カテゴリー「教育の技術」の記事

すぐれた教育技術を身につけるには、どのようにすればよいか

 すぐれた技術を身につけるには、学ばなくてはならない。それも、半端な努力ではだめである。
 すぐれた技術は、それを知ってすぐに身につくものではない。
 技術を身につけるということは「技術について理解すること」と「技術を身体に習得すること」の二つを通過しなければならない。
 「技術を理解すること」は、学習においてもできるが、それを「身体に習得させる」ことは、学校現場でやるほかはない。
 「技術」は、その人その人の「使用能力」と合体して表現されることがある。
 「技術+その人の使用能力」それを技能とよぶ。
 技術を技能にまで高めることが必要である。それには修業が必要だ。
 技術は人それぞれの個性と結びつき、それぞれの姿を持つ。
 同じ歌を歌っても、歌手によっておもむきがちがうようにである。
 高い技能水準に達するには、
(1)どのくらいの水準にまで上げるのか目標がなければならない。
(2)目標との差を自覚しなければならない。
 どこが、どのように悪いのかを分析しなければならない。
 優れたコーチは、そこを発見してくれる。上級者の存在が必要だ。
 すぐれた教師に授業を見てもらう最大のポイントは、そこを見てくれることである。たった一言でも万金にあたる。
(3)自分の現状を分析し、その欠点をあばいた上で、それを克服する努力を続けねばならない。
 意識しなくても、瞬間的に使えるようになるまで、自然に自分のものになっている状態まで続ける必要がある。
(4)技能は、一つの技術を使えるという状態から、「多くの技術から瞬間的に一番いい方法を選択して使いこなす」という状態までの広がりがある。技術は多くを知っていなければならない。
 例えば、全校集会で体育館に集まったとき、はじめは騒がしいものである。さわがしい子どもたちをどう静かにさせるか。教育技術という点から考えてみる。
 教育技術のない教師は、「静かにしなさい」「前にならい」をくり返す。教師としてのプロ性はほとんどない。
 最低の教師は、子どもをどなりつける。ほめ方が上手で毎時間ほめている教師はいい教師だ。
 教師なら何かの技を持っているべきであろう。
 誰でも一つか二つの技術を持っていてあたり前である。教師は、それが仕事なのであるから。例えば
 「先生が五つ数えますからね。五つ数えるうちに静かになりましょう。ひとーつ。ふたーつ。・・・・・」
 これは、かなり効き目のある方法である。このような方法をする教師でプロの入り口、新卒程度であろう。
 問題は、いつもいつもこの方法しかとれないことである。
 これでは、教育の幅がせまくなる。自己流の教師に多い。本を読まない教師に多い。
 教育技術はいっぱい持っていた方がいい。いっぱい持っていれば、いろいろ選択できる。
 教育技術をさまざま知ることによって教育の幅は広がるのである。
(向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

 

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アマチュアみたいな教師が多すぎる、プロ教師になるにはどうすればよいか

 アマチュアみたいな教師が多すぎると思います。
 長い時間かけて学校で何かをしていたら、仕事をしているのだと勘違いしている教師たちがいます。
 私がプロ中のプロだと認める教師たちの多くは、毎日学校に遅くまで残っていることは少ないのです。
 遅くなる理由は、
(1)だらだらと時間をかけることに慣れて、早くするという感覚が無くなっている。
(2)段取りが悪くて、時間がかかってしまう。
(3)切りのないことを、いつまでも続けてしまう。
 例えば、明日の授業のことなどは、いくら粘っても良い授業にはなりません。授業は常に「見切り発車」なのに、見切らないままに時間が過ぎて、くたくたになってしまうのです。
 プロ教師は、お客である保護者に満足してもらわないといけないのです。
「私は正しいが、親が分かってくれない」なんていうのは、プロ教師の言うことではありません。正しいなら、分かってもらえるように説明すべきです。
 その仕事に応じた態度というものがあるのです。教師は子どもや保護者に不安に思われないことが大切です。
 教師も、下手に出ることで、かえって軽く見られてしまうことがあります。自信がなくても、そんなそぶりを見せてはいけないのです。
 子どもたちだって、教師は堂々としていてくれた方がいいのです。
 教師は学び続ける姿勢が必要です。
 普遍的な考えや技術があり、同時に新しいものへの知識と見識を持っていることがプロ教師としての最低条件だと思います。
 プロは結果が問われます。
 プロ教師は子どもが育ち、目に見える目標や結果をのこすことを意識するものだと思います。例えば、
「あの先生が担任したら、子どもの平均点が上がる」
「あの先生は、子どもたちの世の中への関心を高めてくれる」
などと言われるようにならないと、プロ教師とは言えないのです。
 プロ教師になるには教育実践がすべて。
 教育書や学級経営の本を読みあさり、セミナーにいくら参加しても、決して授業や学級づくりはうまくいきません。
「ここを、どうすれば良いのだろうか?」という問題意識を持ち、その上で本を読んだり、セミナーを聴いたりして、もう一度、子どもたちへ教育実践し、常に子どもを通して学んでいくことが大切です。
 では、教育実践はどうすればよいのでしょうか。
 授業や学級づくりで教師が力をつけるために、教育実践を工夫し、失敗や成功を、ちゃんと受け止めて学び、自分の教育実践を改善していくようにするとよいと思います。
 子どもたちとの教育実践からしか、教師は力をつけられないものなのです。
(多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

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教育実践がうまくいく先生は何が違うのでしょうか

 教育実践がうまくいっている教師は何が違うのでしょうか。
 教育実践がうまくいっている理由をあげると、
(1)教育実践がうまい教師は、原因を追及しすぎません。
 原因を追求しすぎると、教育実践がうまくいかないことを、よく知っているからです。
 教育実践がうまくいかない原因には、取り除くことができるものと、できないものがあります。
 例えば、親の離婚が原因で欠席が多くなった場合「離婚をやめてください」とは言えません。
 原因を追究して取り除くという考え方は、教育現場には、なじまない場合が多いようです。
(2)どうしたらうまくいくかという「解決」に焦点をあてる
 教育実践がうまい教師は、どうしたらうまくいくかという「解決」に焦点をあてます。 
 どうしたら、「よりよき状態を手に入れることができるか」を考えることに焦点をあてたほうが効率がよいのです。
(3)うまくいっている状況を具体的に想像ができる
 教育実践がうまい教師は、「よりよき状態」を手に入れるために
「うまくいっている状態では、どのようなことが起きているか」を、具体的に想像できます。
 実は、ここが一番重要なことです。
 例えば、うまくいっている学級の状態では「個々の子どもにどんなことが起きていますか?」具体的に考えてみてください。
 そのとき、子どもは何をしていますか。どのような言葉が聞こえ、どのような関わり方をしていますか。
 具体的な行動が想像でき、そのときの空気感まで感じることができれば、半分は成功です。
 最終のゴールのイメージが描けたら、現実のものにするために、何をするか考えればいいわけです。
 ゴールのイメージが想像しにくい教師は、うまくいっている教師の学級の様子を観察したり、同僚の教師と一緒に考えてみたりするとよいでしょう。
(4) 「どうしたら、うまくいくか」という解決志向の対応や考え方が体になじんでいます
 私は、以前に中学校の教師をしていましたが、そのとき私にできたことは、生徒たちが「しあわせ」を感じることのできるセンサーを磨くことと、心の種をひたすら蒔き続けることでした。
 ストレスは、自分の思うようにいかないときに生じるものです。
 私たちは、変えることのできない他人と過去の出来事について「なぜ」「どうして」と思い悩み、身動きがとれなくなるのです。
 他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられます。過去の出来事をどう受け止めるかは、いま、変えることができます。
 原因の追究に時間を割くのではなく、解決志向でいきましょう。
 教育実践のうまい教師は「どうしたら、うまくいくか」という解決志向の対応や考え方が体になじんでいます。
 こうした教師の対応や考えが、子どもたちのモデルにもなります。一石二鳥にもなるでしょう。
(5)うまくいかないとき、子どもを変えようとせず、教師自身の行動を変える
 子どもを変えようとするのではなく、教師自身の行動を変えれば、未来も変わります。
 もし、一度やってうまくいったなら、迷わず次もその方法でやってみることです。
 その方法を繰り返し続けていくうちに、それが自分の得意技となり、自信へとつながります。
 一度うまくいくと、どんな忙しくても、どんなに時間を費やしても「達成感>疲労感」となるものです。
 もし、うまくいかなかったら、いさぎよく、ほかのやり方を試してみましょう。うまくいかないことに、いつまでもこだわることはありません。
 百発百中をめざすのではなく「数打ちゃ当たる」の心意気です。そして、うまくいったら、迷わず次もその方法でやってみることです。
 教育実践のうまい教師は、うまくいかないとき、子どもを変えようとせず、自分が変わろうとします。 
(6)子どもたちの小さな変化に気づくのがじょうず
 教育実践のうまい教師は、子どもたちをよく見ています。
 いままで、できていなかったことが、できそうになった瞬間を見逃さないのです。すかさず声をかけるのです。子どもたちは前に進む勇気が出ます。
(7)小さな変化を起こすのがじょうず
 いままでとは違う何かをするということです。
 例えば教室に入るとき、いつもは前から入るが、今日は後ろから入り、机と机の間を通るルートを変えてみます。子どもの様子を身近で観察することができます。
(8)「どうしたらうまくいくか」考えるのがじょうず
 よりよき状態を手に入れるために、どうするか考え、すぐに行動に移すことができます。
(9)問題解決を「子ども自身でできる」と信じて対応することがじょうず
 教育実践のうまい教師は、子どもの話を聴きながら、
「そっかぁ(受容)」
「で、あなたはどうしたいの?(質問)」
と、いった会話をしています。
 答えは、その子がすでにもっているものです。気づかないふりをしていることが多いことを教師は知っているのです。
(10)「アプローチの引き出し」をたくさん用意できている
 教育実践のうまい教師は、アプローチの仕方の引き出しをたくさん持っています。
 この手法がダメなら、あの手法がある。この子にはこの言葉がけが効くだろうと。
 アプローチのレパートリーを増やすには、どうすればよいのでしょうか。
 各種研修会に参加する。本屋で探すのもいいでしょう。常にセンサーを張り、気になるものや使えそうなものを書きとめることをおすすめします。
(11)教育技法や理論を支える哲学をもち、それを支える人間性を常に磨く
 教育技法の裏づけとなる理論を知り、意味がわかることが大切です。
 すぐに結果が出なくても、意味がわかっていれば、余裕をもって子どもにかかわることができるようになります。
 逆に、小手先の技法にとらわれて溺れたりしないでください。
 いくら技法を学んでも、それを使う教師の人間性に問題があると、実践はしっくりきません。操作的になってしまい、うまくいかないので注意が必要です。
 教育実践のうまい教師は、教育技法や理論を支える哲学をもち、それを支える人間性を常に磨いているのです。
(鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校で30年間勤務、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学准教授。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。 『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)

 

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教師が技を磨くことによって、よい授業ができ、子どもや保護者に信頼されるには、どのようにすればよいか

1 本物の技を身につけるには
 本物の技というものは、生半可な努力で身につくものではない。
 何の世界でもプロといわれる人は、普通の人には見えないものがプロには見える。
 技を体得するには工夫しながら経験を積み重ねることである。
「予想をもって仕事をし、仕事をした後は記録し、反省を加え、次の予想をたてる」といった工夫の積み重ねが大切だ。
 その日ぐらしでは、何年たっても技は向上しない。
「何とかしなくてはならない」という、切羽詰まった場に自分の身を置き、挑戦することが大事だ。
 新しいものを追い求めるだけでなく、ふと立ち止まって、斎藤喜博や東井義雄などの技をあらいなおしてみることも必要かもしれない。
 成長のもとは、いい技を身につけたいという意欲の強さである。
 新しいものに挑戦しなければ技を磨くことはできない。
 努力と挑戦を継続できるかが問題である。
 技を磨くには、「この発問が有効かどうか確かめてみよう」といった、「めあて」を持って授業を行ってみるとよい。
2 授業の技を磨くには
 研究的な授業を実際にやってみるに限る。
 何かを工夫してみるとか、試すために研究的な授業を行ってみなければ腕は上がらない。わたしは年30回くらい行っている。
 ただ授業をやるのではなく、小さなことでよいから、何か一つ研究的にやってみることだ。
 例えば、今日は「この発問が有効かどうか、確かめてみよう」と考え、その発問を慎重にやってみる。うまく反応すれば自分の理論や技になる。
 逆に、子どもが反応せず、授業にならないこともある。こんなとき「どこが、どのように悪いのか」よく反省し、記録をとっておく。
 自分の授業の記録をとらない人が多い。これでは反省もできないし、前向きに考えることもできない。授業がうまいなあと思う人は記録もうまい。
3 子どもや保護者との信頼関係を築く
 教師は子どもや保護者から心服される知識・技術・人間性をそなえなければならない。
 授業の技というのは、究極的には、その人の人間性であり人間力である。
 単なるテクニックではない。小手先で子どもを動かすものでもない。心眼ともいえるものをそなえた人でなくては、技を持っているとはいえない。
 信頼関係をとりもどすには「やさしさと厳しさの使い分け」をすることだ。
 ふだんはやさしさが必要だし、子どもをかわいがらなければならない。
 しかし、時には、厳しく叱り正さなければならない。
 最も大切なことは、教師が身をもってことばや態度で示さなければならない。
 軽いことばをちゃらちゃら使わないことだ。
 教師のしていることを見て、まねて子どもが育ってくると、保護者が教師を信頼するようになる。
 これが一番早い信頼関係のつくり方である。
 子どもが心から教師を信頼するようになったとき、保護者も教師を信頼するようになるのである。
 人間性を磨き、子どもや保護者との信頼関係を持とうではないか。
4 教材に強くなり、内容に精通した教師になること
 多くの教師は、教科書の内容をきっちりつかんでいない。
 教科書を最低20回くらい読む。すると、そこで教えなければならない内容が鮮明になる。
 これを単元単位でやることだ。単元の中心になることや、最も面白いことが見えてくる。
 教科書の順序にとらわれることはない。「最も面白いところから切り込む」ことだ。これが導入の技である。
 子どもの学習意欲も高まりやすいので効果的である。
 面白いところから切り込めば、子どもが次は「何が食べたいか」教えてくれる。教えてくれた内容へ進めば、子どもの意欲も下がることはない。
 教科書の中に書き込んだり、紙に書いてはりつけて折りこんだりする。これは付け加えたい内容である。ごれで、教科書は教師のものになるのである。
5 私が常に心がけていること
 具体的にほめること。子どもはほめられた方向へ育つ。ほめ言葉は植物にとっての太陽のようなものである。
6 今の教師に足りないもの
 教師の仕事の中心は、授業を通して子どもに学力をつけ、モラルを育て、学級づくりをしていくことである。
(1)
知性:教材が決定的に弱い
 調べる時間がないという。時間は自分で工夫してつくるのである。今できることは今やること。これにつきる。始めからきちんと方針を決めて仕事をする。
(2)
モラル
 大半の校長は「何しろ、挨拶一つできない、教師としての最低限のモラルさえ身につけていない教師が多い」となげく。
 ある若い教師が、突然連絡もなしに学校を訪ねてきた。「授業を見せてくれ」という。
 四時間参観して、お礼もいわずに帰っていった。礼状もなかった。
 常識を疑うような人に時々出会う。教師の人間教育をやり直さなければならないのかと思う。
(3)
スマイル
 私は、スマイルのある表情をするように努力している。
 だから子どもたちの前に立つと自然にスマイルができるようになったと思っている。
 しかし、飛行機の客室乗務員にはかなわない。教師はサービス業である。客室乗務員に負けないスマイルを身につけたいものだ。
 ある客室乗務員は疲れたりすると笑顔が少なくなるので香水をハンカチにしみこませておいて、においをかぐことで元気になり笑顔もつくれるようです。
 教師に足りないのはスマイルである。話をしても、授業をしてもニコリともしない。まるで能面のようである。
「ニコニコしていたら、子どもにバカにされる」と、ある中学校の教師がいいかえしてきた。
 それで、私は「ニコニコしなくても、すでにバカにされていますよ。今日見た授業でもそう見えましたよ」といったら、ムッとした顔をしていた。
「授業は楽しいものだよ」ということを教師は表情でしめさなくてはならない。
 スマイルは教師の義務だと私は考えている。これは技というより、人間性といった方がよいだろう。ネクラからネアカに。これも教師の義務であると考えている。
 せめて子どもの前だけでもスマイルを絶やさないようにしたいものである。わたしが見た名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。
 スマイルのある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
 表情は練習で変わる。わたしがやっている方法は、机の上に常に鏡を置いて、時々表情を見る。電話するときどんな表情で話しているか、メモすると同時に見ている。
 スマイルのないときは、言葉もきつくなっている。これではいけないと反省し、急に笑顔をつくってみると、何と言葉が変わってくる。
 鏡の大きさは10cmで足がついている。毎日、何度となく自分の表情を見ているうちに、自分の表情のクセがわかる。そして、ふだんどんな顔で話しているかわかるので、反省の材料になる。
7 見ることも技しだい
 授業を見るのも「その人の実力のほど」にしか見えないのである。ある人には見えて、ある人には見えない。そのことに気づいていない人が多い。
8 言葉づかい
 名人といわれる人たちは、声は適度の大きさで話し、適度の大きさで笑う。どことなく品がある。
 教師に大切なのは品のよさである。教師がいつも笑顔で、大きな元気な声で、やさしく話しかければ、子どもたちはちゃんと応えるものだ。
9 教材のよしあしが授業の死命を制する
 つぎの教材を使えば、よい授業である。
 教材の面白さである。間口は狭く奥行きの深い教材である。今も昔も、教材がよいと子どもが熱中する。
(1)
固定観念をひっくり返す教材
 例:「大井川に橋をかけなかったのは、幕府の政策であった」(子どもたちの考え)に対して、「橋ができたら生活に困る人たちが橋をかけさせなかったのだ」という考えを提示した。
(2)
意表をつく教材
(3)
新鮮な出会いをさせる教材
(4)
思考のあいまいさをつく教材
(5)
事実を確かに見させる教材
10
よい授業には技術も必要
 教材がよいだけでよい授業ができるかというと、技術も必要である。
 技術の中でも大切なのは「発問・指示」である。
 発問のしかたによって授業は全くかわったものになる。
「発問・指示が鮮明である」ということがよい授業の大切な条件である。
 よい授業には、「わかりやすくて、問題をはらんだ資料が提示されている」ということである。
 資料収集、作成、提示がものをいう。「見せたいものは、なるべく見せるな」といわれている。授業の上手な人は、さり気なく、周到に準備して提示している。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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一流の実践家の教育技術を学んでも出来ないのは、その実践家の生きざまによる部分が大きい

 教育技術を学べば、教師としての力量は格段に伸び、教育実践は充実したものになると、私は若い頃信じていました。そして、多くの教育技術を一流の実践家から学びました。
 ところが、私はその実践家の先生のようになることはできませんでした。
 私は、あるとき気づいたのです。
 一流の教育実践家が、その講座や著書によって披露している教育技術は実のところ、その本人が意識できていることだけに限定されるということに。
 そして、実践家の実践を形作っているのは、むしろ意識されていないその所作や、教育観、子ども観、また実践家の性格による部分が大きいということに気づいたのです。
 そうしたその実践家の人格としか言いようがないものと、教育技術がマッチしているからこそ、一流の教師は一流として存在しているわけです。
 教育技術と教師の人格は背中合わせにあるものだというのが私の結論です。
 ですから、私が研修会の講座で語る場合や、またどなたかの教育技術論を聞かせていただく場合にも、「その技術は、なぜ必要なのか」「その教育技術は、どのようにして生まれたのか」「その教育技術が、その教師にとってなぜ可能であるのか」といったことに留意するようにしています。
 つまり、教育技術と教師の人格をまるごと語るときに、はじめて教育情報は価値あるものになると私は考えています。
 教育実践家から真に学ぶべきは、その教師の生き様です。なにを体験し、なにで失敗し、なにで成功したのか。そしてどのように学ぼうとしたのかです。
(
山田洋一:1969年生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。教育研究サークル「北の教育文化フェスティバル」代表
)


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子どもの話を最後まで聴くだけでなく、助言・指示・支持・説得の技術を使いこなさないと教育はできない

「情熱だけでは教師はつとまらない」というのが私の持論である。教師になりたくて教師になったのに、子どもたちは、笛吹けど踊らずという毎日が続くと、自信喪失に陥り、自分は教師不適格者だと思い込み、教職を去る人がいる。
 その人の人格や性格に問題のある場合もあるが、教育の技術が見つからなくて絶望する人も少なくない。
 教師と子どもの関係づくりは、子どもの話を最後まで傾聴するという受け身的な技術だけでなく「助言」や「指示」や「支持」、「説得」など、能動的技術を使いこなさないと、教育はできないと思っている。
 子どもの話を聞き、状況に応じて是々非々を明示したり、どうすべきかを指示したり、教師が自分の考えや感情を開示しなければならないことが少なくない。
 教師がなじんでおいたほうがよいと思われる技術は
1 かかわり行動
 教師が「私はあなたに関心・好意を持っている」ということを、子どもに伝える技術である。ねらいは、教師と子どもとの関係づくりである。例えば、
(1)
笑顔でうなずきながら、子どもの話を聴く。子どもに視線を合わせて会話する。聞き取りやすい声で話す。
(2)
子どもを呼びつけないで、自分の方から近づいていく。子どもたちと一緒に遊んだりする。子どもと廊下ですれちがうとき声をかける。
2 質問する
「学校はおもしろい?」などと質問するのは、教師と子どもとの関係づくりと、子どもを理解することが目的である。
 教師が何も質問しないと「この先生は、私に関心がない」と子どもが誤解することもある。人は誰でも関心をもたれていると感じるのは快いものである。
3 はげまし
 子どもは「何を話しても聴いてもらえる」と感じると「この先生は私の見方である」という信頼感が生まれる。それには、子どもと会話しているときに、
1 )
受容
「なるほど」などとあいづちをうつ。
2 )
うながし
「それで?」「たとえば?」と、話を促進する合いの手を入れる。
3 )
繰り返し
 話の中のキーワードを繰り返す。
4 )
言い換え
「~ということ?」と確認する技術のことである。
 子どもは「わかってもらえた」という感じがするから、教師への信頼感が高まるし、子ども自身の自己理解につながっていく。言い換えの種類は、
(1)
事実
例「仲間はずれにされたわけだね」
(2)
感情
例「悲しいわけね」
(3)
意味
例「何も悪いことをしていないのに、仲間はずれにされたので悲しいのね」
(4)
三種類の応答技法を使って会話する
 子どもは事実ばかり語ることがあるので、
「それについて、どう思っているの?」と質問し
「どちらの味方にもなれないのね」と意味への応答し
「どうしてよいか困っているのね」と感情に応える
ようにするとよい。
 こういうふうに、3種類の応答技法を使って会話すると、子どもは自分の状況がよく見えてくる。つまり心が整理されてくるので、
「先生と話していると気持ちがすっきりしてくる」
と言うようになる。
5 )
意識化
 子どもがうすうす気づいていることを、先手をうって言葉にする技術である。明確化ともいう。
 子どもに「自分が取り組むべき問題が何かを理解させる」のが目的である。
 子どもの立場に教師が自分を置いてみて、自分ならどう感じる(考える)だろうかと、ふり返ればだいたいの見当はつく。
 例えば、ぶすっとしている子どもがいれば「何か機嫌が悪そうだが・・・・」と。
 教師自身に、いろんな感情体験のない教師は察しが悪くなる。いろんな苦労を乗り越えておかないと、コンプレックスになるから、この技術を素直には使えないと思われる。
 すなわち自己嫌悪の人は他者嫌悪になりがちだからである。
6 )
手ほどき(助言・指示・フィードバック)
 援助の手をさしのべないと、子どもにすれば、どうしてよいかわからないことがある。
「助言・指示・フィードバック」をするときの留意点は、具体的であること。具体的でないと実行しにくいからである。
7 )
支持
 支持とは、子どもの思考・感情・行動を認める言動のことである。例えば「なかなかよい考え方だ」「よくできるじゃないか」などである。
 ねらいは、子どもに自信をもたせることにある。
「私に何かしてほしいことはないか?」「私にできることが何かないかなあ」と行動をともなう支持をすることもよい。
 気をつけなければいけないことは、
(1)
無理に支持しようとすると、お世辞にひびくことがある。
(2)
支持する根拠をもつことである。根拠がないと、単なる気休めになる。
4 説得
子どもの話しを聞くだけでは問題が解けないことがある。
説得して考え方や行動の仕方や、場合によっては感じ方まで変えることが求められることがある。
 子どもに抵抗されないよう、どう説得すればよいのでしょうか。
 説得する場合「子どもがどうなることを欲しているのか」をつかむ必要がある。そのためには、子どもの話をよく聞くことである。
 説得するためには、教師と子どもとの間に、よい人間関係をつくらなければならない。
 人間関係をつくるには
「この先生は、私の味方である。私のためを思ってくれる人である」
と、子どもが感じるような、相手の身になって話を聞くことである。 
 説得が抽象的だと行動にはつながらない。具体的で、小刻みに指示するとよい。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長などを歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)

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私は授業している教師がどの程度の技量があるか数分で分かる

 私は、目の前にいる教師がどの程度の技量があるかを、10分ほど話せば分かる。
 授業の場面なら3分もあれば、教師の技量の見当はつく。どこで見極めるか。
 たとえば、表情である。技量ある教師は、表情が豊かなのだ。
 子どもと視線が合うと、その瞬間に、表情が変化する。そのような教師は技量が高い。
 そして、基本の表情に戻ったときには、そこに安定して「相手を大切にする」という基調がある。
 その基調となる表情には「子どもたちが好きでたまらない」という感情が見て取れる。
 また「教壇に立つことが楽しくてしかたがない」との表情も、基調としてほしい。
 新任の教師で、教師の技量が乏しくても、これがあるのなら、間違いなく教師として着実に伸びていく。
 教育技術で賞をもらい続け続けるスーパーな教師から聞いた話がある。
 
「9種類の笑顔を使っていますよ」
 
「子どもを一度も叱ったことないけどね。子どもはしっかりしていきます」
と言う。
 この話を聞いて、教師ならおよその見当がつかなければいけない。
 自分に何種類の笑顔があるか自己評価をし、9種類を考えてみるのが普通だろう。
 力量のある教師は、9種類の笑顔を当然のことと思うはずである。
 もちろん、教師として必要な力量は、他にもいろいろとある。
 教師は、子どもや保護者と向き合ったときに、もっと現実的なところで悩む。
 どの教師も同じような問題を経験し、その中からスキルを身に付けていくのである。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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指導力のある教師になるためには、指導技術をどのように磨けばよいか

 教師の指導力のあるなしによって、まったく異なったクラスになる。やはり問題は教師の指導力があるかということにつきる。
 教師の指導技術にはありとあらゆるものがある。しかし、すべてを語ることができないので、いくつかにしぼって述べることにする。
 子どもを生かし、本気になって追求させるには、子どもに「おもしろい! というはてな?」をもたせなくてはならない。
 それには、第一に「発問・指示」をきちんとすることである。授業の上手な教師、子どもを引きつけて離さない教師は、本当にうまい「発問・指示」をする。例えば「東京23区に牧場があるだろうか?」という発問は子どもの意表をつき、子どもたちは必至で調べ出した。
 授業の中心は「発問・指示」といってよいだろう。
 発問・指示を行うと、子どもは反応する。この子どもの反応を「集約・焦点化」しなければ、考える学習にならないし、深まっていかない。
 この「集約・焦点化」するのに役立つ技術が「板書」であり「資料活用」である。子どもたちの発言や調べたことなどを集約し、焦点化しながら板書していくのである。
 書かないと子どもにはわからない。視覚と聴覚をフルに使うことである。板書は「五感に訴えるもの」だといえるのである。
 次の「資料活用」は、情報収集、資料作成、資料提示の三つをまとめていっている用語である。資料作成の技術は、教材研究の技術といってもよいくらい深くかかわっている。
 なぜなら、教材研究をし、情報を収集したエキスを、「子どもが見たくなるような資料」の形に作成するからである。よい資料は子どもを熱中させる。子どもを「追求の鬼」にする。
 授業の上手な教師は、資料作成もうまい。資料作成のしかたがよいから、よい授業ができるのである。
 授業を進めるには、教師の「話術」「表情」「パフォーマンス」などの技術もなければならない。
 教師が子どもに話すときは「短く、おもしろく」必ず笑い話を入れるように努力するようにする。
 これらの技術を生かしてよい授業を行うには「学級づくり」がきちんとできていなければならない。これは基盤である。一人ひとりの子どもをきっちり生かすには学級が大切である。
 学級というのは「助け合い、みがき合い、けん制し合い」の三つのことが機能していなければならない。
 今一番弱いのは「けん制し合い」である。友だちが悪いことをしていても、注意しない。友だちが困っているのに助けようとしない。これでは学級とはいえない。
 教師は、きちんとした授業をつくりながら、きちんとした学級をつくって子どもを育てなければならないのである。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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日本の学校の授業でもっとも不足し必要とされているのが、笑いでありユーモアである

 「楽しく学ぶこと」と「おもしろく教えること」は一対の行為です。子どもが学ぶ楽しさを実感できるのは、教師がおもしろく伝えたことの結果なのです。いま学級崩壊が問題になっていますが、その一番の原因は「おもしろく伝える技術」が欠けていることではないでしょうか。
 おもしろく伝える技術は、例えばスイカを食べるときは端から食べる人がいないように、教える順序は無視して、冒頭にいちばんおもしろい部分をもってくるようにします。そういう方法で子どもの関心や興味を引きつけるのです。
 「おもしろく終わる」のも、すぐれた教え方には欠かせない要素です。授業の最後に結論を示して終わるだけではありません。「今日はもう時間がないので、続きはこの次に」と「なてな?」を残して終わると、子どもたちの学ぶ意欲を刺激します。子どもたちは休み時間や家に帰って家族を巻き込んで疑問を調べようとします。だからといって、「?」で終始終わってしまってはダメです。私の経験でいうと「わかった」が7割、「はてな?」が3割で、わかる量がいつも上回っていないと、学ぶことがおもしろく感じられません。
 つまるところ教える技術の要諦は、この「わかった!」と「はてな?」を交互に連続させることにあります。そうした未知と既知のいつまでも終わらない追いかけっこが教えることであり、学ぶということなのです。
 わざと間違えることを私は授業中にときどきやりました。子どもの気持ちがダレているとき、集中力を欠いているなと思えたときに、数字の6を8と間違えて書き「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、子どもの注意力を喚起させます。そうすることで、教室にオープンでくだけた空気をかもしだし、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。笑いは子どもを学習好きにするための潤滑油です。「授業が楽しい、おもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。逆に一度も笑いがない教室は子どもにとって牢獄に等しいものでしょう。日本の学校にもっとも不足していて、必要とされているのが、笑いでありユーモアです。
 「笑いを持ち込むと教室の空気がゆるんでしまう」「笑わせたら子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。ユーモラスな話をすれば、子どもは身を乗り出して聞くはずです。子どもたちに集中力や注意力、学ぼうというエネルギーがうまれるのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要がありますが、笑いを敵と位置づけるのは、あまりにも余裕のない考え方といえましょう。
 教える教師のしかつめらしい、もったいぶった態度は、子どものやる気を刺激する空気、楽しく学べる空気、はらつとできる空気は醸成できません。そんな空気を醸成するのは、教える教師の楽しく明るい、フランクな姿勢です。ユーモアや笑いは敵どころか、大いなる援軍なのです。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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よい教え方のマニュアルはない、教師に身体化されたセンスにある

 教師とは、実に奥の深い仕事です。
 授業の例で考えてみましょう。同じ教え方が常に通用するとはかぎりません。子どもによって、教える内容によっても「よい教え方」は異なります。
 いや「よい教え方」というようなマニュアルなど、そもそも存在しないのです。むしろ、授業のよし悪しを決めるカギは、教師の一人ひとりに身体化されたセンスにあるといっても過言ではないでしょう。
 子どものある表情や発言、行為の瞬間に、教師がどのようなふるまいをするかは、その教師のセンスが否応なく反映されます。
 教師という仕事の難しさと醍醐味は、人が人を教えるというダイナミズムが、このような一生に一度きりの「教育的瞬間」におけるユニークな出会いに支えられているという点にあるのです。
 教師のセンスというのは、やみくもにトレーニングをして身につくものではありません。
 学校が「教育的瞬間」に満ちた場所であるからこそ、教師には常に自らを振り返りつつ、目の前にいる一人ひとりの子どもの姿から豊かに学びとろうとする姿勢が求められているのではないでしょうか。
 なぜなら、子どもたちの学びに対する教師の想像力こそが、よりよい教育実践を創るための礎になるからです。
 教師が「常に学びつづける職業」とされる理由はここにあるのです。
(鹿毛雅治:1964年横浜市生まれ、東京大学客員教授を経て、慶應義塾大学教職課程センター教授。専門は、教育心理学、特に学習意欲論、小・中学校の教師と授業研究に取り組む)

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