カテゴリー「子どもの失敗」の記事

授業を楽しく安心できる場にするには、どうすればよいでしょうか

 推測し想像しながら、みんなで発見していくような授業は、子どもたちも大好きです。いっけん、学習意欲に欠けているかのように感じられる子どもたちが、目を輝かせて学習する事実に、私たちは着目していかねばなりません。人間はそもそも深く考えることを好む動物なんだ、とあらためて思います。
 子どもたちは、学習を拒否しているのではないのです。知的好奇心が高まり、未知の世界との出会いがあるような学習には、むしろ飢えているのです。
 学ぶ意味や価値がわからないような、機械的な練習や、苦役だけが要求されるような学習を拒否しているのにすぎません。
 学級の友だちと対話・討論し共同で学ぶことで、一時間前には想像もできなかった世界と出会うことができる。自分も賢く人間として豊かになってきている。この実感の積み重ねこそが「何のために学校に通って学ぶのか」という問いにこたえる、道ではないかと思っています。
 共同の学びを豊かにしていくには、教室になんでも言える自由な雰囲気が不可欠です。そのためには「失敗」や「間違い」に対する教師や子どもたちの態度が問われることになります。教師だけでなく、子どもたちが豊かな「間違い観」を育てていくことは、学習にとって不可欠です。
 
「間違い」が、物事の本質をとらえていく上で、どんなに重要かを体験する必要があります。なぜなら、多くの子どもたちは「間違い」は恥ずかしいことであり、無意味なものだと考えているからです。
 
「間違い」が事実の断片であるならば、それをつなぎ合わせ関連づけていけば、物事の全体像が浮かび上がってくる。例えば、縄文土器のかけらをつなぎ合わせていくと、ほぼどんな土器だったかは推定できるようになるのと似ています。
 そういう意味では「間違い」は、物事の本質にたどりつくための「入口」であり、認識を深めていくうえでなくてはならないものです。共同の学習の中での「間違い」は、物事の本質をとらえていくうえで重要な役割を担うものです。こう考えてくると、子どものどんな発言も貴重なものになります。無駄なものはひとつもないのです。
 教師が一人ひとりの子どもの発言に心底耳を傾け「間違い」を大事にすることで、学習はプロセスのあるものに転換していきます。
 何でも自由に発言できるようになれば、自分の思いや考えを率直に語ることができるようになります。すると、当然のことながら、対立・討論も起こります。学習はいっそう深まっていきます。
 
「正答主義」の学習では、正しいかどうかを判断するのは教師です。共同の学びでは、そうはいきません。子どもたちが集団で思考し、共感や批判、納得を通して本質や真実に迫っていきます。
 教室に自由な雰囲気をつくるためには「間違い観」とともに、子どもたちがリラックスすることが重要です。過度の緊張を強いることなく、子どもたちが安心して学習できるようにするということです。授業中、教師が思っている以上に、子どもたちは不安をもって学習しているのです。
 
「急に当てられたらどうしよう」ということも授業中の心配の一つです。私自身も高校の頃、化学や数学の教師がよく急に当てるので嫌でした。当てられそうなときは、当てられないように、先生と目をあわせないようにしていたものでした。
 そんな体験もあり、私は子どもが自分で手をあげない限り、当てないようにしています。子どもたちは、突如当てられるというような不安もなくなり、安心して学習に励むことができます。
 教師が子どもの思いを無視してどんどん当てていた場合と比べて、個性的な発言が確実に増えてきます。子どもたちはじっくり考え、自分が発言したくなったときに発言できるからです。
 発言を強要しない、発言するかしないかは本人が決めることにしただけでも、学習における子どもたちの安心は広がっていきます。
 そういう自由が保障されたときに、子どもたちは自分の力を発揮して学習するようになるものです。「待つ」ということが、子どもたちに真の自由を保障することになるのだと思います。
 授業において「安心」と「人間的な自由」をどう拡大していくかが、重要な課題だと思っています。
(
今泉 博:1949年生まれ、元東京都公立小学校教師、前北海道教育大学副学長、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行った)

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教室に「お笑い」を持ち込むと子どもは失敗を恐れなくなります、「なんか楽しい」という感覚が学びのベースになる

 「教室は間違うところだ」と教室に掲示しても、なかなか子どもたちには届きません。しかし、私が得意とする「お笑い」を教室に持ち込めば、子どもたちは失敗を恐れなくなります。
 たとえば「お笑い、お絵かきバトル」というゲームです。教師が「ミッキーマウス」「サザエさん」などのお題を一つ出します。子どもたちは、その絵を一分間で描くだけ。ウケを狙わないのがポイントです。その方が結果として面白い作品ができあがります。
 これだけのネタですが、大爆笑の作品が次々と完成します。そして、その大爆笑の作品を子どもたち同士で見せ合って、ツッコみ合います。
 これは、いわば失敗を楽しむ遊びです。サザエさんが上手に描けないからって、傷つく子はいませんからね。
 こういう失敗をくり返すことで、失敗が怖くなくなります。失敗を笑い飛ばせるようになるのです。こういう失敗を楽しむ遊びを教室で試してください。
 教師に向いているのは、サービス精神が旺盛な人です。子どもを喜ばせるのが好きな人は、間違いなく教師向きの性格です。子どもが成長したり喜んだりすることに充実を感じるのが教師という人種だと思います。
 だから、私は最近「私が楽しいのが一番だ」と強く思っています。教師が楽しいと感じているときは、子どもたちも楽しいに決まっています。だって、私が楽しいのは、子どもたちが楽しいから。そして、教師が楽しそうだから、子どもたちも楽しいのだと思います。ものすごくいいサイクルになっていますね。
 授業でも、「なんか楽しい」という感覚が大切だと思っています。「なんか楽しい」という感覚が学びのベースだと思います。
 学力テスト対策で、多くのプリントばかりをこなす授業。そんな授業に楽しさはないですよね。「なんか楽しい」という感覚のない子どもたちは、いつか学ぶを止めてしまうのではないかと心配しています。
 学びのベースである「なんか楽しい」という感覚を大切にして欲しいと思います。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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授業の本質は「まちがえかたを教える」こと

 授業の本質は「子どもたちを新しいことにチャレンジさせて、まちがえかたを教える」ことだと思っています。
 新しいことをやれば必ずまちがうんです。まちがえず全部あたるというのは、はじめから知っていたという証拠ですよね。
 まちがえるということは、いつかは「あたる」ということなんです。新しいことを見つけることができるようにするためなんです。だから、まちがえかたを教えるということは、どのようにすればいつかは新しいことを見つけられるか、ということを教えることです。
 クラスで討議すると、みんなが、いろんなところでまちがえますね。仮説実験授業ならみんなまちがえますよ。まちがえても、「まちがえた」ということは、あとでわかるんですから。
 「ああいうふうに、いろいろな考え方をしていくと、正しいことがわかってくるんだな」「ああいうまちがいをしてもいいんだな」という進み方がわかるようになるんですね。
 それと、いろいろな考え方をだしてくれる「他人を大事にする」ということの大切なことがわかる。
 「まちがってもかまわんのだ。まちがえることの中で正しいことが見つかるんだ」そういうこと、これがわかってきます。
(
板倉聖宣:1930年生まれ、国立教育研究所物理教育研究室長を経て「仮説実験授業」を提唱。仮説実験授業研究会で教師の協力を得て「授業書」(テキスト)を多数執筆、私立板倉研究室室長)

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本質に到達するうえで、いかに間違いが重要かを知った教師と、そうでない教師とでは実践に雲泥の差が生ずる

 私は、子どもたちの沈黙は間違いや失敗を恐れているからだという認識で、間違い観を重視しています。
 まずなんと言っても、教師の間違いにたいする考え方が問われると思っています。本質や真理に到達するうえで、どんなに間違いが重要かを知った教師と、「間違いはだれにでもある、バカにしてはいけない」という程度のとらえ方の教師とでは、実践においては雲泥の差が生ずるものです。
 私は、ひとつ間違うことで本質にグンと近づく、もう一つ間違うことで、さらに本質にグーンと近づくという考え方に立っています。
 正解主義の立場に立つ教育実践では「できない」と思っている子どもたちは、なかなか授業に参加していけません。
 ところが、間違いにたいする深い見方が形成されていくと、いままで「できない」と思われていた子どもが本質をつくような発言をすることがおこります。どんな子どもの発言も無意味なものはなくなり、子ども自身も学習に参加しているという実感をもてるようになります。
 子ども同士の人間観も固定されず、ゆたかなものになっていきます。友だちの意見に耳を傾けるようになるのです。対立・論争が起こると、どうしても発言したくなる子どもたちが出てきます。授業はにわかに活気づくのです。いい意味での緊張感が生まれてきます。
 今日の子どもたちの状況では、なんでも言える自由をいかに生みだすかが問われています。子どもたちの”荒れ”は管理主義的な対応では、ますますその解決を困難にしていきます。人間的な自由を拡大する方向こそが、”新しい荒れ”を克服していくことにつながるのだと思います。 
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)

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子どもの誤答が示されてこそ100点満点に向かう学習がはじまる

 授業で、わかる子どもと正答を言った子どもだけが胸が張れる教室は病んでいる、と言っても過言ではない。
 授業で子どもの誤答がしめされてこそ、100点満点に向かう学習がはじまるのである。
 ひとつの正答が得られたとき、あえて教師が誤答を示して、子どもの吟味にゆだねるというプロセスを経ることが学習をより太いものにする。
 誤答は貴重な教材である。子どもが誤答を言ったとき、奇声や罵倒によってかき消されてはならないのである。
 むしろ、誤答であっても、自分がひねり出した考えである限りは胸を張って発言する子どもを熱く見守る、そんな教室風景を大切にしたいものだ。
 わからないときには「わからん」と言える、「何でも言える」学級風土が、教室に形成されていなければならない。
(
園田雅春:1948年京都市生まれ、大阪教育大学特任教授。31年間大阪府高槻市立小学校に勤め大阪教育大学教授。専門は教育方法学で子どもの自尊感情の集団的形成)

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間違えてしまった子どもの気持ちを考える

 大人も子どもも間違えることはたくさんある。
 間違えるから次に成長することができる。
 間違えた子どもががっかりしないように、特に配慮をして「○○ちゃんのおかげて、また一つみんなもかしこくなったね」と言葉をかける。
 そして、間違いでおわらせるのではなく、どのように修正したらいいかみんなで考えさせるようにしている。
(永田美奈子:青森県公立小学校教師を経て、平成19年度より雙葉学園雙葉小学校勤務。NHK教育番組「わかる算数」出演。全国算数授業研究会幹事、基幹学力研究会幹事等)

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生徒が間違えたあと、どのようにフォローすればよいか

 生徒が間違えたあとのフォローは大切です。
 当たり前と思う方もいるかもしれませんが、意識をしていないと意外にできないものです。
 たとえばよくあるのは教師が質問して、Aさんに聞くと「わかりません」と返ってきました。
 そこでBさんに聞くと「○○○」と正解でした。
「Bさん、よくできたね」とほめて、そこで「はい、じゃあ、次の問題」となってしまうのです。これだとAさんは放っておかれたままです。少なからず、Aさんは「自分はどうでもいいんだ」と感じてしまいます。
 そうではなく、
「Aさん、この問題はどうですか?」
「わかりません」
「Bさん、この問題はどうですか?」
「○○○」とBさんが正解を言いました。
「ああ、Bさんよくやりましたねたぇ!」
「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってあげなければいけません。
 生徒が間違えたら必ずフォローが必要です。「Aさん、わかった?」のフォローをしてあげるひと言でいいのです。それがあるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
 何歳になっても自分の存在が認めてもらえるということはうれしいことですが、特に中学生、高校生というのは本当に敏感な年代です。生徒とちゃんと向き合うからこそ、フォローもしていく必要があるのです。
(
長野雅弘:1956年生まれ、入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を校長として授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた)

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相手のあやまちを非難しても、お互いにいがみあうことにもなって、このましくない姿にも陥りかねない

 お互い人間というものは、人の罪は許すことができにくい、というような傾向があるようです。だから人がわるいことをすれば、すぐ非難したり責めたりする。なかなか寛容な態度をとることができないというわけです。
 しかし、だからといって、お互いに相手の非を数えたてて非難しあっても、それによってよりよい姿が生まれてくるとはかぎりません。むしろお互いにいがみあい、争いあうというようなことにもなって、かえってこのましくない姿にも陥りかねないのではないでしょうか。
 そういうことを考えますと、やはりお互いに相手をゆるしいれるという寛容の心を養っていくことが大切ではないかと思います。
 お互いが広い寛容の心をもちあうならば、たとえ相手に少しくらいの非があっても、それをあたたかくゆるし、また自分の非もゆるされるということにもなって、ともども安らかに暮らしていくこともできやすくなるでしょう。
 そしてそういう姿からは、お互いが安心して伸び伸びと交わり、それぞれの持ち味を十二分に発揮して活動し、生活を営んでいくこともスムーズにできるようになるのではないかと思われます。
 そういった好ましい寛容の心はやはり素直な心から生まれてくるものだと思います。
(松下幸之助:18941989年、パナソニック創業者、経営の神様と呼ばれ、日本を代表する経営者)

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子どもたちが「わからない」と言えるクラスにするには?

 子どもたちにとって「わからない」と口に出すのは勇気がいるし、どう思われるだろうという不安でいっぱいです。
 だから「もしも、勉強中に『困った』『わからない』ことがあったらどうする?」と本音の話し合いをクラスで行ってみる。
 すると「わからないと言うのははずかしい」「大丈夫。もし、誰かがわからなくなったら、みんなで助けてあげればいいよ」といった温かい発言があると、安心して話せる土台ができる。
 そういった話し合いの後で、いざ実践をする。しかし話すことはハードルが高い。
 そこで、子どもたちの出す「お悩みサイン」を見つけたい。「下を向いている子」「首を横にした子」「鉛筆の動きが止まっている子」・・・・・。
 そういったときに、「今、A君が悩んでいるようなんだけど、何に悩んでいるのだろうね」と、教師が投げかける。すると「きっと○○だからと思うよ」と、子どもたちが話し始める。
 その後、悩んでいた子に「そう言っているけど、どう?」と聞くと「みんなの言う通り・・・・・・」といったことを話し始める。
 このように自分ではない誰かに話してもらうことで、心のつながりができて、安心して話せるようになる。
 また、「Bさんの言っていることがわからないから教えてくださいって聞いてみるとよいよ」と質問の仕方を教えてあげることでコミュニケーションがとれるようになる。
 悩みを言うことができた子をそのままにしてはいけない。その子の心をしっかりと支え、温かい言葉をかけてあげたいものだ。「Cちゃんが言ってくれたおかげで、みんなはたくさん考えることができたよ。ありがとうね」
 悩みをなかなか話せない子に対しては「大丈夫だよ。先生も、みんなも助けてあげるよ」と心をぐっと温めてあげて、安心の場をつくっていくのだ。
 例えば、算数の割り算の授業で問題を見たとき、Dくんが「えー、それ、できないよ」とつぶやいた。続いて、Eくん「百の位の数字では分けられないよ」
 私は「よし! じゃあ、それを今日の課題にしよう」
「困った」「わからない」発言が授業の主役になる。そのことで深まる学習。このような授業の場面の積み重ねで、みんなで学習することのよさを実感していきたいものである。
(前田華奈子:岩手県公立小学校教師)

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子どもたちが失敗しても傷つくことを恐れないようにするにはどのようにすればよいか

 失敗して、馬鹿にされるのが怖いから取り組もうとしない子どもたちがいます。工夫をしないと、授業や活動がしらけた雰囲気や、盛り上がり、深まりに欠けたものになってしまいます。
したがって、つぎのような対策を事前に計画してから対応します。
1 新しい課題に取り組ませるときには
(1)
やり方をくわしく・具体的に説明する
(2)
これならできそうだなと思えるレベルから取り組ませる
2 みんなで取り組むときに、人を傷つけるような言い方をしないように、事前にしっかり確認する
3 取り組みのなかに、取り組んだ過程を評価しあう場面を設定する
 結果だけでなく、取り組んだ過程も大事なことを理解させる。
4 うまくできなかったときに、どうするかという対処策、または逃げ場を用意しておく
5 教師が失敗談をときどき話してあげる
 小さなことで失敗しても、すぐには最悪の結果にはならないことを教える。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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