カテゴリー「社会環境(社会・マスコミ・地域)」の記事

保護者に非があり執拗な要求が続く場合は早めに弁護士に相談を

 従来、学校で問題が起こると、ややもすると、我々弁護士も、世間も、学校を責めることしかしてこなかったきらいがあるように思います。
 その理由の一つとしては、現在の学校での実態を知らないため、勢い、先生が権威をもっていた頃の自分との体験を重ね、「先生は一体何やっているの?」「やることやっていないんじゃないの?」と思ってしまうことがあったように思います。
 確かに、学校・教師に問題があることも多いですが、他方で、明らかに保護者側に非がある例も多数認められ、健全な学校教育を確立するためには、学校・教師を責めるだけでは、解決しないように思われます。
 実際、いじめなど悪いことをして叱られた子どもの親が、教師に対して「自分の子どもがそんなことをするはずがない。子どもの心に傷をつけた。子どもに土下座して謝れ」といって土下座させる例も多々見受けられます。
 これでは、子どもを叱った先生の面子も権威も丸つぶれです。以後、先生はこの子どもを含めた子どもたちに対してどのように向き合えば良いのでしょうか。その結果、心を病んで退職するベテラン教師も後を絶ちません。このような実態では、いじめの防止はとても困難ではないでしょうか。
 加えて学校・教師への要望は驚くほど多く、これに全て応えると学校・教師は疲弊するだけでなく、良質な人材が教師への志望をしなくなるという憂うべき事態も招来しかねないことになります。
 現実の教育現場はかなり疲弊しています。学校・教師の物理的・精神的負担を軽減できないだろうかとの思いもあります。
 不当要求に対して、逃避せず正面から対峙することは、我々弁護士も含めて大変な苦労を伴うことです。しかし、ここから逃げずに是は是、非は非としてきちんと対峙することが、子どもの教育を受ける権利を実現する上でも必要ではないでしょうか。
 例えば、学級でいじめや子ども間のトラブルが生じたことを理由として、保護者から担任を変更せよという要求を受けた場合はどうすればよいでしょうか。
 担任を決定する権限が校長にある以上、校長が保護者の要求に応じて担任を変更しなければならない法的義務はありません。
 保護者との信頼関係を損なわないよう、校長は保護者の申し入れや要求を無視することなく、保護者の言い分や要求の根拠となる事実を聴取した上で、担任を変更する必要がないと判断した場合には、担任を変更しないと明確に回答する必要がある。
 それでもなお、執拗な要求が続く場合は、弁護士に相談のうえ、対応方針を検討すべきであろう。
 学校自身が保護者から不当要求を受けているかどうかを判断するのは必ずしも容易ではない。学校としては、異常を察知した段階から弁護士に事案の経緯を伝えて相談し、法的な視点を踏まえたうえで、陰ながら弁護士のアドバイスを受けて学校側で対応するか、弁護士に委任して弁護士に前面に出てもらって対応するか検討すべきである。
(
近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会)
(
「事例解説 教育対象暴力 教育現場でのクレーム対応」近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会編 ぎょうせい)


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保護者と教師の信頼関係はいちから築きあげなければならない時代となった

 学校はとりわけ人間関係から成り立っているだけに、教師と保護者の信頼関係は特に重要です。
 いまの時代は消費社会になって、商品のサービスが客のニーズをどれだけ満たしているかをめぐる市場競争が展開されている。客は自らの欲求を自由にクレームとして突きつける社会になっています。
 教育サービスを提供する学校も客として保護者はその欲求を学校に向けることが起きやすくなっています。
 保護者のクレームに対して教師は、親のわが子かわいさの気持ちの表れだと受け止め、親としての気持ちにまず耳を傾ける。そして、保護者の本音は何であるかを考え、保護者の欲求に共感しつつ、同時に学校の基本方針や判断を明確に伝えるようにしなければならない。
 そして、クレームを積極的に取り込んで、保護者と共に子どもの成長やクラス運営に生かすようにするとよい。
 保護者と教師の関係は、1970年代でしたら「先生にお任せします」、1980年代でしたら「先生と一緒に対処します」といった言い方が一般的だったのに、1990年代以後は「先生・・・してください」といった言い方に変わってきているように感じます。
 これまでは、保護者と学校の間に暗黙の信頼感があって、教師は安心して仕事をすればよかったのが、今ではその前提そのものが失われ、一人ひとりの保護者との間で信頼関係を最初から築きあげねばならない時代になりました。
 保護者への情報不足にならないように、学級通信や保護者会での広報活動が不可欠である。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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学校の日常を包み隠さず世の中に知ってもらうと信頼関係が生まれる、クレーマー対策にも有効である

 学校現場にかかわっている人と、いない人との間の情報の落差がはなはだしい。この情報の落差が日本の教育のあらゆる問題の根源にあるのです。
 学校が困難な状況にあること、先生方が懸命に教育活動に取り組んでおられることを、私はよく承知しています。しかし、世の中は学校や教師の日常を知りません。
 でも、ひとたびいじめや体罰のような事件が起きたとき偏った報道がいっせいに流されます。世の中は学校を知らないだけに、それら偏った情報だけで学校のすべてを知った気になります。結果、学校を見る目がますます厳しくなっていきます。
 一般社会は学校のことが見えていません。すべての学校でひどいいじめ事件があるかのように錯覚しています。各種調査では、圧倒的に多くの子どもたちは「学校を楽しい」と感じ、友だちと一緒に過ごすことを楽しみにしているのです。
 ところが、学校にとってきわめて珍しいことが事件として大きく報道される。例えば大津市で起きた「いじめ」がすべての学校であるかのような報道が多い。日本人は心配性です。メディアも不安を煽るような報道が多い。そして、AかBかと考えさせ、結論を急がせ、思考停止に陥らせてしまう。
 その結果、今の社会は勝手に子どもの状況を深刻に描き、私は非常に危うい状況であると感じています。子どものことを心配すればするほど、教師に対する社会からの期待と不審が強まっています。
 いじめ事件では学校の閉鎖性が明るみに出ました。うまくいっていないところを隠ぺいしようとして失敗し、かえって世の中の信頼を失い、たいへん大きなつけを払わされることになりました。閉鎖的な対応をしていて、世の中の信頼を得られるわけがないことを学校教育関係者は理解しなければなりません。
 このような情報落差をそのままにしていれば、学校に事件が起きたとき、学校は麻痺状態に陥ってしまいます。本来認められてよいはずの個人情報の保護でさえ、隠ぺいと見なされ、悪意ある記事になることもあります。
 では、実際にどうすればよいか。必要なことは、まず、学校の日常を包み隠さず世の中に知ってもらうことです。いいことばかりでなく、うまくいかなかったことも、すべて正直に発信するのです。情報があれば、世の中は学校現場の日常を理解してくれます。それが学校への信頼につながります。何も情報がないところでは、信頼関係は生まれっこないのです。
 日常から報道機関に情報を提供し、人間関係を築いておくことです。新聞の地方記事はときどきネタがなくなることがあります。そんなときに学校のネタは地域の人に喜ばれ、記者にとっても好都合なのです。
 掲載されなくても、日常から真摯に教育活動に取り組んでいることが伝われば、印象がよくなり、変な報道はなくなってきます。
 私も校長のとき、できる限り情報を公開していました。学校ですから、細かいところでは問題も発生します。そんなときも問題のない範囲で説明します。閉鎖的な体質をつくらないことです。「情報を隠さない」「地域と一緒に考える」日常からこうした行動をしておくべでしょう。
 保護者のクレーマー対策としても、実はこのどんどん情報を公開するという取り組みが有効です。これまでは、このような保護者が学校に押しかけてきたとき、学校は隠していました。相手に恥をかかせたくないし、学校も恥をかきたくなかったためです。クレーマーはそこにつけこんできます。
 そうではなく、クレーマーについての情報も、どんどん出していくのです。その存在を社会で共有する仕組みにしてしまう。公開しておけば、クレームをつけてこられたとしても「あの人はクレーマーだからね」と認識されることになり、社会的にはそれで収まるわけです。
 クレームは、あらゆる手段で解決を図るという、気構えが必要だと思います。そうすれば、クレームをつけてきた人も、助言者に変化していくのです。無理が通れば道理が引っ込みます。道理を通すには無理を抑える必要があるのです。
 クレームが変にこじれてしまうのは、初動に問題がある場合がほとんどです。学校内で情報を出し合い共有し、議論して組織的に対応することです。最終段階で校長が毅然と立ち向かう腹を据えていれば多くの場合は解決します。「教育委員会に言うぞ」と脅されれば「どうぞ」と言えばよいのです。そして、教育委員会とともに解決する。
 こうした当たり前のことを当たり前にやる気構えを最初から持っておけばよいのです。「自分は正しい」「自分の間違いは認めたくない」などと思っていると問題はどんどんこじれてしまうでしょう。
(
陰山英男:1958年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校教師、広島県尾道市立小学校長(公募)、立命館小学校副校長、国の教育再生会議委員、大阪府教育委員長を歴任した。立命館大学教授、日本教育再興連盟代表理事、徹底反復研究会代表。兵庫県の朝来市立山口小学校で保護者を巻き込んで、基礎学力向上のための岸本裕史が提唱した百ます計算や日常の生活を見直すチェックシートの活用などで成果を上げた)

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医療関係者も教育関係者も悲鳴をあげている

 現在、日本の医療機関は二つの強い圧力にさらされています。医療費抑制と安全要求である。この二つの相矛盾する圧力のために、労働環境が悪化し、医師が病院から離れ始め、現状は極めて深刻である。
 医療過誤問題については、なぜ医療事故が起きたのか原因究明の制度はなく、結果責任が追及されています。
 医療はもともと不確実で限界があるということが社会でよく理解されないことがある。構造改革で医療報酬の引き下げによって、効率的な経営をよぎなくされた病院で何が起きているかに目を向けず、結果のみを追いかけるマスコミの実態がある。
 夜間の当直医などはまさに24時間体制。自分の専門とは限らない、ありとあらゆる急患者が運び込まれてくるのに対して、たった一人で初期処置を取らざるを得ない過酷な現実があります。
 また、手術に成功するかどうかは、単に医師の力量だけでなく、サポートする体制の状況、同時に人の身体は複雑ですから、確率の問題でもあります。
 医師は高収入と思われがちですが、病院の勤務医は大企業のサラリーマンの給料とさほど変わらず、労働時間は過重です。いま病院から小児科医が消え、産科医が立ち去りつつあります。
 教育のほうに目を転じると、家庭で子どもを育てることのできない保護者に代わって、子どもたちを養護する「児童養護施設」があります。保護者が無断で子どもを連れ出したり、夜間だろうがお構いなしに訪問面接を要求し、ときには職員に暴行行為まで起きているといいます。保護者との関係づくりの難しさの中で悩むことが最近の傾向となっています。若い職員が「もう続けられない」と辞めていくことが例外ではなくなってきたと施設長は語っています。
 私たちは、自らの仕事以外のことは、よくわかっていないのかもしれません。医療関係者は医学や看護がどういうものかを理解しないまま判決を下す裁判官に怒っており、過酷な状況にある学校関係者は、思い込みと決めつけで好き勝手な報道をするマスコミに強烈な不信感を持っています。
 マスコミ関係者も販売数、視聴率という数字に追われ、仕事をしています。双方が弱者なのに、それが連帯へと結びつかないのです。
 なぜお互いが相手のことを分かり合えないのでしょうか。もう少し冷静になりませんか。落ち着こうではありませんか。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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なぜ日本経済は低迷し社会全体に閉塞感が漂うようになったのか、それを打開するにはどうすればよいか

 日本は1945年の敗戦で産業や社会基盤は跡形もなく無くなった。大規模な空爆で日本の建物などはすっかり焼け落ちてしまった。しかし、日本人はそのような悲惨な状況のなかにあっても、国民一人ひとりが焼け野原で敢然と立ち向かった。「なにくそ」と歯を食いしばり、努力と知恵を絞り出し創意工夫を続けた。日本は苦境を乗り越え、高度成長を果し、奇跡といわれる経済復興をなしとげた。敗戦の廃墟から、わずか20年あまりで世界第二位の経済大国を実現した。
 しかし現在、日本は国債残高がGDP比で200%を越え、もはや財政破綻寸前といっても過言ではない。日本経済も伸び悩んでいることもあり、国民の間に停滞感、閉塞感が漂っている。こうした混沌とした状況のなかであるからこそ、状況に流されず、環境に負けないだけの、強い精神が、まず必要なのである。
 それなのに日本人は、我がこととしてとらえず、傍観しているように見える。日本は他民族の侵略を受けなかったことから穏やかな民族である。日本人は柔和でやさしく、純朴な性格をしている。長いものに巻かれ従うというのも日本人の特性である。
 そのような民族であるからこそ「このままでは、われわれは滅亡してしまう」と、リーダーは国民に声高に説く必要がある。繰り返し説きつづけなくてはならない。
 なぜ、日本経済は低迷を続け、社会全体に閉塞感が漂うようになったのか。私は、それは人々の心のありようではないかと考えている。人々の「思い」を変えることが重要だと私は考えている。
 不振の理由を、他に転嫁する人も多く見受けられる。しかしそうではない。現在の日本経済、日本の社会にとって、何が一番足りないのか。それは「なにくそ、負けてたまるか」という強い闘争心、いわば「燃える闘魂」である。これがいまの日本に何より必要である。
 戦後の経営者たちはみんな「なにくそ、負けてたまるか」と闘魂を燃やし、互いに競い合い、切磋琢磨しながら、日本経済を活性化してきた。経営者が燃える闘魂を持って経営目標の実現に向けてまい進するとともに、集団の意識を高めていかなくてはならない。また経営者には「命を賭けて従業員と企業を守る」といった気概と責任感が必要不可欠である。
 ものごとをなそうとするには、みずから燃える人間でなければならない。松下幸之助(パナソニック)、井深大(ソニー)、本田宗一郎(ホンダ)氏も「燃える闘魂」を心に秘め、強烈な意志を持ち、数々の困難を克服していった。そんな先人たちの凄ましい熱意、情熱、闘魂が、ものごとを成就していく原動力となり、企業を成長発展へと導いていったのである。
 ビジネスの世界で勝つには「何がなんでも」という気迫で、なりふり構わず突き進んでいくガッツ、闘魂がまずは必要である。「燃える闘魂」をたぎらせ、誰にも負けない努力をした者が生き残り、闘魂なき者、努力をしなかった者は絶えていくしかないのである。
 どのような苦境にある企業であろうとも、全社員が闘魂あふれるリーダーのもと、強く純粋な心で、限りなく努力と創意工夫を重ねていくならば、いかなる経済変動をも克服し、大きな発展をしていくことができる。
 いまこそ、闘争心をたぎらせてきた人たちがリーダーとして立ち上がらなければならない。日本には勤勉な従業員と高度な技術、十分な資金を持った企業がたくさんある。「燃える闘魂」を持ったリーダーが立ち上がり、奮起さえすれば、日本は必ず再生できるはずである。そのような企業が増えていけば、日本経済も復活していくに違いない。
 産業社会だけではない。国民一人ひとりが純粋で強い「思い」を抱き、誰にも負けない努力を続けていけば、日本は必ずいままで以上に存在感を発揮することができるようになるだろう。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)

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保護者のイチャモン(無理難題要求)が増えている、その背景にあるものは何か

 アンケート調査(2005年、関西地区、回答数507)で、保護者のイチャモン(無理難題要求)が増えていると思うと回答した学校管理職が8割に達しました。
 小学校などでは、子どもが帰宅した後、担任が保護者宅に電話をかけて「ひざのすり傷は、休憩中に運動場で転んでついたものです。すぐに保健室で手当てしてあります」と、報告している姿があちこちで見受けられます。報告をしなかったために「連絡がないのはどういうことだ!」と苦情を言われ、トラブルに発展したりすることが往々にしてあるからです。
 クレームは、ある日突然、校長や教育委員会に伝えられたり、議員や弁護士がいきなり出てくることさえあります。
 「ちゃんと注意を払っていたのか?」といった質問に説明できるように、学校では、ふだんからあらゆることを記録にとり、対応策を講じ、細心の注意をはらうようになっています。
 こうしたイチャモンの背景には、
(1)
社会全体が閉塞し、不満と不安が急速に高まっていることがあります。見えてくるのはうっぷんばらしの「弱い者いじめ」の構造です。
 企業であれば、苦情は「お客様相談室」などを設けていますが、学校は直接持ち込まれます。
(2)
学校は子どもの生活指導や部活動など守備範囲がきわめて広範囲にひろがっていると理解されやすい。しかも、学校に言えば逆襲することはないため実害を受けることはない。
(3)
マスコミが教育問題を取り上げるとき、ていねいな背景事情や学校の努力の経過がきちんと伝えられることなく「だから学校が・・・・・」「教師というものは・・・・・」という一面的な批判が強く全面にだされます。そうしたなかで、保護者たちに実際とは異なる学校の実像が伝えられている。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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日本の学校ほど教師が駈けずりまわっている国は他にない、実像を伝えないマスコミの学校たたきとその背景にある誤った学校神話

 私のところにマスコミ関係者が多くきますが、話をしてみると、今の学校がどのようになっているのか、じつはよく知らないことに、こちらが驚きます。
 教育や学校にかんするさまざまな事件が起きるたびに、マスコミなどは「教師たる者は、かくあるべし」とか「だから学校は、硬直的で閉鎖的と言われるんだ」評することが多くなってきました。
 しかし、日本の学校ほど学校から家庭に対していっぱい情報が提供されている国はないのです。家庭向けの文書が大量にだされています。授業参観や保護者懇談会も行われています。夜中でも家出や非行で電話がかかってくることもあり、24時間体制で教師は駈けずりまわっています。
 こういう国はほかにはありません。ここまでやっていて、学校が開かれてないという言い方には、私は「それはないんじゃないの」と言っています。勝手に決めつけて言うのはひじょうに危ないと思います。
 日本の教師は一人ひとりの子どものために膨大な生活指導の領域を抱かえ、授業だけではなく、運動会や文化祭など多様な活動や部活動と多様な側面を学校が持ち教師が担っています。しかも超過勤務に手当もないなかで、教育改革で、肝心の子どもたちと接触する時間が大幅に削られ「やれ会議だ。やれ書類作成だ」の連続のなかで日々懸命に格闘を続けています。
 多くの学校の教職員がまじめに黙々と子どもたちのために仕事を遂行しているにもかかわらず、マスコミはその実態を伝えるのではなく、ごく一部の問題点が全体であるかのようにあつかいます。そういったなかで、学校や教師に対する誤解や偏見が確実に増幅していきます。
 問題は、世間がなかなかそのことに気づいてくれず、また政治や行政そしてマスコミなどがそれを意図的に過小評価していることにあります。
 こうした学校たたきの風潮や雰囲気がなぜ生まれたか考えてみると、つぎのような誤った学校神話がつよく意識され、使われ出しているように思います。
(1)
学校というものは、子どもたちのためには何がなんでも全力を尽くすべき存在だ
 実際、教師は日夜24時間体制でほんそうしています。私はそういう実態をよく知っています。
(2)
学校はすでに機能不全におちいっている。かくなるうえは構造改革を徹底的におこなうべき
 これは意図的につくり出されてきたものです。私は、これは学校の実像ではない。そして、誤っていると思います。学校にきちんとした環境条件を与えず、もうダメな存在だと決めつけて切り捨てていく、えげつない主張です。
 私はこの二つの神話は実像ではなし、誤っていると思います。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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親がモンスターになっている場合じゃない、親の学校とのつき合いかたはどのようにすればよいか

  私は教師の質が下がったとはけっして思いません。親と子ども、社会が変わったのです。
 団塊ジュニアの親はバブル期に青春を過ごし、欲しいものを手にいれてきました。家庭は友だち親子で大人と対等な関係です。言いたいことがあれば言うべきだという意識を持っています。そして、いま親の中心世代は長い不況の時代に学生時代を過ごしています。「がんばってもムダ、真面目にやってもむくわれない」という思いがあります。しかし、学校は真面目にがんばることに価値があり成り立つものです。
 いちばん変わったのは子どもたちです。傷つきやすくて図に乗りやすい子が増えたのです。叱られ慣れていないせいで、叱られると自信を失いひどく傷つきます。ほめると調子に乗って手がつけられなくなる。集団行動をさせにくい、集中力のない、教師の言うことを聞かない子どもが増えてきました。
 社会の価値観が変わりました。学校はよいサービスを提供すべきであるというイメージがつくられたのです。世の中全体がクレーム社会となり「不平や不満は言ったほうがいい」という考えがまかり通るようになりました。権利を主張する一方で義務から逃れようとする人が増えています。そんな我がまま、クレーム社会でモンスター・ペアレントが登場したのです。
 そんな時代だからこそ、親と教師の関係も正しく変わる必要があると私は考えます。親が担任をやりこめても意味はありません。担任を支えバックアップすることで、子どもたちは楽しい学校生活が送れるのです。では具体的に親は担任とどう関わればいいのでしょうか。
(1)
親は文句を言うのではなく、お願いする
 不平不満を言うのはただのクレーマだと思われてしまいます。担任にしてほしいことを整理して「お願いします」という姿勢で、まずは連絡帳で相談し、そのあとで直接話します。学級全体のことは、数人の保護者と相談して意見を統一したうえで担任へ。
 新任などの若い担任であれば「私たちに協力できることはありませんか。がんばってください、応援していますよ」という姿勢を見せ、保護者が味方であることを伝えましょう。学級の荒れなど状況に変化がなければ校長にも相談を。副担任を入れるとかの対応をしてもらえることがあります。保護者が教室で見守のもいいでしょう。くれぐれも若い担任を追いつめないことです。うつ病で休職することも多い時代です。保護者の協力で担任を支えてあげましょう。
 ベテランで気になる担任もいます。そのワンマンぶりに圧倒されることがあります。実はいま50代の女性教師の離職が増えています。理由は感覚の古さ。「これまでの指導では、子どもも保護者もついてこない、厳しすぎるというクレームが絶えない」ということで自信を失ってやめてしまうのです。でも、ベテランらしく、わかりやすい授業をしてくれる能力があります。こういう担任はとてもプライドが高いですから、親の姿勢としては「いつも感謝しています。頼っています」と言うのがいいと思います。「先生に叱られるから学校をやめたいなんて言いまして」と悩みを相談します。担任は「一年生には厳しすぎたかな」と気づき、多少は行動を変えるものです。しかし、それは親が甘やかすからだと怒る場合は、校長先生に相談せざるを得ないでしょう。
(2)
担任の先生を飛ばさない
 いきなり校長や教育委員会に訴える親が増えています。それでは「担任を信頼していない」ことになります。
(3)
担任のプライドを傷つけない
 教師は優等生でプライドが高い。そのプライドがあるからこそ、意欲も生まれます。子どもの聞こえるところで担任の悪口を言うのは厳禁です。
(4)
担任への励ましと感謝を伝えて
 親は問題のあるときだけ担任とコミュニケーションをとろうとしますが、実は担任は「満足しています」というメッセージも欲しいのです。連絡帳に書き込んでみてください。きっと、もっといい担任になろうと思ってくれるはずです。
 親と教師は、子どもがよりよく育つために見守っている存在だということを忘れてはいけません。教師といい関係を考えるとき、中心には子どもがいます。何か困ったことがあり、その原因が教師の指導力や人間性にあると感じた場合でも、教師への不平不満はあえてのみ込んで、子どもが困っているという事実を担任に伝えてください。そして、いっしょに対応を考えてくださいとお願いするのです。親と担任がいがみ合っては何も解決しません。
 そして問題が解決したら「ありがとうございます。さすが先生」と、担任に言葉をかけてほしいのです。どんな仕事も、評価されることでがんばれるものです。担任だって感謝されればさらによくなろうと思います。それが人間というものです。子どものためにも、担任とぜひ、よいパートナーシップを築いてください。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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学級崩壊を解決するために最大の障害になるのは核になる子どもの存在である

 私は高校教師として勤務し荒れる学校で生徒の暴力が契機となって退職しました。マスコミの教育記事(特定の新聞)はあまりに現場感覚と離れた、独りよがりの論調に怒りさえ覚えておりました。
 学級崩壊は放置できる問題ではない割には、その原因分析に不満足な点がめだちます。学級崩壊を解決するためには、避けて通れない、生徒個人の問題、特に精神障害の問題に取り組まねばなりません。
 学級崩壊を解決するのに最大の障害になるのは、核になる問題行動生徒の存在です。医師となって初めてわかったのですが、この生徒たちは医学的に精神障害として治療すべき対象である可能性の高い子どもたちです。未治療では周りにいる生徒、教師ばかりではなく、将来にわたって広く世の中にも悪影響を与え続けます。
 大人の要求に反抗・拒否する反抗挑戦障害の生徒であれば、どんなひどい行為を行っても自分の行為を悪いものとは考えていません。障害を作り出したのは家族・生育環境で学校ではありません。このような障害を持つ生徒が学校に少なからず存在します。反省しない生徒に教師はどうしていいのかわからないのが教育界です。マスコミは問題行動児と保護者の責任をただすことはまずありません。このままでは学級崩壊を減じることは期待できません。
 どんなベテランの教育熱心な教師でも、学級崩壊がおこっています。生徒の精神障害である、注意欠陥・多動性障害・反抗挑戦障害・行為障害等の生徒がたまたまクラスに存在すれば、容易に学級崩壊につながることを皆が知り、理解すべきなのです。
(
福永宣道:1943年大阪市生まれ、大阪府公立高校教師(10年間)、生徒の暴力により退職、40歳で医学部入学し、近畿地方の診療所長として僻地診療(7年間)の後、東京で勤務医)

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学校から教育が後退したのは、マスコミによる学校たたきと、教師を支える地域社会や家庭の規制力がなくなってしまったことが原因である

 地域社会の共同性がほぼ完全に崩れた十年以上前から、マスコミによるはげしい学校たたきが始まった。個人・自由・人権を第一、平等という理念で、校則、管理教育と、学校のあらゆる問題をやり玉にあげてきた。
 地域社会の支えを失った私たち教師は、このような攻撃に教育の論理で対抗することができなかった。自由・平等という理念に立ち向かうことなどどだい無理な話であった。こうして学校から教育が後退していくことになったのである。そして現在、学校もまた市民社会化したと言っていい。
 個人・自由・人権を第一、平等という理念は、生徒の間には、好きなことはなにをやってもいい、嫌いなことはやらなくていい、という形で広まった。
 人間は平等だから、教師の言うことなど聞かなくていい、という雰囲気も広くいきわたってしまった。大多数の生徒が、その時その場によってわく組みからつぎつぎとはみ出しはじめたのである。
 しかし、教師は教育することが仕事である。授業中騒いだり、そうじをしなかったり、弱い者いじめをした時、そのまま放っておくことなどできはしない。ところが最近は、言って聞かせて、静かになったり、そうじをするようになったりするようには、なかなかならなくなったのである。
 これは必ずしも私たち教師の個人的能力が昔に較べて低下したというわけではない。教師を支える地域社会の共同性や、家庭の規制力がなくなってしまったことが根本的な原因である。昔も今も、教師の個人的な力などたかが知れているのである。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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