カテゴリー「教育行政(国・地方の教育委員会)」の記事

教育改革には情熱的な実践しかない

 教育改革には情熱的な実践しかない。
 その実践は元気な教師から生まれる。元気な教師は明るく風通しのよい学校で育つ。つまり、教師が働きがいのある、生きがいのある職場をつくることだ。
では、そういう学校はどうすればつくれるか。
(1)
明確な学校目標を打ち出すこと
(2)
適材適所の人事で役割分担を明確にすること
(3)
職場の仲間意識(連帯感)をつくること
 先生がいつも元気で、やる気と本気で子どもを指導するような労働条件を創り出し支援するのが教育委員会と管理職の役目である。
(
明石一郎 大阪府公立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長 大阪府教育委員会指導主事、大阪府公立小学校校長を経て関西外大教授)


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かつての行政は教師を守ろうとしてくれたが、最近の行政は教師を攻めたてる

 いろんな保護者がいる。わたしは、教師不信の「暴力団」の保護者とも家庭訪問して意気投合したことがある。だが、すぐにはうまくいかなかった。暴力団の保護者とは、簡単には話し合えない。話し合えるようになるには時間がかかった。
 人とつきあうことは、教師にとって避けては通れない仕事である。教育は人とのかかわりの仕事だからだ。それゆえ、人との交わり能力が教師には強く求められる。
 教育というのは、教育とはかかわりのない、一見、むだと思えることを、機会に応じて、いろいろとやってみて、やっと成果が得られるものだ。さまざまな経験をしていくしかない。
 最近は、保護者や市民の教育への関心が深まり、あれこれと、その思いを教育委員会や校長にぶつけてくるようになったことは好ましい傾向である。
 だが、そのなかには、理不尽な要求もある。わたしは、だれかわからないが、教育委員会に「夜、暴力団の家に出入りしていた」と密告されたことがある。
 行政や管理職の仕事の一つに、教師の仕事や生活を守るという一項がある。かつての行政は「学校の子どもには、暴力団の子どももいるんです」と、教師の仕事の特殊性を話し、理解を求めてくれた。
 とこが、最近の行政は、教師を守ろうともせず、理不尽な声といっしょになって、教師を攻めたてるというのは、天に唾する行為というべきだろう。とくに、自分は、はるかに後景に退き、鉄砲玉の飛んでこないところに逃げてから、教師を前方に押しだし、教師を犠牲にして、自らの安泰をはかるとは世も末である。
 もう一度、教師の仕事のなんたるかを問いなおしたいものである。近年、行政や管理職は世間にたいして、あまりにも腰が引けている。
 教師はますますいじけ、やせ細ってしまうだろう。教師がやせ細れば、教育が、指導がやせ細り、結局、子どもたちがやせ細ってしまうのである。
(家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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学校から出てきたプランを応援するのが教育委員会の仕事

 私は、教育委員会と学校との関係は、「こんな学校をつくりたい」と学校のほうから出てきたプランを応援するのが、本来の教育委員会の仕事でなければならないと思っています。
 どちらかといえば、現場の先生には教育委員会は閉鎖的で、嫌なことを現場に押しつけてくると受け取られています。
 教育委員会と学校との関係を風通し良くするのは指導主事の仕事だと思います。「先生の気持ちや悩みを聞かしてくれ」と言って、現場の実態を指導主事が把握していることが大事です。
 小・中学校に関係する市町村教育委員会は、人事や指導の大事なところを都道府県の教育委員会に首根っこを取られているうえに、市役所の中でも、市長部局との関係で教育委員会は予算権を持っていません。銭はないわ、人はないわ、人も金も力もないという立場に置かれています。
 私は、教育委員会の一番大切な仕事は、指導(行政)だと思います。指導は、極端に言えば金も力もなくてもできます。指導は人次第です。人とは指導主事です。指導主事次第でいろんなことができます。
 例えば文部省の事例を呼んでいますと、たった一人しかいない小さな村の指導主事が、地域の団体と一緒になって村おこし運動の中心になり、教育委員会が取り組んでいます。指導主事次第でおもしろいことがいっぱいできるなあと感じています。
 教育委員会は何かしてくれそうだというような期待感を地域、親、住民、保護者に与えるような、智恵を出して図れないかと思います。
(
野口克海:1942年生まれ、大阪府公立中学校教師、大阪府教育委員会副理事、堺市教育長、園田学園女子大学教授、大阪教育大学監事を経て子ども教育広場代表)








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教育委員会に満足していない教師が約8割も

 私が主宰する臨床教育研究所「虹」で、「教育委員会に関するアンケート調査」(私の講演会参加者対象、644人、2008年実施)を行いました。その結果はつぎの通りです。
 教育委員会に「あまり満足していない・まったく満足していない」をあわせると、75.9%の教師が満足していないことに、びっくりです。
その理由は、
・現場の願いや実態を把握していない・・・・・・・78.3
・現場に調査や報告を要求し過ぎ・・・・・・・・・・・64.3
・指示・命令的文書や態度が目立つ・・・・・・・・・56.8
・現場の声をあまり聞かない・・・・・・・・・・・・・・・54.5
・押しつけ的研修・会議が多い・・・・・・・・・・・・・40.4
などでした。
 日本の教育が、諸外国のように創造的で伸び伸びとできない背景的な要因のひとつに、今日の教育委員会のあり方や体質といったものが決定的な影響を与えているようです。
 つまり、教育委員会が、もう少し現場の教師や子どもの声に根ざした施策を行うことができれば、個々の教師がもっと伸び伸びと力を発揮し「教育崩壊」現象は克服できるということです。
(尾木直樹:1947年生まれの教育評論家。法政大学教授、中学・高校教師等教育現場で20年を超えるキャリアを持つ、臨床教育研究所「虹」を主催している)

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教員評価制度は学校をすさんだものにする

 教員評価制度は一般企業で「成果主義、業績主義」といった評価制度の学校版なのだ。
 簡単に言うと、校長に「教師としてちょっと問題だな」と言われたら「昇級なし」になったり「問題」を起こしたら教師として「不適格」と判断されて特別の研修をうけさせられたりして、改善の兆しが見えなかったら「免職」になる制度である。
 この制度はおそらく学校をすさんだものにするのは間違いないと私は思っている。評価されれば教師もちゃんとやるだろうし、教師の質も向上するだろうというのは、まことに安易である。
 「問題を抱かえている子どもを担任して失敗したら、校長先生はその担任をどう評価するのですか? もし悪い評価しか下さないのなら、誰もそういうクラスはごめんだといって引き受けなくなりますよ。それを命令で受け持たせたとすると、それはうまくいきますか?」と校長にたずねたことがある。しかし、校長はそれには「難しい問題です」で逃げた。
 そもそも良い学校というものが、同じようなもので同質だと考えるのは間違っている。結局そこには、みんなで知恵を出し合って子どもを育てるという発想がない。
 ボクは、みんなで育てるという発想がないと、子どもたちの教育はますます行き詰まると思っている。子どもをとりまく大人に責任があるとならば、教員一人ひとりを分断して値札を貼るような教員評価制度などではない。この教員評価制度は、問題が起きたときの「責任回避の制度」だと確信している。
(
岡崎 勝:1952年名古屋生まれ、元名古屋市立小学校教師)


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教育委員会は基本的には学校をたたく側にまわってしまった

 教育委員会は世論をすごく気にするようになった。たとえば、親から教育委員会に電話が一本でも入ると、言っていることが事実かどうかはほとんど無視して、一方的に学校に対して指導が入ることになる。
 たとえば、教師がA君を叱ったとする。A君はいたく傷つき、家に帰って母親にそれを訴える。母親は、とんでもない話だと言って教育委員会にパッと電話し、教師の指導の仕方が悪いと訴える。子どもがあんなに傷ついている、なんとかしろというわけである。
 そうすると、教育委員会から校長経由で、その教師に指導が入ることになる。具体的に事実関係を確認してから、ということはほとんどない。
 いまや教育委員会は、親やマスコミといった外からの力に動かされて学校を指導し、校長はそれを受けて教師を指導するようになってしまった。現場の教師の立場に立って、教師の悩みをいっしょに考え支えようとする校長はほとんどいなくなったのではないか。
 教育行政は、本来なら、学校という前線を支えることが基本的な役割だと思うのだが、マスコミの学校たたきで、教育委員会は、基本的には学校をたたく側にまわってしまったのである。
 外部に支えてくれるものがなくなったのだから、教師たちはまず自分たちで共同性をつくろうとするしかないだろう。
 学校にはいろいろな教師がいて、たとえば力のある教師もあまりない教師もいるわけだが、それがひとつのかたまりになって生徒たちと向かい合っていくしかないだろう。小学校ではいぜんとして担任一人で立ち向かわなければいけないという考えが強いが、それではとても事態に立ち向かえないと思う。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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数値目標による学校経営管理と教員評価        佐藤 学

 学校経営の危機は、学校経営の官僚主義化、形式化、硬直化という現象によって現れている。
 新自由主義の改革は、学校教育の役割を教育専門家の「責任」としての機能から、子どもや親や市民(納税者)への「サービス」としての機能へと変貌させた。
 その結果、学校の責任は「応答責任」から「説明責任」へと変化し、「説明責任」(アカウンタビリティ)に応える学校の経営と運営が行われるようになった。アカウンタビリティの原語の意味は、文字通り勘定に合っていることを意味する。
 以来、学校経営は「数値目標」によって評価され、外部からの不当な評価やバッシングに備えて「守りの姿勢」に入り膨大な数の会議と書類と雑務におわれるようになった。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授 学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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学校も教師もくたくたに疲れ果ててしまっている

 先生たちの精神的なしんどさは、ギリギリのところまできています。それでもなんとかやっていけているのは、子どもとふれあう喜びや、ある程度まで自分で判断し、責任を持って行動できる裁量があるからでしょう。
 でも、いまやそれも難しい状況になってきています。国からやつぎばやに降ってくる、無節操で場当たり的な教育改革は、確実に学校現場から活力を奪っています。
 さらに学校はこの20年あまりの間、じつにさまざまな荷物を背負わされてきました。世の中のあらゆる問題の原因が、すべて教育にあるかのように吹聴する一部の政治家やマスコミによって「学校がやって当然だ」という意識が急速にふくらみました。
 たとえば、朝の7時半に学校に電話がかかってきます。「おい、4丁目の道路に猫の死体があるぞ、子どもの通学路だから何とかしろ!」
 かつて、家庭や地域社会で対応していたものが、すべて学校に求められるという構図になっています。まさに「学校はゴミ箱、教職員はサンドバック」なのです。
 さらに保護者からのさまざまな要求の中で、たとえば「病気の子どもを保健室で泊めてくれ」といった、イチャモン(学校でどうにもできない要求)が急増しています。そもそも善意の集団である学校は、イチャモンが寄せられやすい環境にあります。
 学校はサービスの提供者で、子どもと保護者はサービスの受け手といった間違った関係性を生んでしまっているのです。子どもと保護者と学校は、いっしょになって、協力し合い教育の満足度を高め合うパートナーなのです。
 そうした状況のなか、学校や教師の体力のゆとりと保護者と向き合う気持ちは急速に低下しています。学校も教師もくたくたに疲れ果ててしまっているのです。
 教育の主人公は子どもたちです。
 いまこそ、私たち大人がその事実をしっかり胸にきざみ直してみませんか。保護者も学校も地域もまっすぐ子どもを向いて、手を取り合おうではないですか。
 そのためには、保護者と学校・教師が何らかの共同作業をすることが、まず重要だと私は思うのです。
 いまの学校は保護者が通っていたころとは相当に様変わりしています。その実像を知ることで安心するし、学校も知ってもらうことで教育活動がスムーズにすすめられる。
 そのために学校ガイドブックを作ることによって、共同作業の過程で保護者と学校の相互理解が深まり、ともに手をつなぐきっかけになるのではないか。
 学校ガイドブックは、大阪府吹田市立片山小学校をはじめ全国300あまりの小・中・高校で実を結んでいるようです。大事なことは楽しんで作成することです。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)


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学校のおかれた社会経済的背景と学力との間に強い関連性がある

 2006年度に関西のある県で実施された 学力実態調査の分析に私の研究室がかかわった。分析の結果、学校のおかれた社会経済的背景と学校の学力平均点の間に強い関連があることが明らかになった。とくに中学校では、その関連性がきわめて強く、学校の取り組みの効果を大きく上回るものとなっていた。
 これまで日本で行われてきた研究ではほとんど考慮されてこなかったものである。このことは、学校背景の違いを考慮することなく、各学校の 学力平均点だけを見て学校の成果を評価する場合、社会経済的にきびしい地域に立地する学校の努力が正当に評価されない可能性が高くなる。
 学校の成果を学力平均点の高低だけで評価し、さらにその評価に基づいて予算や補助金の配分を行うような政策は、不利な地域にある学校をさらに不利な立場へと追い込む「負の連鎖」を呼び込むであろうことが容易に予測される。
 学力テストの結果を学校の評価へ反映させようという自治体が増えつつあるが、学校の社会経済的背景を考慮に入れなければ、学校間の格差を不当に助長する結果しかもたらさないことを肝に銘じるべきである。
 そういったことを理解せず「学力テストの点数がかんばしくないのは、学校のせいである。教師のがんばりが足りないからだ」という学校・教師パッシングで教師たちの士気は低下せざるをえない。それに輪をかけるのが「学校選択制」や「教員評価」あるいは「学力テスト結果の公表」などといった、新自由主義的な思潮の広まりである。
 教育における新自由主義とは、「教育の場に市場競争を持ち込み、向上させよう」という考え方である。
 私たちの研究と経験から確実に言えるのは「学校・教師のがんばりは、テスト結果の一部を説明するにすぎない」ということである。
 テストの結果は「学校の力」のほかに「家庭や地域の力」によって生み出されている。個々の家庭のしつけや親の「教育熱心さ」や塾や習いごとへの投資状況などある。そして地域社会の経済的豊かさ・安定性、社会・人間関係の緊密さ、文化・情報環境のあり方などである。例えば、塾に通う子どもたちが極端に多い学校と少ない学校の学力平均点を単純に比べることに、どれほどの意味があるだろうか。家庭の力に大きな違いがあることは明らかである。学校の努力の違いに帰して考えるのは間違っている。
 今日の格差状況を是正するためには、新自由主義的な発想では不適切であるということである。新自由主義がもたらすのは、弱肉強食の世界であり、そこでは「強い者がより強くなり、弱い者が割を食う」度合いが一層増していく。
 その状況をストップするためには、新自由主義的とは対極的な「社会的公正」を重んじる発想を持ち込む必要がある。関西風に表現するなら「しんどい層の下支え」を重視するということでなければならない。
(
志水宏吉:1959年生まれ、大阪大学人間科学研究科教授。専門は教育社会学・学校臨床学、学校文化に関する比較社会学的研究)

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