カテゴリー「授業の技術」の記事

初任者の共通する授業の特徴と、どのようすれば授業の改善ができるのでしょうか?

 初任者がまず悩むのは、教科書をどのように教えたらいいのだろうか。どのように授業を始めたらいいのだろうか。発問はどうするのか。子どもたちのノート指導はどうするか。戸惑うばかりで、時間ばかりが過ぎてしまう。
 初任者が次のような状態で授業ができるようになれば、まずは合格点をあげることができる。
(1)
子どもたちの顔を見ながら授業をしている。
(2)
きちんと、はっきりした声で、子どもたちに話をしている。
(3)
机間指導ができている。
 この状態をまず授業で作りあげることが最初の関門である。このことは簡単ではない。
 授業づくりに慣れてきたら、次に考えることは「導入でのひきつけ」である。どうするか。次のことぐらいはできるようにする。
(1)
復習問題を出す。
(2)
いきなり写真を出して「何の写真でしょうか?」と問う。
(3)
「物」を出して、それを子どもたちに見せる。
 特に「物」は大切である。授業への興味・関心が膨らむ。授業づくりには欠かせない。
(4)
音読から入る。
 日常の授業で教材研究はどうすればよいのでしょうか。
 例えば、国語の「大造じいさんとガン」の教材研究は
1 教科書を読む
 最低2回は読むようにしたい。場面分け(教科書では4場面に分けてある)が必要である。
2 指導書で確認する
(1)
単元目標を確認する
 場面の移り変わりに気をつけて、中心人物の行動や心情の変化を読む。
(2)
指導したい具体的な目標
 単元目標を確認できたら、自分なりに「指導したいこと」に落とし込んでいくが必要である。自分なりの指導イメージが「具体的な目標」である。
 例えば、大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化を読み取る。
(3)
1時間ごとの指導
 最初は指導書を参考にしていけばいい。
 実際の授業の流れは「始め-中-まとめ」、どんな「発問」「活動」をさせようかと、とメモ書きし、イメージができればよい。
 ほとんどの初任者の授業を見ていると、共通する特徴は教師が授業の8~9割をおしゃべりする授業である。
 それをなくすためには、教師が子どもたちに発する言葉を「説明・発問・指示」に区別するところから始まる。
 たとえば、「説明」で、勉強することを分かりやすく伝え「発問」で子どもたちの思考に働きかけ「指示」で子どもたちの行動に働きかけるのである。
 教師のおしゃへりを、せめて5割に収めていく必要がある。そのためには
(1)
ノートに書かせる。
(2)
発言させる。
(3)
話し合いをさせる。
(4)
作業や身体を使う活動をさせる。
 初任者の授業はほとんどが「挙手発言」型の授業になっている。いつもよく挙手する3,4人の子どもたちに指名をして、先に進んでいく授業である。
 だから、最大の問題はほとんどの子どもが傍観者になることである。「挙手発言」型の授業は、かなりかたよった進め方と言わざるをえない。では、どうすればよいのでしょうか。
 授業は子どもたち「全員参加」をどのように組み込んでいけるかにかかっている。その基本型は
(1)
学習課題を確認する。
(2)
学習する課題について説明する。
(3)
発問して、子どもたちが考える。
(4)
子どもたち一人ひとりが答えのよう予想をノートに書く。
(5)
ペアで話し合う。
(6)
発表する。
(7)
教師がまとめる。 
 初任者は授業技量というのはすぐには身につかないものである。子どもたちの学力が身についているのか気になる。学力をつけるためには「基礎・基本」を毎日くり返し練習させるとよい。
 例えば、
(1)
国語の授業:漢字タイム(5~10)、音読タイム(5分)、本時(30)
(2)
算数の授業:前時の復習(5分)、本時(35)、本時の復習タイム(5分)
 このような分割法の授業を積み重ねを毎回することによって、きちんとした基礎的な学力を保障していくことになる。
(
野中信行:1947年生まれ、元横浜市立公立小学校教師、学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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板書のうまい教師はいい教師、子どもの注意や意欲を刺激する板書のポイントとは

 板書は、大切なポイントを黒板に書いていく作業ですが、この板書には何を書いて、何を書かないか。書くべきことも、どれだけわかりやすく短くまとめるか。そうした選択と省略と凝縮の技術が必要になってきます。
 教師にとって、この選択と凝縮の技術がいちばん求められるのが板書です。
 板書の上手な教師は、かならず的を射た内容の選択や凝縮が行われていて、そのときに教えたいことの必要最小限の要点がわかりやすいかたちで記されているものです。
 余分なことは省かれていながら、核となる部分や勘どころはきちんと書かれているので、それを読み返せば、教えたことの内容や流れがしっかり理解できる。そういう板書です。
 よい板書は、要領よく、美しく、構造的に書かれています。
 一方、板書がへたな教師は、書きすぎる傾向があります。省略や凝縮の技術が甘いのです。
 要点を絞って、単語に近いような簡潔な文で記すのが板書技術の大原則なのです。
 板書は授業内容の簡潔な記録です。
 それは、教わる子どもたちの学習意欲を引き出したり、考えを深めたり整理したりするための記録である。
 また、板書は教師と子どもたちの「交流」の場でなくてはなりません。
 交流がない、すなわち教わる子どもたちの意見の反映のない板書は、生きた板書とはいえません。教わる子どもたちの反応を、教師がどう受け止めたか。その双方向的な記録が欠けているからです。
 したがって、板書は、学習内容の要点のほかにも、授業中の発言内容のポイントも記されている必要があります。
 また、その発言を全体と関連づけ、全体のなかで位置づけてあげることも大切です。
 このように、板書は、子どもたちの意見や考えも拾い上げて、全体に反映する場所でなくてはなりません。
 学習内容とそれに対する、教わる子どもたちの反応。それが交錯する場が黒板なのです。
 板書のうまい教師は、いい教師といっても過言ではありません。
 板書は、何をいつどこに書くか、授業の流れ沿って書く順番やタイミング、場所などを事前にイメージして、その完成図を頭に描いているものなのです。
 下書きを紙に書く場合もあれば、実際に黒板を使って予行演習する場合もあるのです。
 私も教師になって何年間かは、ノートを利用してページの半分に授業内容を書き出し、残り半分のスペースに平行して板書をするという勉強をつづけたものでした。
 とはいえ、事前の計画どおりに板書がなされた授業というのも、けっしていい授業とはいえません。
 事前の予想どおりに進んだということは、すなわち、予想どおりにしか進まなかったということであり、それは教わる子どもたちの発言が少なく、交流にも乏しい、ダイナミズムに欠けた授業であることの証しだからです。
 したがって、板書は、その授業が子どもたちの理解が進んだいい授業であったかは、板書を見れば、ほぼ一目でわかるものなのです。
 黒板は教わる子どもたちと教師の交流の場ですから、ていねいな板書をすれば、教わる子どもたちのノートも自然にきれいになります。
 板書の大切さはもっと見直されてしかるべきだと思います。
 板書の技術をつぎにあげると
(1)
黒板を広く使う
 黒板の全面をいっぱいに使うのが板書の原則です。
 ただし、黒板の両端の左右の下端は、子どもたちの視界に入りにくいので、大切なことを書かないようにする。
 大事なことは、一番目立つ、真ん中の上部あたりに書くようにするのが原則です。
(2)
文字は大きく書く
 板書の文字が小さすぎる教師が多い。教師が自分で書きやすい大きさで書くと、子どもたちの目には必ず小さすぎるものなのです。
 あくまで、子どもたちの主体に考えて「少し大きすぎるかな?」と思えるくらいの大きさでちょうどいい。
 板書がへたな教師は、たいてい字が小さいものですし、大きな字を書いているうちに板書もうまくなってくるものなのです。
(3)
板書の消し方を工夫する
 授業の途中や最後で、終わった部分の板書を「もう用ずみ」とばかり、消してしまう教師がいます。そういう場面を見るたびに「何と、もったいないことを」と私は思います。
 消し方を工夫することで、学習内容の確認や復習をさせられるのです。
 たとえば、白で書かれた部分を消し、赤の重要な部分や、黄色の「はてな?」部分だけを残して、それを復唱させる。
 逆に、重要ポイントだけを消して「いま消したところに、どんなことが書いてありましたか?」などとたずねる。
 教え終わったあとも虫食い状態の板書を残しておいて、つぎの時間の始めに埋めさせてから消すという方法もあります。
 こうした方法によって、子どもたちの理解力はより深まります。また、板書というものを子どもたちはとても大切に考えるようになり、ノートの取り方にも反映していくのです。 
 よい消し方ができるということは、よい板書のしかたをしているということであり、よい教え方をしているということの証なのです。
(4)
子どもの注意や意欲を刺激する
 私は授業の最初に、黒板に日づけを記入するとき、いろいろ変化をつけていました。
 たとえば、バカでかい文字で書いたり、極端に小さく書いたり、やたらと細長く書いたり。六月なら水無月と書き、十月ならオクトーバーと書いてみる。そんな工夫をしました。
 そうすると、よそ見していた子どもも黒板を注視するようになります。それが集中力や学習意欲につながっていくのです。
 わざと日づけを間違えて書き、子どもの注意を喚起することもありました。
 授業中に、子どもたちの気持ちがダレているかなとか、集中力を欠いているなと思えたときに、たとえば数字の6を8と間違えて書き「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、彼らの注意力を再喚起させるような方法もあります。
 そういう場合、私は子どもといっしょに、お笑いのコントを演じる芸人のようなつもりでした。
 そうすることで、教室にオープンでくだけた空気を醸し出し、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。
 このようなユーモア、明るさや楽しさというのは、教える行為のかなり重要な部分なのだと思います。笑いは教わる子どもたちを学習好きにするための潤滑油であり、添加物でもあるのです。
「授業が楽しい」「勉強するのがおもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。
 逆に、一時間の授業のうちに、一度も笑いがない、ユーモアの要素がない教室は、子どもにとって牢獄に等しいものでしょう。
 日本の教育現場にもっとも不足していて、もっとも必要とされているのが、その笑いでありユーモアなのです。
「笑いを持ち込むと教室の空気が緩んでしまう」「笑わせたら、子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。
 しかし、笑いの効果はそれとはまったく逆のものです。
 教師がすました顔で、ユーモラスな話をすれば、教わる子どもたちは身をのりだして聞くはずです。そのときにも集中力や注意力、学ぼうというエネルギーが生まれているのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります。
 教えるという行為は「空気」がするものです。子どものやる気を刺激する空気、楽しく学べる空気、はつらつとできる空気。そういう空気をいかにつくり出してやるかが教える教師の大事な役割なのです。
 そんな空気を醸成するのは、しかつめらしい、もったいぶった態度ではありません。楽しく明るい、フランクな姿勢です。
 ユーモアや笑いは学びの敵どころか、大いなる援軍なのです。そのための秘訣は
(1)
教師が「自分を笑う」こと
 教師が自分の失敗やとんちんかんな言動を笑いのネタにするのです。自分を笑っているかぎりは誰かを傷つけることもありません。カラッとした自虐ネタはユーモアの原点だといえます。
(2)
教師が「自分が笑う」こと
 子どもを笑わせようとしたら、まず教師が自分から笑うことが大事です。それだけで教室の空気はなごむのです。
 子どもたちが何かおもしろいことを言ったときには、いの一番に教師である自分が大いに笑うように私は努めていました。
「子どもといっしょに笑える教師は子どもといっしょに歩める教師であり、子どもとともに進める教師だ」という信念が私にはあったのです。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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学校で体験したことからいえる授業力を高める方法とは

 教師は誰でも「少しでもよい授業をしたい」と願っています。
 授業力を向上させるということは、教師力を高めることです。
 授業力を高めるには、教育とは何かという理念を明らかにすることが必要です。
 授業は、どうあるべきかを考えることも大切です。授業の原則を明確にすることです。
 教師は即効性を求めようと、ハウツウものに引かれます。技術や方法から学ぼうとするものです。経験から導き出されたものですから、生かさない手はありません。
 ところが、それらの技術や方法は子どもの状況によって、一様にいかないことが多々あります。
 それに、授業がドラマチックになりにくく、問題場面の対応や子どもたちの把握が十分にできなくなる恐れがあのます。
 私の好きな言葉に「原則を明確に、実践を多様に」というのがあります。
 授業の理論と技術を結びつけることによって、確かな授業観が確立していきます。
 一人の教師の生きざまを知ることにより、授業論が明らかになるのではないかと考えます。
 私は小学生のときに体験をとおして学んだことは、いまも記憶していることが多いように思います。記憶中心の授業には、よい印象がありません。小学校の教育を考えるヒントになると思います。 
 私の教師人生は、社会科をとおして授業と一体でした。いまにして思えば厳しい教師修行、授業研修だったと思います。
 1970年代のわが国は公害が問題になっていました。5年生で三重県の四日市ぜんそくを教材に公害の学習に取り組んだとき、ぜんそくに苦しむ中学生の写真を活用して研究授業をしました。
 そのとき、感受性の強い一人の子どもが写真に共感し泣き続けていました。そのとき、人間の生きる姿を直視させることにより、社会が見えてくるようになるのだなと痛感しました。
 子どもたちにとって、教材は共感的に理解したり、批判的に検討したりしながら、時には楽しみ、悲しみ、憤ります。子どもたちは学びを実感します。
 子どもたちの発言などがはっきりと私の頭に蘇るのは、授業に深い思い入れがあったからだと思います。
 私は授業に当たって教材研究と子どもの理解を深めます。それにもとづいて指導計画を作成し、授業に臨みます。実践の場は、子どもとの真剣勝負です。
 授業は一過性であり、消え去っていきます。私は授業での教師の発言や子どもの発言などを記録するために、録音しました。
 録音したものを何度も聞き返しながら、授業を文字にする作業は容易なことではありません。45分の授業でも7から8時間はかかります。
 録音した授業を聞いていると、いろいろなことに気がつきます。例えば、
(1)
同じことをくどくど何度もしゃべっている。
(2)
子どもたちが理解できないことを言っている。
(3)
子どもたちの思考や関心とは無関係に問いかけたり、資料を提示している。
(4)
取り上げるべき、子どもの発言に気づかずに通り過ぎている。
(5)10
分の作業時間を与えているのに、5分間でストップをかけている。
(6)
せっかちな指導をしている。
これらは、すべて自分の指導の実態です。録音は、すべてをさらけ出してくれます。「自己反省」の連続です。
 授業の記録を分析していると、例えば
(1)
子どもの思考はどのようなときに、ゆさぶられるのか。
(2)
資料の提示の仕方をどのように工夫すると、より効果的になるか。
(3)
子どもの発言をどのように取り上げていくと授業の質が高まっていくか。
など、記録から多くのことを学びます。
 これらのことは、すべて自分の授業力の向上に影響を与えたのではないかと思います。
 授業の記録を取ることによって、授業が見えてきます。分析する目が自らの授業力を高めることにつながるのではないかと思います。
 私が特に目をつけるところは、教師の一つの発問に対して、子どもたちから多様な考えを引き出された部分です。
 教師がたくさんの答えを用意すると、どの子も生かされます。教室に居場所ができます。
 そこに教師のふところの広さと、その学級の子どもたちの発想の豊かさを感じるからです。
 一つの発問に一つの答えしか出されないような授業はあまり感心されません。まして、一つの答えに「同じでーす」と、子どもたちが反応する学級に拒否反応さえもちました。
 授業の中で友だちの意見を聞き、それを評価しながら、自分の意見を述べている子どもにもに注目しました。
 友だちの意見に学びながら、自分の意見を変えること、修正していくことはとても大事なことだと思います。
 学び合うとは、自分と違った考えをまず認め、友だちの優れた考えから学び、つまずいている友だちの支え合いが、展開されることです。
 こうした関わり合いを大切にした人間関係の中から、学び合う心や能力や態度が育っていきます。これは子どもたちの言動や表情に現れます。
 学校参観者が多い学校に勤務したとき、私に突然、授業を参観させてやってくれないかと言われることがたびたびありました。いつ参観者があってもいいようにと、毎日が緊張の日々だったように思います。
 第三者が教室に入ると教室の雰囲気が変わります。授業に緊張感が生まれます。
 教師は無理な質問や無駄な言葉が少なくなります。子どもたちの発言や行動を大事にしようと努力します。
 いたずらに叱ったり怒ったりするなど、子どもの意欲を削ぐような言葉かけはいっさい慎みます。たとえ、子どものつたない発言でも、精一杯生かそうと努力します。
 子どもを生かした授業を展開するようになり、子どもたちが育っていきます。
 教師の授業力を高めるためにも、第三者に授業を公開することです。これが私が実感した体験的な授業力向上論です。
 授業をするとき、私はつねに緊張します。しかし、授業は苦痛なものかと問われれば「そんなことはない」と即答します。
 その学級の子どもたちを知りつくしている教師しか味わうことができない、授業の醍醐味を味わうことができるからです。
 私の発した発問に対して、子どもたちがどれだけ多様な反応を示すかということが一番の楽しみです。子どもたちが私の予想を超えた反応をすることも楽しみでした。
 授業を子どもたちと一緒につくっていることを実感したとき、授業の面白みを感じます。子どもたちが少しずつ授業に参加するようになることも授業の楽しみでした。
(北 俊夫:福井県に生まれ、東京都公立小学校教師、東京都指導主事、文部省初等中等教育局教科調査官等を経て、国士舘大学教授)

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予備校の講師による授業の上達法とは

(1)大きな声で、はっきりと話すこと
 ウジウジと話す教師は絶対に嫌われる。教室がざわついたりするもの大半は教師の声が小さいからだと思って間違いない。
 うるさいくらい大きな声のほうが好感を持たれるのだ。教師の声がうるさいので、生徒はざわつきようがない。
 第一、聞いていて気持ちがいいじゃないか。エネルギーがあって、いかにも一生懸命に教えています、という感じになる。
 人間の心というものは不思議なもので、大きな声を出していると、精神まで高揚してくるのだ。
(2)
教師が身体を前傾姿勢にして授業をする
 教師は、身体の前の方に重心を置いて、前のめりの姿勢で授業をするとよい。これは、いい授業の絶対的な基本だ。
 教師が前傾姿勢をとり、生徒の方へ身を乗り出すようにして授業をする。
 教師が前のめりになっていれば、生徒だって身を乗り出してくるはずだ。
 逆に、足のかかとの方に力が入っていると、生徒を見下ろしている感じになる。生徒から見ると、えらそうに、ふんぞり返っているように見えてしまう。
 それでは熱意が伝わらない。ふんぞり返った教師の授業なんて誰だって受けたくないだろう。
(3)
板書しながら、生徒の目をよく見る
 板書する際、背中を生徒の方に向けてはいけない。教科書を見ながら板書はしない。
 その日に授業で黒板に書くことぐらいは暗記しておけってことだ。
 板書をしながら、生徒一人ひとりの目を見渡していくと、不思議に生徒たちも授業に参加しているんだという気になって、勉強に取り組む姿勢がよくなる。
 さらに、生徒たちの表情を見ることによって、この子は集中力がなくなっているとか、そろそろ一息入れてやるとか、の判断ができるのだ。
 慣れてくると、黒板を見なくても板書ができるようになるが、そこまでやる必要はないだろう。
(4)
ときどき生徒を指名して質問する
 生徒たちは、せっかく塾まで来てもらっているのだから、彼らの声くらい聞いた方がいい。
 お互い人間なんだから、コミュニケーションを取るべきだ。できれば全員に当てること。それも簡単に答えられる質問をするのがいい。
 彼らは機械じゃないのだから、答えがなかなか出ないのなら、私といっしょに考えようぜ、という気持ちで接することだ。
 生徒ができるか、できないかが問題ではなく、あくまでコミュニケーションの問題であることを忘れるな。
(5)
その日の学習のポイントを繰り返す
 何度も何度も、その日の学習のポイントを口がすっぱくなるまで繰り返し連呼する。ここがポイントだよと、訴えかけるように。
 要するに、メリハリの利いた授業によって、生徒たちが
「オッ、今日はここが重要なんだな」
と、すぐにわかるような構成を毎回行うことが大切なのだ。最低5回は言った方がいい。
(6)
毎回小テストをして、生徒の学力状況を把握する
 教えたことが生徒たちにどのくらい定着しているかは、小テストで簡単に判定できる。
 授業の最初には、毎回5~10分程度の小テストを課すことが大事だ。各生徒の学力が把握できるし、その子に今、何が必要なのかもわかる。
 生徒の親が相談に来たとき、具体的な話もできるだろう。そうなれば、親も信頼してくれるものなのだ。
(7)
教材の準備
 授業が成功するかどうかは、教材準備にかかってくる。
 授業は落語と同じで、一番大事なのは生徒を乗せることである。何とか、その日の勉強の取っかかりをつけさせることである。そのための仕込みが教材というわけだ。
 その方法について、常に創意工夫を凝らし、ときには冒険や新しいことにチャレンジしていく意気込みが大事なんだ。
 教科書を読むと、明日教えることについて、どこがあやふやな部分なのか、どこが疑問点になるのかが、見えてくる。つまり、授業で取り上げる材料が表れてくるのだ。
 生徒がつまずく部分、理解しにくい部分、誤解しやすい部分、そういったものがはっきりと浮かびあがってくる。
 予習は何のために必要かとい言えば、生徒に何を語るかではなく、どう語るかを知るために必要なんだ。
(
吉野敬介:1966年生まれ、予備校(東進ハイスクール客員)
 
古文講師)

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授業が上達するには、どう考え、工夫していけばよいか

 私は大学を卒業して、小学校の教師になりましたが、どう教えたらよいかわかりませんでした。
 どうすれば授業の技を磨くことができるか、という授業上達の問題をずっと考えてきました。
 やみくもに努力するよりも、上達のコツを自覚した方が少しでもうまくなることができるだろうと思ったからです。それで、授業上達の本があると、すぐに買って手元に置くようにしてきました。
「授業は体育や音楽など結果がすぐに見えるものから訓練するとよい」と本に書いてあったので、体育の授業に打ち込みました。できなかったことができると、子どもたちはうれしそうでした。
 私は「おもしろい授業」にとにかく憧れていました。
 当時、「追試のできる授業」が教育雑誌に掲載されていました。「おもしろい授業」を探しては真似をしました。
 国語・理科・社会の授業を次つぎと「追試」(真似)しました。
「授業の追試することが、授業の腕を上げる」と言われました。
 教育技術を意識した授業をすることで、確かに、子どもたちが楽しそうに学びはじめました。
 教材をよく吟味し、授業を固定化せずに日々新しい教育技術を工夫すると授業が安定することを学びました。
 異質なものに積極的に触れ学び合うことで、説明・発問中心の授業から活動中心の授業をつくる工夫もはじめました。
 次のような授業のコツを学びました。
1 学習のゴールを示す
 子どもたちは、ゴールのはっきりしたことが好きだ。目標と到達度に差があると、子どもはガマンできない。
 スモールステップで「早く確実に効果が出る」ようにしてやることが必要だ。
2 意外性や好奇心を刺激する
 毎日、同じ教室で、同じスタイルの授業では飽きてきます。
「飽きのサイン」は、気が散る、落ち着きを失う、姿勢が崩れる、動き出す、などの姿勢や仕草に着目することが必要です。
 飽きのサインをキャッチしたら「1つまるをつけたら立ち上がりなさい」のような指示をします。
 飽きがこないように、教室の中に意外性のある何かをつくりだすことが必要です。
 教室の後ろに立って授業をしてみたり、撮影しながら授業を進めたり、フラッシュカード(簡単な計算や暗記物の質問カードに次々と答えていく)や、早口音読を導入したりして、意外性をつくりだすとよい。
3 授業のルールをつくる
 新学期の最初に教師と子ども、子どもたち同士の関係づくりの作業が必要になります。
 みんなが居心地よく学習できるルールを4月につくります。なぜそのルールが必要かを説明します。
 最初の1ケ月くらいは、クラスのみんなが「仲よしになる」ための工夫が必要です。
4 個別指導をして、子どもに寄り添う
 一斉授業の場合、どこで、何回、個別指導するか考える必要があります。子どもの机に手をかけたり、しゃがみこんだりすることによって、より親密な、感じのやりとりができる雰囲気をつくります。
5 子どもの世界に歩み寄る
 子どもは自分に関わりのある世界の話しでないと、興味が持てないということがあります。
 教師は子どもたちにわかってもらえる説明の場を探る必要があります。
6 発問
(1)
教材のあいまいなところを問う
 教材の中に、いろいろな答えや考えが出やすい「あいまいなところ」を発見します。それを子どもたちにぶつけていく発問づくりです。 
1
「あいまいなところ」を見つけ出す

2 「あいまいなところ」を「・・・・か?」の疑問の形に直す
3
「・・・・か?」としたものを、子どもたちに問います
(2)
教材の中の「答え」になるところを問う「クイズ型発問」
1
教材の中に「答え」になるものを見つけだす(みんなよく知っている場面から問題をつくる)
2
子どもたちが、まようような問題をつくる(よく考えれば、当たる問題をつくる)
3
全員が参加できるよう、選択肢にする(ひっかけ的な選択肢を紛れこませる)
解答の後の解説がポイントで、補足的な説明があるといいです。
(3)
二者択一の発問
 国語の授業では物語や詩があります。状況が絞り込めていますので「〇か✖か」発問し討論することができます。
 こういう発問は過去の授業実践の中にたくさんあります。発問をあれこれ探してみると見つかります。
7 指示を整理して「一時一事」で伝える
 たとえば、子どもの行動を確認しながら
「素早く静かに立ちます」
「教科書25ページの問題を読みます」
「読めたら座ります」
「ノートにその答えを書きます」
8「AさせたいならB」と間接的に話をする
 例えば「おへそをこちらに向けなさい」「鉛筆の先から煙の出るくらいに早く書きなさい」
9 時間を限定する
 何かに挑戦させるときには時間を限定するといい。集中力が発生します。子どもたちの動きがいきいきします。
 例えば「グループの話し合いを5分間する」「3分間の計算練習をする」「作文を20分間書く」
10
子どもに共感を示すには、子どもの言葉や動きを繰り返す
 子どもと共感する話法は、子どもが言った言葉を、教師が繰り返して言って、共感的に聞くことです。
 聞くときのコツは、子どもの動きにちょっとだけ、さりげなく動きを合わせることが大事です。
 例えば、子どもが両手を上下させて喜んでいたら、一緒になって上下させて喜びます。
 子どもに質問する場合は、詰問口調ではなく「聞きたくて、聞きたくて仕方がない」という感じで質問するのがベストです。
 子どものネガティブな答えに、批判しないで、流して聞くことも必要です。
(上條晴夫:1957年山梨県生まれ、小学校教師(10年)、作家、教育ライターを経て東北福祉大学教授。お笑い教師同盟代表、専門は教師教育学、教育方法学、ワークショップ)

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つまらない授業でも、子どもたちを乗せてしまうには、どのような方法があるのでしょうか

 「子どもたちを授業に乗せる一番のコツは?」と聞かれれば、私は迷わず「テンポを上げることです」と答えます。
 今どきの子どもたちは、テンポのないものが苦手です。普通のたいくつな授業のテンポを上げて、子どもたちを無理やり乗せてしまいましょう。
 テレビのバラエティ番組を見ても、芸人さんたちは、ものすごい勢いでしゃべり続けています。子どもたちは、教師の話すスピートはかなり遅く感じているに違いありません。
「お笑い」は勢いが大事です。テンポよく話を盛り上げていくと、笑いが起こりやすくなります。
 授業も同じです。テンポを上げれば、子どもたちは乗ってきます。つまらない内容でも、勢いだけで子どもたちを乗せてしまうことができるのです。
 授業のテンポを上げるためには「教師の話すスピードを速くする」とよい。
 私は意識して早口にしています。子どもも早口にした方がいい。早口は、子どもたちの集中力を高めます。
 話すスピードと分かりやすさは、あまり関係がないようです。私は授業中に次々と指示を出して、子どもたちを動かしています。
 指示をきちんと聞いて、子どもが早く動けばほめる。早く動かなければ叱る。目標タイムを設定して、やり直す。ここれをくり返して鍛えると、子どもたちは動きます。 
 今どきの子どもたちは、説明を聞くのが嫌いです。1分間も説明が続くと子どもたちは聞いていません。「説明を短くする」とよい。
 では、どうするか?「説明を短く分ける」とよいと思います。たとえば、
教師「今から俳句について学習します。俳句。はい」
子ども「俳句」(全員)
教師「俳句は、5、7、5の音でできています。5、7、5。はい」
子ども「5、7、5」(全員)
 早口で声を揃えて言えると、気持ちがいいです。クラスに一体感をもたらします。声出しは学級づくりにも有効です。
 クラス全員でやると、サボる子がでてきます。教師はそれを見逃さないことが大切です。そして、許されないことが大切です。これは、声出しに限らず、全てに共通したことですね。
 座り続けることが苦手な子がいます。そこで立ったり、座らせたりという「小さな」活動を入れるのです。数秒で、しかも手軽にくり返して行える活動をたくさん入れるのです。
 たとえば、
「全員、起立。○○と10回言ったら座りなさい」
「出来たら立つ」
「全員起立。言えたら座る。出来ていたら座る」
 子どもたちを動かしながら話をすると、子どもたちは集中して話を聞いてくれるはずです。
 たとえば、体を動かす○×クイズで、子どもたちに答えさせるのも、楽しいです。
 たとえば、理科の実験で
「アルカリ性の水溶液は、赤色リトマス紙を青色に変える」
「○か、×か?」
「せーの、ドン」の合図で、子どもたちは○×のポーズを出します。
「正解は、・・・・・・○」と、もったいぶって正解を発表すると、子どもたちから歓声があがります。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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学校現場は厳しい、子どもも教師も思いっきり笑える授業にするにはどうすればよいか

 教師は年間1000時間を超える授業を行っています。それらの授業の全てに力を入れて準備することは不可能でしょう。
「今日の授業は、ちょっと準備不足だったかな。子どもたちのつまらなさそうな顔が耐えられないな」なんてことがありますよね。
 笑いがあるネタを使いこなせるようになれば、退屈そうな子どもたちの顔が笑顔になります。そして、子どもたちがやる気になります。日常の授業がたのしいものになるに違いありません。
 笑いがあるクラスは、雰囲気がぐっと良くなり、子どもたちは意欲的に発言するようになります。
 学校現場は相変わらず厳しいです。授業がうまく成り立たないことに傷つき、自分を責め、休職、退職していく教師が後を絶ちません。
 私は、子どもたちも笑顔、教師も笑顔、全国の教室に笑顔があふれることを強く願っています。
 子どもたちが笑顔になるネタにはどのようなものがあるのでしょうか。
 授業の導入に笑いで子どものやる気を引き出すには、ツカミが大切です。最初の3分間で、子どもたちの心をキッャチしましょう。
 
「おっ、この授業は面白そうだぞ」と思わせれば、こっちのもの。その後は、楽しい授業が展開されるに違いありません。例えば、
(1)
どでかチョーク
 教師が大きなチョークを使うだけの超簡単ネタです。いつもと違う大きなチョークに子どもたちは笑顔。楽しい授業を予感させます。
 進め方は、教師が100円ショップで売っている大きなチョークを買っておく。授業の最初、教師は無言でそのチョークを取り出し、字を書こうとする。(それだけで、「デカッ!」と子どもたちからツッコミが入る)
 教師は黙ったまま、黒板いっぱいの大きな字を書く。(「字もデカッ」とツッコミが入る)
 教師は頭をかきながら「チョークが大きいから、字も大きくなっちゃった」と言うと、子どもたちが笑顔になる。 
(2)
いきなり熱唱
 授業の始まりと同時に、教師がいきなり熱唱します。「何が始まるんだ?」と、子どもたちは教師に注目し、授業への関心がぐっと高まります。
 進め方は、たとえば、5年生の社会科、水産業の授業の最初。教師は「サザエさん」の歌を熱唱する。躊躇せず、本気で熱唱すると、子どもたちがより注目する。
 歌を途中で止めて「さあ! この歌は何の歌でしょう?」とクイズを出す。
 いくつかクイズを出しながら「このアニメには、どんな登場人物が出てくるでしょう?」と学習内容に近づけていく。「カツオくん」が出たところで止め、授業に入る。
 歌は授業の内容につながるものにする。例えば、日本の国土の北国の暮らしの学習なら「北の国から」、理科の星の学習なら「見上げてごらん夜の星を」、月の学習なら「天才バカボンの歌」など。
(3)
物知り博士からの出題
 授業の導入で、物知り博士が登場し、課題を提示します。子どもたちは毎回、博士の登場を楽しみにするようになります。
 
授業の最初、教師は
「今日はみなさんに紹介したい人がいます」
「これからみんなと一緒に勉強する・・・・物知り博士です」と、黒板に博士の絵を貼る。
(
クラスの雰囲気が明るくなる)
「おっ、博士が何か問題を出すようだね」と、博士の横に吹き出しをつけて問題を書く。
(
博士からの出題にワクワクする)
 季節に応じて博士の服装を変えたり、旅行に出た設定にしたりしても楽しい。博士を繰り返し登場させると、子どもたちは博士が好きになる。そして、授業に意欲的に取り組むようになる。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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授業で子どもの発表力がつく3つの方法とは

 「なかなか子ども達が発表しない」という声を職員室でも耳にします。私の教室でよくしている3つの取り組み・方法です。どの教科でも使えるのでぜひ教室でも試してください。
1 書いたら話す
 この目標を必ず学期の最初に決めます。ノートに書いたことは、発表するように指導するのです。書いたことを読ませるのです。
 しかし、書いたことをただ「読むだけ」なのに、子どもの中にはすぐにできない子もいます。書かせ方がよくないのです。
 その多くは、だらだらと考えらしきことを書かせているだけだからです。おそらく子どもは自分でも何を書いているのか分からないのでしょう。
 ポイントがしぼれていないので、「発表をしなさい」といわれても自信がもてないのでしょう。
 書いたことが次の発表につながるようにするために、箇条書きで書かせます。「ノートに①②③と番号を書いて、その理由を箇条書きで書きなさい」と指示するのです。
1文1義がポイントです。
 「夢を持って、小さいときから努力したから」ではなく、「夢を持っていたから」「小さいときから努力したから」と書かせるのです。
 たくさん書けた子どもをほめて、「自分が書いた中で、1番自信があるという番号に赤丸をつけなさい」「赤丸をつけたものを発表しなさい」と言うのです。
 ポイントがしぼられているので子どもたちは安心して発表できるようになるのです。
2 発表した人から席にもどりましょう
 挙手した子どもを指名するだけでは、緊張感もなく授業がダレてしまいます。そこで、時々「○班の人は前に出ましょう」と指示します。
 教室の前に出させ、腰掛けさせます。そして「発表した人から席にもどりましょう」と話すのです。
 子どもたちは、最後になりたくないので考えを早くまとめたり、書いたノートを早く読もうとしたりします。先をあらそって立ち上がり、発表しようとします。授業の中に緊張感が生まれてきます。
 最後になった子どもには、「さすがですね。最後になっても落ち着いていいことを話しました」「前の友達と違う考えがよかったですね。○○君らしい発表でした」などと言ってほめてあげます。
 この方法が定着すると「今日1日でがんばったことを○班の人前に出て話しなさい」「各グループの班長は前に出て、今話し合ったことを話しなさい」というように、いろんな場面で使えるようになります。授業や活動にリズムとテンポが出てきます。
3 となりの友達が話したことを発表しなさい
 授業中、となりと相談させることがあります。多くは「話し合ったことを発表しなさい」と言います。
 しかし、その反応は多くの場合よくありません。真剣に話し合いに参加しない子どもが出てしまうからです。このような状態だと、発表が得意な子は手を挙げますが、苦手な子はそのままなのです。
 2人組で話し合いをさせる時は「2分後に、となりの友達が話したことを発表してもらいます」と、話し合いの前に言っておきます。
 そうすると、どの子も「となりの相手が困ってしまう」と思うのか真剣に話し合いに参加します。時間がきたら「となりの友達が話したことを発表しなさい」と指示するのです。
 このようにすると、多くの子どもが手を挙げるようになります。相手から話す情報を得ている、自分の意見ではないので安心して言える、ということがその原因でしょう。
 発展として「となりの人が話したことを3つ言いなさい」「となりの人が話したことと、それについての自分の感想を発表しなさい」ということ等が考えられます。全員参加と授業の深まりが期待できます。
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

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若い教師が授業力をあげるにはどうすればよいか

 初任の教師は経験さえ積み重ねれば、授業は自然にうまくなっていくと思っている。このことが幻想であることはすぐに分かってくる。いっぱい授業を積み重ねている中堅やベテラン教師たちのほとんどが、たいして上手な授業をしていない現実に気づいていくはずである。
 授業中に子どもたちがざわざわして落ち着かない、つまらなさそうにしている子どもも目立つとき、どうしたら子どもたちをひきつけ、集中した授業になるのだろうか。はっきりしているのは、すぐには授業の技量を上げることはできないということである。
 教育技術を身につけることは、簡単なことではない。計画的に、意識して授業を積み重ねなければ授業の技量は向上しない。繰り返し繰り返し行い、意識しなくていい程度の状態になって初めて授業の技量が身につく。
 研究授業をかさねることが授業の技量を上げていくことは明らかである。教材研究に時間をかけ、詳細な準備をする。さまざまな意見を言ってもらえる。自分の授業を客観視することができる。でも、年に1~2回でそんなに数多く研究授業ができない。
 授業を録画するという方法もあるが、さまざまなものが映ってしまい、目を奪われてしまう。肝心なのは、自分の授業の「発問、指示、説明」である。そのことに集中した方がよい。
 ではどうすればよいか。確実に授業技量を上げていくには「一人研究授業」を提案したい。自分の授業を客観視することができるからである。何をするのか。簡単に言えば、自分の授業を録音して、「発問、指示、説明」がどのようになされているかを聞くのである。
 教材研究の結果は「発問、指示、説明」に集約される。「発問、指示、説明」を向上させることが、授業技量を上げていく大きなポイントになる。
 具体的には、「一人研究授業」をつぎのように行う。
1 自分の授業を録音する
 自分の普通の授業を録音する。子どもたちには「先生が勉強するために録音するだけだから」と断ればよい。無理をせず月に一回行う。もし時間に余裕があれば、もう少し回数を増やすともっとよい。
2 録音した自分の授業を聞く
 録音した自分の授業を聞くと、自分の声やあいまいな「発問、指示、説明」に嫌気がさすが、その授業を子どもたちは毎日聞いているのである。そう考えて、がまんして聞く。
 「発問、指示、説明」の問題点や口癖、無駄な言葉などをチェックし、きちんとメモをする。
3 視点を設けて、視点を意識しながら授業に取り組む
 反省メモの中身が「話が一本調子で、暗い感じで話している。だらだら話していて「発問、指示、説明」がよくない。フォローがほとんどない」であれば、視点は
(1)
話し方を明るくし、抑揚をつける。
(2)
「発問、指示、説明」をきちんと区別できるようにする。
(3)
フォロー(いいね、すばらしい、その調子、ステキ)を入れるようにしてみる。
このような視点を意識しながら授業に取り組むのである。
 その他に授業をきちんと成立させていくために必要な取り組みは、
(1)
さまざまな指示をまとめて出さない。一時に一事の技法で、一つ一つ子ども全体に徹底しているか確認してから次の指示を出すようにする。
(2)
本時の目標(ねらい)を徹底的に意識して、すっきり、分かりやすい授業にする。
(3)
テンポがあり、リズムのある授業にする。
(4)
教師のおしゃべりを50%程度にし、残り50%を子どもの活動(書く、話す、話し合い、作業)にする。
 私が初任者の授業を見ていると、共通している特徴がある。授業の8~9割が教師のおしゃべりである。そして、発言する子どもは3~4人で、ほとんどの子どもたちは傍観者になっている。
 
「一人研究授業」は、自分一人でできる方法である。自分一人でできるということは、よほどの覚悟が必要である。やってもやらなくても、誰にも批判されることもないからである。
 
「一人研究授業」は、自分の授業を客観視することができる。最初に録音したものを聞くと、自分の声や話し方に嫌気がさす。あまりにも自分でイメージしているものと違っているからである。この感想からどのように立ち上がれるかが、これからの教師生活をきめてしまう。それくらい大きなことである。
(
野中信行:1947年生まれ、37年間横浜市立公立小学校教師。その後3年間初任者指導の仕事をする。学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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跳び箱を子どもたち全員が跳べるようになると、クラス全員が成長する

 跳び箱が跳べない子は、ほとんどの学級に存在する。跳び箱が跳べないのは「体力が不足しているから」「こわがりだから」「気力がないから」と考えられてきた。つまり、子どもの問題として片づけられてきたのである。
 これはほんとうのことだろうか。跳び箱を跳ばせるということだけに限って言うなら、教師の教え方が未熟だから跳べないのである。教師の教え方がへたなのである。どうしてへたかというと、たぶんあまり勉強していないからである。教育書や教育雑誌をあまり読まないからである。
 私も体育の授業のとき、さっそく跳び箱をやってみた。四人の子が跳び箱の上にすわってしまうのだ。しかし、必死でやったためか、三日もすると全員跳べるようになっていた。
 それからしばらくして、斎藤喜博の本を読むと「私は、一時間のうちに全員跳び箱を跳ばせられる」と書いてあった。ぼくも教師として、そう言い切れる自信、その境地に立ってみたかった。それは技術だけのことではない。子どもの可能性を信じ、一つひとつの仕事を全力でやりとげていく中でしか言えないのだと思った。
 跳び箱を跳ばすことは、高校生が教えたって、それほど苦労をはらわなくても、8~9割の子は跳ばせられる。残りができないのだ。残ったわずかの子を跳ばせるのがプロなのだと思った。プロとアマの差はわずか数ミリの差にすぎないが、その数ミリが、どれほど大きな差なのか、その頃、ぼくは気づき始めていた。
 わずかの差の中に多くの努力と鍛えが入っているのである。才能がすぐれ、持ち味が良い人でも追いつくことができぬ技量の差が、厳然として存在しているのである。そのわずかの中に人生がたたみ込まれるほどの労力が入っているからである。
 ぼくは、跳び箱の運動を極限近くまで分析し、一つひとつの内容を吟味し、どうすれば良いか考えた。それを子どもに伝えることがまた大変であった。つま先を中心とした足の裏がしなやかに、床をふみしめるように走らせるのには、具体的な内容を説明した上で抽象化し、イメージ化して伝えなければならなかった。そのことばがなかなかさがせないのである。
 跳び箱が跳べない子は、腕を支点とした体重移動ができないのである。自転車に乗れない子が乗っている感覚がわからないのと同じである。跳び箱が跳べない子にも体重の移動を経験させてやればいいのである。跳び箱をまたいですわらせる。そして腕をついて跳び降りさせるのである。「跳び箱を跳ぶというのは、両腕に体量がかかることなんだよ」と、説明する。5~6回繰り返す。
 もう一つは、跳び箱の横に立ち、走ってくる子の腕を片手でつかみ、おしりを片方で支えて跳ばせる。子どもが重すぎる時は、両手でおしりを支えてもよい。ぼくの経験では、この方法を4~5回繰り返せば、7割ぐらいの子は跳べるようになる。この二つの方法でやれば95%ぐらいの子はできるようになる。
「ぼくは跳び箱を跳べない子だけを集めて30人までなら一時間で跳ばせてみせます」と言えるようになるまで五年の歳月が流れていた。一つひとつの教育の仕事に全力を傾けていけば、やがて教師の腕が上がったことの証が得られるようになるのである。
 ぼくは担任をすると、一週間以内に跳び箱をすることにしている。誰でも可能性があることを話してあげ、その証明として跳び箱が跳べない子を跳ばせてみせてあげるのだ。教師がいくら子どもに可能性があると言っても、子どもは半信半疑である。
 しかし、目の前で、跳び箱の跳べない子を跳ばせた後はちがう。初めて跳んだ子もそれを見ていた子も、一様に可能性を信じるようになるのである。初めて跳んだ子が成長するだけでなく、見ていた子も成長するのである。「やればできるんだ」「私もがんばらなくては」と言うようになるのである。
 一人の成長がクラス全員の成長につながるのである。それでこそ教室である。できない子とできる子は、教室の中では固定しがちである。そうした学級では、子どもの動きが乏しく、努力もあまり見られず、学級の水準は高くならない。
「できない子」をできるようにするのは、「できない子」だけのためではない。子どもにとって宿命的ですらある固定的な構造を変えていくことによって、「できる子」もまた、変わり始めるからである。
 考えてみれば、たかが跳び箱を跳ぶだけのことである。しかし、たったそのことでさえ、自分の道をオリンピックにつなげる人もいれば、自分にはできないというあきらめの一つとして尾をひきずる人もいる。
 たかが跳び箱だが、今まで跳べない子がそれを跳んだ時、その子にとっては涙が出るほどうれしいことであり、自信の回復につながることになるのだ。それを見ている子にとっても、驚きと自分も何かに挑戦しようという励ましを与えるのである。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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