カテゴリー「子どもから学ぶ」の記事

子どもたちを受信する力がつけば、信頼され、指導力のある教師になることができる

 子どもたちや保護者から信頼される教師になりたいという思いは、すべての教師の願いです。そうなるためには、どうすればよいのでしょうか。
 私の長い教師経験から言えることがあります。
 経年とともに、教師は発信力が強くなります。
(1)
子どもたちにどう伝えられるか
(2)
どう噛みくだいて伝えればよいか
の研鑽を積み、子どもたち全体を仕切り、的確な話や指示を明確に伝える発信力に力を注ぐことが多いと思います。
 しかし、私の長い教師経験から、発信力を発揮するためには受信力が大事です。
 発信力を発揮するための大前提として、
(1)
聞く力
 冷静な落ち着いた気持ち対応する。相手の波長にあわせ、答えやすい質問を心がける。
(2)
受けとめる力
 見えてないことが多いと思い、どんな思いか興味を持ち、理解することに情熱を持つ。
(3)
感じとる力
 日々新たな気持ちになり感覚の鮮度を高める。人の気持ちは日々変わるので、決めつけない。行動の傾向を探る。
 すなわち、受信力が大事だと考えています。
 しっかりと、受信力を磨き続け、豊かな受信力によって子どもを把握することができれば、発信力を効果的に発揮されます。
 豊かな受信力を取得すればするほど、おのずと発信力は身についていきます。
 この受信力をすべての教師の皆さんに磨いていただきたいと思っています。
 教師は生活指導ができる人が、力があるとされています。生活指導とは集団統率力です。
 教室全体を静かにさせる力、朝会で全校の子どもたちを静かに整列させる力、これらができる教師が力量を高く評価されます。
 例えば、授業中に私語する子どもたちを指導することを考えてみます。
 授業中に私語をしている子どもがいるときは、私語を慎むようしっかり指導することが求められています。
 教室がざわついている状態の学級を子どもたちの視点で考えてみましょう。
 子どもたちの教師への評価はどうでしょうか。その教師がいやな子どもが多くいたり、不満を抱いていたりしているのではないでしょうか。
 一方、とても雰囲気のいい学級の子どもたちの多くは、教師のことを好きであったり、信頼感を厚く抱いていたりします。
 子どもたちは、
(1)
ちゃんと自分たちのことを見てくれている教師
(2)
自分たちの話をちゃんと聞いてくれる教師
(3)
誰に対しても同じ気持ちで接してくれる教師
このような教師の姿を理想像として描いていると言えます。
 つまり、教師に対して敬意や信頼があれば、その教師の指示にはちゃんと従うのです。
 このためにも、教師は子どもの気持ち、子どもの心の奥底にある思いを理解しようとする姿を、子ども自身にしっかり認知させることが、最も重要なことです。
 さらに、発達特性や学習障害等、教師がしっかり理解することもたくさんあります。
(
森上一美:名古屋の公立中学校、小学校教師、小学校校長を経て金城学院大学教授
)

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子どもを大事にし、子どもから学ぼう

(1) 子どもはつまずきの天才 
・子どもはつまずきの天才である。
・3と3は5だとつまずく子は、その子なりの理屈、論理が必ずある。
・「子どもの論理」を知らないでは、私たちの仕事は実を結ばない。
・3と3は6だということを、感動をもって分からせる授業をしようと思ったら、3と3は5だとつまずく子を大切にすることだ。
・授業は「つまずいている子」の目玉が光ってくるようなものでないと、「つまずいていない子」にとってもたいくつなものだ。
(2)
子どものために学校がある
・川は岸のために流れているのではない。川のために岸ができているのである。子どもは学校のために来ているのではない。子どものために学校があるのである。
・子どものために「学校」があり、子どものために「教師」があり、子どものために「教育」がある。
・「いくらまわされても、針は天極をさす」、私の天極は子どもです。
・そういう中で信じることのできるものは、子どもだけだった。
・子どもは日本の未来である。
 
「民主々義」や「近代の精神」に子ども達を奉仕させるのではない。子ども達の幸せのために、すぐれた思想を奉仕させるのだ。
・「この子さえいてくれなければ……」と考えたこともある子どもを「この子がいてくれるおかげで……」と位置づけたときから教育は始まる。
・子どもの中に、ボス退治などと言って退治しなければならないような子どもはいません。
・学校の名前なんかちっともあがらなくてもいいんです。子どもが「あの学校に学んでよかった」と言ってくれるような学校をいっしょうけんめい築いていきましょう。
・国語研究の学校とかの看板をあげる必要はすこしもありません。強いてあげるなら、子どもを大事にしているという看板をあげましょう。
(3)
子どもから学ぼう、子どもの感動に学ぼう。
・子どもの胸の中の「ドキドキ」をキャッチする心を持とう。
・かわいい者たちのいじらしい程の善意を見てやろう。
・「子どもこそは、大人の父ぞ」(ワーズワース )
・幼い子どものことばに耳を傾けよう。そこには、私たちの心の帰着点である心のふるさとがある。 していることで子どもはものを言っている。
・私たちは「ことば」に頼り過ぎていないか。「体でものを言う」「生き方でものを言う」というのが、ほんとうの「ことば」であろう。
・Aちゃんは、ものは言わない。しかし、その動作の一つ一つは美しいことばだ。
・暴力も、あれは子どものことばだ。
・大人の目から見ると、困ったことばかりしている子どもでも、なぜそういうことをせずにおれないかという、そのわけを伝えたがっているのだ。
・「非行少年」というのは、ほんとうにわかってくれる人にめぐりあえないで迷っている「不幸少年」といえる。
(4)
子どもも生かされている
・私は教師になってからも、なかなか子どもという奴はかわいい奴だと思えませんでした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そういう私でした。
  
一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな奴だ」ということになるような気がしたものです。
・子どもが「やっかいだ」というのは、子どもが生きているからである。生きているからこちらの思うようにはなってくれないのであって、それはたいへん結構なことであるとわからせてもらったのはずっと後のことでした。
・生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結びたがっているとわからせてもらったのは、またその後のことでした。
・そして、生きているのではなくてどうやら生かされているようだぞ、と分からせてもらったのはさらに後のことでした。
 どす黒い、いやな荷物を、子どものくせにすでにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、安らぎを求めずにはおれないように生かされているようだぞと分からせてもらったのです。
・生きているものは、光っている。
 どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。
・子どもといういのちの袋の中には、いろんな宝物が入っている。その宝物は、子ども自身さえ知らずにいる。
・意味というものは、こちらが読み取るものだ。ねうちというものは、こちらが発見するものだ。すばらしいものの中にいても、意味が読みとれず、ねうちが発見できないなら、瓦礫の中にいるようなものだ。
・人間にくずはない。人生にむだはない。
・子どもは抵抗をほしがっている 
 反抗してみて、子どもは大きさに目覚める。
・子どもの中でも、早く引き抜いてしまわなければいけない「雑草」の方が、私たちが育てようとしている「作物」よりも、相当力が旺盛だ。
・子どもを大切にするということは、子どものわがままや衝動をのさばらせることではありません。本来の生き生きしたものを客観性のあるものにしてやること。
・個の尊厳を守るということと、「エゴイズム」を許容することとは違う。
・志が確立して、体力も能力も光を放ちはじめる。
・志を立てるということは、生活現実に密着した決断である。それは、生き方、何を目ざしてどのように生きるかという「現実との取り組み方」が問題となる。
・志を立てるのに大きな教育力になるのは、親や教師の現実への取り組み方、生き方である。
・中学校などの成績は、頭のよしあしの違いや、体力の違いなどよりも「志」のあるなしが基本である。
・「ぼくの十年先を見ていてください。」ということにならないと、人間はほんとうの人間になれない。
・志が確立して、体力も能力もその本来の光を放ちはじめる。
・志があいまいなものである間は、その人間に転換を与えるものにはならない。
・甘い夢は、毎日の生活現実まで変えていく力にならない。
 そればかりか、ちやほやされるスターになるとか、みんなからさわがれる歌手になりたいとかの夢は、具体的な生活現実をよけいつまらないものとして見るようにさえなる。
・教育という仕事は、子どもを自分の脚で歩けるようにしてやることだ。
(
東井義雄:19121991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)

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子どもが見えない教師が多い、子どもの感想文を読むと、ものを見る目は確かである

 林竹二氏は宮城教育大学の学長であった時から、全国の学校で授業を約300回してきた。
 ソクラテスの研究者として高名な林氏を授業におもむかせたものは
(1)
教員養成大学の学長に就任し、ただ理論だけを講義していては、学長はつとまらない。授業の実際を知らねばならない。そういう思いがつのってきたこと。
(2)
病気で療養中に斎藤喜博全集を読んで、斎藤氏が授業の中で子どもたちにしていることは、質問によって子どもの意見を引き出し、それを吟味にかける。それがソクラテスの教育の方法と一致していたこと。
 林氏は、つぎのように述べている。
「授業のなかでは、否定が決定的な重要性をもつ。ただし大切なのは、その否定の質です。おしつけられたものではだめです」
「子どもは、教師との格闘を通じて、自分自身で、低い通俗的な意見なり、解釈なりを否定する」
「子どもが、最初に立っていた低い地点から、抜け出すことによって、自分を高め、新たにし、変革してゆくことができるのです」
 林氏は、行った自身の授業の考察を、
(1)
授業中の子どもの表情
(2)
授業後に書かれた子どもの感想
(3)
撮影された授業中の子どもの写真
によって行った。
 小学校の子どもたちの、林氏の「人間について」の授業の感想は
「始め、ぼくは『はやく授業がおわらないか』と思っていましたが、でもすぐにおもしろくなって、はやく終わらない方がいいと思いました」
「わかりやすく説明してくれて、70分もかかったとは思わなかったし、70分なんかあっけないと思った」
「私は、一つのことをもっと、もっとと、深くなっていく考えかたが、こんなに楽しいものかと、びっくりした。勉強していて、どこで終わるのか心配になってきたほどだ」
 私は、子どものそれぞれの指摘に驚く。どの子どもも、深く学ぶことをこよなく求めている。
林氏は述べる。
「私は、子どもたちの、ものを見る目の確かさに一驚した」
「時間がはやくすぎるのは、授業への集中があるからである」
「重みのある問題に、打ち込んで取り組んだ経験を、子どもたちは楽しいと感じている」
「私が見た、おびただしい子どもたちの証言は、一致してそう語っている」
「私は、子どもはみんな手ごたえのある学習に飢えているのだと信ずるようになった」
 しかし、林氏の授業を見た教師たちに、冷ややかな反応をする人が多かった。
 それに対して、林氏は
「先生方は、後ろの方で授業を見ていて、子どもを見ていない。そして、子どもの発言と教師の発言のその量だけを問題とする。すくなくとも、それを軸として授業をとらえようとしている」
「子どもに、わずかしか発言の場を与えていない。一方的に教師がしゃべっていて、まるで講義のようだ。あれは授業ではない。小学校では無理だというのが先生方の結論です」
 このような授業の認識しかできない教師たちに、林氏は愛想をつかした。
 そして、晩年は、定時制高校や工業高校等で、生徒たちが隠しもつ「学ぶ力」を目ざめさせる授業をすることに、限っていくのであった。
 現代の教師の原罪は、子どもを見ない、見えない、見ようともしないことだという、林氏の告発を私は忘れることができない。
(
林竹二:19061985年 教育哲学者、元宮城教育大学学長。斎藤喜博の影響を受け、全国の学校を回って対話的な授業実践を試みた)

(
佐久間勝彦:1944年生まれ、神奈川県川崎市公立中学校教師、千葉経済短期大学教授、千葉経済附属高校長、千葉経済短期大学長を経て千葉経済大学学長)
 

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プロ教師としてもとめられているものは何か

 「今の教師は使命感がない」と指摘されることも多い。親にとっては自分の子どもはかけがえのないものである。使命感のポイントの一つは、子どもの生命を預かっているという姿勢が教師にあるのか、ということである。
 子どもの心を傷つける教師の言葉は子どもの生命を預かるという厳粛さを忘れた結果である。そういう点から使命感が欠如していると言われるのだと思う。教師の仕事は大切な子どもの生命を預かっているという謙虚さが必要なのではないだろうか。
 また、指導力も意識の面で欠如していると言われている。これは子どものハートをつかんで指導しているかどうかがキーポイントだと思う。「三分間でクラスの全員の子が跳び箱を跳べるようにします」という技術面、あるいは教科に関する知識が博学である教師は、それはそれで大切な力量だと思う。
 しかし、実践的指導力のキーポイントは、子どもの心をつかんでいるかどうかだと思うのである。換言すれば、子どもと教師が信頼関係で結ばれているかどうか、という点である。この点が欠ければ、指導はすべて空回りしてしまう。
 授業が上手だから、授業が楽しいからあの先生は信頼できる、と技術や知識とも重なる部分も大きいが、日頃の子どもの全生活を受けとめる、という点では、技術の問題ではなくハートの問題だと思う。日頃の子どもの全生活を受けとめるためには、技術だけでは難しい。最近の学校現場では、やんちゃで問題行動を行う子どもの気持ちを汲んでやれなくなっていないだろうか、
 やんちゃな子の気持ちを理解する、あるいは体の弱い子や障がいのある子どもと心からつながった触れ合いができる、しんどい家庭環境、低学力など恵まれていない子どもたちの心を十分に理解する力を持つ教師が求められている。
 こういった使命感や実践的指導力を教師が身につけるためには、どうしたら良いだろうか。どちらも感覚的に少しずつ身につくものである。頭ではなく、皮膚、体を通じて学ぶものである。そのためには、もっと子どもと遊んだり、家庭訪問をしたりして、子どもや親の実態から学ぶ必要がある。
 例えば使命感について言えば、勉強ができない子には、その子の家庭訪問をして、子どもが育った環境を見、親の気持ちや、その子の生い立ちを聞いたり、語り合うことによって、ふだんうとましく感じていた子でも、生活の背景や親の話を聞くうちに、いとおしい子に変わってくる。
 「何とかしてあげないといけない」という気持ちに変わってくるのである。子どもと直接触れ合って、教師自身が今まで知らなかった部分を知ることによって、使命感は身につくのではないだろうか。
 実践的指導力も、やはり同じである。子どもから学び、実践に生かしていく姿勢がないといけない。私は極論すれば、教師は子どもだけに一生懸命になっていれば良いと思う。
 校長や親に気に入れられようとする必要はない。自分の預かった子どもをしっかりと指導する。子どものことは何でも理解できる、ということが大切である。そのためには子どもから学ぶ必要がある。
 子どもが家に帰って「あの先生の授業はよく分かる、あの先生はよく遊んでくれる」と言う家庭からは学校へのクレームは一切こない。子どもに向き合うことで、使命感も高まるし、実践力もついてくるのではないだろうか。
(
野口克海:1942年生まれ、大阪府公立中学校教師、大阪府教育委員会副理事、堺市教育長、園田学園女子大学教授、大阪教育大学監事を経て子ども教育広場代表)

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子どもの反応を手がかりに子どもの意識の流れを読み取る力をつける

 授業の指導案をつくるとき、子どもの反応を想定する。その想定できる力量が教師には必要である。
 授業で学習を進める主体は子ども自身である。その授業への反応は授業中に子どもによって表現されるもので、言葉のほかに行動による表現も含まれる。
 指導案を作る場合、何を教えるかという内容に沿って、好ましい教材を用意する。しかしこれだけでは指導案は作れない。それぞれの時点での子どもの反応を想定し、それを軸にして展開する。だから、子どもの反応を想定できる先生の力量が必要になる。
 実際に授業をやってみると前もって想定したような反応はなかなか出てこないが、経験を重ねると少しずつ想定したことが的中するようになってくる。的中することで満足してはならない。
 その反応がどんな意識のはたらきから表れ出たものかを考えることが必要である。意識は外からは見えないが、反応を手がかりに意識の流れを読み取るのである。
 それによって授業がより高次なものになっていく。
(荻須正義:19162008年、元東京教育大学付属小学校教師・常葉学園大学教授。問題や疑問を解決しながら理解を深めていく問題解決学習法を小学校の理科の授業で先駆的に実践した)

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「学び合う学び」が生まれるためには、子どもの気づきや疑問から学びを始めようとする必要がある

 私は毎日のように各地の学校の授業を見ている。そうした経験を重ねるうち、授業が始まって10分もしないうちに、その授業がどのような授業になるか想像がつくようになった。
 意欲的な学びが展開される授業になるか、重苦しい授業になるか、騒々しい散漫な授業になるか、どういう方向で学びが進められそうか、そういったことが見えるようになったのだ。
 それは、その日のテキストとの出会いが授業を始める数分間でなされるからである。それを見ることで、子どもたちの学びのすがたが予想できるのである。
 私は、「学び合う学び」が生まれるためには、「子どもの気づきや疑問から学びを始める」「子どもの考えから出発する学び」にすることが必要だと思っています。
 そのためには、一人ひとりがテキストと出会わなければならない。その子どもなりにテキストと対話をしなければならない。その場と時間が不可欠なのである。つぎに二つの例をあげる。
 A教師の「春のうた」では、詩が印刷されたプリントが配られると、教師から何も言われなくても子どもたちは音読を始めた。一回だけではない。何度も何度もくり返し音読した。
 これが子どもとテキストとの出会いである。音読した後、教師が「どうやった?」と問うと、子どもたちは「ケルルン、クック」や「いぬのふぐり」が分からないという反応がすぐ出ている。子どもたちは音読をしながら、詩と対話をしているのである。
 B教師の「ゆずり葉」においては、授業の冒頭、書き込む時間をとっている。鉛筆の音だけが響く静寂な時間であった。それはまさに一人ひとりが詩と出会う時間だった。
 その間、教師は余分なことは一切言わない。ただ、子どもたちの机のあいだを回りながら、見ているだけである。そして「はい、そしたら、だれからでもいいから・・・」と言って授業が進行していった。
 これらは、教師が教えることを決めて、それを一つひとつ尋ねて答えさせていく授業とは根本的に違う。テキストとの出会いと対話から生まれた子どもの気づきや疑問を、学びの素材として位置づけようというのだ。
 先生は何を言わせようとしているのだろうか、と受け身で考えなければならない授業と、自分たちの思ったことが自由に言え、そこから学びがつくられていく授業と、子どもたちはどちらがたのしいと思うだろうか。どちらに魅力を感じるだろうか。
 それでは、なぜ授業でAやB教師の子どもたちは、あのような集中力を発揮したか、ということである。音読も書き込みもポピュラーな方法である。そこにはどういう違いがあるのだろうか。
 それは、教師の対応の違いなのである。
 つまり、本気で子ども一人ひとりに生まれるものを大切にしようとしているか、本当に子どもの気づきや疑問から学びを始めようとしているか、その教師の対応の違いが子どものすがたに確実に影響しているのだ。
 四月から毎日毎日、くり返し授業を行っている。そのくり返しの中で、子どもは感じ取っていく。自分たちの先生はどんな先生なのか、どんな魅力があるのか、本気で自分たちのことを見てくれているのか、そういったことを理屈でなく肌で感じ取っていく。子どもは敏感なのである。
(石井順治:1943年生まれ、「国語教育を学ぶ会」の事務局長・会長を歴任、三重県の小中学校の校長を努め、退職後は、各地の学校を訪問し佐藤学氏と授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」の顧問を務めている)


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子どもに学ぶと子どもが見えるようになる

 親や教師が子どもをつかめなくなってきている。「うちの子どもが、こんなことをするはずがありません」こういうことを言う親が増えている。
 社会が多様化し、子どもへの刺激もさまざまなので、子どもの動きも多様化するのは当然であろう。
 この社会の動きに応じて子どもは変容しているのに、親や教師は動きに乗り遅れているので、子どもが見えないということがいえる。「子どもの使う言葉の意味がわからない」というようなことからもわかる。
 これに対応するには「子どもに学ぶ」しか方法はないと思っている。親や教師が子どもに学ぼうという気持ちになると、子どもがよく見えるようになる。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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指導困難な状態を克服するには何が必要か

 子どもの指導で困難に直面しているときはすごくつらいですが、その事態を深く見つめ続けていくと、ある時期、光が見え始めます。そうするとまったく違う対応ができるようになるんです。
 私も荒れた六年生を担任していた時期は、子どもたちが朝会などで話を聴かなくて、それは大変でした。ところが、子どものようすを見ていると、聴かなくなるのはきまってつまらない話をしているときなんです。
 いい話をするときは、そんな子どもたちもちゃんと聴いている。高学年になると、話の質をすぐ見抜くんですね。それ以来、「6年生なのに」と思っていたことを「6年生だから」ととらえ直しました。
 そのときに、はじめて彼らの内面が見えてきたんです。おしゃべりも、なぜおしゃべりが起きるのかを深く考えてみる必要があります。現代の子どもは、人間関係に非常に不安を感じていて、疎外されたり関係を断ち切られたりすることが、教師に叱られる以上につらいことなんです。おしゃべりが、「友だちとつながっていたい」という気持ちの表れだととらえ直すと、対処法が変わってきます。おしゃべりそのものを叱ってもだめで、教室に安心できる人間関係をつくっていかなければ、根本的な解決にはなりません。
 私は、子どもから学んでいけば、もっと楽に実践できると思います。まず、子どもの声を聴く。ある程度子どもに任せる。子どもが押してきたら、押し返すのではなく、むしろ押されて少しバックしてみる。そういうふうに、キャリアを積んだ年代の教師であればこそ、子どもの姿からつくっていく実践にもう一度チャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。

(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)

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担任は子どもの内面を受けとめ、豊かに返すことが求められている

 担任は子どもを受けとめ豊かに返すことが求められている。
 学校は、人と人とが激しくぶつかりあって失敗を繰り返す社会である。失敗が認められなければならない社会である。しかし、困ったことに、学級は大人が担任一人しかいない。何かがたりなくても当たり前だという前提に立たなければいけない。
 今の子どもは人との距離をうまくとれず、人の心に平気で土足で踏み込むことが増加し、トラブルは起きやすい。そのときに大事なのは、クラスの土台づくりを4月から進めていくことである。
 その土台づくりの前提となるのは、担任がキャッチャーに徹することである。子どもたちはさまざまな内面や好奇心を持っている。その子どもたちの内面を受けとめることを大事にすることがキャッチャーに徹することである。
 担任がキャッチャーであろうとすると、子どもたちの多くは間違いなく、内面や好奇心を出してくる。
 それをしっかり受けとめて、豊かに返球するという努力が今、最も担任に要請されているのではないかと感じている。
(金森俊朗:1946年生れ、元小学校教諭、北陸学院大学教授。「仲間とつながりハッピーになる」教育や人と自然に直に触れ合う命の授業を行う。NHKで日本賞グランプリ受賞)

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達成感を手に入れるにはスリルが必要である

 私は教師になるまで、子どもの遊びをサポートする児童館に勤務していました。私は自分の特技を生かし「けん玉教室」を行っていました。
 ある日「今日は、きみたちの自由だよ。けん玉でいろんな遊び方をためしてごらん」と子どもたちに遊びを任せました。子どもたちは好き勝手に遊び始めました。
 しかし、ほんの10分もたつと「何か、やる気がしない」と、そう言うと、その子は隣の部屋で盛り上がっているドッジボールのようすをぼんやりと見つめ、またある子は「何か、今日はつまんない。ほかの遊びしない?」
 せっかく、きみたちの自由にしてあげたのに。そう思いながらも、その日のけん玉教室は早めに終わりました。
 その夜、私は考えました。「何がいけなかったんだろう?」「自由にしたからいけないのかな?」私は、ため息をついてしまいました。
 そして次の週、けん玉教室の時間になりました。先週と同じ結末にならないように、厳しい教室を展開しました。「さあ、今日は、1対1の試合をするよ。その後で、級の認定試験をするからね」すると「やったあ! 試合大好き、今日こそ勝ってやる!」と子どもたちから歓声があがりました。子どもたちは意気揚々と自主的に練習に取りかかりました。
 勝った子は喜び、負けた子は、悔しがりながらも「級の認定試験のほうでがんばる」と言い、自らの級を上げる練習に取り組みました。
 その夜、私はまた考えました。「前回と今回の違いは、いったいどこにあったんだろう?」、そうか。子どもたちは「達成感」を手に入れたんだ。達成感を手に入れるには、シビアな場をくぐりぬけるときにこそ味わうことのできる「スリル」が必要だったんだ。
 この日が、私にとって開眼の日となりました。この日にさとったことを、私はその後の仕事に日々生かしました。小学校の教室でも、同じように効果を発揮したのです。
(
福嶋隆史:1972年横浜市生まれ、公立児童館学童保育職員、公立小学校教師、ふくしま国語塾を経て、横浜国語研究所 代表取締役)


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