カテゴリー「学級の荒れ」の記事

友だちや担任に暴力を振るう、わがままでいうことを聞かない子どものために、他の教師の力をかりる屈辱に耐えた

 小規模校の田舎の小学校に転勤して、二年生を担任しました。学級崩壊の言葉が聞こえてくると、二年前のあの頃が思い出されます。
 けっしてベストではなかったけれど、まあまあだったので、いままでのやり方で二年生の学級をまとめていこうと考えました。
 十月をすぎるころから、クラスの一人の男の子がいうことをきかなくなりました。自分の思い通りにならなかったら、平気で友だちを殴ったり、けったりしてしまう。
 その子があまりにも、わがままを押し通そうとするので、学級づくりに「わがままはダメ」を取り入れました。それが彼の心をキレさせたのでしょう。
 それまでは、授業中、私が彼のいうことをかきかなかったり、彼をあててやらなかったりすると、むくれたり「先生はおれのこと嫌いなんや」などといっていた、たぐいでした。
 しかし、自分の思いが通らなくと、いきなり担任の私に向かって暴力をふるってくるのです。私は、自分がいたらなかったのだと、軌道修正をしてみましたがだめでした。
 一月になると授業が終わったとたん、私に向かって殴る、ける、髪の毛を引っぱる、などの行動にでてきました。
 校長から「けっして、あんたからは、やりかえしはしないように」と言われました。
 まだ二年生だったから、二~三回の通院ですんだのだと思います。でも、殴られた耳の聴力は悪いままです。
 今日こそは彼にやさしくしてやらねばと思って学校に行くのですが、暴力を受けるともうダメでした。
 暴力は毎日でした。まわりの教師がたまりかねて、当番を決めてはいってくれることになってからは、授業は少しゆとりをもってできるようになりました。
 彼が暴力を振るってきたら、彼を別室にひきずりこんで、さとしたからです。
 でも、二十年以上の経験があるのに、他の教師の力を借りないと、やっていけないなんて、屈辱でした。
 私が、自分の経験から「やり方を固定してしまった」ことが、子どもたちの実情にあっていなかったんではないかと思えます。
 彼は「愛を求めているんだ」ってことは、わかってはいたんですが、私の言葉かけや、一緒に遊んでやることに、不足しているものがあったのでしょう。
 私は当時、家庭の問題をかかえていて、ゆとりなんてありませんでした。
 その後、同僚教師がさそってくれた外部の生活指導研究会に参加させてもらって、自分のやり方の「かたさ」がわかってきました。
 二年目になって、やっと私の心の傷もじょじょに回復に向かっています。
 子どもたちに「あなたのことが大好きなんだよ」っていうメッセージをいつも教師の身体や心から発することが、学級づくりの基本だということを再確認しました。
 子どもたちを笑わせてあげることも大事な学級づくりの一つのようです。子どもたちは、よく笑わせてくれる先生を心まちにしているようです。
(
大阪府公立小学校女性教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級が荒れ出し学級崩壊したとき、授業はどう改善すればよいのでしょうか

 学級崩壊はどこでも、どんな教師でも起こりうる時代です。
 荒れ出したら元にもどすのは、至難の業です。荒れた子どもたちとやっていかなければならない。工夫をしなければ教師自身、持ちこたえられません。
 まず、荒れていても授業はしていかなくてはならない。授業を改善することを考えましょう。
 基本の考え方は、子どもをひまにさせないということです。
(1)
テンポのある授業にしましょう
 子どもとうまくいかない授業はテンポが悪いのです。変にまのびしたり、滞ったりしています。
 退屈な授業を聞いていられなくて暴れるのなら、どんどん進めて退屈するひまを与えない方が良いでしょう。
 崩れかかっている子どもたちには、テンポは最も必要なことだと思います。
 荒れている学級は、どんどん教師の予定通りに進めていくのです。
 テンポよくどんどん進めてしまうと、よけいなことをしている時間が減ります。すると授業が成立しているように見えます。
 もちろん、間をとることは大切なことです。じっくり考えさせる授業は良い授業です。しかし、じっくりと考えることのできない状態になっているのですからね。
(2)
楽しい、面白い授業
 楽しい、面白い授業のために、いろいろな準備をして授業を行います。
 子どもたちとの関係をどう修復するかと悩むよりも、いかにして面白い授業にするかに力をそそぐようにします。人間関係が一度うまくいかなくなったら、そっとしておくしかないのです。
 子どもたちは、切り替えが速いから「楽しいな、おもしろそうだな」と思ったらのってきます。そうすれば、学級崩壊していても授業が成立します。
 絵本を読むと、よほどのことでもない限り、その間は教師の話を聞いています。子どもに合う絵本をいつも用意していれば、その読み聞かせをする数分間だけは、子どもたちは黙って聞いてくれます。教師の心の安定上良いことです。
 漢字の学習は、漢字のビンゴとか画数のゲームなど、ゲーム感覚でできるものを入れると、そういうことだけは高学年の子どもたちものってきます。
 こういうものは、ネタで良いのです。おもしろい学習のネタがたくさん本になっていますから、そこから取り入れると良いでしょう。(例:中村健一著、中條佳記著等)
 荒れてしまったら、緊急避難という感覚でネタを使ってみるのが良いと思います。
(3)
活動を中心とした授業
 子どもが話を聞いてくれないのだったら、話さなくても授業の大半が進むような工夫をするべきですね。
 そのためには、協同学習のような子どもたちだけで、できる活動を授業に入れることが良いでしょう。
 音読も活動です。五分間全員で音読していたら、私語やがさがさしにくいものです。
 ワークシートを使った一人学習を主体にしていけば、その間は、けっこう静かに学習します。
 つまり、子どもたちに活動させれば、荒れた時間ではなくなるので学級崩壊でも授業が成立するということです。
 そういうふうに、授業を工夫していけば良いのです。関係修復よりも、私は授業の改善を大切にすべきだと思っています。
(
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級の荒れが起こるのは、どんなときなのでしょうか

 学級はなぜ荒れるのでしょうか?
 はっきり言って、教師の力量不足が8割くらいでしょうね。多くの場合、いわゆる子どもとの関係づくりの失敗が大きいのです。
 教師と子どもとのつながりができていないのです。なぜ、できないかというと、一つは、教師が子どもに対する武器を持っていないからです。
 子どもたちをひきつけるもの、子どもたちが尊敬できるもの、そういうものが何でもよいから教師にあると、子どもは教師を一目置いて見ます。
 サッカーが上手でも良いし、走るのが速いでも良いし、絵を描くのが得意なのもありです。
 そういうものが一切なしで子どもたちの前に立って、ああしろ、こうしろと命令を繰り返しても、子どもたちにはひびいてきません。
 次に、教師と子どもの間にコミュニケーションがとれないからです。コミュニケーションは、授業中にもあるし、日常のありとあらゆる機会にも存在します。
 この日常的に行われているコミュニケーションのときに、教師はきちんと子どもたちと言葉を交わしていっているでしょうか。
 それができないと、本来、教師が子どもたちのために行っている全ての事が「先生が勝手にやっていること」になってしまうのです。
 学級の荒れが起こるときは、どんなときなのでしょうか。
1 トラブルで教師が子どもを納得させられないとき
 いじめや暴力等の複雑な問題は複数の教師や管理職であたるのが基本です。
 ちょっとした小競り合いやけんかのような場合は、まずは、トラブルがあったときに、子どもの思いをよく聞かねばなりません。一部の子どもの声だけを取り上げて、子どもを叱ると不公平になります。
 複数の子どもたちから話を聞くことで、事実を正確に把握することができます。
 私は、子どもたちからの話を聞いて、A3の大きな紙に描き込んでいきました。全員から一通り聞き終えたところで「付け足すことは?」と尋ねて、確認して事実の把握していました。
 保護者から「なんで、うちの子が叱られたのですか?」というクレームがきたときに説得することができます。
2 教師に笑顔がない
 子どもたちと一緒に笑うって、とても大事なことなんですよ。一緒に笑うと、安心感が生まれやすいのです。
 荒れる学級にしていく教師には、間違いなく笑顔が足りません。
3 子どもたちのガス抜きができない
 教師が子どもたちをぎゅうぎゅうに締め付けて、学級を維持させて、荒れをつくるバターンです。緊張を長い時間続けることには、限界があります。何かの出来事をきっかけに崩壊します。
4 授業が分かりにくい(おもしろくない)
 分かる授業は、どの子どもにとっても楽しく、授業が嫌じゃなくなってくるのです。
 分からない授業は退屈です。そういう授業をしている教師に対して否定的になるのは当然ですよね。
 1日に一教科でも、おもしろいなと感じさせられたら荒れる確率も少しは抑えられるでしょう。
5 子どもを教師の思うようにコントロールしようとする
 子どもに恐怖心を与え、プレッシャーをかけて、子どもをコントロールしていくやり方をする教師がいます。
 子どもは人格を持った人間です。ペットのように厳しさで調教することはできないのです。
6 子どもとのコミュニケーションが成立しない
 全国各地で若手教師の授業を観ていると、子どもたちとコミュニケーションが成立していない状態を見かけます。
 コミュニケーションのある授業とは、子どもたちの反応に応じて
「今のは、どこか分かりにくかったかな?」
「なんだか、みんな困ったような顔をしているね」
とか、問い直す授業です。
 また、一人の子どもの発言に対して
「みんな、Aくんの言ったことを、どう考えるかな」
とクラス全体に返す授業のことです。
 自分勝手なペースで授業を進めている教師がいます。そういうクラスでは、子どもたちは授業が進むにつれて、どんどん学習から離れていきます。子どもたちは教師からも距離をとるようになっていくのです。
7 子ども一人ひとりとのパイプがない
 子どもとは、教師と一人ひとりつながっていくパイプが必要です。パイプとは
(1)
子どもたちと一緒に遊ぶ
 一緒に遊んでいると、子どもたちは素顔を見せてきます。どこか仲間意識が芽生えて、話を聞いてくれることもあるのです。
 教師は遊んでいるとき、公正なお山の大将になれます。
(2)
趣味を共有できる
 子どもと趣味を共有できたら、その子とつながることができます。
(3)
日記でつながる
 日記は子どもたちと個別につながる有効な手立てです。
 学級崩壊状態の五年生の担任が、個々の子どもたちとの日記のやりとりをしていたら、何人かの子どもたちが「わたしは今のままではいやなんです」という声を聞かせてくれました。
 それで、その子たちのために最後まで続けることができました。
 教育は、結局は一人ひとりとの関係の上に成り立ちます。日記は関係づくりの手立てのひとつです。
この7つです。
((
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級が荒れたとき、学年団の教師の協力を得て乗り切ることができた

 中学校では教科担任制のため、学年団でのチームプレーが欠かせない。そのためには「報告・連絡・相談」(ほうれんそう)をつねに意識することである。
 私は中学校1年生の担任になった。この学年は小学校とき、かなりひどい学級崩壊を経験している。
 生徒たちは、教師への暴言が頻繁にあり、教師に対する不信感が強かった。学年の教師は日々闘っていた。
「大きな声が聞こえたら、すぐさまその場に駆け付ける」というキャッチフレーズがあったほどだ。実際に大きな声が聞こえたら、飛んでいった。
 どこかの教科が崩れると、全体が崩れていくこともある。
 学年の教師集団で学年の生徒に対応することを確認して実行していった。
 そのためには、クラスで起きたこと、授業での出来事で必要なことは、早く学年団に報告する。
 そして、自分が行った指導や、こうしていこうという指導の見通しを伝える。指導のことで迷ったり、悩んだりしたら学年団に相談する。
 学年団に報告し、相談することで、気にかけてもらったり、いざというときに助けてもらえる。教師の力不足なところを補ってもらえるのだ。
 クラスで「こんないいことがあった」ということも、どんどん伝えると、学年団の教師は幸せな気分になれる。
 私のクラスの女生徒Mは異性に興味が人一倍あり、いろんな男の子にアタックするので嫌がられ避けるようになった。
 Mがそばに来たとき、わざと体をよける。嫌なあだ名をつける。通りかかったとき「きしょい」と言う。持ち物に傷をつける生徒もいた。
 多くの男の子は「Mは悪いから、嫌なことをしてもいいのだ」と思うようになった。
 クラスの生徒のMに対する「嫌がらせ」は重大な事件であると私は考えた。
 私は、Mに対する嫌がらせをなくすために、クラスの生徒と対決することにした。
 学級活動の時間に対決するので、学年の教師に協力を依頼し、時間の空いている教師に来てもらった。
 そこで、私は生徒からもらった手紙を読んだ。
「このクラスに苦しんでいる人がいます。『きしょい』と言ってしまったとき、悪いことを言ったなと思ってほしい。自分はどこが悪いか考えてほしいと思います」
「『きしょい』という悪口をいわないということをクラスの約束にしてほしいと思っています」
 私は担任として「人の不幸の上に自分の幸せを築き上げることが許せない」と話した。
 私は目を見開いて、一人ひとりの生徒の目をゆっくりと見ながら、私は
「中学校に入って、人に対して『きしょい』と言ったり、悪口を言ったり、嫌がらせをした人は立ちなさい」
と言った。男子生徒の半数、女子生徒が二人立った。私は
「もしかすると、その人にも非があるかもしれません。しかし、相手がどうであろうと、やってはいけないことは、やってはいけないのです」
 学年の教師が1時間、ずっと教室の後ろにいてくれ、少し話をしてもらった。おかげで何とか乗り切ることができた。
(
月安裕美:大阪府公立中学校教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級の荒れや崩壊を予防する妙手とは

 教師は、学級の荒れや学級崩壊の危機にさらされている。
 学級の小さなほころびを放っておいたツケがたまって荒れはじめる。
 学級は。組織を作ったから動くわけでなく、子どもたちはルールを理解したからといって守るわけでもない。必ず少しずつほころんでくるのである。
 おおむね、六月ごろに子どもたちは荒れはじめる。小さなことも見逃さない執念で、とりくむ覚悟が必要だ。
「先生は絶対やると言ったことは通すんだ」と、徹底する執念があるかによって学級が崩壊するかどうかが決まると言ってよい。
 掃除、給食当番などの班で行う活動がうまくできないなどは、学級崩壊への予兆である。
 子どもたちは、お互いの行動について注意しあうことができない関係になっているためである。
 こんなとき、学習活動にペア学習を取り入れるとよい。学習の中で協力しなくてはいけない場面をつくる。
 たとえば、発問で選択肢を三つほどだし「二人で相談して、一つの意見を選びなさい」と指示を出すのである。
 子どもたちが向き合うようにしむけることが必要なのです。
 次に「子どもたちの持つ力を利用して導いてあげる」ことである。
 教師が子どもたちを仲よくさせるのだが、教師が頑張るのではなく、子どもが頑張るようにすることだ。
 子どもたち集団のもつエネルギーは計り知れない。明るい方へ、自然と導いてあげられれば、おのずとクラスも明るくなるのである。
 学級にはさまざまな子がいる。当然、どの学級でも問題行動が発生する。そんなとき、教師は気落ちしてしまうものである。しかし、見方を変えれば「ピンチはチャンス」である。
 教師が動揺し浮き足立てば、まずい対応となり学級の荒れや崩壊を招く。心にゆとりを持った対応が求められる。
 問題が発生した場合は、まず冷静に事実を受け入れ、事実確認をし、それを突破する方策を考えることである。
 子どもだから、つまずきは当たり前であるという度量を教師が持つ必要がある。
 問題行動を通して、子どもが考え、学ぶことができる貴重なチャンスなのである。
 指導者である教師は本筋をとらえた好手を次々に打っていかなければならない。
 本筋は、子どもに過ちを反省させることである。過ちをしてしまった本人に話させるようにすべきなのである。
 その指導にはコツがある。それは「子どもの自発的な発言を中心に対話を組み立てる」ということである。自発的な発言は子どもの内省を促すことができるからである。
例えば、
「何か悪いことしたでしょう。先生に話してごらんなさい」
「他の人から、いろいろな話を聞いたのだけど、先生は〇〇さんの口から、そのことを聞きたいと思ったんだ」
「そう、偉い、よく言ってくれました」
「でも、先生の話してほしいのは、そのことではありません」
「まだ、他にあるでしょう」
と、詰めていくのである。
 この指導のコツを知ってから、子どもと事件を共有し、怒鳴ることなく指導することができるようになった。
 真相が分かった段階で「そうしてしまったことをどう思いますか?」と反省を促し、注意すればいいのである。
 学級には、ボス的な存在の子どもがいる場合がある。そんなときは、その子一人だけの指導にこだわってはいけない。
 どうしても目立つ子が気になるが、その他大勢の子どもたちへの対応に力を注ぐことが、遠回りのようで、近道となることがある。
 授業に力を注ぐようにして、まじめに学習している子どもたちの信頼を獲得するようにする。
 戦うときは一対一で「その他大勢の子どもたちを味方につける」ことが大事なポイントとなる。
 叱ることについてもルールが必要である。何をどこまでしたら、注意なのか、それとも叱ることなのか、といったことである。
 教師は自分の中にしっかりと持っていないと、子どもたちは敏感である。見ていて、差があると、あっというまに教師への信頼を失う。子どもたちは差別に敏感である。
 もし、教師に授業の腕があれば学級崩壊はありえない。授業が退屈で、わからないと反発するのは当たり前である。
 授業を良くすること、子どもたちにとって価値のあるものにすることが、学級経営の王道である。
 しかし、残念ながらこればかりは、本を読み、研究授業をし、サークルに通い、汗と恥をかくしか上達の近道はない。
 教師が成長をとめると、子どもたちも、ついてこなくなる。
 子どもたち一人ひとりの長所が学級の風土になり、一人ひとりの子どもを伸ばそうと教師が考えているか。教師の姿勢や心構え、指導方法をチェックし、方策を講じることが何よりも大切である。
(
中島主税・矢田広和・大久保奈生子・大沼靖治:北海道公立小学校教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

荒れた学級を変えるには授業のとり組みが重要である、そのためには、みんなで知恵を出し合い、想像し、発見していく共同の学びの授業を創っていくようにするとよい

 荒れて集中できない学級では、静かにさせてから、授業をしようと思ってもだめです。
 授業をしながら、授業そのもの中で、集中するようにしていかないといけないのです。
 おしゃべりが止むまで待っていたら、いつ授業が始まるかわかりません。
 子どもたちも、授業の入り口で注意されたり、説教されたりすることは嫌なのです。そんなことをしていると、ますます授業にのらなくなります。
 子どもたちが深く学ぶためには、緊張が必要だと思います。
 その緊張を外からつくろうとしても、なかなか育ってはいきません。授業中の「きまり」をいくら作ったり、教師が怒鳴ったりしても、うまくいきません。
 授業で大事なことは、内的な緊張です。
「あっ、おもしろそうだ」「なぜ、そんなふうになるんだろう?」というような、内面の働きの中で、自然に自分自身で緊張をつくっていく「内的緊張」こそ大切だと思っています。
 この「内的緊張」を授業の入り口でグーンと高めていくことが、私たち教師の大事な仕事のひとつです。
 教材研究でまず大事なことは、いかに教えるということよりも、むしろ教師自身が授業で扱うことについて、どれだけ深く知り、どれだけ知的好奇心を高めることができるか、ということです。
 子どもたちが楽しく、おもしろく、深く学べるようにするためには、この教材研究が不可欠です。
 荒れる子どもたちが、授業で目を輝かすことができるかどうかは重要なことです。
「何のために、わざわざ学校に通って学習するのか」という問いに応えるような授業とは
「みんなで知恵を出し合い、想像・推理し、発見していく、共同の学びを創っていく授業」です。
 荒れた六年生の子どもたちに、私は次のような授業をおこないました。
 六年生の最初の授業は「日本における考古学の始まり」を扱いました。
 この一時間目をどのような授業にするかは、これからの一年間の学習にとっても重要な意味をもつものと思われました。この一時間が楽しければ、社会科の学習に対する姿勢が変わってくるはずです。
教師「1877年(明治10年)の6月18日のことです。横浜の港に一艘の外国船が着きました。この船には、どんな人が乗っていたでしょうか?」
子ども「外国人」「アメリカ人」「イギリス人」「外国から観光に来た人たち」「何か調べるために日本にきた外国人」
教師「実は、この船には、モースというアメリカ人が乗っていました。横浜の港についた動物学者(貝の研究)モースは、東京へ向かう列車の窓から景色を眺めていました。あるところまで列車がきたとき、ここは大昔の人びとの生活がわかるものが埋まっているはずだと思いました」
教師「モースが見たものは、いったい何だったんだろう?」
子ども「海」「魚」
教師「そういうものからは、大昔の人々の生活はわからないと思う」
子ども「貝がら」
教師「どうしてそう思ったの?」
子ども「大昔の人たちが食べた貝がらだから」
子ども「大昔の人たちが食べたものや、いらなくなったものを捨てたゴミ捨て場」
教師「そう、貝がいっぱい捨ててある場所なので、ここを掘れば大昔の人々の生活がわかるものが出てくるはずだと考えたのでした」
教師「そして、この年の10月、東京大学の教授たちといっしょに、モースはその貝塚を発掘したのでした」
教師「さて、実際に発掘してみたら、貝の他にどんなものが出てきたと思いますか?」
子ども「土器」
教師「そうです。土器もでてきました。土器はどんなことに使ったんだろうね」
子ども「食べ物を入れておいた」「煮たりするときに使った」
教師「他にどんなものが出てきたと思いますか」
子ども「魚や動物などの骨」「石でできた道具」
教師「そうです、石器も出てきたんです」
子ども「つり針」
教師「骨で作った針が発見されています」
子ども「人の骨」
教師「そうです。人骨も発見されているんです」
教師「その人骨がばらばらな状態で発見されたんです。モースはそれを見て、どんなことを考えたでしょうか?」
子ども「他の動物に食べられた」「殺されバラバラにされた」「人が人を食べた」
教師「そうです。モースは、発見された骨の多くは、真ん中ぐらいで折られているものが多かったこともあり、人が人を食べたのではないかと考えたのでした」
教師「モースが列車の窓から発見したこの貝塚は、大田区にある大森貝塚です。発掘によって、何千年も前の大昔に、人々が住んでいたことがあきらかになりました」
教師「この発見がきっかけで、日本においても、大昔の人々の研究が進んでいったのです」
 授業が進むにつれて、子どもたちの表情も変わってきました。
 全員が集中したわけではありませんし、発言も限れていましたが、子どもたちにも「学んだ」「楽しかった」という実感があったようです。
 最初は「社会科が嫌いだ」という子どもたちが圧倒的に多かったのですが、授業を積み重ねる中で「大好き」という子どもが多くなりました。
 楽しければ、深くかかわれば、子どもたちの学習の姿勢はぐんぐん変わっていきます。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

叱り続けるとすぐにクラスが荒れ、教師が動き、ほめる状況をつくるとクラスは落ち着いてくるようになる

 私は、初めての担任で、教師として気になる生徒の行動を叱り続け、子どもとの関係が悪化した。叱ることばかりで、ほとんどほめることをしなかった。
 よいところに目を向け、ほめる場面を作っていたならば、温かい学級をつくることができたと思う。
 初めて私が受け持つ子どもたちと対面したとき、姿勢正しく座り、おとなしく話を聞く子どもたちであった。
「何と良い子どもたちなのだろう」「絶対にうまくやってける」と、私は希望にあふれていた。
 しかし、クラスが荒れるのには時間がかからなかった。教室にはゴミがあふれ、生徒は係の仕事をしなくなった。
 トラブルは増え続けた。今考えれば、いくつかの前兆があったのだろうが、当時の私はすべてを見逃していた。
 クラスが荒れた原因が、今なら分かる。
「できる子ども、まじめな子どもしか、ほめていなかった」
 例えば、係の仕事を責任もってやりとげる子。きちんと授業の準備をして席に付いている子。教師の話をきちんと聞く子。
 といった、教師にとって都合のいい子しか、ほめていなかった。
「厳しくすることが学級経営のコツだと考えていた」
 私が教師として気になる、子どもたちの行動を、叱り続けた。
 例えば、給食時に教室にいない。日直の仕事を最後までやりとげない。不要物を持ってきた。化粧をして登校してきた。机に落書きした。
 など、今なら、授業に遅れてくる子がいても、決して叱らない。時間がくれば、待たずに内容をどんどん進めてしまう。
 授業に遅れた子どもは周囲の状況を見て、焦って席に座り、急いで授業の遅れを取り戻そうとする。
 教室にゴミが落ちていれば、私が拾って歩く。生徒の中にも、慌ててゴミを拾う子が出てくる。
 机の落書きは、私が放課後消してまわる。自然と落書きは減る。
 生徒以上に教師が動き、ほめる状況をつくるようにした。
 例えば、給食の時には、次のことを心がければよい。
 私はできるだけ早く教室に戻り、運搬台にのった食器を教室の給食台の上にのせていく。
 教師が動けば、当番であるなしに関わらず、必ず手伝ってくれる生徒がいる。私が笑顔で「ありがとう」というと、うれしそうな表情をする。
 配膳が始まると、時間がかかるので、私は助っ人に入る。お茶碗にご飯をどんどん盛って、並んでいる生徒に渡していく。
 以前なら、当番の子に「早く準備をしなさい」と叱っていたが、当番の子がやってきて「先生、替わります」と言えば、私が「ありがとう」と言うと、生徒は気持ちよく仕事をしてくれる。
 教師が動けば、子どもも自然と動く。どの子にも、やらなければならない状況ができる。
 子どもが仕事をする姿を見れば、自然とほめる場面が増える。
 少しの変化に目を向ければ、ほめるのは簡単である。
 例えば「昨日より準備が早いね」「エプロンきちんとつけているね」「手際が良くなったね」と、さりげなく、かつ心を込めてほめることが大切である。
 子どもを叱らなければならないことも当然ある。
 例えば、誰かを傷つける言葉を言ったり、傷つける行為をしたときなどは、叱らなければならない。
 叱るときに、心がけることは「長い説教はやめて、短く叱る」ことだ。
 例えば、授業中、教師に暴言を吐く子には「〇〇くん、立ちなさい。失礼です」
 私は以前、自分の思いを伝えるためには、長い説教が必要だと考えていた。
 しかし、私の長い説教に、始めはおとなしく聞いていた子どもが、次第に反発するようになった。教室から飛び出す。無断で早退する。指導した子どもだけでなく、保護者との関係も悪化した。
 私が短く叱るようになってからは、子どもが教室から飛び出したり、反発されることは無くなった。
 長く、だらだらと叱るよりも、短く端的に叱られた方が、子どもにとっては効果的なのである。
 生徒と信頼関係ができれば「かかとがつぶれているよ」と、穏やかな口調で言っても生徒は反応する。それを繰り返していけば、笑顔で生徒のかかとを指さすだけでも効果がある。
(
落合志保:福島県公立中学校教師)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「わかる授業」「子どもたちの願いに応える授業」をすれば、学級の荒れ、学級崩壊は起きない、どう創っていけばよいか

 学級の荒れや学級崩壊の克服というと、子どもたちの集団づくりや生活指導、どう子どもたちを管理するかということになりがちです。
 子どもたちの責任にしてしまわないで、私たち教師の責任としてとらえなければなりません。
 子どもたちにとって授業が楽しくて、わかる授業であれば「学級の荒れ」や「学級崩壊」は起こりません。
「わかる授業」とは、どんな授業なのでしょうか。
私は
「基礎・基本を大切にする授業」
「子どもと共に創る授業」
「子どもの、わかりたいという願いに応える授業」
だと考えています。
 教師の思いだけで授業をすすめてはいけない。
「教材解釈で、子どもたちがこの教材をどうとらえるだろうか」
「子どもたちの実態から、どんな発問をしたらいいだろうか」
という、子ども中心にした教材研究をしなければならない。
 例えば、六年生の社会科で歴史学習「工場ができる」の研究授業をしたときのことです。
 教材資料を練り上げて、発問を考え、子どもたちが理解できる工夫をしました。
 担任が「私のクラスは、こんなに発言する子が多かったのか」と言われるほど積極的に発言しました。じっくり考えることもできていました。
 それだけではなく「授業のねらい」も的確にとらえられていて、教材研究と発問の大切さを改めて感じたようでした。
研究授業の後で、子どもたちに声をかけると
「授業は楽しかった」
「先生や友だちの言っていることがわかった」
「何を勉強しているのかが、わかった」
「発表できた」
「考えられてよかった」
と言うのです。
 子どもたちと共に創りあげる授業、子どもたちみんなが「楽しい」「わかる」授業とは、どういう授業なのかというヒントが、ここにあるように思います。
授業づくりするうえで、大切なことは、
「主人公である子どもを中心にした教材研究」
「子ども現状をしっかりととらえること」
「基礎・基本と、子どもの思い、願いを大切にした授業」
「子どもたちの願いに応える授業」
「子どもたちと共に創りあげる授業」
です。
私は、子どもにとって「楽しい、わかる授業」とは
「子どもたちが授業で活発に発言する授業」
「子どもが動く授業」
「じっくり考える授業」
「落ち着いて学習する授業」
だと考えています。
 つまり、子どもたちが、どう「わかっているか」ということです。
 教材研究を進めるには「同じ職場」「サークル」「気の合った教師」「組合」の役割も大きいと思います。
「みんなで、わかりたい」
「みんなと一緒に勉強したい」
という、子どもの願いを、子どもたち自身に気づかせること、その願いをみんなで実現できる授業をすすめること、それが「学級の荒れ」「学級崩壊」を克服する授業です。
(
大川克人:1952年和歌山県生まれ、元和歌山県公立小学校教師、和歌山大学教育学部非常勤講師)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

荒れた小学校六年生の担任になったが、子どもたちの対人関係を向上させるには、どのようにすればよいのでしょうか

 五年生のときから、まとまりがなく、騒がしくて、指示が通らないというクラスの担任になりました。
 まだ、新学期の四月早々なのですが、想像以上に大変な学級だとの印象を持ちました。
 身体に障害のある子どもや、能力に偏りのある子どもなど、個別に配慮しなければならない子が数名います。
 けれども、その子どもたちを支える雰囲気は学級にはなく、力のある男子三名が周囲の子どもたちを威圧して、些細なことでぶつかりあっています。
 女子は、二、三人の小さな仲よしグループに細かく分かれて、仲間はずれがあるようです。授業を成り立たせるのも一苦労です。
 四月の段階ですから、子どもたちは私の様子を見ています。「ここしばらくが勝負」という感じがします。
 学級を立て直し、子どもたちの対人関係を向上させるには、どのようにすればよいのでしょうか。
 特に荒れている学級を引き継ぐ場合、子どもたちは教師と対峙し、反発して教師と相いれない存在と考えがちです。
 ですが、子どもたちの中にある、緊張感や不安の背景にある「よくなりたい」という願いに注目したいのです。
 まず、学級の個々の子どもが「自分はどうなりたい」と感じ「仲間や先生にどのようにあってほしい」と願っているのかを考えます。
 たとえば、力で威圧して、他の子を従えようとしている子は、どのようになりたいと考えてそれを行っているのでしょうか。
 そのことで、仲間や先生からどのように扱ってほしいのでしょうか。その行動の背景にある願い、たとえば「みんなに注目をされたい」に注目します。
 それを感じとりながら、その願いを建設的に生かしていく方向を探るのです。感じとったことを、そのままその子に語ってもよいでしょう。
 個々の子どもたちの中の願いを探るために、さまざまなチャンネルを使うようにします。授業の終わりに、ちょっとした自由記述式のアンケートをとるのも一つの方法です。
 たとえば「学級会をもっと楽しくするには」とか「友だちから、もらいたい元気になる言葉」で、アンケートをとるのです。
 その結果を、学級通信などで全員に知らせてもよいでしょう。個人が何を願い、何を感じているのか、コミュニケーションの場をつくり、そこで意見が交換されるようにするのです。
 また、学級ですから、さまざまな不快なことも起きるでしょう。
 小さなけんかやトラブルが起きたときに、どちらが正しいのではなく
「どのようにすれば、けんかが起きなかったか」
「どうすれば、こじれた関係が修復できるのか」
を学ぶ機会として考えます。対人関係の結び方を学ぶチャンスと考えるのです。
 時間があれば、けんかをした者同士を反対の立場に立たせて、もう一度スローの録画のように再現してもらってもよいでしょう。
「どこで、どのように言えば、お互いが傷つくことなくいられたのか」
を考えながら、何度か再現してみます。
 お互いが自分のふるまいに一点でも気がつけば、それでよしとするのです。
 このことを通して、学級という対人関係場面を楽しむ方法を具体的に教えるのです。
 また、お互いを知り合うために、子どもたちが楽しめるイベントを多く企画します。学級を楽しくします。
 新学期の始めですから、お互いが相手について知る機会を多く設けるとよいと思います。
 現代の子どもたちは、表面上だけを他者に合わせる傾向があります。集団は仲間に気をつかう煩わしい場になってきています。
 お互いがどのように感じ、考えているのかを出し合い、近づけるような機会を多くもつことが必要だと思います。
 自分とはどのような人なのか相手に語り、相手から受けとってもらう、構成的グループエンカウンターの手法がさまざまに活用できるかもしれません。
 学級活動の中などで人間関係の安心感を演出するようなさまざまなゲームを試みるとよいでしょう。
 あるいは、特定の能力がある子が活躍できるものではなく、意外性やハプニングの起きやすいイベントが、よいでしょう。
 授業でも討論の時間を多く導入するのもよいと思います。楽しく快適な体験となるように工夫することが大切です。
 クラス内の小さな仲よし集団の中でリーダー格になっているような子をクラスに参画してもらうように働きかけ、仲よし集団を互いに結び合わせていくこともできるように思います。
 一緒に生活する者として、その場を楽しく過ごせるように工夫すること、そして、お互いが適切なコミュニケーションができる機会を増やすようにします。
 それを通して、子どもの対人関係を結ぶ力を向上させていくと、学級のまとまりをつくり出していくことになると思います。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

授業が荒れ、教師の指示を黙って無視する生徒がいるとき、どう授業すればよいか

 授業妨害はしないが、教師の指示を黙って無視する生徒がいる。
 新年度、最初の授業、教室に入ると机の並びがガタガタで横がそろっていない。靴を机の横に置いている生徒が3分の1程度いる。きちんとやることを面倒くさがる、けだるい雰囲気が感じられた。
 2人組みの音読するため、机の横の生徒とペアを組むように指示したのに、勝手に前後で組んでいるペアがあった。
 授業妨害はしないが「面倒なことや嫌なことを指示されたら、無視する」というものだった。授業は荒れ、教師のささいな指示が全員には通らなかった。
 授業が荒れているので、誰もができる問題と、授業の原理・原則に戻り授業を展開するようにした。
 その生徒たちが乗ってきた授業がある。
1 誰もができる問題
 
「ことわざを覚えよう」という、受験対策の次のような穴埋めプリントの答えを黒板に書かせる授業だった。
「次の(   )にあてはまる言葉を書きなさい」
(1)
犬も歩けば / (   )にあたる。
(2)
おぼれる者は / (   )をもつかむ。
(3)
臭いものに / (   )をする。
(4)
猿も / (   )から落ちる。
(5)
(20) 以下、省略
 黒板に1~20番まで番号を書いておいた。
 しばらくして「自分なりに終わった人は前に出て1つ書きます。どれでもいいです」と指示した。
2 空白禁止の原則と変化のある繰り返し
 早くできた生徒は、黒板に書きにいける。
 できなかったところは、黒板を見て写せる。
 書き終わった生徒は、ことわざを音読させる。
教師「ついて読みます」「犬も歩けば棒にあたる」
生徒「犬も歩けば棒にあたる」
教師「おぼれる者は、わらをもつかむ」
生徒「おぼれる者は、わらをもつかむ」
教師「今度は、私が前半、みんなが後半」「犬も歩けば」
生徒「棒にあたる」
教師「逆。みんなが前半」
生徒「犬も歩けば」
教師「棒にあたる」
教師「全員で」
教師・生徒「犬も歩けば棒にあたる」
こうやって、プリントを完成させる生徒を待ちながら何回も音読する。
3 激励の原則
 書きに出る生徒が少ない場合があります。
 そんなときは、黒板に書きに行くのを躊躇している生徒の肩の後ろからふれて「○○くん、△△番どうぞ」と言って、軽く背中を押してあげる。

 
「えー、先生これであってる?」などと、いいながらも、冷めたように見える生徒、おとなしい女子も前に出て書く。
 黒板が全部埋まったら、書いた生徒に読ませる。そして○をつける。
4 ペア活動で巻き込む
 ほぼ全員が書き終わったら。
教師「横の生徒と問題を出し合いなさい」「Aくんが『犬もあるけば』と言ったら、横のBさんが『棒にあたる』と後半を言うのです」
 ペア活動なら、横の生徒にうながされ、やらざるをえない。問題を出し合うので、覚えているかどうかの確認にもなる。
5 緊張場面を作る
 最後に
教師「私が前半をばらばらの順番に言うので、みんなは後半を言います」「おぼれる者は」
生徒「わらおもつかむ」
教師「猿も」
生徒「教師から落ちる」
も効果がある。
6 授業「指示、活動、評価、確認」のサイクルで授業を組み立てる
 教師の話を聞いてノートを取る授業が一般的である。指示を無視する生徒もいる。
 しかし、授業の原則を意識し、このサイクルでパーツを組み立てると、生徒は動くようになった。
 生徒の感想も「国語の授業は生徒参加型でいい」「授業がてきぱきしていて、わかりやすかった」とあった。
(
伊藤和子:1965年生まれ、山口県公立中学校教師)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いじめの指導 | さまざまな子どもの指導 | ものの見方・考え方 | カウンセリング | 不登校 | 人間の生きかた | 保護者との協力関係をつくる | 保護者にどう対応するか | 保護者の実態 | 優れた先生に学ぶ | 優れた授業とは | 優れた教科授業例 | 先生の実態 | 危機管理 | 叱る・ほめる・しつける | 各国の教育 | 各教科の授業 | 同僚・管理職との関係 | 問題行動の指導 | 国語科の授業 | 地域 | 子どもから学ぶ | 子どもたちに対する思い | 子どもたちの関係づくり | 子どもと向き合う | 子どもの失敗 | 子どもの実態 | 子どもの成長をはかる | 子どもの指導の方法 | 子どもの見かた | 子どもの話し方 | 子育て・家庭教育 | 学び合う学び | 学校の実態 | 学校経営と組織 | 学級づくり | 学級の組織と活動 | 学級の荒れ | 学級崩壊 | 学級通信 | 学習指導・学力 | 学習指導案 | 実践のための資料 | 家庭 | 掃除 | 授業づくり | 授業のさまざまな方法 | 授業の展開・演出 | 授業の技術 | 授業中の生活指導 | 教師との関係 | 教師と子どもの関係づくり | 教師に必要とされる能力 | 教師の人間としての生きかた・考えかた | 教師の仕事 | 教師の心の安定 | 教師の成長・研修 | 教師の話しかた | 教師の身体表現力 | 教材・指導案 | 教材研究 | 教育の技術 | 教育の方法 | 教育の理念や思い | 教育史(教育の歴史と変化) | 教育改革 | 教育法規 | 教育行政(国・地方の教育委員会) | 新学級づくり | 理科の授業 | 社会環境(社会・マスコミ・地域) | 社会科の授業 | 算数・数学科の授業 | 経営とは | 英語科の授業 | 評価 | 話の聞きかた