カテゴリー「子どもの見かた」の記事

子どものとらえ方はしなやかに、そうしないと子どもに寄り添うことも、子どもを受け入れることもできない

 心理学でかつて学んだ知識だけで、子どもをとらえることは出来にくくなりました。さりとて、教師の経験だけを頼りに子どもをとらえることにも無理があります。
 こうなるとどうでしょう。あるがままの子どもを、あるがままにとらえるしかない。
 もちろん、あるがままの子どもをとらえたとしても、そのすべてを教師は肯定することもできない。何を伸ばし、どこを改めるかが教育であり、生徒指導であるはずです。
 ところが、それを性急に行おうとすると、もろい子どもは崩れます。子どもの中には、反発、反抗する子どももいるのが現実です。
 ですから、どこから手をつけ、何から手を打つかが、学級経営や生徒指導なのです。
 しなやかで柔軟に子どもをとらえ、しなやかに経営を進める。それは、子どもにおもねることとは違います。
「こんなことをする子どもなんて」と、子どものことで戸惑ったり悩んだりする教師が、急増していることも事実です。
 そして、教師のめがねにかなわない子がいると「これは問題児だ」などと、レッテルをはりかねません。
 しかし、はってどうなるのか。はられた子どもや保護者はどうなるかを考えなければなりません。
 職業的な慣れほど恐いことはないし、子ども理解の際に、それを慎まなければと思います。 
 困った子どもだなどと思わず、その子に寄り添うことが必要です。あるがままに子どもを受け入れて、寄り添うようにするのです。
 そうしなければ、子ども理解もできないし、子どもと関わることもできない。教師の仕事の大事な部分は、こうしたところにあります。
 教師は、子どもを注意したり、指導的な言葉を発したりすることに、ずっと慣れてきたでしょう。
 でも、その慣れが通じなくなっていると考えるしかなさそうです。
 教師の仕事はつらいと、思う日があるかもしれません。
 でも、つらいのは教師だけではありません。
 教師の目からみれば、困った、荒れていると思えるような子どもも、鬱積したさまざまな感情を抱いて教室に集まってきているのです。
 そうしたことへの理解や思いが教師にないと、子どもに寄り添うことはできかねます。
 子どもを受け入れることも、できない
でしょう。土台は、教師の人間観かと思うのです。
(
飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県浦安市立小学校校長を経て、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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担任が子どもたちを伸ばしていくためには、2つの目で子どもたちを見る必要がある

 学級で子どもたちと過ごす中で、担任が子どもたちを伸ばしていくためには、2つの目で子どもたちを見ることが必要だと私は思っています。
(1)
未来からの目
 未来からの目というのは、子どもをどのように伸ばしていきたいのかという目標から現状を見る目です。
 そうすることで、子どもに足りないことが明確になり、指導することができます。
 教師は自分なりの子ども像や学級像の目標がなければ、一つひとつの実践や指導に思いが乗らず、子どもにもなぜ必要なのかを明確に指示できなくなります。
 私は教室の中で、教えるべきことと、子どもたちで考えさせるべきことがあると考えています。
 年度初めの4月には教えるべきことの割合は多く、年度末の3月には考えさせるべきことの割合が多くなります。
 各教科での学び方や表現の仕方、掃除の仕方、けんかの解決の仕方など、最初は子どもも自分達ではできません。
 最初は教師が中心となり、一つ一つていねいに指導していく必要があります。そうして、だんだんと子どもの裁量を増やしていくことが大切だと思います。
(2)
過去の目
 子どもと出会った当初、どのような状態だったのかという目です。
 目標から現状ばかりを見ていると、足りないことに目が行き、不満や不安でいっぱいになります。そうした時、過去から現状を見ることで、子どもたちのがんばりに目が向くようになります。
 4月から子どもたちは変化をします。その変化をしっかり伝えてあげることが、目標に向かうためのエネルギーにもなります。
 私は子どもたちのがんばりや成長を、みんなの前で一人ひとり紹介する時間を月に一回はとるようにしています。子どものがんばりを認めていくことが大切だと感じています。
 子ども自身のためでもあり、教師自身が、今やっている実践に自信を持って取り組むための力にもなります。
 反省や改善も大切ですが、子どもや教師自身のがんばりを認めていくことも大切だと思います。
(
金 大竜:1980年生まれ、大阪市立小学校教師。教育サークル「教育会」代表。日本一ハッピーな学校をつくることを夢見て、学級づくりの取り組みがメディアに取りあげられている) 

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教師が子どもを見るときの大原則とはなにか

 教師が子どもを見る目は減点主義であってはならない。
 人間は不足と欠陥の動物ですから、あら探しをすれば、いくらでも欠点が見つかります。
 しかし、そんな刑事のような目でばかり見ていては子どもとの信頼関係は築けません。
 教える人である教師が持つべきは「裁く目」ではなく「育てる目」であるべきなのです。
 だから、悪いところがあっても極力それを見ない。
 一方で、いいところには大いに着目する。
 そんなふうに視点のスイッチを切り替えていれば、しだいに悪いところが目に入らなくなり、目に入っても忘れられるようになります。
 悪いところを見つけようとする刑事の目ではなく、いいところだけを見出そうとする仏さまの目であれ。
 これが子どもを見るとき、評価するときの大原則であるべきなのです。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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親や教師が子どもたちから信頼され、親密で素直な関係を築くにはどうすればよいか

 日本の多くの子どもたちが、心の休まる居場所を失っています。家庭でも学校でも厳しい言葉が、飛び交っています。みなさんの家庭は、この一年、温かい優しい思いやりのある言葉と、厳しく追いつめるようなひどい言葉と、どちらが多いですか。みなさんの学校は、子どもたちに対して、明日を語る優しい言葉と、今をしかる厳しい言葉とどちらが多かったですか。
 私は講演でこの質問をしますが、ほぼ9割の家庭や学校では、厳しい言葉が多かったという返事がかえってきます。本来、家庭や学校は、子どもたちにとって、最も優しく憩える場所でなくてはならないものです。その大切な場所が、ストレスのたまる生きにくい場所になっています。
 そして、そのイライラから、いろんな問題を生じさせています。私は、家庭や学校が、子どもたちの最高にやすらぐ居場所になってほしいのです。
 人間は日常、生活していれば、言葉で傷つくことがあります。人は生きていく上で、どうしてもだれかを傷つけてしまうし、嫌な思いをさせてしまいます。だから、私たちは「ごめんなさい」という言葉をもっています。
 この「ごめんなさい」と言う言葉が最近あまり使われなくなっています。親や教師は、自分が子どもに対して傷つけるような行為をしても「ごめんなさい」と謝ることが、自分の権威を傷つけることになると思って居直り、何とかその場をごまかしています。これが、大人への信頼感を奪っています。大人と子どもの間には信頼感が大事です。信頼関係がなければ教育は成り立ちません。
 私は教師時代、毎日のように「ごめんなさい」を子どもたちにいいました。「ごめんなさい」の一言が、いつも私と子どもたちとの関係を密なものにしてくれました。今までよりも親密な、そして素直な関係を築いてくれます。
 子どもたちは、家庭でも学校でも「ああしなさい」「こうしなさい」「なにやってるの」「だめでしょ」「がんばれ」といつも追い立てられています。子育てや教育の基本は、待つことだと私は思います。待つことには、あなたを信じているという最高のメッセージが含まれています。
 子どもは不完全な存在だから子どもなのです。だから、優しく導き育てなくてはなりません。子どもたちの過去と今を責めずに「いいんだよ」と受け入れる余裕を、そして「でもね」と教えてあげる優しさをもって下さい。
 多くの親や先生は、子どもたちが学校に行きたくないというと、その原因を子どもたち自身のなかに探します。そして、子どもたちが「弱いからだ」「甘えだ」「さぼりたいからだ」といって責めます。
 私はそうは思えません。その理由は、現在の学校の中にあると考えています。学校が、日々楽しく、そして自分がきちんと評価され、明日のために笑顔で過ごすことのできる場であったら、どの子が学校に行くことを嫌がったり、不登校になったりするでしょう。
 いいかげんに生きている子どもが、この世の中にいると思いますか。私は、ひとりもいないと思っています。今の日本のこの時代を生きていくことは、子どもたちにとってとてもきついことだと考えています。
 今の学校で褒められたことと、しかられたこととどちらが多いかを先生がた、ぜひ自分の学校で子どもたちに聞いてください。温かい優しいことばと、厳しいきついことばと、どちらが多く語られているかを。
 みなさんにとって、どんな子が「いい子」ですか。私は、すべての子どもは、生きていてくれるだけで「いい子」だと。もし、笑顔を浮かべて、目を輝かせて明日を考えてくれたら、それこそ「最高にいい子」なんだと。
 子どもは、ただ笑顔でそこにいてくれるだけで、大人たちにとって、とても幸せなんです。子どもたちは、みんな「いい子」です。私たち大人の宝物、夢なんです。ただ、生きてさえいてくれればいい。もし、笑顔でいてくれればなおいい。私はそう考えています。
 学校を変えませんか。子どもたちが笑顔で日々過ごすことのできる場所に。それは、学習をおろそかにして、遊ぶ時間をつくればいいというのではありません。子どもたちが、自分たちが必要とされていて、正当に評価され、明日の夢をもらえると感じる場になればいいのです。
 そうすることは簡単です。すべての子どもたちのいいところを、すべての先生方で手分けして、どの子どもも一日に10個はきちんと褒めて評価してあげればいいのです。子どもたちが先生に仕事を頼まれたり、褒めてもらえたりすることは、その子どもに自己肯定感、自信を与えます。これが明日を生きる強さとなります。
 子どもたちに「今の幸せ」をあげませんか。「今の幸せ」とは、子どもたちにとって、家庭や学校がとっても温かく、愛に満ちた場所で、優しさと思いやりを日々大人たちから与えられ、多くの友だちと笑顔で過ごすことができることです。
(水谷 修:1956年生まれ 1992年に定時制高校の教師となってから、横浜市を中心に夜の繁華街をパトロールする「夜回り」を始める。 2004年教職を辞し、全国で講演と夜回りを続ける。水谷青少年問題研究所所長、花園大学客員教授)

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全員の子どもが参加する授業にするためには、どのようにすればよいか

 どの子も発表し、説明できるようにしようとすると、発表したくても勇気の出ない子どももいる。どのように説明したらよいのかわからなくて手が挙がらない子どももいる。そんな子どもたちには、発表の仕方に慣れさせることも必要である。その方法は
(1)
友だちの説明をまねて復唱する
 一人の子が説明したとする。「友だちが説明したことを一人1回まねして言ってみましょう」と、それを他の子どもたちに復唱させるのである。これを繰り返して行うと、だんだんと説明の仕方が身に付いてくる。
 また、復唱するためには、子どもたちは、よく聞いていないといけないので、聞くことも身に付けさせることができる。
(2)
隣の子どもに説明してみる
 全員の前でいきなり説明するのは勇気のいることである。
 自分なりの考えができたら、「自分の考えを隣の人に説明してみましょう」と、隣の子に説明してみるということを取り入れるとよい。
全員が参加する授業にするために私が心がけることは
(1)子どもの思考を見極める
 教師の思う通りに授業を進めていくだけでは、いっこうに学級全員で考える楽しさを味わう授業に近づくことはできない。
 大切なのは、今、子どもがどのようなことを考えているのか、子どもの思考に合わせ、子どもの考えを生かす授業をしていくことである。教師は、常に子どもの思考を見極めながら、子どもの思考を整理していくことが必要になってくるのである。
(2)
子どもの話を最後まで心で聞く
 子どもの話を心で聞くということである。教師が、子どもの話を最後までしっかり聞いてあげようという態度で臨むと、周りの子どもたちも、自然と話を聞くようになる。教師と子どもの信頼関係、子どもと子どもの信頼関係を育てることができる。授業は信頼関係の上で成り立つのである。
(3)
子どものしぐさをよく見て、つぶやきをよく聞く
 授業中、めだたない子どもに目を向け、そのしぐさを見ていると、指を動かしたり、授業と関係のありそうなことをしていることがある。すかさず言葉をかけるようにする。
 また、子どもたちは自信がない時は手があがらない。しかし、子どもがふとつぶやいた言葉には、意味のあるものが多い。その言葉を拾って取り上げるのである。このようなことを繰り返すと、だんだんと話をすることにものおじしなくなる。
(4)
手をあげるまで、ちょっと待つ
 教師は、手をあげている子どもだけで授業を進めてはいけない。「ここは、みんなに手をあげてもらいたいな」と思う時は、ちょっと待ってみることも大切である。
 時には、手があがっていない子どもと目を合わせるとよい。そんな子どもに「頑張って手をあげてごらん」と目で語りかけてあげると、少しずつ手があがってくる。
 その時「勇気をだしてよく手をあげたね」とほめてあげる。ここで、注意したいのは、ふだん手をあげない子どもが手をあげた時、つい当ててしまいたくなるが、子どもにとってはたまらない。手をあげると必ず当たってしまうのだから。ときどき当てるぐらいがちょうどいい。
(5)
発表したい子に発表させる
 発表させる子どもをあらかじめ決めておくと、教師の考えで授業を進めてしまいがちになる。発表したい子どもの発表には、教師の思いもよらなかった考えがでてくることもある。
(6)
間違えてしまった子どもの気持ちを考える
 大人も子どもも間違えることはたくさんある。間違えるから次に成長することができる。間違えた子どもががっかりしないように、特に配慮をして「○○ちゃんのおかげて、また一つみんなもかしこくなったね」と言葉をかける。そして、間違いでおわらせるのではなく、どのように修正したらいいかみんなで考えさせるようにしている。
(7)
「ここまでしかわからない」を大切にする
 机間指導では、できかたを見る、どのように考えているかを見るなどの意味がある。子どもとふれあって、安心させてあげるという大きな意味もある。
 私が、子どもたちによく言うのは「途中まででもいいんだよ」「ここまでならわかるということを言ってね」ということである。その後は、その子どもの途中の考えの続きをみんなで考えていく。
(8)
授業はしつけから始まるのではない
 始めにしつけをしてから授業をする教師が多い。中には「いすに座る時は、おへそと机の間をげんこつ一つ分あけて座ります」と話している場合もある。
 私は、これには疑問を持っている。いくらお行儀よく座っていても、子どもたちの目がいきいきしていなければいい授業とは言えない。子どもの姿勢を注意するだけの教師ではなく、子どもの反応を見て、自分の授業をふり返ることのできる教師でありたいものである。
(永田美奈子:青森県公立小学校教師を経て、平成19年度より雙葉学園雙葉小学校勤務。NHK教育番組「わかる算数」出演。全国算数授業研究会幹事、基幹学力研究会幹事等)

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子どもを見る目を鍛えるにはどのようにすればよいか

 教師が子どもを見るとき、授業で教えていることが理解できる、理解できないで子どもを見ている教師が多い。
 教師が力まずに自然な状態になったとき、子どもがよく見えるものである。相性の悪い子どもがいても、教師のほうから子どもを好きになるように見ることが大切である。
 そのために私は子どもたちに、自分のよいところを書いてもらい、それを見て、その子どもを好きになるようにした。
 子どもを見る目を鍛えるには、子どもをとらえるものさしを多く準備し、予測をもって見る訓練をすることである。
 どの子どもでも必ずよいところがあるという愛情のある目で見ることだ。少しでもよいところがあれば、それを見つけてほめるようにする。子どもを育てるには「ほめる」のが早道である。
 また、子どもをよく観察して、その子どもの心にふれるようなことばをかけるようにこころがける。たとえば、自信のない子どもに「うん、面白いね」「これは、きみにしかできないよ!」こういったことばがけで、その子どもが伸びようとする方向に応援するようにした。
 子どもの性格を見ぬくには、たとえば親に相談して聞いてみる。
 あるいは、子どもの目は確かであるから、五人ずつくらい、子どもたちに絶対に公表しないからと「この五人のいいところや、性格を書いてください」といって子どもたちに紙に書いてもらう。これをくりかえすとクラス全員のことがわかる。この方法は有田が新しいクラスをもつと必ずやっていた。
 あるいは、小学校であれば専科の教師に子どものようすを聞いたり、教師が自分で子どもに気づかれないように授業を見ると子どもたちの意外な面を知ることになる。
 子どもの調子は日によって異なるという目で子どもを見る。子どもを見てわかったと思ってもこれでいいかなとふりかえることも必要である。
 また、クラスの子どもたちに「どんな授業がよいかと?」たずねて、子どもたちの求めていることを知り、子どもたちに合うように自分の授業を工夫し改善する必要がある。そうしないと子どもに拒否されることがある。
(
有田和正:1935年生まれ、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授を経て,東北福祉大学教授。教材・授業開発研究所代表。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、授業の名人といわれている)

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子どもが視えなくなったら家庭訪問して保護者と協働づくりを

 子どもが視えなくなったら家庭訪問するとよい。
 子どもの言動の背景には必ず家庭での生活があります。子ども理解には家庭訪問はかかせません。
 家庭訪問は子どもの問題点を伝える機会にしない。
 学校で見ているのは子どもの一面である。担任が知らない面を知ることに重点をおく。例えばあらかじめ「お子さんの、良いところをお聞きします」と伝えておくとよい。
 厳しい生活条件のもとで子育てしている保護者の、その生き様から学ぶという姿勢が必要である。
 また、「お母さんも大変なんですね」と、そのがんばりに共感してこそ、保護者に心を開いてもらえる。
(
磯野雅治:1947年生まれ、元大阪府公立中学校教師。2008年定年退職。学級づくり交流センターるるる塾を主宰、関西大学非常勤講師(教育実践論))

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子どもには二つの顔があることを知った    

 子どもには、学校用と学校の外用とふたつの顔のあることを知った。子どもには、別の顔があるということだった。
 ○○という女の子がいた。ともかく陰気で暗く、ひがみっぽく、だらしなく、そのくせ、あちこちと噂をふりまいて事件をおこしていた。家庭訪問のあと、公園を横切って帰ろうとすると、砂場から楽しげなはずむ声が響いてきた。
 みると、○○が幼い妹と子犬を連れて、砂場であそんでいるのである。「だめよ。ほら、汚れるでしょ」と、まるで母親のような口ぶりで妹を世話しながら、いっしょに砂遊びしている。○○とは犬の話をすれば、素顔を引きだすことができた。
 素顔だと思っている顔はじつは仮面ではないのか。どうしたら学校のなかで素顔を引きだすことができるのだろうか。
 よく見ていると、それは遊びのなかだった。遊んでいるとき、子どもたちは我を忘れて、ほんとうの自分の顔に戻る。これだと思った。その発見から、遊びを奨励し、暇をつくっては子どもといっしょに遊ぶことにした。
 遊びのなかで、子どもたちはほんとうの自分を表現し、教室ではわからない、子どもの新しい積極面を発見することができた。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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授業研究は最終的には子ども研究

 子どもを育て、変容させることが教育の目的だから、授業研究は、最終的には子ども研究でなければならない。
 現在の小学校の授業研究は、子どもの変容を問題にしないで、指導法・技術にかたよっているのではないだろうか。中学校の教師は、内容だけに目をむけ、指導法への取り組みが欠如しているといわれる。
 子ども研究は、教科や教材を媒介にして、子ども一人ひとりがどのように変容するか、ということを捉えることに焦点があり、ねらいがある。したがって、子ども一人ひとりの実態を確かに捉えるところから、授業研究が始まるのである。
 子ども研究は、授業前に、これまでの経験から、一人ひとりの仮のイメージをつくり、授業を通して、これを検討していくのである。
 すなわち、一人ひとりの子どもの発展は、たいてい予測を越えるものであることを考えておいてイメージをまとめ、子どもと教材とのかかわり合いがより深くなるように指導していくのが授業であり、それが同時に子ども研究というわけである。
 また、一人ひとりの子どもの考えを、発展しつつあるもの、そして、把握しようとして把握しきれないものとしてとらえ、子どもたちの言動を幅広く追究し、それを結びつけて理解しようとしなければ、ならないのではないだろうか。
(
有田和正:1935年生まれ、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授を経て,東北福祉大学教授。教材・授業開発研究所代表。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、授業の名人といわれている)

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子どもの心のひだをつかむにはどうすればよいか

 大人は昔、子どもだったので、子どもの心なんか知っているという気持ちが心のどこかにあって、あえて子どもの心を知ろうなどと思わない。そして、事件が起きてはじめて「子どもの心がわからない。昔の子どもはこうではなかった」などと言い出す。
 特に教師たるべき者は、子どもの心をつかむ努力をいつもしておくのが当然である。子どもの見そうなテレビ番組を見るとか、子ども向けのマンガを読むとかして情報を得ることなど、よくやる手である。
 また、子どもと休み時間に遊んだり、清掃を一緒にしたり等も、多くの教師がやっている。子どもと一緒に遊ぶと、教室では見られない子どもの生き生きした顔が見られる。まじめに清掃に取り組んでいる子どもには、感激さえ覚える。子どもをほめる材料はあちこちにある。
 子どもを「勉強ができる」ということだけで「良い」の評価を得て、行動が悪くても、あまり叱られないというのが社会通念としてある。
 授業中の子どもしか見ていないと、子どもの一面しか見ていないので、成績至上主義的な子どもの見方をしかねない。特に子どもの心のひだをつかんでいないので、学級崩壊状態になっても、なぜこうなったのか、教師はつかむことができない。
 このごろ何か学級の子どもの様子がおかしいなと感じたら、子どもと遊ぶとか、子どもと行動を共にして、内面の心のひだをつかむことが必要である。
 子どもと一緒に教師が遊んだり、話したりするのは教師が自己開示することである。子どもは教師の人間性にふれることができ、安心する。
 子どもの心のひだをつかめば、教師は子ども一人ひとりに適した指導ができる。このことが「個を生かす」ということであり、今の教育ではこのことが大切である。
(飛田貞子:東京都の公立小学校教諭を経て小学校校長)

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