カテゴリー「教育の技術」の記事

教育技術を生み出す方法とは

 教育技術を生み出すためには、
1 あることをずっとテーマとして心に抱いていること。
 例えば、跳び箱が跳べない子どもをどう指導したらいいか。
2 自分が実践するとき「できる子」と「できない子」のちがいに注目する。
3 あれこれ方法を思いついてやってみる。
(1)いろんな発想をする。
(2)本を読む
(3)発問・指示・演示を変えてみる。
4 その結果「子どもに変化」が生じたら、めっけものである。
(1)この変化は、初めの頃はかすかである。
(2)「何か、ちがった変化」がでる。
(3)事実を見る目を養う。
(4)その方向をもっと多面的にして掘り下げてみればいい。
5 技術をまとめてみる。
6 教育技術に絶対だというものはない。
(1)教育技術は、常に修正され成長していく。
(2)絶えざる改良の追試が必要である。
7 授業中の教師の行為の中心は「発問・指示」である。これによって授業の良し悪しが生まれる。
 すぐれた授業ができるには、さまざまな技術や方法を持っていなければならない。
 基本は学ばなければならないし、我流を直すには、人から言われなければならない。
 師匠をもち、仲間をもつのは、とても大切なことだ。
 すぐれた教師が見せるさまざまな技術・方法を学ぶのはむろん大切なことだ。
 しかし、そのような技術・方法を身につけるまでにいたった、その教師の志も見なくてはならない。
 その意味で、すぐれた教師の本質は、すぐれた技術・方法を生むにいたった思想と行動力のすばらしさにもあるのである。
 だからこそ、すぐれた教師は、それぞれに個性的で魅力的で謙虚で勉強家である。それぞれに、包み込むような暖かさを持っている。
 仕事には、それぞれのコツがあるわけである。
 よくなる効果のあるコツは、単純、明快、だれでもわかり、どこでも実行できます。
 あらゆることに通用します。すばらしい効果があらわれます。
 「つき」がつきます。実行する人の人相がよくなります。
 子どもに多くのことを与え、子どもを自分の都合よりも第一に考える。
 成功する人の条件はただ一つ「やるべきことをすぐにやるひと」です。
(向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

 

 

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子どもたちに毎日「家庭連絡」「見たこと」「はてな?と思ったこと」をノートに書かせる

1 おたよりノート(家庭連絡ノート)
 私は、学級通信は、よほどのことがない限り、出さない。そのかわり「おたよりノート」を全員にもたせ、毎日、連絡すべきことをくわしく書かせる。
 黒板に少しずつ書いては「おたよりノート」に写させる。
 学級通信にのせて知らせたいことを、全部子どもに書かせる。これは書く学習である。
 書いたものを読ませる。音読の練習である。
 保護者も、子どもの「おたよりノート」を毎日見る。学校の様子を知り、あす準備するものを知る。
 つまり「おたよりノート」を通して、子どもと親がコミュニケーションできる。
 子どもも、わたしが検印をおし、親が見るので、読めるように書こうと努力する。詳しく書いて親に知らせようと工夫する。
「おたよりノート」を書くことを通して、大切な指導ができるのである。
 それを学級通信として印刷したものを渡したのでは教育の機会をなくすことになる。あまりにももったいないのではないか、というのが、わたしの考えである。
2 「見たこと」帳
 小学校1年生には「研究文」は無理である。自分の目で、耳で確かめたことを書かせたい。
 テレビでの聞きかじりを書かせたのでは弱い。何としても自分で苦労して入手したことや、自分で追究したことを文章にさせてみたい。
 こうして、考えた末に「見たこと」を書きなさい、が誕生した。1年生の子どもに、
「自分で見たことなら何でもよいから書きなさい」
「一行でもいいよ。そのかわり、自分の目で見ていないものはダメだよ」
 と話し、できるだけ毎日書くようにはげました。
 1年生から始めると「書くものだ」という意識がはたらくのか、毎日書く。こちらが驚くほど書いて書きまくる。
 はじめは「見たこと」を、事実だけを書いていた。
 書き慣れてきたころから、それについて「思ったこと」を付け加えるように指導した。「○○を見て、××と思った」というように。
 さらに「予想」を入れることや「調べたこと」を書いていくように、段階に応じて指導していった。
「見たこと」帳を通して、追究する子どもが育った。
3 はてな帳
 一年生に入学したばかりの子どもたちは、無意識のうちに、いろんなものに「はてな?」と思っている。
 これをほうっておくと、意識的に「はてな?」と思うことは極めて少なくなる。
 そこで、できるだけ早い時期に「はてな?」精神を引き出し、問題を発見する技能を育てていくことが大切になる。
 入学して早い時期、わたしの場合は入学式の翌日、
「この教室で『はてな?』と思ったり、おたずねしてみたいと思うことはありませんか」
 と、問いかけ、列ごとに全員、言わせるようにしている。
 どんなことを言ってもよい雰囲気をつくりながら言わせる。
 毎日、口頭で「はてな?」を言わせる。言いぱっなし、聞きぱっなしである。
 だからこそ、子どもたちは自由に言うのである。毎日言わせているうちに、
「先生『はてな?』を書いてきていいですか?」と言うようになる。
 私が「どうして?」と問うと、
「毎日『はてな?』を言わせるでしょ。だから、家でみつけて書いてくれば、いちいちみつけなくていいから、めんどうくさくないよ」
「おたよりノート」を書いているので「はてな?」を家で書いてよいかと言うのである。
 私は、こう言い出すのを、今やおそしと待っていたのである。このために「はてな?」帳を40人分つくって待っていたのである。
 しかし、そんなことはおくびにも出さないで、「まだ、君たちには無理だよ。自分では書けないよ」
「書けるよー。書ける。」と、合唱のように言う。「そんなに言うなら、書かせてやるか!」と言うと、大歓声である。こういう演出をするのである。
 子どもたちが書きたいと言い出すのは、たいてい四月末である。
「さあ、がんばって、毎日『はてな?』と思ったことを、一行でよいから書くのだよ」
「朝、学校にきたら、書いたところ開いて、先生の机の上に置きなさい。いいものにはマルもあげるよ」
 こうして「はてな?」を書くことにより、記録も残り、成長の様子もこれでよくわかるようになる。ちょうど5月に入るころであった。
 6月ごろになると「こう思っていたら、実際はこうだった」という、「予想や答え」を入れるように指導する。
 そうすると、文がふくらみ、内容が豊かになって、おもしろくなる。
 成長にあわせ「おもしろい、はてな?」を見つけなさいと働きかける。「ものごとをおもしろく見る」というユーモアのセンスをみがくことになる。
「はてな?」を書くことで、何を見ても問題を発見できるようになり、おもしろく見ることができるようになるのです。
 教育というのは、子どもの見る目を広げたり、深くしたりすることでしょう。そのようなことを、保護者にも理解を求めていく。
(有田和正:1935-2014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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授業や子どもの記録は写真で残すのがよい、学級のルールは文章と写真で掲示する

 授業終了時の板書や、子どものノート、図工の時間に作った作品など、写真で撮影して残しておくと記録にも評価にも使える。
 記録はなるべく残した方がいいとは、誰もが思うでしょう。
 でも、手間がかかる上に、保存場所も必要だということを考えると、どうしても尻込みをしてしまいがちです。
 しかし、スマホやデジタルカメラを使うと、手軽にかさばらずに記録を残すことができます。たとえば、
(1)板書の記録
 これは授業が終わったときに黒板をスマホやデジタルカメラで撮影しておくだけです。簡単な授業記録にもなります。解像度はそれほど高くなくても十分に読めます。
(2)子どもたちのノート
 接写モードにするか、離れた所からズームアップして撮影します。後で授業記録をまとめたり評価に使ったりできます。
(3)図工の作品を撮影しておきます。
 粘土や工作物はいずれ形がくずれてしまいますので、写真に撮って残しておくといつでも見られます。印刷して子どもたちに渡しても喜ばれます。
(4)学級のルールは文章と写真で掲示する
 学級にはいくつかのルールがある。子どもにルールが浸透するまでは、ルールを文字と映像で掲示するのが効果的です。
 たとえば「次の時間の勉強道具を準備してから休みにします」というように、新学期には、このようなルールを何度も確認することになります。
 しかし、言葉というものは送り手と受け手との間で、違う意味に取られていることがあります。
 これをなるべく避けるためには、言葉と共に画像を子どもたちに示すようするとよい。
 画像で示すことで、言葉では伝え切れない多くのことを伝えることができます。
「次の時間の勉強道具を準備してから休みにします」のように勉強道具を準備するというルールだったら、机の上に教科書とノートを広げ、筆記用具を出した状態の写真を撮ります。
 この写真をA4の大きさで印刷し、画面下部に「休み時間の前に準備」とゴシック体で目立つように書きます。
 これを黒板や掲示板に貼っておけば、何をすべきか一目瞭然です。
 文字と画像でルールを掲示するのが最も効果的です。
(5)このほかにもいろんな場面を撮影しておくといいと思います。
(「できる教師のすごい習慣」山中 伸之著 学陽書房 2008年)
(山中伸之:1958年生まれ、小・中学校勤務を経て栃木県小学校教師。「渡瀬にこにこサークル」代表、実感道徳研究会会長、日本基礎学習ゲーム研究会研究部長、日本群読教育の会常任委員。多くの教師の悩みに応える活動を行っている)

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私は様々な指導技術を身に付けてきた、その方法とは

 私が本に書いているのは、目の前の子どもたちに試して、ヒットした実感のあるものだけである。
 現場人である我々教師には、理屈は不要だ。
 例えば、水泳指導である。25mを泳ぎ切った時の子どもの笑顔は最高だ。
 しかし、私は若いとき、子どもを25m泳がせる指導技術をもっていなかった。
 私は子どもの笑顔を見るのが大好きだ。だから教師になったと言ってよい。
 しかし、子どもの笑顔を見たいのに見ることができない。こんなつらいことはない。
 だから、一生懸命に勉強した。本屋に行って、水泳指導の本があれば、片っ端から買って読んだ。そして、本から学んだことを子どもたちに試した。
 その方法を使って子どもが泳げるようになれば、その指導法を取り入れた。子どもが泳げるようにならなければ、その方法は使わなくなった。
 我々教師にとって、目の前の子どもの事実が全てだからだ。
 これをくり返すことで、私なりの水泳の指導法をつくりあげていった。
 おかげで、毎年多くの子を、初めて25m泳ぐことが出来るようにし、多くの子どもたちの笑顔を見ることに成功している。
 様々な本を読んでいると、それぞれに理屈が違っていることに気がついた。
 私には、目の前の子どもの事実だけが頼りだった。
 これは、水泳の指導だけに限らない。
 若い私は、多くの本を読んだ。教育雑誌だけで毎月20誌以上を買っていたこともある。
 それらの本から学んだことを、どんどん子どもたちに試した。
 そして、効果のあった指導法を取り入れ、効果のなかった指導法を捨てていった。
 私はこうやって様々な指導技術を身に付けてきたのだ。
 ある若い教師から、こんな質問を受けた。
「授業に班学習を多く取り入れている。それなのに、班学習をすると、いつもパニックになる子どもがいる。どう対応すればよいか?」
 私の答は、単純明快。「班学習をやめたらいい」である。
 班学習をしたら、必ずパニックを起こす子どもがいるのである。目の前の子どもに合っていないのに班学習にこだわる理由が分からない。
 私は、その子が良くなった方法を続けて使う。悪くなった方法は使うのを止めることにしている。
 もちろん、そのためには「子どもを見る目」が必要なのは言うまでもない。
 私にとって必要なのは理屈ではない。目の前の子どもたちの事実が全てなのだ。
 私は目の前の子どもの事実からしか学ばない。それは若いころも、今も変わらない。
(中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

 

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すぐれた教育技術を身につけるには、どのようにすればよいか

 すぐれた技術を身につけるには、学ばなくてはならない。それも、半端な努力ではだめである。
 すぐれた技術は、それを知ってすぐに身につくものではない。
 技術を身につけるということは「技術について理解すること」と「技術を身体に習得すること」の二つを通過しなければならない。
 「技術を理解すること」は、学習においてもできるが、それを「身体に習得させる」ことは、学校現場でやるほかはない。
 「技術」は、その人その人の「使用能力」と合体して表現されることがある。
 「技術+その人の使用能力」それを技能とよぶ。
 技術を技能にまで高めることが必要である。それには修業が必要だ。
 技術は人それぞれの個性と結びつき、それぞれの姿を持つ。
 同じ歌を歌っても、歌手によっておもむきがちがうようにである。
 高い技能水準に達するには、
(1)どのくらいの水準にまで上げるのか目標がなければならない。
(2)目標との差を自覚しなければならない。
 どこが、どのように悪いのかを分析しなければならない。
 優れたコーチは、そこを発見してくれる。上級者の存在が必要だ。
 すぐれた教師に授業を見てもらう最大のポイントは、そこを見てくれることである。たった一言でも万金にあたる。
(3)自分の現状を分析し、その欠点をあばいた上で、それを克服する努力を続けねばならない。
 意識しなくても、瞬間的に使えるようになるまで、自然に自分のものになっている状態まで続ける必要がある。
(4)技能は、一つの技術を使えるという状態から、「多くの技術から瞬間的に一番いい方法を選択して使いこなす」という状態までの広がりがある。技術は多くを知っていなければならない。
 例えば、全校集会で体育館に集まったとき、はじめは騒がしいものである。さわがしい子どもたちをどう静かにさせるか。教育技術という点から考えてみる。
 教育技術のない教師は、「静かにしなさい」「前にならい」をくり返す。教師としてのプロ性はほとんどない。
 最低の教師は、子どもをどなりつける。ほめ方が上手で毎時間ほめている教師はいい教師だ。
 教師なら何かの技を持っているべきであろう。
 誰でも一つか二つの技術を持っていてあたり前である。教師は、それが仕事なのであるから。例えば
 「先生が五つ数えますからね。五つ数えるうちに静かになりましょう。ひとーつ。ふたーつ。・・・・・」
 これは、かなり効き目のある方法である。このような方法をする教師でプロの入り口、新卒程度であろう。
 問題は、いつもいつもこの方法しかとれないことである。
 これでは、教育の幅がせまくなる。自己流の教師に多い。本を読まない教師に多い。
 教育技術はいっぱい持っていた方がいい。いっぱい持っていれば、いろいろ選択できる。
 教育技術をさまざま知ることによって教育の幅は広がるのである。
(向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

 

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アマチュアみたいな教師が多すぎる、プロ教師になるにはどうすればよいか

 アマチュアみたいな教師が多すぎると思います。
 長い時間かけて学校で何かをしていたら、仕事をしているのだと勘違いしている教師たちがいます。
 私がプロ中のプロだと認める教師たちの多くは、毎日学校に遅くまで残っていることは少ないのです。
 遅くなる理由は、
(1)だらだらと時間をかけることに慣れて、早くするという感覚が無くなっている。
(2)段取りが悪くて、時間がかかってしまう。
(3)切りのないことを、いつまでも続けてしまう。
 例えば、明日の授業のことなどは、いくら粘っても良い授業にはなりません。授業は常に「見切り発車」なのに、見切らないままに時間が過ぎて、くたくたになってしまうのです。
 プロ教師は、お客である保護者に満足してもらわないといけないのです。
「私は正しいが、親が分かってくれない」なんていうのは、プロ教師の言うことではありません。正しいなら、分かってもらえるように説明すべきです。
 その仕事に応じた態度というものがあるのです。教師は子どもや保護者に不安に思われないことが大切です。
 教師も、下手に出ることで、かえって軽く見られてしまうことがあります。自信がなくても、そんなそぶりを見せてはいけないのです。
 子どもたちだって、教師は堂々としていてくれた方がいいのです。
 教師は学び続ける姿勢が必要です。
 普遍的な考えや技術があり、同時に新しいものへの知識と見識を持っていることがプロ教師としての最低条件だと思います。
 プロは結果が問われます。
 プロ教師は子どもが育ち、目に見える目標や結果をのこすことを意識するものだと思います。例えば、
「あの先生が担任したら、子どもの平均点が上がる」
「あの先生は、子どもたちの世の中への関心を高めてくれる」
などと言われるようにならないと、プロ教師とは言えないのです。
 プロ教師になるには教育実践がすべて。
 教育書や学級経営の本を読みあさり、セミナーにいくら参加しても、決して授業や学級づくりはうまくいきません。
「ここを、どうすれば良いのだろうか?」という問題意識を持ち、その上で本を読んだり、セミナーを聴いたりして、もう一度、子どもたちへ教育実践し、常に子どもを通して学んでいくことが大切です。
 では、教育実践はどうすればよいのでしょうか。
 授業や学級づくりで教師が力をつけるために、教育実践を工夫し、失敗や成功を、ちゃんと受け止めて学び、自分の教育実践を改善していくようにするとよいと思います。
 子どもたちとの教育実践からしか、教師は力をつけられないものなのです。
(多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

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教育実践がうまくいく先生は何が違うのでしょうか

 教育実践がうまくいっている教師は何が違うのでしょうか。
 教育実践がうまくいっている理由をあげると、
(1)教育実践がうまい教師は、原因を追及しすぎません。
 原因を追求しすぎると、教育実践がうまくいかないことを、よく知っているからです。
 教育実践がうまくいかない原因には、取り除くことができるものと、できないものがあります。
 例えば、親の離婚が原因で欠席が多くなった場合「離婚をやめてください」とは言えません。
 原因を追究して取り除くという考え方は、教育現場には、なじまない場合が多いようです。
(2)どうしたらうまくいくかという「解決」に焦点をあてる
 教育実践がうまい教師は、どうしたらうまくいくかという「解決」に焦点をあてます。 
 どうしたら、「よりよき状態を手に入れることができるか」を考えることに焦点をあてたほうが効率がよいのです。
(3)うまくいっている状況を具体的に想像ができる
 教育実践がうまい教師は、「よりよき状態」を手に入れるために
「うまくいっている状態では、どのようなことが起きているか」を、具体的に想像できます。
 実は、ここが一番重要なことです。
 例えば、うまくいっている学級の状態では「個々の子どもにどんなことが起きていますか?」具体的に考えてみてください。
 そのとき、子どもは何をしていますか。どのような言葉が聞こえ、どのような関わり方をしていますか。
 具体的な行動が想像でき、そのときの空気感まで感じることができれば、半分は成功です。
 最終のゴールのイメージが描けたら、現実のものにするために、何をするか考えればいいわけです。
 ゴールのイメージが想像しにくい教師は、うまくいっている教師の学級の様子を観察したり、同僚の教師と一緒に考えてみたりするとよいでしょう。
(4) 「どうしたら、うまくいくか」という解決志向の対応や考え方が体になじんでいます
 私は、以前に中学校の教師をしていましたが、そのとき私にできたことは、生徒たちが「しあわせ」を感じることのできるセンサーを磨くことと、心の種をひたすら蒔き続けることでした。
 ストレスは、自分の思うようにいかないときに生じるものです。
 私たちは、変えることのできない他人と過去の出来事について「なぜ」「どうして」と思い悩み、身動きがとれなくなるのです。
 他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられます。過去の出来事をどう受け止めるかは、いま、変えることができます。
 原因の追究に時間を割くのではなく、解決志向でいきましょう。
 教育実践のうまい教師は「どうしたら、うまくいくか」という解決志向の対応や考え方が体になじんでいます。
 こうした教師の対応や考えが、子どもたちのモデルにもなります。一石二鳥にもなるでしょう。
(5)うまくいかないとき、子どもを変えようとせず、教師自身の行動を変える
 子どもを変えようとするのではなく、教師自身の行動を変えれば、未来も変わります。
 もし、一度やってうまくいったなら、迷わず次もその方法でやってみることです。
 その方法を繰り返し続けていくうちに、それが自分の得意技となり、自信へとつながります。
 一度うまくいくと、どんな忙しくても、どんなに時間を費やしても「達成感>疲労感」となるものです。
 もし、うまくいかなかったら、いさぎよく、ほかのやり方を試してみましょう。うまくいかないことに、いつまでもこだわることはありません。
 百発百中をめざすのではなく「数打ちゃ当たる」の心意気です。そして、うまくいったら、迷わず次もその方法でやってみることです。
 教育実践のうまい教師は、うまくいかないとき、子どもを変えようとせず、自分が変わろうとします。 
(6)子どもたちの小さな変化に気づくのがじょうず
 教育実践のうまい教師は、子どもたちをよく見ています。
 いままで、できていなかったことが、できそうになった瞬間を見逃さないのです。すかさず声をかけるのです。子どもたちは前に進む勇気が出ます。
(7)小さな変化を起こすのがじょうず
 いままでとは違う何かをするということです。
 例えば教室に入るとき、いつもは前から入るが、今日は後ろから入り、机と机の間を通るルートを変えてみます。子どもの様子を身近で観察することができます。
(8)「どうしたらうまくいくか」考えるのがじょうず
 よりよき状態を手に入れるために、どうするか考え、すぐに行動に移すことができます。
(9)問題解決を「子ども自身でできる」と信じて対応することがじょうず
 教育実践のうまい教師は、子どもの話を聴きながら、
「そっかぁ(受容)」
「で、あなたはどうしたいの?(質問)」
と、いった会話をしています。
 答えは、その子がすでにもっているものです。気づかないふりをしていることが多いことを教師は知っているのです。
(10)「アプローチの引き出し」をたくさん用意できている
 教育実践のうまい教師は、アプローチの仕方の引き出しをたくさん持っています。
 この手法がダメなら、あの手法がある。この子にはこの言葉がけが効くだろうと。
 アプローチのレパートリーを増やすには、どうすればよいのでしょうか。
 各種研修会に参加する。本屋で探すのもいいでしょう。常にセンサーを張り、気になるものや使えそうなものを書きとめることをおすすめします。
(11)教育技法や理論を支える哲学をもち、それを支える人間性を常に磨く
 教育技法の裏づけとなる理論を知り、意味がわかることが大切です。
 すぐに結果が出なくても、意味がわかっていれば、余裕をもって子どもにかかわることができるようになります。
 逆に、小手先の技法にとらわれて溺れたりしないでください。
 いくら技法を学んでも、それを使う教師の人間性に問題があると、実践はしっくりきません。操作的になってしまい、うまくいかないので注意が必要です。
 教育実践のうまい教師は、教育技法や理論を支える哲学をもち、それを支える人間性を常に磨いているのです。
(鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校で30年間勤務、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学准教授。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。 『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)

 

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教師が技を磨くことによって、よい授業ができ、子どもや保護者に信頼されるには、どのようにすればよいか

1 本物の技を身につけるには
 本物の技というものは、生半可な努力で身につくものではない。
 何の世界でもプロといわれる人は、普通の人には見えないものがプロには見える。
 技を体得するには工夫しながら経験を積み重ねることである。
「予想をもって仕事をし、仕事をした後は記録し、反省を加え、次の予想をたてる」といった工夫の積み重ねが大切だ。
 その日ぐらしでは、何年たっても技は向上しない。
「何とかしなくてはならない」という、切羽詰まった場に自分の身を置き、挑戦することが大事だ。
 新しいものを追い求めるだけでなく、ふと立ち止まって、斎藤喜博や東井義雄などの技をあらいなおしてみることも必要かもしれない。
 成長のもとは、いい技を身につけたいという意欲の強さである。
 新しいものに挑戦しなければ技を磨くことはできない。
 努力と挑戦を継続できるかが問題である。
 技を磨くには、「この発問が有効かどうか確かめてみよう」といった、「めあて」を持って授業を行ってみるとよい。
2 授業の技を磨くには
 研究的な授業を実際にやってみるに限る。
 何かを工夫してみるとか、試すために研究的な授業を行ってみなければ腕は上がらない。わたしは年30回くらい行っている。
 ただ授業をやるのではなく、小さなことでよいから、何か一つ研究的にやってみることだ。
 例えば、今日は「この発問が有効かどうか、確かめてみよう」と考え、その発問を慎重にやってみる。うまく反応すれば自分の理論や技になる。
 逆に、子どもが反応せず、授業にならないこともある。こんなとき「どこが、どのように悪いのか」よく反省し、記録をとっておく。
 自分の授業の記録をとらない人が多い。これでは反省もできないし、前向きに考えることもできない。授業がうまいなあと思う人は記録もうまい。
3 子どもや保護者との信頼関係を築く
 教師は子どもや保護者から心服される知識・技術・人間性をそなえなければならない。
 授業の技というのは、究極的には、その人の人間性であり人間力である。
 単なるテクニックではない。小手先で子どもを動かすものでもない。心眼ともいえるものをそなえた人でなくては、技を持っているとはいえない。
 信頼関係をとりもどすには「やさしさと厳しさの使い分け」をすることだ。
 ふだんはやさしさが必要だし、子どもをかわいがらなければならない。
 しかし、時には、厳しく叱り正さなければならない。
 最も大切なことは、教師が身をもってことばや態度で示さなければならない。
 軽いことばをちゃらちゃら使わないことだ。
 教師のしていることを見て、まねて子どもが育ってくると、保護者が教師を信頼するようになる。
 これが一番早い信頼関係のつくり方である。
 子どもが心から教師を信頼するようになったとき、保護者も教師を信頼するようになるのである。
 人間性を磨き、子どもや保護者との信頼関係を持とうではないか。
4 教材に強くなり、内容に精通した教師になること
 多くの教師は、教科書の内容をきっちりつかんでいない。
 教科書を最低20回くらい読む。すると、そこで教えなければならない内容が鮮明になる。
 これを単元単位でやることだ。単元の中心になることや、最も面白いことが見えてくる。
 教科書の順序にとらわれることはない。「最も面白いところから切り込む」ことだ。これが導入の技である。
 子どもの学習意欲も高まりやすいので効果的である。
 面白いところから切り込めば、子どもが次は「何が食べたいか」教えてくれる。教えてくれた内容へ進めば、子どもの意欲も下がることはない。
 教科書の中に書き込んだり、紙に書いてはりつけて折りこんだりする。これは付け加えたい内容である。ごれで、教科書は教師のものになるのである。
5 私が常に心がけていること
 具体的にほめること。子どもはほめられた方向へ育つ。ほめ言葉は植物にとっての太陽のようなものである。
6 今の教師に足りないもの
 教師の仕事の中心は、授業を通して子どもに学力をつけ、モラルを育て、学級づくりをしていくことである。
(1)
知性:教材が決定的に弱い
 調べる時間がないという。時間は自分で工夫してつくるのである。今できることは今やること。これにつきる。始めからきちんと方針を決めて仕事をする。
(2)
モラル
 大半の校長は「何しろ、挨拶一つできない、教師としての最低限のモラルさえ身につけていない教師が多い」となげく。
 ある若い教師が、突然連絡もなしに学校を訪ねてきた。「授業を見せてくれ」という。
 四時間参観して、お礼もいわずに帰っていった。礼状もなかった。
 常識を疑うような人に時々出会う。教師の人間教育をやり直さなければならないのかと思う。
(3)
スマイル
 私は、スマイルのある表情をするように努力している。
 だから子どもたちの前に立つと自然にスマイルができるようになったと思っている。
 しかし、飛行機の客室乗務員にはかなわない。教師はサービス業である。客室乗務員に負けないスマイルを身につけたいものだ。
 ある客室乗務員は疲れたりすると笑顔が少なくなるので香水をハンカチにしみこませておいて、においをかぐことで元気になり笑顔もつくれるようです。
 教師に足りないのはスマイルである。話をしても、授業をしてもニコリともしない。まるで能面のようである。
「ニコニコしていたら、子どもにバカにされる」と、ある中学校の教師がいいかえしてきた。
 それで、私は「ニコニコしなくても、すでにバカにされていますよ。今日見た授業でもそう見えましたよ」といったら、ムッとした顔をしていた。
「授業は楽しいものだよ」ということを教師は表情でしめさなくてはならない。
 スマイルは教師の義務だと私は考えている。これは技というより、人間性といった方がよいだろう。ネクラからネアカに。これも教師の義務であると考えている。
 せめて子どもの前だけでもスマイルを絶やさないようにしたいものである。わたしが見た名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。
 スマイルのある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
 表情は練習で変わる。わたしがやっている方法は、机の上に常に鏡を置いて、時々表情を見る。電話するときどんな表情で話しているか、メモすると同時に見ている。
 スマイルのないときは、言葉もきつくなっている。これではいけないと反省し、急に笑顔をつくってみると、何と言葉が変わってくる。
 鏡の大きさは10cmで足がついている。毎日、何度となく自分の表情を見ているうちに、自分の表情のクセがわかる。そして、ふだんどんな顔で話しているかわかるので、反省の材料になる。
7 見ることも技しだい
 授業を見るのも「その人の実力のほど」にしか見えないのである。ある人には見えて、ある人には見えない。そのことに気づいていない人が多い。
8 言葉づかい
 名人といわれる人たちは、声は適度の大きさで話し、適度の大きさで笑う。どことなく品がある。
 教師に大切なのは品のよさである。教師がいつも笑顔で、大きな元気な声で、やさしく話しかければ、子どもたちはちゃんと応えるものだ。
9 教材のよしあしが授業の死命を制する
 つぎの教材を使えば、よい授業である。
 教材の面白さである。間口は狭く奥行きの深い教材である。今も昔も、教材がよいと子どもが熱中する。
(1)
固定観念をひっくり返す教材
 例:「大井川に橋をかけなかったのは、幕府の政策であった」(子どもたちの考え)に対して、「橋ができたら生活に困る人たちが橋をかけさせなかったのだ」という考えを提示した。
(2)
意表をつく教材
(3)
新鮮な出会いをさせる教材
(4)
思考のあいまいさをつく教材
(5)
事実を確かに見させる教材
10
よい授業には技術も必要
 教材がよいだけでよい授業ができるかというと、技術も必要である。
 技術の中でも大切なのは「発問・指示」である。
 発問のしかたによって授業は全くかわったものになる。
「発問・指示が鮮明である」ということがよい授業の大切な条件である。
 よい授業には、「わかりやすくて、問題をはらんだ資料が提示されている」ということである。
 資料収集、作成、提示がものをいう。「見せたいものは、なるべく見せるな」といわれている。授業の上手な人は、さり気なく、周到に準備して提示している。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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一流の実践家の教育技術を学んでも出来ないのは、その実践家の生きざまによる部分が大きい

 教育技術を学べば、教師としての力量は格段に伸び、教育実践は充実したものになると、私は若い頃信じていました。そして、多くの教育技術を一流の実践家から学びました。
 ところが、私はその実践家の先生のようになることはできませんでした。
 私は、あるとき気づいたのです。
 一流の教育実践家が、その講座や著書によって披露している教育技術は実のところ、その本人が意識できていることだけに限定されるということに。
 そして、実践家の実践を形作っているのは、むしろ意識されていないその所作や、教育観、子ども観、また実践家の性格による部分が大きいということに気づいたのです。
 そうしたその実践家の人格としか言いようがないものと、教育技術がマッチしているからこそ、一流の教師は一流として存在しているわけです。
 教育技術と教師の人格は背中合わせにあるものだというのが私の結論です。
 ですから、私が研修会の講座で語る場合や、またどなたかの教育技術論を聞かせていただく場合にも、「その技術は、なぜ必要なのか」「その教育技術は、どのようにして生まれたのか」「その教育技術が、その教師にとってなぜ可能であるのか」といったことに留意するようにしています。
 つまり、教育技術と教師の人格をまるごと語るときに、はじめて教育情報は価値あるものになると私は考えています。
 教育実践家から真に学ぶべきは、その教師の生き様です。なにを体験し、なにで失敗し、なにで成功したのか。そしてどのように学ぼうとしたのかです。
(
山田洋一:1969年生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。教育研究サークル「北の教育文化フェスティバル」代表
)


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子どもの話を最後まで聴くだけでなく、助言・指示・支持・説得の技術を使いこなさないと教育はできない

「情熱だけでは教師はつとまらない」というのが私の持論である。教師になりたくて教師になったのに、子どもたちは、笛吹けど踊らずという毎日が続くと、自信喪失に陥り、自分は教師不適格者だと思い込み、教職を去る人がいる。
 その人の人格や性格に問題のある場合もあるが、教育の技術が見つからなくて絶望する人も少なくない。
 教師と子どもの関係づくりは、子どもの話を最後まで傾聴するという受け身的な技術だけでなく「助言」や「指示」や「支持」、「説得」など、能動的技術を使いこなさないと、教育はできないと思っている。
 子どもの話を聞き、状況に応じて是々非々を明示したり、どうすべきかを指示したり、教師が自分の考えや感情を開示しなければならないことが少なくない。
 教師がなじんでおいたほうがよいと思われる技術は
1 かかわり行動
 教師が「私はあなたに関心・好意を持っている」ということを、子どもに伝える技術である。ねらいは、教師と子どもとの関係づくりである。例えば、
(1)
笑顔でうなずきながら、子どもの話を聴く。子どもに視線を合わせて会話する。聞き取りやすい声で話す。
(2)
子どもを呼びつけないで、自分の方から近づいていく。子どもたちと一緒に遊んだりする。子どもと廊下ですれちがうとき声をかける。
2 質問する
「学校はおもしろい?」などと質問するのは、教師と子どもとの関係づくりと、子どもを理解することが目的である。
 教師が何も質問しないと「この先生は、私に関心がない」と子どもが誤解することもある。人は誰でも関心をもたれていると感じるのは快いものである。
3 はげまし
 子どもは「何を話しても聴いてもらえる」と感じると「この先生は私の見方である」という信頼感が生まれる。それには、子どもと会話しているときに、
1 )
受容
「なるほど」などとあいづちをうつ。
2 )
うながし
「それで?」「たとえば?」と、話を促進する合いの手を入れる。
3 )
繰り返し
 話の中のキーワードを繰り返す。
4 )
言い換え
「~ということ?」と確認する技術のことである。
 子どもは「わかってもらえた」という感じがするから、教師への信頼感が高まるし、子ども自身の自己理解につながっていく。言い換えの種類は、
(1)
事実
例「仲間はずれにされたわけだね」
(2)
感情
例「悲しいわけね」
(3)
意味
例「何も悪いことをしていないのに、仲間はずれにされたので悲しいのね」
(4)
三種類の応答技法を使って会話する
 子どもは事実ばかり語ることがあるので、
「それについて、どう思っているの?」と質問し
「どちらの味方にもなれないのね」と意味への応答し
「どうしてよいか困っているのね」と感情に応える
ようにするとよい。
 こういうふうに、3種類の応答技法を使って会話すると、子どもは自分の状況がよく見えてくる。つまり心が整理されてくるので、
「先生と話していると気持ちがすっきりしてくる」
と言うようになる。
5 )
意識化
 子どもがうすうす気づいていることを、先手をうって言葉にする技術である。明確化ともいう。
 子どもに「自分が取り組むべき問題が何かを理解させる」のが目的である。
 子どもの立場に教師が自分を置いてみて、自分ならどう感じる(考える)だろうかと、ふり返ればだいたいの見当はつく。
 例えば、ぶすっとしている子どもがいれば「何か機嫌が悪そうだが・・・・」と。
 教師自身に、いろんな感情体験のない教師は察しが悪くなる。いろんな苦労を乗り越えておかないと、コンプレックスになるから、この技術を素直には使えないと思われる。
 すなわち自己嫌悪の人は他者嫌悪になりがちだからである。
6 )
手ほどき(助言・指示・フィードバック)
 援助の手をさしのべないと、子どもにすれば、どうしてよいかわからないことがある。
「助言・指示・フィードバック」をするときの留意点は、具体的であること。具体的でないと実行しにくいからである。
7 )
支持
 支持とは、子どもの思考・感情・行動を認める言動のことである。例えば「なかなかよい考え方だ」「よくできるじゃないか」などである。
 ねらいは、子どもに自信をもたせることにある。
「私に何かしてほしいことはないか?」「私にできることが何かないかなあ」と行動をともなう支持をすることもよい。
 気をつけなければいけないことは、
(1)
無理に支持しようとすると、お世辞にひびくことがある。
(2)
支持する根拠をもつことである。根拠がないと、単なる気休めになる。
4 説得
子どもの話しを聞くだけでは問題が解けないことがある。
説得して考え方や行動の仕方や、場合によっては感じ方まで変えることが求められることがある。
 子どもに抵抗されないよう、どう説得すればよいのでしょうか。
 説得する場合「子どもがどうなることを欲しているのか」をつかむ必要がある。そのためには、子どもの話をよく聞くことである。
 説得するためには、教師と子どもとの間に、よい人間関係をつくらなければならない。
 人間関係をつくるには
「この先生は、私の味方である。私のためを思ってくれる人である」
と、子どもが感じるような、相手の身になって話を聞くことである。 
 説得が抽象的だと行動にはつながらない。具体的で、小刻みに指示するとよい。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長などを歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)

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