カテゴリー「教育の技術」の記事

子どもの話を最後まで聴くだけでなく、助言・指示・支持・説得の技術を使いこなさないと教育はできない

「情熱だけでは教師はつとまらない」というのが私の持論である。教師になりたくて教師になったのに、子どもたちは、笛吹けど踊らずという毎日が続くと、自信喪失に陥り、自分は教師不適格者だと思い込み、教職を去る人がいる。
 その人の人格や性格に問題のある場合もあるが、教育の技術が見つからなくて絶望する人も少なくない。
 教師と子どもの関係づくりは、子どもの話を最後まで傾聴するという受け身的な技術だけでなく「助言」や「指示」や「支持」、「説得」など、能動的技術を使いこなさないと、教育はできないと思っている。
 子どもの話を聞き、状況に応じて是々非々を明示したり、どうすべきかを指示したり、教師が自分の考えや感情を開示しなければならないことが少なくない。
 教師がなじんでおいたほうがよいと思われる技術は
1 かかわり行動
 教師が「私はあなたに関心・好意を持っている」ということを、子どもに伝える技術である。ねらいは、教師と子どもとの関係づくりである。例えば、
(1)
笑顔でうなずきながら、子どもの話を聴く。子どもに視線を合わせて会話する。聞き取りやすい声で話す。
(2)
子どもを呼びつけないで、自分の方から近づいていく。子どもたちと一緒に遊んだりする。子どもと廊下ですれちがうとき声をかける。
2 質問する
「学校はおもしろい?」などと質問するのは、教師と子どもとの関係づくりと、子どもを理解することが目的である。
 教師が何も質問しないと「この先生は、私に関心がない」と子どもが誤解することもある。人は誰でも関心をもたれていると感じるのは快いものである。
3 はげまし
 子どもは「何を話しても聴いてもらえる」と感じると「この先生は私の見方である」という信頼感が生まれる。それには、子どもと会話しているときに、
1 )
受容
「なるほど」などとあいづちをうつ。
2 )
うながし
「それで?」「たとえば?」と、話を促進する合いの手を入れる。
3 )
繰り返し
 話の中のキーワードを繰り返す。
4 )
言い換え
「~ということ?」と確認する技術のことである。
 子どもは「わかってもらえた」という感じがするから、教師への信頼感が高まるし、子ども自身の自己理解につながっていく。言い換えの種類は、
(1)
事実
例「仲間はずれにされたわけだね」
(2)
感情
例「悲しいわけね」
(3)
意味
例「何も悪いことをしていないのに、仲間はずれにされたので悲しいのね」
(4)
三種類の応答技法を使って会話する
 子どもは事実ばかり語ることがあるので、
「それについて、どう思っているの?」と質問し
「どちらの味方にもなれないのね」と意味への応答し
「どうしてよいか困っているのね」と感情に応える
ようにするとよい。
 こういうふうに、3種類の応答技法を使って会話すると、子どもは自分の状況がよく見えてくる。つまり心が整理されてくるので、
「先生と話していると気持ちがすっきりしてくる」
と言うようになる。
5 )
意識化
 子どもがうすうす気づいていることを、先手をうって言葉にする技術である。明確化ともいう。
 子どもに「自分が取り組むべき問題が何かを理解させる」のが目的である。
 子どもの立場に教師が自分を置いてみて、自分ならどう感じる(考える)だろうかと、ふり返ればだいたいの見当はつく。
 例えば、ぶすっとしている子どもがいれば「何か機嫌が悪そうだが・・・・」と。
 教師自身に、いろんな感情体験のない教師は察しが悪くなる。いろんな苦労を乗り越えておかないと、コンプレックスになるから、この技術を素直には使えないと思われる。
 すなわち自己嫌悪の人は他者嫌悪になりがちだからである。
6 )
手ほどき(助言・指示・フィードバック)
 援助の手をさしのべないと、子どもにすれば、どうしてよいかわからないことがある。
「助言・指示・フィードバック」をするときの留意点は、具体的であること。具体的でないと実行しにくいからである。
7 )
支持
 支持とは、子どもの思考・感情・行動を認める言動のことである。例えば「なかなかよい考え方だ」「よくできるじゃないか」などである。
 ねらいは、子どもに自信をもたせることにある。
「私に何かしてほしいことはないか?」「私にできることが何かないかなあ」と行動をともなう支持をすることもよい。
 気をつけなければいけないことは、
(1)
無理に支持しようとすると、お世辞にひびくことがある。
(2)
支持する根拠をもつことである。根拠がないと、単なる気休めになる。
4 説得
子どもの話しを聞くだけでは問題が解けないことがある。
説得して考え方や行動の仕方や、場合によっては感じ方まで変えることが求められることがある。
 子どもに抵抗されないよう、どう説得すればよいのでしょうか。
 説得する場合「子どもがどうなることを欲しているのか」をつかむ必要がある。そのためには、子どもの話をよく聞くことである。
 説得するためには、教師と子どもとの間に、よい人間関係をつくらなければならない。
 人間関係をつくるには
「この先生は、私の味方である。私のためを思ってくれる人である」
と、子どもが感じるような、相手の身になって話を聞くことである。 
 説得が抽象的だと行動にはつながらない。具体的で、小刻みに指示するとよい。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長などを歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)

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私は授業している教師がどの程度の技量があるか数分で分かる

 私は、目の前にいる教師がどの程度の技量があるかを、10分ほど話せば分かる。
 授業の場面なら3分もあれば、教師の技量の見当はつく。どこで見極めるか。
 たとえば、表情である。技量ある教師は、表情が豊かなのだ。
 子どもと視線が合うと、その瞬間に、表情が変化する。そのような教師は技量が高い。
 そして、基本の表情に戻ったときには、そこに安定して「相手を大切にする」という基調がある。
 その基調となる表情には「子どもたちが好きでたまらない」という感情が見て取れる。
 また「教壇に立つことが楽しくてしかたがない」との表情も、基調としてほしい。
 新任の教師で、教師の技量が乏しくても、これがあるのなら、間違いなく教師として着実に伸びていく。
 教育技術で賞をもらい続け続けるスーパーな教師から聞いた話がある。
 
「9種類の笑顔を使っていますよ」
 
「子どもを一度も叱ったことないけどね。子どもはしっかりしていきます」
と言う。
 この話を聞いて、教師ならおよその見当がつかなければいけない。
 自分に何種類の笑顔があるか自己評価をし、9種類を考えてみるのが普通だろう。
 力量のある教師は、9種類の笑顔を当然のことと思うはずである。
 もちろん、教師として必要な力量は、他にもいろいろとある。
 教師は、子どもや保護者と向き合ったときに、もっと現実的なところで悩む。
 どの教師も同じような問題を経験し、その中からスキルを身に付けていくのである。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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指導力のある教師になるためには、指導技術をどのように磨けばよいか

 教師の指導力のあるなしによって、まったく異なったクラスになる。やはり問題は教師の指導力があるかということにつきる。
 教師の指導技術にはありとあらゆるものがある。しかし、すべてを語ることができないので、いくつかにしぼって述べることにする。
 子どもを生かし、本気になって追求させるには、子どもに「おもしろい! というはてな?」をもたせなくてはならない。
 それには、第一に「発問・指示」をきちんとすることである。授業の上手な教師、子どもを引きつけて離さない教師は、本当にうまい「発問・指示」をする。例えば「東京23区に牧場があるだろうか?」という発問は子どもの意表をつき、子どもたちは必至で調べ出した。
 授業の中心は「発問・指示」といってよいだろう。
 発問・指示を行うと、子どもは反応する。この子どもの反応を「集約・焦点化」しなければ、考える学習にならないし、深まっていかない。
 この「集約・焦点化」するのに役立つ技術が「板書」であり「資料活用」である。子どもたちの発言や調べたことなどを集約し、焦点化しながら板書していくのである。
 書かないと子どもにはわからない。視覚と聴覚をフルに使うことである。板書は「五感に訴えるもの」だといえるのである。
 次の「資料活用」は、情報収集、資料作成、資料提示の三つをまとめていっている用語である。資料作成の技術は、教材研究の技術といってもよいくらい深くかかわっている。
 なぜなら、教材研究をし、情報を収集したエキスを、「子どもが見たくなるような資料」の形に作成するからである。よい資料は子どもを熱中させる。子どもを「追求の鬼」にする。
 授業の上手な教師は、資料作成もうまい。資料作成のしかたがよいから、よい授業ができるのである。
 授業を進めるには、教師の「話術」「表情」「パフォーマンス」などの技術もなければならない。
 教師が子どもに話すときは「短く、おもしろく」必ず笑い話を入れるように努力するようにする。
 これらの技術を生かしてよい授業を行うには「学級づくり」がきちんとできていなければならない。これは基盤である。一人ひとりの子どもをきっちり生かすには学級が大切である。
 学級というのは「助け合い、みがき合い、けん制し合い」の三つのことが機能していなければならない。
 今一番弱いのは「けん制し合い」である。友だちが悪いことをしていても、注意しない。友だちが困っているのに助けようとしない。これでは学級とはいえない。
 教師は、きちんとした授業をつくりながら、きちんとした学級をつくって子どもを育てなければならないのである。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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日本の学校の授業でもっとも不足し必要とされているのが、笑いでありユーモアである

 「楽しく学ぶこと」と「おもしろく教えること」は一対の行為です。子どもが学ぶ楽しさを実感できるのは、教師がおもしろく伝えたことの結果なのです。いま学級崩壊が問題になっていますが、その一番の原因は「おもしろく伝える技術」が欠けていることではないでしょうか。
 おもしろく伝える技術は、例えばスイカを食べるときは端から食べる人がいないように、教える順序は無視して、冒頭にいちばんおもしろい部分をもってくるようにします。そういう方法で子どもの関心や興味を引きつけるのです。
 「おもしろく終わる」のも、すぐれた教え方には欠かせない要素です。授業の最後に結論を示して終わるだけではありません。「今日はもう時間がないので、続きはこの次に」と「なてな?」を残して終わると、子どもたちの学ぶ意欲を刺激します。子どもたちは休み時間や家に帰って家族を巻き込んで疑問を調べようとします。だからといって、「?」で終始終わってしまってはダメです。私の経験でいうと「わかった」が7割、「はてな?」が3割で、わかる量がいつも上回っていないと、学ぶことがおもしろく感じられません。
 つまるところ教える技術の要諦は、この「わかった!」と「はてな?」を交互に連続させることにあります。そうした未知と既知のいつまでも終わらない追いかけっこが教えることであり、学ぶということなのです。
 わざと間違えることを私は授業中にときどきやりました。子どもの気持ちがダレているとき、集中力を欠いているなと思えたときに、数字の6を8と間違えて書き「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、子どもの注意力を喚起させます。そうすることで、教室にオープンでくだけた空気をかもしだし、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。笑いは子どもを学習好きにするための潤滑油です。「授業が楽しい、おもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。逆に一度も笑いがない教室は子どもにとって牢獄に等しいものでしょう。日本の学校にもっとも不足していて、必要とされているのが、笑いでありユーモアです。
 「笑いを持ち込むと教室の空気がゆるんでしまう」「笑わせたら子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。ユーモラスな話をすれば、子どもは身を乗り出して聞くはずです。子どもたちに集中力や注意力、学ぼうというエネルギーがうまれるのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要がありますが、笑いを敵と位置づけるのは、あまりにも余裕のない考え方といえましょう。
 教える教師のしかつめらしい、もったいぶった態度は、子どものやる気を刺激する空気、楽しく学べる空気、はらつとできる空気は醸成できません。そんな空気を醸成するのは、教える教師の楽しく明るい、フランクな姿勢です。ユーモアや笑いは敵どころか、大いなる援軍なのです。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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よい教え方のマニュアルはない、教師に身体化されたセンスにある

 教師とは、実に奥の深い仕事です。
 授業の例で考えてみましょう。同じ教え方が常に通用するとはかぎりません。子どもによって、教える内容によっても「よい教え方」は異なります。
 いや「よい教え方」というようなマニュアルなど、そもそも存在しないのです。むしろ、授業のよし悪しを決めるカギは、教師の一人ひとりに身体化されたセンスにあるといっても過言ではないでしょう。
 子どものある表情や発言、行為の瞬間に、教師がどのようなふるまいをするかは、その教師のセンスが否応なく反映されます。
 教師という仕事の難しさと醍醐味は、人が人を教えるというダイナミズムが、このような一生に一度きりの「教育的瞬間」におけるユニークな出会いに支えられているという点にあるのです。
 教師のセンスというのは、やみくもにトレーニングをして身につくものではありません。
 学校が「教育的瞬間」に満ちた場所であるからこそ、教師には常に自らを振り返りつつ、目の前にいる一人ひとりの子どもの姿から豊かに学びとろうとする姿勢が求められているのではないでしょうか。
 なぜなら、子どもたちの学びに対する教師の想像力こそが、よりよい教育実践を創るための礎になるからです。
 教師が「常に学びつづける職業」とされる理由はここにあるのです。
(鹿毛雅治:1964年横浜市生まれ、東京大学客員教授を経て、慶應義塾大学教職課程センター教授。専門は、教育心理学、特に学習意欲論、小・中学校の教師と授業研究に取り組む)

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授業で「話し合い」の学習指導はどのようにすればよいか

 話し合いは最も多く使われている学習方法であるのに、最もまずいようである。話し合いで「新しい価値が生み出される」ことなど容易なことではないのである。
子どもたちの話し合いで気をつけなければならない点は、
(1)
話題が鮮明であるか。
(2)
その話題について子どもたちにズレがあり、それを埋めようとするような話し合いがなされているか。
(3)
話し合うことによって、新しい価値が生み出されているかどうか
(4)
「話し合い」と言いながら、形式的な形をふんでいるだけで、あとは教師の考えを押しつけていないか。
話し合いのときの発言のしかたも問題である。
(1)
既有の知識や経験をもとにして話題について考え、自分の考えをはっきりと述べているか。
(2)
四段落の形で発言できているかどうか。
 
例えば、社会科の授業であれば
「何という資料の」
「何ページに」
「これこれの内容が書かれている」
「だからわたしはこう思う」
という四段落の形で発言できているかどうかである。これこそ社会科的というか、根拠を明らかにして考えを述べている例である。
(3)
「わたしの考えはこうである」「わけはこれこれだからである」と述べているかどうかである。
 発言のしかたが鍛えられているかどうか、ちょっと聞いただけでわかる。(1)(2)(3)のような下じきをもってみることだ。
 子どもの意見が、教師によって、集約・焦点化されているかどうかである。こうしなければ、話し合いの意味はない。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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教育で最も大切なことは子どもが伸びていくのを助けること、そのために愛情と技術が必要である

 私は教育技術を過大に評価したことは一度としてない。教育という仕事の中で、技術によって解決できることは、ごく小さいものにしかすぎない。教育技術・方法によって解決できる割合は80%ぐらいとお思いだろうか。私は「七~八%」ぐらいだと思う。10%はいかない。
 では、残りの部分、教育にとって最も大切なことは何であろうか。それは「一人ひとりの子どもは自ら伸びていく力がある。教師は子どもが伸びていくのを助ける」ということなのである。
 伸びていく力を助けてやるには、一方では愛情が必要で、一方では技術が必要なのである。技術もなしに助けることなどできないのである。技術のない教師は愛情によって伸ばそうとするらしいのだが、伸びるのを助けるどころか、子どもの持っている伸びていく力を殺してしまっている場合が多い。本を読まない教師のおそろしさは、我流の方法によって、子どもの伸びていく力を摘み取ってしまうところにある。
 すぐれた教師はすぐれた教育技術を使いこなすが、しかし、それはその人の技量のすべてではない。すぐれた教師はすぐれた教育観の持ち主でもある。
 教師は尊大になってはだめだ。自分が育ててやるなどと思い上がってはだめだ。伸びていく子どもの力を助けてやるのだという謙虚さがなければならない。一人ひとりの子どもを大切にするというのは、教師が子どもを自分の好みになるようにと、あれこれ手を加え、つぼみを摘んだり、伸びようとする勢いをそいではいけない。
 授業で子どもに意見を求めると、とんでもない意見が出ることがあるが発展性のあるすばらしいものが多い。そんなとき「しょうがないなあ」と思いがちだが、私は「しめた!」と思う。常識はずれの意見が出るからこそ、授業は発展するし、深いものになっていくのである。教師に技量が足りないために発展させられないだけなのだ。
 教師は子どものことを理解しなければならない。理解するには表面のことだけ見ていてはだめなのである。子どもの裏側(内面)を見なければならない。つまり「子どもが自分自身をどう思っているかということを理解してやる」ことなのである。だから教師は鈍感ではいけない。研ぎすまされた感性を必要とする。包み込むような温かさを必要とする。
 私は子どもたちの中に入って遊んだとき、いろいろなことを教えられた。力の強い子、仲間はずれにされる子を知ることができた。クラスがまとまるのだということも知ることができた。子どもの中に入るのが大切なのは、子どもと仲間になるためだけでない。今までの見え方とちがって見えるから大切なのである。
 教師は話すのが商売だから「教師は話がうまい」と世間の人は誤解されているようだが、うまい人は少ない。教師の話は、ダラダラと長いだけでつまらないのが多い。話には、説教と語りがあって、説教できる人が多いが、語りができる人はほとんどない。有田和正氏、野口芳宏氏のように、すぐれた教師は語りがうまい。
 教師の技量は経験を積めば向上するというものではない。40歳を越えた教師は経験を積めば技量は向上すると思いたいだろうがそんなことはない。教師修業の基本は「授業の腕をあげる」ことであり、その中心は教材内容の研究と共に「子どもが動く発問・指示」を見つけることである。しかし、自分の力だけではなかなか見つけられるものではない。だから、教育の本や雑誌を読むのである。よい本なら求めるものが載っている。こういう本を読んで授業をしてみると確かに子どもは動き、今までの授業と変わる。
 新卒のときは「子どもに学ぼう」という謙虚な姿勢があるが、教師がいい気になって思い上がったとたん、技術は成長がとまってしまう。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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教育活動はその教師の資質と切り離して機能させることは難しい、あなた独自に創り出すしかない

 若い頃は、教職に何かマニュアルがあって、そのマニュアルに沿って動いていれば、なんとか生徒たちを動かせる、そんな気になるものです。しかし、こうしたマニュアル主義は具体的な教育活動の一つ一つを、とても狭いものにしてしまいます。
 教師であるあなたが、他の教師に尋ねたとします。その教師の応えは対応策の全体像を語っているわけではない、ということです。その教師が自分の資質に合った方法を語っているのです。
 先輩教師の助言というものは、これを充分に理解したうえで受け入れなくてはなりません。教育活動はその人間と切り離して機能させることは難しいからです。
 あなたは、あなた独自に創り出すしかないのです。数年から十年程度かかるのが常ですが、それを創り出したとき、教師としての安定感が生まれます。教師は自分なりのシステムを構築したとき、一人前になるのです。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」の代表も務める)

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教師の指導技術はどのように磨けばよいか

 教師の指導力のあるなしによって、まったく異なったクラスになる。やはり問題は教師の指導力があるかということにつきる。
 教師の指導技術にはありとあらゆるものがある。しかし、すべてを語ることができないので、いくつかにしぼって述べることにする。
 子どもを生かし、本気になって追求させるには、子どもに「おもしろい!」という「はてな?」をもたせなくてはならない。それには、第一に「発問・指示」をきちんとすることである。授業の上手な教師、子どもを引きつけて離さない教師は、本当にうまい「発問・指示」をする。例えば「東京23区に牧場があるだろうか?」という発問は子どもの意表をつき、子どもたちは必至に調べ出す。
 授業の中心は「発問・指示」といってよいだろう。
 発問・指示を行うと、子どもは反応する。この子どもの反応を「集約・焦点化」しなければ、考える学習にならないし、深まっていかない。
 この「集約・焦点化」するのに役立つ技術が「板書」であり「資料活用」である。子どもたちの発言や調べたことなどを集約し、焦点化しながら板書していくのである。
 書かないと子どもにはわからない。視覚と聴覚をフルに使うことである。板書は「五感に訴えるもの」だといえるのである。
 「資料活用」は、情報収集、資料作成、資料提示の三つをまとめていっている用語である。資料作成の技術は、教材研究の技術といってもよいくらい深くかかわっている。
 なぜなら、教材研究をし、情報を収集したエキスを、「子どもが見たくなるような資料」の形に作成するからである。よい資料は子どもを熱中させる。子どもを「追求の鬼」にする。
 授業の上手な教師は、資料作成もうまい。資料作成のしかたがよいから、よい授業ができるのである。
 授業を進めるには、教師の「話術」「表情」「パフォーマンス」などの技術もなければならない。
 教師が子どもに話すときは「短く、おもしろく」必ず笑い話を入れるように努力するようにする。
 これらの技術を生かしてよい授業を行うには「学級づくり」がきちんとできていなければならない。これは基盤である。一人ひとりの子どもをきっちり生かすには学級が大切である。
 学級というのは「助け合い、みがき合い、けん制し合い」の三つのことが機能していなければならない。
 今一番弱いのは「けん制し合い」である。友だちが悪いことをしていても、注意しない。友だちが困っているのに助けようとしない。これでは学級とはいえない。
 教師は、きちんとした授業をつくりながら、きちんとした学級をつくって子どもを育てなければならないのである。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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授業の技量を上達させるためにはどうすればよいか

 授業がうまいと思う人は、本をよく読んでいるし、研究授業も進んでする人だ。緊張感のある場で授業をすると必ずうまくなる。ただし、時間と努力が必要だが。
 上達の極意はよい指導者に指導されることである。その場所がサークルである。各地で行われるセミナーに参加すれば、全国のトップの授業を受けることができる。このことを自分で体感することである。
 授業の見方もその教師の力量が反映する。授業を見ていて、あそこの指導がうまいなと思えることがあったら、必ず複数の指導技術が混在している。見る力のない教師にはわからない。授業の分析や解説の力をつけるには、力のある教師にマンツーマンで学ぶのが一番よい。
 初心者のうちは、真似を山ほどすることである。同じように再現できたとき、そのことについて分析が可能となる。「ああ、そういうことだったのか」とわかるようになる。
 授業は教材研究に裏打ちされていなければならない。まったく関係のないことでも調べ、授業では一切つかわない情報も知っている。これができて教材研究はほぼ完成する。
 授業の始めは、張りのある凛とした声でぐっと子どもたちを引きつけることだ。テンションは高いほうがいい。よそ見をしている子どもたちをいっきに引きつけること。当然、声が後ろまで届かなければならない。途中で声が消えてしまう教師はたくさんいる。授業始めの言葉は、授業の柱となるような意味のある言葉でなければならない。教師の服装、歩き方、姿勢も大切である。
 子どもへの目線は大事である。ノートや指導案を見ながら授業をするなど、子どもを見ないで授業する教師は多くいる。教科書の問題を読むときも、子どもたちに目を配っていなければならない。ちょっと教科書に目を落とし、子どものほうを見ながら声を出す。これができない教師は多い。
 目を子どもたちに配っているが、目が泳いでいる教師も多い。一か所に長々と止まる必要はないが、一人ひとりと目を合わせることは大切である。子どもは教師がちゃんと見ていないとすぐ騒ぎだす。教室で子どもたちにノートを持ってこさせて点検するときは、全体を見ながら「○○さん、やっていますか」と一人ひとりの子どもを見ることが求められる。
 あたたかな表情は、教師として身につけなければならない能力である。表情の練習することである。いつもいい表情で授業をしているのと、ぶすっとして授業をしているのとどちらがいいか考えたらすぐわかる。
 発問や指示はシンプルで無駄がないこと。明確な発問や指示は子どもたちが思考する際、頭の混乱が生じない。明確な発問や指示となるよう、考え抜くこと。言い直すたびに少しずつ異なるのはよい発問ではない。発問や指示が子どもたちに入り込んでいないときは、もう一度行えばよい。
 教師に無駄な言葉や行動が多いと授業のリズムとテンポは崩れてしまう。
(
甲本卓司:1960年生まれ、岡山県公立小学校教師。「ジュニア・ボランティア教育」誌編集長)

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