カテゴリー「学級崩壊」の記事

授業中に問題を起こす子どもにかかわりすぎるな

 一番こわいのは問題を起こす子どもではなく、問題を起こす子どもに教師がかまいすぎることによって、その他大勢の子どもたちから、反感を持たれることです。これが学級崩壊の始まりにもなります。
 ですから、子どもたちが集団のとき、特定の子どもに関わり過ぎてはいけないのです。「問題を起こす子どもにかかわりすぎるな」が基本原則です。
 古いタイプの指導というのは「まじめな子どもたちが、教師が他の子を指導しているのを待ってくれる」という前提でやっていたのです。この子たちに、いわば甘えて指導していたのです。
 でも、今の子どもたちは、すぐ我慢できなくなっています。これが小学校低学年から中学年の学級崩壊の基本パターンです。
 ですから、教師は問題を起こす子どもに振り回されてはいけません。
 問題を起こす子どもにも一応指導はします。いったん指導を入れたら、集団場面では、できるだけかまい過ぎないことが大切です。
 なぜならば、問題を起こす子どもたちは刺激が欲しくて問題を起こしているからです。かまってあげるとエサをもらったようなものです。
 では、どうすればいいかというと、できるだけ、まじめな子ども、頑張っている子どもにかかわることです。
 一斉授業というのは、基本的に全員の子どもたちが静かに聞いてくれるということを前提にして成立しています。
 ですから、問題を起こす場面では、一斉授業はできるだけやめにします。個別学習や班学習の時間を多くします。
 教師は机間巡視を多くし、まじめに頑張っている子どもと心の結びつきを深めていきます。
「まじめに頑張っている子どもがかまってもらえる学級づくり」が何といっても一番大切です。
 でも、この当たり前のことが、学校であまりやられていない。教師は問題を起こした子どもに一生懸命にかかわります。それで、まじめな子どもが放っておかれることになります。
 そうすると、まじめに頑張る気がしなくなります。これが学級崩壊のきっかけとなるのです。
 問題を起こしたりする目立つ行動をした子どもに指導を入れるとしたら、個別場面で入れてください。
 個別場面での指導をていねいにやりましょう。こういった子どもは愛情不足だったりするのです。しっかり個別場面でかかわってあげましょう。愛情不足の心にエネルギーを補充してあげましょう。
 個別場面でやるべきことを、集団の場面でやってしまうと学級全体がおかしくなります。このことを押さえておいてください。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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学級崩壊を最後に食い止めるものはなにか、どこで食い止め、どう対応すればよいのでしょうか

 小学校六年のある学級で子どもたちが反抗し、授業や、学級で行う活動がいっさい成立しなくなりました。
 管理職が協力し、卒業式までにはなんとか普通のクラスにもどし、整然と卒業式に参加できるようにという目標を立て、教頭と学年の教師、生徒指導主任から二人が常時はりつきました。
 授業をする担任のそばでにらみをきかせ、子どもたちの行動や態度を厳しく指導し続けました。二か月の集中的な対応で、学級はひとまず整然となり、なんとか格好がつくようになりました。
 しかし、子どもたちが担任にぶつける不満が強まりました。張り付きの教師がいなくなる給食の時間など、反抗がエスカレートしました。
 結局、子どもたちが学校にいる間は、二人の教師が必ず担任に張り付くという形で卒業式を迎えました。
 私の友人の教師も学級が荒れ、担任して始めての経験だと言って苦しんでいました。私が見聞したところ、学級の崩壊の程度は「なれあい型の中期」くらいでした。
 学級のルールが崩れ、教師の指示がいきわたらず、教師に反抗したりして教師に対する信頼が低下していました。
 友人の教師が子どもたちとの絆の種を必死にまき、育てていたので、完全な学級崩壊にはならないと私は確信しました。
 担任と子どもたちの関係がうまくいかないと、とかく担任は子どもたちと距離をとりたくなるものです。
 しかし、友人の教師は、こんがらがった子どもたちとの関係の中で、自らかかわり一つ一つ対応していました。
 私が学級を見学していた時、廊下に出ていた男の子に「担任の先生はどうですか?」と聞くと
「細かいところまでいちいち注意したり、考えさせられたりと面倒くさいけど、俺たちのことを心配してくれているんだよな」
とポツリと言いました。
 管理職も同僚教師も、教師のそういう姿勢に打たれ、できるかぎり援助したいと言っていました。
 教師と子どもたちとの心のつながりを、つらいからといって教師が切らないこと、それが完全な学級崩壊を食い止める最後の砦だと私は思います。
 学級崩壊の当事者の教師はとてもつらい。周りの教職員は話を聞いてあげたり、がんばりを認めてあげることで、教師と子どもたちとの間の心の絆を育てる意欲を失わないように支えたいものです。
 学級崩壊にいたったら、教師は子どもたちが起こす事件と被害を食い止めるだけで精一杯です。
 崩壊した学級の子どもが言いました。
「勉強が遅れていることはわかっているよ。でもあのクラスにみんなでいると、自然とああいうふうになっちゃうんだ」と。
 学級集団のマイナス回転を止め、プラス方向に回転させるためには、よほど効果的な対応を持続させなければなりません。
 だからこそ、学級が「少し変だな」と感じたら、すぐに具体的な対応を施し、子どもたちとの絆を保ち、子どもたちの学習権と人権を保障すことが必要なのです。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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学級崩壊を体験して学んだこととは何か

 小学校の20歳代の女性教師です。以前、小学校4年を担任した学級が学級崩壊だったかもしれません。
 3年生からの持ちあがりで、泣いても暴れても我を通していたAちゃんが、3年生の終わりごろに、ようやく少し授業に集中できるようになっていました。
 4年生になり、Bちゃんにいろいろ配慮が必要となり、Bちゃんを気にしながら学級経営していると「先生はBちゃんばかり」と、再びAちゃんが大荒れになった。
 それを見て、今度は、正義感の強い子どもたちが「授業に集中できない」と、不安定になった。
 私自身が、通勤拒否になったり、体をこわしたりしなかったことが、救いですが、事態は好転しないままにクラス替えになってしまいました。
 家庭が不安定で荒れやすい子、学習に遅れのある子、不登校の子など、手のかかる子はいろいろいます。
 学級崩壊して、そのとき得た教訓のひとつが、
「先生は問題のある子もない子も、みんな同じように大切にしているんだ」と、子どもたちに伝わるように学級経営することです。
 不登校の子など、どうしても家庭訪問の回数も増え、手をかけることになるのですが、気持ちは常にクラスの子どもたち全員に平等であること。
 そして、「いいこと」はいい、「悪いこと」がはびこらない、「温かい」など、子どもたちのまともな民意を形成していけば、担任がしゃかりきにならなくても、学級は前向きに進んで行くことがわかりました。
 もちろん、これが、かなりの努力と機転と忍耐を要しますが。
 それ以降、受け持った学級は、学級崩壊はしていないのですが、だからと言ってこれからも大丈夫とはいえないと思います。
 子ども同士の人間関係が何年にもわたってこじれている場合もあるし、極端に暴力的な子と極端に傷つきやすい子がいて、バランスが難しいなど、担任一人では対応できない場合がたくさんあるからです。
 教師は、自分の学級の子どもたちはかわいいが、その気持ちを忘れてしまうほど問題行動の対応に追われているときは要注意です。
 教師間のフレキシブルな連携や、教師の体面よりも子どもを大切に考えた連携がとても大切だと思います。
(
島根県 小学校 女性教師)

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学級崩壊を起こす教師は、子どもたちと共鳴する力が不足しているのではないか

 私は若い教師をたくさん見てきました。その結果「遊べない教師はだめだ」「遊ぶときには、とことん遊べる教師が良い教師になる」と言えます。
 遊べるということは、ものごとの楽しみ方を知っているということです。
 遊べるということは、どんなメンバーとも、おもしろさを発見して心から楽しむことができるということです。
 子どもはおもしろいことが大好きです。子どもは遊びのなかに、人間関係の機微を学びます。
 教師が日常生活のなかに楽しみを見出せないタイプの人では、子どもたちがかわいそうです。
 子どもと一緒に笑ってくれる教師、子どものいたずらを叱りながらも共感してくれる教師、必要なときにボケてくれツッコミを入れてくれる教師、そういう教師が子どもたちを育てていくのだろうと思います。
 私は、この「子どもと共鳴する力」は教師力の一つだと、とらえています。
 学級崩壊を起こす教師、子どもに反発される教師を見ていると、このことが実感されます。
 そのような教師は、子どもの発している電波とは異なった電波で受信しようとしている。
 子どもの電波とは合わない、自分のたった一つの電波しかもっていない。そういう教師が子どもたちとのコミュニケーションを断絶しています。
 子どもたちが発している電波に、即座に合わせられる、そんな共鳴力がなによりも必要なのではないでしょうか。 教師が子どもと接するときは、その判断の連続です。
 学級崩壊を頻繁に起こす教師、子どもたちとのコミュニケーションがへたな教師というのは、実はこれができないのです。
 どうすれば、共鳴力を鍛えることができるのでしょうか。
 気の合わない人、知らない人とも遊んでみる、そこに楽しみを見つけてみる、というのが近道であるように思います。
 教師が遊べるということは、実は他者への共鳴力が高いことを意味しています。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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はめをはずす子を大目にみて学級崩壊したが、叱る基準を決めるとともに、保護者たちの協力で立ち直った

 私が住んでいた学区にあった小学校の事例です。
 一学期の半ば頃のことでした。当時、近所の小学校二年生の子どもの母親が、今度の日曜日にある授業参観日に「こっそり、うちのクラスを見に来てくれ」と言うのです。あんな、めちゃくちゃなクラスで大丈夫だろうかという心配があったからです。
 当日、授業を見に行っておどろきました。子どもたちのほとんどが、勝手なことをしているのです。
 きゃっきゃ言いながら机の上を走り回っている男の子が何人か。それを見ておもしろがっている女の子たち。四、五人の子どもたちが輪になってじゃんけんをしているかと思うと、床をはいずり回っている子どもたちがいます。
 動物園のサルのおりの中でも、これほど騒がしくはありません。若い女教師の「もう、やめてっ」というかん高い声が哀れでした。
 一年生の時の担任はベテランの教師で、厳しく、しつけもよく行き届いていたようです。そのクラスを新任の教師が担任したのです。
 子どもたちはみんな行儀がいいし、決まりを守るよい子ばかりだったので、少しぐらいははめをはずす子がいても、おおめにみてきました。
 すると、子どもたちは、どんどんタブーを破っていきました。その結果、学級崩壊を招いたようです。
 ここまできてしまうと、修復はなかなか困難です。
 このようになる前に「ほめるべきことは、ほめ」「叱るべきことは、叱る」という姿勢が教師に必要だったと思います。
 幸いなことに、そのクラスの親たちが大変よかったのです。担任をなじる親は少なく、理由はともあれ「ああいう態度をとる子どもたちも悪い」と、わが子をいさめました。
 担任には、厳しさも愛情であることを知ってもらいました。
 
「どの親にも、目に余ることがあったら、すぐに知らせてほしい」と、担任に頼み、そのことを子どもたちにも伝えました。
 若い担任は、素直に親の言い分を受け入れ、叱るべき時には、叱るよう心がけました。叱るべき時とは「自分や他人の心身に傷を負わせる心配のある時」と決めました。
 それ以外は、これまでどおり大目にみたのですが、一学期の終わりには、まともな授業ができるようになっていました。
 二学期には、担任と子どもたちは友だち同士のように仲良くなりました。それでいて、担任を信頼し、聞き分けのよい子どもたちばかりで、本当に理想的なクラスになりました。
(
福井 明:元岐阜県公立小学校教師)



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担任と合わない子がいて学級が荒れていった、問題点と改善するとすればどこにポイントがあるのでしょうか

 新興住宅地をひかえた小学校で、五、六年を女の先生が持ち上がった。
 多少問題もあったが、まずはまとまりもあった五年生だった。しかし、六年生になってようすが変わってきた。
 少し乱暴な行動をする子が六年になって受験塾に通いはじめた。あるとき、サッカーをしていて、自分がゴールできなかったからか、全然違う方向にボールをけってしまった。
 また、バスケットボールのゲーム中にもゴールできなかった腹いせにか、おもいっきり壁にボールをぶつけ、そのボールが友だちの顔に当たってしまった。
 担任が「どうしたの」と言うと「先生は、ぼくばっかり怒る」と、家に帰ってしまった。
 担任が家庭訪問して母親と話してみた。親が子どもに「帰ってきたらだめよ」と叱るのかと思っていたら、その逆で
「この頃、うちの子は叱らればっかりですね」「うちの子は、先生と合わないようです」と母親が言う。
 その頃から、子どもも「ぼくは先生と合わないんや」と言いはじめる。
 テストの時期になるとカッカする。「ぼくはこんな問題わかれへん」と、テスト用紙をビリビリにするのだ。そして、わからないのは「先生の教え方が悪いんや」と。
 通知表を渡すと、その子は自分の思っていた評価じゃなかったらしくて「こんな通知表、持って帰られへん」と、イライラが高じていく。
 また、事あるごとに物事を悪くとらえて「先生は、ぼくのお母さんに責任をなすりつけようとしている」「本当は先生が一番悪いんや」などと言う。母親がそのように言っていたらしい。それが一学期の終わりの出来事だった。
 そんなことがあって、保護者の方から、学級懇談会を開いてみんなで考えましょうという声があがり、集まってくれた。「そんなもん、うちの子のつるしあげや」と、当の母親は出ようとしない。
 担任が何とかこの子と関係を作ろうと、ある程度のわがままも聞いていたが、まわりの子どもたちが「あの子のわがままを許している」という声が出てきた。
 今度は、まとまっていたはずの女子がしだいにおかしくなってきた。とくに女子四人グループが担任にソッポを向きはじめた。
 どうしようかと考え、お楽しみ会を企画した。そのときはいいのだけど、あとは担任が孤立しているような雰囲気になる。
 授業が成立しない日々が続いていたので、学年四クラスの担任が、それぞれ自分の得意な教科で、教科担任制で授業をしようということになり、二週間計画で実施した。
 担任は「落ち込んでいて、だめや」と思っていたので自分の授業にも自信を持てなかった。しかし、他のクラスに行くと「おもしろい授業や」と言ってくれて、ほっとしたが、自分のクラスに帰ると、やはりうまくいかない。
 遠足のグループ分けのときも、子どもと行き違いがあった。担任は男女ペアーで六つのグループ編成がいいと考えていた。うまくいかず不満をもっていたのか、担任に「クソババア」という声も聞こえてきた。
 
「話を聞くよ」と言ってもなかなか言わない。結局は納得できたが、ずいぶん時間がかかってしまった。
 今、担任は子どもと「細い糸でつながっている」だけで、「何かあったら、プツンと切れてしまう状態だ」と担任は話している。
 この事例には、さまざまな問題点がみえる。この子が、急に塾に通うようになって、異常に成績を気にしはじめた。ここに問題の一つがある。この子にとっての塾はどういう位置を持っているかが明らかにできないものか。
 担任が「ぼくばかり怒る」というのは、どんなことから出て来たものなのか。ここも一つのキーワードなのかもしれない。
 あと一つは、保護者と担任の関係だ。「うちの子の、つるしあげや」という言葉がどういう意識からなのか。これもポイントの一つだ。
 担任と保護者の関係が壊れると、当然、子どもに保護者の意識が反映する。担任と保護者が協働して子どもの指導ができなくなる。ここは大切なポイントである。
 いったん崩れた関係は修復しがたいものだが、根気よく改善する必要がある。
 救われるのは、学年の教師集団が支えているということだ。担任が「プツンと切れそう」な状況で、支え方の一つとしては大きな意味を持っているといえる。
(
坪井 祥:元大阪府公立小学校教師。授業研究所元専務理事)

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暴れる子どもに対して、どのように対処すればよいのでしょうか

 以前受け持った小学校三年生に、すごく暴れる男の子がいた。不登校ぎみで、学校に来ても気に入らないことがあると、授業中に突然、物を投げたり、教室を飛び出して廊下でひっくり返って動かない。
 前の担任は教務主任といっしょに力ずくで席に着かせていました。私は「こんなことを続けていても、らちがあかない」と思っていました。
 その子の担任になって最初に暴れ出したときは、両足でその子を挟んで押さえたまま授業をした。事前に母親には「押さえることくらいはいいですね」とお許しをもらっていた。
 
「放せー、放せー」って、その子が叫ぶ。「悪いけど放せないんだ。ケガしたり、教室から出ていったりしたら困るから」と、私は怒りもしない。
 私はクールに対応して授業を続けた。学級の子どもたちはびっくりした。そんなことする教師を見たことがないから。
 授業が終わって「おい、休み時間になったけど、どうする?」「トイレに行きたい」「教室にちゃんと戻ってくるか?」と聞くと「絶対に戻ってくる」というから、外してやった。
 その日は、ちゃんと教室に戻ってきた。翌日からは「おはようございます」と言って、登校してくる。今はまだ遅刻は多いけど、すっかりフツーの子になりました。
 それまでの教師は、子どもに対して淡々とつきあうことができなかったんでしょうね。「なんとかしてやろう」「話せばわかる」で、やってきたんじゃないかな。
 だけど「話せばわかる子」なら、問題は起こさんと思うわけ。口でいくらいってもダメなら、現実的にやっていかなきゃいけないこともあるんです。
 そういう子どもたちをいままで受け持ってきて思うのは「毎日いっしょに暮らしていれば、お互いにわかってくる」ということですね。
 
「こいつは、こういう子だ」「この先生は、こういう先生だ」と慣れてくる。生活の慣れって、大きいですよ。生活している時間が解決してくれることもあるんです。
 しばらく我慢して子どもとバトルしていると、子どもは変わっていくことがある。
 例えば「この子は忘れものが多いけど、どうしたらいいか」と、叱ったり、悩んだりしているうちに、いつのまにか忘れものをしなくなったりね。
 根本的な解決にはならないし、即効性もないけど、しんどい時間を共有することで、物事が進むことはある。子どもって、確実に育っていくものだから。
 もちろん、万事、それで解決できるわけじゃないですよ。子どもの生育歴や気質の違いもあるからね。
 
「こうすれば必ずうまくいく」なんてノウハウはない。教師たちには「マニュアルに頼るな」といいたいですね。
 自己中心的な教師はけっこういますよ。自分がどう評価されているか、常に気にしているからだと思うんですよ。
 学級崩壊の原因でよくあるのは「自分のクラスは、ヤバい」と思っていても、まわりに言わないことなんだよね。
 優等生の教師ほど言わない。ベテランほど言わない。プライドがあるから、失敗や間違いを認めたがらない。それで傷口がどんどん大きくなって、大変になるんです。
 そして「子どもが悪いから、しょうがないでしょう」と、すぐに言いわけをする。でも、その後、どうやって解決するか、見通しをまったく持ってないんですよ。
 教師の仕事柄、いちばん必要なことですけど、臨機応変に対応できない教師も多いです。他人事じゃないんですよ。私自身も。
 全部の教師が素晴らしいなんてあり得ないでしょう。未熟さをお互いに助け合っていくことを考えるべきですよ。
 私は保護者にも自分にも、よくいい聞かせているんだけどね「自分が幸せにならいかぎり、子どもも幸せにならない」って。
 教師が自分の生活を楽しんでなきゃ、子どもがおもしろがる授業は、できるわけないでしょ。だから「先生はいつも能天気でいいわねえ」と言われたら、正解なんですよ。
(岡崎 勝:1952年生まれ 元名古屋市小学校教師、フリープログラムスクール理事。子どもの居場所「アーレの樹」を運営。学校マガジン『おそい・はやい・ひくい・たかい』編集人、中日新聞『子どもってワケわからん』連載中)

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小学1年生が授業中、話を聞かない、立ち歩くなどの「小1プロブレム」にどう対応すればよいか

 小学1年生が教師の話を聞かなかったり、授業中に立ち歩いたりすることで、授業が成立しない「小1プロブレム」が問題になっている。
 小学校に入学した1年生が、「授業中に座っていられない、先生の話を聞かない、集団行動がとれない」など学校生活になじめない状態が続くことです。
 とくに多いのが、授業中、自分の席に静かに座っていられないことです。そういう子が何人もいる場合があり、教師が注意しても、なかなかなおらない。
 ほかの子どもたちも授業に集中できなくなりがちです。どうすればよいのでしょうか。
 身体を動かすことを授業に取り入れましょう。作業性の高い「ワークショップ」形式を取り入れ、子どもの発言や手作業などの機会を多く与える。
 集中して作業をする活動と体を動かす活動を交互に入れる。問題を出し、答えが○だと思う子は立つ、×の子は座るなどの工夫をする。
 教師は気になる行動をする子たちの対応にかかりきりになってしまうと授業ができません。どうればよいでしょうか。
 一人ひとりの子どもをしっかり見守れるように、クラスにもう一人教師が入ったり、補助員を置いたりするとよい。チームで対応すれば、子どもが教室を飛び出したときに対応しやすい。
 補助に入るには予算の問題などがあって難しいでしょう。学校全体で役割を分担し、担任をもっていない教師などがスケジュールを組めば補助を入れやすくなる。保護者や地域の人々からボランティアをつのるところもあります。
 会話や発言のマナーがわかっていない子は、教師や子どもたちの話の途中で割り込んでしまうことがあります。どうすればよいでしょうか。
 マナーやルールを教えて、トラブルを防止します。具体的にイラストや写真で示したり、手本を見せたりすると伝わりやすい。
 教師がクラス全体に指示したことが理解されていないことがある。どうすればよいのでしょうか。
 指示が伝わりにくい場合は。指示するときに視覚的な情報を添え、見てわかるように伝える。指示が伝わったかどうか、子どもに復唱させるとよい。
 多動や注意力の不足が目立つ子には、こまめな声かけが効果的。同じ指示をくり返す。
 
「○○してから、△△して」と同時に2つ以上言うと、わかりにくい。ひとつ伝え、作業が終わってから次を伝えるようにする。「もう少し」などの抽象的な指示をさけ「あと2回」などと具体的に言う。
 子どもどうしの人間関係のトラブルが多発することも「小1プロブレム」のひとつです。ちょっとしたことで、クラスの友だちとケンカになってしまう。がまんする力が弱く、思いどおりならないとイライラし乱暴になる。ひと言多い。他人のものでも勝手に使うなど、よくもめごとを起こします。どうすればよいのでしょうか。
 ケンカしやすい子には、人間関係のルールを教えましょう。しかし、友だちとのつきあい方を教師が言い聞かせようとすると説教になりがちです。
 紙芝居などで具体的な場面を示し、ことばの使い方や相手の気持ち、適切なふるまいを説明します。市販の教材を使う。例えばマンガを使った場面理解の本などがでています。
 出来事を4コママンガのセリフを空欄にしておき、子どもによい言い方を答えてもらう。
 整理整頓が苦手な子どもは、どうすればよいのでしょうか。
 ちらかった机と、整理整頓された机の写真を撮って、見本として並べて見せるとよい。
 説明だけではわかりにくい子には、教師が途中まで手伝い、手本を示すようにします。
 AD/HDがある子は、注意力不足の特性があって整理整頓が極端に苦手なことがあります。ほかの子と同じようにこまかく指示するとストレスをためてしまう可能性があるので、指示を個別にしましょう。
 小学校1年生の授業は、ごく基礎的なものばかりです。しかし、LD(学習障害)や注意・集中力につまずきがある子どもにとっては、話がちがってきます。彼らには読み書きや計算など、学習の基礎的なことの習得に困難があります。
 そのため、通常の教え方では、学ぶ内容の難しさに関係なく、授業についていけない場合があるのです。学ぶことそのものに困難がみられる場合には、個別の配慮が必要です。
(
月森久江:東京都公立中学校教師(38年間)を経て東京都杉並区立教育センター指導教授。20年以上教育相談やLD(学習障害)の研究、子どもの特性に応じた指導法は、特別支援教育の先進的なモデルとして注目され、全国各地で講演会なども行われる)

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学級崩壊を立て直すには、教師として何が求められるのでしょうか

 学級崩壊や授業崩壊を克服した教師は例外なく「学び続ける」人である。原理原則を学ぶのみならず、常に新たな情報を求めて動いている。その蓄積の中で知的に磨かれ実力も高まっていく。
 私も学級崩壊の「立て直し請負人」ともいうべき教師たちを知っているが、どの教師も例外なく魅力にあふれている。自らを高めることで周囲を幸せにしている。それが彼らの魅力を形作っているのだ。
 学ばない教師は教える資格がない。学ばないことは「ゼロ」ではなく「マイナス」の結果さえ生み出すことになるからだ。
 新採教師で激しい学級崩壊を立て直した鈴木恒太小学校教師を私なりに整理した。
激しい学級崩壊を立て直す教師の三つの条件は
1 芯の強さがある
 学級崩壊した学級を担任すると精神的に疲弊する。それは半端なものではない。神経を擦り減らす。
 毎日、ギリギリの緊張感を経験しながら、子どもたちに変容をうながす指導をしていくには、圧倒的な心の芯の強さがないと、まず無理だ。
 その芯の強さは、激しく荒ぶる子どもの事実を目の前にして「絶対にこの子どもを育てる」という「強烈な信念」から生まれる。
 使命感を持って仕事をしている人間は、よくない結果を人や環境のせいにはしない。あくまで自分自身の責任であると決め、改善の努力をする。
2 人間として魅力的で知的で格好よさがある 
 子どもたちは教師に知性を求めている。発する言葉の一つひとつが知的であるか。対応はスマートであるか。知的好奇心を満足させてくれる教師を求めている。知性のきらめきは見た目にも表れる。自信となって、である。自信のある人は魅力的だ。
 人間としての明るさ、清潔感は絶対条件だ。単にイケメンや美人であればよいとうことではない。イケメンや美人でも学級崩壊する。
 荒れた子どもたちは感受性が鋭い。教師に対する感性も人並み以上である。教師を見る目は厳しい。
 学級崩壊を立て直す教師は、この絶対条件を持っている。この条件をそなえていない教師には、荒ぶる子どもたちの前で語る土俵にさえ立てない。
3 子どもに対する対応力、教師自身への対応力がある
(1)
子どもに対する対応力がある
 激しく荒れた子どもたちは、「・・・・しなくてもいいか?」など、無数のアドバルーンを教師に叩きつけてくる。かれらは、教師に対する喧嘩のプロである。
 巧妙に教師を挑発する暴言や問題行動を繰り返す。かれらは教師の心を深くえぐり、傷つけるコツをよく知っている。
 これらに、いかにイライラせずに、子どもの言動を叱りつけるだけでなく、手を変え品を変えて指導の手を入れ続けられるか。
 対応力の具体的なスキルがなければ、激しい荒れには対応できない。対応力は当意即妙な「語り」や、一瞬のしぐさや返事でなされることもある。今までどれだけ嫌な思いや人生経験をしたかにかかっているところもある。
 基本的な授業力や楽しい授業ができるというのは、当たり前の条件である。
(2)
教師自身への対応力がある
 
教師は悩む時期、苦しい時期が必ず来る。その時、自分自身を許すことが大切だ。学んだからすぐにできるわけではない。努力が形に表れるまでには時間がかかる。
 それまで、「がんばっているが結果がでない自分を許す」のだ。「大丈夫。きっとよくなると唱える」のである。それで笑顔が戻る。私にもそういう時期があった。
(
長谷川博之:1977年生まれ、埼玉県公立中学校教師、埼玉教育技術研究所代表理事、TOSS埼玉志士舞代表。全国各地のセミナーや学校で講演や授業を行っている)

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小学生が学級崩壊を経験し、その学級崩壊から学んだこととは

 小学二年生のとき、父の転勤で東京から地方の学校に転校しました。無口な男の担任の先生がいないところで、僕を含め四人ぐらいがいじめられていました。
 僕は小学三年生のときに学級崩壊を経験しました。毎朝学校に着くと、すぐけんかが始まって、若い女の担任の先生が来ても止まりませんでした。
 その担任の先生は「けじめをつけましょう」と口では言うけれど、叱るときもぐちぐちと迫力がないし、授業にめりはりがなくて、みんな学校に来るだけでストレスがたまっていました。
 初めは、いじめの中心だった三人の男の子が授業中に関係のないことを大声でいったり、先生を無視したり、トイレに行って帰ってこなかったりしました。
 特に、ストレスのたまりやすいAくんが爆発して、休み時間にみんなに八つ当たりをすると、みんなもどんどん爆発していき、何も対応できない担任の先生の授業を無視し始めました。この状態が一年間続きました。
 四年生になり、学校内では厳しいと言われている男の先生にかわると、ぴたりと止まりました。
 その担任の先生は休み時間になると、みんなと遊んでくれました。授業もメリハリがあっておもしろくなりました。
 子どもたち一人ひとりの話もよく聞いてくれました。僕たちに心のゆとりと、本当の優しさを教えてくれました。
 それからは、授業の妨害も、いじめも、けんかも、なくなりました。
 いま僕は六年生です。四月に父の転勤でまた東京の学校に転校してきました。
 今思うと、担任の先生が子どもたちに、どう接していくかで決まると思います。先生と子どもたちとの距離です。先生と子どもの心のピントが大切だと思います。

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