カテゴリー「教師の話しかた」の記事

声が変われば自信が生まれ人生が変わる    白石謙二

 声が変われば自分に自信が生まれ、その結果、人生さえも劇的に変えることだってできると白石謙二はつぎのように述べています。
 日本には、話すための声のトレーニングを指導する専門家はほとんどいません。
 しかし、欧米では、政治家、企業のトップなど、人前で話す機会が多い人は、ヴォイスティーチャーがついて「声トレ」をするのが常識です。
 声はトレーニング次第で悪い声とされている声でも、トレーニング次第で「よい声」に変えることができるのです。
 話を聞くとき、話の内容に影響を受ける人は7%しかなく、じつに93%の人が「声や態度」に影響されるといわれます。
 私は、これまで多くの人に声のトレーニングを指導してきました。
 その指導の基本は、その人が持っている内面のすばらしさに、その人の声をどうやって近づけるか、ということにあります。
 大半の人は、表現しきれていません。
 その最大の原因は、声のパワー不足にあります。
 パワーがない声は、相手の心に届かないのです。
 よい声を出すためには日頃からの訓練が大切です。
 大切なのはまず発声、それから滑舌と表現力です。
 発声を鍛えることで、声にパワーが生まれ、説得力のある話し方ができるようになります。
 具体的には、相手に「しっかり伝わる声」、相手の心をつかむ「よく通る声」を訓練します。
 滑舌が悪く、何をいっているのか聞き取りにくい声は、相手に話を聞いてもらえなくなります。
 滑舌を改善すれば言葉がはっきりし、ハキハキとした印象を与えることができます。
 人は誰でも「あ行」~「わ行」までの間で、いいにくい言葉があるものです。苦手な行や言葉を克服するための訓練をしていきます。
 表現力は、自分が伝えたいことを相手に伝わりやすくするための技術です。
 感情の込め方、間のとり方、身ぶり手ぶりなどです。
 私の経験からいうと、あまり表現力にとらわれすぎると、肝心の声の力がおざなりになる傾向が強いようです。
 自分の声を知る一番よい方法は、レコーダーなどに自分がしゃべっている声を録音することです。
 さらに、新聞や本を朗読することをお勧めします。
 長い文章を朗読することで「声量のあるなし」「発音や滑舌のよし悪し」「間のとり方」など自分の弱点が明らかになるからです。
 ひと口に悪い声といっても、つぎのようにさまざまなタイプがあります。
 自分の声がどのタイプに該当するのか、しっかり把握することが大切です。
(1)小さい声
 消極的で引っ込み思案と見られがちです。→「腹式呼吸で発声する」
(2)か細い声
 弱々しい印象を与える。→「声のトーンを下げ、下アゴを動かし響く声に」
(3)暗い声・こもる声
 陰気な印象を与える。→「鼻腔を共鳴させ、抜ける声に」
(4)うるさい声
 耳障りで不快感を与える。→「小さい声でも聞き取れる声に」
(5)ダミ声
 高圧的な印象を与え、反発を買う危険がある。→「ふあっとした声でトーンを上る」
(6)甲高い声
 高すぎて相手のカンにさわる恐れがある。→「声のトーンを下げる」
(7)かたい声
 冷たくて頑固な印象を与える。→「身体をほぐし感情を込めやわらかい声に」
(8)老け声
 声量・声のハリがなく、元気のない声。頼りなさそうな印象を与える。
(9)鼻声
 鼻にかかった甘えた声です。相手に甘えた幼稚な印象を与えます。
 弱点がわかったら「声トレ」に入りますが、ただ漠然と行ってはいけません。
 大切なのは「声を大きくして、元気なイメージを持たれたい」など、目的意識をしっかり持つことです。
 そして、もうひとつ重要なことは、意識を変えることです。
 いくら明るい声を出すための技術をマスターしても、暗く沈んだ気持ちのままでは、明るい声は出ません。
「技術」と「意識」は、車の両輪のようなもので、両方をしっかりと学ぶよう心がけてください。
(白石謙二:これまでなかった、話すため専門のヴォイストレーニング&ティーチングを行う「青山ヴォイスメイクアップアカデミー」を開校。ヴォイスティーチャーとして活躍。パワフルヴォイスヴォーカルスクール代表でもある)

 

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子どもたちに印象に残るような話し方とは    大内善一

 知らず知らずのうちに話をしている人の人柄も聞いている子どもたちに伝わってしまっていると大内善一はつぎのように述べています。
 私は茨城大学附属中学校の教師だったとき、三人の校長に仕えました。
 毎週、月曜日の全校集会の校長先生のお話を興味深く聞いていました。
 そして、生徒たちはその話をどのように聞き取ったのか、教室に戻ってきた生徒たちに聞きただしてみることを、ひそかにやっておりました。
 私は生徒たちに、
「今日の校長先生のお話の中で、大事なお話が三つ話されていたよね、はい、三つ言える人」
 と生徒たちに発表させていたのです。
 生徒は意外と話を聞いていないのですね。
 それは、生徒の責任というよりは、やはり本当に印象に残るような話であったのか、ということもあると思います。
 この三人の校長先生のうち、ある校長先生の話に関しては、生徒は本当に熱心に聞き浸っていたように思います。
 私も校長になったので、この校長先生のような話をしてみたいなと思って、努めているのですけれども、こればかりはなかなか難しいものです。
 この校長先生は、決して理路整然とお話しするわけでもないし、情熱的な話ぶりで生徒たちを圧倒するといったわけでもなかったのです。
 むしろ、後ろの生徒たちには聞こえるかどうか心配になるぐらいの、ボソボソとした静かな語り口で話されていたのです。
 おそらく生徒たちには、そのような話しぶりまで心に刻み込まれていたのではないかなと思われます。
 私たちが子どもたちの前で話をする時、あまりに理路整然とした理詰めのお話しをするのは、子どもたちの思考のサイクルには合わないようです。
 また、情熱的な雄弁な話し方も、子どもたちにはどこか押しつけがましさが伝わってしまうのですね。
 ですから、子どもたちの心を素通りしているのですね。
 最近は、論理的思考ということが盛んに叫ばれています。
 確かに論理的な思考は大切なのですが、論理的思考一辺倒だけでもうまくいかないと思います。
 やはりパランスが大事なのではないでしょうか。
 ですから、話し言葉の教育の場合は
「情理を尽くして説く」
 という姿勢を、子どもたちにも教えていくべきだと思います。
 内容だけをうまく伝えようとしても、うまくいかない。
 聞き手も頭では分かっていても、心のどこかで
「そんなことを言ったって」
 と反発しているということがあると思うのです。
 知らず知らずのうちに話をしている人の人柄も聞いている人には伝わってしまっているのですね。
 そういうことも子どもたちには自覚させながら、話をしていくことができるような能力を身に付けさせてあげたいと常々思っております。
(大内善一:1947年生まれ、国公立小学校・中学校教師、秋田大学・茨城大学教授・附属校長を経て茨城大学名誉教授)

 

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発声の練習(あくび卵発声トレーニング)とは    平田オリザ・蓮行

 発声の練習(あくび卵発声トレーニング)について平田オリザ・蓮行はつぎのように述べています。
 「大きな声で、ハキハキと」という声をめざす練習ではありません。
 いい俳優の持つ発声能力とは「場面に応じて、最適な声が出せる」ということです。
 声の出し方ひとつで、いろんな場面で求められる効果に差が出てきます。
 声を出すためには、
1 まっすぐに立ちましょう
 できれば鏡を見ながら「まっすぐ立つ」ことにチャレンジしてみてください。
 なぜなら、発声は下腹部の筋肉の力で空気を押し上げ、気管から声帯を通して口から出すという「運動」です。
 だから、それらの器管に余計な力が入らないように、縦にまっすぐに並んでいる必要があるからです。
2 その場で軽くジャンプしてください
 着地するときに、無意識にヒザが曲がるはずですから、ヒザを曲げたままキープしましょう。
3 そのヒザをゆっくり伸ばします
 すると、足の力が適度に抜けて、骨盤の真上に頭蓋骨がくるようなイメージで立つことができます。
 その手を下してきたら、背中の後ろで組んで、深呼吸をしながら引っ張ります。
 座り過ぎの生活をして人が多い。そのため、胸が狭くなっているので、それを広げてやるわけです。
 さあ、これで柔らかく、まっすぐに立てたはずです。
実際に声を出しましょう。
1 パントマイムで右手に殻をむいた、ゆでた卵を持ってください
2 あくびをします
 奥歯と奥歯の間を広く開けてやると、のどは自然と奥まで広がります。
3 口にゆで卵を縦のまま入れ、低い声で「あ~」と出してください
 ゆで卵は、声の塊だと思ってください。
4 あくびで開いた喉に、ゆで卵を落としていきます
 食道を抜けて、胃をめざします。声は自然と低くなっていきます。
5 おへその下の丹田まで落とします
 ここまでゆで卵が落ちれば、音程はその人がだせる最も低い水準まで下がります。
 お風呂でシャワーを浴びながら、シャワーの音に紛れさせて、という方法をおすすめします。
 体を温めながら、湯気で喉も保護されますから、発声練習には適しています。
 毎日たった1分でも続ければ効果は絶大です。
 低音を集中的に鍛えることで、発声に必要な腹筋が自然に鍛えられます。
 さらに声帯も柔らかくしなやかになるので、高い声もでるようになります。
 マスターし、自らの声のコントロール力が上がれば「大きな声で、ハッキリと、テンポよく」声を出すなど、ぞうさもないことです。
(平田オリザ:1962年生まれ、劇作家、演出家。劇団青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人。自然な会話とやりとりで進行していく「静かな演劇」の作劇術を定着させた。東京藝術大学アートイノベーションセンター特任教授。日本劇作家協会理事)
(蓮 行:1973年生まれ、劇団衛星代表、劇作家・演出家)

 

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子どもに話をするときのコツ 大村はま

1 魅力的に話す練習をする
 子どもに話す話し方を、もう少し魅力的にじょうずに話す練習をやってほしい。
 録音して自分の話を聞くといいんですよ。
 録音して、自分で聞いてみれば、悪いところがよくわかります。力がないのがすぐわかります。自分でびしびしと鍛えます。
 私は退職するまでこっそりと練習していた。
 話しをすることは特に難しいものですから、短い話しでも、教材の話でも、子どもに聞かせる話は事前の練習が必要です。
 子どもに二分とか三分、話をするのはむずかしいから練習しました。そういうとみんな呆れたような顔をしますけどね。
 先生方は「そんな時間はかけられない。忙しくて」とおっしゃるけれど、忙しくてもそれが本職ならしかたないでしょう。
 録音したものを少しでも聞いてみれば、なおすべきところがわかる。
 自分ほどきびしい先生はいないと思うくらい自分で自分を批評しても大丈夫。
 ほかの人に聞くからめんどうくさくなる。
 聞いてみて、あっと思うことを直してみたり、ほかのことばに言いかえてみたり。
 ここはこう言い方もあったとか。そうやってことばを増やすことを考える。
 やろうと思っても時間がないなんて言わず、それをやらなくては。本職だから。
2 豊かな話を多く持っている
 教師の運命を決するのは豊かな話を多く持っていることではないでしょうか。
 先生のそばへ行くと、お小言とか、ためになる話とか、そういうのは聞けるかもしれませんが、何か心のそうっとあたたまるような話はあまり聞けないというような状態が多いのではないでしょうか。
 いわゆる「ためになる話」というと、だいだい子どもの嫌いな話が多いですね。そうじゃない豊かな話を子どもに何気なく話していく。
 そういうことをもう少し考えないと・・・。学級が崩壊するとか言われていますけれども、そういう場がないからではないでしょうか。
 幸せな家庭にいるのと同じようなふんわりした暖かなものが、子どもには必要だと思うんです。
 でも、そんな話をたくさん胸に持っていない教師がいるということに、私は最近、気がつきました。
 どのような話ですか、と改まって聞かれると困るけれども、子どもが何気なく気楽に聞き流しながら、何かを受け取っていくというような、つまり話の力ですね。
 話にはそういう、何がためになるかならないか、上手か下手か、そんなことに関係のない、話し言葉の作る雰囲気というものがあるんです。
 30人なり40人なりの子どもを並べて「これからお話をしますから、よく聞いているんですよ」なんていうのは、教師として本当につまらないことです。
 「よく聞いてください」と言わなければ聞けないような話しかできないんでしょうか。
 教師の話し言葉は、じかに意志を伝えていくものです。
 ですから、これを豊かに持っているか持っていないか、持つことを志したか志さないか、それが教師の運命を決すると私は思います。
 私はそういうふうに思って、たくさんのお話を胸に持っている先生を尊敬しています。
 子どもの数だけいつでも胸に話があったら、どんなにいいかなと思います。
3 教師が「子どもが興味を持つように」と願う方向に向けていく
 子どものなかに教師が身をおくことが、教える技術の一つだと思います。子どもの中には入って、子どものことばで話すわけです。
 そういう言葉が、どんなに子どもの心を柔らかにし、開いてくるか、わからないと思うのです。子どもの興味のうえに立って、子どもの関心の深い点で、本気で子どもの生活のなかで考えさせます。
 それは、教師がただ子どもの興味と関心に従っていくことではないと思います。それは教育にならない。
 教師は「この方向に子どもが興味を持つように」と願うところに、静かにゆっくりと向けていく、工夫と努力をしなければならない。興味や関心を育てることは、先生の仕事なのです。
 話し合いが堂々巡りのとき、一つの転機を画すように、ぱっと目が覚めて、抜けだしていい話しができるように、曲がり角を作る人でなければならない。先生自身が目の覚めるような発言をして、みんなを感動させることです。
4 子どもの腰を見る
 子どもが教師の話を聞いているかどうかは、目をみるのもいいけれど腰を見なさい、と芦田恵之助先生から教えられました。
 腰がピンと立っていないときはあなたの話を聞いていない。お義理にこっちを向いているだけ、心は眠っているのだと、よく聞かされました。
5 話の長さは3分がよい
 話しはできるだけ短くしたほうがよいと思われます。
 いい話しでも長すぎるといい話しではなくなります。
 話は5分以上話すべきでないと思います。
 3分がいいのですけれども、それ以上は涙をのんでとにかく、いったんやめるべきだと思います。
 一年間教えておりますので、話す機会はいくらでもあります。ですから、惜しくてもやめないと、何の感動を与えないものになってしまいます。
6 子どもへの話は「題材」、「話しだし」「組み立て」「結び」にかかっている
(1)「題材」
 話の材料というのは、ほんとうに一生懸命に捜しています。
 先生の体験談など生きた話しがいちばん効果的です。
 話しの内容は、自分の生活のなかから拾った話しが一番です。
 自分の生活のなかで自分でとらえて、自分で感激していて、みんなに話したい話が一番生きていると思います。
 そのような話しをすると、話しやすい雰囲気、ふんわかとした、あたたかい空気ができるのです。
 先生自身の生活の幅が狭くて、話したいことなんかないということは、子どもの話しを聞けない、引き出せないと考えてもよいと思います。
 読書の幅を広くして読んで心に残った話しとか、いろいろの話題で自分の胸にいつも感動のネタがいっぱいあるようにしていかないといけません。
 私自身が、心から話したいと思わない話は、どうもだめです。新しい発見がない話、受け売りだけの話は、だれもあまり興味が乗りません。
 教師の話し方は、一度でわかるような話をするということが、教えるときの教材準備のいちばん大事なところだと思います。
(2)「組み立て」
 言葉をいかにやさしくしても、「組み立て」の悪い話というのは、子どもにはわかりません。
 ですから「話し出しのくふう」と、「組み立て」「おしまい」、そういうことは気をつけて、案を立てて練習して話をします。
 「話しだし」が同じ形をくり返していますと、マンネリになってきますから、だめなのですね。
 「組み立て」はよくよく考えてから。それをガラッとひっくり返したほうが大体はいいようです。
 「結び」はほとんどないにするのがコツのようです。パッとやめる。ていねいに結びますと、大体だめになるようです。
7 本心が心から声になって出る
 西尾実先生に、二人で対話するというのが大事で、本心がすらすらと出てこなければならないんだと教えてくださった。
 だいたい日本の先生は問答のことを対話だと思っている。
 本心が声になって出る習慣というか力というのを持たないと、話しことばというのは成立しないとおっしゃっていたんです。
8 話しのテンポ
 テンポはマンガのテンポがいいです。
 ていねいでなくて、ちょっとおそまつなぐらいのテンポです。
 有名なマンガ家の場面の移し方にテンポを学べると思うのです。
9 上手に話ができる教師は、相手の心をよく受け取れる教師
 上手に話ができる人は、相手の心をよく受け取れる人だけです。
 相手の心を受け取れない人がしている話は、子どもの心にはしみ込んでいかない。
 とにかく、子どもの心をとらえる以外に上手に話をすることはできない。
 子どもの心を本当にとらえているということが、教師にとって大切なことです。
 それがつかめていない間柄では、どういう工夫をしても話はうまくいかないと思います。
(大村はま:1906-2005年 長野県で高等女学校、東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力と課題に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)

 

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教師の話し方のわざを磨くにはどうすればよいか

 子どもたちに話をするときは、結論から述べることが原則です。例えば、
「今日はすばらしいことが三つありました。一つ目は・・・・・、二つ目は・・・・」
 と、数を明確にすることで、聞く側にとって話が集約され、聞きやすくなるのです。
 話の中に「○○○」の会話文や音、数を多く取り入れて話すことで、聞く人をぐっと引きつけることができます。
 子どもたちに指示を出したり、発問するときには語尾は弱めるように話したいものです。例えば、
「書きなさい」の「なさい」
 は、弱めます。
 語尾を強めると命令的になり、子どもへの支配性を強めていきます。
 特に主になる発問を言うときには、間を取って、子どもたちの顔を見渡しながら、ゆっくりと語尾を弱めながら話していきます。
 その他、「表情のつけ方」、「簡潔で明瞭な話し方」など教師であり続ける限り、そのわざを磨き続けていくことが必要です。
 日頃から気になっていることは、教師のしゃべりすぎです。
 学級が崩れてくると、教師の注意が増え、教師の話が長くなっていきます。
 言葉によって子どもたちを支配しようとすると、服従させるか、反抗を生み出していき、教師と子どもたちの関係を断ち切っていきます。
 授業でも教師と子どもの話す割合は、理想的には三対七にできるのが望ましい形と思います。
 目につくのは、例えば、
 教師が子どもの発言「2たす3は5」を、教師の発言「あ、2たす3は5」と復唱することです。
 教師が復唱するために、子どもが子どもの話を聞こうとしなくなります。
 私の場合、子どもが発言したら接続詞を入れて、
「なるほど、ほかには」
「他の言い方では」
 と言うと、子どもたちがどんどんつないでいってくれます。
 子どもたちが話をつないでいくため、友だちの話を聞く必要があります。
 子どもが子どもに説明することで、相互関係をつくっていくのです。
 そうすることで教師の言葉は削られていきます。
 また、子どもがおしゃべりしているとき、私は「ストップ」と書いたカードをサッと出す。
 子どもは耳で聞くより、目で見る方がずっと効果があります。
「やかましい」「静かに」
 と、口をすっぱくして言う言葉が削られます。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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教師が子どもたちに、上手に話をするようになるには、どのようにすればよいか

 私が新任の教師だったころ同じ学校に青木という生物の先生がおられた。
 子どもたちに慕われている人気ナンバーワンの教師であった。
 生物室の前を通ると、青木先生の声が聞こえてくる。
 その話し方がすばらしいのである。
 説明するときはゆっくりとわかりやすく、発問もわかりやすく、そして何より子どもに本気で語りかけている。
 子どもの発言にもきちんと対応して、子どものことばを深く受け止めている。
 誠実に子どもと向き合い、子どもをくるみこむような優しい話し方である。
 この話し方に接していたら、子どもたちは聞かざるを得ないし、好きになるのは当然だと思われた。
 むろん、学習の成果も上がるはずである。
 のちに私は、教師の話し方について研究するようになったが、その出発点はここである。
 また、みんなに話しかけているのに、
「子どもは自分一人に話されているように感じる話し方」
 を教師の話し方の究極の姿として、私は思い描いた。
 それはこの青木先生の話のイメージをことばで表したものである。
 そこには、ていねいさ、優しさ、そして何より子どもに対する誠実さがあふれていた。
 学習を進めるのは教師の声である。
 教師の声がきちんと届かないと学習が成立しにくい。
 教師の声は最重要な教具であるといえる。
 子どもは明るく元気な教師が好きである。
 教師の声が明るく弾んだ感じかどうかは、学習に大きな影響を与える。
 野地潤家さんは、教師の話し方のベースは真心のこもった話法であると述べている。
 子どもたちの心が清められ、その苦悩が救われてくものがある。
 野地さんは教師の話し方の本質は「救いの話法」であると示された。
 この本質が根底にあってこそ、教師の話し言葉が子どもの言葉の育ちに機能するのだということが了解される。
 教師の話し方を分析する視点は
(1)態度
 明るい、にこやかである、落ち着いている、誠実である。
(2)発音・発声
 口がきちんと開いている、楽に発声している、声が高すぎない、小さすぎない、大きすぎない。
(3)速さ・間
 速すぎない、遅すぎない。
(4)発問・指示・説明
 明晰さは、学習そのものの成否に影響する。
(5)助言・対応
 助言や子どもへの対応の的確さは、人間関係を形成する。
(三浦和尚:1952年広島市生まれ、広島大学附属中学校・高校教師を経て愛媛大学教授・附属小学校 校長(併任)、愛媛大学教育学部長・大学院教育学研究科長)

 

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怒った顔では人は話を聞いてくれない

 私の知人(宗教家で大学講師)が、ある人から、
 「あんたは、あまりにも話が下手やから、話し方教室へ行ったら」
 と言われて、話し方教室へ勉強しに行かれました。

 大学で講義をしている時に、なかなか学生が聞いてくれなかったことがきっかけです。
 そこで得た結論が「笑顔」だというのです。
 話し方教室で勉強しているとき、自分では素晴らしい話ができたと思ったのに、講師の先生から「0点」と言われたそうです。
 なぜかと聞くと、
 「怒ったような顔で話していましたよ。そんな顔で話して相手は聞いてくれますか。まず顔から変えなさい」
 と言われたのです。
 それで、知人はトイレに行った時に、手洗いの所にある鏡を見ながら、笑顔を作る練習を続けられました。
 それによって、感情のコントロールもうまくできるようになったと言われるのです。
 トイレに行ったときに、怒っていたり、悲しんでいたり、落ち込んでいたりすると、なかなか笑顔がつくれません。笑顔が引きつってしまいます。
 そのとき、その知人は気づかれたそうです。
 笑顔をつくるためには、気持ちを切り替えなければならないんだ、と。
 そこで、今度は気持ちを切り替える練習をするようになったそうです。
 その結果、どんな嫌なことがあっても、誰かが来られたら気分を切り替えて、自然と笑顔をつくることができるようになったというのです。
 これは、子育てにもあてはまる大切な教えだと思います。
 子どもが家に帰ってきた時、お母さんは怒っていたり、落ち込んでいる日もあるかもしれません。
 しかし、ぜひ気持ちを切り替えて、笑顔をつくって接していただきたい。
 子どもにとって、お母さんの笑顔は最高なのではないかと思います。
 話し方教室の講師の方は、人間は話している内容の3割くらいしか聞いていないものだ、と言われました。
 あとの7割は話している人の笑顔や雰囲気で感じたりしているものだというのです。
 説得力も理論も大切ですが、笑顔や人間性、雰囲気が大事ですね。
(門川大作:1950年京都市生まれ、京都市教育委員会に就職し、働きながら大学を卒業し、教育次長、京都市教育長に就任し、中央教育審議会委員、教育再生会議委員を務めた。2007年教育長を辞任し、京都市長に当選した)

 

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教師が身のうえ話や自慢話をするとき、気をつけるべきこととは

 教室で、自分のことや家族のことを、子どもに話す教師がいます。
 年に2,3回ならともかく、連日のように話すとどうでしょう。
 子どものなかには「またか」と思う子もいるし、身のうえ話や自慢話は聞きあきたと言いだす子どももいます。
 こうした話の好きな教師は、こうした話題が教師と子どもの心の距離を縮めるだろうと思い込んでいるのです。
 でも、そうでしょうか。
 毎日のように、個人的な話をすることで、それが縮まるはずもありません。
 それに、子どもの口を通して保護者にも伝わってしまうでしょう。
 自分で語るより、子どもの話の聞き手になったらどうでしょう。
 教師が気をつけなければならないことは、日頃話す相手が子どもであることです。
 子どもは、その種の話は聞きたくないなどと、言い出すことはまずありません。
 だから、ついつい自分のペースで、話を進めてしまうのかとも思います。
 子どもが喜んで聞いてくれるからなどと、一人で思い込んでしまったら、ちょっと困るだろうなと思います。
 職員室で「私は、○○委員会のPさんを知っているから」「僕の叔父はQ校の校長なので」などと話す教師がいます。家族自慢や趣味自慢の教師もいます。
 そうかといえば、他人のことにはあれこれと探りを入れるものの、自分のことは語らない教師がいます。
 こうした教師を見るたびに、言わないで済むことは口にしないことだなと思うし、無邪気で世間知らずの人の集まりかなとも考えます。まずさに気づくことが、必要なのに・・・・・・。
 人の縁は大事にしなければなりませんが、人の縁を自慢する必要などないのです。
 話題が相手の感情に与える影響を、推測、計算できたらとも思うのです。
 率直に申し述べて、自慢ばかりしている人は、いつか敬遠されるでしょう。
 人の心には、反発、不愉快さ、ねたみなどの感情の潜むことに、お互いに気を配る必要があるでしょう。
 それに気づかずにいるから、無邪気だと言いたいのです。
 そして、気づいたら直し改めることです。
 多くの人が周りに集まっている人の話題には、自慢めいたことがありません。なるほどなと思うではありませんか。
(飯田 稔:1933年東京都生まれ、千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県公立小学校校長、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

 

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子どもの心を動かす話しかたをするには、どのようにすればよいのでしょうか

 私は、言葉に障害がありましたから、声が出ない人、うまく話せない人を敏感に気づいて、そのありようを考えてきました。
 ある会合で若い女の教師から質問されました。
「小学校三年の担任ですが、子どもたちの姿勢がひどく悪くて困っています。どうしたらいいのでしょう」と言うのです。
 この教師の声が実にか細く、おまけにカン高い。
 これはもう原因はこの教師本人にあるのは明白です。
 あんなか細い、聞き取りにくい声でしゃべられては、子どもたちはじきにくたびれます。
 もうどうでもいいやという気になって、ぐたっと机につっぷしてしまうのが当たり前です。
 子どもたちの姿勢をよくする方法はただ一つ、まず彼女自身が楽々と子どもに届く、生き生きした声を取りもどすことでしょう。
 これは決して珍しい例ではない。子どもたちにたっぷりした声で話しかけられる教師は数少ないようです。
 強引なばかでかい声や、細いカン高い声、冷たく固いしゃべりっぷりなどがみられます。
 私が行う基本訓練に「話しかけ」があります。
 5、6人椅子に座っている人の後ろ3~4mから話しかけるというレッスンです。
 このレッスンでみんな驚くのは、話しかけられた声があらかた相手に届かない、ふれないことです。
 話しかけた声が座っている人のはるか手前だったり、もっと先のほうに話しているとしか聞こえなかったりします。
「話しかけ、声で相手にふれる」という、この基本的な能力が、今私たちから奪われつつあるのではと私は恐れているのです。
 学ぼうとする子どもたちに向かって語りかけ、相手とふれ、対話し、相手のこころの内になにごとかを起こすこと、これが本来教えるということだろうと思うのです。
 言葉が相手の体にふれ、相手のからだと心を動かす、変える、これが話すということでしょう。
 体の内側の感じを探ることに集中すれば、自然と呼吸が深くなり、胸をつり上げて固めてはいられなくなる。
 声は深い、腹に響く声になる。こうなると自分の体の感覚にも気がつく。不思議なことにこうなると、言葉が相手にふれ、染みこむ。腑に落ちる。
 からだ全体に響く自分の声を持たねばなりません。
 話している人のことばが、声としてちゃんと相手に届いていないのに、全く気づかずに過ごしている人がいる。
 たとえば、ガンガンと怒鳴りまくって、壁に声がはね返っている。
 声がほんとうに相手のからだにふれているかどうかは、だれでも感じることができます。
 声というものは、ほんとに、一つの「もの」のように、相手のからだにぶつかったり、はずれたり、散らばったり、落っこちたりするもので、目にみえるのです。
 私が有名な実践家の斎藤喜博先生の合唱指導をビデオで見たとき、声を「もの」としてつかまえ、それをふくらませたり、引き寄せたり、汗みどろになっている姿でした。
 声が「もの」として、相手のからだにふれ、相手を打つようになるためには、
 第一に、発することばが、相手に対する働きかけ、行動でなくてはならない。
 第二の条件は、自分の声をとりもどすことだといえるでしょう。
 自分の声という言い方は漠然としていますが、多くの人はいわゆる「口先だけの声でしか語っていない」ということを言いたいのです。
 話そうとすると、とたんに胸を吊り上げのどを締めつけようとする。
 胸をつりあげて、胸と頭だけに声を響かせている。
 声の幅がきわめて狭く、息が浅く、ハイスピードで一気にしゃべる。
 聞いていて安心できないし、じきに疲れてきます。
 やわらかく、こちらのからだに沁みてくるとか腹に響くということがない。
 それをなくすために、力をぬき、息を深くすることから始めて「からだがゆるんで来たな」と思えたころ、やや遠くにいる相手に、たとえば「バカ!」と怒鳴りつける訓練をやった。
 ある女性の場合、からだがおどり上がるように動いて、みごとに腹からの豊かな声がでました。
 ズシンと相手のからだを打ち、相手がふっとびそうな力強さだった。
 息が深々と彼女のからだから流れ出て相手へ向かっていく。
 自分の声に出合ったと言いましょうか。そのとき彼女は、相手が見えた、と言いました。
 胸の力を抜く訓練をして「とても楽ですという声」を見つけ、出してみると、深い豊かな声になり、話すことばが、からだ全体に響いてきます。
 驚くことには、相手にまともに向かえる感じになることです。
 自分と相手との間に、たしかな、ある関係が成り立ったという、新しい感覚がうまれます。
 自分でも気づかなかった自分があらわれます。
 人が「変わる」というのは、こういうことだと私は思うのです。
 あらわれてから後で「ああこれが私なんだ」とわかる。
 自分に出合うということは、自分を捨てることでもあるわけです。
 その人の感覚なり、行動のパターンが変わるというときには、顔つきも変わるし、声も変わる。
 つまりその人の存在の仕方全体が変わってしまう。何かどっかだけが変わるということはない。
 教師が「子どもがわかる」とは、どうゆうことなのでしょうか。
「みえる」とか「わかる」というのは、子どもたちのからだが語っていることを、教師は自分の目で見て、自分のからだに共振して感じる体験なのです。
 教師は、子どもが「みえる」とか「わかる」ようになるには、教師はからだの力を抜き、ときほぐすことが出発点になります。
 からだをときほぐすとは、肉体の緊張だけでなく、内なる身がまえをとき、からだの深いレベルまで入っていくことです。
 この中で「感じるままに動く」という訓練はとくに教師たちには全く経験がないことに驚かされます。
 もし教師が「からだをときほぐし、感じるままに動く」ことを試みれば、内的な調和を得ることができます。
 この試みは、自分を否定し、こわし、おちこぼれることを覚悟してください。
私の行っているレッスンの内容は次のとおりです。
・人に触れられないからだに気づく
・自分のからだのこわばりに気づく
・からだをときほぐす
・からだの内に動くものを感じる
・感じるままに動く
・ものにふれる
・他者に向かって働きかける
・声で働きかける
・ことばで働きかける
・からだ全体が深くいきいきと動く
 レッスンで、からだがほどけて来て、ホッとして体調もよくなり、仲よくやっていけます。
 だが、その先、日常生活によって枠づけられた範囲をからだが越えはじめ、抑圧されていた見知らぬ自分が顔を出し始めると、人は怖くなる。
 教養として、健康法としてレッスンを受けているときは、まだからだがおびやかされない。
 それが根底から変わらなければならぬと感じ始めたとき、教師の多くが逃げ出すのです。
 自分を追いつめることがなく、深い集中に身を投げる勇気が教師にはない。
「深く集中した状態でからだが動き、思いがけずに自分がいきいきと動き、それを仲間と共有しあう」という怖れと、喜びに満ちた自由な状態を教師は味わったことがない。
 しかし、生徒たちはその状態を求め無意識に体験している。
 子どもたちのからだと魂に教師が自らをなげ入れる。
 その激しいエネルギーの消耗から教師のいのちが蘇ってくるものは、子どもたちのひたむきな眼であり、湧き上がるような笑顔であり、魂をのぞかせることばである。
(竹内俊晴:1925-2009年、演出家(竹内演劇研究所主宰)・宮城教育大学教授。独自のからだとことばのレッスンを行った)
(「からだが語ることば」竹内敏晴著 評論社 1982年)

 

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魅力的な話し方をするにはどうすればよいのでしょうか

 その人の生きざますべてが話の中に滲みでます。
 昔から「芸は人なり」なんてことをよく申します。芸には、その人が今、生きているすべてがでます。
 話というのもまたそうでしょうね。
 話しには、その人の人生経験、年齢なりの声や風貌、やしなってきた知識、仕事に向かう情熱、そのときの熱意、人に対する思いやりといったことすべてが滲みでてきます。
 ようするに、その人の生きざま、すべてが話の中に出ます。
 これはなかなか大変なものです。だから、時間をかけて、人間の修業からしていきます。
 話す人間に魅力があるか、ということが結果に出ます。
 講談師は高座でしゃべって、お客さまに来ていただいて、お金をいただく商売ですから、厳しいところがあります。
 話す人間に魅力があるか、ということがそのまんま結果に出てしまう。
 言ってみれば、講談師は人間そのものが商品なんです。
 あなたは、その場の「空気」が読めますか。
 その場の「空気」が読めるか読めないかは、一つには思いやりの差です。
 ふだんから、相手の身になって物事を考えているかどうか。
 思いやりのたりない人が人前で話をすると、自分勝手な話し方をするものです。
 話というのは、自分が何を言ったかではなく、相手にどう伝わったかが大事です。
 ところが、それが分かっていない人は、自分の言いたいことを言いたいようにしゃべって満足する。
 そういう人がいくら場数を踏んでも、場の「空気」がよめるようにはなりません。
 ふだんから相手の身になって考えられるかということが、人前で話すときの、場の「空気」を読めるかということに関わってくるんです。
 もっとも、どんなに思いやりがあって、ふだんから相手の身になって考えている人でも、経験が少なければ、場の「空気」を読みながら話すことは、できるようになりません。
 話は聞いている人と一緒につくっていくものです。
 それが一方通行になってはいけません。
 どちらかがしゃべり続けて、一方がずっと聞いている。これは聞いている方にとっては辛いものです。
 15分でも退屈でしょう。聞いている方は疲れますし、心を閉ざしていきます。
「話し上手は、聞き上手」という言葉があるくらいですから、まずは人の話をよく聞かなきゃいけません。
 よく聞いていれば、次の言葉が自ずから出てくるものです。
 講談でもそうなんです。一方的しゃべっているように思われるかもしれませんが、決してそうじゃありません。
 コミュニケーションというものが基本にあります。
 口からの声としては出ていなくても、お客さまは心の中でいろいろなことを思っています。
「今のところ面白かったな」「ちょっと疲れてきたな」・・・・。
 心の中で思っていることは、表情や態度にでます。
 目つきがかわったり、口元がゆるんだり、体を動かしたりする。
 そういう変化を、見るというより、肌で感じ取って、話し方や話しの内容を変えていく。
 そういう要素が、我々の話芸にはあるんです。
 ある特定の話が面白いというお客さまが多ければ、それを多めにいれます。
 話の中身はお客さまにつくっていただいている部分が相当あるんです。
 お客さまは一人ひとり違いますし、その日その時によっても違いますから、心の中で思ってらっしゃることもさまざまです。
 そのすべてに対応することはできないかも知れません。
 ですが、そこにはだいたいの最大公約数のようなものが表れてきます。
 それが、場の「空気」と呼ばれるものです。
 その場の「空気」を感じ取って対応していくようなところがあるんです。
 いちばん魅力的な話し方とは、なんでしょうか。
 人間、誰でも自分にしかないものを持っています。
 自分にしかない顔、自分にしかない声、自分にしかない人柄、自分にしかない興味、体験から得た知識・・・・・。
 そんなものが素直に発揮されているのが、いちばん魅力的な話し方です。
 そういう自分の武器となるものに気づけるかでしょう。
 気づくには、やっぱり場数が必要です。
 人とたくさん話をしているうちに、自分のこういう話は受けるんだというのが分かると思います。
 それを意識して利用しようとすると、鼻持ちならなくなることがありますが、それは一時的なこと。
 さらに場数を踏んでいくと、また自然になっていくものです。
 もっとも大事なのは、話した後、毎回、必ず反省することだと思います。たとえば、
「上手くいかなかったときは、なぜ上手くいかなかったのか」
「上手くいったときには、どこが良かったのか」
「どうすればもっと上手くできたのか」
 ということを必ず反省します。
 失敗してもいいんです。その失敗をどう活かすかということが本当に大事です。
 これもふだんからの心がけで「失敗はかならずするもの。その経験を活かそう」とする姿勢が大事です。
(一龍斎貞水:1939年東京都生まれ、講談師初の人間国宝。小さい頃からラジオで演芸に親しんでいた。5代目一龍斎貞丈から「ちょっと噺出来るか」と言われ、学生服姿で初舞台を踏んだところ喝采を浴び、講談の道に入ったという。2002年~2006年講談協会会長)

 

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