カテゴリー「教師の身体表現力」の記事

人と良好なコミュニケーションをとれるようになるには、どうすればよいか

 コミュニケーションにまつわる悩みは尽きない。どんなに話をしても、相手がいっこうに耳を傾けてくれない、悪くすると反発される。まして、人を動かすなんて、カリスマ性がなければ無理だろうと思ってしまう。
 どうすればよいのでしょうか。顔の表情、声の調子、身ぶりなどは、その人の本音を表している。
 コミュニケーションに優れた人の多くが実践しているのが「言葉づかい」「表情」「しぐさ」に気を配ることで、人間関係を良好にしています。
 心理学でいう暗示や無意識を活用した「暗示コミュニケーション」を実践しているのです。
 人間は意識的に行動しているようにみえても、大半は無意識の力によって動かされている。
 この無意識に働きかけるのが「暗示」なのである。暗示をじょうずに使えば、人間関係はもっとラクになると思います。
 初対面の人でも接しやすく、安心感を与える人がいる。瞬時に和ますことができるのだ。
 人の心をつかむには、まずこちらから相手をホッとさせるとよい。
 人に出会ったら、相手の目を見てにこやかに挨拶しよう。その場の空気がパッと明るくなる。
 笑顔にメリハリをつけ、ハキハキとした快活な声を出すだけで、相手は「明るいな」「好感が持てそうだ」と思う。
 私たちは、いつでもニコニコとほほ笑んでいる人が大好きである。どうもこれは生得的な傾向らしい。
 小さくニヤリと笑うと、相手をバカにして見えることがあるので、大きく笑うのがポイントである。生きいきした笑顔でいれば、自然と人が集まってくる。
 相手の表情、みぶり、声のトーン、スピード、呼吸の仕方を合わせると、相手と一体感が増します。
 相手の肩の上がり下がりを見れば呼吸のようすがよくわかる。ひそかに真似て呼吸を合わせるうちに、体のリズムが合ってきます。居心地のよさを感じます。
 人は相手の話を、うなずきながら、最後まで聴いてくれると好意を持ちます。
 しっかりと話を受けとめている気がして「本当にわかってくれている」と思ってしまう。やわらかい表情で、少しオーバーなくらい表情を表すとよい。
 
聴き上手と呼ばれる人は「あいづち」が上手である。会話が盛り上がるかどうかは「あいづち」にかかっている。
 
「あいづち」が上手になるポイントは「あなたの話はすごく楽しいよ」と笑顔たっぷりで微笑みながら、肯定的なあいづちをしてあげることである。
 相手から信頼感を得ようとするには「快活な声」出すとよい。
 声は小さいよりも、大きいほうがいい。大きな声で話すと、快活で積極的なアピールができるからである。声の大きさは、その人の積極性を暗示する。ぼそぼそと話す人は、自信がないように見える。
 私たちは長ったらしい話を聴かされるのは、非常に迷惑なのである。話は短く、さっさとまとめること。
 この原理を守るだけでも、あなたの話力はずいぶんとアップするはずである。印象的なキーワードを散りばめながら、短く話すとよい。
(
内藤誼人:心理学者。アンギルド代表。執筆活動、人材育成、企業研修、講演などで活躍)

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教師が授業で必要な専門的な力や基礎訓練とは何か

 教師は授業者としての専門的な力をもっていなければならない。
 教師としての専門的な力を持っていることによって、教師は授業をつくり出すことができ、授業のなかで、どの子どももが持っている可能性を豊かに引き出すことができるからである。
 教師がそういう専門家となるためには、専門家としての基礎訓練を受けなければならない。
 一般教養とか教材に対する専門的な力を持っていることはとうぜんとした上で、さらに具体的に仕事をする上に必要な、授業の一般的な原則とか技術とか方法を身につけていなければならないことである。
 さらに必要なことの一つは、具体的に子どもと対面した場合の教師の豊かな表現力である。自分の持っている内容とか子どもに伝えたいものとかを、身体とか声とか表情で十分に表現できるということである。
 そういう力が教師にあったとき、授業は豊かになり生きたものとなる。子どもたちは授業のなかに全心身ではいってくるからである。
 いままでの教師は、大学においても現場においても、専門の教師としての技術とか、技術にともなう表現方法とかを専門的に訓練されるということはなかった。
 やはり教師は、技術や表現方法の基礎訓練を大学や現場において受ける必要がある。そうでないと、教師にどんなねがいがあっても、授業は貧相で形式的なものになり味気ないものになってしまうだけである。
 そういう意味で島小学校の教師たちは、自分たちの一般教養を高めたり、人間を豊かにする努力をするとともに、自分たちを解放された表現の豊かな人間になるための努力をした。
 授業実践をし、授業研究・教材研究をするとともに、職員合唱をやったり、職員演劇をやったり、舞踏をやったり、歩く練習をしたりした。朗読とか話し方とかの訓練もした。また、絵や文章をかいて、その合同批評会をしたりもした。
 たとえば、音楽に合わせて、教師全員がいっしょに前後左右に動きながら、さまざまの表現をする練習をする。演出者の指示で教師は表情をさまざまに変える。そこには少しの恥じらいも、てらいもない。外が暗くなるまで練習をした。
 舞踏とかステップとか歩く練習とかは校庭でもした。先生たちが全力をあげて表現している姿から、子どもたちもまたさまざまなものを学び、自分たちを解放していったわけである。
 教師はそういうことができてはじめて解放されていくのである。解放された人間になったとき、授業での自分の表現を豊かで自然なものにしていくことができるわけである。
 またそういう授業をすることによって、さらに表現力も身につき、解放された生き生きとした教師になっていくわけである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)

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笑顔は教師を変え、子どもを変える。教師が変わろうとするかしないかで教師の成長は大きく差が開いていく

 私が大切にしたいと考えていることは「教師自身が変わろうとする力」です。このことを「教師の笑顔」を例にとって考えてみます。
 教師を続けていると「いつも笑顔でいること」のむずかしさを痛感することがあります。正直に言えば、教師が毎日、笑顔でいるのはきつく、簡単なことではありません。決して笑顔で笑えないような状況に陥ることがあります。私が新任教師のころ、本当に仕事がつらく、辞めようかと思ったことが少なくありませんでした。
 「いつも笑顔でいること」を心がけるには、つらいことや苦しいことに対して意識して自分を変えていく必要があります。笑顔でいることができる状況にするということは、日常を変えるということにつながります。そのため「いつも笑顔でいること」ができるように、自分の生活を見直してみることはとても大切なことであり、それが教師として成長につながっていくと考えます。
 私は辞めようかと思ったときに、何がつらいか考えてみました。生活を一つひとつ見直していくうち、通勤時間が長いことに気がつきました。バス通勤でしたので、椅子に座ることができるバスに変えました。そこで読書をするようになりました。読書で私は様々な人に出会うことを通じて、私の表情は笑顔になり、今の私につながりました。
 私の話はちょっとしたことかもしれません。しかし、笑顔になるために毎日の生活を見直し、それを続けていくだけで実は大きな変化があります。
 少し笑ってみてください。子どもたちも笑顔の先生が好きです。子どもたちが自然と集まってくるはずです。笑顔がある日常にすることは、実は教師を変え、子どもを変える第一歩になるのです。
 変わろうとするかしないかで、教師としての成長は大きく差が開いていくのではないかと考えています。
(
長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立・岐阜県公立小学校教師を経て岐阜県公立中学校教師。2004年に「第40回わたしの教育記録」で新採・新人賞を受賞。NPO法人「授業づくりネットワーク」理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、『教師になるには』編集代表、クラス・マネジメント研究会代表)

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教師の指導力は人間性と社会性が土台になる

 教師の指導力を大きく左右するのは、人間性と社会性であると私は考えている。
 現代の教師は、その人間性と社会性が弱いと私はとらえている。豊かで鋭い人間性と社会性を土台にして、はじめて専門的力量が発揮される。
 子どもが心をひらきやすい教師というのは、現実の社会と多様な接点を持ち、その中で生きているということが一つある。教師が学校にベッタリいることがよい教師の条件になることは絶対ない。なぜならば、いろんな場や社会的な活動にかかわらない限り、世の中が見えないからだ。いろんな働く人たちと接点がなければ、今、親たちがどういう労働条件のもとにあるのかがわからない。
 親の労働条件や社会の動きを教師が知らなければ、子どもたちの言っていることの重さは理解できない。何人かの親が「本当に金森学級でよかった」と言う背景には、子どもたちの言っていることの重さをしっかりと受け止めていた、ということがある。
 子どもの立場から言えば、1年間をともに過ごす担任によい感情を持つことができなければ、学校に行くのが苦痛になる。とりわけ小学校の場合、担任と四六時中見て過ごすことになる。一年間、身近に過ごす担任に嫌悪を抱けば、それは日を重ねるごとに増大していく。
 私が教師仲間に芝居を観るのを勧めるのは、しゃべり方や表情ひとつに注意をはらって、出演者がかかりきりで練習し、ひとつの舞台をつくりあげる。ところが教師というのは、しゃべり方や表情ひとつ練習したことがない。表情のとぼしい教師を、子どももやはり好きにはなれない。
(金森俊朗:1946年生れ、元小学校教諭、北陸学院大学教授。「仲間とつながりハッピーになる」教育や人と自然に直に触れ合う命の授業を行う。NHKで日本賞グランプリ受賞)



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すぐれた教師は表現力が豊かである

 すぐれた教師は必ず表現力が豊かである。
 自分の内面から出る豊かな動作とか表情とか声とかで子どもに働きかけ、子どもに深く考えさせていることが多い。
 具体的に子どもと対面した場合、自分の持っている内容とか子どもに伝えたいものとかを、身体とか声とか表情で十分に表現できるということである。
 発問をするにしても説明をするにしても反ばくするにしても、そこには豊かな内容がありリズムがある。
 手の表情などでも多くを語っているし、朗読などでもさまざまなものを子どもに伝えている。
 また、子どもの朗読とか発言とかを、さまざまに拡大したり否定したりして伝いかえをしてやり、その表現によって子どもに考えさせ、子どもの思考や表現を変えていくこともしている。
 子どもの行動や動作なども、教師がそれを極端に表現してやることによって、そのなかにあるよさを明確に認識させたり、駄目な面をはっきりとらえさせ納得させたりしている。
 すぐれた教師にこういうことができるのは、その教師が人間として解放されており、豊かなものを持っているからである。それとともに、授業とか子どもとかのなかに、自分を完全に入れてしまっているからである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者)

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生徒は聴覚と視覚で聞いている、先生は耳と目に訴えることだ

 生徒は、[聴覚にはいるもの]と[視覚に入るもの]この2つの要素で聞いているのである。先生は先ず耳と目に訴えることだ。
 心で聴かせるのはプロの職人の領域である。失礼ながらまだ早い。というのは全国を講演して心で聴かせる先生に塾でも、学校でも会ったことがない。
 実は生徒はわれわれ先生が考えている以上に先生をよく見ている。服装、ネクタイ、頭髪、めがね、におい等だ。
 重要な「視覚」は、表情、アイコンタクト、身振り、手振り、黒板の前での動きである。
 授業の最初の表情は笑みがいい。(自分の勝手な事情で機嫌が悪い先生が多く見られる)
 授業の内容によっては、また生徒を叱る場合は厳しい表情もいい。
 一番避けねばならないのは、軽蔑の表情、無視の表情、やる気のない表情、疲れている表情である。
 身振り、手振りは重要な内容を説明するとき。
 黒板に書いている問題を指で指して生徒の目線を黒板に集中させ、強調するときは拳を上げることも。
 時には生徒が正しい答えを言ったときは拍手したっていいではないか。
(
瀧山敏郎:小学校、中学校、高等学校(教頭)、大学講師、代々木ゼミナール、東進など有名予備校講師(英語)、全国英語研究団体連合会理事を経て、教師アカデミー主宰)

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教師の明るい表情と笑顔は子どもを元気にします

 教師の誰にでもすぐにできて、授業で一番大切なことは「明るい表情」と「笑顔」です。
 「明るい表情」は子どもを元気にします。「笑顔」は子どもを安心させます。これが重要なポイントです。
 教師に「明るい表情」と「笑顔」があれば、授業中に子どもが間違っても、恥ずかしがることなく、リラックスして授業を受けるようになります。
 「この先生は間違った意見を言っても笑顔で認めてくれたぞ」とか「先生はいつも明るい表情なので、意見が言いやすいな」と感じさせるだけでよいのです。
 子どもが感じた気持ちは、知らず知らずのうちに教室中に広がっていき、やがて子どもたちは、間違いを恐れずに意見を言い始めるようになります。
 自分の意見が認められることは、子どもたちの達成感や成就感につながり、次の学習が楽しみになるのです。
 これはまさに、プラスの連鎖です。教師の笑顔や明るい表情でプラスの連鎖ができあがる。そして、この連鎖は、一旦できあがるとなかなか崩れない。
 話した意見が認められることで自信がつき、また意見を言いたくて仕方なくなるという連鎖が生まれ続けるのです。
 いつのまにか、学習を進める際の大きな障害(間違えることが恥ずかしく、学習が嫌いになる)も消えてしまいます。
 教師が明るい雰囲気づくりを心がけると、子どもは授業を楽しむようになり、自己肯定感も高くなるということです。
 そして、プラスの連鎖は、子どもたちを知らず知らずのうちに高め、真の力を引き出すようになるのです。
(
熊谷 純:1967年青森県生まれ、青森県公立小学校教師。基幹学力研究会・算数授業ICT研究会・全国算数授業研究会幹事)

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教育実践ではからだの表現が大切である

 「目は口ほどにものを言い」のことわざがあるように、表情や身ぶりは言葉を補い、意志を伝える役目を果たしています。教師は言葉とともに、からだを自由に表現の手段として駆使できるようになっていなければならない。
 からだを自由に表現できるようになるために、私は小学校や中学校の先生たちに、自分の学級で合唱の指揮をしてみることをすすめています。
 たとえば、担任が合唱の指揮をして練習するときに
「さあ、おなかにもっと息を入れて!」
「ここでは、声を大きくふくらまそう!」
「最初のサクラは遠くの方へ、つぎのサクラは近くに呼びかけよう」
 こういう内容を、言葉で届ける代わりに、からだを使って、表情やみぶりで伝えさえすればよいのです。
 それで十分に合唱の指導をすることできます。小・中学校の先生たちが自分の学級の合唱の指導をぜひやってみてください。
 からだを使って指導することで、他の教科の指導では味わえない子どもとの一体感を経験できるでしょう。
 そして、身体言語の大切さ、教育実践におけるからだの大切さが身にしみてわかるようになると思います。
(横須賀 薫 1937年生まれ、宮城教育大学学長を経て十文字学園女子大学学長。専門は教員養成や授業に関する研究を主に行う)

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笑顔はたくさんの力をくれます

 「いつも笑ってばかりだね」と言われるが、実は人は苦手だった。
 18歳のときバイクで日本一周の旅をしたとき、あらゆる立場の人々と語り合っているうちに「人って捨てたもんじゃない。なんだかおもしろそう」と素直に笑って受け入れられるようになりました。
 笑顔は筋肉がゆるみ無駄な力が入らないので、スポーツ界では強さの源です。笑うと相手の動きが見えてきて、冷静に対処できます。
 また、木がしなるように失望も失敗も笑えば折れることなく、方策が見つかり解決できました。
 山村で行われた健康講座を聞いたとき「どうしても笑えないのであれば、カタチから入ればいいんですよ。親指と人差し指で口の端を引き上げてみてください」と言った講師のマッサージ師の言葉は人々に衝撃を与えました。
 笑うと心がばっと広くなります。身体が柔軟になり、見方が広がり道が見えてきます。
 笑う人は、焦らない。こだわらない。決めつけない。批判しない。ひげしない。見失わない。だから笑う人は、運も呼び込んでしまうのでしょう。
(
山村レイコ:1957年東京都生まれ、日本一周バイクツーリング旅行をまとめた「日本一周乙女の独り旅」をバイク雑誌に寄稿したことから、エッセイストとしての活動をはじめた。1992年チュニジアラリー女性クラス優勝、1997年ダカール・アガデス・ダカールラリー 女性クラス優勝。エッセイスト、国際ラリースト)

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笑顔は相手の心を豊かにしてくれます

 渡辺はシスター(キリスト教において修道女をシスターと呼ぶ)といっても、いつも心が平穏であるはずがありません。心ない人の言葉や態度に傷つきます。思うようにいかない物事に心をさわがせ、身体の不調で笑顔がむつかしいことがあります。
 渡辺は管理職という立場にいることもあって、人前では明るくふるまい、笑顔でいるように心がけています。暗い顔をして、他の人まで暗くする権利はないと自分に言いきかせています。
 渡辺にとって、笑顔で生きることに意味を与えられたのは、「ほほえみ」という詩との出会いでした。

「ほほえみ」
 もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったなら
 不愉快になる代わりに
 あなたの方から ほほえみかけてごらんなさい
 ほほえみを忘れた人ほど
 それを必要とする人は いないのだから

 それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔であると同時に、相手の出方に左右されることなく、渡辺の人生を笑顔で生きるという、主体性の表れとしての笑顔へと変わってゆきました。
 この転換は、渡辺に二つの発見をもたらしてくれました。
(1)
物事がうまくいかないときに、「笑顔でいると、不思議に問題が解決することがある」ということです。
(2)
自分自身との戦いの末に身についたほほえみには、他人の心を癒す力があるということです。
 とってつけたような笑顔でなく、職業的スマイルでもなく、苦しみという土壌に咲いたほほえみは、ほほえまれた相手にとっては、心が豊かになるのです。
(
渡辺和子:1927年生まれ ノートルダム清心学園理事長)

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