カテゴリー「子どもと向き合う」の記事

荒れたクラスの子どもたちと向き合うには、どうすればよいか

 子どもの反抗的な態度に、多くの教師はカッとなってぶつかってしまうものです。例えば、授業中にお絵かきしている子どもに「ちゃんと勉強しなさい」と注意します。
 すると子どもは「授業のじゃまはしていません」と口答えします。教師が「授業に集中しないと、勉強がわからなくなるでしょ!」と語気を荒げます。子どもは「勉強は塾でやっているからわかります」と開き直ります。
 このように教師が子どもとやり合う姿は滑稽です。まわりの子どもたちは冷めた目で見ています。教師の権威が喪失する瞬間です。
 口答えする子どもには、教師が一歩引いて冷静に対応することが大切です。「子どもはいたらなくて当然。だから子どもと呼ばれているのだ」と思えば腹も立たないものです。
 口答えする子どもとはけんかをせずに、受け入れます。受け入れてくれた教師を子どもは信用しようとします。
 例えば、教師が「なるほど、よく理解できているということだね。それなら、わからない人に教えてあげてくれない? きみの力を貸してほしいなあ」と子どもプライドをくすぐります。人はあてにされると応えようとします。友だちに教えることで、存在価値が高まります。
 もし、子どもが教師の提案を受け入れてくれたら「ありがとう」とお礼を言います。それが教師と子どもの信頼関係を築きます。 
 どんなに荒れていても、クラス全員が悪いということはありません。必ずちゃんとした子どもがいます。そういう子どもにたちに光をあてます。教師は態度の悪い子にばかり気をとられすぎないようにします。
 教師はちゃんとした子どもをほめ続けることで、当たり前のことを当たり前にできる素晴らしさが教室を包むようになります。「自分たちにも、そんないいところがあるのか」と気づかせます。
 教師のやり方に不満を言ってくる子どもがいます。カチンときますが、とにかくその言い分を受け入れ、子どものやりたい方法に任せてみることも大切です。
 例えば、教師が男女混合グループづくりを指示すると、男子同士など好きな子同士のグループを求めてくることがあります。クラスが荒れてくるとその傾向が強くなります。
 そのような場合、子どもたちの意見を却下すると、反発を招くだけです。まずは、子どもの意見を受け、一人ぼっちをつくらないという条件をつけて、子どもに任せてみます。
 グループ活動を始めると調理実習で「女子がいればなあ」という声が聞こえてきます。その時がチャンスです。教師が「困っているなら、みんなにグループの再編成を提案したら?」と促します。
 一度失敗させてから、納得へ導くことも一つの方法です。うまくいけば継続し、そうでなければ新たな方法を考えたりします。
 問題を起こしてしまった子どもには、気持ちを教師が共有します。例えば、けんかをしたら「叩きたくなるほど辛かったんだね」と共感します。興奮が収まったころを見計らって「他の方法はなかったかなあ」と聞きます。子どもは先生に共感してもらったことで、自分の感情を確認できます。
 子どもが教師を信頼するようになると、「どうしたの?」と聞くと「あのね・・・」と話し始めます。注意を素直に聞く心の準備ができます。
 あいさつはよりよい人間関係を築くうえで、大切なことです。あいさつができない子をそのままにしないで、その指導法を模索しましょう。挨拶をしても返せない子どもには、あいさつされているんだと感じさせるため、「Aくん、・・・・、おはようございます」と名前を呼んだ後に間を置くと、挨拶をする心の準備ができます。
 子どもがあいさつできるようなれば、挨拶の後に「今日も登校も早いね」などと言葉を付け足すと子どもとの関係がさらに良くなります。
 クラスが荒れてくると、子どもたちの態度がよそよそしくなります。教師が話しかけると「別に」などと無視するならば深刻な状態です。子どもと話す機会をつくる工夫が必要です。関係修復のきっかけは、公的時間の授業です。机間指導などをしながら話しかけます。繰り返していくうちに関係が少しずつ改善されます。
 子どもが興味関心のあることを話題にして、給食や休み時間に声をかけます。子どもは自分が興味を持っていることに関心を示してくれると、相手に好感を持つようになります。共通性を見いだすと、心を許すようになるのです。教師のことを好意的にとらえるようになります。
 クラスの荒れに一つの方法で対処してもダメなときは「この方法でもだめなんだなあ」と割り切り、「それもまたよし」とおうように構えて、新たな一手を考えます。深刻にならないで、長いスパンで考えることが大切です。
(
城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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思春期の子どもとのコミュニケーションはどのようにすればよいか

 思春期の子どもとのコミュニケーションの取り方について月村祥子はつぎのように述べています。
 私は臨床心理士の資格を持って少年相談専門職員ということで相談をお受けしています。相談は、親、子ども、学校関係者などが自主的にお見えになり、中学生・高校生についての相談が主になります。
 思春期は自立に向けて親離れ子離れという時期で、一時的に親子関係が悪くなります。友だちのほうが大事になります。
 思春期の子どもとのコミュニケーションの取り方として注意することは、たとえば「何々しなさい」とか「どうせこうだろう」という命令口調や断定的な言い方や上から目線でものを言うようなことは気をつけていただきたい。
 可能であれば「どう思う?」というようなことを言って、子どものほうが多く話すような環境をつくる。
 あとは、過去の話を持ち出さない、だらだら話さない、短くわかりやすい言いまわしをすることなどが大切だと思います。
 それから、子どもの要求を予測して親のほうが振り回されないようにします。思春期の子どもというのは「携帯を買ってくれないと学校へ行かない」と、親がドキッとするようなことを言うんですね。そこで「それは別のことでしょう」とうまくかわしたり、ユーモアで返すというようなことをしていただきたい。
 子どもと適度な距離を保つことも大切です。
 話をしていて子どもがイライラしてきたら、やめて親がその場からいなくなるというような、親が引くことも大切だと思います。また、別の機会に同じことを話すようにします。
 話し合いというと対話をしなければと思いがちですが「とりあえず言っておく」ということも大事なことだと思っています。子どもは言われると「ウザい」と言うのですが、言わないと「言われなかったからやらなかった」と言います。ですから、子どもがゲームをやっている後ろ姿にでもいいから「とりあえずこうだよ」と伝えておく。そして、あとで考えさせる。そういう距離を保ったつき合い方ができればいいと思います。
 注意などはメールで伝えて、顔を合わせるときは楽しくする。メモで置いておくなど、いろいろ工夫をしていただきたい。
 思春期の子どもなので、その子なりのプライド、落としどころを考えておく、ということも大切です。家出した子が「帰ってきてやった」という態度を示したりしても、気にしないで、いまはそうなんだろうと受け止めていただく。
 やはり大人のほうが、なるべく先入観を持たずに広い視野に立って、プラスの解釈をしてあげるということ。それから、子どものした「わずかなことでも評価して努力を認める」こと、自己肯定感を持ってもらうこと、失敗したことを怒るよりは、次に失敗しないような方法を考える、などが、できればいいと思います。「悪いところをなくすよりは、いいところを伸ばす」ほうが早いと感じています。
(
月村祥子:警視庁巣鴨少年センター少年相談担当主査を経て東京都世田谷区役所教育センター 総合教育相談室主任教育相談員)

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関わりを拒否する子どもでも、必ず関わりを求めている、安心感が与えられると、子どもは人とつながり自分で育っていく力を持っている

 たくさんの子どもたちの立ち直りに寄り添う中で、うまく動けないでいる子は、実は子ども自身が「自分とつながれない」中で生きてきたということを知りました。
 自分とつながっていないと、他人とつながれるわけがありません。その結果、自分をもてあまし、こちらが理解できない行動を取ってしまっていたのです。
 その「自分とつながれない」でいる子どもの隣に座って、子どもの世界を受けとめるだけで、子どもたちは安心して自分を出せるようになっていきます。
 安心感というのは、自分が自分でいいという、生きるための最低の保障です。これがないままに、教え込まれることは、ますます、自分はダメなのだと不安にさせるものなのです。
 嘆かれること、あきらめられること、怒り、大人たちの自分に向けるすべてのことを子どもたちは敏感に感じとります。そして、そんな大人を「嫌い」と避け、そう思わせている自分をもっと否定します。
 けれども、ひもといていくと、どんな関わりを拒否する子どもでも、ほんとうのところでは必ず関わりを求めています。親や先生に受けとめられて、自分らしく正しく導いてもらい、育ちたがっています。その土台は子どもたち自身では作れないのです。
 私は多くの子どもたちとの歩みの中から、子どもは「安心というふかふかの土壌が与えられる」と、それを栄養にして、人とつながり、自分で育っていく力を持っていることを教えられました。
 考えてみれば、私たち大人も、多くの人の愛を受け、力を借り、失敗や悩みの経験が大人に成長させてくれました。
 大人が手に入れた価値観や方法ばかりに縛られて、子どもをありのままに見られなくなっています。
 愛するわが子と上手につながることができて、子どもが立ちあがって歩き出せるように見守るためにも、私たちは、そんな自分自身を点検する必要があるのです。
 子育てに行きづまったり、悩むときにこそ、今まで気づかなかった自分や子どもを理解して、変化していくチャンスなのです。
 子育てや教育というものは、子どものためだけでなく、私たち大人が人間として成長するチャンスを与えてくれるのですね。そのカギは、ほかでもなく、私たち大人の心の中にあるということ。
 どうか信じて、子どもと向かい合ってみてください。子どもをあるがままに受けとめて歩むことで、お子さんとつながることができ、いっしょに笑える日がきっと訪れるはずです。
(
魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)


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まるごと、その子と向き合えるか

 子どもたちは、至らないところがいっぱいある。当たり前のことである。それを当然のこととして受けとめ、ずるさやいいかげんさも含めた、まるごと子ども全部を心から大切に思えるようになるには、時間がかかることだろう。
 教師はおしなべて、良い子がすきである。私も若いころ良い子が好きだった。良い子には私なりの基準があって、成績や運動能力や外見とは無縁のものではあったが、私なりのおメガネにかなった子どものほうが愛おしかった。
 しかし、遅刻が続く子どもたちの背景に何があるのかを知り、校則違反という不器用な自己アピールに隠された子どもたちの思いを知る機会を積み重ねていくうちに、私なりのおメガネがどんどん変容してきた。
 子どもたちをちゃんと知りたいと願い、ちゃんと知ろうとしてあがくなかで、子どもたちの抱える暮らしや、せつなさや寂しさや、怒りやおびえ、夢や願いに出会い、圧倒され、自分の物差しや価値観で子どもを決めつけることを慎むようになってきた。
 「ちゃんとしなさい!」は、今のあなたではいけないという断罪型の上から目線メッセージである。「どうしたの? 何かあったの?」は、今のあなたの状況を心配し、あなたのことをもっとよく知りたいと願う共感型のメッセージ。
 子どもたちは、矯正の対象として自分と向き合っているのか、共感の対象として向き合っているのか、瞬時にして区別してのける。
 気にかけられているという思いは、必要とされている思いとなり、自分はここにいてもいいのだという安心感に結びついている。
 まるごとその子を受けとめる。そのうえで「これはアカンやろ」という話が始まっていくのだ。難しい理屈はいらない。まずは「どうしたの?」から始めようではありませんか。
(
土田光子:1952年生まれ、35年間中学校教師。各地で講演をしている)

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子どもの問題行動の本質はつながりだ、どう指導すればよいか

 子どもの問題行動は、人とうまくつながれず、行き詰まっているところに行き着く。いじめも、人や家族とうまくつながれないイライラやわだかまりが、他の子に向かうことで起きる。少年院に来る子も同じだった。
 子どもたちの見せるさまざまな問題行動は、人とうまくつながれない葛藤の表れであり、できるだけ早い段階でそこをすくい上げ、丁寧に見てあげることが大事である。いけない行動だけを見た指導で終わらせてはならない。問題行動は人とのつながりを学ぶ大事な経験であり、仕切り直しをするチャンスなのである。
 私が関わった問題の9割以上のケースに改善が認められる一方で、なぜかうまくいかないケースがある。その違いの要因を探っていくと、教師や親の関わり方に同じ共通点があることがわかってきた。
 いい方向に変わっていくケースというのは、教師にしても親にしても、自分自身を柔軟に変えていける場合だ。
 自分自身の視点のズレに気づき、視点を切り替え、新しいスタンスで動いていくことができる。子どもの問題行動の意味を理解し、子ども目線で一緒に考えられるために、子どもとつながるのも早い。そこが安心の居場所となるために、改善がスムーズなのだ。
 一方、なかなか変わらないケースは、自分のこれまでの見方にとらわれて、どうしても切り替えられない場合である。
 いけない行動という視点から抜けられず、問題の意味や背景を踏まえて、理解しようとすることができない。「そんなことしても、どうせ無駄」「変わりっこない」と最初から決めてかかっていて、日々の関わりもこれまでと同じ対応になる。「やっぱり変わらない」と嘆いてしまう。
 頑なに自分の経験則にとらわれ、視点が切り替わらないと、こう着状態が延々と続くことになる。しかし、関わり方のささいな部分を変えただけで、翌週から事態が動き始めたりする。
 かたくなに動こうとしてくれなかった人でも、何かをきっかけにストーンと腑に落ちると、視点が切り替わる。すると、子どもも変わり始める。こんなことで、変わるのだと初めて納得してくれる。
 周囲の大人のつながる力が問われているということだ。結局、問題改善のために何が一番大切かといえば、私たち大人が、子どもの問題を通して子どもと共感的につながり、共に考えていける関係になることなのである。
 それだけで、問題の半分以上が改善するといっても過言ではない。なぜなら、それこそが、子どもが安心して育つ環境になるからである。
 子どもが育つのは、安心と信頼の土壌の上である。自分を理解してくれる周囲の大人に見守られる中で、初めて足元が定まり、自分らしく育っていけるのだ。そんな大人たちの中で、つながり方も学んでいく。
 いじめ、不登校、ひきこもり、虐待、自殺といった問題は、どれも、うまくつながれない子どもの叫びであり、それはそのまま私たち大人が抱える問題の表れなのだ。
 子どもの問題を通して、私たち大人が自分の問題として受け止め、子どもに寄り添う中で、共に成長していけたらと思う。
 周囲の大人がその子を見る視点や意識が変わったとき、子どもが育ち、生まれ変わることができるのである。
(
魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)

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うまく動けない子どもは自分とつながれない中で生きてきた 

 たくさんの子どもたちの立ち直りに寄り添う中で、うまく動けないでいる子は、実は子ども自身が”自分とつながれない”中で生きてきたということを知りました。
自分とつながっていないと、他人とつながれるわけがありません。その結果、自分をもてあまし、こちらが理解できない行動を取ってしまっていたのです。
 その”自分とつながれない”でいる子どもの隣に座って、子どもの世界を受けとめるだけで、子どもたちは安心して自分を出せるようになっていきます。安心感というのは、自分が自分でいいという、生きるための最低の保障です。これがないままに、教え込まれることは、ますます、自分はダメなのだと不安にさせるものなのです。
 嘆かれること、あきらめられること、怒り、大人たちの自分に向けるすべてのことを子どもたちは敏感に感じとります。そして、そんな大人を「嫌い」と避け、そう思わせている自分をもっと否定します。
 けれども、ひもといていくと、どんな関わりを拒否する子どもでも、ほんとうのところでは必ず関わりを求めています。親や先生に受けとめられて、自分らしく正しく導いてもらい、育ちたがっています。その土台は子どもたち自身では作れないのです。
 私は多くの子どもたちとの歩みの中から、子どもは、安心というふかふかの土壌が与えられると、それを栄養にして、人とつながり、自分で育っていく力を持っていることを教えられました。
 考えてみれば、私たち大人も、多くの人の愛を受け、力を借り、失敗や悩みの経験が大人に成長させてくれました。
 大人が手に入れた価値観や方法ばかりに縛られて、子どもをありのままに見られなくなっています。
 愛するわが子と上手につながることができて、子どもが立ちあがって歩き出せるように見守るためにも、私たちは、そんな自分自身を点検する必要があるのです。
 子育てにいきずまったり、悩むときにこそ、今まで気づかなかった自分や子どもを理解して、変化していくチャンスなのです。
 子育てや教育というものは、子どものためだけでなく、私たち大人が人間として成長するチャンスを与えてくれるのですね。そのカギは、ほかでもなく、私たち大人の心の中にあるということ。
 どうか信じて、子どもと向かい合ってみてください。子どもをあるがままを受けとめて歩むことで、お子さんとつながることができ、いっしょに笑える日がきっと訪れるはずです。
(魚住絹代:少年年院で非行少女の立ち直りに携わる。訪問指導アドバイザー)

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子どもにとって信頼できる教師になるためにはどうすればよいか

 生徒と教師の良い関係は、単に「好き」という感情だけでは成り立たない。確かに、「若さ」とか「かっこよさ」は子どもから好かれる要素ではある。
 しかしそれだけでは長続きはしない。子どもから見て信頼できる教師(大人)であるかどうかが決定的に重要である。
 高齢で風采のあがらない私のようなものにも子どもたちが笑顔で近寄ってくれるのは、私に、「教える知識や教え方の技量に対する信頼」だけでなく、私に「人間としての信頼」を子どもたちが寄せてくれているからに違いがない。
 教師として、このもっとも大切な「人間としての信頼」はどこから生まれるのだろうか。
 それは教師が「子ども一人ひとりを真にかけがえのない尊い存在と受けとめている」ところから人間としての信頼が生まれてくるのである。
 そのように子どもたちを受けとめるためには、その根拠が必要である。
 シュタイナー教育論では、「子どもたちに内在する限りない向上意欲」にその根拠があると見ている。つまり「どの子どもも生まれた瞬間から善意に満ち、個性的で、より良く成長する内発的なエネルギーを持っている」ということである。
 その子どもたちの事実を尊く受けとめるのである。
(大阪隆夫:1941年生まれ横浜市立中学校四校に勤務。「生き方を探求する会」会長として道徳教育を研究。シュタイナー教育を研究し各種学習会等で講義。ネット上の教育相談室で相談員)

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教師は子ども好きの名人にならなければならない

 教師は子ども好きの名人にならなければならない。
 クラスがうまくいかない年をふりかえると、最初は指導にしたがわない子どもに手をやくことからはじまる。その指導につまずくと、それがクラス全体の乱れを引きおこしていく。どのクラスにもそういう核になる子どもがいる。「こいつさえいなければ」と思える子どもである。
 だが、そこがつまずきであった。子どもがきらいというのは、そのことがすでにつまずきなのである。そうなったら、もう緒戦において失敗しているのである。そのことがわからず、ひどく苦労した。
 「きらいになったらおしまい」「教師は、子どもの好ききらいがあってはならない、たとえあったとしても、ぜったい口外してはならない」と教師になったとき、先輩教師に教えられた。
 教師は子ども好きの名人にならなければならないということだった。それには、まず全身全霊を傾けて嫌いな子どもを好きになることだった。好悪は表裏、愛憎は紙一重ということだった。欠点と美点は裏表の関係にあるということだった。
 今、わたしが好きな子どもがいる。わたしのいうことをよくきくすなおな子どもである。しかし、やがて、そのすなおさが自主性のなさとしてもり足りなく感ずるようになる。事実、そういうことがあった。
 反対に、嫌いな子どもの、そのきらいだと思えることが、やがて、頼もしく思えるようになるかもしれない。逆もまた真なりである。
 とすれば、今、欠点とみえる、そのことのなかに好きになる種があるのではないか。その欠点をこそ愛すべきではないか。
 そうなれば、教師にとって嫌いな子どもも好きになり、やがて教師にとって嫌いな子どももわたしを好きになるかもしれない。
 「よし、欠点を好きになろう」そう決意して嫌いな子どもの姿を見ると「生意気」「反抗的」「だらしない」「粗暴」「タバコを吸う」といったことも、あまり気にならなくなった。
 その生意気や反抗のなかに自己主張する、規則にとらわれない自由さがみえるようになった。
 それは、わたしのスタンスを変えたからである。立場をちょっと変え、きまりきった教師の目から、子ども好きの目に変えたからである。
(家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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この先生に任せばクラスが変わる

 この人に任せればクラスが変わる、と評判の小学校教師がいる。黒木公一先生である。厚い胸板と、どこかクマを思わせる風貌で、ふだんはすきだらけに見える性格が、親しみを感じさせる。
 休み時間に黒木先生がギターを抱かえて座ると、子どもたちが周りに集まって歌い出す。合唱曲の「あの青い空のように」など、子どもたちからのリクエストも多い。
 赴任1年目の黒木先生が、7月の段階で、子どもたちを大きく変えていることに、多くの人が驚く。しかし、7月どころか着任からまもなく、クラスは落ち着きを見せはじめていたという。どうやら、初めて出合った子どもたちの心を大きく動かし、開かせることができるようなのだ。
 担任を受け持ったばかりの最初のころに、黒木先生は「山」の話や「コップの中の泥」の話をした。
 「学校で学び、成長するというのは、山登りに似ている。気を抜くと、下に落ちるのは簡単だ。途中の穴に落ちて成長しない人もいる。山に登ると、どんないいことがある? そう、遠くが見える。視野が広くなる。『あれが見えるよ』と言っても、山の低いところにとどまっている人には、何もわからないんだ」
 「理科の実験でやったことがあると思うが、雨水をすくってきて、コップに入れて一日たつと、泥が底に落ちて着く。その結果、上にはきれいな上澄みができる。これが『落ち着く』ということなんだよ。君たちが今やっていることは、泥水をかき回しているようなものだ」
 ことあるごとに黒木先生が話す、ユーモアを交えた例え話が子どもたちの心に響く。
 例え話のための引き出しが、黒木先生にはたくさんある。場面に応じて使い分ける。話の後に作文を書かせることも多い。文章を書かせることが、自分の心を見つめることになるからだ。
 黒木先生は東京学芸大卒業後、臨時採用の教員や産休の補助教員、障害児の介助員などとして都内の小学校を転々とした。9年間、正規の教員にはなれなかった。
 「学芸大を出て、なぜ」と不思議がられた。学校では一生懸命だが、細かな知識が問われる教員採用試験の勉強には身が入らなかったからだ。食費や光熱費にも困る生活も苦にならなかった。
 むしろ、その間に、重度障害児の学級を受け持ったことで「ハウツー通りにはいかない。目の前にいる子供に合わせるという教育の原点を学んだ」と語る。
 だから「ハウツーを生み出した人は、それまでの過程があるから、すごいと思うが、その値打ちがわからないまま、まねをしてはだめ。目の前の子どもにあわせる臨機応変さが大事だ。指導案通りの授業がいい授業という評価はおかしい」とはっきり言う。
 30歳を過ぎて一念発起、気温が40度になるような夏の暑い部屋で勉強して採用試験にパスした。その時には、合格を知った保護者から留任運動が起きていた。その後も異動のたびに、勤務先の子どもや保護者から、異動を惜しむ声が上がるようになった。
「あの学年の立て直しを頼む」と校長から言われたことも2度や3度ではない。
「クラスの荒れの一因を作っていた子どもが、『次の先生も病気にしてやる』とまで言うのも、間接的に聞いたことがある。しかし、悪魔にとりつかれたようなもの。彼らだって苦しい。それを取り除いてやるのが教師の仕事」と黒木先生は言う。
 子どもたちに何かトラブルが起きた時、教師として、発言の何が正しいと判断するかは容易ではない。だが、長年の経験から「だまされる勇気とだまされない知恵が必要」と強調する。
 黒木先生は、秩序を乱す態度をとった子どもにも、理由を聞き、筋道を立てて話をする。子どもの表情につねに気を配り、少しでもわからない様子のときは納得するまで説明をする。子どもを否定する言葉は口にしない。だから、子どもたちは「先生は自分たちを見放さない」という信頼感を持つ。
「黒木先生のおかげで、学校の雰囲気が変わりましたよ」と校長。この学校でも、赴任1年目から期待は大きい。
(黒木公一:東京都公立小学校教師を経て副校長)

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子どもたちに好かれるよりも好きになると気持ちが楽に

 初めて担任をもった。クラスの生徒は様々で、向こうから近づいてくる人なつっこい生徒もいれば、まるで無愛想で、何を考えているのかさっぱり分からない生徒や、はたまた学校や教師に対し敵意まる出しという生徒もいたが、初めて「みんな可愛くて、みんな大事」という、とても不思議な、そしてとても心地よい感情を、彼らに対して抱いていた。
 新任のとき、そっぽを向いてやりたい放題の生徒を前にして、彼らに「好かれよう」という努力をしていた自分に気づいたのは、その時だったろうか。
 なんだかすごくおかしかった。「好かれる」ことよりも、彼らを「好きになる」ことの方がずっと大切なのに。
 そう思ったとたん、気持ちがもっと楽になった。もう、転職情報誌は買わなくなっていた。
(
友松利英子:法政大学中学校副校長、新英語教育研究会で活動)


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