カテゴリー「教師の話しかた」の記事

教師が子どもに魅力ある話し方をするには、どのようにすればよいか

 教師の話し方の基本は、声は全員の子どもに聞こえるように、しかも、明瞭で明るいトーンで発せられなくてはならない。表情や手振り身振りの豊かさも重要である。とくに、笑顔が欠かせない。
 こうした表現力は、意識して努力しないと高まらない。
 ときどき、自分の話を録音して聞いてみたり、大きな鏡の前で手振り、身振りやいろいろな表情をつくったりして、それらが子どもたちにどのような印象を与えるか分析的に検討してみたい。
 そうした努力なしに、魅力ある話し方はできないだろう。
 教師の話術の基礎は、子どもとの対話や会話にある。暇さえあれば、子どもたちと雑談して、おしゃべりを楽しむことを勧めたい。
 教師は多忙で、子どもたちと言葉をかわす余裕もなく、とかく命令的・指示的にふるまいがちである。たとえば「静にしなさい」「早くやりなさい」・・・・・。
 この命令的・指示的な話し方が、教育現場に習慣化し、子どもに向かって命令や指示はできるが、話し合えない教師を増やしている。
 教師の命令的な話し方は、子どもをいらだたせる。
 子どもたちがクラスの友だちにたいしても、同じような口調で接するようになり、攻撃的な人間関係をいっそう強める結果になる。
 そこで、すぐにできることは、指示的・命令的な口調から「勧誘(誘う)」話法に切り替えることである。
 たとえば「早くやれ」ではなく「早くやりましょうね」という「誘う」いい方に切り替える。
 こうすると、子どもと横並びの関係に立って、子どもたちの自発性にはたらきかける親しみのある表現にかわる。
 子どもに注意するときは、楽しいエピソードにして伝えるようにする。
 たとえば、教室のほうきが壊れていたとき、どのように注意すれば徹底するでしょうか。
「掃除用具をていねいに扱うこと。わかった?」と注意する。だが、こんな注意のしかたで徹底するわけはない。
 楽しい話に仕立てて伝えるのである。
 私が小学生のとき担任の先生がこんな話をしてくれた。
「先生が夜遅く教室の前の廊下を歩いていたら、教室のなかからだれかの泣き声が聞こえる」
「そっと戸を開けてのぞいてみたら、ほうきが泣いていたんだ」と、こわれたほうきを見せながら、
「見てくれ。このわたしのからだ。頭と胴体がばらばらだ。トホホホ」と泣き真似してから、
「ほうきだって痛がっているんだ。かわいがってやろうな」
 わたしたちは大笑いしたが、二度と掃除用具を乱暴に扱うことはなかった。
 こんなたわいもない話でも、子どもとは、おもしろがって聞くものなのである。
 いまは、なにごとによらず、あくまでも善意を尽くして子どもをとらえることが望まれる。
 たとえば、子どもが遅刻したとする。時間を守らない、規則を破る、だらしのない子ども、だととらえると、腹が立って叱りたくなる。
 しかし「熱をおして遅れて学校に来たのではないか」「なにかわけがあって時間には、間にあわなかった。だが、がんばって登校してくれた」とみたらどうだろうか。
 そうすれば、ちょうど長距離走で、一周遅れでゴールする子どもを拍手で迎えるように「よくがんばって学校に来てくれたね」と、ねぎらいの言葉をかけたくなる。
 遅刻した子どもを「規則を破った子ども」とみるか「遅れてまで学校に来てくれた子ども」とみるかのちがいである。
 やさしい態度で子どもに接するようにしたいものである。
 たとえば、入院したとき、お医者さんが注射を打ちにやってきた。
「注射ですよ」と医者はつとめて明るい声で告げる。
 そして注射をうつ前に「ごめんなさいね。痛いですよ」といいながら注射したのには驚いた。
 注射は痛いにきまっているが、患者のためにしているのであって、医師が勝手に好きにやっているのではない。
 だから、なにも「痛い注射をしてごめんなさいね」と謝ることはないのである。
 にもかかわらず「ごめんなさいね」といいながら注射をした。
 これが医療現場の患者にたいする接し方である。
 人間にたいする共感的な、かぎりないやさしさの話法である。
 ひるがえって教育現場ではどうだろうか。あまりにも権力的ではなかろうか。
 たとえば「朝からいやな話で悪いが」と前置きして暗い話をするといった、やさしい気配りがあってもいいのではないだろうか。
 教師の中には「子どもは教師のいうことを聞くのはあたりまえだ」と思い上がっている人はいないだろうか。
 教師も、たまには、授業の終わりに「今日はみんな、いっしょうけんめい勉強してくれて、ありがとう」と、いってみたらどうだろうか。
 教師の指導が上手に展開したのは、子どもたちが協力してくれたからだ。ありがたいことだ、こう思える教師になるということである。
 教師の「ありがとう」は、子どもたちに、自分たちは人に感謝される存在なのだということを教え、自尊感情を育てることにも役立つのである。
(家本芳郎:1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校教師。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

 

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生きた話には命があり、必ず子どもから子どもに伝わるものです

 子どもを知るということが教育の命だと私は思っています。
 私がしてきた仕事にいいところがあるとすれば、子どもの心を知ることができたことでしょう。
 どういうふうにやったかというと、私のほうから、心から、いろいろな話を子どもたちにしました。
 そうしますと、何か話の雰囲気と言うんでしょうか、心が開けてくるような雰囲気ができるものです。
 教室の隅だったり放課後の廊下だったり、いろんな場所で、話をしました。
 それが子どもの心に入って、大事な役目をしてくれるのです。
 私は子どものころから話し好きで「おしゃべりはまちゃん」の名前がついていました。
 教師になって、それは自分の宝物のような気がします。
 子どもというのは、自分が心に響いたお話なら、黙っていることはないのです。例を挙げてみます。
 私は教室にいろいろなものを持っていきましたが、花もその中の一つです。
 そして、花を長くもたせるのが私の得意技の一つでした。
 コツはちょうど、花が生を終わりたいその時期に切るんです。
 そうしますと、また元気になって長くもつわけです。
 ですから、私は教室に花を置いて、毎日のようにはさみで少し傷んできた花を切り落としていました。
 その朝も、私は傷んだ花を落として、英気を取り戻すことができるように花を仕立てていました。
 そうしましたら、女の子がそばに来て
「先生、そんなことしたら花がかわいそうじゃないの」
「まだきれいよ、こっちから見ても」
 そう言いました。私は、
「そうね。だけどこれくらいの時期にこの花を切らないと、長く花はもたないの」
 と言って花を続けて切っていました。そして続けて、
「そうね。私なんかも神さまが、『この花、ここらで切ろうかな』って、はさみを持って待ってくるかもしれないね」
 って言うと、その子は「やあだ」と、どこかへ行ってしまいました。
 また、私はちょんちょんと花を切っていました。今度は男の子が、
「先生、今何考えているか当ててみようか」
 って言うんです。だから、
「どうぞ、当ててごらんなさい。当たらないから」
 って言いました。男の子はやがて、
「いいや、かわいそうだから」
 と言って走っていきました。
 私はさっきの女の子が何か話したな、ということに気がつきました。
 先生は歳をとったこと、やがてどこかへ行く日が来ること、そんなことを考えて
「先生はかわいそうなようだ」
 って話したんでしょう。
 それで、その話がその男の子に伝わっています。
 子どもは、何か肝心なときには黙っているっていうことができないものです。
 その女の子が男の子にどんなふうに話したんでしょうね。
 それを「ふうん」と男の子が聞いて、やや感ずるところがあったんでしょう。
 こういうふうに、何かがある話だったら、生きたお話だったら、必ず子どもから子どもに伝わるものなのです。
 話というものは、命のあるものです。
 すぐ伝わらなくても、「よーく聞いていなさい」と言わなくても、そのお話に命があれば、ちゃんと一人で子どもの心を訪ねていくものなのです。
(大村はま:1906-2005年、長野県で高等女学校、戦後は東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)

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子どもに好かれている教師は必ず「ありがとう」と言い、子どもに自信を持たせるには「ほめる」こと

 よく見ていると、子どもに好かれている教師は、かならず「ありがとう」って言っています。
 たとえば、集会で話した時に、子どもが非常によく話を聞いてくれたとすると「きょうは、先生の話をよく聞いてくれてありがとう」と言って終わる。こういう先生いますね。
 授業もそうです。授業が終わったとき「きょうは、みんな一生懸命やってくれたね。先生はとっても嬉しかった。ありがとう」と言う先生。けど、そんな教師はまれでしょう。
 そういうまれな教師にあやかって、たまには「ありがとう」って言ってみたらどうでしょう。
「おしゃべりやめて、こっち向いてください」と言って、子どもたちは静かになった。「静かにしてくれて、ありがとう」と言ってみたらどうですか。
 子どもに対して「静かにしてくれて、ありがとう」と言うことは、子どもに「自分は、他人から感謝される存在なんだ」ということを教えることができます。
 そのことを通して、自分は社会の中で生きている一つの存在なんだということを自覚させ、自尊感情をも育てることができると思います。
 だから、教師の要求したことを、子どもがやってくれたら「ありがとう」と言ったらいいと思います。
 教師の指導がじょうずに展開したのは、自分の力がすぐれていたからではない。子どもたちが協力してくれたからだ。ありがたいことだ。こう思える教師になるということでもあります。
 だが「子どもは教師の言うことを聞くのは当たり前だ」と、思い上がっている教師には言えない言葉でしょう。
 今の子どもたちは、自分に自信をもっていない子どもが多い。
 子どもに自信を持たせるには「ほめる」ことです。
 しかし、なにをどうほめるか、なかなかむずかしいことです。
 ほめるというと、気のきいた感動的な言葉を用いなくてはならないと思いがちですが、そんなことはありません。
 すぐに「ほめる」ことできるのは、事実を認めてやることです。
 悪いことをしなかった、めいわくをかけなかった、これすべて「よいこと」なので「ほめる」ことなのです。
 それでもほめることがないというなら、ほめることをさせてほめることです。
 話術は話す術と聞く術からなります。教師は子どもの話を聞くのがへたなようです。
 上手に聞くには「子どもの感情を聞く」「くり返しの技法」を用いることです。
 例えば、子どもが転んで「痛い」と泣きべそをかいているとき「痛いのか。どこ、ぶつけた。・・・・・・」と、最初に「痛い」という感情をやさしく受けとめる。
「痛い」を繰り返して「の」をつけて送り返すのです。つまり「痛いの」です。
 こう繰り返すと「先生はきみの痛さを受けとめているんだよ」ということを子どもに伝えることができます。共感的な話法です。
 遊び心があると、教師の語法にゆとりが生まれます。指人形のようなものを用いて話をすると子どもたちの反応はよい。
(家本芳郎:1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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授業で、教師の話し方技術を高めるには、どのようにすればよいか

 教師が授業や教室での話し方の技術を高めるということは、そのまま教師の識見や、人格を高めることを意味する。どのように話すようにすればよいか。
1 授業の導入
 命令調でなく、誘いこむような口調で語りかける配慮が欲しい。たとえば、
「ここ10年ばかりの間に、こんな急速に農家の数が減っていったのはどうしてなんだろう。この一時間でそれをはっきりさせてみようね」
 このような話し方は、子どもたちの立場に立って、やる気を起こさせる話し方だと言えよう。
 一人残らず、子どもたちを同一線上にそろえることが大切である。
「よし、やるぞ」という期待をすべての子どもに持たせるように、親しみやすく述べることを目指さなければならない。
 課題についての説明を聞いたら「何をすればよいのか」が子どもにイメージされるようでなければいけない。「鳩は、心の中でどんなことばを言いながら飛んでいったのでしょう。ノートに書いてごらん」この指示のしかたならば、子どもたちが何をどうすればよいかが具体的によくわかる。
 子どもたちの興味や関心に合うように提示していく。たとえば、一つの事実をめぐって判断が対立するということは、子どもたちにとっていやおうなく関心を持たざるを得なくなる。
2 明快に話す
 はっきりしていて、よくわかるということである。
 明快に話にするための配慮は、まず「何を話すのか」を自分がはっきりととらえていることである。
「これとこれを教えよう」というように整理されていなければならない。
 つぎに「平易なことば」で話すということである。たとえば、
「雑沓」は耳で聞いただけではよくわからない。「人ごみ」と、なるべくやさしく言いかえるようにしたい。
 さらに「構造的」に話すことである。たとえば、
「時間的経過に沿って述べる、具体的事例から一般化して」話す、など構造化していく習慣を身につけることがじょうずな、効果的な話し方を身につける早道なのである。
3 簡潔に話す
 話す内容を簡単にして、要領をつくすのである。
 話そうとすることの内容を、本当に理解している人の話は必ず簡潔である。
 複雑なことがらも、要領よく整理してまとめられていれば話はずっとわかりやすくなる。
 簡潔に話すためには
(1)短く話す
 必要なことだけをできるだけ短く話すことである。一言で言ってみることである。
 深い理解、正しく豊かな知識も必要であるが、一言でずはり言えるまで取捨選択され、要約されていなければ本当にわかっているとは言えないのである。
 授業時間の中ては、あれもこれもと話すことはたくさんあるのだが、つまるところこれ一つというところがおさえられていなければならない。そうすれば話は簡潔になり、授業運びも簡潔になる。
 子どもたちは全員が勉強好きで授業が好きであるわけではない。
 つまらなさや、苦痛を忍んでいる子もいる。そういう子どもたちに、せめて簡潔ですかっとした話をプレゼントしたいものである。それによって、子どもたちは新しい興味や関心を育てられることにもなるだろう。
(2)箇条的に話す
 上手な話し手は「三つのことを話す」とかの予告をする。聞き手は心の準備ができて、話はうまくつたわることになるのである。
(3)横道にそれない
 授業中の脱線はしばしば子どもたちに喜ばれる。
 脱線できる教師は話題を豊かに持っている教師であり、脱線できない教師よりはましであるが、脱線によってしか子どもを惹きつけられないというのでは情けない。
4 具体的に話す
 具体的に話すには、つとめてくだいて話すことが必要である。たとえば、
「りっぱな人になりなさい」よりも「誰からも好かれる人になれ」という方がわかりやすい話し方である。
 具体的に話せるということは、教師が本当にわかっているということでもある。それを支える豊かな実力を高めることが大切なのである。
 例示は、なるべく身近なものをとりあげるとよい。わかりやすくなる。
 子どもたちに歓迎されるものに「先生の子どものころの思い出の話」がある。目の前にいて、親しみやすいのである。
 つとめて子どもたちには具体性を持った話し方をするようにと心がけたいものである。
5 沈黙と間を生かす
 聞き手は疲れるので、ときどき休まなければならない。
 のべつ幕なしにしゃべる人があるが、こういう人の話は、案外、話を聞かれていないものである。時には騒音でもある。
 話には適当な沈黙と間が必要で、話がわかりやすくなり、話上手な人ほど、この沈黙と間を生かして話すことができるのである。
 話の中に沈黙と間をとり入れる効果は、聞き手を話し手の側に引き込むことにある。
 話し手が沈黙している間に、聞き手は話の内容を咀嚼しているのである。そして次の話し手のことばを期待する。話してと聞き手とが結び合っている。
 一方的なおしゃべりは、聞き手を単なる受動的で消極的な立場に追いやる。
 授業中の沈黙に不安を覚えるのは、教師が、まだ未熟な証拠である。ベテランの教師は沈黙の中で行われている活発な思考活動を見ぬいている。
 有効な沈黙とは、たとえば次のような場合である。たとえば、
「どんな本を読んでいますか?」、「こんなことでよいと思いますか」、「重大な発言をした後」、「主張や意見の後」
 この他にも、いろいろな場合がある。
6 聞き手を分析する
 話し手は、常に聞き手に、受けとめられ納得されているか、察知することが大切である。
 反応が最も鋭敏なのが、子どもである。楽しければ引き込まれ、つまらなければ見向きもしない。飽きてしまってよそ見をしたり、無駄話をしたりする。
 子どもたちのさまざまな反応は、そのまま「教師の話し方に対する注文である」ことを知るべきである。
 教師は話者としての反省を忘れてはいけない。
 教師はつねに子どもの聴衆反応を鋭く察知し、話題を適切に転換したり、話法を変えたりして、自分の話し方をよりよい方向に変えていくように心しなければならない。
7 視線を合わす
 真剣な話は必ずお互いに顔を見合ってする。私は子どもたちに「話は目で聞け」とよく言う。話す人の顔を見つめながら話を聞くようにしつけることが大切である。
 教室には多勢の子どもがいる。最も理想的には全体を見わたしていて、しかも一人ひとりの子どもの表情が見えていることである。修錬を積めば誰でもその域に達することができる。
 そこまで行かないうちは、せめてどの子どもにもかわるがわる視線を向けるように気をつけるとよい。教師の話し方はかなりよくなるはずである。
7 ぶらずに、らしゅうせよ
 「ぶらずに、らしゅうせよ」というのは芸の道を教えたものである。
 「ぶる」とは「いい気になる」「いばる」というような感じである。
 先生ぶった話し方というと、傲慢、思いあがり、独善、偏狭、形式的、教条的、威圧的というような悪い傾向が浮かんでくる。
 これでは聞き手に反感を持たれ、受け入れてもらうようなことはまずなるまい。
 「らしゅう」というのは「ふさわしい」「似合う」「自然である」というような感じである。
 先生らしい、誰にも好感をもたれるような話し方というと、誠実、丁寧、やさしさ、識見の高さ、公平、謙虚、温和、というような、教師というものの良い点が私の頭には浮かんでくる。
 「ぶらずに、らしゅうせよ」というのは、話し手の態度の心得であり、この一点を踏みはずさなければ、たとえ技術的にまずい話し方をしようとも聞き手は話し手についてくる。それほど根本的で重要なことである。
8 時に応じて、ことばの社交機能をとり入れる
 ことばは、交わし合うことによって楽しみを得るという側面を持っている。お喋りの楽しさは誰でも知っている。
 教師が子どもたちに最も多く繰り返すことばは「静かにしなさい」という一語であり、子どもたちがどんなにお喋りが好きかわかる。
 お喋りは、認識とか伝達とか思考とかいう堅苦しい目的のためにのみ成り立つのではない。屈託のない、目的の明らかでない一種の社交である。それによって人々の心は明るくなる。
 授業の中にも時に応じて、この社交機能をとり入れ活用することは、ゆとりのある教師のよくするところである。
 杓子定規で融通のきかない、こちこちの先生の授業は、もっぱら認識と伝達と思考の機能のみに依存するからかえって子どもに、うとまれることになるのである。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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学級づくりで担任が学級で話をするとき、どのように話せばよいか、そのポイントとは

 学級づくりで、担任が学級の子どもたちに向けて話すとき、どのように話せばよいのでしょうか、そのさいのポイントは、
(1)何を訴えたいのか明確にしておく
「何を訴えたい」のか、「学級集団をどのように変容させたい」のかを明らかにしておくことが最も大切です。
(2)話を組み立てておく
 思いつきで話すのではなく、何を話すのか「原稿を準備」し、「話を組み立てておく」ことが重要です。
(3)タイミングを逸しない
 担任として「今、ここで、この話をしておくべき」であるという「タイミング」を計り、それを逸しないことです。
 話の前に「今日、君たちに話したい話があります」と、言ってから話し始める等の工夫を考えてください。
(4)一人ひとりを見て語りかける
 話をしている担任に注がれる子どもたちの視線は、学級の子ども人数分あります。
 担任は、子どもたち「一人ひとりの視線に応える」ことが必要です。
 視線をS字形に移動するなど、学級全体を見渡す努力が必要です。
(5)キーワードを板書する、学級通信に載せるなどして話す
「話のキーワードや、数値等を板書する」などの工夫をして話します。
 また、話材を学級通信に載せ、「学級通信を配布し読み上げる」ことで、文字からも子どもたちにインプットできます。
「学級通信に載せる」ことで、家庭で話題になることも期待できますから、その後の指導にも役立ちます。
(6)余韻を残す
 話が終わった後に「余韻を残す」と、内容が心に残ります。数秒間がよいでしょう。
 話を終えた後には、別の話をしないようにします。
(熊谷茂樹:埼玉県公立中学校長)

 

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子どもの心に届く、教師の話し方のポイントとは?

 教師と子どもたちとの距離が近すぎ、休み時間の延長のような感覚で授業が進められると、教師に友だち言葉で「書いたよ」「次、なにするの」「やりたくない」と勝手な発言が飛び交うようになります。
 また、教師の話し方が、一本調子、早口、指導メモを見るために下向きながら話すなどがみられることがあります。
 では、どのような話し方が子どもをひきつけるのでしょうか。
1 子どもの目を見ながらゆっくりと話をする
 教室は公共の場です。教師と子どもが距離を保って、丁寧な言葉で出会うところです。
「そうですね」「考えましょう」「ノートに書きましょう」と、教師が丁寧な言葉で授業を進めていくことで、教師と子どもたちとの間に適切な距離が生まれます。
 望ましい話し方をする子どもをモデルにしながら、授業に適した言葉を広げていくようにします。
 子どもをひきつける話し方をするために、子どもの目を見ながら、ゆっくりと話すことを意識しましょう。
 特に小学校低学年の子どもたちに話すときには、伝わっているかを確認しながら話すようにします。
 視線で子どもたちをしっかりととらえていくようにします。
 教師が抑揚をつけて、会話調で「ドンドン進んでやろう」「わくわく、ドキドキ楽しくやろう」など、擬態語、擬音語を入れながら話すと、より効果的に話を伝えることができます。
 ほめるときには、その場面がイメージできるように話します。また、名前を最後に言うことで、その子どもへの注目がより高まる、なぞなぞ方式がより効果的です。
 一番大切なことは、教師自身が「このことを伝えたい・教えたい」という強い情熱をもつことです。その情熱が子どもたちをひきつけます。
 たとえば、授業で「いよいよ、1より小さい数に入ります」「今まで知らなかったことに今日は挑戦していきます」と、ワクワクしながら新しい学習に入っていきます。
 話し方の苦手な教師は、絵本の読み聞かせをすることで、抑揚のつけ方や、間の取り方を訓練していきましょう。
2 「〇〇しなさい」と指示する言葉ではなく、誘い込む言葉を使う
 教師が毎日、毎時間「〇〇しなさい」と指示し続けると、子どもたちは受け身になっていきます。自分から行動する力が奪われていきます。
「〇〇しなさい」という言葉を使わず、子どもたちが自分で考え、判断し、行動できるようにすることが優れた教師の指導です。
 指導とは誘い込むことで、強制することではありません。
「〇〇しましょう」「〇〇してください」と丁寧に話しかけるようにしましょう。
 授業の盛り上がりや学年全体の前で話すときなどは、語尾を強めにする必要なときもありますが、できるだけ語尾を弱めて語りかけて話せるようにしていきましょう。
3 「しゃべりすぎ」に注意し、言葉を削るようにする 
「しゃべりすぎ」は教師と子どもとの関係を断ち切ってしまいます。教師の話が長くなってきたら要注意です。
 学級が荒れれば荒れるほど教師の話は長くなります。
 言葉で子どもたちを管理し、支配しようとするため、話が長くなっていきます。
 支配は、子どもたちを服従させるか、反抗を生み出すかどちらかです。 
 授業では「3:教師」対「7:子ども」で話し合いを進めていくことをめざしたいものです。
 教師の言葉を削りながら、子どもたちの話し合いを中心とする授業をつくりだしていきましょう。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員) 

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トークのうまい人は、聞き手をひきつけるトークができる、そのテクニックとは?

 トークのうまい人は、聞き手をひきつけるトークができます。
 演劇の世界に大きな影響を与えたロシアの有名な演劇の演出家スタニスラフスキーが提唱した考えに次のような「3つの輪」というのがあります。
1 第一の輪(一人)
 一人の状態、独り言です。
 演劇で言えば、舞台に一人で立ってスポットライトに当たっている状態です。
 自分自身に向って話している状態です。
2 第二の輪(二人)
 舞台には二人しかいない状態です。相手に話す為の輪です。
 目の前にいる人を意識した話し方になります。
 自分の話ばかりしてしまって相手を見ていないというのは、目の前に相手がいたとしても独り言を話しているようなもので、第一の輪のシーンをやってしまっている。
 相手をもっと意識しましょう。具体的には「相手の話を聴きましょう」ということです。
 相手の話題と自分の話題を繋げていけるように意識するだけで、ただの自分語りは相手との共通の話題になっていきます。
3 第三の輪(三人以上)
 三人以上が入っています。みんなに向って話す為の輪です。
 舞台にいる役者やお客さんに向って話しかけます。
 スタニスラフスキーの「3つの輪」を意識すると、聞き手をひきつけるトークをすることができます。
 演劇界のレジェンド、スタニスラフスキー氏の提唱した「3つの輪」から私が学んだことは、「話しかける対象を意識して話しなさい」ということです。
 実は、これ、話し上手な先生なら、みんな使っている極意の一つです。
 その極意を意識することによって、誰でも話し上手にぐっと近づくことができます。
 今まで無意識だったことを意識することによって、自分の話し方が変わってきます。
 私も、この「3つの輪」というキーワードを得たことによって、場面によって、意識して言葉を使うことができるようになってきました。
 当たり外れが少なくなり、平均打率が高くなったのです。
 では、具体的に説明します。夏休み明けの2学期の全校朝会でのお話です。
「みなさん、おはようございます」(第三の輪)
「元気なみなさんと会えて、とてもうれしいです」(第三の輪)
「楽しい夏休みでしたか?」(第三の輪)
 と、最初は第三の輪で全校生に向って話しかけます。
 子どもたちの集中力が少しずつなくなってくると、トークのうまい校長は、すかさず、第二の輪に切り替えます。
「ところで、小林くん、すごく焼けているけど、夏休みプールにいっぱい行ったのかな?」(第二の輪)
 と、目の前にいた小林くんに話しかけ(第二の輪)、場の空気を変えてしまうのです。
 一瞬、話に間が空きます。
 そして、周りの視線と意識が校長と小林くんに向ったら(第二の輪)、また全体の場に向けて話し始める(第三の輪)、というようなことをするのです。
 時には、第一の輪も使います。
「校長先生の夏休みはねぇー」(第一の輪) 
 そして、また子どもたちの視線が校長に集中したら(第一の輪)、全体に向って話しかけるのです。
「みなさんも、教室に帰ったら、担任の先生に楽しかった思い出をいっぱい話してくださいね」(第三の輪)
 全校朝会で、全校生に話をするのですから、常に「第三の輪」の言葉で話をしているということになります。
 しかし、最初から最後まで「第三の輪」で話をしていると、よほどの話術がない限り、単調で平坦な流れになっていきます。
 トークのうまい校長は、時には「第一の輪」になったり、「第二の輪」になったりして話を続けます。
 実際に置かれている状況と言葉をわざとずらすというテクニックを使っています。
 これを読んでいるあなたは、これからは意識して行えるようになるはずです。
(俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校校長。笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた)

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動かない子、傷つきやすい子を支え、動かしていくための技法にはどのようなものがあるか

 動かない子、傷つきやすい危険域にいる子どもを動かしていこうという場合、熱意さえあれば、通ずるものでもない。
 熱意が逆にあだになる場合もある。別の常識が必要なのである。どうすればよいのでしょうか。
 長年の経験から得た、そのような子を支え、動かしていくうえでの原則や基本的な技法を次に述べたい。これはまさに経験知である。
1 押しつけない
 人は、押しつけや強制されていると感じると、反発し抵抗しようとする。それは、子どもでも同じである。
 心に傷を抱かえている子どもは、それまで支配されたり、虐げられていることも多く、支配されることや強制されることに敏感である。
 子どもが一番見ているのは、相手が価値観や方法を押しつけてくる相手か、自分をありのままに受け止めてくれる相手かということだ。
 押しつけられていると感じると「なんだ、それが目的か」と、そこで心を閉ざすか反発が生じて、前に進まなくなってしまう。
 ところが、教師も親も、つい結果を急いでしまい、期待通りに動かそうとすることが、どんなに多いことか。
 まず、本人の主体性を尊重するように働きかけ、こちらの期待で動かそうとしないということを心がけることが大事だ。
 自分の主体性を尊重してくれると感じると、子どもはその人に対して安心感を持ち、やがて信頼を抱くようになる。
 人は自分を尊重してくれる人を信頼するのだ。
 まずは、いったん、子どもの気持ちを受け止めてあげることだ。
 一呼吸おいて「そう。〇〇したいの」とそのまま返してあげる。
 すると、子どもはほっとして、その内側にある事情を語り始めるだろう。それに寄り添いながら、同じ目線で、一緒に解決策を模索したらよい。
 たいがいは、何か傷つくことがあって、現実を受け入れられなくなっているだけで、目の前の不満を整理していくと、自分の中に眠っている本音が見えてくる。
 たとえば「友だちに、いやなことを言われたけど、本当は好きだし、続けたい」などといったものだ。
 押しつけでなく、自分の主体性を尊重されていると思うことで、自分の問題について、その子なりの考え、折り合いをつける糸口が見えてくる。その後の良い行動にも結びついていくのだ。
2 否定的な判断や決めつけをしない
 教師や親の言葉の使い方に重要なポイントがある。
 傷つきやすい子どもに関わる場合は、言葉の微妙なニュアンスがとても大事になる。
 一言、声を聞いただけで、視線ひとつで、この人は押しつけてくる人だと、子どもはかぎ分けてしまう。もうそれで、シャッターを下ろしてしまうだろう。
 当の教師や親は、なぜ子どもが心を閉ざしてしまったのかに、気づいていない。
 もっとも子どもがカチンとくるのは、決めつける言い方をされることだ。
「あなたは、いつもそうなのね」「どうせ、そういうことだと思った」「そんなんでいいと思っているの」
 というような言い方に、自分を否定的に決めつけられていると、強い反発を感じる。
 その一言が逆方向を向く引き金になりかねない。
3 許容語を使う
 では、どういう言い方が、受け入れられやすいのだろう。許容語を使うということだ。他の可能性を排除しない表現のことだ。たとえば
「〇〇だ」ではなく「〇〇じゃないかな」
「〇〇に決まっている」ではなく「〇〇っていう気がする」
「〇〇しろ」ではなく「〇〇してみるのは、どうかな」
「〇〇するな」ではなく「〇〇って思うんだけど、どうかな」
といった、やや控えめな表現だ。
 断定的な言い方をすると、感情的な反発が沸き、言われた内容よりも、決めつけられたことへの怒りや不快さが先にたつ。そうなると、考えや行動の変化につながらない。
 控えめに言われると、反発よりも「そうかな」「できるかな」と、自身の中に取り入れて、考える余裕が生まれる。
 あとあとも、そのことが心に残りやすいのだ。つまり、この時点で、心の抵抗を突破している。
4 オープン・クエスチョンを活用する
 決めつけない言い方で、とても重要な技法がオープン・クエスチョンである。
 たとえば「どうして」「どうやって」「どんなふうに」と言うと話がふくらんでいきやすい。
 イエスかノーで答える質問というのは、訊問でも受けているような気持ちになり、次第に心を開く気持ちをなくしてしまう。わざわざ抵抗の壁を作っているようなものである。
 オープン・クエスチョンをよく使う人は、話を聞くのが上手である。 
 オープン・クエスチョンを増やすように心がけるだけで、子どもがよく話してくれるようになり、手にはいる情報も格段に増えるだろう。
5 本人の視点を重視し、最小限の言葉で反応する
 話を聞くうえで大事な技法は、こちらができるだけしゃべらずに、本人が話す時間を多くするということだ。
 大人が口を挟むと、子どもは伝えることをあきらめてしまう。
 できるだけ余分なことを言わずに、最小限の反応で、しかも、話しやすい雰囲気にする。
 そのためには、相槌やうなずき、顔の表情で反応したり、
「へぇ-」「そうなんだ」「すごい」「本当に」
 といった、意味のない言葉で応じるのが基本だ。さらに
「それでどうなったの?」「とうして」「どうやって」
 といったオープン・クエスチョンで話を掘り下げていく。
 こちらは、ほとんど何も言っていないのだが、本人はとてもよく話をしたと感じる。本人の視点で話を展開し、本音の気持ちも、そうしたやり取りの中から語られていく。
 ところが、押しつけになってしまいやすい人は、しゃべりすぎてしまう。自分がしゃべることが、子どもと話をすることだと勘違いしている人もいる。
 しゃべりすぎるということは、子どもではなく自分の視点になっているということだ。
 それでは子どもは受け止められたとは思わないし、意図を感じて反発するだけで、何ら好ましい変化は生じない。
 特に問題が起こったときは、教師や親はできるだけだまっていて、子どもがしゃべれるように方向づけをしないと、解決の糸口が見えてこない。
(魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)

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話術を習得する近道とは、話し手の根本的に大切なこととは何か

 芸でも仕事でも、一人前のことができるようになるまでは「見習い」と呼ばれます。これは、「未熟なうちは、見て習いなさい」ということです。
 あまり「教えてくれ」と言うものじゃありません。簡単に教わったことは、それだけ早く忘れます。
 それに対して、教わってもいないのに、自分で一生懸命に見て身につけようとした技術は、いつまでも覚えているものです。話術もそうだと思います。
 ですから、職業上の話術を身につけたいのであれば、まずは上手いと思う人の現場に行って、そばで邪魔にならないように見せてもらうのがいちばんでしょう。
 表面的な言葉づかいだけでなく、場の「空気」を読みながらの対応、駆け引き、相手とあうんの呼吸のようなものを見て習う。
 それをできるだけ早く、実践の中で試してみる。それが職業上の話術を習得する、いちばんの近道だと思います。
 話は聞き手があきないようにしなければなりません。
 落語もそうでしょうけど、我々は一応の台本がある話でも、お客さまの反応を見ながら変えていきます。
「かたい話が続いて、お客さまがちよっと疲れてきたな」ということがある。
 そのときには息抜きになるような話をアドリブで入れます。
 どんなに良い話をしていても、聞く人が途中で飽きてしまったり、疲れてしまったりしたら、何にもなりません。しゃべっていないのと同じことになってしまいます。
 そういう場面をいかになくしていくかということが、大事なんです。
 あえて人まえでしゃべるのは、より分かりやすく、面白く伝えるためですよね。話を上手にできるようにするには、まず、そういう意識が必要だと思います。
 話し手の自信が話を生む原動力となります。
 本当によく勉強したことというのは、自然と人に話したくなるものです。教師であれば、先生としての自信が、話を生む原動力になります。
 生徒からどんな質問をされても答えられるように、あらゆる角度からそのことを勉強しておく。見識を広げておく。
 そうすることでまた、より興味を持ってもらうための工夫、もっとわかりやすく説明するための配慮もしやすくなると思います。
 よく勉強していて、自信があるからこそ、相手に応じて話し方や話の切り口を変えられる。
「今この話をしても分かりにくくなるだけだな」と思ったら、話したい知識でも引っ込めておく。そういうことが柔軟にできるようになるといいと思います。
 自分が変われば、相手もかわります。
 人間関係の基本は、自分が変われば、相手もかわるということです。
 わかりやすい例で言えば、自分が敵対的な態度をとれば、相手も敵対的な態度で返してきますし、自分が友好的な態度をとれば、相手も友好的な態度で返してくるものです。
 高座の上でお客さま方に話すのに、気を引き締めたり、少しゆるめたり、また引き締め直したりということはします。それによって、お客さまも集中して聞こうとしたり、肩の力を抜こうとしたりするんです。
 その駆け引きは、舞台に上がる前から、もう始まっています。舞台に上がるとき、緊張した面持ちで歩いていくのか、それとも「やあ、どうも」という感じで出ていくのか。最初の言葉をどんなテンションで語り出すかも重要です。
 厳粛な雰囲気で、話しだすまでたっぷり間を取って、重々しく語り出すのか、それとも軽く明るい声で、ニコニコしながら語り出すのか。それも話術の一部です。
 何に基づいてそういう変化をつけるかといったら、一つには、どんな話をどういう風に伝えたいのかというイメージの違いでしょう。
 もう一つは、場の「空気」です。場の「空気」が崩れていたり、堅くなっていたりすることがある。そのときには、なぜそうなったのかということも考慮に入れて、自分の出方を決めます。
 話のまくらでお客さまの雰囲気をつかむ。
 我々は「枕」の部分をしゃべりながら、その日その日のお客さまの雰囲気をつかんでいます。それから本題に入るんです。
 少ししゃべってみる、お客さま方の反応を見る。またそれに応じて変えていく・・・・・・。
 我々は、今日のお客さまはこうだなというのをつかみながら、お話の仕方を変えていきます。
 枕は軽い世間話などをして、お客さまに肩の力を抜いていただこうということもであります。
 あるいは、本題と少しずつ関係のある話をして、だんだんとお客さまを日常から講談の世界に引き込んでいく、そういうことにも「枕」を使います。
 その人の生きざまが話の中にでます。
 昔から「芸は人なり」なんてことをよく申します。芸には、その人が今、生きているすべてがでます。話というのもまたそうでしょうね。
 その人の人生経験、年齢なりの声や風貌、やしなってきた知識、仕事に向かう情熱、そのときの熱意、人に対する思いやり・・・・・・。
 ようするに、その人の生きざま全てが、話の中に出ます。これはなかなか大変なものです。だから、時間をかけて、人間の修業からしていきます。
 話す人間に魅力があるか。
 講談師は高座でしゃべって、お客さまに来ていただいて、お金をいただく商売ですから、厳しいところがあります。
 話す人間に魅力があるかということが、そのまんま結果に出てしまう。言ってみれば、人間そのものが商品なんです。
(一龍斎貞水:1939年東京都生まれ、 講談師、人間国宝。「講談は守るべきものと開拓すべきものがある」が座右の銘)

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子どもたちが教師の話や説明を聞きたくなるようにするには、どうすればよいか

 授業をするとき、授業の進め方、課題や解決の方法、答や学習の成果など、子どもたちに話をし、説明しなければなりません。
 教師の話や説明に、子どもたちが興味関心を持ち、聞きたくなるようにするには、どのようにすればよいのでしょうか。
1 本音で語れ
 子どもの心に、説明を強く印象づけたい場合、あっと驚く本音で話し始めることで、子どもの興味関心を高め、その後の説明を聞かせてみよう。
 この方法を多用すると、子どもが教師の話を楽しみに待つようになる。
 飾らない話しぶりに好感が持てるし、本音の真意が何であるのかが楽しみであるからだ。
「では、話します」と言うだけで、子どもたちが期待に満ちた顔で教師の話を聞くようになる。
 こうしたことを繰り返すことによって、子どもたちの聞く態度を育てることができる。
 教師の話をがまんして聞かせることだけでは、子どもたちの聞く態度は決してよくならないのだ。
2「たとえ」を使う
 あっと驚く「たとえ」を使うと、子どもたちの心に驚きや感動を与える。例えば、
「学級はすいかと同じだ。熟れてくるほど、中身の種が育ってくる」
「計算力とラーメンは同じだ。速くできても、まずかったでは意味がない」
 よく練っておかないと、こうしたたとえは、決まると格好がいいが、子どもたちに通じないと逆効果である。
 そして、普段から「〇〇と〇〇は似ていないかな?」と考えることが大事だ。
 こうした「たとえ」を使った説明はインパクトが強い。だから子どもたちの記憶にいつまでも残ることになる。
 インパクトのある「たとえ」は、子どもの内面に浸透して、子どもが自分を律する際のルーツとなるのである。
3 注意事項が複数の場合は、頭文字で話す
 注意事項が複数になってしまう場合は、その言葉の頭文字を取って話す。
 通常、子どもへの説明は、一時に一事を短く話すことが原則。しかし、複数の内容を説明しなければならないことが多い。
 そこで、頭文字で印象づけ、その後、詳しく説明する方法が効果的なのだ。例えば、
 特別教室への移動するときの注意事項を説明するときの頭文字は、「あくま」で。
 「あ」歩いて、「く」口を閉じて、「ま」間に合うように。
 頭文字は、合言葉になる。教師がいないときも、子どもたちが互いに声を掛け合える集団へと育つのだ。
4 当たり前と思われている事柄を問いかける
 子どもたちが「当たり前だよ」と考えているような事柄を説明するときは、問いかけた後に説明をするようにする。例えば
「なぜ、ハンカチやちり紙を持ってくる必要があるんだろう?」
 当たり前を問い直してみると、子どもたちは「あらためて聞かれると、わからないなあ」と自覚することができ、その後の説明に耳を傾けるようになる。
5 子どもたちのテンションが低いときは、活動を取り入れる
 テンションが低いことが多い月曜日など、説明を聞けるような状態にないときは、まず活動をさせてから説明をする。
 例えば、朝なら「おはようございます」と言わせるだけでもよい。座って行う活動が続いたのなら「立ちなさい」と言うのもよい。
 なにか活動を取り入れて、空気を変えてから、次の説明をするようにする。
 活動は二回繰り返すとよい。一度目の活動に必ず「ダメ出し」をして、レベルアップを要求する。こうしておいてから、説明する。
 教師の話を子どもたちが聞いていないとき、のっけから「静かにしなさい」と怒鳴って静かにさせると、教室の雰囲気は急激に冷えていく。
 そこで、活動をさせる。活動にダメだしをすることで集中力を高める。しかし、二回目以降は、改善された点をほめるようにする。それによって空気をあたためることができる。
6 教えない
 子どもたちの意欲を高めたいときの手法の一つが「教えない」こと。
 本来与えられるべき情報を、制限したり、与えなかったりすると、子どもは知りたいという意欲を高めるようになる。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。「北の教育文化フェスティバル」代表、「お笑い教師同盟」副代表、「実感道徳研究会」副代表)

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