カテゴリー「教師との関係」の記事

教師が新たな自分に出会う喜びを得るには、どのようにすればよいか

 教育がむずかしくなったと言われます。「子どもが変わった」「親が変わった」「学級崩壊」と思い当たることは、いくつもあります。
 確かに状況の深刻さは予想以上であると、私も危機感を強めています。しかし、私はこんなときだからこそ教育はやりがいのある仕事だと思いたいのです。
 私は悪戦苦闘という言葉が好きです。子どもは教師にとって、思うようにならない存在です。生きて動いています。泣いたり笑ったり、喜んだり悩んだりしています。日々その連続です。
 そんな中で子どもを人間として自立させていく営みは、まさに悪戦苦闘の日々です。「どんなことが子どもにとってよいのか」と問い続ける教師の姿です。
 それは教師自身が自らの在り方を問い直し「自分を変えようとする営み」を抜きにして語れません。
 そうした実践の中で私たちは、あるときフッと、またあるときは徐々に「教師としての新たな自分にめざめていく」のではないでしょうか。
 それが「教師としてのやりがい」につながっていったときは、教師冥利に尽きます。
 私も校長として三校の小学校に勤務してきました。まさに悪戦苦闘であり、試行錯誤の連続でありました。具体的に取り組んできたことは
(1)
教職員と、学校経営や授業実践、学級経営などを雑談的に語り合っている。
(2)
教室訪問を気軽に行き合ったりして、教師同士が互いにひらかれた実践活動を心がけることのできる職場づくりをする。
(3)
職員室だより「あじさい」を発行し、職員の真摯な実践活動に私自身が学んだことを掲載し、互いに「学び合う教師」として精進する。 
ということです。
 
「明るく元気に実践し、学び合う教師」は、私の憧れです。私はこれまで、そんな教師たちとたくさん出会ってきました。
 厳しさの中で挑戦し、困難から逃げることなく、楽しむかのごとく実践する多くの教師との出会いでした。
 子どもを主人公にした学校づくりに汗を流し、実践してきた何人もの教師の姿を思い浮かべることができます。
 また、自らを変えようと、ひたむきに実践して、教師としての新たな自分に出会い、めざめていった教師もいます。
 学校は零細企業だと私は思います。事務職員を含めた教師一人ひとりが、その学校の子どもたちを育てる当事者なのだという意識こそ大切です。いまこそ、学び合う教師たちでなくてはならいと私は思います。
 教師は、まず同じ学校現場にいる仲間の教師に学びたいものです。仲間と学び合ってこそ、その学校を活性化させ、教師の資質を磨き、めざめさせていくのだと確信するからです。
 しかし、それはキリキリと胃が痛む思いで、実践することではありません。むしろ、明るく元気に「まっ、いいか」と肩の力を抜き、取り組む中で「新たな自分に出会った喜び」「熱中して燃える、やりがい」を得ることができるのだと思うのです。
 私が校長として教師を見ていると苦しく、つらい思いを持った教師が多かった。そんな中で「学び合う教師集団」としての本領が発揮されていたと思う。
 
「信頼される教師になるために」「教師として情熱を燃やすことのできる自分になるために」と、先生方の努力はひたむきであったなと思います。
 そして、徐々に、またはある日突然「新たな自分」に出会い、みずみずしい感性、しなやかな姿勢、ひらかれた大きな度量を感じ取っていく教師たちであったな、と思うのです。
 学校は一枚岩の実践を大切にします。しかし、それ以上に大切なことは、一人ひとりの教師の願い、持ち味が、学校の連帯の中で生かされているかどうかだと、私は思います。 
 学校は校長のリーダーシップによって変わると言われます。
 そのリーダーシップも校長がぐいぐい引っ張っていくような経営ではなく、教職員の知恵や願い、夢やロマンを引き出し、それを学校づくり(子どもを育てる営み)に生かし実現していくものでありたいと私は念じています。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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周囲の教師から「なんとかしてあげたい」と愛される教師になるにはどうすればよいか

 職員室はみんなでチームとなって仕事をする場です。ちょっとした気遣いを同僚教師のためにふだんから、さりげなくすることがとても大事なのです。
 悩んでいても、実際に助けてもらえる教師とそうでない教師がいます。周囲の教師から助けられて本来の力を出しきれる人もいれば、本当は力があるのに人間関係につまずいて、力を出し切れない人もいます。周囲の教師から見て「なんとかしてあげたい」と感じさせる、愛される教師になりたいものです。
 そのためには、愛されることを望む前に、まずは自分が誠実に努力して相手を大切にすることによって愛される資格のある自分になるというのが最も重要な職員室のルールです。どうすればよいのでしょうか。
 同僚から自分がどのように見えるのかを意識することが大切です。あなたの机回りにあるゴミ箱があふれていることから、あなたのイメージがつくられるのは残念です。退勤前には必ずゴミを処理してから帰るというようにルール化しておくと良いでしょう。その際に隣の教師のゴミもついでに処理してあげるようにしましょう。
 挨拶は相手に心を開き、人間関係を円滑にしようとする行為が挨拶です。まず自分から明るく笑顔で挨拶しましょう。子どもから明るく、笑顔で挨拶されると、気持ちがいいものです。自分からみんなに元気を送る、そんな気持ちで挨拶します。挨拶が返ってきたら、笑顔で「今日も一日よろしくお願いします」など、ひと言をつけ加えてみましょう。
 電話は相手を待たせないよう「3コール以内」に電話に出ましょう。進んで電話を取る人は積極性があると評価され信頼が集まります。電話対応の最低限のポイントは「名乗る、先方の名前を確認する、用件を確実に聞く」の3つです。
 相手にものを渡すときには、目を合わして微笑み、ひと言「よろしくお願いします」と両手で渡すようにしましょう。これで相手への敬意が伝えられます。人から愛されるには、こちらから相手を愛して、大切にすることが大事です。習慣になると教室の子どもたちも変わります。数名の子どもたちが真似をして両手で教師にものを渡すようになります。
 話し手を見て話を聞くことは、意識しなければ案外できないことです。誰かが話し始めたら、そちらに注意を向けるようにふだんから気を配りましょう。話に合わせてうなずいたり、軽くほほ笑んだりすると、話し手はグッと話しやすくなります。笑顔を忘れず、よい聴き手になることを心がけましょう。
 問題が起きたら、まずは学年団の教師に相談します。自分が知らない情報や今後起きそうな事態や対処法まで教えてもらうことができます。このときに気をつけたいのが、アドバイスを「それは考えました」「これまでにもやっています」と、すぐに否定しないということです。話し合いをストップさせてしまうことになりかねません。いざというときに相談しやすいように、日ごろから些細なことでも聞いてもらうことも、お互いの心の距離を縮めます。悩みをオープンにすることで、アドバイスをもらいやすい関係を築くことができます。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。「北の教育文化フェスティバル」代表、「お笑い教師同盟」副代表、「実感道徳研究会」副代表)

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人間関係がうまくいく気遣いとは何か

 気遣いは誰にでも簡単に身につけられます。相手にとってうれしい気遣いというのは、案外「ちょっとしたさりげないこと」なのです。
 大切なのは、相手の気持ちを想像し、相手の心情に寄り添うことです。相手をよく観察し、何を求めているのかを考えることです。
 私は、セミナーなどで多くの人とお会いします。「またお話がしたいな」と思う人に共通するのは「私に興味を持ってくれる」ということです。人間というのは、自分を特別扱いしてくれる人、自分を大切に思ってくれる人のことを自然と求めるものなのです。
 「あなたに興味を持っています」と、相手に伝えるには質問することがとても重要です。相手との会話の中で、相手が聞いてほしそうな内容、話をしたそうなことを見つけて、質問することがポイントです。イエスかノー、もしくはひと言で答えられるような質問ではなく、相手が、感情や経過などを自由に話せるような質問のほうがよいでしょう。「私のことを知ろうとしてくれている」と相手は受け取ってくれます。もちろん、相手の反応があまりよくない場合には、深追いしないことが大切です。
 気をつけたいのが「相手の話は最後まで聞く」ということです。つい話を横取りして、いつの間にか自分の話ばかりしているということがあります。
 話を聞くときは、相手の気持ちを受け止めること。つまり「共感」です。そのまま言葉で返してあげる。相手は自分の気持ちを受け止めてもらえたと感じ、信頼して何でも話をしてくれるようになるでしょう。
 最後に気をつけたいのが「別れぎわ」です。第一印象が大切だとよく言われますが、同じくらい、別れぎわの印象も重要です。つまらなさそうな顔や、そそくさと次の動作に移る人を見かけます。「話を早く切り上げたかったのかな」と、思われても仕方ありません。別れぎわこそ笑顔が大切です。忙しくて時間に追われていても、大切にしたい気遣いです。
 最初はうまくいかなくても、そのうち自然と気遣いができるようになり、気がつくと、より人間関係が豊かになっているはずです。
(
三上ナナエ:旅客機の客室乗務員チーフパーサーを経て、セミナープロマナー講師として独立。年間80社以上の企業研修を行う)

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同僚や子どもたちとの関わり方に悩む教師はどうすればよいか

 同僚や子どもたちとの関係づくりがじょうずな教師を観察すると、授業中や休み時間に、意識して自分からアクションを起こし、周囲の人間と積極的に関わろうとしています。
その関わり方は、
(1)
印象(例:顔色が悪いけど、具合がよくないのか)
(2)
伝聞(先生の授業のことを誉めてたよ)
(3)
依頼(悪いけど私の手伝いをしてくれないか)
(4)
賞賛(最近、漢字学習、頑張っているなぁ)
などです。このように日頃から話しかけていると、いざというときに、自分の思いが伝わるようになるからです。
 実は人とかかわる力というのは、相手のことを思いやる、共感する力のことです。自分に共感してもらうところから始まるのです。
 相手にものごとを依頼するとき、留意することがあります。
(1)
思い込みと願望を混同しない
 相手に対して「やるのが当然だ」ではなく「やってくれればいいなあ」というレベルで接触するようにします。もし、相手とうまく関われなかった場合でも「しょうがない」と思うことができ、病的なレベルまで落ち込むことはありません。
(2)
お互いに利益を受け取れる関係(ウインウインの関係)をつくっておく
 ふだんから同僚や職場に貢献するようにして「自分も誰かの役に立っている」、「職場に貢献している」という実感があると、気がねなく周りの同僚にも依頼することができます。
 その実感がないと、相手に負担をかけたくないと気にしすぎて、自分が困ったときに助けてほしいと言いだせないのです。
(
土井一博:1959年生まれ、10年間公立中学校教師を退職後、筑波大学大学院で健康教育学を学び、茨城県等でスクールカウンセラー歴任し、埼玉県川口市学校教職員メンタルヘルスチーフカウンセラーを経て日本教職員メンタルヘルスカウンセラー協会理事長。専門は教職員のメンタルヘルス、学校健康心理学、教師教育)

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教師がお互いに支え合うチームワークが崩れてきている

 学級が荒れてきたり、保護者対応に困っていても、職員室は殺伐とした雰囲気で、相談したり、弱音を吐ける相手がいません。頼みの綱であるはずの職員室の雰囲気は、冷えきってしまっています。
 こうして孤軍奮闘した教師が、うつになって休職したり、敗北感を抱かえながら教職をあとにする。そんな教師がたくさんいます。
 いっぽうで、「うつの先生が大変なのもわかりますが、残された私たちも仕事が増えて大変なのです」とおっしゃる教師がいます。
 うつになった教師も、残された教師も大変なのです。
 私はこういう先生を責める気持ちはありません。仲間がうつになっても思いやる余裕がないのは、本人の責任ではなく、学校のシステムに余裕がなさすぎるせいです。 
 最近、学校の教師のチームワークが崩れてきました。
 「親分肌の校長が減ってきた」と多くの教師が嘆いています。昔の校長は学校行事の前には、「みんな、自分の信念で好きにやってくれ。責任は私がとる」などと言ってくれ、教師もやる気が起きました。
 しかし、最近では、「みなさん、ご自分の思いでやられるのは結構ですが、責任はどうぞご自分でとってくださいね」といった校長が増えています。
 こうした校長や教師に対する評価システムの導入などで、教師のチームワークが崩れてきたのです。教師同士でお互いに支え合えれば、たいていのことはどうにかなるものです。
 教師のチームワークが崩れてきたことに、私は大変な危機感を覚えています。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)
(
教師の悩みとメンタルヘルス 諸富祥彦著 図書文化 2009年)

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職員室で同僚に人気があるのはどのような教師か

 職員室で同僚に人気のある教師は、どのような教師かを調べたことがあります。
 人気のある教師とは、評判のいい人であり、同僚から信頼の視線の向く教師でもあります。
 それは、親切で優しい教師、とまとめることができそうです。親切で優しい人柄は、同僚から信頼されるだけでなく、子どもからも信頼されるでしょう。これは、教師の特性の一つになるだろうなとも、思われてなりません。
 嫌な仕事も進んで引き受ける教師、責任感の強い教師、相手のことを考えて気配りのできる教師も、同僚からの信頼は高いです。
 でも、こうした教師の声を聞きながらも、気がかりなことがあります。それは、嫌な仕事を進んで引き受けてくれる教師が高く評価されるなら、嫌な仕事は他人に押しつける教師もいるのかなと思えるからです。こうした点は、職場でどうなっていますか。
 また、相手のことを考えて気配りのできる教師が、評判がいいのは当然でしょう。これからの学校は、いろいろな特性をもつ教師が力を合わせて仕事を進めることが必要とされています。そうなると、同僚と協力できる教師がぜひ必要とされるでしょう。我を張るだけでなく、折り合いをつけることのできる教師が必要なのです。他人の意見や立場をわかり合える教師が。
 同僚に対して厳しい姿勢で接しようとすると、今はあまり評判がよくないようです。残念なことだと思います。時には、厳しく注意し合い、後はさっぱりとした関係はつくれないものでしょうか。こうしたことがないと、許し合い、もたれ合い、慰め合いばかり進んで、仕事に遂行に甘さが出てしまいます。教育界が微温湯的だといわれがちなのは、こうしたことも原因するかと思うのです。
 自分に甘く、他人に厳しく接する人は、どんな職業でも嫌われます。特に教師は、子どもと接し、保護者とかかわり、同僚と仕事を進めるのです。いずれの場でも、他人に要求することは、自らにもきちんと課する自律心が求められるのではありませんか。自分で気をつけるしかありません。特に校長や教頭など管理職と呼ばれる人ほど、気をつけたいことであるようです。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)


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教師仲間と語り合うことで支え合い、教師としての自覚と喜びを

 現在、学校現場で教職に従事することは、かなり厳しい時代になってきました。日々の教育実践に取り組む喜びや手応え、やりがいを感じられなくなり、退職していく教師も少なくありません。ストレスの増大ややりがい感の低下は、教師の心の健康度を低下させ、それが教育実践にマイナスの影響を与えます。
 実践における迷い、子どもや保護者の対応における悩みなどは、多くの教師たちが必ずもっているものです。それを教師仲間と語り合うことで、悩んでいるのは自分だけではないんだという気持ちになり、ふさぎ込んでいた心が浄化されます。
 人間は、周りから認めてもらいたいという思いがあります。日々、取り組んだ後には、必ず同僚同士で互いの努力を、言葉にして認め合うことが必要です。
 多忙なとき、ストレスが多いときこそ行うようにします。教師仲間の支え合いが、教師としての自覚と喜びを、喚起してくれるのだと思います。
 目の前の問題に対しても、これまでと同じやり方を繰り返すのではなく、自分なりに新たな方法で取り組んでみようという意欲がでてくるものです。自ら、やりがい感が実感できる取り組みを意識的に行うことが切に求められるのです。
やりがいのある取り組みを意識的に行うためには、
(1)
 目の前の問題を冷静に把握し
(2)
多面的に原因を整理して、その影響の大きさに順位をつけ
(3)
それに対応する方法を複数の中から最善な対処法を探し
(4)
与えられた条件の中で、丁寧に対応を展開し
(5)
その結果を検討して、次のよりよい対応に繋げていく
というようにしてみてはいかがでしょうか。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)



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これからの教職生活のために新任教師にやってほしいこと

 新任教師の特権を十分に行使した人は、三十歳代半ばから、ほんとうにいい仕事ができます。
 新任教師の特権は、まず、未熟さです。
 どうしてよいかわからないことを、まわりの教師にえんりょしないでたずねることができます。失敗も大目にみてもらえます。これは、長い教職生活の中で、最初の二、三年間だけしか認められていない最大の特権です。
 この特権をうんと活用し、大胆に、豊かな失敗を積み重ねていくことが、将来、一人前の教師となるためのすばらしい財産を築くことになります。いじけていては、決して伸びません。ふとりません。
 二つ目は、新鮮な感受性です。何もかも目新しいことばかりです。どんどん取り組もうという意欲もあります。何でも、見てやろう、聞いてやろう、やってやろうと、貧欲に手がけることができます。変に先見えしないので、全力投入でやれます。
 三つ目は、時間があるということです。対外的な仕事もありませんし、校内の実務責任者でも、会議のまとめ役でもありません。だから、こどもと接したり、研究に打ち込んだり、本を読んだり、サークルに出かける自由があります。
 新任教師の特権を十分に行使しなかった人は、わびしい力量しか身につけず、卑俗な教師になっていきます。だから、三つの新任教師の特権をフルに使ってほしいです。
 そのためにはまず、徹底して本を読んでほしいのです。こどもが好きというだけでは、長い教職生活はつづきません。情熱というものは、せいぜい五年ほどしかつづかないようです。
 あまり勉強しないでいると、四十歳代になったとき、若い教師にとって、全く魅力のない教師になり果ててしまいがちです。
 自らが日々学習をしない教師は、決して子どもから学ぶことができません。子どもから学べない教師は、子どもたちにとっても、学びとることのできない魅力のない教師です。
 親から、「このごろ算数ができなくなりました。どうしたらよくなりますか」「不良じみたことをし始めました。どうしたらよいでしょう」といった相談に、的確に、しかも簡素に答えられるような力は、教職の専門家として当然必要とされる力です。
 教師は、今後、広い視野と、深い見識と、高い力量を社会的に期待されるようになるでしょう。読書を当分は徹底してやっていくことを、あえて勧めます。
 また、職場での人と人とのつながりも大切にしてほしいのです。あいさつをして人と話し合えるようになること、ちょっとした手伝いは快くやってあげることなど、ちっとも損にはならないことです。人ととけ合う能力を培っていくことが、やがて職場全体の統一を築き上げていく力量の土台ともなっていきます。
 最後に言いたいこととして、ぜひ、うでをみがいてほしいということです。学校と家との往復だけでは、力はあまりつきません。板書を美しくといったうでを上げることを軽視してはなりません。
 職員室や、保護者を前にしての話し方も、授業の展開も、こどもを生き生きと掌握するのも、すべて、うでをみがくということになります。思いを実現するのは技術です。具体化するのは実践です。こういったことは、個人の努力だけではむずかしいのです。やはり、教育サークルの中で学びとるものが実にたくさんあると思います。
 平凡なことでしょうが、よく勉強し、よく人ととけ合い、しっかりうでを上げていくということが、今後三十数年間にわたる教職生活にとって、きわめて大切なことだと思います。
 失敗を恐れず、大胆に、豊に失敗の経験をたくわえていってほしいと思います。
(岸本裕史:1930年~2006年、元神戸市小学校教師、百ます計算の生みの親、「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」を結成し代表委員に、陰山氏はこの会の会員)

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荒れた学校では、教師は子どもや同僚教師とどのような関係をつくればよいか

 教師として生きると言っても、どんな学校で仕事をするのか、どんな人と出合うかによって、得るもの失うものがずいぶん違ってくるのです。
 荒れた中学校では、大人に対する口の利き方とは思えない、すさまじい言葉が飛び交う中にいると、生徒と関係が拮抗しているうちはまだいいのですが、押され気味になった時、それがボディープローのように利いてくるのです。
 罵倒されたまま何も言い返せず、ただ我慢していると、自分がほんとうにつまらない人間になったような気がしてきます。教師としての権威どころか、人間としてのプライドの核までもが壊れてしまうのです。いったんそうなってしまうと関係の修復は非常に難しく、これでは生徒とのまともな関係など、つくろうにもつくれません。
 どんな仕事でも状況が変われば、それに合わせて自分もまた変わっていかなければならないのは、ある意味ごく当たり前の処世術です。教師にしてもそれは同じで、変化に応じてからだの動かし方を工夫しなければならないのですが、そこで必要なものは「インサイドワーク(スポーツなどで,過去のデータやその場の状況をよく考え,頭脳的にプレーする技能)」だと私は思っています。
 もともと「インサイドワーク」とは、頭脳的なプレーのことを指す言葉なのですが、これを私は、行為の結果を教師が堂々と引き受けられるようにするための、心の動きとからだの動かし方という意味で使っています。
 換言すれば、ある問題に関する情報を収集して状況を客観的に把握した上で、いくつかの選択肢の中から最もリスクの少ない方法を選び出すという、危機管理的な発想です。
 最もひどい状況でもできることとは何か、その方法をつくり出すこと。そして、その結果をきちんと評価できることだと私は思っています。
 生徒と教師の関係が安定している時には、教師がイメージする「あるべき生徒像」と現実の生徒の姿とはさほどズレていないのですが、その関係の枠が揺らぎ始め、生徒の逸脱現象が激しくなると、一人ひとりの教師に葛藤が生じるようになります。
 トラブルの数珠つなぎの現象の中で「あるべき生徒像」を追究することは、かえって葛藤をひどくすることになります。意識的に「あるべき生徒像」を捨て去ることから始まります。
 中学校の場合、教師が小集団で動かなければならない場面がかなりあります。そのとき、ほかの教師に対してある「期待」を抱いています。この期待の度合いが高ければ高いほど期待に応えられないことも多くなります。
 期待を持つ教師が多くなれば、その集団はいつも不満を抱かえ込むことになるのです。たとえば「生徒がたばこを吸っていても、きちんと注意しない」とかいった不満が出てきます。そうなると教師のしんどさは倍増します。
 私は、できることとできないことは、教師によって違う。できないことを考えるよりも、できると思えることをやってみることが必要だと、思っています。
 考えてみれば、ならず者が街で暴れている時に、誰もが毅然と割って入り「やめろ」と腕ずくでやめさせることなどできるわけはありません。それと同じように、すべての教師が真正面から暴れている生徒に立ち向かう必要などなくて、それぞれの教師が持っている資質や経験を生かすことが大切なのです。
 荒れている中学校にはよく、名物教師がいます。その教師がいる間は比較的学校は落ち着いていたのに、転勤していなくなったとたん再び荒れ始めた、という話をよく聞きます。これはまずいパターンだと思います。そうした特別な教師に任せきりにしてしまった教師集団の方にも問題があると言えます。
 教師集団はほうっておくと、教師相互であいまいな「期待」をし合うことによって、一定の方向性をなかなか持ちえません。難しいことかもしれませんが、人間を素のままに見るということが最も大切なことではないかと、私は思います。
 これが私の、ほかの教師との関係のつくり方の基本的なノウハウです。旧来の徒弟制度的な関係や、逆に個人主義的な関係では、この時代はやっていけないな、というのが実感なのです。
(赤田佳亮:1953年生まれ、横浜市立中学校教師 組合執行委員)

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