不登校の基本的な問題とは何か、不登校児と家族の生きざまとは
不登校の基本的な問題は、外界(社会)に積極的に働きかけたり、環境に柔軟に適応したり、環境を変えていく子どもの自我が抑圧され衰弱する点にある。
本来、能動的な活動はほとんどの子どもたちに備わっているのだが、この能力が消衰するのである。
学校でよい評価を得ることが、子どもたちの最大の課題として押しつけられる現実がある。
まじめに、親や学校の求めるものを先取りした子どもたちが、不登校へと陥っていく。
おそらく、その子どもの生活史で、内的欲求や本音に基づいて能動的に外界に働きかけたときに、心に精神的な傷を受ける経験を蓄積していったのであろう。
それは、子どもにとって、人への不信と猜疑心をつのらせていくものとなる。子どもの魂や本来の関心、感動や喜びを圧殺することになるからである。
したがって不登校は子どもの立場からみれば、合理に従おうとする理性と、自分らしくありたいという魂が求めること、との激しい矛盾の過程である。
多くの人々は、この合理に従い、再び登校できるようになることを治療と呼んだ。
しかし私は、子どもたちの魂の再生に力を注いだ。
その結果、不登校児であった子どもたちが、いきいきと活動するようになったとき、その親たちは「この子のおかげで私たちは本当の夫婦になれた。この子と共に本当の家族を生きられる」と必ず言う。
子どもの不登校は、子どもにとっても、その家族にとっても痛ましいものだ。
しかし、よくよく考えてみれば、その子にとって初めて家族と本音がぶつかり合い、本当の関係づくりのきっかけとなる。
閉じこもり、時には死を思う。その過程に親たちが正面から向き合うとき、初めてその家族にとって、いきいきとした生活が始まる。
当初は苦しみを共にし、そして後には、本当に明るくすがすがしい家族へと成長する。
私に言わせれば、我が子の不登校と対峙し、これと格闘する過程は、その家族が真に生きることそのものだ。
願わくば、健常と呼ばれる子を持つ家族も、不登校の子を持つ家族の生きざまを先取りして、共に死を覚悟して共生できる、真の家族へと成長していただきたい。
心の底から安心し、信じることのできる家族があってはじめて、子どもはどこまでも自立への旅へと向かえるものなのだ。
(森下 一:1941年生まれ、精神科医。不登校児のためのフリースクール「京口スコラ」、生野学園高等学校(不登校児の全寮制中・高等学校)を開設。その活動と功績により吉川英治文化賞を受賞)