カテゴリー「学級の荒れ」の記事

学級の荒れたときに「これが大切ではないか」という声とは何か   坪井 祥

 坪井 祥は、学級の荒れを経験した教師から「これが大切ではないか」とつぎのような声があがっていると述べています。
 子どもたちの悪いところをさらりと受け流して、子どもたちのいいところをよく見る。
 気になって仕方がなかったことを笑って見るぐらいのゆとりが持てたらなと思っている。
 どうしようもないときは誰にでもある。
 教師は何でも自分がしなければならないと思っているが、困ったら「何とかして」と言うべきだ。
 しょい込まないこと。
 そんなときは休んでみることだ。
 そして、遊ぶ、どこかに出かけることだ。
 休んでいることで子どももほっとするのではないか。
 問題を抱かえているときは、ものすごく視野がせまくなる。
 子どもの悪いところがすごく目について自分自身が落ち込んでくる。
 そんな弱点をカバーし合えるのは学年集団だと思う。
 学年担任で何ができるかということを考えた。
 大変な学級の担任だけが落ち込むというのではだめだ。
 状況を打開するのは、何といっても「楽天性」です。
 自分が悪い、何をしてもうまくいかない、と暗く深刻な顔をして子どもたちの前に立ったら、それだけで子どもの心も暗くなります。
「そのうち何とかなる」「私一人じゃないんだ」と明るく考えることができれば、解決への糸口を見いだせるかもしれません。
 教育の原動力は教師の人間性です。
 あわただしさから人間性が枯渇したら問題です。
 教師の生活に「ゆとり」がなくなったら、いい教育ができないのは当たり前のことです。
 荒れを経験した教師に話を聞くと、驚いたことにどの教師も
「卒業後に荒れた子どもに会うと、いまは落ち着いていて、元気に声をかけてくれました」
 と、いった返事がかえってきたのです。
 すべての子どもがこのような状態でないにしても、多くの子どもたちにとっては「荒れ」は発達のための通過儀礼であったのかもしれないのです。
(坪井 祥:元大阪府公立小学校教師。授業研究所元専務理事)

 

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学級が荒れないようにするポイントとは

 学級が「荒れる」までには、必ず「小さな問題」が発生する。
 この時、その日のうちに解決する、特別な場合を除きクラス全員で解決するようにする。
 なぜ、その日のうちに解決するのかと言うと、時間がたつと忘れてしまう。また、感情のもつれがひどくなることがあるから。
 クラス全員で解決するのは、子どもたちは事件からさまざまなことを学ぶからである。
 小さな問題ひとつひとつにいて、教師は見逃さず、いい加減な対応をしないことが肝心である。
 これをいい加減に行ったり、怠ったりすると、子どもと教師の「人間関係」、つまり「信頼関係」が崩れることになるからである。
 そのためには、まず「事実確認を怠らない」ことである。
 まず、当事者の子どもを呼ぶ。そして、ひとりずつ、何をしたのか、何を言ったのかを言わせるのである。
「どうしたの?」「何と言ったの? 言ってごらん」と優しく、そして静かにきけばよいのである。
 高圧的に、詰問するように行う必要は全くない。
 いたずらに感情的になって「事実確認」をすると、事実が確認できないということにもなりかねない。
 ひとりの子が言い終わった後に、次の子というようにするのである。
 これによって、子ども同士の「言い分」に矛盾が生じてくることがある。
 それについて、どうなのかきいていけばよいのである。
「どんな状況だったのか」をクラスの子どもたちに理解させ、そのあと、「どのような言動をすべきだったのか」について考えさせる。
 無理やり一つにまとめる必要はない。
 最後に「先生はこう思う」と言って、終わる。
 ざわついて教師や友だちの発言が聞けないときがある。
 人の話に集中させるには、きっぱりと「全員、起立!」と言って立たせる。
「話を聞くときの約束を思い出した人は、音をたてないように座りなさい」これで、集中して聞くことができるようになる。
 もちろん、「口を結んで、最後まで聞く」「話し手の目を見る」などの約束事は事前指導しておく。
 この方法のよいところは、行動を責めたりしない。
「約束を思い出した人」と行動の主体性を残している点である。
 学級が荒れる原因のひとつに、教師が子どもたちに対して、教師の尺度で要求し、一人ひとりの子どもたちの違いを考慮することがない場合が考えられる。
 子どもたちに対する要求は、一概にまずいといえるものでもないが、時として、教師と子どもたちの人間関係・信頼関係を損ねることにもなりかねない。
 つまり「ああしなさい」「こうしなさい」式の「指示と命令と禁止だけの要求」であっては、子どもたちは動かない。
 学級の雰囲気をこわさないで忘れ物を少なくするには、忘れた子を起立させる。
 忘れた理由を言わせる。
「明日から気をつけなさい」と毅然とした態度で注意する。
 これだけである。あとは何もいわない。忘れ物をした子は「しまった」と思っているものである。
 これで十分反省の指導になっている。
 感情的な説教や文句は、必ずといっていいほど学級の雰囲気をこわし、忘れものの数は減らない。
 そればかりか、学級の人間関係もこわしかねない。
 教室の整理整頓を自覚させるのに録画を活用するとよい。
 子どもたちが音楽室などに移動した後、教室の机や椅子が乱れ、ごみが落ちていたりすることがある。
 注意するだけでは、その場限りの効果しか望めない。どうすればよいか。
 乱れている机や椅子の様子を録画し、子どもたちに見せるとよい。
「きみたちが教室を出たあとの様子を見せます。気づいたことを頭の中にメモしましょう」と言って、録画をテレビで見せ終わった後、子どもたちに「机が曲がっている」「紙くずが落ちている」など発表させる。
「これから、教室を出る時に、しようと思ったことを言いましょう」と全員に言ってもらう。
 効果を確かめるため、次に教室が移動した後も録画して、前の映像と比べるようにして見せる。
 たったこれだけのことで、整理整頓を意識し始める。その効果には継続性がある。
 集団で何らかの活動をやっている時、自分の思いどおりにならないことに腹を立てて「すねる」ことがある。
 この時、なぐさめたり、叱ったり、つれもどそうとしたりすると一時的に気分がおさまるかもしれない。
 しかし、まわりがなんとかしてくれるという甘えを助長させることになる。
「すねた」子どもには、こう対処するとよい。
「すねる」その子をほっておく。
 すぐに楽しい活動をする。すねている子は気になって何度も見る。少し声をかけてやる。活動に参加したことを後でほめる。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭。全国学級づくり研究会・学級づくり中央研究所代表。子どもたちの集団自治力を高め、生き生きと活動する「学級づくり」を目指して実践を重ねています)

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荒れた学級に正義を取り戻し、クラスに誇りを持たせるためにはどうすればよいか

 教師に反抗してくる子どもを押さえられなければ、学級は正義を失います。
 正義が失われると、子ども同士注意しなくなり、自分勝手な振る舞いを続けていくことになります。
 教師の目は、どうしても荒れている子だけに向いてしまいがちです。
 荒れている子のために壊されていると思うと、イライラします。
 しかし、学級をよく見ると、荒れの外側にいる子どもたちはけっこう楽しんでいるということがあると思うんです。
 私はクラスの子どもたちの関係を見るためにクラス地図を描くんです。
 荒れたクラスには、
(1)Aグループ(荒れる子どもたち)
(2)Bグループ(荒れの外側にいて黙っている子どもたち)
(3)Cグループ(クラスを引っ張って行けるリーダー)
 のグループが考えられます。
 このうち、黙っているBグループが声をあげられないと学級に正義は取り戻せないと思います。
「嫌なことはいや」と言えたり、「つらいよ」って言えたり。
 そこを教師がどう援助していけるのかというのがカギかなと思います。
 私も何度か荒れたクラスを持って苦しんだことがあって、そのとき、つぎのようにした。
(1)「ケンカ止め隊」(Cグループ):ケンカになったら止める。
(2)「ピーポー隊」(Cグループ):ケンカになったら、ピーポーピーポーと走って、職員室から誰かをつれてくる。
 声をかけられた先生は、いやがらず、クラスに行く約束を取り付けておく。
(3)「いやし隊」(Bグループ):担任も入って秘密につくった。
 殴られたりした子をそっと気遣ってあげる。
(4)「並ばせ隊」(Aグループ):出来ると得することを用意する。
 みんなを四回並ばせることができると、校長先生の許可を得たうえで、好きな場所に行って五分間だけ遊べる。
 荒れたクラスが誇りを持つようにするには、誰からか評価されることが大切だと思う。
 何か誰かの役にたつ活動を組み、そのクラスのいいところを発信し、目に見える肯定感を意図的に組んでいくようにする。例えば、
(1)給食の時間に下級生のクラスにいって、教えてあげる
(2)学校の中の掲示板に、毎週子どもたちの絵を貼る。
 「上手だね」と、見て言ってくれる。
(3)保育園に行って、紙芝居をやる、ダンスクラブがダンスを披露する。
 自分を表現する場所をつくってあげる。
「荒れているけど、やさしいところがあるじゃん」という評価が、心を育てていくのではないか。
 私は、クラスで話し合いをするときには、できるだけ時間をとって班会議や班長会議を開きます。
 子どもたちは自由に言い合えるし、誰か一人くらい賛成してくれるかなという安心感があると、ものが言える。
 それにどんな考えがあるのか知ることができる。
 どんな結論に落ち着くのを望んでいるのかなとか、こんな言い方をするとわかってもらえそうという練習になったりもします。
(篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 全国生活指導研究協議会常任委員)

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担任を受け持ったとき、学級が荒れ、崩壊しないようにするにはどうすればよいか

 新しいクラスを受け持った最初の一週間は、担任と子どもの見合いの時期なんです。
「どこまで許してくれるのか」
「何を大切にしているのか」
 子どもが担任を試すんです。
 子どもたちは、管理的な担任に対しては黙って従いながら、反抗の時期をうかがっているのです。
 荒れる要因のひとつは担任の言葉が多くなることです。
 子どもたちができないから、担任が繰り返し注意して、言葉で子どもを支配しようとするため言葉が多くなるのです。
 そうするのではなく、最初の一週間で「楽しい担任なんだよ」ということを子どもたちにメッセージしていく。
 担任の遊び心が試されていると思うんです。
 子どもたちが反抗したとき、担任が怖がり一歩引いてしまうと、子どもたちの甘えと反抗が担任にぶっつけられるようになります。
 子どもたちは、安心できる、優しい、受けとめてくれる担任に反抗する。
 つまりいじめと同じところがあります。
 トラブルには必ずわけがある。
 わかってもらいたいことがあるということです。
 わかってあげないとトラブルを繰り返す。
 そういう時に「なぜ」こだわること。
 管理的に押さえつける指導を続けるとエスカレートし、やがて爆発します。
 もちろん、例えば、きちんと並ばせる指導をしなければならないような管理的な指導もある。
 そこは腹をくくるしかない。子どものためには。
 そして、子どもの世界に入ってみる。
 そこで子どもたちとつながる何かが見つかるかもしれない。
 生意気な言い方や暴言をどう教師が切り返していくか。例えば、
「うるせえ」と言ったら、「あなたはいま反抗期ですか?」
「つまんねぇ」と言ったら、「ごめんね、つまんなくて」
「くそばば」と言ったら、「よかったあ、くそじじいじゃなくて」
 とか、そんなことでは傷つかないよというメッセージを送り、子どもの挑発にのらないように言葉を返してあげる。
 おもしろく、冗談で突っ込んだりしながら、子どもとの関係をつくっていけたらいいんですが。
 「おめえなんか、死んじまえ!」
 と、言われれば、私に「死ね」って言っているんではなくて、背景に何かがあって、それに向かって叫んでいる。
 そう思うと気が楽になるし、背景のわけがわかるまで、まあ何を言われてもいいっかと思うようになった。
 教師が子どもを抑えられなければ、学級は正義を失うわけです。
 教師の抑える力がないと、子どもたちは安心してクラスの中で過ごせなくなる。
 そうなれば子ども同志が注意しなくなるし、荒れる子どもは自分を客観視できないので勝手なふるまいを続けていくことになります。
 子どもとの関係がこわれてしまっているとき、関係を取り戻すのは決めてむつかしいが、ほめ続けることです。
 ほめることは、見捨てないよ、大事にするよというメッセージです。
 いろんなケースを想定して、多様なほめ言葉を用意しておく。
 例えば、ものを運んだりする仕事をいっぱい用意してほめる材料をつくる。
 子どもが活動すると、ほめることが出てくる。
 特にトラブルを起こす子どもに作業をさせて成功すると、保護者に電話してほめる。
 そうして、子どもや保護者とつながりをつくっていく。
 もうひとつは子どもと遊ぶことです。遊べば、ほめることがいっぱいできます。
 教師の遊び心が子どもとの距離を縮める。
 例えば、教師が一週間、教室に入る入り方を全部変えたりして、子どもたちの遊び心につき合ってあげます。
 掃除が早く終わったら「五分で読める怖い話」を読んであげる。
 そんなふうに、ありとあらゆる方法を打って打ちまくる。
 何かが出てくる。
 子どもたちも傷ついたりしている。
 楽しい遊びをすると、教師にも余裕が出てくるし、子どもとの距離を縮めてくれる。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)
(篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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荒れていた学級を立て直すには、どうすればよいか

 特に学級の指導で気をつけていたのは、子どもたちの攻撃的な感情を助長するような雰囲気をつくらないこと。
 ゆっくりとした時間の流れのなかで対応することをこころがけていました。
 朝の会で「守るくん、ねこのチャトラは元気ですか」と一人ひとり名前を呼んで、ふと思いついたことを語りかけます。
 それから、心にのこったことを一つ二つ話します。
 そして、一日の予定について話します。
 子どもたちのいらだちや攻撃性は、この一日の予定を知ることでかなり弱められるようです。
 見とおしをもつことが人間らしい努力を生みだす力になっていきます。
 体育の授業は、おにごっこ、手つなぎおに、「網投げた」などの遊びを全員で楽しみました。笑顔がこぼれてきます。
 とくに「網投げた」のあそびを子どもたちは好みました。
 遊び方は簡単です。最初わたしが漁師になってあと全員魚になります。
 体育館の一方の端に魚となった子どもたちが並び、漁師となった私がもう一方の端に立ちます。
「網投げた!」と大声をあげて、子どもと私は体育館を交差するように駆け抜けていきます。
 そのとき、漁師である私にタッチされたらアウトです。
 捕まったらこんどは反対に漁師に加わります。
 横にステップを踏んでタッチをかいくぐることは許されますが、後ろに逃げることは許されません。
 スピードとフェイントの勝負です。
 漁師の数がどんどん増えてきて、そのなかを逃げきるのはスリルがあって楽しいのです。
 どんなすばしっこい子も最後は、クラスみんなにワーッととり囲まれて捕まってしまいます。汗びっしょりで。
 からだを動かすことをめんどうくさがっていた子どもたちが、マットなどに全力を出しはじめます。
 子どもたちの気分や感情とていねいにつきあっていくのですが、普通のクラスからみれば荒れているように見えます。
 しかし、一概にそれが悪いとは言えない気がします。
 感情の処理をていねいにしきれない子どもたちが、お互いの要求をぶつけあいながら、学び学校生活を送るということで、教師から命令されるのではなく、自分から自覚していく時間が必要だろうということです。
 教室で、体育で、遊びやゲームをよくしました。
「無人島」とか「人数づくり」とか「ジャンケンゲーム」とか「シェーハ」とか。短い時間をちょっとつかって楽しみました。
 無人島、無人島、ひとりぼっちの無人島、こんどはどこへ行こうかな それ、一、二、三(パン、パン、パン)
 「青!」 椅子に輪になって座っていた子どもたちが、リーダーの声でいっせいに立ちあがります。
 「青、青、青・・・・・あったあ!」Aくんのトレーナーが青、Bさんのスカートが青。みんな入り乱れて”青”にタッチし、急いで新しい席を見つけて座りました。Cくんがひとりあふれてオニです。
 学校にはこういうゆったりとした時間が流れることが必要ではないかと、思いました。
 いらだちやむかつきを表現し、傷つけあうことばが飛びかっていた教室に、授業への集中や読書への集中の快さを創りだすことはとても大切なことだと思いました。
 一週間に一度だけど、図書室でみんな静かに本を読むようになりました。
 文字を読み、イメージを広げ、夢中になって心躍らせる体験は、子どもたちの内面を充実させていくでしょう。
 絵本の読み聞かせをしました。右手の指できつねの”コンちゃん”をつくって一人芝居をしました。
 「やあ、みんな、こんにちは。ぼく、コンちゃん。先生、本読んでよ」
 「よし、じゃあ、読むとしよう。「三びきのやぎのガラガラどん」、始まり、始まり」
 心をこめて小さな声で読みつづけていきました。シンとして聴いてくれます。
「おもしろかったあ」読み終わると、みんな、ほうっと肩の力を抜いて笑っていました。
六年生の教室であることがうそのようです。
 子どもたちがわたしに信頼をよせ、心を開きすっかり身をゆだねてくれているのです。こんな瞬間、子どもたちがとてもいとおしくなります。
 子どもたちは、人間として一人ひとり尊敬され、ていねいにあつかわなければならない。そんなふうに強く想うのでした。
 教室に何冊もの本を持ち込んで紹介しました。「1年1くみ1ばんワル」「キャプテンがんばる」「それゆけズッコケ三人組」など。
 子どもたちは、少年や少女の時代を輝いて生きたいと願っているように見えます。
 荒れているように見えても、じつは少年たちの生きることへの願いのようにも思えます。
 しかし、荒れている状況を放置するわけにはいきません。
 荒れの向こうに見える子どもの要求を聞きとりながら、人間的に生きることへの喜びに結びつけていかなければなりません。
 子どもたちは希望をもつことではじめて人間的な生き方に心をよせ、みずからを変えることに挑戦しはじめるのですから。
(山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

 

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担任すると「いいクラスにしたい」と入れ込んで硬くなり、すぐに怒り、子どもに嫌わる。どう改善すればよいのでしょうか

 学級を担任すると「いいクラスにしたい」と思うのか、私はどうも硬くなる。
 それがつまずきのもとであった。
 自分のクラスとなると、過度に指導責任を感じてしまうのだろうか。
 いざクラスの子どものことになると、気持のうえで「わが子」になり、愛し過ぎて、入れ込んでしまうのだろうと思った。
 学級が荒れて困っている教師がいる。
「いいクラスにしたい」という思い入れが激しい余り、逆に、子どもたちを追いこんでいって失敗する例も多い。
 そういう芽は昔からあった。
 それに近い状況に追いこまれている教師もいた。私はそうはなりたくないと思った。
 自分のクラスに対して甘くしようとしたが、だが、いざとなると、なかなかそうはなれなかった。
「だんだんとクラスの子どもたちに嫌われてきた」と感ずるようになった。
 これが高じると、指導拒否がおこり、指導不成立がおこってくる。
 クラスの子どもたちと親しく交わっている教師をみると、力んでいないことに気がついた。
 私のように「いいクラスにしよう」とあせって硬くなっていない。
 子どもたちに対しては「師弟」でも「親子」でもなく、「友だち」感覚で接していた。
 だから、多少、だらしないところもあったが、そこに親密な人間関係があった。
 見ていると、そういう教師は、自分のクラスには甘かった。
 たとえば、よそのクラスの担任が子どもに三回注意してのち怒るとすれば、自分のクラスの子どもたちと親しく交わっている担任は、四回注意してのち叱るというようにしていた。
 ところが、わたしは逆だった。自分のクラスの子どもには一回目の注意で、もう怒っていた。
 また、自分のクラスの子どもたちと親しく交わっている担任は、ほめることの上手な教師でもあった。
 よそのクラスではあたりまえのことも、それができたら「よくできた」とほめていた。
 これだと思った。
 クラスの子どもは「わが子」ではない「他人の子」なのである。
「自分のクラス」・「わが子」と思うから私物化し、自分の思いとおりにしようと力むのである。
 教師感覚・親子感覚はやめ、友だち感覚で接しよう。そうすれば、多少甘くもできると思った。
 怒るときにも、頭ごなしではなく、忠告ということになろうと思った。
 学級生活のみならず、授業のなかでも甘くした。
 たとえば、提出物も 「よし。そんなにたいへんなら、この提出物はあさってまでに延ばそう。でも、秘密だぞ」
 と、担任の授業だから得をするというようにした。
「そのかわり、忘れるなよ」というと、ほんとうに忘れずに提出した。
 結果的には、他のクラスより早く全員提出できた。
 こう気持を切りかえると、肩から力が抜けた。
 ほっとしたのか、他のクラスの子どもたちと接するように、自分のクラスの子どもとリラックスして接するようになった。クラスの子どもとの距離がぐんと縮まった。
 もともと子どもたちも、担任とは仲良く接したいと思っていたのである。
 教師の態度が変わったから、子どもたちもリラックスして接してくるようになった。
 授業も、少しずつ、自分のクラスが一番やりやすくなった。
 私の国語の授業が好きだという子どもがふえてきた。
 ときどき、けじめのつかなくなることもあったが、「気持を切りかえようぜ」「ここは、いいとこ見せようぜ」というと、その気になって、ほかのクラスに負けないようにとりくむことができた。
(家本芳郎:1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校教師(約30年)。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

 

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子どもの荒れの原因は学力の欠如にある、つまずきを克服するには、どうすればよいか

 小河 勝氏は、長年公立中学校の現場で、つまずき克服の実践を続けてきた。  つまずきの原因は、算数と国語にあるとし、算数のつまずきを発見するための「小河式算数チェックテスト」を考案。国語では独特の転写法による実践を続け、多くの子どもを立ち直らせた。  こうしたつまずきを持つ中学生でも、家庭学習だけで、公立のトップ校に合格できる学力をつけさせる独自の問題集シリーズ「未来を切り開く学力シリーズ」のプロジェクトの中心となり、自らも「基礎篇」を執筆した。  小河 勝氏は、1970年代に新任新教師として過ごした公立中学校での日々を克明に覚えている。  校内に散乱するガラスの破片、たばこの吸い殻、便器にねじ込まれた空き缶…。  新任教師時代は、子どもの勉強ができないことと荒れることが、自分の中で深く結びついてはいなかった。  何が起こっているのかわからない状況の中で、 「なんでこの子たちは、こんなに荒れるのか」  という疑問をいだき、いろいろと調べていく中で、最終的に学力の問題に行き着いたのです。  勉強が「わかる」「わからない」というのは、子どもたちにとって、精神の健全さの軸をなす重要なファクターなんだということが「生活実態調査」からはっきり見えたのです。  わからないまま学校で勉強するということがどれほど苦痛であるか、自分たちの生活全体がいかにグレーになっていくか、そして、暗黒になっていくか。 「自分にはもう未来がない」というふうに彼らは思わざるをえないということが、はっきりと調査でわかったのです。  その後、算数の学習のつまずきの状況も調べました。大変な結果でした。  かなり初期の段階からつまずいて、苦しみ、のたうちまわりながら、学校で授業をずっと聞いてきたということがわかりました。 「種子植物」なんて読めない。「たねこ」と読んでしまう。そういう状況が現実にあるのです。  学力問題は、小河 勝氏は非常に重要な人権問題だと思った。  基本的な可能性を剥奪された人生を生きていかざるをえないことになるからです。  きっかけは米国の社会心理学者、エーリヒ・フロムの著書で読んだ次のような言葉だった。 「無力感の中で、永遠に人間は生き続けることはできない」 「彼らはやがて破壊を求めだす」  と書いています。  私はこの本に出会ったときに、本当に「あの中学生たちが荒れている根拠はこれだったんだ!」と心に響きました。  小河氏は「そうなんや、彼らは無力感の渦の中でおぼれ続けてたんやと、すごく鮮明に自分の中で結びついた」と振り返る。  すぐさま自前のアンケートを行い、授業の理解度と未来への意欲などの関係を調べた。両者は見事に比例した。  後に赴任した中学校で、小河氏は同じ学年を受け持つ教員たちと協力し、計算や文章トレーニングを毎日繰り返す取り組みに挑む。  すると、学年が上がっていくごとに子どもたちが落ち着いていった。どんな荒れた子でも最後はわれわれの懐に入ってきた。  荒れの原因は学力の欠如にある。多くの子どもが小学校時の積み残しを抱えたまま中学校のカリキュラムを受けている。  その打開策として、小中学校が一体でつまずいた子どもに基礎演算や小数、分数などの基本的な部分の力をつけてやることが重要である。  授業時間の一部や授業前の時間の確保や、つまずき調査などのデータの活用など、相互に意見交換をして取り組むこと。  勉強が分からない子どもに分からせてやるのは教師の務め。分からない子どもが抱える無力感を取り除いてやれば、学校の荒れも消え、落ち着く。  中学で新入生に3ケタの掛け算をさせると半分くらいは間違えてしまう。これが基礎学力崩壊の実態。  このような状態で頑張らせるのはサイドブレーキをかけたまま「走れ」と要求しているようなもの。大事なのは、まず基礎を徹底してやらせることです。 「5けた」÷「2けた」のようなわり算の中には、たし算、ひき算、かけ算の計算要素が約80弱もあるのです。  一定の速さでトントンと80弱の階段を効率よくたどっていける力がなければ、わり算はわかりにくい。 「ゆっくりでいいんだ、できたらいいんだ」というようなことを気楽に言われる方がいますが、その方々は、わからない子を教えたことがないということを自白しているようなものです。  わからない子たちは、遅いことによってものすごくやりにくく、しんどいのです。サイドブレーキかけながら、アクセルを踏んでいるようなものです。  つまり、基礎計算力をしっかりつくることが最も重要で、それによってしか本質的な改善は図れないということです。  中学校で理科を教えてきましたが、理科では、割合や比例を使います。ところがその定着状況は散々です。  こんな状態では、電流も密度も教えられません。  ではどうするかということですが、教師一人ひとりの努力の範囲を超えていますから、学校ぐるみで特別な時間編成で、取り組んでいくしかないのです。  中学校で、組織的に取り組むというのは、非常に困難でした。  教科担当制を超えて、みんなでスクラムを組まなければいけないのですから。  そのためにも、学力実態調査によって、データを集めて、よく分析して、どうすべきかということを協議して、各地で取り組んでいただけたらと思います。 (小河 勝:1944年大阪市生まれ、元大阪市立中学校教師・大阪府教育委員会委員。中学生向けの国語、算数の教材「小河式プリント」書き込み式の教材が基礎学力の養成に役立つとして、全国の中学校や学習塾で利用されている。中学生の自主学習を手助けする「小河学習館」の館長)

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学級が荒れないように予防したり、学級が荒れたとき、どのようにすればよいでしょうか

 学級が荒れないように予防したり、学級が荒れたとき、次のようにすればよいと思います。
 新しいクラスを持った最初の一週間は、担任と子どもたちとのお見合いの時期といえます。
 子どもたちは、この担任は合格か、ダメか判断するのです。
 また、どこまでこの担任は許してくれるのか、この担任は何を大切にしているのかを子どもが試すのです。
 この一週間で、「楽しい担任なんだよ」ということを子どもたちにメッセージしていくようにします。
 担任に「遊び心」があるか試されていると思うんです。
 ゲームをしたり、ボケてみたり、突っ込む楽しさとか、教師に遊び心があると、子どもたちとの距離感を縮めてくれるのです。
 クラスが荒れる要因のひとつは、子どもたちに「指示する言葉が多すぎる」ことです。
 子どもに、できないことがあると、担任が繰り返し注意して、言葉で子どもを支配しようとするため、言葉が多くなるのです。
 管理的な担任に対して、子どもたちは黙って従いながら、反抗の時期をうかがっています。
 子どもたちが反抗したとき、怖がり、担任が一歩引いてしまうと、子どもたちは勝ったと判断し、甘えと反抗を担任にぶっつけてくるようになります。
 担任が子どもを抑えられなければ学級は「正義を失う」わけです。
 そうなれば、子どもたちは互いに注意しなくなるし、荒れる子どもは自分を客観視できないので勝手なふるまいを続けていくことになります。
 教師の目は荒れている子どもだけに向いてしまいがちですが、学級に正義を取り戻すには、荒れの外側にいて「黙っている子どもたちをどう援助していくか」ということが大事です。
 荒れの外側にいる子どもたちが声をあげられないと学級に正義を取り戻せません。
 そのために、これまで、ありとあらゆる援助を試みましたが、良かったのは「いやし隊」(学級内クラブ)でした。
 たとえば、ケンカで殴られた子をそっと気づかってあげるのが「いやし隊」です。それが学級の世論のようになっていった。それでケンカの再現タイムをやったら、この子たちが証言したのです。
 ケンカをめぐって話し合いをするとき、事前に班会議を開くようにします。班だと小さい集団なので安心してものが言えます。こんな言い方をするとわかってもらえそう、という練習にもなります。
 担任と子どもとの関係がこわれてしまっているとき、関係を取り戻す決めては「ほめ続ける」ことです。ほめることは、見捨てないよ、大事にするよというメッセージです。
 学級活動をたくさんつくり出し、「ほめる材料をつくる」ようにします。いろんなケースを想定して「様々なほめ言葉を用意」しておきます。
 もうひとつは「子どもと遊ぶ」ことです。
 遊べば、ほめることがいっぱいできます。担任は「楽しい遊び」をやるようにします。そう思ってやらないと明日、学校に行く元気がでなくなります。
 トラブルには必ず「わけ」があって、悪いことをして、みんなにわかってもらいたいことがあるということなんです。その「わけ」をわかってあげないとトラブルは繰り返します。
 子どもって、学校と家では同じでないことが多い。
 家でいい子が学校に来ると「うっせいな」とバランスをとっていることがある。大変な子どもほど、激しい言葉の裏に寂しさが隠れている。そういう言葉に出会えたときに、「彼らとの出会い直し」ができるのです。
 実際、たとえば「おめえなんか、死んじまえ!」と、私を蹴飛ばしながら叫ばれたことがあります。
 その「おめえ」って私じゃないんですよね。背景に何かがあって、それに向かって叫んでいる。そう思うと気が楽になるし、「わけ」がわかるまで、まあ、何を言われてもいいかと。
 トラブルを起こす子どもに対しては、「早めに援助」しながら、「作業を成功」させて、「ほめる電話」を家庭に入れると、子どもと保護者のつながりができます。
 子どもたちから投げつけられる暴言・悪罵に苦しんで心身を病み、そのため、途中退職を余儀なくされる担任もいます。
 子どもの「暴言の返し方もいくつか用意」しておかなくてはなりません。
 「くそばばあ」と言われたら、「誰に口きいているの」と言わず、「よかった、くそじじいじゃなくて」とか、そんな言葉では傷つかないよ、というメッセージを送るようにします。
(
斎藤 修:千葉県公立小学校教師、篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 ともに全国生活指導研究協議会常任委員)

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見えない荒れは大きな荒れになっていく、荒れの根っこを見つけよう、マニュアルに頼っていては指導力はつかない

 荒れの問題が見えそうで見えない、息の詰まりそうな「見えない荒れ」は、じわじわと広がると大きな荒れになっていく。
 教師にとっては強烈なストレスがたまり、逃げたくなります。
 この初期の状態を放置したり、指導に失敗すると、本当の学級崩壊や学年全体の荒れに発展します。
 例えば、小学校高学年の学級崩壊の初期や、中学校で学年全体が荒れていく初期などに見られます。
 はっきりとした目に見える荒れよりもやっかいである。根っこを見つけよう。
「見えない荒れ」はやっかいである。なかなか見えにくいため、指導がしにくいのです。
 例えば、教師が「こうしましょう」と提案しても、返事が返ってこないで、誰も実行せず無視されます。
 独特の冷たい空気が流れたりすることは、いじめや荒れの初期にはよくあります。
 廊下やトイレが汚されることが、広範囲の子どもたちに広まっているということもあります。
 最大の特徴は、誰も問題にしない。聞いても「私ではない」「私は関係ない」と無関心か無関心をよそおうことです。どうすればよいのでしょうか。
 あわててはいけません。とことん「根っこ」を追求しましょう。
「根っこ」を見つけないことには、指導方針が立てられません。
 まず、話を聞ける子どもたちから様子を聞きます。
 被害者がいれば、被害者本人に
「きみは気づいていないかもしれないが、きみの言動に対して冷たい空気が流れる気がするけど、きみはどう思っている?」 
 と聞き、そこを手がかりに「根っこ」を探します。
 廊下が汚されているなら、
「いったい、ごみを誰が捨てるの?」
「ごみが落ちていると、感覚がまひしてみんな落とすようです」
「じゃあ、最初のごみは?」
 などと「根っこ」を追求します。
 時には、休み時間の学級や廊下にいて、それとなく様子を見てみます。
 必ず「根っこ」につながる何かが発見できます。
  生徒指導は、人を対象した世界です。人の心の中を知ることは難しいものです。
 しかも、思春期の子どもです。
  この時期に子どもたちの心の中は容易にわかりません。
  心の中を知るコツは「よく観る」「よく聴く」です。
  そこから手がかりを得て「根っこ」に近づき、指導方針を立てます。
  マニュアルに頼っていては、生徒指導の力はつきません。
(吉田 順:1950年生まれ 37年間横浜市立小・中学校に勤務した。担任32年、生徒指導部長16年、学年主任13年などを兼任した。生徒指導ネットワークを主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の学校と関わる)

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なぜ、クラスが荒れるのかその原因とは、どうすればよいか

 荒れているクラスの教師は、問題が起こる度に「それは子どもが悪い」と子どものせいにします。否定された子どもは心を開かず、不信感を持ち、態度・顔つきに出ます。
 落ち着いているクラスの教師は、問題が起こると、まずは自分の指導を振り返り、子どもにかける言葉をかえてみます。子どもが教師に認められたと「プラスに解釈」するような言葉に変えてみるとよい。
 優し過ぎる教師のクラスは荒れます。
 子どもに甘いのです。子どもはそれを見抜き、あれもこれもと要求するようになります。「甘さ」を訂正しても「何で、さっきはいいと言ったじゃない」と納得しません。
 そこで、子どもの要望の発言を繰り返して受けとめ、気づかせます。「それで?」と問いかけ「次は・・・」と行動を改めるように話かけます。
 例えば、授業が始まったとたん「トイレに行っていいですか?」と言ってきたときは、
「授業が始まったばかりだけど、トイレに行きたいんだね?」
「次は、休み時間にトイレに行ってね」
 子どもに一言、釘を刺したわけです。「今までの先生とは違うぞ」と教師の変化を感じます。
 厳し過ぎる教師のクラスは、子どもを抑圧するので、荒れにつながります。
「自分のやり方は正しい」と確信しているので「先生の言う通りにやりなさい」と子どもたちを従わせようとします。
「悪いのは子ども」と思っているので、「いつも怒ってばかり」と反発心が募ります。
 厳し過ぎる教師は自分が言う通りにすれば、うまくいくことを知っているので結論だけを子どもに伝えようとします。子どもが反発するのは、言葉が足りないからです。
 厳しさの中に説明を加えて、そのことの効果を示すと、子どもは先が見えるので、子どもたちは指導を受け入れます。
 自分のやり方にこだわる教師のクラスは、荒れ始めます。
 子どものペースに合わせて臨機応変に対応する教師のクラスは、安定した日々を過ごすことができます。
 子どもたちが新しい教師のやり方に納得できるかどうかの基準は、これまでの子どもたちの経験です。納得できれば受け入れ、そうでなければ不満となります。今までのやり方と新しいやり方を試していくとよい。
 クラスの荒れのもとになっているストレスを抑えようとしてはいけません。それよりも、上手にガス抜きをさせることが肝心です。
 それには、子どもの行為の良い場面だけに注目します。そうすると子どもは徐々にストレスへの処し方がわかり、自分で自分の行動をコントロールできるようになります。
「笑う門には福来る」ということわざがあります。
 そこで、子どもたちが毎日登校する楽しみを提供してみます。私のクラスでは毎朝、リレーとカルタを行っています。
 リレーは、メンバーをある期間固定して行います。順位よりも記録の伸びに注目させます。成長に目を向けさせ、新記録が出ると、仲間と喜び合い笑顔が出ます。出ないときは、仲間と対策を考えます。
 カルタは二人一組で対戦し、勝つと上の班に昇格し、負けると下の班に降格します。勝つ秘訣は、反応の良さとカルタを覚えることです。
 カルタの勝利は個人の喜びですが、相手をしてくれた友だちに感謝する気持ちが芽生えます。負けると悔しいのですが「次回の対戦者はAくんか、彼には負けないぞ」と友だちに関心を持つことができます。
 真剣勝負だから、子どもたちは燃え、楽しさを味わい、みんなで共有することができるのです。
 なお「楽しむ」には条件があります。「ルールが簡単「準備・片づけが簡単」「結果が次回へのモチベーションになる」の3つです。
(城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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