カテゴリー「叱る・ほめる・しつける」の記事

「ほめる・叱る」にはコツがある   伊藤友宣

 「ほめる・叱る」にはコツがあると伊藤友宣はつぎのように述べています。
 ほめるべきときにしっかりほめる、叱るべきときにしっかり叱る、ということをしなくなった大人が最近目立つようになった。
 ほめるも叱るも、態度がしゃんとしたものでなくてはなりません。
 「もうォ、それはダメじゃないのォ。やめなさいよ。やめて。ねェ、お願い」
 と、親が懇願口調で、あれでわが子を叱っているつもりなのか。
 幼児期から親があれでは、この先どうなるのかしらと、ぞっとしてしまいます。
 子どもの自主性を尊重しているつもりで、実際には親としての主導権をしっかり示していく自信がない。
 逆に親が子どもを完全に管理して、子どもがやむなく従うのを従順だと思い誤ることも多いのです。
 親が息をうんと吸って吐く勢いで「はーい、それはダメ」と、ききりと言い切る。
 親があとの様子をしっとりとした態度で見守る。
 子どもは、じっと親の気配を感じる。
 子どもはしてはいけないことをしていると、手元が止まるということになったりするのですね。
 親が強く注意を喚起して、あと、じっくり共感という流れがそこにあります。
 自分の日常の生きていく姿勢が、子どもをほめたり叱ったりする態度にもろにあらわれます。
 どうほめ・叱るか、でなく、充実した生き方ができているかどうかの、親のあり方、教師一人ひとりの生き方の質が、問われているのだという気がするのです。
 親や教師は子どものために、「ほめる・叱る」の意図が、子どもの心に届かないことが多くあります。
 こちらの思い違いもあると覚悟しておく。
 子どものこれまでの習慣や育てられ方というものも、考慮し直してみる。
 まあ、「ほめる・叱る」は試行錯誤して反省を積み上げていくしかない。
 子どものあり方にいかに敏感に反応して、前向きの関係をつくるか、ですからね。
 人間関係は、一種の格闘技。
 相手がどう出てくるか機敏に対応しながら、こちらの出方は、心と体の瞬間の動きに任せる。
 「ほめる・叱る」は、人間関係のひとつのかなめなのですね。
 叱ったあとに、反発が返ってきたりしても、おそれず、生き物の生きる勢いに任せたいさぎよさで子どもに対すること。
 子どものしくじりに気づいたら、気づいた自分の確かさに誇りを抱く。
 子どもに対しても謝るときには謝り、訂正すべきときは訂正すること。
 「ほめる・叱る」には、その時、その呼吸(いき)でという、コツがあるのだと思います。
 コツをはずしていなければ、形がいろいろ違っていても子どもの成長に役だっていく。
 結局は、「ほめる・叱る」ということは、それが必要な急場の、子どもに対するしゃんとした大人の姿勢のあり方のことだと気づくのですね。
「人間」としての、しっかりしたあり方が、時々のほめことばや叱りことばに、微妙に、そして、はっきりと映し出されてしまう。
 要するに、大人がどれほど元気に生きているか、ということになるのではないでしょうか。
(伊藤友宣:1934年神戸生まれ、大学で教育心理学を学び、卒業後は、教育問題、特に親子の関係、いじめ問題などを中心にカウンセリングに取り組む。神戸心療親子研究室主宰)

 

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叱るときに考慮すべきことは何か    大塚賢二

 どの方法が生徒指導で効果的なのかは、やはり、指導される子どもの性格や状態によっても違うし、指導する内容や回数によっても変わってくるだろう。
 子どもの状況をよく観察しながら、ベターだと思われる方法を選んで行わなければならない。
 強く指導しなければならないこと、優しく指導した方がいいこと、強く指導してから時間をかけて見守りながら指導しなければならないことがある。
 また、全体に指導した方がいいこと、個人に指導した方がいいこと、などがある。
 ただし、「強い・厳しい」指導をしてから、「弱い・優しく語りかける」指導にすると子どもの気持ちも落ち着いて、指導される子どもも納得し、指導する教師も心がスーッとする終わり方ができる。
 しかし、その逆になると、指導される側には怒りや反発の感情が芽生える場合が多い。
 また、複数の子どもが関係する問題に対する指導は、まず「個別に指導」してから最後の最後に、まとめとして「全員に講話」のようにまとめるのはよいが、逆は、誰が何を言ったのか他の子どもにもわかるので、子ども同士のいざこざの原因になってしまう。
 注意しなければならないのは、指導する時間だ。短すぎても、長すぎてもダメだ。
 短いと「たいしたことなかったな」という気持ちになるし、長すぎると、最初は反省していた気持ちも、徐々に「しつこいな」という反発の気持ちに変わる。
(
大塚賢二:1964年北海道生まれ、北海道公立中学校教師。平成21年度文部科学大臣優秀教員表彰を受賞、北海道情報と教育ネットワーク事務局長)

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子どものやる気を引き出す叱り方をするには、どうすればよいか    東ちひろ

 子どものやる気を引き出す叱り方について、東ちひろはつぎのように述べています。
 教師が責めるような叱り方をすると、子どもはいつも同じことを繰り返し、もぐらたたき状態に陥ってしまいます。
 子どもたちは先生に責められていることを強く意識して、先生に叱られた理由を突きつめて考えることにはならないのです。
 そこで、「なぜ!」という問い方を「何」という問い方に変えることを試してみましょう。
 そうすれば、子どもの言い分や事情を聞き出すことができます。
 例えば、
「『なぜ』そんなことをするの?」を、
「『何』に一番気を付ければいいと思う?」
「『なぜ』給食当番を忘れたの?」を、
「給食当番を覚えておく『何』かいい方法はないかな?」
 と言うと、子どもは自分の頭を使って、能動的によい方法を考えようとします。
 教師に注意されたことで、子どもがキレてしまったときは、
「やめなさい」と否定し、すぐ制止しないで、気持ちが落ち着くまで待ちます。
「何が嫌だったの、どうしてほしかったの?」など、理由を尋ねます。
「ふ~ん、そうだったのか」など、子どもの気持ちを理解しようとします。
「本当は、どうしたらよかったと思う?」など、どうするべきだったか本人に気づかせます。
 ガミガミ・ネチネチ・ナガナカは、効果的な叱り方ではありません。
 子どものやる気を引き出すには、「短い言葉で行為を叱る」という方法で、具体的に何がダメなのかを伝えましょう。
 そして、「望ましい行動」を短い言葉で伝えることもできればよりよいでしょう。
 例えば、黙ってとなりの席の子どもの消しゴムを借りてしまってトラブルになったとき、
「黙って人のものを使うことがダメなのよ」(短い言葉で淡々と行為を叱ります)
「『貸して』と聞いて、相手が『いいよ』と言ってからよ」(望ましい行動を短い言葉で伝えます)
 教師の気持ちをまっすぐ子どもに伝えるには、
「『先生』(私)を主語にする」だけで、教師の本当の気持ちがまっすぐそのまま子どもに伝わります。
 逆に、「あなた(子ども)」を主語にした場合は、どうしても、その後に相手を責める感じの言葉が続きやすく、誤解をまねく原因になりがちです。
(東ちひろ:幼稚園・小学校教師、教育委員会を経て、「東ちひろマザーズセラピー」主宰。上級教育カウンセラー、今まで相談を受けた子ども・保護者・学校の先生の数は3000人の相談実績がある。)

 

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ココロの貯金がたまると子どもが変わり、親も変わる    東ちひろ

 ココロの貯金がたまると子どもが変わり、親も変わると東ちひろはつぎのように述べています。
 人はだれでも、心の中に「ココロ貯金箱」をもっています。
 親や教師から、ほほえみかけられる、信頼して任せられるなど「プラスのふれあい」をたくさん子どもがもらうと、その貯金箱の中にどんどん貯金がたまっていきます。
 そうすると、子どもの心に余裕が生まれ、他の人にやさしくなれたり、助けたりすることができるようになります。
 子どもたちの自己肯定感が高まり自信を持って成長していくことができます。
 もちろん、子どもをしかることも必要ですが、「マイナスのふれあい」の方が多くなると、親や教師の言うことを聞き入れず、やる気をなくしたりするのです。
 この貯金箱は、穴があくことがあります。
 けなす、無視する、イヤミや皮肉を言うと、子どもの存在や価値を認めていないことになり、自己肯定感がどんどん下がってしまいます。
 あなたも学校の先生にほめられ、やる気になった経験があることでしょう。
 私は学校の先生にほめられることで一気に大量の「ココロ貯金」が貯まると思っています。
 それほど教師の力は絶大なのです。
 私は家庭に、子どものよさを電話やメモを使って伝え、「ほめ日記」に記録することを1年間つづけました。
「ほめ日記」を通して、教師が子どものどんなところを、どんな言い方でほめたかを親が知ることができます。
 教師にわが子がほめられることで、親の心にも確実に貯金がされます。
 親の「ココロの貯金」が貯まってくると、親が子どもにもやさしい言葉をかけやすくなります。
 
親と教師が車の両輪となり、子どものよさを伸ばしていくことができました。
 意欲的に活動する子、心の安定した子がどんどん増えていきました。
 子ども一人ひとりや学級全体が、確実によい方向に変化していくのです。
 それは、まさに教師としての醍醐味でした。
(東ちひろ:幼稚園・小学校教師、教育委員会を経て、「東ちひろマザーズセラピー」主宰。上級教育カウンセラー、()生涯学習開発財団認定コーチ)

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教師は包容力を大きくし人間を練っておかないと叱るときに過ちを犯す  関根正明

 教師は包容力を大きくし人間を練っておかないと叱るときに過ちを犯すと関根正明はつぎのように述べています。
 叱るという行為は、叱る人間の心の中をさらけ出すことだ。
 多くの人は気分屋のところがあって、その日の気分しだいで、怒ってしまうということが油断するとあるものだ。
 気に入る、気に入らないがその日の気分しだいで微妙にちがってくるから始末が悪い。
 私など、ついカッとなって、どなって子どもを叱るときがある。
 後になって自分はいったい何んであのようにどなったのだろうと、考えることがあった。
 カッとなったのは、結局、子どもの言動が自分の気に入らなかったからだ。
 自分が気に入る、気に入らないということで、自分は子どもを叱ったり、ほめたりする。
 実に自分本位で、自分のことながらイヤになる。
 教師は自分たちが、このようにして欲しいというパターンに合致する子どもは「いい子ども」として重きにおく。
 それに反する子どもは「よくない子ども」とレッテルをはって叱る。
 つまり教師は自分の中に「いい子どものイメージ」があって、その基準に反し、逸脱する子どもは否定する。
 教師は子どものためを思うから、叱るのだと思っている。
 教師は自分が正しい根拠によって子どもを叱っていると思い、自信を持っている。
 教師は自分が正義だと確信しているときは、傲慢になって、もっとも反省しにくいときでもある。
 教師はよほど包容力を大きく、人間を練っておかないと、とんでもない過ちを犯す。
(関根正明:1931年生まれ、小・中学校教師、指導主事、東京都公立中学校校長、大学助教授を経て、山形大学講師を歴任。執筆活動をしながら、親や教師への相談、講演などにあたっている。アドバイスには定評がある)

 

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叱っても人がついてくる、叱り方の極意とは     福田 健

 叱っても人がついてくる、叱り方の極意について福田 健はつぎのように述べている。
 叱るべきとき、自信がないと人を叱るのは気が重い。
 どう叱ったらよいか方法がわからないと叱る自信が持てない。
 どう叱ったらよいか、叱り方のポイントを考えてみると、
 怒るのではなく叱る。
 それには相手を育てようという思いを、しっかりと持つことから始めなくてはならない。
 何を叱るか事前にわからせておく。
 一貫した叱る方針を立てて、事前にみんなにわからせておく必要がある。
 何を叱り、何を叱らないかを日頃から自分の考えを伝えておく。
 感情に左右されることなく、日ごろの方針にしたがって叱るようにする。
 同じ目線で叱る。
 上から目線でえらそうな態度や言い方で叱るのではなく、問題を自分の中に入れて、同じ立ち位置で叱る。
 その上で、どうすればミスを繰り返さないですむかについて、一緒に話し合う。
 考えが違えば基準が異なる。
 相手にわからせ納得させるには、短気を起こさず、相手にも理解を示し、ねばり強さが求められる。
 叱るタイミングを外さない。
 叱るとき、言いにくいと思うと考えすぎて、つい先送りしてしまい、結局タイミングを逸して、叱れなくなってしまう。
 叱り方が「強いことばで責めとがめる」だけでは、相手の反発をまねく。
「諭す」「注意する」「気づかせる」など、範囲を広げるべきだろう。
 そうすれば、気負わないで叱れるし、タイミングを外さずに叱ることができる。
 また、シッョクがさめやらぬ内に、厳しく叱責するのは考えものだ。
 反感をかったり、余計に落ち込ませてしまう恐れがある。
 気持ちが落ち着いて、話が聞ける状態になるのを待ったほうがよい。
 一度にあれもこれも叱らない。
 叱ろうと思いながら、我慢していると、その思いが蓄積されて抑えきれずに、あれもこれもといっぺんに叱ってしまう。
 気になったら、その都度、口に出して注意し、ため込まないことだ。
 原則は一対一で叱ること。
 みんなが見ている前で叱られるのは辛いことである。
 恥をかかされたと、恨みに思ったりする。
 よく考えたうえで、ここは人前で叱ったほうがよいと判断したときに限るのがよい。
 感情的になったら、一呼吸おく。
 人間に感情はつきものである。カッとなると自分を見失う。
 一呼吸おくとは、自分を取りもどす間合いのことだ。
 怒りがこみ上げてきた瞬間、深呼吸するなり一呼吸おいて、気を静める。
 間合いの取り方は、各自工夫してみるとよい。
 相手の人格を否定しない。
「だからお前はダメなんだ」と言うのはタブーである。
 強く叱ったあとはフォローを忘れない。
 不機嫌なまま、お互い、わだかまりを持ち越すことのないようにしたい。
 叱った後は、カラッとできるようでありたい。
 翌朝「おはよう、昨日は言いすぎた。でも、わかってくれたと思う。よろしく」と、明るい口調で、さらっとひと言、言っておく。
(福田 健:ヤマト運輸入社、言論科学振興協会の話し方運動に参加し理事を経て、話し方研究所を設立し会長。話し方、聞き方の指導・研究・啓蒙にあたり、コミュニケーション・リーダーシップ、人間関係などをテーマに各企業・官公庁で講演・講座活動を行っている)

 

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いつもは優しいが怒るとこわい先生が子どもにとって頼もしい存在である  池野正晴

「怒るときは、怒れ」それが教師であると池野正晴はつぎのように述べています。
 あるクラスで一人の子に対する嫌がらせがありました。
 ごみ箱の中に上履きが隠されていました。
 その子の机の引き出しが床に落とされ、ノートが破かれていました。
 このような嫌がらせが何回か続きました。
 そこで、深刻ないじめにならないために、緊急の学年集会を開きました。
 集会で、これは学年全体で解決していかなければならない問題であることを確認し、これまで起きた事実を子どもたちに伝えました。
 そして、私はつぎのような話をしました。
「人の持ち物を隠すこと、人の持ち物を壊すことは犯罪です」
「人の持ち物を隠すのは、人の物を黙って持ち出すのだから、盗みと同じです。大人の世界では窃盗といいます」
「人の持ち物を壊すのは、器物破損といいます」
「どちらも犯罪ですから、見つかれば逮捕され、罰せられます。これは、子どもだからといって許されることではありません」
「今度また、こういうことがあったら、先生は絶対に許しません。これは犯罪なので、警察の力を借りることもあるかもしれません」
「いま、ものすごくつらくて悲しい思いをしている人がいるのです」
「そして、その嫌がらせをしている人が、残念ながらこの中にいるのです」
「その人は反省しなさい。心から反省しなさい」
「そして、二度とこんな情けないことをしないと自分の心に誓いなさい」
 子どもたちは、真剣に話を聞いていました。
 そして、この学年集会を機に、嫌がらせはピタッとなくなったのでした。
 子どもは、ほめて育てる。これが基本です。
 けれども、許してはならないときがあります。
 教師が怒るべきときがあります。
 先生はいつもは優しい。でも怒るとこわい。
 いざとなったらこわい先生が、子どもにとって頼もしい存在なのです。
(池野正晴:国公立学校の13年の教師経験を経て,高崎経済大学名誉教授、和光大学教授。専門は教育人間学、授業論、算数科教育学等)

 

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子どもを注意できない教師が、注意できるようにするにはどうすればよいか

 子どもを注意することが難しくなり、できない教師も増えている。
 その場で注意できない教師、注意しても徹底できない教師、注意しても生徒に反抗される教師は、教師としての自らの適格性に疑問を抱いて苦しみ、悩み、心身症におちいる例も増えている。
 だが「できません」と言っているだけでは、けじめはつけられない。
 それぞれの教師が「その場で注意」できる教師に成長することが必要だ。
 そのためには、職場の教師が組織的に援助するようにする。それぞれの教師が個性に応じた指導法を発見できるように研修するとよい。
 生徒に怖がられている教師とそうでない教師とが、同じ言葉と態度で注意することはできない。
 それでは、どのようにすれば注意できるようになるのでしょうか。
1「その場で注意」できない教師は
(1)後で子どもを呼んで注意する。なるべく人目のないところに呼んで注意する。
(2)職員室へ戻ってきて、関係教師に通報する。
(3)一般的注意や掲示などによる注意など工夫する。
2 注意することについて学習会を開く
(1)「注意」について学習する。
(2)「その場での注意」の仕方を学習する。
(3)「注意の指導方法を出し合い」自分に適した指導方法を発見する
 ワークショップで「私ならこう注意する」といった指導方法を出し合い、実演しあって学習する。
 他の教師の指導を見ながら、それぞれの教師が自分に適した指導法を発見する。
 具体的に例をあげると、例えば、
 教師が、私語をする子どもに「何しゃべっているんですか。おしゃべりやめなさい」と注意したら、その子どもに「うっせーな」と反抗された。
 この場合、どう指導すればよかったのでしょうか。
 教師がそれぞれ自分の考えた方法をつぎのように演じて見せ合った。
1 新卒の教師は「すみません。おしゃべり、やめてくれますか」
2 ベテランの家庭科の教師は「楽しそうだね、その話、あとで先生に教えてね」
3 社会科の教師は「仲良くていいね。さて、話の続きは休み時間にしたら」
4 国語の教師は「そこ」と注目させ、ニコッと笑って唇に指を立て「しーっ」という静粛の合図を送った。
5 怖そうな体育の教師は「うるさい。おしゃべりやめろ」と怒鳴った。
6 理科の教師は「なに話し合っている。大事なことらしいな。みんなにレポートしてもらおうかな」
7 音楽の教師は、近づいて行って「どうしたの。緊急事態発生したのかな」と聞いた。
8 保健の教師は「何か先生の授業がおもしろくないのかな。おもしろくなかったら要求してください。どうぞ発表して。ここでいやなら、あとで教えてね。保健室で待っているからね」
 と、いろいろな指導方法のあることがわかる。どれも正しいと家本芳郎はいう。
 こういう指導の研究で大切なことは、一つの方法に統一しないことだ。
 みんながみんな体育の教師のように、みるからに怖そうな教師でないからだ。
 指導方法は「各自の自由」である。
 このように、それぞれの指導方法をだしあって、つぎの順序で自分流の指導方法を編みだせばよい。
1 いろいろな教師のいろんな指導方法を学ぶ。
2 そのなかから、自分にもっともふさわしい指導方法をさぐり、発見する。
3 発見した指導方法をそっくり真似してみる。
4 真似した指導方法を自分に適するように修正してみる。
5 さらに、発展させ、自分流の指導方法を編みだす。
 指導方法は自分流を編みだせれば、いうことはない。そこにいたるまでは、先人に学ぶことである。
 もう一つ例をあげる。
 教師の「やめろ」のひと声で子どもたちをやめさせるにはどうすればよいでしょうか。
 教師である以上、注意することからは逃げられない。教師は「やめろ」と注意したとき、その一声で制止できたら言うことはない。
 やめないのは、教師が子どもになめられていて、こわくないからだという説がある。そう思っている教師が多い。
 だが、そんなことはない。もし、それが事実なら、教師全員がこわい教師になる必要がある。
 おっかない教師が見ているところではやらないが、見ていないところではやるかもしれない。
 どうせ「やめろ」と言うなら「それから後もずっとやめる」ようにしたいものである。
 子どもが教師の「やめろ」の一声で、その行為をやめるには、つぎの条件を満たせば、こわくない教師も、やめさせることができる。
1 子どもを追い詰めて、逃げ場を失ったネズミにしない
 どんな場面で叱られるかが子どもにとっては大問題である。
 子どもにもメンツがある。みんなの前、好きな女の子前で「やめろ」と言われたりすると、すなおにやめない。
 したがって、やめさせる場合、その子どもの立場も考えながら注意し、その後で、きっちり指導する。
2 教師の言葉の力
 教師の「やめろ」と言う声に、すぐにその行為をやめさせる強い響きがあることだ。
「これはよくないことなんだ。すぐにやめなくては」と思わせる響きがある場合、子どもはハッとわれに返ってやめる。
 教師は「やめなさい」を13通りに表現できなくてはならないという人がいる。
 いろんなニュアンスで「やめなさい」が言えなくてはならないという意味だろう。
 ところが、教師はそういう訓練をほとんどしていないから、「断固として叱りなさい」と言うと、威嚇的な大声でしか発声できない。
 昔はそれでよかったが、今日では、その中にやさしい響きと、怒りや悲しみや、嘆きや痛ましさの表情をともなわなくては、強い抑止力を発揮できなくなった。
 制止や禁止の言語能力を高めることが求められている。
3 モラルに反する行為
 やめさせる行為がモラルに反している場合である。
 例えば「人を殺傷する」「人のものを盗む」「人の権利をふみにじる」「弱い者をいじめる」といったことなどである。
 「きまり」は日頃から取り上げ、子どもたちにもよく理解させておかなければならない。
 教師の「やめろ」に呼応するモラルを子どもの内部に育てておくためでもある。
 この「きまり」に反する行為にたいしては、即座の有無を言わせぬ禁止を求める。
 ところが「髪の毛を染めてはいけない」という校則は「規則」であって、人類普遍のモラルではないから「有無を言わせぬ禁止」項目にはならない。
 ここをよく間違えるので区別をしなければならない。
 これを同じレベルで指導しようとするから、無理がおこり、破綻する。
4 教師が好かれている
 「やめろ」と言った教師が好かれている場合である。
 好かれている教師が言うと子どもはやめる。嫌いな教師はなかなかやめない。
 教師は子どもに好かれ、信頼され、尊敬されるようにつとめなくてはならない。
5 納得できる指導を受けた経験がある
 今までに子どもが納得できる指導を受けた経験があるということである。
 「先生が『やめろ』と言ったので、自分はやめた。その後、先生は自分の気持ちも聞いてくれるし、慰めてくれて、納得のいくように説明してくれた」という信頼感である。
 そういう姿勢をもった教師であれば、子どもはやめる。
 学校現場では、指導に苦手な教師のレベルからものごとを発想していくべきである。
 注意できない教師の発言を大切にとりあげることで、そこから教育の思想や技術を深めていくことができる。
 たてまえで動く職場はかならず破綻するものである。
(家本芳郎、1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

 

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叱るとき、子どもを「怒らない」で指導する方法とは

 斎藤 修は、子どもは失敗から学んでいくものだと考えています。
 子どもは、友だちの失敗からどう学ぶかということがすごく大事だと思っています。
 ですから斎藤は、子どもが失敗したとき、子どもたちに問い返します。
「○○くんのやったことをどう思いますか?」
 そうすると「そういうやり方は間違っている」とか、いろんな意見が出てきます。
 教師が直接その子を注意するのではなく、子どもの話し合いに返していく。
 そうすることで、学級の他の子どもたちも学ぶことができます。
 問題を子どもたちに返していくというこのスタイルを身につけると、子どもたちを怒らなくてよくなります。
「どう思う?」
 と、子どもたちに返すことで、子どもたちが正しい答えを出してくれるのです。
 子どもを直接怒ると、どうしても反抗や対立を生み出すことになります。
 そこで、どうしても子どもを呼んで注意しなければならないときは、間に必ずもう一人子どもを入れます。
 そうするのは、子どもと教師の対立関係をつくらないためです。
 叱るときに念頭においてほしいのは「注意は、ほめて終わる」という原則です。
 例えば、
「○○くん、姿勢が悪いよ、ちゃんとしよう」
 と、注意したとします。
 そうしたら次は、
「直ったね、よくなったね」
 と、ほめることで、その指導が初めて終わる。
 そんなふうに、最後に子どもはほめられて終わる。
 それが叱るときの基本的なあり方であろうと思うのです。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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教師の話を聞く子どもにするよう、ふだんの授業でこころがけていることとは

 長瀬拓也は「おもしろい授業を」と考え、教師になったが、うまくいかなかった。子どもたちは大きな声で叱っても話を聞いてくれなかった。
 教師が話せば子どもは話を聞くだろうと思うのは甘い。話しを聞く子どもに育てなければなりません。
 そのためには、しっかり相手の目を見る子ども、見る姿勢がよい子どもや、じっくりと耳をすませて話をきく子どもを、どんどんほめていくようにします。
 話を聞いている子どもをほめることで、子どもたちに聞くことは大切であるという意識を高め、子どもたちの体を聞くことができる体に育てていきます。
 ふだんの授業がスムーズにできるようにするために、長瀬はつぎのように実践しています。
 授業は子どもたちが聞いてくれないと進めることができません。聞いてくれるために、「しっかり相手の目を見ている子ども」
「姿勢がよい子ども」
「耳をすませて静かに話を聴いている子ども」
 をほめます。
 つぎに、みんなで協力することを徹底させます。
 自分だけでなく、班やクラス全体のことを思って助け合って学習する意識をもたせようとします。
 また、教科書の読み方、ノートの書き方、話し合いの時の言葉使いなど具体的なルールを徹底します。
 細かな学習のルールを守ることが、自分や仲間の学習にプラスとなるということをしっかりと意識させます。
 このような指導をするときに大切なことは、怖い顔でなく、守るまで笑顔で言い続けることです。
 そしてこれを継続していくことが重要です。継続して守らせる厳しい教師になろうと長瀬は努力しています。
 さらに、子どもたちに授業の見通しをもたせるようにします。次に何をするのか分かれば子どもは安心して授業に入りやすくなります。
 長瀬は教室に授業の流れを掲示します。
 学習課題に取り組むときは、活動ごとに番号をつけ、視覚的に分かるようにします。
 指示・発問・説明は分かりやすくはっきり伝えるようにこころがけています。
 立ち歩いてもよい時間をつくり、あと何分座っていれば立ってよい時間になるかをクッキングタイマーで知らせます。
 立ってよい時間帯には自分が調べたことを仲間と交流したり、ノートを写してもよいことにしています。
 また、子どもと人間関係をつくることが大切です。
 まず、笑顔です。
 毎日、にこやかな表情で子どもを迎え入れるようにします。
 笑いがあれば楽しい授業になり、好意や信頼感を子どもたちからえられます。
 また、ちょっとした声かけを意識して行います。
 叱るときは、どんなことをしたら叱られるか、基準を明確にしておくようにしています。
(長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立小学校、岐阜県公立中学校・小学校を経て同志社小学校教師。専門は、学級組織論、教育方法学、社会科教育。授業づくりネットワーク理事)

 

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