カテゴリー「子どもの指導の方法」の記事

荒れた子どもや学級を立て直すためには、どのようにすればよいのでしょうか

 キレやすい子どもたちは、動物的な勘のような鋭さで、自分に迫ってくる危機を感じとり、自分が傷つくまえに「ウルセエ、むかつくんだよ。くそババア」と攻撃的な姿勢をとるような気がします。
 自分に迫るものをつねに危機として感じとるというのは、他者に対する不信、自分の存在に不安をかかえているように思います。
 教師にその思いはなくても、子どもがくり返し傷つけられ、自分の存在にたいする肯定的な感情を育んでこなかったからでしょうか。。
 正義感をふりかざした顔でだれかが近づいてくると、「もうぼくを傷つけるのはやめてくれ」と鋭く反応し、正しいことであっても、人間的な感情で受けとめきれず、反発してしまうのではないでしょうか。
 私は、この子どもたちとともに生きていくにあたって、命令や怒声、罰などをふりかざす「力による教育」はいっさいやめようと思いました。
 それが子どもたちの心を傷つけ、人間への信頼や連帯から遠ざけ、攻撃性をいっそう助長してしまうであろうことが予測できるからです。
 まず、「あなたが、あなたでいることを、私はそのまま受け入れるよ」。そういう気持ちで子どもたちと生きていこうと思いました。
 特に学級の指導で気をつけていたのは、子どもたちの攻撃的な感情を助長するような雰囲気をつくらないこと。ゆっくりとした時間の流れのなかで対応することをこころがけていました。
 朝の会で一人ひとり名前を呼んで、「守るくん、ねこのチャトラは元気ですか」と、ふと思いついたことを語りかけます。それから、心にのこったことを一つ二つ話します。
 そして、一日の予定について話します。子どもたちのいらだちや攻撃性は、この一日の予定を知ることでかなり弱められるようです。見とおしをもつことが人間らしい努力を生みだす力になっていきます。
 体育の授業は、おにごっこ、手つなぎおに、「網投げた」などの遊びを全員で楽しみました。笑顔がこぼれてきます。
 とくに「網投げた」のあそびを子どもたちは好みました。遊び方は簡単です。最初わたしが漁師になってあと全員魚になります。体育館の一方の端に魚となった子どもたちが並び、漁師となった私がもう一方の端に立ちます。
 
「網投げた!」と大声をあげて、子どもと私は体育館を交差するように駆け抜けていきます。そのとき、漁師である私にタッチされたらアウトです。捕まったらこんどは反対に漁師に加わります。
 横にステップを踏んでタッチをかいくぐることは許されますが、後ろに逃げることは許されません。スピードとフェイントの勝負です。
 漁師の数がどんどん増えてきて、そのなかを逃げきるのはスリルがあって楽しいのです。どんなすばしっこい子も最後は、クラスみんなにワーッととり囲まれて捕まってしまいます。汗びっしょりで。
 こうして、からだを動かすことをめんどうくさがっていた子どもたちが、マットなどに全力を出しはじめました。
 子どもたちの気分や感情とていねいにつきあっていくのですが、普通のクラスからみれば荒れているように見えます。しかし、一概にそれが悪いとは言えない気がします。
 感情の処理をていねいにしきれない子どもたちが、お互いの要求をぶつけあいながら学び学校生活を送るということで、教師から命令されるのではなく、自分から自覚していく時間が必要だろうということです。
 教室で、体育で、遊びやゲームをよくしました。「無人島」とか「人数づくり」とか「ジャンケンゲーム」とか「シェーハ」とか。短い時間をちょっとつかって楽しみました。
 学校にはこういうゆったりとした時間が流れることが必要ではないかと、思いました。
 いらだちやむかつきを表現し、傷つけあうことばが飛びかっていた教室に、授業への集中や読書への集中の快さを創りだすことはとても大切なことだと思いました。
 一週間に一度だけど、図書室でみんな静かに本を読むようになりました。文字を読み、イメージを広げ、夢中になって心躍らせる体験は、子どもたちの内面を充実させていくでしょう。
 絵本の読み聞かせをしました。右手の指できつねの”コンちゃん”をつくって一人芝居をしました。
 
「やあ、みんな、こんにちは。ぼく、コンちゃん。先生、本読んでよ」
 「よし、じゃあ、読むとしよう。『三びきのやぎのガラガラどん』、始まり、始まり」
 心をこめて小さな声で読みつづけていきました。シンとして聴いてくれます。「おもしろかったあ」読み終わると、みんな、ほうっと肩の力を抜いて笑っていました。六年生の教室であることがうそのようです。
 子どもたちがわたしに信頼をよせ、心を開きすっかり身をゆだねてくれているのです。こんな瞬間、子どもたちがとてもいとおしくなります。子どもたちは、人間として一人ひとり尊敬され、ていねいにあつかわなければならない。そんなふうに強く想うのでした。
 教室に何冊もの本を持ち込んで紹介しました。「1年1くみ1ばんワル」「キャプテンがんばる」「それゆけズッコケ三人組」など。
 子どもたちは、少年や少女の時代を輝いて生きたいと願っているように見えます。荒れているように見えて、じつは少年たちの生きることへの願いのようにも思えます。
 しかし、荒れている状況を放置するわけにはいきません。荒れの向こうに見える子どもの要求を聞きとりながら、人間的に生きることへの喜びに結びつけていかなければなりません。
 子どもたちは希望をもつことではじめて人間的な生き方に心をよせ、みずからを変えることに挑戦しはじめるのですから。 
 こんにちの子どもと教育の危機のなかで、希望と未来が一度に切り拓かれるような指導のマニュアルはありません。
 私たちにできることは、子どもに徹底して寄り添い彼らの深い要求を聴きとること、そして自己の停滞を打ち破り教師としての新しい一歩を踏み出すことではないかと思います。
 誰もが歩いたことのない未知の草原や荒野を、道草を楽しみながら子どもとともに歩み、希望を創りだしていくのです。
(
山崎隆夫:1950年静岡県生まれ、元東京都公立小学校教諭。都留文科大学非常勤講師、「学びをつくる会」「教育科学研究会」会員)

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やる気がない子を前向きにするにはどうすればよいか

「最近の子は、どこか冷めていて、やる気が感じられない」という声をよく聞きます。これまでの指導のやり方が通じず、なにを言っても驚かず、受け流されてしまう。そう悩む人が多いようです。
 しかし、本当になにを言ってもやる気を出さないのでしょうか。「決してそんなことはない」と、私は思っています。やる気を出すことはできるのです。やる気を引き出すためのコツがあるのです。そのコツは
(1)
「何度言ったらわかるんだ」と叱るのではなく「分からないんだな」と受け止める
 たとえば、高校野球で「なんだ、その投げ方は」と選手の悪いところを指摘して、より良い方向にもっていこうとするのは悪いことではありません。
 しかし、悪いところばかりを指摘していると、人は自分の欠点ばかりに意識が向いて、どんどん自信を失っていきます。積極的な心をなくして、人は成長できないのです。
 
「叱るのではなく、ほめて伸ばせ」と、よく語られています。しかし、ほめるには、何らかの良い結果を出していないと、ほめることはできません。無理にほめようと形だけのほめ言葉は、相手に見抜かれて効果は少ない。
 その代わり「認めてあげてください」。事実をそのまま受け止めてあげるということです。何度説明しても理解していない状態だったら「そうか、わからないのか」と言ってあげてください。
 そのうえで「どんなところが分からないんだ?」と聞けば、質問や相談をするようになります。認めてあげれば、安心感を感じて、積極的な気持ちになります。
(2)
「なぜ、できないんだ」と聞くのではなく「なにが理由だ?」と聞き「うまくいっているイメージ」をつくるようにする
 「なぜ、できないんだ」と聞くのは、言葉の裏に相手を責める意味合いが含まれています。
「なぜ」を「なに」に置き換えてみましょう。「なにが理由だ?」と質問されると、言われた方も理由を答えることに意識がいきますから、冷静に自分の行動をふり返りやすくなります。答えやすい雰囲気ができます。
 
人が行動するときには、どんな場合でもイメージが先行しています。脳はイメージ通りに実現しようとします。
 
「できなかった自分」をイメージしてしまうと、どうしてもそのイメージに引っ張られて失敗してしまうことになります。
 それよりも、うまくできたときの達成した状態をイメージできて、そのときの喜び状態を感じることができるようにサポートしてあげてください。イメージトレーニングの原則は
①すでに実現した状態、あるいは実現しつつある状態をイメージする
②細部までリアルにイメージする
③そのイメージに自分の感情を加える
(3)
「やりなさい」ではなく「やったらどうなるか」を伝える
 やらなければならないことはわかっているのに、なぜかやる気が起きないという人はよくいると思います。
 そのような場合は「やったらどうなるか」をイメージさせて、ワクワク感を与えれば、想像以上に頑張り出します。「頑張れば、その先に楽しいことが待っている」とイメージさせる必要があるわけです。
 目指す姿が明確になると、やるべきことは自然と浮かびあがります。
 
「楽しいこと」をやっていると脳の中にドーパミンという物質が分泌され、やる気や行動力が高まるようになります。
 人間の脳はワクワク感がないと「やるべき」という義務感だけでは集中できない仕組みになっています。
 なにか一つをやりきらせてみるとよい。いったん「なにかをやりきる」経験をさせると、自信がつき、あとは放っておいてもどんどん加速して成長していくものです。その最初の一歩を踏み出すサポートをしてあげることをこころがけましょう。
(4)
「夢がかなうかも」という気持ちにさせれば、どんどんやる気が高まる
 本当に何も夢を持ってない人はいません。ただ、叶うと思えないから、夢を持たないようにしているだけです。
 
「夢を考えてみよう。あくまで夢だから『これならできそう』というものでなくてもいい。『こうなったらいいな』ということを、自由に考えてみて」と私は言います。
 次に「夢だと思っていたけど、実現できるかもしれない」というイメージを持ってもらうための質問をします。具体的に細かく段階を区切って、夢を描いてもらうのです。
 最終的な夢が叶うまでの途中経過をイメージさせることで「夢が叶っていく過程」を頭の中で疑似体験してもらうのです。このワークをやると、単なる夢だったものが、どんどんリアリティを増していきます。
 夢を聞いても、漠然とした言葉しか出てこない子もいます。そういう子には「憧れの人」を聞くことで「こうありたい」とイメージを具体的に描くサポートをしてあげましょう。
「あの人のようになりたい」という気持ちが人を成長させます。
「あなたが尊敬する○○さんだったら、どんなふうに解決すると思う」「○○さんからどんなアドバイスがあると思う?」と問いかけて解決策をサポートすることができます。
 
「このように行動すれば、憧れている人のようになれる」というワクワク感は、自分の殻を破って成長するために大きな力になるのです。
 どうしてもワクワクする目標が見つからない子には、得たい感情を聞いてみるのも効果的です。たとえば「気持ちがいい」「うれしい気分」「やったぞという感じ」など。
 得たい感情が明確になれば「どうすればその感情が得られるようになるのか」を考えられるようになり、自然と目標が生まれ、モチベーションが上がってきます。
(
飯山晄朗:メンタルコーチ、経営コンサルタント。中小企業診断士、SBT1級コーチ、金沢大学非常勤講師、人財開発フォーラム 理事長、銀座コーチングスクール金沢校・福井校代表。家電業界でトップセールスマン、商工団体の経営指導員(11年間)を経て起業後は講演・研修講師)

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いじめや暴力など被害を受けた子どもや保護者への対応はどのようにすればよいか

 いじめや暴力などが発生した場合、被害を受けた子どもと保護者に対して迅速かつ丁寧な説明をしないと問題が拡大してしまうので十分な配慮を要する。
 被害者の子どもに対応する場合、何より大切なことは、被害者の胸の内をどれだけ理解できるかであり、それに寄り添うことが大切である。
 被害にあった子どもの保護者の思いは、加害者が反省をし、今後一切このようなことがないよう約束してほしい。教師には、指導の在り方を改善し、指導を徹底してほしい、ということである。
 いじめの被害者が学級全体の中で被害にあうと、長期化しやすく、被害者に心的外傷や集団参加への消極性などが心配される。排斥されるのは自分のせいだから仕方がないとあきらめ、自己否定してしまっている場合もあるので、全力をあげて味方になることを伝え、安心感を持たせながら支援していきたい。
 また、仲間の中でいじめが起こる場合は、多数対1人の構図ができ、命令されたり、面白がったりなどがエスカレートしていき、悲惨な状況が起こってしまう。周囲からは遊び仲間と映ってしまい、状況が見えにくく実態の把握が困難である。仲間集団との決別をどう進めていくか複雑な心境でいることを念頭に置き、強く切り込んでいかなければならない。
 けんかの場合は、正当防衛やどちらにも原因があるなど、加害と被害を明確に分けにくい状況もあるので、事実の把握については慎重におこなうようにする。被害状況が明らかになったら「この部分については謝罪しなさい」などの細かな対応が必要である。
 被害者が恐怖感を抱いている場合もあるので、全力をあげて被害者を守ることを表明して支援したい。加害者の子どもにも、その背景要因を探りながら、情緒の安定やコントロールする力を育てる支援を展開したい。
 被害状況を保護者に説明し、支援を展開していく場合は、何よりも誠意を持って寄り添い、苦しい状況に共感しながら対応していくようにすることが大切である。
 被害状況が発覚したら、できるだけ早く第一報を入れる。他の子どもや保護者から聞いているのに、教師からは何の連絡もないと不信感を抱くことになるので、迅速に連絡を入れたい。
 被害状況は、電話などではなく直接、家庭に出向いて、顔を合わせて丁寧に説明する。その際、事実関係を丁寧に記録したノートを見ながら、時系列で、前後関係や人間関係の動きがわかるように丁寧に説明すると、保護者は「この先生だったら任せられる」という安心感が生まれる。
 正確に把握していない段階でも、躊躇することなく「このようなことがあるようです。詳しくはこれから調べます」と伝えておくと、保護者は随分と助かるものです。
 なお、その後の段階で、事実関係が動いていく場合もあるので「今の段階として、わかっていることですが、・・・・・」と前置きして説明しておくと、その後の変動にも対応できる。
 被害者の支援は、その子と保護者の辛さや苦しみに共感しながら、新しい段階へ成長していくために、どう寄り添っていくかという、人道的な関わりが強く求められる。
 被害者の心の傷は、癒えることなく、心の中にずっと残り続け、その後の集団参加や生きる力を弱めてしまうことがある。事を急いではいけないし、じっくり関わりながら、自己治癒力や自己成長力が動き出すことをめざして、支援を継続したいものである。
(
光武充雄:佐賀県公立小学校長)

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子どもがケンカしたとき、どう考えて指導すればよいのでしょうか

 子どもにとってケンカは、人間関係を学ぶ大切な場です。ケンカによって相手の気持ちを理解したり、仲直りの方法を学んだりするのです。
 集団生活をしていれば、意見や感情のぶつかり合いが生じます。子どもは自分の思いを素直に表現します。ケンカが起きて当然です。
 ですから、ケンカを防止するのではなく「子どもはケンカをするもの」と考えて、子どもを見守り、日ごろからケンカへの対応を考えておくことが大切です。
 ケンカが起きれば、少し時間を空けて、子どもが落ち着いたら、双方に何が原因でケンカになったのか、相手がどのような言動に腹が立ったのかを言わせるようにします。
 その後で、「自分の悪かったところはどこか」、「どうすればケンカにならずにすんだのか」を考えさせます。
 自分の悪かったところを反省し、相手の立場も理解させることができるように指導するのが教師の役割です。
 子どもを納得させることが、ケンカ対応のポイントです。ケンカは子どもを納得させて下校させることに尽きます。
 「ぼくも悪かったよ」と、わが子に言われれば、保護者も納得です。
 少し気になる場合は、念のため、連絡帳や電話で保護者に伝えておくのも良いでしょう。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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荒れる子どもをどう理解し指導すればよいか

 「学校に行きたくない。もう辞めたい」と私は思った。暴力や破壊が繰り返され、昼食も食べずに走りまわって生徒に対応しても、荒れが繰り返される中で、砂をかむような気分になって憔悴しきったのです。
 そうした中で、いくら働きかけても「悪いこと」を繰り返し、何の反省もしていないように見える生徒を前にすると「あいつはどうしようもない」と指導を放棄したくなります。
 子どもたちをどんな視点で見ていけばよいか。子どもたちが寄せる教師への信頼とはなにか。
 荒れる生徒の問題の根は多くの他の生徒と深くつながっており、その問題を見える形で突き出しているのだ。私たち教師は
「子どもたちが抱かえる課題や心の揺れを見なくてはいけない」
「どの子も伸びようとしている。賢くなろうと思っている。でも、荒れている子は、なかなかそれがうまくいかないし、うまく表現できないのだ」
 このことは、子どもたち人間を丸ごと理解するうえでの原点だと思う。そのことなしには、子どもたちと教師の共感はあり得ないだろうと思う。
 家庭訪問の量は生徒指導の質を変える。それは学校の中だけで生徒を見るのではなく、生活の場で生徒を見るということです。生徒の気分や感情が生まれるところをつかもうとすることです。鬱屈とした気分や冷たく醒めた生活感情に浸ってくようになるのが理解できるようになります。
 それを知ったうえで、その生徒の判断のあり方やまわりへの関わり方を注目して、働きかけねばなりません。
 事例研究して、一人ひとりの生徒の具体的な様子や言動を教師集団が検討して、その生徒の理解を深め、生徒への働きかけの質を変えていくようにしました。
 例えば、暴力事件が起きたとき、事実を具体的につかむ。そこにとどまらずに、なぜ暴力を振るうのかを生活の中から考えてみる。どのように働きかけたか、それに対する反応はどうだったかと。
 このように教師としての経験の共有が意識的にはかられることで、教師の生徒への対応に変化が生まれます。
 その生徒の内面の葛藤に目が向き、その模索に付きあい、その生徒のペースで伴走し、対話する指導力の形成をはかっていきます。
 荒れる生徒に感じられるのは人間不信です。生活史の中で何回も裏切られてきたのでしょう。安心して甘えた経験が少ないのではないか。そうであれば、あらゆる働きかけを通して、人間信頼を回復させねばなりません。
 荒れた生徒を「甘えさせる」といった、ふくらみを持った生徒対応を教師が見せると、生徒たちは敏感に察知して、攻撃性に変化が生まれ、いっしょにはしゃいだり、ふざけたりできるようになりました。人間的な感情の交流が指導を成り立たせることになるのではないでしょうか。
 荒れる生徒の言動に「現在の自分を取りまく状態に満足できない」というメッセージがあります。荒れるのは「いかに生きるか」という問いの未熟な表現だと思うのです。
 
「自分はどうしたらいいのか」「どう生きるのか」の問いがうまくいかないと、暴発するエネルギーが攻撃的な形で噴出してくるように見えます。 
 一人ひとりの生徒が暮らしの中でさまざまに葛藤し、多様な感じ方をしていることを把握できることは、特定の子どもの全体像に接近することになります。
 
子どもの実感から出発して、その子の問題に迫る学習を創りだすことは、生活指導の課題だけでなく、教科指導をもつらぬいて現代の学校の中心的な課題だと思います。
(
福井雅英:1948年滋賀県生まれ、滋賀県公立小学校・中学校教師31年、「教育困難校」に長く勤務し荒れと向きあい学校再建に取り組む。北海道教育大学教授、北海道文教大学教授を経て滋賀県立大学特任教授)

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教師の指導力の不足をのりこえるには、どうすればよいか

 どのような教師には指導力があるのだろうか。
 わたしは、顔つき、からだつきから「怒るとこわい先生」と見られ、そのことが指導の武器になっていた。
 美人や美男子の教師もそうで、逆の教師より指導の入りがよい。
 声の大きさ、明瞭さ、すてきな笑顔もそうだ。
 これは、嘘のような話だが、指導力不足に悩んでいた教師がいた。「太い縁取りのめがねをかけろ」と助言した人がいて、そのとおりにしたら指導が成立するようになったという。
 ということは、教師は、あらゆるものを用いて教育していることになる。
 とすると「自分のどこが子どもたちに受け入れられているのか」、反対に「自分のどこが子どもたちに拒否されているのか」を知ることである。
 その結果、ユーモアに欠けるとすれば、その力をつけるように努めることだ。
 教師は自分をらち外において、わたしの教育がうまくいかないのは「子どもの質が悪いからだ」「地域もよくないし、保護者もみんなわかってない」と、他の者のせいにしてはならない。
 教師が指導力をつけるには「自分を知り、自分を変える」ことである。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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中学校の教師として楽しいと思えるようになった、そのわけはなにか

 私が中学校の教師となったのは「第三の非行のピーク」といわれた頃でした。校内暴力の嵐が吹き「今日は入院か」という思いで、文字通り体を張って子どもたちに立ちむかう毎日でした。
 
「一生懸命に関われば、いつか子どもたちに思いは通じる」と信じて「厳しく」あたってきました。私自身、「熱心=よい教師」の姿を夢中で追究してきた。他の価値観が生まれにくいほど学校現場は忙しかったからです。
 最近、思うことがあります。本当にそうなんだろうかと。子どもはもちろん、教師や親までもが追いつめられる状況になってしまっているからです。
 私は、子どもが好きで、子どもたちの未来をいっしょに開く教育という心弾む仕事に携わりたくて教師になりました。それなのに、一生懸命になればなるほど教師であることが苦しくなり、子どもを追いつめるような現実があるからです。
 かつて私には、なめられてはいけないと、生徒の前では緊張していた時期がありました。しかし今は、以前のように肩に力の入った自分と違う、自然な笑顔で子どもたちと接している自分を感じます。けっこう楽しんでいるのです。
 自分の中で何が変化したのか。振り返ってみます。
 私が新任教師の頃、学年が進むにつれて手に負えない子が増え、教師がほんろうされるという状況がありました。一年生のときに厳しくしつけ、「だめなものはダメ」と教師集団として一致して示しながら「この先生たちにはかなわない」という大きな壁を強く印象づける取り組みを重視してすすめました。
 脅しによって指導した形をつくることができる状態、それは教師から見れば、子どもに対して優位性をもって指導にあたることができているという「正常」な状態に見えるかもしれません。
 しかし、子ども側から見れば、自分の思いを表現できず、問題を蓄積させている状態であるともいえます。そして、その段階をこえて脅しが通じなくなったとき、子どもたちの前には全く無力であることを大人たちは知ることになるのです。
 でも、子どもを教師の言うとおりに従わせようとするとき、力や脅しを用いないやり方はむずかしい。あるとき、上履きのままグランドに出ている子どもたちを私は見かけました。反発していた三年生たちです。「いけないよ」と注意をしましたが、中にはいろうとしません。無視された状態です。
 そのままその場を離れるわけにもいかないし、かといって直そうという雰囲気も見られません。そのうち始業のチャイムが鳴りました。誰かが「入ろうぜ」と一言いうと、みんなスッと中に入っていきました。「私の必死の説得よりも、あの子の一言の方がよっぽど指導力があるよ。子どもを動かす力っていったいなんだろうか」と、思わず笑っていました。
 でも「子どもを指示通りに従わせるのが教師の力量」という、ずっとこびりついていた思いから解放され、楽に構えていられる自分も感じていました。以前は「ここで引いたら示しがつかない」と一歩も引かず、ぶつかったものです。
 
「いけないと知っていながら、やるには何かワケがあるんだろう。今度話せるときに聞いてみよう」という、ゆったりとした気持ちで受けとめられるようになったのは、よかったと思います。
 私たちがめざす指導のすすめ方、それは子どもがその気になるようにうながし、変化を待つ関わりなのではないかと思うのです。
 厳しい教師になろうとしていた私は「今は○○するとき。△△してはいけない」と子どもの思いを規制しようとします。そして、自分の思いの範囲で素直に動いてくれる子をいい子、そうでない子を問題のある子と感じるようになっていることに気がつきました。
 こうした問題のある子を思いどおりに動かそうとするとき、ついつい注意する場面が増えてしまいます。私はこうして「だめ、だめ」と子どもから「取り上げる」ことを日常しているけど、その代わりに何を与えているのかと、ふと思うようになりました。
 
「だめ」をいうのが教師の仕事じゃない。もっとその子の意思を尊重してもいいんじゃないかと。問題行動を繰り返す子であっても「○○させない」と、子ども生活を矯正する役割でなく、その子が中学生時代という人生のひとこまを歩くときの伴走者として、とんでもない失敗をしないよう見守りながら、ゆったりとかかわりたいと思うのです。
 問題のある子が問題を起こさないようにと考えるのはムリで、あえてやろうとすればひずみができてしまいます。「これだけ言っても分からない」「素直じゃない」と、子ども側だけを責めてきたような気がします。
 子どものためによかれと思ってやっていることが、まったく違った受けとめ方をされていることがよくあります。「子どもにどう受けとめられているか」を点検し「分かるように伝え方を工夫する」ことで一歩近づけると思うのです。
 学校では「教える」活動が強調されますが「どう受けとめたか」を尊重することで、子ども自身が「学ぶ」チャンスを多くつくることができます。
 子どもがホンネを語り、教師もホンネで返すという対話ができる関係、これは子どもを思いどおりに動かすことにはならず、まどろっこしいやり方に見えますが、実はそれは教師にとっても子どもにとっても心地よく、結果的にはもっとも近道となるやり方だと思うのです。
 子どもが「自分で決め、自分の体験から学ぶ」ということは、大人の立場からすれば、それを「待つ」ということを意味します。子どもが体験し、そこから学ぶように支援する。しかし、いのちや人権にかかわるものなら、きっぱりノーと言う。そういった活動が求められているのだと思います。
 その子の中で今どんな変化が起きているかに心を配り、その子が人生体験を重ねられるようにサポーターとして関わっていけばいいんだと考えるとき、子どもと関わることがとっても楽しくなるのです。
(
宮下 聡:元東京都公立中学校教師。都留文科大学教職相談システム相談員)

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カウンセリング・マインドを持ち、子どもを包み込むと子どもは激変する

 私は、教師や親がカウンセリング・マインドを持って子どもに接してほしいと思っています。カウンセリングの究極は、「子どもの心に寄り添う」ことと「傾聴」だと思います。子どもの話を、全身を耳にして聴き入ることが、信頼回復にはとても重要であると思います。
 子どもが「この人は、本当に自分のことを知りたがっている」と思うと、子どもの感性というものはピクッと動くのです。その子どもの感性をピクッと動かすことができれば、子どもの問題の大半は解決できるのではないてしょうか。
 そして、その子どもの感性をピクッと動かすことこそが、カウンセリング・マインドの基本であると思います。しかし、今の日本のカウンセリング・マインドは、誤ったものになっているのです。子どもに無限に迎合することなく、きちんとけじめをつける必要があります。
 私は、子どもを無限に甘やかすことだけはしません。無限の愛と慈しみと受容は注ぎますが、そのかわり、どんなに厳しくても、子どもに言わなければならないことは、必ず言います。ただし、時間をかけて、子どもに無理のないように表現していきます。
 なぜ、子どもを受容し、傾聴するのか。それは、子どもの内面にあるものを吐き出させるためです。子どもの心の中に眠っている感性を動かすためなのです。たった一度でも心がピクッと動いたならば、もうそれでいいのです。
 私は、日本中のすべてのお父さん、お母さん、教師に、目の前にいる子どもたちに対して、カウンセリング・マインドを持ってほしいと願ってやみません。
 子ども包み込むと子どもは激変します。
 私はカウンセリングを学生時代から始め、二十年ほどの教師生活と、約十年間のニッポン放送での人生相談などを経て、何万人という子どもたちとその親たちに関わり、貴重な経験をさせてもらってきた。
 覚醒剤をやめられない子、自宅に引きこもって暴れる子、売春に走る女子中学生、みんなそれぞれに悩み、心を病み、あきらめから、ひらきなおって荒れてしまっているように見えた。
 暴力団に引き込まれた子どもを、私は帰してもらいに行った。家庭内暴力でナイフを振りかざす子どもに、私が「わかった、私を刺してくれ」と体をあずけたりして、「これで私の命もおしまいか」と腹をくくったことも百回ではおさまらない。
 これまでの数々の経験から得たものは、はかり知れないが、中でも世の大人たちにぜひとも知っておいてほしいことがある。それは、「子どもを愛をこめて包み込むこと」が、荒れる子どもたちの心を揺さぶり、胸の奥にしみ入る魔法の薬、つまり起死回生の特効薬になり得るということである。
 生きる喜びを知らない子どもたちには、一人ひとりと真剣に向き合わないと、効果は絶対に表れない。ある子どもは、延々十時間、手を握って話し込んだ。「いつでもきみの味方になってあげたい。応援しているから、何かあったら相談に来てほしい」と。
 私は、人間というものはさまざまな不本意な思いを心に抱かえながら生きていかねばならぬこと。その中でよりよい生き方を、最後の死の瞬間まで求め抜いていくことの価値を訴えた。
 するとようやく、「先生はとっても優しいんだね。わかった、もう明日からやめるよ」と約束してくれた。やはり子どもはいつも「ぬくもり」を求めているのだということが身にしみた。
 触れ合いたがっている子どもを拒絶すると、とんでもない方向へ曲がってしまうこともわかった。子どもにとって、自分が必要とされているという気持ちは、善悪を問わず、何ものにも代えられないものである。
 どれほどすさんだ心も、温かい「包み込み」さえあれば、必ず癒されて立ち直れると断言する。「子どもを認める温かい言葉」を投げかけることです。たとえば、相手の存在を認める「ほめ言葉」は、かたくなに閉じられた心をほぐす万能薬でもあるのだ。
 子どもの心に響くためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにする。上から目線に構えて説教しないこと。
 手をしっかり握って、子どもの目を見つめて、「きみのことが心配だから言わせてほしい」と真剣に語りかけることも「包み込み」である。
 ふだんから、「いつでも何かあったら協力する。あなたを守ってあげたい。一人で悩まないで頼ってほしい」と言い続けることも「包み込み」である。
 このように、子どもは自分が愛情を受けている、必要とされているという認識を持っていれば、けっして道を踏みはずすことはない。一時期、道からはずれたとしても、それまでに受けた「包み込み」の蓄積があれば、必ず自分の力で立ち直ることができる。
(濤(なみ)川栄太:19432009年、小学校教師(20年間)、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者(10年間)、教育相談(40年間)。悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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子どもに自己抑制力をつけるには怖い人をつくる

 子どもの心の中に自分を抑制したり、自分を律する力をつけるためには「怖い人」を子どもの心の中につくることである。
 学校の中で「怖い人」をつくるには、叱ることができる教師がいて、叱ることで「怖い人」となることだ。その叱ることのできる教師は子どもからも尊敬され信頼されていることが条件である。
 つぎに、そういう教師が学年に一人もいないのなら、学年で生徒指導体制をつくれば良い。暴言や器物破壊などの問題行動の段階では、親と相談する、教師がパトロールする、別室で謝罪するまで説諭するなどと「怖い人」を設定すれば良い。かなりの子どもは、自己抑制力が働いて限度を理解するだろう。
 しかし、暴力行為をくり返す生徒にはもともと「怖い人」は存在しない。対教師暴力などはその典型だろう。「怖い人」の代わりに、法的対応として警察などの外部機関を持ってくるべきだろう。放置されると被害者はもちろん加害者を守ることはできない。
(吉田 順:1950年北海道生まれ、37年間横浜市立小・中学校教師。生徒指導部長16年、学年主任13年。生徒指導コンサルタントとして全国の荒れる学校と関わる。「生徒指導」ネットワーク主宰)

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子どものやる気を高めるには、どうすればよいか

 やる気づくりには、外発的動機づけと内発的動機づけがあります。
 外発的動機づけは、子どもの外側から「やる気」を刺激するものです。まず、ご褒美。よく頑張ったから賞品をあげるなどです。次に罰を与えること。サボッたから練習のやり直しを命じるなどです。三番目が恐怖。怒り恐れさせるというやり方です。
 この賞・罰・恐怖という外発的動機づけは、たまにやるにはいいけど、いつもそればかりだと悪い面がでてきます。やり過ぎないように注意することで必要です。
 一方、内発的動機づけは、子どもの心の内側から「やる気」を刺激するものです。教師塾では、有能感を高める、統制感を高める、受容感を高めるという三つの呼び方と方法を採用しています。
(1)
有能感を高める
 これは、できたら「ほめる」ということです。それも、みんなの前でほめる。これによって「自分には能力がある」と認知できます。「よっしゃ、できるやん、ハイ拍手」と遠慮なくほめましょう。
 みんなの前でほめると、本人の有能感はますます上がります。みんなの手本として行ってほめると、なお効果的です。
(2)
統制感を高める
 できそうなときに「もうちょっとや」と理解させることです。目標に対して、今の自分の位置がどのあたりまできていて、これからどこを改善すれば良いのか分からせてあげるわけです。
 この比較・改善ができると「もう少しで、できそうだ」と、やる気アップにつながります。
 例えば、跳び箱がうまくとべない子どもがいたとします。
「先生、跳び箱とべません」
「よっしゃ、こっち来て、とべる子と比べてみよう。どうや」
「わかりました。ぼくは跳び箱の手前に手をついていました。とべる子はみんな奥に手をついています」
「そうや。そしたら、手のつく位置、奥の方に印つけたる」
「それと、もう一つあります。板の位置も、とべる子は遠いです。ぼくのは近かった」
「おお、よう気がついた。そしたら、板の踏み切り位置にも印つけよう」
「先生、なんかできそうな気がしてきました。頑張ります」
これが統制感を高めるということです。過去の実績やデータを提示して「できそうだ感」を持たせます。人間は「できそうだ」と思ったときに、頑張るものです。
(3)
受容感を高める
 その子どもの居場所があるということです。この世にいる存在価値があると認められれば、やる気が出てくるということです。あなたがいてくれるだけでうれしい。居場所を与える。それが受容感を高めることです。
 さらに、あなたに任せると言われれば、人は本当にうれしく思い頑張ってくれます。本当に頑張っているときには、任せるのもいい。
 この有能感、統制感、受容感を高めることが内発的動機づけになります。この三種類のうち、低いものがあれば、それを高めることで「やる気」をアップさせましょう。
(
原田隆史:1960年大阪府生まれ、大阪市立中学校教師(20年間)、教師塾主宰を経て原田教育研究所社長、埼玉県教育委員。大阪市立松虫中学校を態度教育・価値観教育・自立型人間育成教育により建て直し、陸上競技では7年間で13回の日本一を達成した)

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