間」の関係で教育を行うことが一番難しいが、一番価値があるのではないかと思う。
 ユニークな実践者であった小松田克彦(元埼玉県公立小学校教師)は、斎藤喜博が生前、自宅で開いていた第三日曜会という研究会の常連であった。
 小松田学級の生活の原理は、単純明快である。それは第一に「ていねいにものごとを行う」こと。第二に「周りの人たちと心をかよわせること」である。
 この二つの原理は、国語をはじめすべての授業の中や学級生活のあらゆる場面で貫かれる。子どもは自分をそして仲間を高めていく。子どもの言動がこの原理からはずれると、厳しい叱責の言葉が飛ぶ。
 学級が「学びの共同体」として心地よく存在するために、この二つの原理は、ことあるたびに、子どもたち全員で確認をされていた。
 大きく息を吸い込み、一語一語の言葉が暗示する世界を心にえがきながら朗読する子ども。教室には、あたたかい空気が広がり、心の中にやわらかく朗読がしみいってくる。
 
「跳び箱とお話ししてから、飛ぶんだよ」との指示に示されるように、子どもたちは、ともだちだけでなく、まわりのすべてのモノとも心をかよわせ、自分を高める努力をしている。
 
「子どもの心をしっかりと育てれば、自然と子どもの行動はよくなる」(斎藤喜博著作集第1巻:教室愛,教室記)と斎藤喜博が述べているように、教師が子どもに育てるべきことは、人やものごとと向き合う心である。
 小松田がしていることは、一人ひとりの子どもに、人間として行うべき道を示すこと。その原理が「周りの人と心をかよわせ、ていねいにものごとを行う」ということであった。
 すぐれた教師は、その実践の根底に流れる原理を明確にもっている。生活の原理が確認できない時、子どもの成長は崩れる。
 子どもに示される原理が普遍性を持ち、教師自身の生き方の中に生きているとき、子どもはその学級の一員として、教師とともに生きていく。 
(
佐久間勝彦:1944年生まれ、神奈川県川崎市公立中学校教師、千葉経済短期大学教授、千葉経済附属高校長、千葉経済短期大学長を経て千葉経済大学学長)
(
)宮城まり子:1927年 東京生まれ、歌手、女優、映画監督として活躍、1968年日本最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」設立。総理大臣表彰、広島大学「ペスタロッチ教育賞」、「東京都文化賞」、尾崎行雄咢堂賞、「石井十次賞」等受賞。ねむの木学園で理事長として教育の現場に立ち、生涯学習を基にした「ねむの木村」を運営する)


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教師は自分の仕事をどのようなものだと思っているのか

 学校で大事なことは、子どもが勉強して学ぶこと。そして、それを通じて子どもが自立の精神を身につけて社会に出ていくこと。この二点です。社会に出れば、すべて自己責任で、自分で決めなければなりません。そのトレーニングする場(自治活動など)が学校のもうひとつの使命です。
 
「子どもが好きで先生になった」という言葉をよく聞きます。子どもが好きというのは、当人は気がつかないが「自分の言うことを素直に聞く」「自分の思う通りになるから」好きと言っているのと同じです。
 ちょうど、よく飼いならしたペットを可愛がる飼い主と同じ程度の心境なのでしょう。こういう人は、飼い主に手を噛まれてみて初めて、犬だって噛むのだ、ましては人間においてをや、と覚るのではないか。
 
「子どもが好きだから」先生になった教師は、好きな子どもだけ周囲に集めるような心性が生じてきます。中心に教師である自分がいないと気が済まないから、言うことを聞かない子どもを自然に遠ざけることになる。子どもに対するエコヒイキはここから生じます。
 教師になろうとすれば、教職の悪い面もしっかり見据えることが大事です。よく「結婚する前は両目を開いて相手をよく見なさい。結婚したら片目をつむり悪いほうを見ないようにしなさい」と言うでしょう。職業選択も同じだと思います。
 私は弁護士や医師と同じように教師も客商売に違いはないと思っています。弁護士は依頼人が、医師は患者が、教師は学習者が、来なければなりたたない商売です。それであるにも関わらず、客を客とも思わないところがあります。
 教師は公務員であり、全体の奉仕者です。公務員は税金で食べさせてもらっているから、国民に奉仕する精神を持つべきものです。学校は生徒や保護者に対してサービス精神を持ってもらいたい。
 私は塾、予備校の校長も経験したので、よくわかっていますが、学習者が教師を選び、学校を選ぶのは当たり前なのです。お客さんが来てくれないと、潰れてしまうし、クビになってしまうんですね。
 だからいちばん苦労するのは、お客を集めることです。特に二月三月は毎年、胃が痛む思いをしたものです。客の入りが悪ければ、即座に教職員のリストラにもつながりかねない。教職員も必死です。生活かかっていますから。
 ところが、公立学校の教師はお客が来なくなったら統廃合すればいいし、教師は異動すれば良いからクビにはならないんです。親の悪口を言っても成り立つ商売が公立学校で、塾・予備校などは親の悪口を言ったら成り立たない商売なのです。この違いは大きいですね。
 新採の教師が夏休み私のところに遊びにきて「保護者とつきあうのは本当にシンドイ」と。そこで私は言ったのです。
「教室で子どもたちに教えることだけのために、給料が払われているのではないのですよ」
「じつは、その背後にいる保護者に、きちっと説明ができるというサービス料も給料の半分くらいは入っているのではないですか」と。
 ところが、教師本位の教師ほど「子どものことは私に任せておけ。親がいろいろ言ってくるのは余計な仕事が増えるだけだ」と思っています。ところが期待や信頼を裏切ると問題が生じるのです。コミュニケーションをとるうえでの責任がある。
 日頃から、よく保護者の声に耳を傾けて、コミュニケーションを取っていれば、その教師に対して親が攻撃的に出てくることは少ないと思います。
 NHKの「ようこそ先輩」という番組がありました。教員免許のない人でも「サービス精神がある」から良い授業ができるのです。ふだんから「お客(市場)に鍛えられている」からです。
 たとえば、一流デザイナーが母校で授業をする。デザイナーの力量は、お客さんが「この人のデザインが良い」と支持してくれるからでしょう。授業も聴いてくれるお客(生徒)に理解してもらおうと考えるから、良い授業ができるのです。
 やはり授業で大事なことは、まず聴いてもらうということ。聴き手が聴いてくれなければ話にならない。聴いてくれないなら、話し手は反省しなければならない。基本的には、教えるほうが、子どもの反応を受け止めて話を進めなければなりません。
(
戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

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教師の仕事に「メモ」を活かすことで、仕事が速くなり教育活動も充実できる

 教師の現実は超多忙の日々であり、毎日、アクセク働いているのに能率が上がらない。この現実の中にあって、少しでも多忙から脱出できる解決法は、教師の仕事にメモを効果的に活かすことである。ゆとりも生まれ、教育活動も充実できるはずである。例えば、
 教育ノートをつねに持って会議にのぞむ。他人の話を聞きながら要点を箇条書きにし、自分流の記号をつけて構造化し、自分の意見やアイデアを脇にメモする。それらを基にして、自分の意見を述べる。だから説得力もある。
 毎日の授業計画も、そのノートにメモし、見通しを立てたり、実践の構想やアイデアを書きつける。授業後の子どもの感想メモなどは縮小コピーをとってはりつけておく。時には、子どものノートもコピーして貼る。そのノートを見ると新聞の切り抜きなども貼られている。
 手帳も常備し、日々の予定が色分けしてメモされている。処理したことは順次消していく。従って提出物も期日通りに処理され、仕事もスピーディーに処理されている。だらだらとした仕事ぶりは見られない。他から見ていても、じつに気持ちがよいくらいだ。
 人と話をしていると、いい話題がとび出すことがある。新聞やテレビからも「あれ!」「そうか、なるほど」といったことがとび込んでくる。通勤電車でヒラメキが出ることがある。そうした身のまわりに生起する情報をメモする教師と、そうでない教師では、雲泥の差がでてくる。
 また、授業のとき「あの子がそんなことを考えていたのか」と意外に思うことがある。授業外でも子どもたちは様々な行動と姿を見せてくれる。日々子どもの発見だ。これらもまた、メモをしないとすぐ消えていく。
 教育の仕事とは、情報キャッチと情報発信の営みともいえる。この情報の受信と発信を有効に処理するのが、メモ術なのである。
 日々の授業づくり、教材準備、子ども理解もすべて、情報の収集、分析、加工によって成立する作業である。
 学級・学年経営、さらには学校経営を企画、デザインするにも過去のデータに新しい情報を付加してこそ、創造的な設計図がつくれる。
 情報収集とは、メモによる頭脳労働のことだ。必要な情報を正確にキャッチするためには、メモの手段を常に身の回りに用意しておく必要がある。洋服やカバンに、手帳とメモカードを。教室にはメモカードと教育ノートを。こうして情報収集のシステム化をはかる。
 仕事の速い教師は、時間管理が上手なのである。仕事の優先順位が常に明確なのだ。時の流れに身にまかせて生きていない。限られた時間をきちにと自己管理して、仕事をスピーディにこなす。だから時間のゆとりも生まれ、プライベートな時間もつくれる。
 授業づくり、学級づくりは、企画であり設計である。何の情報やデータのないところからは、創造的な企画は生まれない。
 企画、設計を支えるのが情報である。その情報は、メモとしてストックされていないと使うことができない。
 例えば、教科指導の年間プランを構想するとき、必要なメモや情報は
・過去の教科実践のメモ、・実践記録()、・教材プリントのファイル、・研究会で得た実践事例メモ、・他者の実践レポート、・公開授業研究会でのメモ、・教育雑誌からの実践例、・同僚から学んだ実践メモ
のようなメモや情報を参考にして、子どもの実態、自分なりの発想がプラスされて企画するのである。 
(
佐々木 勝男:1944年岩手県生まれ、元神奈川県公立小学校教師。元岩手大学教育学部非常勤講師。歴史教育者協議会所属)

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教師として、誰もが心得ておくべき基本的なこととは何か

 教師の仕事ほど手を抜くこともできれば、きりのない仕事もありません。教師の仕事で一番素晴らしいことは、成長する子どもを預かっているという点です。一生懸命に子どもに尽くした先生のことを、子どもたちは決して忘れません。これこそ教師の生き甲斐です。
 日常「私は教師なんだ」という意識と誇りを強く持って生活する必要があります。自分で選んだ職業です。実りあるものにしましょう。
1 子どもに接するとき
 子どもに接する教師は、常に明るく朗らかであること。暗く沈んだ教師のクラスは陰気で冷たいものです。また、毎日、同じ態度で子どもに接します。教師のムラ気は子どもを混乱させます。
 子どもを一人の人間として尊重し、深い愛をそそぎましょう。親にも劣らない深い愛情を注ぐことのできる教師こそ本当の教師です。子どもを共感もってうけとめるようにしましょう。 
 教師は子どもにしゃべるとき、口をしっかり開け、語尾までしっかり言いきって話しましょう。子どもの目の位置までしゃがんで、すてきな笑顔で、温かく、短く、さわやかに。どの子どもにも公平な言葉がけを心がけましょう。
 教師の感情が高ぶっているときや、忙しいときは、特に深呼吸してから、子どもに対応してください。
2 保護者に接するとき
 言葉づかいに気をつけます。正しく、はきはきした言葉で話します。余計なことは言わないようにします。わかりやすい話し方は親に安心感を与えます。要点をおさえて、わかりやすく話す工夫をしましょう。
 親の心をわかろうとします。親と共感して、子どもの成長を親と共に喜びとしていきましょう。話させ上手は聞き上手と言います。親に話を向けましょう。子どもの悪口をならべる教師は信用を失います。
3 同僚や先輩、管理職に対して
 年長の教師には、敬愛のあふれた接し方をすると、あなたの人格が光ります。
 仕事の報告・連絡・相談(ほうれんそう)を確実にする。指導・助言を受ければ、お礼の言葉を言って、実践で示す心がけを。教えられるのを待つより、教えを請い、自ら求める意欲を。われ以外みな師なり、真似しよう。
 同僚から愛される教師に。明るく率直で、素直、活力あふれる行動。注意されたことに感謝する謙虚さをもちましょう。
 人間の縁を大切に、一期一会は教育の世界にいればこそ大事にするように。
 学校というところは、いろいろな宴会のあるところです。酒の飲み過ぎで、くずれたりして昔から酒で失敗した人がたくさんいます。自分の飲める量を自覚し、品性を失わず、ふだんと変わらぬ態度でいられるようにしましょう。
 街の酒場で教師同士、仲間や管理職の悪口は厳に慎むべきことです。周囲には、どんな人が聞いているかもしれません。他の人のひんしゅくを買うような言動はやめましょう。
4 地域の人々
 地域の人は教師を見ています。どんな教師が来たか。常識があるか、実践力はあるか、地域をどう見ているかと。
 地域の教育力はボランティアの人たちでささえられていると言えます。お礼の言葉を忘れずにすると、地域の学校への理解が強まります。
 地域の人々に対する言葉づかいは、ていねいでなくてはなりません。保護者ではないからと、つい安心して、ぞんざいな言葉づかいをすると、すぐしっぺ返しを受けます。丁重であるに越したことはないのです。
5 家庭訪問
 教師のしっかりしたあいさつ、ていねいな対応は人格の表現です。気をつけたいことは、親しみやすい服装、話し方です。
 家庭訪問では、聞き上手な訪問者になろう。「おうちでどんな遊びをしていますか」「お友だちは」とか、家庭生活をそれとなく聞き出す。「今、困っておられることはありませんか」と希望を聞き出す。
 子どものよい点をほめるとき、他の子と比較した言い方は、教師の信頼を失わせます。当人だけのことを話し、他の子どもの話を言わないようにします。
 子どもの個性を認め、子どもの好きなことを聞き、学校で「伸ばしてあげたいと思っています」と言って教師がサポートし、子どもに意欲をもたせるようにする。
6 電話の応対
(1)
電話を受ける
 電話を受けるとき、あなたは学校の代表者です。誠実で確実な応対を。誰からか、わからない電話のときは、笑顔でさわやかに「はい、○○小学校です。お世話になっています」と、活気のある声で話します。明るい学校の印象が伝わります。
 
「○○は、ただいま授業中でございます。ご伝言でよろしければ、伝えます」と、伝言を頼まれたら、メモで確実に伝えます。学校の信用にかかわります。
 問い合わせは、教えられない場合があるので教頭の判断を仰ぎましょう。
 抗議の電話がかかってきたら、話の腰を折らないで十分に話を聞き、教頭に報告します。「では、すぐお宅へ伺って、お話をお聞きいたします」「十分指導し、再度ないようにします。指導の結果をお知らせします。よろしかったら、電話番号とお名前を・・・・」と、迅速に対応するようにします。
(2)
電話をかける
 電話をかけるときの言葉づかいはふだんより丁寧にします。顔が見えませんから、意思が通じにくくなっています。誤解を生む表現などは特に気をつけましょう。威圧的や押しつけになってはいけません。
7 あいさつ
 朝の元気のよいあいさつは、人の心も自分の心もすがすがしくします。だれでもできる簡単なことです。こちらから先に声をかけるとよい。だれにでも、大きな声ではっきりと。笑顔があればさらにすきです。「おはようございます」の次に続ける言葉を工夫しましょう。
 退勤時には「お先に失礼します」と、ひと言あいさつして帰りましょう。帰る教師からあいさつされたら「お疲れさまでした」とあいさつを返しましょう。
 その日、特にお世話になったら、帰りのときに「お世話になりました。ありがとうございました」と、お礼を言いましょう。
 礼のあいさつの仕方は
(1)
立礼のあいさつ
 男子の場合、中指をズボンの縫い目につけ、足はかかとをつけ、つま先を少し開いて立つ。一度相手を見て、首はまっすぐにし、腰のところでくの字に曲げて礼をする。
 女子の場合、足をそろえて、手は前に、首、背中は自然に丸く曲げて礼をする。体を起こした時は、手は元の横に戻す。 
(2)
座礼のあいさつ
 手はひざに置く。畳に手を置き、人指し指と親指で正三角形をつくる。指の三角形の中に額を入れるように頭を下げて礼をする。
8 子どもの事故
 子どもの事故防止で大切なことは、予測をたてて、事前に指導することです。もし予測がたつのに指導していなかったら大きな責任になります。事故防止のため、くり返し指導しなければいけません。
 子どもがケガをしたときは、同僚に助けを求め、まず保健室に連れて行き養護教諭に応急手当をしてもらいます。病院へ行くようなケガのときは、まず子どもを救う方策をとります。管理職に報告し、親にも連絡します。親に引き渡した後で必ず家庭訪問し、お見舞いに行きましょう。
 管理職への報告は、真実に基づいて報告することです。校長は報告に基づいて教育委員会へ報告します。重い事故の場合、指導いかんによっては、教師に責任を求めるケースもあります。
9 教師の病気
 ふつうの病気の場合、年次休暇をとって完治するのを待ちます。授業やクラスのことを学年や管理職等によく頼んでおきます。
 産休は、産前産後の休暇がとれます。手続きをしたり、補助教員を探したりする時間がかかります。妊娠を確認したら、早めに申し出るようにしましょう。
 病気が長引くと、年次休暇では処理できません。病気欠勤になります。診断書も必要ですし、代替教員が必要になります。早めに報告しましょう。
(
中嶋公喜:小学校校長、東京都学級教育研究会会長を経て顧問)

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