カテゴリー「子どもから学ぶ」の記事

プロ教師としてもとめられているものは何か

 「今の教師は使命感がない」と指摘されることも多い。親にとっては自分の子どもはかけがえのないものである。使命感のポイントの一つは、子どもの生命を預かっているという姿勢が教師にあるのか、ということである。
 子どもの心を傷つける教師の言葉は子どもの生命を預かるという厳粛さを忘れた結果である。そういう点から使命感が欠如していると言われるのだと思う。教師の仕事は大切な子どもの生命を預かっているという謙虚さが必要なのではないだろうか。
 また、指導力も意識の面で欠如していると言われている。これは子どものハートをつかんで指導しているかどうかがキーポイントだと思う。「三分間でクラスの全員の子が跳び箱を跳べるようにします」という技術面、あるいは教科に関する知識が博学である教師は、それはそれで大切な力量だと思う。
 しかし、実践的指導力のキーポイントは、子どもの心をつかんでいるかどうかだと思うのである。換言すれば、子どもと教師が信頼関係で結ばれているかどうか、という点である。この点が欠ければ、指導はすべて空回りしてしまう。
 授業が上手だから、授業が楽しいからあの先生は信頼できる、と技術や知識とも重なる部分も大きいが、日頃の子どもの全生活を受けとめる、という点では、技術の問題ではなくハートの問題だと思う。日頃の子どもの全生活を受けとめるためには、技術だけでは難しい。最近の学校現場では、やんちゃで問題行動を行う子どもの気持ちを汲んでやれなくなっていないだろうか、
 やんちゃな子の気持ちを理解する、あるいは体の弱い子や障がいのある子どもと心からつながった触れ合いができる、しんどい家庭環境、低学力など恵まれていない子どもたちの心を十分に理解する力を持つ教師が求められている。
 こういった使命感や実践的指導力を教師が身につけるためには、どうしたら良いだろうか。どちらも感覚的に少しずつ身につくものである。頭ではなく、皮膚、体を通じて学ぶものである。そのためには、もっと子どもと遊んだり、家庭訪問をしたりして、子どもや親の実態から学ぶ必要がある。
 例えば使命感について言えば、勉強ができない子には、その子の家庭訪問をして、子どもが育った環境を見、親の気持ちや、その子の生い立ちを聞いたり、語り合うことによって、ふだんうとましく感じていた子でも、生活の背景や親の話を聞くうちに、いとおしい子に変わってくる。
 「何とかしてあげないといけない」という気持ちに変わってくるのである。子どもと直接触れ合って、教師自身が今まで知らなかった部分を知ることによって、使命感は身につくのではないだろうか。
 実践的指導力も、やはり同じである。子どもから学び、実践に生かしていく姿勢がないといけない。私は極論すれば、教師は子どもだけに一生懸命になっていれば良いと思う。
 校長や親に気に入れられようとする必要はない。自分の預かった子どもをしっかりと指導する。子どものことは何でも理解できる、ということが大切である。そのためには子どもから学ぶ必要がある。
 子どもが家に帰って「あの先生の授業はよく分かる、あの先生はよく遊んでくれる」と言う家庭からは学校へのクレームは一切こない。子どもに向き合うことで、使命感も高まるし、実践力もついてくるのではないだろうか。
(
野口克海:1942年生まれ、大阪府公立中学校教師、大阪府教育委員会副理事、堺市教育長、園田学園女子大学教授、大阪教育大学監事を経て子ども教育広場代表)

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子どもの反応を手がかりに子どもの意識の流れを読み取る力をつける

 授業の指導案をつくるとき、子どもの反応を想定する。その想定できる力量が教師には必要である。
 授業で学習を進める主体は子ども自身である。その授業への反応は授業中に子どもによって表現されるもので、言葉のほかに行動による表現も含まれる。
 指導案を作る場合、何を教えるかという内容に沿って、好ましい教材を用意する。しかしこれだけでは指導案は作れない。それぞれの時点での子どもの反応を想定し、それを軸にして展開する。だから、子どもの反応を想定できる先生の力量が必要になる。
 実際に授業をやってみると前もって想定したような反応はなかなか出てこないが、経験を重ねると少しずつ想定したことが的中するようになってくる。的中することで満足してはならない。
 その反応がどんな意識のはたらきから表れ出たものかを考えることが必要である。意識は外からは見えないが、反応を手がかりに意識の流れを読み取るのである。
 それによって授業がより高次なものになっていく。
(荻須正義:19162008年、元東京教育大学付属小学校教師・常葉学園大学教授。問題や疑問を解決しながら理解を深めていく問題解決学習法を小学校の理科の授業で先駆的に実践した)

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「学び合う学び」が生まれるためには、子どもの気づきや疑問から学びを始めようとする必要がある

 私は毎日のように各地の学校の授業を見ている。そうした経験を重ねるうち、授業が始まって10分もしないうちに、その授業がどのような授業になるか想像がつくようになった。
 意欲的な学びが展開される授業になるか、重苦しい授業になるか、騒々しい散漫な授業になるか、どういう方向で学びが進められそうか、そういったことが見えるようになったのだ。
 それは、その日のテキストとの出会いが授業を始める数分間でなされるからである。それを見ることで、子どもたちの学びのすがたが予想できるのである。
 私は、「学び合う学び」が生まれるためには、「子どもの気づきや疑問から学びを始める」「子どもの考えから出発する学び」にすることが必要だと思っています。
 そのためには、一人ひとりがテキストと出会わなければならない。その子どもなりにテキストと対話をしなければならない。その場と時間が不可欠なのである。つぎに二つの例をあげる。
 A教師の「春のうた」では、詩が印刷されたプリントが配られると、教師から何も言われなくても子どもたちは音読を始めた。一回だけではない。何度も何度もくり返し音読した。
 これが子どもとテキストとの出会いである。音読した後、教師が「どうやった?」と問うと、子どもたちは「ケルルン、クック」や「いぬのふぐり」が分からないという反応がすぐ出ている。子どもたちは音読をしながら、詩と対話をしているのである。
 B教師の「ゆずり葉」においては、授業の冒頭、書き込む時間をとっている。鉛筆の音だけが響く静寂な時間であった。それはまさに一人ひとりが詩と出会う時間だった。
 その間、教師は余分なことは一切言わない。ただ、子どもたちの机のあいだを回りながら、見ているだけである。そして「はい、そしたら、だれからでもいいから・・・」と言って授業が進行していった。
 これらは、教師が教えることを決めて、それを一つひとつ尋ねて答えさせていく授業とは根本的に違う。テキストとの出会いと対話から生まれた子どもの気づきや疑問を、学びの素材として位置づけようというのだ。
 先生は何を言わせようとしているのだろうか、と受け身で考えなければならない授業と、自分たちの思ったことが自由に言え、そこから学びがつくられていく授業と、子どもたちはどちらがたのしいと思うだろうか。どちらに魅力を感じるだろうか。
 それでは、なぜ授業でAやB教師の子どもたちは、あのような集中力を発揮したか、ということである。音読も書き込みもポピュラーな方法である。そこにはどういう違いがあるのだろうか。
 それは、教師の対応の違いなのである。
 つまり、本気で子ども一人ひとりに生まれるものを大切にしようとしているか、本当に子どもの気づきや疑問から学びを始めようとしているか、その教師の対応の違いが子どものすがたに確実に影響しているのだ。
 四月から毎日毎日、くり返し授業を行っている。そのくり返しの中で、子どもは感じ取っていく。自分たちの先生はどんな先生なのか、どんな魅力があるのか、本気で自分たちのことを見てくれているのか、そういったことを理屈でなく肌で感じ取っていく。子どもは敏感なのである。
(石井順治:1943年生まれ、「国語教育を学ぶ会」の事務局長・会長を歴任、三重県の小中学校の校長を努め、退職後は、各地の学校を訪問し佐藤学氏と授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」の顧問を務めている)


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子どもに学ぶと子どもが見えるようになる

 親や教師が子どもをつかめなくなってきている。「うちの子どもが、こんなことをするはずがありません」こういうことを言う親が増えている。
 社会が多様化し、子どもへの刺激もさまざまなので、子どもの動きも多様化するのは当然であろう。
 この社会の動きに応じて子どもは変容しているのに、親や教師は動きに乗り遅れているので、子どもが見えないということがいえる。「子どもの使う言葉の意味がわからない」というようなことからもわかる。
 これに対応するには「子どもに学ぶ」しか方法はないと思っている。親や教師が子どもに学ぼうという気持ちになると、子どもがよく見えるようになる。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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指導困難な状態を克服するには何が必要か

 子どもの指導で困難に直面しているときはすごくつらいですが、その事態を深く見つめ続けていくと、ある時期、光が見え始めます。そうするとまったく違う対応ができるようになるんです。
 私も荒れた六年生を担任していた時期は、子どもたちが朝会などで話を聴かなくて、それは大変でした。ところが、子どものようすを見ていると、聴かなくなるのはきまってつまらない話をしているときなんです。
 いい話をするときは、そんな子どもたちもちゃんと聴いている。高学年になると、話の質をすぐ見抜くんですね。それ以来、「6年生なのに」と思っていたことを「6年生だから」ととらえ直しました。
 そのときに、はじめて彼らの内面が見えてきたんです。おしゃべりも、なぜおしゃべりが起きるのかを深く考えてみる必要があります。現代の子どもは、人間関係に非常に不安を感じていて、疎外されたり関係を断ち切られたりすることが、教師に叱られる以上につらいことなんです。おしゃべりが、「友だちとつながっていたい」という気持ちの表れだととらえ直すと、対処法が変わってきます。おしゃべりそのものを叱ってもだめで、教室に安心できる人間関係をつくっていかなければ、根本的な解決にはなりません。
 私は、子どもから学んでいけば、もっと楽に実践できると思います。まず、子どもの声を聴く。ある程度子どもに任せる。子どもが押してきたら、押し返すのではなく、むしろ押されて少しバックしてみる。そういうふうに、キャリアを積んだ年代の教師であればこそ、子どもの姿からつくっていく実践にもう一度チャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。

(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)

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担任は子どもの内面を受けとめ、豊かに返すことが求められている

 担任は子どもを受けとめ豊かに返すことが求められている。
 学校は、人と人とが激しくぶつかりあって失敗を繰り返す社会である。失敗が認められなければならない社会である。しかし、困ったことに、学級は大人が担任一人しかいない。何かがたりなくても当たり前だという前提に立たなければいけない。
 今の子どもは人との距離をうまくとれず、人の心に平気で土足で踏み込むことが増加し、トラブルは起きやすい。そのときに大事なのは、クラスの土台づくりを4月から進めていくことである。
 その土台づくりの前提となるのは、担任がキャッチャーに徹することである。子どもたちはさまざまな内面や好奇心を持っている。その子どもたちの内面を受けとめることを大事にすることがキャッチャーに徹することである。
 担任がキャッチャーであろうとすると、子どもたちの多くは間違いなく、内面や好奇心を出してくる。
 それをしっかり受けとめて、豊かに返球するという努力が今、最も担任に要請されているのではないかと感じている。
(金森俊朗:1946年生れ、元小学校教諭、北陸学院大学教授。「仲間とつながりハッピーになる」教育や人と自然に直に触れ合う命の授業を行う。NHKで日本賞グランプリ受賞)

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達成感を手に入れるにはスリルが必要である

 私は教師になるまで、子どもの遊びをサポートする児童館に勤務していました。私は自分の特技を生かし「けん玉教室」を行っていました。
 ある日「今日は、きみたちの自由だよ。けん玉でいろんな遊び方をためしてごらん」と子どもたちに遊びを任せました。子どもたちは好き勝手に遊び始めました。
 しかし、ほんの10分もたつと「何か、やる気がしない」と、そう言うと、その子は隣の部屋で盛り上がっているドッジボールのようすをぼんやりと見つめ、またある子は「何か、今日はつまんない。ほかの遊びしない?」
 せっかく、きみたちの自由にしてあげたのに。そう思いながらも、その日のけん玉教室は早めに終わりました。
 その夜、私は考えました。「何がいけなかったんだろう?」「自由にしたからいけないのかな?」私は、ため息をついてしまいました。
 そして次の週、けん玉教室の時間になりました。先週と同じ結末にならないように、厳しい教室を展開しました。「さあ、今日は、1対1の試合をするよ。その後で、級の認定試験をするからね」すると「やったあ! 試合大好き、今日こそ勝ってやる!」と子どもたちから歓声があがりました。子どもたちは意気揚々と自主的に練習に取りかかりました。
 勝った子は喜び、負けた子は、悔しがりながらも「級の認定試験のほうでがんばる」と言い、自らの級を上げる練習に取り組みました。
 その夜、私はまた考えました。「前回と今回の違いは、いったいどこにあったんだろう?」、そうか。子どもたちは「達成感」を手に入れたんだ。達成感を手に入れるには、シビアな場をくぐりぬけるときにこそ味わうことのできる「スリル」が必要だったんだ。
 この日が、私にとって開眼の日となりました。この日にさとったことを、私はその後の仕事に日々生かしました。小学校の教室でも、同じように効果を発揮したのです。
(
福嶋隆史:1972年横浜市生まれ、公立児童館学童保育職員、公立小学校教師、ふくしま国語塾を経て、横浜国語研究所 代表取締役)


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子どもの心の声に耳を傾けよう

 私が教師になった年の五月に教師人生を大きく変える子どもの言葉に出会いました。
「先生、勉強やめよー。面白くない。遊ぼー」と授業の山場をむかえていたときに、いきなりその言葉が耳に飛び込んできました。
 その時、私は心底、「もっと授業がうまくなりたい」、「子どもたちが待ち遠しいと言う授業をしたい」、「もっと授業中に子どもたちの笑顔の花を咲かせたい」と思いました。
 その日から、教育サークル「エスカルゴ」という勉強会に入り、私の教師修業の一歩がスタートしたのです。
 子どもたちの素直な心の声に出会い、しっかりと受けとめる。これを教師修業の一番と考えて、30数年間、続けています。
 子どもたちの心の声を聞くために、心がけていることは
(1)
毎日、クラスの子どもたち全員へ声かけをすることです
 これを意識すると、日々出会う子どもたちに、どんな声かけをしようかと考えるようになります。例えば、テレビ好きな子にはテレビの話題を、ゲーム好きな子には流行のゲームの話題を声かけします。そうすると、テレビやゲームに目がいくようになりました。
 もちろん笑顔で、いつも見ているよという思いで「おはよう」「元気かい?」「やっ!」というような簡単な声かけのときもあります。
(2)
毎日、ノートを集めることです
 授業の終わりには、授業の感想を書いてもらうことがあります。それを集めます。毎日、最低一冊のノートは集めるようにしています。子どもたちの心の声を知るためです。
 時には、テーマを決めて日記を書かせて集めることもします。「社会の授業で学んだこと」「国語の授業でもっとやりたかったこと」などです。
 この二つは、子どもたちの素直な声を得る場を意識してつくる。これが教師修業なのだと思っています。
(
福山憲市:1960年山口県生まれ、山口県下関市立小学校教師。サークル「ふくの会」、「ミスをいかす子ども達を育てる研究会」を組織している)

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子どもを知ることが教育で最大の仕事

 教師から問いを出して子どもから真実を聞き出すなんて無理なこと。子どもを知るというのはとにかく大変なことですよ。
 子どもを知ることは、教育の仕事で最大のものではないかしら。その力を持たずにいろんなことをやっても、うまくいかないというくらい。
 私は、子どもに問うて真実の答えは返ってこないと決めていました。そうではなくて、私がいろんな話をしていて子どもも面白く聞いているうちに、思わず子どもが自分から自然に出てくる話、そのなかにビンビンと感じるものがある、それを感じとるのが教師の力じゃないの。
大村はま:1906-2005年、長野県で高等女学校、戦後は東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力と課題に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)


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子どもの心のひだをつかむにはどうすればよいか

 大人は昔、子どもだったので、子どもの心なんか知っているという気持ちが心のどこかにあって、あえて子どもの心を知ろうなどと思わない。そして、事件が起きてはじめて「子どもの心がわからない。昔の子どもはこうではなかった」などと言い出す。
 特に教師たるべき者は、子どもの心をつかむ努力をいつもしておくのが当然である。子どもの見そうなテレビ番組を見るとか、子ども向けのマンガを読むとかして情報を得ることなど、よくやる手である。
 また、子どもと休み時間に遊んだり、清掃を一緒にしたり等も、多くの教師がやっている。子どもと一緒に遊ぶと、教室では見られない子どもの生き生きした顔が見られる。まじめに清掃に取り組んでいる子どもには、感激さえ覚える。子どもをほめる材料はあちこちにある。
 子どもを「勉強ができる」ということだけで「良い」の評価を得て、行動が悪くても、あまり叱られないというのが社会通念としてある。
 授業中の子どもしか見ていないと、子どもの一面しか見ていないので、成績至上主義的な子どもの見方をしかねない。特に子どもの心のひだをつかんでいないので、学級崩壊状態になっても、なぜこうなったのか、教師はつかむことができない。
 このごろ何か学級の子どもの様子がおかしいなと感じたら、子どもと遊ぶとか、子どもと行動を共にして、内面の心のひだをつかむことが必要である。
 子どもと一緒に教師が遊んだり、話したりするのは教師が自己開示することである。子どもは教師の人間性にふれることができ、安心する。
 子どもの心のひだをつかめば、教師は子ども一人ひとりに適した指導ができる。このことが「個を生かす」ということであり、今の教育ではこのことが大切である。
(飛田貞子:東京都の公立小学校教諭を経て小学校校長)

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