カテゴリー「危機管理」の記事

学校の危機管理をどのような心構えで解決すればよいか    近藤昭一

 学校の危機管理をどのような心構えで解決すればよいか近藤昭一はつぎのように述べています。
 学校の危機が起きたとき、逃げずにリスクを覚悟する責任感がまず必要である。
 危機管理の行動の出発点は、情報の収集である。
 そこから導き出す、事実の把握(情報や事実からから見えてくる問題点)である。
 この初動の二つの段階は重要で、この段階の失敗は取り返しのつかない事態を招き、学校が社会的信頼を一気に失ってしまいます。
 この段階で、学校はいかに多くの情報を集め、迅速に事実を把握するかが、まさに勝負である。
 これを乗り切る組織行動力と校長の先を見通すセンスが明暗を分けることになります。
 事実把握によって問題点が見えてきた段階で、子どもを第一とする対応目標の設定を行います。
 重要度や緊急度を判断して優先順位を指定していきます。
 この対応目標に応じて、対応計画を立てます。
 プライバシーの管理や警察判断優先など、対応の原則を確認し、本部が具体的な行動を指令して組織行動が行われます。
 ここで重要なことは、相手の反応や状況の変化、新しい情報の取得などによって、対応目標の検証と修正が柔軟に行われなければならないことです。
 組織行動を継続して、事態の収拾、問題解決を実現するようにします。
 問題が解決したあと、なぜ、このような危機が発生したのか、その要因は何か、これまでの不備は何か、などを振り返ります。組織や対応、教育活動の見直しを行って、再発防止策を打ち立てます。
 学校の危機が発生したとき適切な本部判断が成り立てば、
「当該の子どもや家族へのケアや対応」
「他の関係する子どもや保護者への対応」
「教育委員会への報告や相談」
「マスコミへの対応」
「関係機関や地域社会との連携・協働」
 など、必要な対応は円滑に進行していきます。
 こうした場面で校長に求められることは、
「適材適所の職員配置」
「問題の核心を見ぬく力量」
「学校が負うべき責任は自ら進んで負うという覚悟」
「当該の子どもをはじめ、すべての関係者に対する誠実な対応姿勢」
 です。
 ことなかれ主義で逃げることは社会的な信頼失墜に直結するものであり、なによりも誠実な対応が求められます。
 どのような危機場面であっても、子どものために最善を尽くし、子どもの幸福につながる行動をとり続ける。
「子どもを第一とする判断」に学校の存在意義がある。
 このことを信念とすることができている教師の人間性が、多くの人々の理解と問題解決を獲得する切り札になるのではないでしょうか。
(近藤昭一:1951年生まれ、22年間横浜市立中学校教師、同校長、教育委員会部長、横浜市教育センター所長、玉川大学客員教授を経て神奈川大学特任教授)

 

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事故が起こったとき保護者に対してどのように対応すればよいか

 困ったなと考えず、保護者と信頼関係を築くよい機会と前向きに受け止めることである。
 親は人それぞれ異なるものさし(基準)を持っている。
 これを理解することが、相手の立場に立ったスタートなのである。
 親を変えることができる。教師に子どもがほめられるとうれしいのが親心である。
 日ごろ、子どもに対する愛情と情熱を持って接していれば、教師のその誠実さは、子どもを介して必ず親に伝わるものである。
 人間は攻めに強く、守りに入ると弱いという習性を持っているものである。
 どのような場合でも、攻める気持ちを忘れないことだ。絶対にひるまないこと。
 事案が発生した場合、より早く校長に報告が届き、校長が事実を正確に把握して、正しい判断をすることが大切である。
 これを誤ると打つ手がすべて後手となり、学校の対応のまずさに外部から大きな非難をあびることになる。
 詫びると決めたら説明責任を果たし、徹底して親が感心するくらい頭を下げることが大切。
「校長先生にそこまで頭を下げられたらどうしょうもないな」と言わしめるまで。中途半端だと「しっかり謝れ、なんだその頭の下げ方は」となる。
 また、詫びないと決めたら最後までひるむことなく、毅然とした態度をとること。
 校長の方針がブレると、もっと傷口を大きくする。
 つぎに、教職員全員に「何が起きたのか」緊急事態の発生を周知徹底し、子どもの安全を確保する手だてを組織的に迅速に講ずることである。
 そのために、職員室の黒板に新しい情報や判明したことを誰でも書き加えていくことである。
 さらに、教育委員会、警察など関係機関に連絡し、指導を受けると共に、連携を図ることが大切である。
 事案によっては親に緊急事態の発生を知らせ、子どもの引き取りや安全な下校の措置をとらなければならない。
 親からの問い合わせに説明が異ならないよう、電話受理体制を確立する。
 もし、負傷者が出た場合は、親にかかりつけの病院があるか確認し、速やかに医師の診断を受けさせる。
 親への第一報は極めて大切で、今後の話し合いの成否を左右するといっても過言ではない。
 何よりも大事なのはスピード。
 誠意ある素早い対応が、その後の責任追及を緩和した例は極めて多い。
 緊急事態が発生したときは、正確さより早さを優先すべきである。
 正確さは後で補正できるが、早さはカバーできない。
 悪い状況というものは、時間が経過すればするほど拡大し、手がつけられなくなるものだ。そうなると解決の選択肢も限られてしまう。
 事案が発生したらならば、今の時代、必ず訴訟を起こされるとの心構えで事に当たらなければならない。
 法廷に立ったとき、親からの苦情を受けたとき、自分を守ってくれるのは、経過を記したメモである。
 客観的事実のみを箇条書きにするとよい。
 記録がなければ誰もその事実を証明してくれない。
 公式に認められるのは言葉ではなく文字。そのメモが後日、免責の契機となることもあるのだ。
(
星 幸広:元千葉県警察署長等を歴任し、子育て・しつけや学校危機管理に関する講演を全国的に展開している)

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教室で地震から子どもを守るにはどうすればよいか

 地震発生と同時に教室は、大きく揺れる。
 落下物等から身を守るため頭を体に丸め机の下に潜らせる。
 同時に防災ずきんやヘルメットを子どもたちに着用させ、教師も着用する。
 常に子どもたちを大きな声で指示し、励まし続ける。
 緊急放送で、身の安全を図る指示を繰り返し出す。
 初期の揺れが収まると直ちに、教室の出入り口の戸をしっかり開き誘導する。
 そして校庭(雨天時は体育館、海の近くで津波の恐れがある場合は高台・上層階に避難させる)等の安全な場所に避難する。
 その際、窓際、倒壊物、落下のおそれのある物から離れ避難するようにする。
 笛やメガホンを使い、子どもたちを指示し励ます。
 避難したら、すぐに人員点呼をして安全の確認を行う。
 未確認の子がいたら、複数の教師で捜査を行う。そして心身の状況を把握する。
 救護班による急患・けがの子どもたちの応急手当をする。
 本部の指示により、学校体育館等の第2次避難場所に子どもたちを誘導する。
 保護者に引き取りの連絡をする。引き取りが困難な場合は、保護体制をとる。
(寺尾 央:元小学校長、玉川大学講師)

 

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教師の過失による責任はどこまで?

 過失とは、注意義務の違反のことをいう。
 犯罪に対する認識が欠如し、不注意によって犯罪的結果を生じさせることである。
 注意義務は結果の予見可能性と結果の回避可能性を前提としている。
 法律は不可能を要求することはないから、履行できる可能性がない場合は、義務も発生しないのである。
 教職員が業務上過失致死傷罪に問われた事例をいくつかみてみる。
(1)プールの事故
 宮城県丸森町の小学校のプールで、6年生の男子が排水口に足を吸い込まれて水死した事故で、校長ら教員3名が業務上過失致死傷罪に問われたが、仙台地方検察庁はこれら教員を平成7年に起訴猶予処分とした。
 理由は、プールのふたの固定を求めた文部省通達を守らない過失があったが、何年も事故が起こらなかったため事故の予見が難しかった、と説明したと伝えられている。
 しかし、この種の事故は決して少なくない。充分防止可能であったと思われ、今後の貴重な教訓としなければならない。
(2)校門の事故
 兵庫県立高校において、朝の登校時に門限とともに生活指導担当教員が校門を閉めた際に、生徒が校門に殺到し、その中の一人の生徒が門扉に頭部を挟まれて死亡した。
 教員(事件後に懲戒免職)は傷害致死罪で告訴されたが、担当検察官は業務上過失致死傷罪で教員を起訴した。
 裁判では教員は無罪を主張したが、裁判所は事故の予見可能性を肯定し、禁錮1年、執行猶予2年の有罪判決を下した。
 この事案では、校門を閉めた教員のみが起訴されたが、事件のあった学校では門限での校門閉鎖が毎日行われていたとのことであるから、管理職を含む他の教員もその責任を問われる可能性が十分存在したものと思われる。
 なお、教職員が業務上過失致死傷罪で有罪となった場合でも、特に傷害を負わせたにとどまる場合は、罰金刑ですむ可能性も高く、死亡に至った場合で懲役が言い渡される場合でも執行猶予が付される可能性は高い。
 過失の注意義務の内容が結果の予見義務から始まることから、事故防止の準備が極めて重要であることはいうまでもない。
 準備不足からの事故発生では業務上過失致死傷罪の回避は困難となる。
(関口 博・菊池幸夫:弁護士)

 

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清掃中ほうき遊びで子どもが視力障害を負ったときの教師の責任は?

 清掃時間中に、中学生が友だちとほうきでホッケー遊びをしていて、友だちの持っていたほうきの先が飛んで左眼に当たり、視力障害を負ったとき、責任はあるのか?
 この事案はつぎのようである。
 ほうきの安全性を判断するにあたっては、ほうきが振り回されるなどして、そこに相当の衝撃が加えられることがあることも考慮に入れたうえで、そのように使用されたとしても安全性が具備されているか否かを判断すべきである。
 ほうきの先端部分と柄の部分を結ぶネジが相当緩んでいるなどして、衝撃により外れやすい状態になっていた。
 衝撃の加え方によっては柄から先端部分が飛び、周囲の人にぶつかって損傷を与える危険性があったものと推認される。
 本件のほうきは通常有すべき安全性を欠いていたといわざるを得ず、本件のほうきの設置又は管理には瑕疵(過失)があったと言うべきである。
(関口 博・菊池幸夫:弁護士)

 

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教職員が一体となって危機管理に取り組むには、どうすればよいか

 危機管理においては、教職員の共通理解と行動が重要な条件となる。
(1)事前にしておくこと
 何が問題になるかを教職員に知らせておくことから始めたい。
 他で発生した危機を報道などを通して情報収集し、自分の学校にあてはめて十分検討しておく。
 また、そこでの結果を知らせ、危機状態にならないための工夫をしておく。
(2)起きてしまったときの対応
 最初の一手を即座に打つこと。
 特に連携系統の確保が欠かせない。
 また、説明責任が伴う。この対応は子ども中心である。
 保身に走らないほうが傷は少ないと考えるべきである。
 全教職員がそういった意識で動くよう理念の共有がポイントである。
(3)日常的な配慮も重要
 教師としてのルーチンワークを再確認しておきたい。
 日常の人間関係はどうか、互いに信頼し合える職場かどうかも重要な視点なのである。
 危機状況で動ける学校の基本はここにある。
(阪根健二:1954年神戸市生まれ、香川県公立中学校教頭、指導主事、鳴門教育大学教授を経て特命教授。 研究内容は学校教育学(危機管理、教職論、生徒指導))

 

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一人の女性教師が「やればできるんよ」と荒れた学校を立て直した、その方法とは

 広島県のある高等学校。この高校は、かつて県内一の落ちこぼれて荒れた学校だった。それを変えたのは、一人の女性教師だった。
 2001年に山廣康子さんは教頭としてこの学校に赴任した。
 教師すら指導を諦めていたこの高校は、落ちこぼれの受け皿校と呼ばれていた。
 喫煙、暴力、万引き、いじめが横行し、すがすがしいはずの新学期一日目に廊下はゴミで溢れていた。
 生徒たちが春の遠足で市内の動物園を回っていた。1年生のTくんは、入学以来何度かいじめにあっていた。彼は遠足中にも生徒に難癖をつけられて集団暴行を受けた。
 ところが引率の教師たちは遠足から学校に戻ると、山廣教頭に「何も問題は起こりませんでした」と事件の表面化を避けるために嘘の報告をしたのだ。
 山廣教頭はこの事実を別の教師から聞き、問題の教師たちに理由を聞いた。
 彼らは「放っておけば問題は収まりますから」「どうせ一番悪い生徒たちは辞めていきますから」と答えた。
 山廣先生は、目の前の教師に恐ろしさを感じた。生徒たちをなんとかしたいと思う山廣教頭にとって、最大の壁はこの無気力な教師たちだったのだ。
 集団暴行事件に端から始まった騒動は、1学期が終わるまで、校内を混乱の渦に巻き込んだ。
 山廣教頭と教師たちは、被害にあった生徒の送り迎えに追われた。
「いじめや暴力は絶対に許さない、安全な学校にしよう」という決意を固めていた。
 山廣教頭は全校生徒を体育館に集め、一大演説をぶつことに決めた。
「いじめや暴力に遭っている人は、絶対に守ってあげます。先生を信じて隠さないように。厳しい処分で対処します! いじめや暴力は絶対に許しません」
 と、激しい口調で演説した。
 また、加害者の保護者を集め、事件の経緯と学校の方針を明確にした。
 山廣教頭は、
「生徒たちの生活習慣を確立させたい。規範意識を高めたい。自律心を持たせて、自分や相手を大切にするよう導きたい」とその思いを、ぜひとも保護者に理解してもらいたかったからだ。
「親にとって、どの生徒もかけがえのない、かわいい子どもです。学校にとっても大切な生徒です」
「もし、被害者の子の親だったら、どんな気持ちになるか、考えながら聞いてください」
 と、被害者がどんな目にあい、どんなつらい思いをしたか事実を克明に説明した。
 凄惨な場面の一部始終を話す時には、山廣教頭は声がふるえ、涙が出そうになった。
 途中「むごすぎる」と泣き出し、廊下に出る保護者もあり「被害者に謝罪させてほしい」という声もあがった。
「被害者には私たち学校が、責任を持って対処します。安全で安心な学校生活が送れるよう全力でがんばります」
「そのためには、みなさんのお子さんに、心から反省をさせなければなりません」
「現状をしっかり見つめ、学校と連携し、力を合わせてがんばりましょう。何より大切なのは親の愛情です」
 その日を契機に、保護者の口から子どもに対する愛情や熱意、期待などを直接聴くことが多くなった。
 山廣教頭は逐一それらの言葉を生徒に伝えるようにした。
「幸せだね、お母さんがこんなことを言っていたよ。これほど両親から思われているなんて」
「がんばって親孝行しんさい。あなたが学校でがんばることが最大の親孝行なんだから」
 保護者と生徒の架け橋になることで、なんとか生徒たちを更正させようと必死だった。
 最初のうちは無表情で話を聞き流している生徒や、恥ずかしいのか顔を反らして聞こえないふりをする生徒が多かったが、次第に素直に聞き入るようになっていった。
 うれしいことに、徐々に生徒のほうからも、家庭での生活や親のことを笑顔で話してくれるようになったのである。
 山廣教頭は保護者と生徒の関係が少しずつ変わっていると、そう肌で感じるようになった。
 山廣教頭は、赴任した当初から職員室もふくめ学校の汚さにへきえきしていた。
 学校が荒れているせいなのか、だれも校内を清掃しない。ゴミは散らかり放題。生徒や教師も積極的に掃除をしようとしない。
 学校改革の最初の一歩は職員室の掃除だったかもしれない。山廣教頭は流し、食器棚などを徹底的に掃除をした。そのほかにも、机の配置換え、不要物の処分などを行った。
 同時に山廣教頭は、校内の掃除にも取りかかった。まずは自ら行動で示そうと思ったのである。廊下や階段を、毎日黙々と掃除した。
 休憩時間のたびに、生徒たちが出てきて、パンの袋やジュースの紙パックを捨て、生徒がツバを吐くので、廊下や階段の汚れは目を覆いたくなるほど不快だった。
 山廣教頭がトイレットペーパーでツバを拭き取り、そのあとをモップで拭く。きれいにすると、生徒がまたツバを吐き、散らかす。それをまた掃除する。その繰り返しだった。
 山廣教頭が掃除をしていても、教師たちは、避けて通ったり、ごくろうさまの言葉もなかった。結局、手伝ってくれたのは、一人の女性教師だけであった。荒れた校舎の光景が、教師や生徒の心象風景であるかのように感じた。
 夏休み前のある日、ふと校門から校舎に登っていく70段の階段を見て山廣教頭は思った。
 階段はいつもゴミだらけ。生徒は掃除をしないし、教師もさせるつもりがない。これでは、いつまでたってもきれいになるはずがない。
 そこに、ずらっと花を植えたらどうなるだろうか。そう思った瞬間「ゴミの代わりに花を植えてやれ」と決心した。
 決めたらすぐ動くのが、山廣教頭の身上。体育教師の協力を得て、プランター100個に、ベゴニア、サルビア、ペチュニアなどの花を植えた。九月の始業式には見事に咲きそろい、学校の校門の前は見違えるようにきれいになった。
 学校を再生するためには、まず教師の意識を変えなくてはならない、というのが赴任した当初からの、山廣教頭の考えだった。
 というのも、教師たちの大半が、都合の悪いことはすべて社会のせい、他人のせいにしていたからである。
「生徒を受け入れてやらなければ」と言うけれど、それでは生徒のためにはならない。そのまま社会に出したら、生徒たちは間違いなく切り捨てられる。
 生徒たちを受け入れ、救うと言いながら、生徒たちの行動を放置し、容認するだけという野放しの状態。いったん、このように割り切れば教師はとても楽である。
 教師たちはみんな、口では「大変だ、大変だ」と言っていたが、生徒指導も進学指導も、教材研究も、クラブ指導も十分にしないのである。
 教師にとって、こんな楽な学校はない。授業中寝ていてもオーケー。制服を着ていなくてもオーケー。
 このままでは、この子たちは落ちるとこまで落ちてしまう。山廣教頭は危機感を持っていた。とはいえ、いきなり教師たちの意識を変えることはできない。
 そこでまずは、生徒を指導するという、教師としてごく当たり前の意識を芽生えさせようと思いついた。
 夏休みの間に教師を集めて会議や研修を行い、いくつか提案することにした。
 まず、提案したのは、遅刻指導をするということ。しかし、教師たちは、ことごとく反対した。「では、ゆっくりやりましょう」と、ひたすらなだめ、こんこんと説得を続けた。
 次に服装指導を提案した。私は、まず身だしなみをきちんとしなければ生徒たちの意識は変わらない、という確固たる信念をもっていた。
 職員会議を延々と続け、ようやく、遅刻指導から行うことが決定した。
 服装指導は、とりあえず、山廣教頭をはじめ生徒指導部の教師が積極的に指導することで落ち着いた。
 早速、二学期の始業式から、校門の前に遅刻指導のテントを張った。教師が交代で常時テントにいるような体制を整えた。
 実質的には「出入り指導」であった。
 朝、遅刻してくる生徒はもちろん、授業中に勝手に学校に出入りする生徒をチェックする機能も兼ねていたからだ。
 出入りする生徒を呼び止めて、話をして、少しずつ人間関係を築いていく。それが、この指導の目的でもあった。
 1カ月、2カ月と続けるうちに、遅刻指導のテントは、次第に効果をあげ始めた。
 遅刻が目に見えて減少し、さらに、生徒と教師の関係が密になった。
 テントの前で、一対一で話をすることができるため、生徒が勉強、家庭、恋いの悩みを打ち明けることなどが次第に多くなったからだ。
 同時に、教師間で生徒たちに関する情報の共有化も図れるようになったのである。
 山廣教頭は、環境が変われば人も変わると信じていた。
 学校改革を進める山廣教頭に、全国の学校や駅のトイレを掃除するボランティア団体『広島掃除に学ぶ会』との出会いで、ある考えが浮かんだ。
 山廣教頭は、学校が休みの日に生徒たちと一緒に校内のトイレ掃除をしようと提案したのだ。
 3ヵ月をかけ徐々に準備をしていくことにした。「掃除に学ぶ会」の機関誌を各教室に配布したり、会の活動内容や、全国各地の参加者の体験発表などを紹介して、生徒たちに参加を呼びかけた。
 当日たくさんの生徒を動員しようと、山廣教頭は生徒たちの自宅に個別に電話をかけ始めた。「教頭の山廣ですが・・・」電話に出た生徒や保護者は、何ごとかと驚いた様子だった。
 しかし、主旨を説明すると「わかりました。参加します」と、一様に保護者たちも理解を示してくれた。
「友だちも誘ってね」と、そんなふうに、人間関係が築けている生徒、一人ひとりに電話をかけて「出てね、出てね」と頼みまくった。
 ふだんから積極的に生徒に声をかけていたので、そのネットワークを生かして、生徒集めに奔走した。
 また、問題行動を起こした生徒は自動的にトイレ掃除に参加させる方法をとった。
 一方、教師たちには半ば強制的に参加を促した。
「各クラスの問題行動を起こした生徒がトイレ掃除に出るのだから、その担任も一緒に参加するように」
 そうした結果、当日は、生徒や教師はもちろん、PTAや同窓会の人々、「広島掃除に学ぶ会」のメンバーや、県警や県教委の関係者、そしてイエローハットの鍵山相談役など、総勢300名が参加することとなった。
 さらに話題性があるということから、地元の新聞社やテレビ局などが、大挙して取材に訪れるという一大事に発展していった。
 無気力だった教師たちの目つきも変わり、懸命にトイレ掃除をした。その姿を見て、問題の生徒たちも掃除に参加した。トイレ掃除を始めると、嫌悪感も忘れみんなどんどん集中していった。
 トイレ掃除は思わく以上に大成功だった。山廣教頭にとって、生徒たちが熱心に取り組んでいる姿は意外だったし、正直、生徒たちがここまでやるとは思っていなかった。
 このトイレ掃除で得られたことは、トイレをきれいにした、という充実感だけではない。
 大勢の人々と一緒になり、一つの目的に向かうことで生まれる共有体験も得られるのだ。特に問題行動を起こす生徒たちにとって、大人と一緒に何かに取り組むという経験は、新鮮なことに違いなかった。
 もともとこの学校の生徒たちは、大人に対する不信感が非常に強い。
「どうせオレらは、ダメなんだけー、相手にしてくれるはずがないじゃん」と、投げやりなところが見られる。劣等感が強く、世の中を肯定的にとらえられない。
 そこへ、これだけの大人が自分たちの学校へやって来て、新聞やテレビも取材してくれた。
 問題を起こしての報道ではない。「オレらでも注目されるんだ」という事実が、生徒たちを力づけた部分も大きかったのだろう。
 トイレ掃除終了後、体育館に集合して、全員でおむすびとみそ汁を食べながら、体験発表をした。
「初めは抵抗があったけれど、きれいになっていくのが楽しかった」と、どの生徒も晴れ晴れとした表情で、口をそろえてそう言った。
 翌朝、遅刻指導で校門に立っていると、声をかけてくる生徒がいた。「先生、おはよう」と、山廣教頭に敵対心をむきだしにしていた問題行動の常習犯の生徒だった。
 トイレ掃除を機に、学校全体の空気が、少しずつ変わり出していく気配があった。
「掃除に学ぶ会」の方たちの姿を見て、自分たちの学校は自分たちの手できれいにしようという意識が芽生えてきたようだった。
 それ以来、教室を掃除しようとか、ゴミのポイ捨てをやめようという動きが、教師や生徒たちの間に、徐々にではあったが、自然に生まれていった。
 学校が少しずつきれいになることで、生徒や教師の心が安定するという変化が起きているようだ。
 翌年の夏にはトイレ掃除だけでなく荒れたグランドの草刈りが行われ、その成果として7年振りに体育祭が開催されたのだ。不良グループのリーダーは盛り上げ役のリーダーになっていた。
 山廣教頭は、何か特別なことが起こったのではなく、地道にこつこつと積み重ねて来たことが成果として大きく現れたのだと話す。
 4月、高校に新たな入学生たちがやってきた。そこにかつての荒れた学校の影はもうない。山廣教頭の学校改革は、着実に成果を上げたのである。
(山廣康子:1949年生まれ 元広島県公立高校校長。荒れた学校をトイレを掃除するボランティア団体の協力を得て、学校を立て直した)

 

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トラブル対応は初期が最も重要である、「トラブルは恥」という意識は捨てよう

 トラブル対応は、初期段階が最も重要です。
 教職員の精神の健康管理のためにも、指導の悩みやトラブルに関する相談を出し合い、情報を得ることのできる雰囲気を職員室につくろう。
 近年は、教職員評価制度が導入されたことで、管理職にトラブルを知られることを避ける教師が増えているようです。
 仕事上の悩みや相談を気軽に口にできない雰囲気が職員室にまんえんすると、トラブルが管理職の耳に入ったときには、手の付けられない状況になってしまいます。
 学校ではトラブルが起きるのが当たり前と考えるのがふつうです。
「学校はトラブルがあって当たり前」であることを、管理職が機会あるごとに伝えていくことが必要です。
 その機会を積極的につくるためにも、管理職はすべての教職員との会話を毎日欠かさないことです。
 管理職が教職員と個別に話をし、聞いていると、必ず子どもの指導に対する悩みやトラブル対応などについて、教職員が口にするようになります。
 何かと課題の多い教育現場において、何の悩みも抱かえていない教師は、誰一人いません。
 教職員の本音を引き出すことができるのは、管理職しかいません。
 活動的で自己主張のかたまりのような子どもたちが集まるのが学校です。
 友だちとの摩擦を経験して、子どもたちは成長していきます。
 ですから、どんなに学級経営がうまくいっているクラスでも、毎日、必ず些細ないざこざは起きているはずです。
 その些細なトラブルに対して、教師がどのような初期対応をとるかによって、クラスがさらにまとまるのか、逆に大きな問題に発展するのかが決まります。
 大きなトラブルに発展してしまった事案の中には、初期対応をもっと丁寧にやっていたら、大きな問題にはならなかったというものが、たくさんあります。
 子どものトラブルも保護者対応も、初期対応が8~9割の比重を占めると言って過言ではありません。
 的確な初期対応をとるためには、些細な問題を出し合うことのできる雰囲気を職員室につくることが大切です。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校校長。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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危機は不意に起こる、危機に強い学校とは、どのような学校か

 危機は不意に起こる。パニックにならないためには、想定しておくことだろう。
 先を読み、事前の予防や回避策が重要なのである。
 危機に強い学校とは、危機を想定した対応のシステム化を常に意識していることである。
 危機が発生したとき、何をどういう視点で、どこまで行うのかを瞬時に判断できるよう事前にマニュアルを作成し、事が起こった時はシステムとして対応できる学校である。
 また、システムの更新の工夫も検討し、保護者との信頼関係を構築することも重要である。
 学校で問題が発生した場合は、パニック状態になり、有効な手だてがとれないと思っていい。そこで、次のポイントを常に意識している学校が、危機に強い学校といえる。
1 早く慎重に最初の一手を打っておく(早く、慎重に)
 危機が発生すれば、混乱状態が予想される。
 即座に最初の一手を打っておくことだ。たとえそれが最善の一手でなくても、時間が稼げることで、冷静に対応することが可能となる。この一手が職員の判断力・決断力なのである。
2 何をどこまで知らせるか範囲を即座に決める
 内容によっては、学校内だけでは留めておけないこともある。逆に、人権的配慮から、あえて公表の必要がないものもある。隠匿が後で大きな問題に発展しかねない。
 どこまで公表するかは管理職の裁量権である。ただ、昨今は公開が原則になっている。マスコミ対応もここにある。監督権者との意思疎通が欠かせない。
3 社会的な視点から問題を考える(誰が見ても、おかしいことぱおかしい)
 発生した危機を教職員以外の者が聞くとどう思うかという視点で考えて欲しい。
 マスコミ報道で学校の対応が叩かれるのは、実はこの視点なのである。そのため、教職員の声はもちろん、PTA等など他の意見を聞くことも一案であろう。
4 教職員が一体となって取り組む
 危機対応においては、教職員の共通理解と行動が重要である。
(1)事前にしておくこと
 何が問題になるのかを教職員に知らせることから始めたい。
 他で発生した危機情報を収集し、自校にあてはめて検討しておく。その結果を知らせ、危機状態にならないための工夫を施しておく。
(2)起きてしまった時の対応
 最初の一手を即座に打つ。特に連絡系統の確保が欠かせない。
 また、子どもたちに対する説明責任が伴う。保身に走らないほうが傷は少ないと考えるべきである。
(3)日常的な配慮も重要
 日常の教職員の人間関係はどうか、互いに信頼し合えるかどうかも重要な視点である。危機状況で動ける学校の基本はここにある。
5 メディア対応
 危機対応ではマスコミ対応の視点が必要である。
 学校では、子ども、保護者、地域に対する影響が懸念される。したがって、迅速な対応が基本である。早期の対応がその後を決める。
(1)マスコミ報道は排除できない
(2)事実は隠蔽できない
 先手を打っておく。例えば、教育委員会への事故報告(速報)であり、PTAへの説明である。
 事故の経緯、原因や動機、対処、今後の方針を明らかにしておきたい。
(3)学校は社会的な認識をもって対応しないといけない
 気になることは、日頃から保護者を交え、十分話し合っておきたい。保護者との信頼関係があれば、風評にもならない。
「こんな報道をするほうが問題だ」と受け入れない意識が、問題を繰り返す元凶となる。
(4)記者と誠意をもって対応する
 記者は不足する情報を周囲から補強する。その情報は大体批判的なものと考えたほうがいい。こうした情報を含む報道が世間を騒がせているのである。
 誠実な対応とは、記者にとって必要な5W1Hを提供し、出せない個人情報などはきちんと説明することである。
 記者は、まわりくどい専門的な説明を嫌う。教職員は概してそういった説明をしがちである。
(阪根健二:1954年神戸市生まれ、香川県坂出市立中学校教師、香川県教育委員会主任指導主事、坂出市立中学校教頭、香川大学助教授を経て鳴門教育大学教授。専門は学校教育学(危機管理、教職論、生徒指導)

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子どもが学校でケガをし、痛みもないとき、どう対応すればよいか

 休み時間に「先生、階段で転んでしまいました」と、報告を受けました。特に痛みもなさそうなので「気をつけてね」とだけ返事をしましたが、対応はどうすればよいのでしょうか。
 緊急措置の必要性を判断して対応し、保護者へ連絡をしましょう。
 対応のポイントは
1 「まぁ、いいか」は厳禁
 子どもたちから「転んでしまいました」「運動場で転んで頭を打ちました」というような報告はよく受けます。
 子どもたちがケロッとしていると、つい教師も「まぁ、いいか」と安心して過ごしがちですが、これは絶対にしてはならない対応です。
 すぐに、担任自身でケガの状態をチェックし、保健室へ連れて行くなどの適切な措置を講じなければなりません。
2 「念のため」という気持ちが大切
 子どもは自分自身がケガをしていても、見逃してしまうことがあります。
 学校内における子どもたちのことは、教師が保護者の代わりに責任をもって見てあげなくてはいけません。
 学校で起きたことの責任は教師にあります。常に「念のため」という用心深い気持ちが大切です。
3 弁護士からのアドバイス
 ケガについては、事前の防止の点において、学校側に落ち度がない場合でも、教師には事故後に適切な措置をとり、損害を最小限に抑える責務があります。
 例えば、授業中にボールが目に当たったとき、外観上の異常が見られず、子どもも「大丈夫」と答えたが、後の健康診断で網膜剥離が判明し、保護者への通知義務が問題となった裁判例もあります。(この事案では責任否定)
 まずは、子どもから詳しく事故の状況を聞き、緊急の手当てや保護者への通知の必要性の有無など、慎重に判断しましょう。
 教師には、事故後、適切な措置を講ずることで被害を最小限にとどめる義務があります。
 事故の内容、状況、子どもの年齢・判断能力などの事情によって保護者への報告義務も問題とされる場合があります。
(丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)
(大西隆司:1976年奈良県生まれ、弁護士)

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