カテゴリー「子育て・家庭教育」の記事

父親や母親はどのように子育てすればよいのでしょうか

 父親は育児は新米の母親以上に知識がない。
 どうして良いか分からないから、妻に教えを仰ぎ、たいていは妻に怒られながら妻の指図に従うだけになってしまう。
 こうなると、家庭の中で父親と母親の力関係は、当然母親が強くなる。
 また、母親が子どもに対する接し方まで父親に口出しするようになると要注意である。
 こうなると父親と母親の役割が同化してしまい、父親の母親化という現象をもたらすことになるのである。
 男性と女性の特性が違うように、本来、子育てにおける父親の役割と母親の役割は異なっている。
 母親は子どもに細やかな愛情を注ぎ、父親は厳しさや責任感を子どもに伝える。
 そして、両親が互いに尊敬し合う姿を子どもに見せることによって、子どもに人を尊敬すること、愛情をもって接することを教えていくのが、家族のあるべき姿である。
 幕末、高杉晋作や木戸孝允らを育てた吉田松陰は25歳のころ、一児の母である妹・千代に子どもの育て方について次のような手紙を送っている。
「人の子が賢くなるのも愚かになるのも、良くも悪しくも父母の教えによるものだ」
「特に男子は父の教えにより、女子は母の教えから影響を受けることが多い」
「しかし、男子・女子ともに8歳以下は母の教えからの影響の方が大きい」
「父はおごそかに厳しく子どもと接し、母は親しく細やかに接すること」
「8歳以下の小児に対しては言葉でさとすべきではない。ただ親が正しい姿を示して子どもに感じさせることが大事だ」
 そして、この松蔭の手紙で注意したいのは、最後の一文だ。
「親が正しい姿を示して子どもに感じさせること」
 この「感じさせる」育て方、「感じ取る力」を育てるのが、心の教育(EQ教育)なのである。
(萩原吉博:1950年兵庫県生まれ、(株)学栄 社長。昭和63年に乳幼児教育研究所として(株)学栄をスタートさせる。平成2年に保育所の「ちびっこランド」を開設し全国に展開)

 

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英語は幼児のうちから習わすのがよいのでしょうか

 小学校に英語が導入され、幼児のうちから英語を習わせようという風潮が高まっています。
 幼いうちから英語を学ばせれば、バイリンガル(2か国語を母語として話すこと)になると期待する親も多いようです。
 国際社会で活躍する日本人が増え、多くのお母さんが「英語ぐらいできなくちゃ」と考える気持ちもよくわかります。
 しかし、現在、国際的に活躍している人たちの多くは、幼児期に英語を習っていたわけではありません。
 使える英語は、大人になってから集中して覚えれば身につくことができるのです。
 ただし、ネイティブ(英語を母国語として話す人)にするならば5歳ぐらいまでに学習しなければなりません。
 私たちは、外国語の学習について相談を受けた場合、まず「使える英語でもよいのか?」「ネイティブにしたいのか?」を確認します。
 子どもは家庭内で話されている言葉を母国語として覚えます。
 そして母国語は思考の基礎となるものですから、これをしっかり身につけることが、生きていくためには不可欠です。
 もちろん、勉強も母国語で考えなければできません。
 そして、5歳ぐらいまでが言葉を覚える最適な時期であり、この時期をのがすと習得が難しくなるため、言葉の臨界期と呼ばれています。
 しかし、長年の臨床経験によると、子ども一人ひとりの言葉のキャパシティは決まっているようです。
 複数言語を押し込むことには無理があります。
 臨界期には、思考の基となる母国語をしっかり身につけることが重要なのです。
 しかしながら、幼児にまでドリル形式の英語教材を与える風潮があります。
 幼児期に先取りして答えの正否がはっきりしたドリルをたくさんやらせることは、じっくり考え、思考力を発達させる機会を奪うことになります。
 4年生くらいになって文章題が出てくると歯がたたなくなります。
 母国語は思考の基本を作る、人間にとってなくてはならないものです。
 一方英語は、コミュニケーション・ツールです。幼児の英語学習に悩む親は、まずは、この違いを考えてみてください。
(徳田克己:1958年生まれ、筑波大学教授。教育学博士、臨床心理士。専門は子育て支援学。筑波大学発ベンチャー 子ども支援研究所長として、幼稚園や保育園の悩める先生たちのコンサルタントとしても活躍。年間100件以上の講演を各地でおこない、育児に悩む親からの相談は年間に1200件以上にもおよぶ)

 

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小学生の子育てのコツとは

1 小学校1,2年生の子育てのコツ
 小学校に入学するまでは、さまざまな準備をはじめます。
 努力のわりには成果が得られないと親は感じる時期です。親があせると子どもの不安は強くなります。
 親は子どもが本来持っている学習能力を信じて長い目で見守ってあげることが必要です。
「この“あ”の字、難しいのにじょうずに書けているね!この調子で今度は“み”も練習してみよう!」
 というように、まずはほめてから、次の目標を示すような、ていねいで温かい励ましの姿勢を示すとよいでしょう。
 入学したばかりのころは、宿題も、次の日のしたくも、「いっしょにやろうね」という並び合いの関係でみてはげてください。
 この時期に、もっとも大切なのは、「知っていること」よりも「つくってみる、やってみる」生活体験を積み重ねることです。
 ものづくりで失敗の経験をしている子どもは、再チャレンジに意欲的な子どもになります。
 生活体験は「学びのタネ」の宝庫です。買い物に行って食材を探すとき、子どもが質問すれば「よく気がついたね」と子どもに気づきを受けとめます。
 共感してくれると、子どもはまた何かをやりたがり、学びたがります。
 もうひとつは、たくさん遊んでください。仲間とたわむれる体験がないと、人間の成長に偏りができることにもなります。
 文字を覚えるとき、大切なのは、文字が示す「ものや状態」とのつながりを考えることです。
「あ」のつくことばなら「あさ」、「あるく」といった生活に密着したものとつなげることで、文字への興味や関心が広がります。
 親も児童書に親しんで、交代で声に出して呼んであそぶうちに、文章をひとまとまりとして読めるようになります。
 算数のたし算、ひき算は、紙に包まれたキャンディーなど、数が意識できるようにするのがコツです。
 位取りは、一円玉が10個集まって、十円玉1個と両替、という生活体験があると分かりやすくなります。
 九九は、親子で唱えてゲーム感覚で楽しく覚えください。買い物に行ったときに「5個入りチョコを3個買ったら、チョコは何個?」と、かけ算見つけをしてみましょう。
2 小学校3,4年生の子育てのコツ
 3,4年生は「冒険の時代」といわれ、知的な好奇心に満ちていて、何にでもチャレンジすることをいとわない時代です。
 この時期におすすめしたいのは、科学読み物です。興味をもった分野を深めたり、視野を広めたりして、新たな発見が続くようになります。
 集団行動もとるようになり、数や時間、地理などの概念も備わってきて、子どもなりの考えをもてるようになります。
 親も「ずいぶん楽になったなあ」という実感がもてる時期です。
 とはいえ、怖いもの知らずものこっています。ところどころで手綱を締めつつも、子どもたちのエネルギーをどんどん発揮させることが大事な時期です。
 最近では、苦手意識が低学年から見かけることが多くなりました。「必死で頑張っている姿がとても素敵だった。感動した」と子どもに伝えてあげてください。
 もうひとつの変化は、親よりも友だちと過ごす時間を優先する時代に入ってくることです。
 親から離れていく時期ですが、旅行などちょっと特別な場所に「いっしょに行こう」と誘えば、喜んでついてきてくれます。
 4年生になると言葉による思考が完成し、大人の会話も理解できるようになります。
「○○ちゃんて、むかつくの?」と、話の語尾に「の」を使うと「だって、○○ちゃんて・・・」と子どもは次をつなげていきます。
 相づちをうちながら、一通り子どもの言い分を聞いてあげましょう。何かあったときは、親に話せば聞いてくれる、という信頼感を得ておくことは、何よりも大切なことです。
 その後で「あなたの気持ち、分かるよ。でも、お母さんは、こういう考え方もできると思うんだよね」と、共感を示しながら対等な立場で話をしてあげてください。
 今の時代は小さい集団での人間関係がすべてになってしまい、閉塞感に苦しめられています。
 人と出合って、人と関わって学び、子どもたちの心に人間への愛情、生きていることの尊さをもたらすようにしてあげましょう。
 人間への信頼をもっている子どもは「明るさ」があります。この「明るさ」が、これからの人生で、試練を乗り越えていく力になります。
 夕食のしたくをしている台所のテーブルで、宿題をする子どもに話しかける。それだけでも、子どもは安心できるのです。
 わり算も登場します。おやつを食べるときに、おやつを分けて自分の分はどれぐらいか遊んでみてください。
3 小学校5,6年生の子育てのコツ(1)
 小学校高学年になると、思春期に向かい、親から離れて自分の人生を歩み始めます。
 この時期の子育ての指針は、自分の考えで行動でき、目標を自分で選択し、仲間のなかで自分を表現していける、子どもを育てるという3つがあります。
 だから、これからは一方的に知識を詰め込むのではなく、どうしてそうなるのか、リサーチする学習が大切になります。
 この時期に伝えたいのは、人間のすごさです。
 職人さんのワザを見せたり、仕事への思いを聞いたりして、人間にとって仕事とは何なのかを考えさせたいのです。
 その人の素敵さを感じることで、自分はどう生きるべきかと、そこに自分の身を置いて考えるようになります。
 これまで外の世界に向いていた目が、自分の内側に向くようになると、なりたい自分と今の自分とのギャップに気づき、コンプレックスを抱くようになります。
 そのなかで自分を支えてくれるのは「今のままのあなたでいい」と言ってくれる人の存在です。
「ゆっくりでいいからやっていこう」と応援し、「できた」実感を積み重ねていくことが、自己肯定感を育てます。
4 小学校5,6年生の子育てのコツ(2)
 からだが変化するこの時期に、人間のからだを知ることです。
 早く成長する子は早いことに、遅い子は遅いことに悩みます。
 この時期に、どうやって人間は命をつないできたのかを知ることで、子どもたちは、人間の神秘やすごさを知り、自分のからだに起こる変化を、肯定的にとらえることができるようになります。
 思春期に入り、まわりの大人の生き方に共感や反発を感じ始めます。
 子どもは大人を客観的に観察し、大人の権威を押しつけられることを嫌います。
 この時期の子どもは、純粋なほんもの志向です。ほんものに出合ったときの子どもの受けとめ方の深さには、すばらしいものがあります。
 自分のなかに起こっている、からだや心の変化をもてあまし、イライラして、暴言や暴力などの行動を起こしてしまうこともあります。
 このとき、親が理路整然と言い聞かせようとするよりも、自分の感情で、正面から子どもにぶつかっていいと思います。
 たとえば「今、こういう状態になっているあなたが悲しい、親として手を差し伸べられないことが悲しい・・・」と、本音でぶつかりながら、分かり合っていくほかありません。
 性教育は、きちんと説明するより、おおらかに接するのが正解です。
 親から子どもにきちんと説明する、というのはなかなか難しいですし、子どももそれを望んでいないことも多いもの。
 人間の成長や生命につながっていくしくみをきちんと扱った本を、子どもの目に触れるところに置いておく、テレビをみているときなどにさりげなく話題にする、というようにおおらかに接していきましょう。
 子どもたちには、「読書」を強くおすすめします。
 この時期の子どもには、人間の奥深さを学んでほしいと思っています。
 ずるさや弱さ、情けなさをも含んだ、人間の“味”が読みとれる作品にめぐりあってほしい時期でもあります。
(黒笹慈幾 編集:1950年東京生まれ、元小学館 家庭教育雑誌『エデュー』の編集長。南国生活技術研究所代表、高知大学特任教授)

 

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子育ての方法を教えるところがない、子育てに必要な親の学びとは

 親や教師といった子どもと身近に接する大人が「子どもとの関わり方」、「生き方や心の姿勢」が変わらなければ、子どもは変わりません。
「学校が悪い」、「地域が悪い」と自分以外に責任を転てん嫁かするのではなく、まず大人が自分を見直すことから始まるのです。
 子どもの対人関係能力や社会とつながる力が弱くなっていると言われますが、大人はどうなのか、自分はどうなのかと自身に問いかけることから始まるということです。
 そこで「親学」が必要になるわけです。
 親学は、オックスフォード大学・トーマス学長の「学校でも、大学でも教えていないのは親になる方法だ。社会はこの親になる教育にもっと関心を向け、親としての自分を向上させることが大切である」という趣旨の問題提起を受けて、日本で「親学会」が発足したことに始まります。
「親学」というのは、「親になるための学び、つまり親になるための準備学習」と「親としての学び」です。
 親が人間として成長していく、親心が成熟することを促うながすためのものなのです。
 親学講座やセミナーでは、講義形式ではなく、弱音やぐちを話せる場づくりに始り、建前論ではないドラマセラピーやロールプレイを使って、親の意識改革、中でも自分で気づくためのプログラムに力点を置いています。
 いわゆるキレる子どもに対応するためには何が必要なのでしょうか。
 それは、何が子どもの心を育て、脳を育てるのかという「育」の視点です。
「育む」という言葉の語源は親鳥がヒナを「羽は含ぶくむ」、すなわち羽で抱きしめるということです。
 つまり、愛情と信頼で抱きしめることによって初めて心が育つということです。
 だから、親心が崩壊すれば、子どもは優しさや共感性を学ぶチャンスを失ってしまい、いくら学校の道徳の時間で「思いやりを持ちなさい」「人権を尊重しなさい」と教えても、子どもの心の琴線(きんせん)には触れません。
 そういう意味で親学の一番大事なポイントは「脳の発達段階に応じて子どもとどう関わるべきか多くの親たちが共通理解する必要がある」という事です。
 教師が子どもとの関わりについて親に言うと「我が家には我が家の方針がある」と言う人がいます。
「どう関わるべきかはそれぞれで、こう関わるべきだという絶対的な考え方はない。余計な口出しをしないでくれ」という事です。
 しかしそれに対して引いてはいけない、子どもの脳や心の発達段階に応じてこういう風に関わるべきですよと説得力のある言葉で、いかに納得出来る提起が出来るかという事なのです。
 説得しようとすれば逃げてしまいますが、納得すれば親は変わりますのでその点に気をつけて、ぜひ脳の発達段階に応じた関わり方という事について共通理解を求めるべきなのです。
 その際に「しっかり抱いて下に降ろして歩かせろ」という、この関わり方は「親になるための学び」と「親としての学び」という二つの意味を持っています。
 前者は親になるための準備教育で、今は気付いたら親になっている若い親がたくさんいて「親になるとはどういう事なのか」という準備教育を本来であれば家庭科で行なっていく必要があるのですが非常に欠けています。
「しっかり抱く」という段階は「愛着」で「下に降ろす」は「分離」、そして「歩かせろ」は「自立」でこれが子どもの発達過程なのです。
 子どもは一番信頼出来る大人に甘え、依存してやがては反抗しながら自立していきます。
 この「甘えて依存する」という段階が愛着で「三つ子の魂、百までも」と言ってきたのです。  
 日本の子どもたちは十分に親に甘える事が出来ないし依存出来ない、それから反抗出来なくなっています。それは母性的な関わり、父性的な関わりを持つ事の出来るお父さんやお母さんがどんどんいなくなっているからです。
「親学」の基本は、
1「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」が子どもへの関わり方の基礎基本
2 脳には臨界期があるという事について共通理解が必要である
3 千利休の残した「守破離(しゅはり)」
 形から入って躾をする。
 日本の歴史や文化、伝統を貫いている「形」というものを継承しながら茶道、華道、剣道、柔道と「道」の付くものは最初に形の継承から始めますが、それは子どもの興味関心で選択する事は出来ないのです。
 必ず基本の型というものを継承しなければならない、これが教育の出発点なのです。
 家庭においても形の継承である躾というものを親がしっかりと教えなくてはならない。
 身を美しくするというのは形から入る訳ですが、その形を守り、破り、そして形から離れるというのが本当の個性や創造性なのです。
「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」という日本人の子育ての知恵を凝縮させた格言が示すように子どもが自立するためには、しっかりと抱くという「愛着」、下に降ろすという「分離」のプロセスが必要不可欠です。
 しっかり抱くというのが母性的な関わり、下に降ろすというのが父性的な関わりと考えています。
 優しさというものは母親の愛着から子どもの心の中に育っていくものです。
 その愛着が狂っているとすれば子どもたちに心を育むとか思いやりを育てる、命を大事にするという事は単なる建前のスローガンになってしまうのです。
 一方、父性の特徴は「義愛」です。秩序感覚、ルール感覚、規範意識、人間としてのマナー、それは教えねばならないものです。
 例えて言うなら北風の厳しさと太陽の暖かさ、これが父性と母性だと思っています。
 父親は子どもを産む事も授乳する事も出来ません。胎児期と乳幼児期は特に母親との身体的、感覚的な接触の相互作業によって子どもの心が安定しその子の大きな基盤となります。
 一般に子どもは母親から心の安定を、父親には外部世界の知的好奇心と刺激を期待しています。
 父親には子どもの心を活性化し自立を促し社会のルールなどを教えるという独自の役割があります。
 このような意味で基本的には母性的な役割を母親が担い、父性的な関わりを父親が担うという事が人の進化の歴史から見ても自然であると言えます。
 もちろん父子家庭、母子家庭において一方の親が母性及び父性的関わりの両方の役割を果たす必要もあります。
 父親と母親の性別役割分担を強制すべきではありませんが、子どもにとっての父親と母親の役割を認識する必要があります。
 この点を踏まえた上でどのように役割分担すべきか夫婦で十分話し合うべきです。
 温かさや優しさは母親、厳しさは父親だけに求められるものではないから性別的役割分担を固定的に捉える事は問題です。
 時には父親が母性的関わりを、母親が父性的関わりをする事も求められるのです。
 男らしさ女らしさというものを形から入って教える事はアイデンティティを育むためには必要不可欠なのです。
 それを差別だと言ってしまっては育む事が出来ない「育」という視点に立てば対立を超える道が見えてくるのです。
 私はいつも学生達に尾形光琳の『紅白梅図』を見せています。紅梅と白梅の間に広い川が流れている、これが日本人の感性、バランス感覚なのです。
 一見対立する男と女、お父さんとお母さん、「教える」と「褒める」など様々なものがあります。
 教育はある意味で綱渡りだと思うのですが綱渡りをする時には長いバランス棒がなければ細い綱の上では落ちてしまうのです。
「男のくせに、女のくせに」と言いすぎたら子どもは駄目になってしまう、形だけを強制しすぎたらかえって反抗したり事件を起こしたりしてしまうのです。
 父性母性という時には「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」という基本を大事にして父性的な関わり、母性的な関わりが大切なのです。
(高橋史朗:1950年兵庫県生まれ、保守活動家、右派思想家、教育学者。麗澤大学特任教授。親学推進協会理事長。明星大学教授、麗澤大学道徳科学教育センター客員教授を歴任)

 

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「自分の力で、たくましく生きる」子どもを育てるには、親はどのよう子育てすればよいのでしょうか

 早期教育は人格的な要素を欠く一部のエリートサラリーマンのように、情緒的な豊かさとか、社会性、主体性、柔軟性、意欲の高さなどが育たない恐れがあります。
 たとえば、シュタイナー教育の考え方によりますと、小学校に入るまでは「生命体を育てる時期」として「生物にふれる経験をたくさんさせることが大事である」といわれています。
 もし、この就学前の時期に、子どもに機械的に暗記するような学習を強制したならば、その子の知力は一見高くなったように見えても、この時期に育つべき「意志力や行動力」が育っていないので、結局、その思考力にも限界が来る、ということです。
 また、つぎの小学校の時期は「感情体を育てる時期」として、単なる知識のつめこみではなく「へえ、そうなのかあ!」というように驚きや感動をもって、すべてのことを「感情体験として感じとらせるように学ばせる」ことが必要であるといわれます。
 もし、この時期に、抽象的な思考を強制したとするならば「感情のまずしい、人間味のとぼしい人間にしてしまう危険性がある」と警告しています。
 日本の教育は、早期教育であれ、小学校教育であれ「単なる知識のつめこみが中心」ですから、現代の子どもたちに「意志力や行動力が育っていない」のも、「豊かな感情や人間味が育っていない」のも、当然の結果のように思います。
 就学前や小学校の段階で、塾通いなどの回数が多く、過剰な知的教育を強制されていると思われる子どもの絵ほど、空疎な印象の絵が目立っているのです。
 これまで母親講座などで、早期教育に対して反対意見を述べたりしますと「それでは、子どもに何をしたらいいのでしょうか」とよく聞かれます。
 それに対して「何もしないのが一番です」と答えると、質問した人は困惑した顔をされます。
 しかし、子どもの積極性や自主性、社会性、創造性、行動力、意志力など、そういう人格的な要素を養っていくためには、実際、大人は下手に手出しをしないことが一番なのです。
 子どもが自由に使える空間と時間、それに豊かな人間関係を取り戻してあげる以外にはないと、私は思っています。
 それにはまず、親自身の価値観を変える必要があるのかもしれません。
 就学前から幼児に文字や計算を教えこんだり、小学校受験や中学受験をめざして子どもに何年間も塾通いをさせることは、長い目で見るならば、お金やエネルギーをかけて子どもをスポイルすることになりかねないことを、このへんではっきりと認識する必要があります。
 さらに、塾の問題に加えてもう一つ考えなければならないことは、子どもたちがテレビやビデオ、ゲームなどの間接体験づけの生活になってしまっている、この現実です。
 とくに、まだ現実の世界と仮想の世界の区別が十分につかない就学前の子どもに対しては「生の直接的な体験を豊富にさせる」ようにして、画像をとおすような間接的な体験はできるだけさけるべきではないかと思います。
 間接体験づけの生活をさせているよりは、保育園に入れて子ども同士で遊ばせておいたほうが、よほど健全に育つ可能性は高いのではないかと思います。
 私自身は、子どもの創造性や意志力がほぼ育って、もう大丈夫と思われる小学校五、六年生になるまでは、絶対にゲーム機を買い与えることはしませんでした。
 子どもにたくましさを育てるためには、子どもを守りすぎないことが大切でしょう。
 親が先まわりして子どもを守ろうとすればするほど、子どもを脆弱にしてしまうおそれがあります。
 公立学校は荒れているとかいじめがあるなどの理由で、私学志向の親が多くなっています。
 そうやって常に親が子どもを守ろうとすることはかえって危険な場合もあります。
 無菌状態にばかりおかれていますと、かえって感染したときに決定的なダメージを受けてしまうことがあるのです。
 就職したりすれば、この国際的な社会のなかでは、どんなところにいかされるかわかりません。
 実際に温室で育った人たちが、自力で困難な状況を切り抜けるような機会がほとんどなかったために、ほんのささいなことでつまずいてしまう、というケースも非常に増えているのです。
 結局、子どもを精神的にたくましく育てるには、むしろ雑多な中で育てるほうがいいのではないでしょうか。
 よく、保育園に通っている子どもに対して、幼稚園のお母さんたちは、「保育園の子たちって、たくましくて、人なつっこいのよね」などとやや皮肉をこめた口調で言うことがあります。
 しかし、その「たくましさ」と「人なつっこさ」こそ、世の中を渡っていくためには必要なものなのです。
 子どもがつまずかないように、先まわりして道ばたの石をどけてあげることよりも、むしろ子どもがつまずいて転んだときに、ただ怒ったり責めたりするのではなく、優しく抱きとめて話を聞き、なぐさめてあげられるような大人に、ぜひなりたいものです。
 最近の傾向として、子どもの教育には熱心だけれど、しつけに関しては無関心、という親が増えているようです。
 そればかりか、「しつけ」という言葉に抵抗感があって「子どもを自由でのびのびと育てたい」ということで、ほとんど子どものやりたい放題にさせている、という親が増えているともいえます。
 しかし、子どもにとって本当に頼りがいのある親とは、ただ甘いだけの親ではなくて、悪いことに対しては、しっかりと壁のようになって立ちふさがってくれるような、ときにはきびしい親なのです。
 親は子どもから「愛される権威」であると同時に「尊敬される権威」であることがたいせつです。
 子どもはよく大人を見ているものですから、たとえきびしく怒られたとしても、それが真剣なもので、その子に対する深い愛情から発するものである場合は、しっかりと受けとめることができます。
 ところが「大人の都合」や「その場の感情」によって子どもをしかったり、しからなかったりするならば、子どもは何にしたがっていいのかが、わからなくなってしまいます。
 そして結局、いつまでも自分の欲求をとおそうとして、まわりの人と常に戦いつづけるような子どもになってしまうおそれがあります。
 どうも最近の相談を聞いていますと、そういう問題が増えているように思うのです。
 かつての家族では、そのきびしくしかることを、おじいちゃんやお父さんがにない、優しくなぐさめるのは、おばあちゃんやお母さんが受けもつという役割分担がありました。
 しかし、核家族で母親が一人で子どもを抱かえている状況では、母親一人がその両方の役割を果たさなければならないのですから、どちらも中途半端になりかねません。
 後でなぐさめてくれる人がいると思えば、思いきりしかることができるでしょうが、しかったその母親が、また、なぐさめ役もやらなければならないのですから、現実はなかなか大変なのです。
 そういうなかで、私たちカウンセラーの役割も、単なる受けとめ役だけではすまされなくなって、どうもその「きびしい壁」の役割を、になわされることが多くなっているのです。
(三沢直子:1951年生まれ、臨床心理士として、病院や企業で心理療法に携わり子育て中のお母さんをサポート。明治大学教授を経てコミュニティ・カウンセリング・センタ等で家族の問題に関わる職員の研修や、親教育支援プログラムの普及に努める)

 

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子どもを躾けることができていない親にどう対応すればよいか

 子どもを躾けることができていない親にどう対応すればよいか、カニングハム久子はつぎのように述べています。
 日本人駐在員の5歳の子どもがいた。ふざけてセラピーが進まない。甘やかしと叱らない無責任な子育てのためである。
 久子先生は厳しい声音で、
「大人も子どもも悪いことをすれば叱られます。久子先生も子どものとき、悪いことをするとうんと叱られて、良いことと悪いことを教わりました」
 子どもは驚いて久子先生の顔から目を放せない。
 その間にも久子先生は、子どもの脚に私の脚をくっつけて体温を通わせていた。
「先生は○○くんを大切に思うから、いけないことにはダメって言います」
 幼児とはいえ、まずは、しっかりと誠実に対応することしかない。
 子どもは気分を取り直してセッションを終えた。
 そのあと、久子先生は両親に懇々と話した。
「親も毅然として躾に関わらなければ、○○くんの一生を誤らせてしまいます」
 そして、○○くんにも、
「いつもほめられるような子どもになるために、久子先生のところにくるのです」
「久子先生は○○くんのことをとても大事に思っているのよ」
 次のセッションからはふざけが減り、「聞く」態度が少しずつ身についてきた。
 家庭でも遅まきながら躾をし、叱ったあとの慈しみに満ちたフォローをするようになった。
 親が変われば子どもも変わるのです。
(カニングハム久子:1934年長崎県生まれ、ニューヨーク在住の臨床教育スペシャリスト。
毎年来日し、自閉症、ADHD、学習障害などの発達障害、子育て・教育全般に渡るアドバイスの依頼を受け全国各地で講演を行う。日・米教育関連機関の教育コンサルタント、ニューヨーク臨床教育父母の会主宰、全米精神遅滞研究協会最優秀臨床教育賞)

 

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子育ての原点は安心感、親の愛は自立への出発基地、自然に育っていく子どもの力を信じ、家庭の機能を生かそう

 斎藤慶子臨床心理士は、医療という場を中心に、長いことたくさんの方々と継続的なかかわりを持った。
 ちょっと見には同じような子どもの実態でも、その背景は実に多様でした。
 けれども、あわてずていねいにときほぐしていくとき、いくつかの軸をもって検討していくと、必ず打開への糸口が引き出されていきます。
 実は子どもの暮らしに起こる、小さな一こま一こまが「自ら育つ営み」の資源となっていくのです。
 なにが子どもの不安を表している事柄なのか、子どもが大人になっていく自分に誇らしさを実感して満足するのはどのような経験からなのか、その実感が未来の自分にどのようにつながっていくのかは、子どもが自ら育つ営みの資源となっていく。
 子育てで、なにごともなく通り抜けられるはずという親の思いこみの中で、おもいがけない苦労を親が経験する。
 親が共通する苦労は、まわりの子どもたちとの摩擦、子どもへのじれったさ、先の見通しが見えない不安などである。
 なにか予想外の困難に遭遇したときに、ともするとだれか一人を悪者にして処理しようとする親自身の防衛反応が起こる。
 たとえば「子どもがいうことを聞かない」「教師が冷たい」などと、責任を逃れるための楽な言い訳を見つけようとする。
 子どもに対して大人が禁止や指図による働きかけにとどまってしまうと、子ども自身の自発的な動きはなくなり、成熟への手がかりも損なわれていく。
 ものごとの善し悪しに親が強くこだわらずに、ゆるやかな姿勢で子どもを見守る中から、子どもたちは息を吹き返し、よりよい適応に至っていく。
 子どもは「自ら成長し変わっていく」という発達のしくみがある。
 子どもを理解し、対応の指針が見えてくれば、親と子どもの関係が「親が変わることによって子どもが変わる」関係へと変化していく。
 子どもが自ら成長し変化していくことを信じ、注意深く見いだしていこうとする親の態度を、子どもたちは求めている。
 家庭でなければならない機能とはどのようなことが期待されるのだろうか。
「やすらげる」「巣ごもれる」「さ迷える」「羽ばたける」「巣立つ」これらの言葉が、家庭という場に求められる働きなのではないだろうか。
「やすらぎ」は、生命の安全が保障される営みが主流の乳児期は、まさにやすらぎの意味が大きい。
「巣ごもり」は、家庭の外で仲間や先生とのつき合いで自分を発展させていくが、自分が自分そのものと向き合って、なにかをする営みは、まさに巣ごもりであろう。
「さ迷い」は、家庭の中で無為に過ごしているのではなく、本を読んだり、ものをつくったり、一人になれるときに得るものがある。家庭でなんらかの模索、さ迷いが続いているのである。
「羽ばたき」は、まわりとのかかわりから、自分の在り方を揺さぶられて起こる、迷いを静かに暖め直し、新たな吟味を始める場でもある。
「巣立ち」は、自立への試みをする基地でもある。
 そのひとつひとつには、親や兄弟姉妹とのかかわりから得た智恵や力が働いていく。
 親が子ども時代の失敗を語るのもよい。
 少なくとも時間に追われている生活を、露骨に子どもにぶつけないように加減をすることが保障されていれば、子どもは家庭に満足する。
 そのうえで、基本的なしつけは、人格の成熟を助ける手だてのひとつとして、おりにふれて関心を向けるようにしたい。
「しつけ」とは、人々が集まって暮らしていくのに、お互いに認め合い、許せる基準を持てるようにしていくことである。
 その結果、人と調和して暮らしていける安定した情緒が発達していくのである。
 相手を思いやる気持ちを持たせるのは、家庭ならではの役割であろう。
 同時に、あいさつは強制的に子どもに言わせようとする前に、大人がいつも言っている雰囲気が大切である。
 社会の基本となる機能を持っている家庭生活で、お互いに尊重し合うことを大切にしていこう。
 子育てに失敗しないためには「ふだんの生活の中で子どもが安心感を回復していく」ことこそ、子育ての原点であると言い切れるのではないだろうか。
 親よりもはるかに小さく、弱く、力のない子どもが、実はいつも大きい問いかけやメッセージを送っているのではないだろうか。
 日常生活で子どもが安心感を回復するには、「やさしさ」に基づく親の援助が必要である。
 その「やさしさ」にはいくつかの側面があって、
「ひたむきさ(一貫した関心)」
「しなやかさ(柔軟性)」
「あたたかさ(感受性)」
「確かさ(かかわりながら観察し、蓄積された事実に基づいた判断:客観性)」
「さりげなさ(日常性)」
 が考えられる。
 安心感が子どもによみがえっていくことが子どもに幸せをもたらす。かかわる大人たちにも幸福をもたらす楽しみがある。
 子育てで、親が自らもいつのまにか人間がひとまわり大きくなっていく喜びを味わいたい。
 親しい人々との間柄を考えてみると、その人のそばにいることが安らぎになり、ゆとりを取り戻す。
 親しい人々がいないと寂しく感じ、いるとさわやかな満足があるといった間柄ともいえる。
 子どもが欲しいもの、食べたいものを充足するのが本来の愛の姿ではない。
 子どもには子どもなりの世界がある。
 やっかいでも子どもが必ず通らなければならない道筋を、外れないように見守るという親の包容力が、こどもにとっての最高の愛の保証ではないかと考えてみたい。
 大人の常識からすれば、大人が普通に進んでいる道を子どもに譲らなければならないことがおきる。
 大人にとっては多くの無理が生じるであろう。
 しかし、こどもにとっての意味を考えて、快く「どうぞ」と道を開いてあげるために、大人たちは大人にとって考えにくいことをたくさん考える努力をしてほしい。
 きっとその努力は、のちに子どもから親への「思いやり」という最高のプレゼントをもたらしてくれるはずです。
 愛とは、大人の弱みを正直にさらけ出せる生活態度にはぐくまれる部分が少なくない。
 愛や親密さは子どもにとって自立への巣立ちの出発基地である。
(斎藤慶子:1935年東京都生まれ、武蔵野赤十字病院、戸田病院で心理臨床に取り組む。障害児保育、病児の教育、ターミナルケア、老人問題、メンタルヘルス、精神障害者のケア、青少年の暮らせる場づくりなどの活動に関与)

 

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子どもの話にじっくりと耳を傾け、受け止めれば、子どもの信頼を得て自尊感情は育つ

 自分の子育てに自信をもてない親が多いようです。
 大阪府内の公立小学校で30年余年の経験がある大阪教育大の園田雅春教授は「子育て不安最盛期」といいます。
 親に自信やゆとりがあるかないかは、子どもの育ちにまともに跳ね返ります。
 核家族化が進み、地域とのつながりが薄れたことで、おばあちゃんらの「子育て知恵袋」に頼りにくくなっている。
 同世代とのヨコのつながりは多少あっても、異年齢とのタテの情報交換は不足しがちです。
 親としての自分を振り返ってみてください。
 ゆとりや自信のなさから、親の物差しに当てはめてやたらに指図していませんか。
 子どもの持ち味を生かそうとしていますか。
 子どもは敏感です。萎縮(いしゅく)したり、親の前でだけいい子になったりします。 
 砂場にスコップをたたきつける、給食をひっくり返す、家の外でのそんなキレぶりを告げられても、親は信じられません。
 フランスの思想家ルソーは教育論「エミール」で、「人は子どもというものを知らない」と述べています。
 この言葉をかみしめる必要があります。子どもは小さな大人ではないということです。
 いろんな情報は参考になりますが、子どものペースを見守っておおらかに考えてほしい。
 わが子にこそルールあり。子どもの目線や発見を共に楽しんだらいい。
 子どもが望んでいることは、大きく言って二つあります。表現と承認です。
 自分の話を聞いてくれ、受けとめてくれる人がほしい。
 求めているのは居心地のいい居場所というより、居心地のいいひと「居人」です。
「ねえねえ」と寄ってきたとき、「忙しいの」「後で」とついかわしたくなります。
 一息のんで「そうやったん」「へえー」と共感のメッセージを送りましょう。
 そうすれば子どもは納得し、親の話も聞くようになります。
 野菜や果物を食べてビタミンを摂取するように、
「親の言葉で子どもの自尊感情は育つ」
「自分の存在そのものに対する揺るぎない自信を高める」
 ここが子育てのツボです。
 園田教授は周囲からのプラスの言葉を、自尊感情の頭文字をとって「ビタミンJ」と呼んでいます。
 子どもの信頼なしでは、しかっても響きません。「切る」より「つなぐ」で。
 1日3分でも話を聞いて。甘やかしではなく共感を。
 自分の物差しに当てはめて、やたらに指図し、子どもの持ち味を消していないか。
 子どもの話にじっくりと耳を傾け、受け止めれば、子どもの自尊感情は育つ。
 自分への揺るぎない自信を高めさせることが、子育てのツボだ。
 授業中、中学校の教室にれんがを投げ入れ、走り去った男子生徒がいました。
 教師は職員室に生徒を呼びました。さてどんな言葉をかけたでしょうか。
「何やってんだ」「危ないだろ」こんな言葉が思い浮かぶでしょう。
 この教師がかけた言葉は「どうしたん」でした。
 とたんに生徒は涙をみせました。その子が泣くなんて同僚もびっくりしたそうです。
「何やってんだ」などは「切る言葉」。言ったほうはスッキリ。でも、言われたほうはストレスがたまります。
「どうしたん」は「つなぐ言葉」。子どもを受容して、そこから会話が始まります。
 子どもの信頼を得てからでないと、しかっても響かないんです。
 つなぐより、怒る方が効き目があるかどうかを、立ち止まって考えましょう。
 自分のムカッ腹解消のために言っていないでしょうか。
 数年前、園田教授の講演を聞いて、中学3年の息子をもつ父親が次のように言いました。
 その日は、テスト前なのに友だちに誘われてプールに行ったので、帰ったら叱るつもりだったそうです。しかし、
「お前は友情に厚い男やな。明日からの試験も頼むで」と言いました。
 子どもの立場を理解し、プレッシャーもかけられますよね。
 親が言い聞かせようとしても、ふだん耳を貸していないと子どもは応じません。ツケの代償は大きいのです。
 1日3分でも子どもの話を聞くようにしましょう。
 子どもと話しをするには、要領をつかむまで苦戦するでしょう。
「学校は最近どうだ」と聞いても、「別に」としか返ってこないとか。
 でも、大人だって「最近、会社どう」なんて聞かれたら困ります。工夫がいるんです。
 子どもがうれしそうにしているときなど、喜怒哀楽を現わしているタイミングで、
「おっ、いいことあったみたいだな」「どうしたん」
 と水を向ける。あとは話を遮らず、耳を傾ける。
 ただ、甘やかしと受容は違います。子どもに共感しての受容なのか、ベタベタなのかは違います。
 園田教授が小学校の教師だったとき、友だちに「髪の毛切ったら」と言われた6年生の女子の親が、「余計なことを」と抗議してきたことがありました。
 その友だちに話を聞くと、給食を配るときスープに長い髪が入るから注意したそうです。
 子どものもめ事は往々にして互いに言い分があるのに、わが子しかみえない。そんなケースでした。
 親の共感が子どもに伝わって好転した例は多くあります。
 ある中学3年の女生徒が、周りから悪口を言われているように思えて学校に行けなくなり、死ぬことばかり考えていました。
 仕事に追われる母親がある日の食事中、わが子に「みんなが敵になってもお母さんは味方だから」と言って、泣いてくれた。
 身近にこんなに寄りかかれる人がいると実感して、翌朝から登校できるようになったそうです。
 突然やってくる節目で、親の経験と底力が問われます。子どもがグッと伸びるチャンスに後押しできるよう、ふだんから備えたいものです。
(園田雅春:1948年京都市生まれ、大阪府高槻市立小学校教師、大阪教育大学教授を経て大阪成蹊大学教授。専門は教育方法学)

 

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子育てに失敗する親はコミュニケーションに障害がある人が多い

 一般的にいって、子育てに失敗する親は、親子間のコミュニケーションに障害がある人が多いといえます。
 それは、壊れた電話器で話をしているのと同じです。
 親は送信器だけ、子どもは受信器だけで電話をしているようなもので、話は一方的です。
 子どもは話が通じないので、しまいに「症状」や「行動」で示すことになります。
 このようなコミュニケーションのパターンは、その親と子どもとの間に見られるだけでなく、その親を育てた親との間でも同様だということが多く見られます。
 子どもの問題で困っている親のほとんどは、実は自分自身も多かれ少なかれ、自分の親との間の「コミュニケーション」ができていないという問題をかかえていることが多いのです。
 まず、親子間が許容的で、何でも話し合えるという「対人関係コミュニケーション」がスムースでなければなりません。
 子どもの成長にプラスになる育て方とは、親がまず、子どもの心を知り、子どもの心の中でおこっていることを理解することです。
 親は語りかけると同時に、子どもの「語りかけ」や「サイン」に敏感に応答することができなければなりません。
 子どもの「語りかけ」や「サイン」を待つことの方がはるかに重要です。
(黒川昭登:広島県生まれ、皇學館大学名誉教授・龍谷大学名誉教授。日本の臨床ケースワーク(臨床ソーシャルワーク)の第一人者)

 

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大人の言ったことが、子どもの心に響くようにするためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにするとよい

 子どもの心に響くようにするためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにするとよい。
 上から目線に構えて、説教しないこと、他人数相手に話さないことである。
 多人数相手に語りかけても何も伝わらないし、心にも響かない。
 教育相談をしている私に、家にきてほしいということでタカシの家を訪問した。
 タカシの父親は医者で、タカシに一流大学医学部への進学を強要した。
 二度の大学受験に失敗して部屋に閉じこもり、出てこない生活を二年も続けていた。
 母親の顔は見たくないし、父親が行くとナイフを振りかざして大暴れするので近づくこともできなかった。
 私が行ってもドアを開けないので、部屋の前に座り込んだ。
 二時間もたったころ、私に根負けしたのか「おい、おまえ、入ってもいいぞ」と、少しドアが開いた。
 部屋に入り、あれこれ話をするうちに自分の気持ちを少しずつ話し始めた。
 初対面の私に十時間にわたって怒とうのように話し続けた。
 外の空気を味わうためにドライブに誘ったあと、タカシの部屋に戻った。
 疲れたので一緒に寝ることにした。
 タカシがすりよって私に抱きついてきた。
 しっかりと抱きかえしてやると、安心して眠ってしまった。
 今まで、両親に自分の思いを抱きしめてもらえず、ずっと辛い思いをしていたのだろう。
 親からは指示や命令ばかりで、受容されたり認められたりすることが少なかったのではないか。
 その証拠に、タカシと私が抱き合って眠ったことを母親に話すと、ハッとしたように「私たちのこれまでの態度に非があったのですね」と理解してくれた。
 覚醒剤のような常習性のあるものは、一斉にやめさせることはできない。なぜあんなものに子どもたちが魅入られるのか。
 家庭では「おまえのような子どもは産まなきゃよかった」と言われ、先生には白い目で見られ、友だちには無視され、なにもかもおもしろくない。
 そんなとき、覚醒剤は、快感を覚え、一時的にでも彼らに嫌な現実を忘れさせてくれる。
 幻想の世界に心を遊ばせていなければ、心のバランスを保てない彼らの気持ちもわかるような気がした。
 このような生きる喜びを知らない子どもたちには、一人ひとりと真剣に向き合わないと、効果は絶対に表れない。
 ある子どもの例では、延々十時間、手を握って話し込んだ。
「いつでも君の味方になってあげたい。応援しているから、何かあったら相談に来てほしい」
 私は、人間というものはさまざまな不本意な思いを心に抱かえながら生きていかねばならぬこと。
 その中でよりよい生き方を、最後の死の瞬間まで求め抜いていくことの価値を訴えた。
 するとようやく「先生はとっても優しいんだね。わかった、もう明日からやめるよ」と約束してくれた。
 やはり子どもはいつも「ぬくもり」を求めているのだということが身にしみた。
 触れ合いたがっている子どもを拒絶すると、とんでもない方向へ曲がってしまうこともわかった。
 子どもにとって、自分が必要とされているという気持ちは、善悪を問わず、何ものにも代えられないものである。
 子どもを見守る親は、「あなたが大切だ」という心の抱擁を、ぜひとも忘れないでほしい。
(濤(なみ)川栄太:1943-2009年、小学校教師(20年間)、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者、教育相談(40年間)、悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

 

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