カテゴリー「子どもの実態」の記事

子どもたちに必要なのは見つめられる存在から見つめる存在への転換   土井隆義

 今の若い人たちの自己肯定感の基盤になっているのは、ルックスが良いとか勉強ができるとかではありません。
 人間関係に恵まれていることです。
 ある企業の調査によれば、女子中高生の84%が日々ストレスを感じていて、ストレスの原因で一番多いのが「同級生との人間関係」です。
 人間関係に不安を抱えています。
 友だち関係の中でお互いに空気を読んで、不安を抱かえながら、相手から受け入れられるようなキャラクターを演じながら人間関係を営んでいます。
 若い人たちは、常に自分を見てもらいたい、受け入れてもらいたい、承認されたい、と不安を抱かえています。
 独りでいることが非常に不安になってきている。
 そういう子どもたちにとって、まず必要なのは、「きちんと見ているよ」という承認を与えることが大切である。
 しかし、「もっと見てよ」という気持ちはどんどん肥大していきます。
 どこかで、まなざしの転換が必要です。
 「見つめる存在」への転換です。
 見つめられる存在から、他者を見つめる存在。
 つまり他者にとって自分が役に立つ、自分が必要とされる存在になることです。
 自分が必要とされる側に回ることができれば、これほど強い自己存在感の基盤はありません。
(
土井隆義:1960年山口県生まれ、筑波大学社会科学系教授。専門は犯罪社会学、法社会学、逸脱行動論、社会問題論)

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子どもたちは、なぜ教師に反抗するモンスターチルドレンとなるのでしょうか

 子どもたちはなぜモンスターチルドレンとなるのでしょうか。
 モンスターチルドレンとは、学校や教師に対して、狡猾に反抗する子どものことです。
 子どもたちがモンスターチルドレンとなる原因は、子どもを「小さな大人」として扱い、私たち大人と対等な存在と見なしてしまうことにあります。
 そうすることによって、子どもはかえって絶えず過大な要求をするようになってしまいます。
 私の知っている幼稚園のほとんどは、子どもを大人と対等なパートナーとして教育活動をしています。
 子どもたちは2~6歳という、人格がほとんどできていない年齢で、もう独自の人格として扱われ、それを伸ばしてやるべきだというのです。
 もし、このような神経医学上の重要な認識に反した考え方が教育の基盤になってしまうと、子どもたちはわがまま放題のモンスターチルドレンになってしまいます。
 ドイツのテレビ番組で、崩壊した家庭で、手のつけられない子どもたちに、金切り声をあげて叫ぶ親の様子が放映されています。
 こうした番組が高い視聴率を上げているのは、社会にひそむ感情を表現し、家庭崩壊が身近なことととらえられているからです。
 私は診療所で児童精神科医として毎日、子どもや青少年を見ています。
 問題をおこしている大部分の青少年は精神の成長が6歳以下の精神年齢で止まってしまっています。
 そのため彼らは、自分たちの周囲の人たちとスムーズな関係を築くことができません。
 子どもたちが精神的に成長するには、けじめある親や教師に囲まれて生活し、社会で生きていくために不可欠な精神の働きが最もよく育つように、基本的なふるまい方をたえず訓練し、誤った行動があれば反省させる指導をしなければなりません。
 子どもの精神を成長させる見込みは、学校の方が大きいということになります。
 崩壊した家庭では親と子どもとの関係が混乱してしまっているからです。
 したがって、小学校の教師にとって、学ぶことができるようになるための土台を子どもの中に育てる責任があります。
 学校で子どもの精神を育てることが重要だということです。
(
ミヒャエル・ヴィンターホフ:1955年ドイツ生まれ、医学博士、1988年から児童精神科と精神療法(心理療法)の診療所を開く)

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子どもの真実がわかるものの見方とは

 山田洋子は現場(自閉症の子どもの心理療法)を経て大学の研究者となった。
山田は大学院入学前に心身障害者コロニー中央病院で自閉症の子どもの心理療法を行った。
 ことばがでない自閉症の子どもたちとの出会いが山田のものの見方を変えた。
 病院も施設もどこも混乱と試行錯誤の連続であった。
 そこで山田が得たものの見方は、矛盾したものを矛盾と自覚したうえで両者を共存させ複眼の視点でみる。
 つまり、研究者と生活者の両方に身をおいてものごとをみるのである。
 現場にどっぷりと浸らないと見えないものがあり、逆に外部の研究者だからこそはじめて見えるものがある。
 山田は障害児をかかえて苦労している母親からたくさんのものを学んだ。
 ひとつのものごとについて、あの母親たちの眼からみたらどうだろうか、と自問するようになった。
 矛盾するふたつのものの見方を共存させるというものの見方がそのときできたのである。
 山田は結婚して子どもができ母親となった。
 母親として子どもが泣きだしたらすぐ抱きしめてやりたいが、研究者としては、つぎにその子どもがどのような行動をするか観察してみたい。
 両者は矛盾する子どもへの関わりかたであるが、両方の見方があってはじめて、子どもの真実がわかると山田は思っている。
(山田洋子:京都大学名誉教授。立命館大学特別招聘教授を経て、立命館大学OIC総合研究機構上席研究員、立命館大学生存学研究所運営委員。もの語り心理学研究所長。専門は生涯発達心理学、ナラティヴ心理学)

 

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軽度発達障害児童とは、どうすればよいか

 軽度発達障害は、脳など中枢神経の微細な損傷による障害といわれている。
 学習障害(LD)とは「聞く・話す」「読む・書く」あるいは「計算・推論」が困難な症状だ。
 多動性障害(ADHD)は「注意を維持できない」「会話に集中できない」「我慢ができない」「考える前に行動してしまう」「順番が待てない」など行動に障害があって、集団行動が極端に苦手だったりする。
 高機能自閉症は「場の空気を読めない」「言葉どおりにしか受け取れない」「変更や変化を嫌がる」など他人との関係を結ぶのが困難な症状である。
 本人に悪気はないし、簡単に治療もできない。
 これら軽度発達障害の子どもの割合は、約6%といわれており、一クラスに1~3人はいることになります。一定の年齢にならないと表面化しないこともある。
 また、発達障害の子どもは、事件が起きると、何かと被害者になることが多いのが特徴だ。
 学級崩壊の原因、イジメの対象になるなど、教師に意味もなく嫌われることもある。
 ADHDなど行動に障害がみられる子どもは、教室のなかでも落ち着かない。
 教師の話を無視して遊んだり、我慢できずに暴れだしたりする。
 教室を飛び出すこともある。教師が追いかけていると、授業が中断されて、支障が出てしまう。
 予算のある市町村では、特別予算をくんで、小学校に常時2人の補助員を置いている。しかし、予算が乏しいところでは、それもままならない。
 実際に軽度発達障害の子どもに適切に対応できずに、不登校や学級崩壊などの問題を引き起こすケースが後を絶たない。
 親も軽度発達障害のことを知らないため、
「なんでこの子は他の子のようにうまくできないの」
「なんで何度も叱ってもわからないの」
 と、ついキツく叱ったり、体罰や虐待にいたってしまう場合もある。
 ADHDの子どもの日々のサポートでは、お子さんがどのような場面が苦手かをよく理解し、人とのかかわり方や社会のルールを教えながら、
1 スモールステップの目標を作り、できたら褒める
2 少しでも指示を聞けたら褒める
3 少しでも我慢できたら褒める
 などの工夫で、行動や情緒を自分でコントロールする力を養うように支援してあげましょう。
 その際は、本人が興味をもってワクワクした気持ちで取り組める状況をつくると、効果が高まりやすくなります。
 何か達成できたときにシールや代用貨幣(貯まったら何かと交換できるようなもの)などを用い、本人ができたことを分かりやすくすることも有効です。
 逆に、失敗したり聞き逃したりしたときに怒ると、急速に取り組みへの興味が薄れてしまいますので注意してください。
 また、危険なことをする場合などは禁止の指示が必要ですし、興奮が収まらないときは静かな場所でクールダウンをしましょう。
 本人の努力を褒めるとともに、得意なことを見出して自信を育てることも大切です。
 そうすることで、成人後にADHDの特徴が残っても、それが個性として生かされ、伸び伸びと生きる支えになります。
 ADHDの子どもは興味のあることに熱中することがあります。
 ある教師は1年生の担任の時ADHDのM君と出会った。
 知恵の輪を与えると、けっこう気にいって熱中してくれた。それをきっかけに少しずつ授業に参加するようになった。
 ADHDは小学校高学年くらいになれば減少するという。
(「ザ・小学校教師 別冊宝島」)
(石﨑 朝世:発達協会 王子クリニック院長)

 

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教師が子どもが見えないのは、子どもに願いを持ち過ぎるからである

 相変わらずクラスの子どもたちは思うようにならない。私は自分の力不足を感じていた。
 そんなとき、学年主任に、
「子どもが見えないんです(理解できない)」
 と相談すると、
「おまえは、子どもに願いをもちすぎる」
「子どもに、こうなってほしい。ああなってほしいと」
「そういう願いを先にもつから、子どもたちの『いたらないところ』ばかりが目につく」
「だから子どもの本当の姿が目に入ってこない」
「願いを持つ前に、子どもをよく見て、子どもを理解しようよ。難しいことだけど」
「そこから、その子にふさわしい願いが生まれてくるんじゃないか」
 と、つぶやくように諭してくれた。
 それまでは、気づかぬうちに自分が描いていた子ども像に近づけるよう願っていた私。
 子どものためと言いつつ、自分の理想や想いだけを子どもに押しつけていた。
 私は「願い」「かかわる」という一方向で授業や子どもを見ていた。
 これでは子ども主体といいながら、やはり教師の立てた構想に都合よく子どもを操っているだけのことだった。
 私はこれまで、教育の技術とか心構えとかいうマニュアル化できそうなスキルを吸収することばかりにとらわれていた。
 学年主任の口から出てくる哲学のような言葉に最初は戸惑ってしまった。
 それでも、学年主任を中心に毎日のようにだれかの教室に集まっては、子どもや授業について語り合ううちに、先生方の子どもを見つめる力量の奥深さに魅了されるようになっていった。
 その日の授業での子どもの発言やノートから、その子のものの考え方や生活背景を推し量ってみたり、子どものささいな言動に成長を見つけたりするこの時間が、教師としての基盤づくりになった。
 毎日のように繰り返された語らいの中で、
(1)「子どもをとらえ」・・・
(2)「願い」・・・
(3)「かかわり」・・・
(4)「子どものとらえ直し」・・・
(5)「願いの見直し」・・・
(6)「かかわり」・・・・・
 というように螺旋的に連続していく教育の営みをイメージできるようになってきた。
 その子の生活や経験をも含んだ背景を理解することの大切さを知る楽しさと難しさを実感する場として授業に挑んだとき、授業の本当のおもしろさや怖さにふれることができたような気がする。
(山崎準二:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専攻分野は教育方法論・教師教育論)

 

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授業中じっとしていない子どもを「学ぼうとする身体にする」にはどうすればよいか

 子どもたちの身体を支える背筋力の低下は著しく、学べない身体になってきている。
 子どもたちは長時間、身体を支えられなくなってきているのである。
 また、すぐに疲れ、授業中じっとしていない子どもが増えてきた。
 生活リズムが遅寝・遅起き・疲れの蓄積という状態になっているのである。
 子どもたちの身体は、
(1)身体が緊張する
 精神的な緊張が身体の緊張となって現れる。
 緊張する子どもたちは授業中、周りの気配に気を配り、息をひそめ、身体を硬くし、過度の緊張の中で耐えているのである。
(2)学習すること拒否する身体
 緊張して身体が学習を拒否する場合や、学習に意味を見出さず、学ぶことが自分とは関係のないものになっている。
(3)他者と学ぶことを拒否する身体
 他者とつながることのできない身体になっている。
 他者とのかかわることに価値をみいだせない、他者とかかわることに恐怖感を持つ。
 これは、他者を必要としないあそびを多く経験し、また自分に近い同質の子どもたちとしかあそばない子どもたちにとっては、他者とかかわる楽しさもわからないので、他者とかかわることには、否定的な感情しかもたらさないのかもしれない。
(4)一元的価値観の身体化
 学習することが人格に対する評価と直結していると意識し、身体が緊張し、閉じていくのである。
 子どもは評価基準を敏感に感じとり、失敗や「できない」ことが許されないという価値観を身体にまとってしまっているのである。
 子どものからだが硬く、緊張した状態が、学びを硬直した、自分のものでないものにしている。
 必要なことは、人がつくった価値観、評価からいったんからだをひきはなし、内から涌いてくるエネルギーに身にまかせて生きるしかない。
 子どもたちが、学ぶ身体をつくるために必要なこととは何か。
 身体ごと交わる実践をするとよいのではないか。
 子どものからだが硬く、緊張した状態が、学びを硬直した、自分のものでないものにしている。
 必要なことは、人がつくった価値観、評価からいったんからだをひきはなし、内から涌いてくるエネルギーに身にまかせて生きるしかない。
 近年、身体ごと交わることから実践を開始する事例が増加しているといわれる。
 それは「閉じこもった身体」をもった子どもが多くなっているからである。
 そのような子どもの身体が必要としているのは「応答を楽しむ場」である。
 学ぶ身体をつくるには、学級や授業が「応答を楽しむ場」であることを十分に知らせ、「応答を楽しむ身体へと育てる」ことが必要になってくる。
 そのためには、たとえば小学校低学年の場合には、子ども同士の応答・掛け合いによって成立するあそびを経験させることが有効だと考えられる。
 誘い合ってあそべない子どもたちなので、先生が一緒にあそんで楽しむことを一学期のモットーとし「鬼ごっこ」「氷おに」「花いちもんめ」「かごめかごめ」などを宮平恵子は行っている。
 中野譲も「めだまやき」をしながら抑圧されたエネルギーの発散を図り、週一回のレクリエーションで、「指まわし」「お互いの背中さすり、たたく、もむ」などをしている。
 集中した状態でのあそびは、やりとり自体を楽しむものであるといってよいであろう。
 こうしたやりとりの心地よさを経験し、それが許され、つくられていく場所が学級であるということを、子どもたちにまさに身体で実感させていくことが求められているのである。
 このことは、緊張し、拒否するからだを解放し、学ぶことや他者を拒否しない身体をつくることでもある。
 応答を楽しむことの重要性は、他者との感情の共有、一体感をつくり出すだけでなく、やりとりという共同活動によって変わるという授業の本質にかかわることだからである。
 飯塚麻子は、中学校一年生の国語の授業で、群読から始めている。
 生徒たちは、声を出すこと、他者の声と溶け合うことで心地よい経験をし、これから始まる国語の授業に向けて身体がほぐされ、開かれているのである。
 中野が身体の問題にこだわった実践を展開しているのは、学級に間違っていいよというベースがないという意識がある。そのため、授業方針として
(1)授業のどこかに多様な表現活動を取り入れる
 例として、身体表現、劇化・発表、テレビ番組つくり。
(2)子どもにどんな授業がよいか問う
 子どもたちの「手作業を伴う学習がしたい、身体を動かす学習がしたい、わかりたい」という要求をうけて、図工で木工、社会でリサーチ、算数でつくる・折るといいった活動をする。
 これは、子どもが求めている授業、すなわち現在の授業が抱える問題点や課題を明確化した上での授業構想だといえる。
(長瀬美子:1963年生まれ、大阪大谷大学教授。専門は、あそび研究(あそびの発展と人間関係の発達)、幼児の認識の研究(科学的認識と物語的認識))

 

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偏差値45~55の生徒の特徴と偏差値45以下の生徒の特徴、このグループからの脱出法とは

1 偏差値45~55の生徒の特徴と、そのグループからの脱出法とは 
 この偏差値にいるのは大多数の受験生です。
 普通の学校にいて普通の暮らしをしていて、目立たず、特別悪いこともなく、テストもほどほどにできているグループです。
 付和雷同的で、個性や独創性、積極性もあまりみられないのです。つねに満足できぬものを持っています。
 このグループからの脱出は不可能に近いのです。
 だから私は、河合塾の入塾式で昔、この集団の生徒たちに向かって、
「今までの生き方や小中学校での訓練・暗記式の勉強の仕方や考え方では絶対ダメ」と言ってきました。
 これまでのやり方にこだわりがちなグループなので、発想の転換をして、生き方、生活の仕方、勉強法の全てを変えた時にだけ、変われるかもしれないのです。
 親も、友だち親子をやめることではないでしょうか。
 つまり、今までの生き方、勉強の仕方をあきらめること。
 一人で生きる決意をし、親も子どもを自立させる方向に推めること。特に訓練主義から抜けることです。
2 偏差値45以下の生徒の特徴と、そのグループからの脱出法とは
 十人十色のさまざまなタイプの人がいるのがこのグループです。
 これまで何も勉強らしいことをしてこなかった子が、ときどきいます。そういう子はすごく伸びることがあります。
 例えば、今まで出会ったことがないような教師や大人に接したとき、あるいは、本・社会・世界が本当に興味深く面白いと考えられたとき、その子は、ものすごく弾けて、メチャクチャ勉強するようになる。
 それから、このグループには高校中退者や非行などで学校からはじき出された子どもも多いのです。
 この子たちも3分1ぐらいは、何とかなります。
 やり方がうまく当たれば大当たりになる可能性があります。
 学校からはじき出されたのは、人間関係などが原因の場合もあり、学力の問題だけではないのです。
 その子たちは、社会に出ても大学を出ていないとろくな仕事しかなかったり、出世もできないし、バカにされるので面白くない。
 それで反抗心から大学へ行こうと思ったという生徒もけっこう多いのです。
 このタイプの生徒は、勉強の仕方については何も分かっていないし、自分で大学に行こうとしているわけですから、先生の言ったことを守る者が多いのです。
 そういう子は、スタートの偏差値が低いので、それこそ偏差値が20とか30とか伸びたりします。最高の伸びを記録するのです。
 残りの3分の2ぐらいの生徒は人間不信があり、大人の手には乗らないかもしれません。
 親や教師の言うことを聞かない生徒も多いのです。親に怒られて予備校へ来ているのです。
(牧野 剛: 1945-2016年、岐阜県生まれ、高校教師等を経て、河合塾国語科の専任人気講師(30数年間)。河合塾の数々のイベント・シンポジウムを企画し、実現してきた)

 

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子どものときの遊びは、人間らしい人間になるために絶対に必要である

 遊びは、大人社会の縮図といえます。
 大人が実社会で経験する、葛藤や挫折、あるいは実際に使われている大人社会の技術のひな形が、子どもの遊びの世界でもさかんに使われます。
 子どもたちは群れ遊びのなかで、人と人との交わり方である「共感能力」「融合能力」「連帯能力」を、徐々に、しかし着実に身につけていくのです。
 それは、まともな人間になるうえで、欠くことのできない経験の蓄積でもあり、生きる知恵ともなるのです。
 不幸にして、幼児期から少年少女期にかけて、ほとんど群れ遊びをせずに育った子どもは「人を信頼したり」「本音で話し合ったりする喜び」を知らずに大きくなっていきます。
 そして、青年期にも親友を作るすべを知らないまま、社会人となります。
 勉強がよくできると、そこ、そこの大学に合格し、就職難のときでも入社試験に合格はします。
 しかし、そこからが大変です。初対面の人にはマニュアル的な対応しかできない。
 対人関係では「相手の心の動きが察知できず」に、後味のよくない結果に終わってしまうといった元秀才は少なからずいるのです。
 子どものとき、日光の下、集団のなかで毎日のように遊んだ子は、大脳の古い皮質が鍛えられ強くなります。
 いろんな人と親しくなったり、少々の挫折にへこたれない強靭さといったものは、大脳の古い皮質の働きです。
 たくましさ、バイタリティ、粘り強さといった、人間として生きる力の源ともいうべき野生は、大脳の古い皮質の発達に左右されます。
 群れ遊び抜きで成長したつけは、必ず回ってきます。
 幼児から少年少女期にかけての群れ遊び、外遊びは、人間らしい人間になるために、絶対必要な糧なのです。
(岸本裕史元:1930-2006年、神戸市生まれ、元小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)」(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)代表委員)

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偏差値60以上の生徒と50以下の生徒の習慣はどのように違うのか

1 授業を受けることが学習上、最も効率がよい
 偏差値60以上の生徒は、授業を必ずきちんと受けます。偏差値50以下の生徒は、授業は眠いし、つらいし、面白くないと思っています。
「授業を受けることが、学習上、最も効率がいい」ということは納得のいく合格を果たした受験生が散々言ってきていることです。 
 学ぶことは、まず「他人の脳」によって理解されて構築された論理を「自分の脳」で再現しようとすることから始まります。
 これを再現するためには、自学自習をして、ただ文字を追い求めるよりも、教える側の熱意や「五感で感じる体験」も交えて、理解したい事象を追体験する授業のほうが圧倒的に効率的です。
 授業があとで思い出しやすいことを、偏差値60以上の子は実感によって知っています。授業のいろいろな場面やキーワード、ビジュアルが活き活きと再現され、理解できるのです。
2 授業時間中は、受験本番のシミュレーションをする
 偏差値60以上の生徒は、授業時間中は本番のシミュレーションをします。
 目標である大学の入試問題の時間をしっかりと確認して、入試問題の大問題数と設問数、あるいは論述式なら論述答案の分量を見定め「ペース配分シミュレーション」始めるとよい。
「ペース配分シミュレーション」とは、設問1題にかけられる時間、論述答案作成時間などには、どれだけの時間を配分できるのか、という「ペース配分シミュレーション」です。
3 ノートは自分の言葉で書く
 偏差値60以上の生徒は、ノートを自分の言葉で書きます。
 ノートは、あとで読み返したときに、自分を納得させるもの。
 だから、ノートは「わからなかった理由」や「以前、習った〇〇を見よ」「ここは重要」「後で、先生に聞こう」「テストに出そう」等、自分の言葉で書き、後で読み返したときに、自分を納得させるものにしょう。 
 これに対して、偏差値50以下の生徒は、自分からメモやノートをとらなかったり、先生の言ったことを一言一句すべてノートにとったりする。
4 事務処理の能力
 偏差値の高い子は、事務処理の能力が高くて正確である。
 やらなければいけない目的が認識されていて、なるべく簡潔にすまそうとします。
5 ストレスはあって当然
 偏差値60以上の生徒は、ストレスは多少あって当然だと思っています。
 偏差値50以下の生徒は、ストレスを成績不振の原因あげ、依存性が高く精神面が弱く自分の勉強ができない。
 他人への依存性が高いと、誰かが自分のストレスを取り除いてくれるという根拠のない期待や願望が生まれます。
 どこかで「頼れるのは自分しかない」という気持ちの切り替えが必要です。
6 新聞を活用しよう
 偏差値の高い生徒の多くは、新聞を読む習慣があり、偏差値の低い生徒はその習慣がほとんどなかった。
 新聞はつぎのような学習上の価値があります。
(1)読み返せる
 文章の全体を見渡した上で読み返せる。
 入試で言えば「問題文の全体像、全体量をつかみ、わからないところをチェックしておいて読み返す」ことにつながるでしょう。
(2)関連づけられる
 新聞は手元にあるわけですから「これらの関係はどうなっているのだろう?」という関係性を見出すことがきます。
 その上、政治欄、社会欄、外交欄、スポーツ欄というようにグルーピングされている記事がならんでいるわけですから、いくつかの記事を比較したり、自分なりに結び付けたりすることができます。
 記者の考えられた記事が、自分の脳で考えるオピニオンに変わっていき、問題点の因果関係を構築していく経験といった、知のワンダーランドを提供してくれるでしょう。
(3)考える
 社説を読んで、諸々の分野の記事を教養とし、社説と自らの意見を葛藤させることは、新聞ならではの醍醐味です。
 新聞で受験的な面で価値があるのは記事の歴史や背景や側面を解説してくれる「コラム」です。
7 適度に運動する
 高い成績を維持している生徒は「決まった運動」をしているケースが非常に多い。しかも「疲労しない程度」ということも共通しています。
 偏差値の低い生徒は、運動と勉強は無関係と思っています。
 運動機能と脳は使っていないと錆びるのです。身体を適度に動かさないでいると、思考が停止するだけでなく、社会性も低下し自己中心化します。
8 時間
 偏差値60以上の生徒は、ぶち当たって苦しんだ経験をもとに学習計画を柔軟に変更していくが、偏差値50以下の生徒は、時間をかけて計画立案するのが好きで、計画を頑なに守ろうとする。 
 偏差値60以上の生徒は、時間は使い方であって長短ではない、偏差値50以下の生徒は、時間をかければかけるほど学力は上がると思っています。
(齊藤淳一:1963年生まれ、河合塾20年以上のキャリアがあり、河合塾進学アドヴァイザー)

 

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深刻化するネットトラブルとは、学校としてどう対応すればよいか

 ネットトラブルの背景には、
(1)お互いが顔を合わせなくとも交流できる
 本来は相手の顔を見たら言えないことを書き込んだり、匿名だからバレないだろうとか、別人になりすましても大丈夫などの心理が働くことがあります。
(2)書き込んだ人の特定が難しい
 掲示板やプログなどに書き込んだ人の特定が困難であることから、事実関係の把握を難しくしています。
(3)発信者と受信者が、相互にコミュニケーションができる
 情報の発信と受信の両方が可能になり、見知らぬ人との送受信も可能となり、非行や被害が発生する要因の一つになっています。
 インターネット接続が可能なスマートフォンが普及し、子どもが自室で深夜に利用することなどで、トラブルの発見が遅れる傾向があります。
 ネット利用が低年齢層まで拡大し、トラブルが発生しています。たとえば、
 メール・SNSで友人とけんか、他人の悪口や個人情報の書き込み、仲間外れ、ゲーム内でのトラブル、詐欺、迷惑メール、架空請求など
 東京都のインターネットトラブル相談窓口での相談は
(1)架空請求
 スマートフォンを利用してアダルトサイトに勝手に有料会員登録された。
(2)交際
 ネットで知り合った相手に自撮り画像や個人情報を要求され渡してしまった。
(3)削除方法
 SNS、掲示板、動画サイトなどの内容の削除
 などが上位で、中学生(526件)、高校(455件)が多く、全体の87%を占めていました。
 ネットトラブルが生じ、その結果として心身への影響や被害・加害の問題が発生しています。その現状を分野ごとに見ていくと、
(1)家庭
 高額課金(ゲーム依存)、クレジットカード無断使用、ネットショッピングトラブル(詐欺)
(2)友人
 スマホ・ケータイ依存、ネットいじめ(LINE外し、既読スルー、メール・プロフの悪用)、なりすまし投稿(誹謗中傷)など
(3)個人情報
 個人情報の漏えい(氏名、住所、携帯番号、家族情報)、自撮り画像、性的脅迫、盗撮画像、SNS(なりすまし、誘い出し)
(4)有害情報との接触
 薬物、暴力、危険物、アダルト、ギャンブルなど
(5)著作権侵害
 動画、音楽など違法ダウンロード、肖像権、プライバシー侵害
(6)犯罪予告
 などがみられます。
 これらのトラブルが原因となって生じる問題として
(1)日常生活
 睡眠不足、金銭浪費、遅刻、怠学
(2)感情コントロール、コミュニケーション能力の低下
(3)被害や加害の発生
 いじめ、詐欺、性被害、盗撮など
 ネットの加害者は悪意のもった者から、軽い気持ちによる者まで広範囲にわたる。
 被害に遭った子どもは、自分が交流している相手を善意の人とうけとめ、悩みや相談ごとを繰り返し行うため、悪意を持った相手にとっては格好の標的となる危険があります。
 学校に求められる取り組みとしては、子どものネット利用の実態について継続的にアンケートを実施し、その結果を学級だよりなど家庭向け情報発信や定期的な家庭向け・教員向け研修会の開催、学校でのネットにかかわる取り組み方針(ガイドライン)の策定などがあげられます。
 また、危機管理の観点からトラブル発生時には、警察をはじめとした関係機関への相談をためらわない姿勢が求められます。
 問題が進展すると解決策が限定的になり、書き込まれた情報が瞬時に拡散してしまい、取り返しがつかなくなることにも注意を要します。
 トラブルの背景の一つには、見えない相手とのコミュニケーションの問題があります。
 トラブルを乗り越えるには、日常での「対面コミュニケーションスキル」が必要で、そのためには子ども同士の「人間関係づくり」に視点をおきながらスキルの向上を図ることがボイントになると言えます。
(石橋昭良:元警視庁少年育成課副参事、文教大学教授。臨床心理士)

 

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