カテゴリー「学級の荒れ」の記事

担任すると「いいクラスにしたい」と入れ込んで硬くなり、すぐに怒り、子どもに嫌わる。どう改善すればよいのでしょうか

 学級を担任すると「いいクラスにしたい」と思うのか、私はどうも硬くなる。
 それがつまずきのもとであった。
 自分のクラスとなると、過度に指導責任を感じてしまうのだろうか。
 いざクラスの子どものことになると、気持のうえで「わが子」になり、愛し過ぎて、入れ込んでしまうのだろうと思った。
 学級が荒れて困っている教師がいる。
「いいクラスにしたい」という思い入れが激しい余り、逆に、子どもたちを追いこんでいって失敗する例も多い。
 そういう芽は昔からあった。
 それに近い状況に追いこまれている教師もいた。私はそうはなりたくないと思った。
 自分のクラスに対して甘くしようとしたが、だが、いざとなると、なかなかそうはなれなかった。
「だんだんとクラスの子どもたちに嫌われてきた」と感ずるようになった。
 これが高じると、指導拒否がおこり、指導不成立がおこってくる。
 クラスの子どもたちと親しく交わっている教師をみると、力んでいないことに気がついた。
 私のように「いいクラスにしよう」とあせって硬くなっていない。
 子どもたちに対しては「師弟」でも「親子」でもなく、「友だち」感覚で接していた。
 だから、多少、だらしないところもあったが、そこに親密な人間関係があった。
 見ていると、そういう教師は、自分のクラスには甘かった。
 たとえば、よそのクラスの担任が子どもに三回注意してのち怒るとすれば、自分のクラスの子どもたちと親しく交わっている担任は、四回注意してのち叱るというようにしていた。
 ところが、わたしは逆だった。自分のクラスの子どもには一回目の注意で、もう怒っていた。
 また、自分のクラスの子どもたちと親しく交わっている担任は、ほめることの上手な教師でもあった。
 よそのクラスではあたりまえのことも、それができたら「よくできた」とほめていた。
 これだと思った。
 クラスの子どもは「わが子」ではない「他人の子」なのである。
「自分のクラス」・「わが子」と思うから私物化し、自分の思いとおりにしようと力むのである。
 教師感覚・親子感覚はやめ、友だち感覚で接しよう。そうすれば、多少甘くもできると思った。
 怒るときにも、頭ごなしではなく、忠告ということになろうと思った。
 学級生活のみならず、授業のなかでも甘くした。
 たとえば、提出物も 「よし。そんなにたいへんなら、この提出物はあさってまでに延ばそう。でも、秘密だぞ」
 と、担任の授業だから得をするというようにした。
「そのかわり、忘れるなよ」というと、ほんとうに忘れずに提出した。
 結果的には、他のクラスより早く全員提出できた。
 こう気持を切りかえると、肩から力が抜けた。
 ほっとしたのか、他のクラスの子どもたちと接するように、自分のクラスの子どもとリラックスして接するようになった。クラスの子どもとの距離がぐんと縮まった。
 もともと子どもたちも、担任とは仲良く接したいと思っていたのである。
 教師の態度が変わったから、子どもたちもリラックスして接してくるようになった。
 授業も、少しずつ、自分のクラスが一番やりやすくなった。
 私の国語の授業が好きだという子どもがふえてきた。
 ときどき、けじめのつかなくなることもあったが、「気持を切りかえようぜ」「ここは、いいとこ見せようぜ」というと、その気になって、ほかのクラスに負けないようにとりくむことができた。
(家本芳郎:1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校教師(約30年)。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

 

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子どもの荒れの原因は学力の欠如にある、つまずきを克服するには、どうすればよいか

 小河 勝氏は、長年公立中学校の現場で、つまずき克服の実践を続けてきた。  つまずきの原因は、算数と国語にあるとし、算数のつまずきを発見するための「小河式算数チェックテスト」を考案。国語では独特の転写法による実践を続け、多くの子どもを立ち直らせた。  こうしたつまずきを持つ中学生でも、家庭学習だけで、公立のトップ校に合格できる学力をつけさせる独自の問題集シリーズ「未来を切り開く学力シリーズ」のプロジェクトの中心となり、自らも「基礎篇」を執筆した。  小河 勝氏は、1970年代に新任新教師として過ごした公立中学校での日々を克明に覚えている。  校内に散乱するガラスの破片、たばこの吸い殻、便器にねじ込まれた空き缶…。  新任教師時代は、子どもの勉強ができないことと荒れることが、自分の中で深く結びついてはいなかった。  何が起こっているのかわからない状況の中で、 「なんでこの子たちは、こんなに荒れるのか」  という疑問をいだき、いろいろと調べていく中で、最終的に学力の問題に行き着いたのです。  勉強が「わかる」「わからない」というのは、子どもたちにとって、精神の健全さの軸をなす重要なファクターなんだということが「生活実態調査」からはっきり見えたのです。  わからないまま学校で勉強するということがどれほど苦痛であるか、自分たちの生活全体がいかにグレーになっていくか、そして、暗黒になっていくか。 「自分にはもう未来がない」というふうに彼らは思わざるをえないということが、はっきりと調査でわかったのです。  その後、算数の学習のつまずきの状況も調べました。大変な結果でした。  かなり初期の段階からつまずいて、苦しみ、のたうちまわりながら、学校で授業をずっと聞いてきたということがわかりました。 「種子植物」なんて読めない。「たねこ」と読んでしまう。そういう状況が現実にあるのです。  学力問題は、小河 勝氏は非常に重要な人権問題だと思った。  基本的な可能性を剥奪された人生を生きていかざるをえないことになるからです。  きっかけは米国の社会心理学者、エーリヒ・フロムの著書で読んだ次のような言葉だった。 「無力感の中で、永遠に人間は生き続けることはできない」 「彼らはやがて破壊を求めだす」  と書いています。  私はこの本に出会ったときに、本当に「あの中学生たちが荒れている根拠はこれだったんだ!」と心に響きました。  小河氏は「そうなんや、彼らは無力感の渦の中でおぼれ続けてたんやと、すごく鮮明に自分の中で結びついた」と振り返る。  すぐさま自前のアンケートを行い、授業の理解度と未来への意欲などの関係を調べた。両者は見事に比例した。  後に赴任した中学校で、小河氏は同じ学年を受け持つ教員たちと協力し、計算や文章トレーニングを毎日繰り返す取り組みに挑む。  すると、学年が上がっていくごとに子どもたちが落ち着いていった。どんな荒れた子でも最後はわれわれの懐に入ってきた。  荒れの原因は学力の欠如にある。多くの子どもが小学校時の積み残しを抱えたまま中学校のカリキュラムを受けている。  その打開策として、小中学校が一体でつまずいた子どもに基礎演算や小数、分数などの基本的な部分の力をつけてやることが重要である。  授業時間の一部や授業前の時間の確保や、つまずき調査などのデータの活用など、相互に意見交換をして取り組むこと。  勉強が分からない子どもに分からせてやるのは教師の務め。分からない子どもが抱える無力感を取り除いてやれば、学校の荒れも消え、落ち着く。  中学で新入生に3ケタの掛け算をさせると半分くらいは間違えてしまう。これが基礎学力崩壊の実態。  このような状態で頑張らせるのはサイドブレーキをかけたまま「走れ」と要求しているようなもの。大事なのは、まず基礎を徹底してやらせることです。 「5けた」÷「2けた」のようなわり算の中には、たし算、ひき算、かけ算の計算要素が約80弱もあるのです。  一定の速さでトントンと80弱の階段を効率よくたどっていける力がなければ、わり算はわかりにくい。 「ゆっくりでいいんだ、できたらいいんだ」というようなことを気楽に言われる方がいますが、その方々は、わからない子を教えたことがないということを自白しているようなものです。  わからない子たちは、遅いことによってものすごくやりにくく、しんどいのです。サイドブレーキかけながら、アクセルを踏んでいるようなものです。  つまり、基礎計算力をしっかりつくることが最も重要で、それによってしか本質的な改善は図れないということです。  中学校で理科を教えてきましたが、理科では、割合や比例を使います。ところがその定着状況は散々です。  こんな状態では、電流も密度も教えられません。  ではどうするかということですが、教師一人ひとりの努力の範囲を超えていますから、学校ぐるみで特別な時間編成で、取り組んでいくしかないのです。  中学校で、組織的に取り組むというのは、非常に困難でした。  教科担当制を超えて、みんなでスクラムを組まなければいけないのですから。  そのためにも、学力実態調査によって、データを集めて、よく分析して、どうすべきかということを協議して、各地で取り組んでいただけたらと思います。 (小河 勝:1944年大阪市生まれ、元大阪市立中学校教師・大阪府教育委員会委員。中学生向けの国語、算数の教材「小河式プリント」書き込み式の教材が基礎学力の養成に役立つとして、全国の中学校や学習塾で利用されている。中学生の自主学習を手助けする「小河学習館」の館長)

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学級が荒れないように予防したり、学級が荒れたとき、どのようにすればよいでしょうか

 学級が荒れないように予防したり、学級が荒れたとき、次のようにすればよいと思います。
 新しいクラスを持った最初の一週間は、担任と子どもたちとのお見合いの時期といえます。
 子どもたちは、この担任は合格か、ダメか判断するのです。
 また、どこまでこの担任は許してくれるのか、この担任は何を大切にしているのかを子どもが試すのです。
 この一週間で、「楽しい担任なんだよ」ということを子どもたちにメッセージしていくようにします。
 担任に「遊び心」があるか試されていると思うんです。
 ゲームをしたり、ボケてみたり、突っ込む楽しさとか、教師に遊び心があると、子どもたちとの距離感を縮めてくれるのです。
 クラスが荒れる要因のひとつは、子どもたちに「指示する言葉が多すぎる」ことです。
 子どもに、できないことがあると、担任が繰り返し注意して、言葉で子どもを支配しようとするため、言葉が多くなるのです。
 管理的な担任に対して、子どもたちは黙って従いながら、反抗の時期をうかがっています。
 子どもたちが反抗したとき、怖がり、担任が一歩引いてしまうと、子どもたちは勝ったと判断し、甘えと反抗を担任にぶっつけてくるようになります。
 担任が子どもを抑えられなければ学級は「正義を失う」わけです。
 そうなれば、子どもたちは互いに注意しなくなるし、荒れる子どもは自分を客観視できないので勝手なふるまいを続けていくことになります。
 教師の目は荒れている子どもだけに向いてしまいがちですが、学級に正義を取り戻すには、荒れの外側にいて「黙っている子どもたちをどう援助していくか」ということが大事です。
 荒れの外側にいる子どもたちが声をあげられないと学級に正義を取り戻せません。
 そのために、これまで、ありとあらゆる援助を試みましたが、良かったのは「いやし隊」(学級内クラブ)でした。
 たとえば、ケンカで殴られた子をそっと気づかってあげるのが「いやし隊」です。それが学級の世論のようになっていった。それでケンカの再現タイムをやったら、この子たちが証言したのです。
 ケンカをめぐって話し合いをするとき、事前に班会議を開くようにします。班だと小さい集団なので安心してものが言えます。こんな言い方をするとわかってもらえそう、という練習にもなります。
 担任と子どもとの関係がこわれてしまっているとき、関係を取り戻す決めては「ほめ続ける」ことです。ほめることは、見捨てないよ、大事にするよというメッセージです。
 学級活動をたくさんつくり出し、「ほめる材料をつくる」ようにします。いろんなケースを想定して「様々なほめ言葉を用意」しておきます。
 もうひとつは「子どもと遊ぶ」ことです。
 遊べば、ほめることがいっぱいできます。担任は「楽しい遊び」をやるようにします。そう思ってやらないと明日、学校に行く元気がでなくなります。
 トラブルには必ず「わけ」があって、悪いことをして、みんなにわかってもらいたいことがあるということなんです。その「わけ」をわかってあげないとトラブルは繰り返します。
 子どもって、学校と家では同じでないことが多い。
 家でいい子が学校に来ると「うっせいな」とバランスをとっていることがある。大変な子どもほど、激しい言葉の裏に寂しさが隠れている。そういう言葉に出会えたときに、「彼らとの出会い直し」ができるのです。
 実際、たとえば「おめえなんか、死んじまえ!」と、私を蹴飛ばしながら叫ばれたことがあります。
 その「おめえ」って私じゃないんですよね。背景に何かがあって、それに向かって叫んでいる。そう思うと気が楽になるし、「わけ」がわかるまで、まあ、何を言われてもいいかと。
 トラブルを起こす子どもに対しては、「早めに援助」しながら、「作業を成功」させて、「ほめる電話」を家庭に入れると、子どもと保護者のつながりができます。
 子どもたちから投げつけられる暴言・悪罵に苦しんで心身を病み、そのため、途中退職を余儀なくされる担任もいます。
 子どもの「暴言の返し方もいくつか用意」しておかなくてはなりません。
 「くそばばあ」と言われたら、「誰に口きいているの」と言わず、「よかった、くそじじいじゃなくて」とか、そんな言葉では傷つかないよ、というメッセージを送るようにします。
(
斎藤 修:千葉県公立小学校教師、篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 ともに全国生活指導研究協議会常任委員)

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見えない荒れは大きな荒れになっていく、荒れの根っこを見つけよう、マニュアルに頼っていては指導力はつかない

 荒れの問題が見えそうで見えない、息の詰まりそうな「見えない荒れ」は、じわじわと広がると大きな荒れになっていく。
 教師にとっては強烈なストレスがたまり、逃げたくなります。
 この初期の状態を放置したり、指導に失敗すると、本当の学級崩壊や学年全体の荒れに発展します。
 例えば、小学校高学年の学級崩壊の初期や、中学校で学年全体が荒れていく初期などに見られます。
 はっきりとした目に見える荒れよりもやっかいである。根っこを見つけよう。
「見えない荒れ」はやっかいである。なかなか見えにくいため、指導がしにくいのです。
 例えば、教師が「こうしましょう」と提案しても、返事が返ってこないで、誰も実行せず無視されます。
 独特の冷たい空気が流れたりすることは、いじめや荒れの初期にはよくあります。
 廊下やトイレが汚されることが、広範囲の子どもたちに広まっているということもあります。
 最大の特徴は、誰も問題にしない。聞いても「私ではない」「私は関係ない」と無関心か無関心をよそおうことです。どうすればよいのでしょうか。
 あわててはいけません。とことん「根っこ」を追求しましょう。
「根っこ」を見つけないことには、指導方針が立てられません。
 まず、話を聞ける子どもたちから様子を聞きます。
 被害者がいれば、被害者本人に
「きみは気づいていないかもしれないが、きみの言動に対して冷たい空気が流れる気がするけど、きみはどう思っている?」 
 と聞き、そこを手がかりに「根っこ」を探します。
 廊下が汚されているなら、
「いったい、ごみを誰が捨てるの?」
「ごみが落ちていると、感覚がまひしてみんな落とすようです」
「じゃあ、最初のごみは?」
 などと「根っこ」を追求します。
 時には、休み時間の学級や廊下にいて、それとなく様子を見てみます。
 必ず「根っこ」につながる何かが発見できます。
  生徒指導は、人を対象した世界です。人の心の中を知ることは難しいものです。
 しかも、思春期の子どもです。
  この時期に子どもたちの心の中は容易にわかりません。
  心の中を知るコツは「よく観る」「よく聴く」です。
  そこから手がかりを得て「根っこ」に近づき、指導方針を立てます。
  マニュアルに頼っていては、生徒指導の力はつきません。
(吉田 順:1950年生まれ 37年間横浜市立小・中学校に勤務した。担任32年、生徒指導部長16年、学年主任13年などを兼任した。生徒指導ネットワークを主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の学校と関わる)

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なぜ、クラスが荒れるのかその原因とは、どうすればよいか

 荒れているクラスの教師は、問題が起こる度に「それは子どもが悪い」と子どものせいにします。否定された子どもは心を開かず、不信感を持ち、態度・顔つきに出ます。
 落ち着いているクラスの教師は、問題が起こると、まずは自分の指導を振り返り、子どもにかける言葉をかえてみます。子どもが教師に認められたと「プラスに解釈」するような言葉に変えてみるとよい。
 優し過ぎる教師のクラスは荒れます。
 子どもに甘いのです。子どもはそれを見抜き、あれもこれもと要求するようになります。「甘さ」を訂正しても「何で、さっきはいいと言ったじゃない」と納得しません。
 そこで、子どもの要望の発言を繰り返して受けとめ、気づかせます。「それで?」と問いかけ「次は・・・」と行動を改めるように話かけます。
 例えば、授業が始まったとたん「トイレに行っていいですか?」と言ってきたときは、
「授業が始まったばかりだけど、トイレに行きたいんだね?」
「次は、休み時間にトイレに行ってね」
 子どもに一言、釘を刺したわけです。「今までの先生とは違うぞ」と教師の変化を感じます。
 厳し過ぎる教師のクラスは、子どもを抑圧するので、荒れにつながります。
「自分のやり方は正しい」と確信しているので「先生の言う通りにやりなさい」と子どもたちを従わせようとします。
「悪いのは子ども」と思っているので、「いつも怒ってばかり」と反発心が募ります。
 厳し過ぎる教師は自分が言う通りにすれば、うまくいくことを知っているので結論だけを子どもに伝えようとします。子どもが反発するのは、言葉が足りないからです。
 厳しさの中に説明を加えて、そのことの効果を示すと、子どもは先が見えるので、子どもたちは指導を受け入れます。
 自分のやり方にこだわる教師のクラスは、荒れ始めます。
 子どものペースに合わせて臨機応変に対応する教師のクラスは、安定した日々を過ごすことができます。
 子どもたちが新しい教師のやり方に納得できるかどうかの基準は、これまでの子どもたちの経験です。納得できれば受け入れ、そうでなければ不満となります。今までのやり方と新しいやり方を試していくとよい。
 クラスの荒れのもとになっているストレスを抑えようとしてはいけません。それよりも、上手にガス抜きをさせることが肝心です。
 それには、子どもの行為の良い場面だけに注目します。そうすると子どもは徐々にストレスへの処し方がわかり、自分で自分の行動をコントロールできるようになります。
「笑う門には福来る」ということわざがあります。
 そこで、子どもたちが毎日登校する楽しみを提供してみます。私のクラスでは毎朝、リレーとカルタを行っています。
 リレーは、メンバーをある期間固定して行います。順位よりも記録の伸びに注目させます。成長に目を向けさせ、新記録が出ると、仲間と喜び合い笑顔が出ます。出ないときは、仲間と対策を考えます。
 カルタは二人一組で対戦し、勝つと上の班に昇格し、負けると下の班に降格します。勝つ秘訣は、反応の良さとカルタを覚えることです。
 カルタの勝利は個人の喜びですが、相手をしてくれた友だちに感謝する気持ちが芽生えます。負けると悔しいのですが「次回の対戦者はAくんか、彼には負けないぞ」と友だちに関心を持つことができます。
 真剣勝負だから、子どもたちは燃え、楽しさを味わい、みんなで共有することができるのです。
 なお「楽しむ」には条件があります。「ルールが簡単「準備・片づけが簡単」「結果が次回へのモチベーションになる」の3つです。
(城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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新任教師が学級経営に行き詰まり、精神的に追い詰められていったが、どのようにして前向きな気持ちを取り戻したか

 ある新任女性教師が、小学校4年を担任しました。
 それまでの2年間は非常勤講師として、いくつかの小学校で勤務していました。授業を「やりにくい」と感じたことはなく、不安はありませんでした。
 初めて不安に襲われたのは4月の保護者会でした。
「先生は、初任ですよね。授業の進め方については、指導を受けているのですか?」
「子どもが言うことを聞かないときは、どのように注意されるんですか?」
 保護者からの質問に言いよどむと、同席していた学年主任が助け船を出してくれました。
「学年で協力しながら指導に当たっています。だから心配なさらないでください」
 学年主任の言葉に保護者も安心し、その日は何とか乗り切りました。
 クラスに、中学受験を考えている子が数人いました。その中の一人A君は塾のテストでいつも高得点を取っていて、授業は遊びに思っている節があります。
 教師を出し抜こうとするA君の振る舞いに、少しずつ一部の子どもたちが「カッコイイ」と、同調するようになりました。
 すると、ますます調子づいたA君は、少しずつ授業中も好き勝手に振る舞うようになっていきました。
 ある日、新任教師が授業中にふざけたA君を注意したところ、その不満を母親にぶちまけたのです。
 話はA君の母親から他の保護者へと広がり、保護者たちから管理職に
「クラスは、落ち着いて授業を受けられる状況にない」
との苦情が寄せられました。
「頑張ってやっていると思っていたが、実はそんな状態だったのか」
 指導教官や校長は驚きました。そして、事態の収拾に向けて動き出しました。
 翌日から、給食時間には、専科の先生も一緒に入りました。また、学級活動は、学年主任のクラスと合同でやることになりました。
 そうした支援が次々と行われ、学級が落ち着きを取り戻す中で、新任教師の気持ちは逆に委縮していきました。
 ベテランの先生方の指導を見るにつけても、一人できちんと指導できない自分が情けなかったのです。
 表情のすぐれない新任教師を見て「自信をなくしているのではないか」と、管理職は気がかりでした。
 管理職は新任教師を呼ぶと、最近のクラスの状況について話し合った後、管理職が初任の頃の失敗談、先輩や同僚の助けを借りた話などを伝えました。
 新任教師は話を聞くうちに表情がほぐれてきました。
 管理職は、教師向けの相談窓口を利用して気持ちを整理してはどうかと提案しました。
 教師向けの相談窓口を訪れた新任教師に
「先輩教師と同じようにできないことを、気にし過ぎて、焦っているように見える」
「仕事は知識だけでなく、経験を通して見えてくるものが多い」
「そのことを受け入れられないために悩んでいる」
 ことを指摘しました。
 また「こうあらねば、ならないと思い過ぎて、自分を追い込んでいるのではないか」とも伝えました。
「比べるなら、人と比べず、過去の自分と比べず、過去の自分と比べたらどうでしょう?」
と、言われた新任教師は、着任からこれまでのことを振り返りました。
 4月よりも、やれることが着実に増えている自分に気づきました。
 翌週からは、少しずつ前向きな気持ちを取り戻していきました。
 その後も困難に直面しても、その都度、自分で精一杯努力すると同時に、時には、泣きながら先輩に相談したり、相談機関に飛び込んだりしました。
 そして、何とか年度末までこぎつけたときには、1年前より教師としても成長していました。
 新任教師は、一人で抱え過ぎず、困ったら必ず誰かに相談することを、心がけたいものです。
(真金薫子:東京都教職員互助会三楽病院精神科部長、東京都教職員総合健康センター長、東京医科歯科大学臨床教授)

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学級が荒れ・崩壊したときの経験は必ず生きる、自分なりの実践を創造していくうえで貴重な経験となる

 学級が荒れたときの精神的な苦痛は、他の仕事と比較にならないほど大変なものです。
 子どもたちから「うるせー」「ボケ」「死ね」などという暴言を浴びせられることだって少なくはなく、ときには小学校においてさえ、子どもから暴力を受けることだってあります。
 その屈辱たるや、おそらく想像しがたいほどだと思います。
 授業中立ち歩いたり、四六時中おしゃべりがあり、授業妨害などがあれば、教師としての自信が急速に失われていきます。
 疲れきって、退職を余儀なくされる教師も見られるのは、そのためです。
 それでは、荒れ、崩壊した学級を担任したとき「教師にとってプラスになることはないか」と言えば、けっしてそんなことはありません。
 大変な学級をもつことで、見えてくることも少なくないからです。
 むしろ荒れた子どもたちと接することが、指導力をアップしていくきっかけになることも事実です。
 自分の実践の問題点も浮き彫りになることもしばしばあり、教育観や子ども観を深める機会になることも多いものです。
 そういう意味では荒れた子どもたちと出会うということは、教師が従来の指導の枠や固定観念を崩し、新たな成長を遂げていく時期でもあるのです。
 それは、教師が子どもと教育を再発見する旅立ちでもあります。
 自分の感覚、感性をもとにつかんだものは、本を読んで学んだことと違い、自分なりの実践を創造していくうえで貴重なものです。
 ひとつの発見が実践を豊かにしていく場合が少なくありません。
 私がこれまで、何度か荒れた子どもたちを担任する機会がありましたが、その中で得たことの一つは、度胸がついたということです。日常の実践では重要な意味をもつものです。
 私の場合、荒れた学級を担任した経験によって度胸がつきました。
 度胸がつくと、教師が子どもたちに同じことを言ったとしても、教師のまなざしや顔の表情などの微妙な違いが生じ、子どもたちの受け取り方はかなり違ってくる。
 度胸は実践が困難なときであっても「なんとかなるさ」という思いにさせてくれます。余裕を生むのです。
 ああ、どうしようという焦りを緩和する役割を果たします。必要以上のストレスを防いでもくれます。
 冷静に判断することが可能になり、管理主義的な対応を避けることができるのです。
 このような教師の姿勢は、子どもとの信頼関係をつくっていくうえで不可欠です。
 学級が荒れた場合には「なんとかなるさ」という思いになれるかどうかは、かなり重要なことです。
 荒れをくぐり抜けることで、度胸はつくられていきます。
 一回や二回クラスが荒れてどうしようもなくなったとしても、長い教師生活からみれば、決して無駄なことではないのです。
 人間の心理は複雑です。子どもの心理も複雑です。教育という仕事が毎回毎回うまくいくなどと考えること自体が、そもそも無理なことです。うまくいかないからと言って、落胆ばかり必要はないように思います。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師、北海道教育大教授を経て松本大学教育学部教授。「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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中学校の学級が荒れ崩壊したときに、先輩教師の親身になったアドバイスに救われた

 私は支援学校を4年勤務し、中学校に転任して1年生の担任になりました。
 学校がかなり荒れていました。注意すると屁理屈をこね、あきれて黙ると「勝った」と大騒ぎ。
 次第に私の指導が入らなくなり、周囲の生徒の失望感になっていることに気づきました。
 私は班編成や行事の取り組みなど、生徒の意見を聞いてみようという立場でやっていました。
 私は、生徒を好き勝手にさせているつもりは全くなかったのですが、私自身、生徒を深く観察する目がなかったので、現実には生徒に押されていました。
 生徒たちの意見を取り入れるどころか、発言力のある子、押し出しの強い子のペースでクラスのことが決定されていきます。
 私は、私の思いとは別な方向にクラスが向かっていることに焦りました。具体的にどうしたらよいかわからない状態でした。
 朝、教室のドアを開けると、積まれた机や椅子が崩れ、チョークが飛んでくる。
「先生失格、早くやめろ。あたしたちは、小学校の先公も辞めさせたんだから」
「てめえなんかに用はねぇんだよ、死ね」
「顔が気持ち悪いんだよ、担任かわれ」
などの暴言の嵐。注意すれば
「うざってぇんだよ」「なんで俺ばっか注意するんだよ。ひいき、ひいき。教育委員会に訴えてやる」
と、その生徒のまわりに、はやしたてる生徒が加わります。
 生徒を叱りながら、私の膝が本当にガクガク震えます。
「きみたちのやっていることはおかしいよ、どうして」
と言いながら、毎日泣いていました。
 このひどい状態をどうするか、私は本や講演会を参考にして、私なりにやってみました。
 教室に入る時は笑顔でとか、生徒の登校時に教室が整理整頓されているようにとか、休み時間はなるべく教室にいようなどです。
 しかし、やればやるほど自分がみじめに、空しくなっていくのでした。
 私が笑顔で教室に入ったとき、生徒のイタズラで机が滑ってきて私に激突したらどんな顔をしたらいいのでしょうか。まるでピエロです。
 休み時間に教室に残ることほど怖いものはないのです。何かしよう、言ってやろうと生徒が手ぐすね引いて待っているのですから。
 私を支えていたのは「こんなのおかしい。負けてたまるか」という憤りでした。
 しかし、だんだん「どうでもいいや」という気持ちになっていきました。職員室でも毎日泣いていました。
 二学期になると、朝起きたとき、全く声が出ず、欠勤するようになりました。
 心配したM先生が同期の友人に「気晴らしに誘ってやったら?」と言ってくれたので、友人と夜飲みに行きました。他の若い仲間も来てくれて元気が出ました。
 私の副担任はベテランの男の先生でした。私が立ち往生していると、代わって叱ったり説明したり、熱心にカバーしてくれました。
 しかし、副担任の先生が助けてくれればくれるほど、私の立場は悪くなり、底なし沼に入っていくような感じがしました。
 M先生たちの助言は具体的で本当に私を支えてくれました。やってみようという気持ちになりました。例えば
 ある朝、職員の打ち合わせで「今日は学活の席替えと、委員の選出と、今学期の目標です」と指示されたとき、M先生に
「この順番でやってはだめよ。一番に、黙ってやれるもの。二番に、口を使うもの。最後に体を動かすものよ」
「一度、生徒を動かしたら、落ち着かなくなって、集中しにくくなるからね」
と言われました。
 こんな簡単なことだったのかと思うほど、やりやすかったことを鮮明に覚えています。これが「技術」と呼ばれるものだったんだ、と思いました。
 また「生徒が誰も私の話を聞いてくれない」と私が泣いていたときは、A先生に
「何となく全体を見渡して話していない?」
「後ろの端から、一人ずつ順番にしっかり見てごらん」
「必ず目が合う子がいるから。そういう子が一人でもいたら、その心に答えなくちゃ」
「こんなのおかしい、嫌だって思っている子、いるはずよ」
 そうやったら、見ているのです。話を聞いてくれそうな生徒が。
 また、A先生はつぎのような助言をしてくれました。
「悪いことを見て見ぬふりはだめ。自分が今できることをやればいいのよ」
「必ず一声かけるのよ」
「生徒がうるせえな、と突っかかってきても立ち止まらなくいいから、穏やかに、でもあきらめず必ず声をかける」
「そういうジャブがだんだん効いてきて、話が入りやすくなるのよ」
 この実践はかなりつらいものでした。しかし、うまくはできなくても、やっていることは生徒全員が見ています。
 また「叱るとき、いつもわかりましたと言わせる必要はないのよ。考えてみてね、と終わらせる方がいいときもあるでしょ」
 そして、保護者との話し合いがうまくいかず、悩んでいると、
「子どもの悪いところを並べられたら、親もいい気持ちはしないでしょ。親はどうしたらいいか困ってることが多いのよ」
「お母さんも大変だと思いますが、子どものために一緒に頑張りましょうし言ってごらん」
 また、つぎのようなことも教わりました。
 生徒の投げやりな態度には愛をもって、屁理屈にはユーモアと、皮肉も混ぜて、時には熱っぽく、時にはサラリと、あきらめず何度でも話します。
 それはまさに、ものの見方、考え方を教わったことでした。
 M先生たちは生徒に「自分は見捨てられなかった」という思いを心に残したい。
 この子が社会に出るのに、今どんな力が必要か、どういう人になってほしいか、人として大事なものは何か、それをあきらめずに言い続けようとしていた。
 それには、私自身がどういう人間になりたいか、何を大切にしているかを考えないといけない。
 自分の思いをどう伝えたら相手にわかってもらえるか、いろいろやり方を工夫しないと。
 など、私はそういうM先生たちの言葉や、さまざまな場面を想定しての言葉を、聞いたり自分で考えたりしてノートに書きとめ、何度も何度も、せりふを覚えるように声を出して練習した。
 結局、最後は、自分の人間としての姿勢を問われているのだ。ごまかしはきかない。
 私がつらさを乗りきれたのは、苦しい時に、感情をそのまま受け止めてくれる何人かの人々に出会えたおかげです。
 また、同世代の仲間にもずいぶん助けられました。同じ悩みの人と話すと、自分を客観的に見やすくなります。
 また遊びや趣味など、仕事と全然関係のない話で盛り上がれると、気持ちが開放されます。
「独りぼっち」と思ったとき、勇気をだして、こちらから声をかけてみませんか。自分が困っている時こそ、痛みが共感でき、助け合えるチャンスかもしれません。
 私は人に助けられたので、困ったときには手を差し伸べ、支え合いたいと思っています。
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東京都公立中学校教師)
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諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表
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子どもとの関係がぎくしゃくした新採教師の余裕のない息がつまる授業を参観して思ったこと

 新採教師の授業を参観しました。
 小学校1年国語の授業で話すこと・聞くことの教材文「みぶりでつたえる」を読み取るのに「ジェスチャー大会をしよう」に作り変えて実践していました。
 つまり、楽しく、しかも意欲的に学習できるように工夫しました。
 ところが、残念ながら、子どもと先生の関係が、ぎくしゃくしているのです。
「円になって、やってみよう」と先生が言っても「いやだ」という子が何人もいてびっくりしました。
 そんな中、一人の女の子が「ちゃんとやんないと、いけないんだよ」と促して、ようやく男の子たちが動いて授業が始まりました。
 私が新採のときの授業を思い出しました。一人、言うことを全く聞かない子がいたなあと、苦い思い出がこみあげてきました。
 先生は笑顔がありません。思いつめた顔をしています。
 私には、その先生が心の深いところで絶望し、疲れきっていて、子どもたちの行動を怒っているように感じられました。
 私も当時はきっと、そういう余裕のない顔になっていたに違いないと思いました。
 参観している私も、息が詰まってくるような授業でした。
 いくつかの身振りを、代表の子に、やってもらったのですが、それに対して、何人かの子どもたちが「へただ」などと言うのも、びっくりしました。
 先生が、やってくれた子どもたちへの拍手も、ねぎらいの言葉かけ一つしないのにも、びっくりしました。
 毎日が辛いだろうなあと、感じました。先生と子ども双方が疲れています。
 あきらめずに、子どもとのよい関係を授業の中で作っていってほしいと、祈らずにはいられませんでした。
 できたら、拍手をし、いいことをしたらほめる、ということをするといいと思いました。
 やっていいこと、悪いことを示し、いいことはいい、悪いことはいけないと教えていけばいいのではないかと思いました。
 何でも、少しでもできたら、ほめていけば、逆らっていた男の子たちも、少しずつ、変わっていくと思うのです。
 おとなしい子に目をかけて、いっぱい話しかけたり、遊んだりして、なかよくなっていけば、あったかい雰囲気ができてくるのではないかと思いました。
 授業の技術などは二の次です。一人ひとりを大事にした、あったかい雰囲気を作っていって、この先生が楽しく笑顔になっていけば、子どもたちも自然と変わっていくことでしょう。
 道は遠いけれど、全身全霊をこめていけば、少しずつよい方向に向かっていくことでしょう。
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卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたってまいる
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ボスに勝つにはどうすればよいか、荒れたクラスを立て直す第一の方法とは

 授業中にボスが勝手に出て行って、戻ってきたときこそ取り上げるべきです。
「今、授業中ですよ。あんたは勝手に出て行った。今度は、先生に言いに来なさい」
「そんなのうるせーな、いいじゃねーかよ」と言うかもしれません。
「いや、いけません。授業中ですから、行くんなら先生に断りなさい」
「いいよ、ケチ」
「じゃ、きみがいいって言ったから、いけないと思う子、手を挙げてごらん」子どもだから半分くらい手を挙げますよ。
「この子が言っていることがいいと思う人、手を挙げてごらんなさい」仲間が何人か手を挙げます。
「そう、授業中に先生に黙って出てもいいって子が何人かしました。先生はとっても大事な問題だと思いますので、これから学級通信を書きます」
「〇〇くんとか、△△くんとかは、正しいと言ったので、ちゃんと名前を書いて意見を書きます。ですから、〇〇くん、意見を言ってください。本心ですか?」〇〇くんは、しょんぼりした。
「勘違いだったのね。勘違いなら、もう一回聞きます。授業中に先生に断りなく勝手に出ていった。このことが悪いと思う人、手を挙げてごらんなさい」わーと手をあげますよ。
「いいと思う人、手を挙げてごらんなさい」
 その子は、手を挙がった方を見ないかもしれない。さいなまれるんです。
 けんかはこうでなくちゃいけないんですよ。
 そういうことを一つ一つやるんです。今、言った、たった一つのことを突破すれば、半分は従います。
 荒れたクラスを立ち直らせるのは、教師の統率者の自覚です。必ず勝つ。
 そして、授業が楽しい。授業が楽しくおもしろければ、いつの間にか、だんだん、じわじわ効いてきます。
 第一は、授業ですよ。授業がおもしろくて楽しいことですよ。このおもしろくて楽しいこと抜きに学級を立て直すなんてないです。これはもう第一条件ですね。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる
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