カテゴリー「子どもと向き合う」の記事

あなたは教師として、子どもたちの言葉や思いの本質を聴き取る力がありますか

 金森俊朗氏は「手紙ノート」の実践をしていました。その実践を次に述べます。
 金森俊朗氏のクラスの一学期は次の言葉から始まります。
「学校に来るのは何のためや?」
「ハッピーになるため!」
 クラスの一日は「手紙ノート」で始まります。毎日三人の生徒が、クラスメートに宛てた手紙を読み上げます。聞いた生徒は感想を述べるのです。
「大切なのは、手紙ノートがなければ知らなかった友だちの姿を、どんなささいなことでも発見することです」
 と、手紙ノートを読む目的を金森先生は語ります。
 自分の気持ちを伝える時間や場所があり、受けとめてくれる友だちや先生が確かにいること。それが金森学級の子どもたちをどこかのびのびとさせている。
 何よりも、楽しい時間を共有し、面白かったなと言い合えることで、クラスの中に仲間意識が生まれる。
 それは「みんなでハッピー」の土台となる。
 これは教師がいくら教壇でいくら頑張っても教えられるものではない。
 多くの教師が金森俊朗氏の「手紙ノート」の実践を真似たが挫折したという。
 その原因は、言葉にならない身体で表された言葉、言葉が不足がちな子どもの表現、表現に込められた思いや科学の素地を読み解く教師側が、貧弱だったからである。
 教師を対象にした講演会で私は次のような話題をだした。
 学級で朝の「手紙ノート」(仲間に伝えたいこと)の時間で、ある子が、
「昨日、家族でお鮨屋さんにいき、お鮨をたくさん食べました。とてもおいしかったです」
 と報告がありました。
「さて、あなたの学級ならどんな応答が生まれますか」
 と参加者の教師に問うた。
 たぶん、
「どんな鮨を食べたのですか」「どんなお鮨が好きですか」「ほく、トロが好きや」
 などの話で盛り上がるだろうが、ほぼ一致した意見であった。
 子どもたちの応答を聞きながら
「あ~あ、またこんな話題か、つまらないな、と思ってしまう教師は手を挙げてください」
 と言うとほとんどの参加者が挙手した。
 この報告で大切なポイントが二つあることを金森氏は強調した。
 一つは、家族そろって鮨屋に行くことは珍しいことである。このことに関して、うんと想像力を働かせる。
「何かのお祝い、ボーナスの支給・・・・」 などが思い浮かぶ。
 二つ目は、「鮨の種類」だと簡単に盛り上がる。
 魚介類をすべて板書すると種類の多さにみんながおどろく。
「板書した海の幸の漢字を調べてくるぞ~、という人」と聞くと、子どもたちは必ず手が挙がる。
「レストランで魚にあたるものは?」と問うと「牛・豚・鶏」と少ない。海の幸の多さと季節による違いに気づく。さらに、
「旬といえば、海の幸以外にも、今しか採れないものとは?」
 と問うと「山菜です」と子どもたちは旬の食べ物を挙げていくだろう。
 参加者がこの応答に感心している。
 参加者の教師は「貧弱」「つまらない」報告だと決めつけていた自分の「貧弱さ」に改めて気づいていた。
(金森俊朗:1946-2020年、元小学校教師・北陸学院大学教授。「仲間とつながりハッピーになる」教育や人と自然に直に触れ合う命の授業を行った。NHKで日本賞グランプリ受賞) 

 

 

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「お前は絶対に必要な人間なんだ」と言われれば、そこが子どもにとって安心して過ごせる居場所になる

 私がスクールカウンセリングをはじめた頃、すべての教師に反抗的な態度をとる女生徒のカウンセリングを引き受けた。
 女生徒は青春の孤独と悩みを抱かえていた。カウンセリングをはじめて半年ほどして退学した。
 最近、その女生徒が8年ぶりに私の病院を訪ねてきた。大学を卒業し、今は就職して親から自立して暮らしていると報告してくれた。明るく前向きに生きる大人の女性になっていた。
 「生徒指導のN先生と、吉田先生の二人が私の味方になってくれたから私は絶望せずにすんだし、いまこうして生きていられるんです。そのことをお伝えしたく、お訪ねしたんです」
 彼女が退学したとき、私は無力感にとらわれた。が、ささやかながら力になれたことを知って、肩の荷がおりた気分だった。
 どんなに意を尽くし、こころを込めて接しても、子どもがわかってくれない。しかし、そう見えても、心の中で徐々に変化が起こっている。外からは気づきにくい。子どもの成長とはそういうものだ。
 大事なことは、そうした子どもの回復力を信じて接することだと私は思っている。
 子どもがどんなに親に反抗しても、親は自分の子を見捨てないでほしい。どんなに手を焼かせる子でも、いつか必ず親の心情を理解するときがくるのだから。
 思春期の子どもは、自分は親や社会にどう見られているのだろうか、本当に必要とされているのだろうか、という不安を感じている。
 そんな宙ぶらりんの心理が問題行動の背景になっていることが少なくない。
 親や周囲の大人から「お前は絶対に必要な人間なんだ」と言われれば、そこが子どもにとって安心して過ごせる居場所になる。
 そんなことは口で言わなくても、わかっていると思うかもしれないが、子どもの様子が心配なら、あえて言ってほしい。何よりの支えになるはずだ。
(
吉田勝明:1956年福岡県生まれ、精神科専門医)

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子どもと関わるときに、してはいけないこと、すべきこととはなんでしょうか

 昔から言われている子育ての知恵をごぞんじですか。
 乳児は肌を離すな。幼児は肌を離して手を離すな。少年になったら、手を離して目を離すな。青年期に入ったら、目を離して心を離さないようにと。
 思春期の子どもと向き合うときに、してはいけないことがあります。
1
 子どもと対等になって衝突しない
 子どもが罵詈雑言をぶつけてきたときカチンとくるのは、子どもと同じ精神年齢になっているからです。子どもと同じレベルになると、衝突が起きるので、同じレベルにならないことが大事です。
2 子どもを傷つける言葉を使わない
 今の多くの子どもたちは荒い言葉を使います。子育てで「荒い言葉しか、かけられてこなかったのだろう」と私は思います。大事にされなかった子どもは、相手を大事にすることができません。
 子どもに優しい言葉をかけるようにしてください。
3 ガミガミ言わない
 過去にさかのぼって怒らない。話が長引くと、いやになってしまいます。目の前のことだけを短く(3分以内)さとすこと。
4 子どもを追いつめたり、つきはなしたりしない
 やりすぎは禁物です。「勝手にしなさい」といった言葉は子どもの心を深く傷つける。
 子どもが思春期になれば、安心して生活できる環境を整えましょう。「待ってやること」が大事です。
 だから、距離をとって「いつも見守っているよ」というメッセージは伝えてください。
 大人が子どもに話を聞いてもらいたいのであれば、大人が子どもの思いを聴いてやることです。そのうえで話すと、最低ひとつは、子どもの心に入っていきます。
 子どもの問題行動に大人の問題が隠れていることはよくあります。
 大人がそれに気づくと、子どもへの対応が違ってきます。大人が自分をふり返り、ありようを考えることで、再生のきっかけになることはたくさんあると思います。
 子どもを変えようと考えないで、大人がちょっとした工夫や努力をしてみてください。子どもの態度にも変化が生まれてきます。
 気持ちが揺れる思春期だからこそ「ほめる、認める」が必要なのです。そのためには
 まず、子どもにまなざしを注ぎ続ける。つぎに子どもの言葉にじっと耳を傾ける。
 そうすれば、必ずといってよいほど、ほめるべき言葉が出てきます。子どもをほめていくうちに、大人の喜びも増えるはずです。
 「どうせ自分なんて」と口ぐせの自己肯定感の低い子どもには、できてあたりまえのことでもほめるようにします。
 そういう子どもたちは、反抗的な態度をとって強がっていても、精神的には弱りきっています。
 成長するには水やりが欠かせません。ほめることは愛情という水やりです。
 Iメッセージで「がんばりを見ていて、私も励まされたわ」と、子どもの行動をどう感じたか伝えるとよい。
 できるだけ肯定語で「さとす」ことも大事です。「○○するな」ではなく「○○しようね」とか「○○をしてみるといいよ」という言い方を心がけましょう。
 何よりも大事なのは、叱った後には、その何倍も「その子の良いところ」をほめてあげることです。大人が「心から心配しているんだ」というメッセージが伝わってこそ、子どもは素直に謝ることができます。
 子どもと向き合うとき私が心がけていることは、声を荒げないこと。目を見て話すこと。
 声を荒げると、子どもも声を荒げます。強い言葉を出しても、子どもの心に入っていくわけではありません。
 目を見て穏やかに話すことは、子どもと向き合う出発点です。「私はこれをあなたに伝えたいのよ」という思いを込めてていねいに話してください。
 そして、必ずほめて終わること。「最後までよく聞けたね」「がんばったね。ご苦労さん」と声をかけて終わります。
 子どもの自尊感情を高め、お互いの絆を確かめる言葉かけは、とても大事です。
(
土井高徳:1954年福岡県生まれ、里親。心に傷を抱かえた子どもを養育する「土井ホーム」代表)

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荒れたクラスの子どもたちと向き合うには、どうすればよいか

 子どもの反抗的な態度に、多くの教師はカッとなってぶつかってしまうものです。例えば、授業中にお絵かきしている子どもに「ちゃんと勉強しなさい」と注意します。
 すると子どもは「授業のじゃまはしていません」と口答えします。教師が「授業に集中しないと、勉強がわからなくなるでしょ!」と語気を荒げます。子どもは「勉強は塾でやっているからわかります」と開き直ります。
 このように教師が子どもとやり合う姿は滑稽です。まわりの子どもたちは冷めた目で見ています。教師の権威が喪失する瞬間です。
 口答えする子どもには、教師が一歩引いて冷静に対応することが大切です。「子どもはいたらなくて当然。だから子どもと呼ばれているのだ」と思えば腹も立たないものです。
 口答えする子どもとはけんかをせずに、受け入れます。受け入れてくれた教師を子どもは信用しようとします。
 例えば、教師が「なるほど、よく理解できているということだね。それなら、わからない人に教えてあげてくれない? きみの力を貸してほしいなあ」と子どもプライドをくすぐります。人はあてにされると応えようとします。友だちに教えることで、存在価値が高まります。
 もし、子どもが教師の提案を受け入れてくれたら「ありがとう」とお礼を言います。それが教師と子どもの信頼関係を築きます。 
 どんなに荒れていても、クラス全員が悪いということはありません。必ずちゃんとした子どもがいます。そういう子どもにたちに光をあてます。教師は態度の悪い子にばかり気をとられすぎないようにします。
 教師はちゃんとした子どもをほめ続けることで、当たり前のことを当たり前にできる素晴らしさが教室を包むようになります。「自分たちにも、そんないいところがあるのか」と気づかせます。
 教師のやり方に不満を言ってくる子どもがいます。カチンときますが、とにかくその言い分を受け入れ、子どものやりたい方法に任せてみることも大切です。
 例えば、教師が男女混合グループづくりを指示すると、男子同士など好きな子同士のグループを求めてくることがあります。クラスが荒れてくるとその傾向が強くなります。
 そのような場合、子どもたちの意見を却下すると、反発を招くだけです。まずは、子どもの意見を受け、一人ぼっちをつくらないという条件をつけて、子どもに任せてみます。
 グループ活動を始めると調理実習で「女子がいればなあ」という声が聞こえてきます。その時がチャンスです。教師が「困っているなら、みんなにグループの再編成を提案したら?」と促します。
 一度失敗させてから、納得へ導くことも一つの方法です。うまくいけば継続し、そうでなければ新たな方法を考えたりします。
 問題を起こしてしまった子どもには、気持ちを教師が共有します。例えば、けんかをしたら「叩きたくなるほど辛かったんだね」と共感します。興奮が収まったころを見計らって「他の方法はなかったかなあ」と聞きます。子どもは先生に共感してもらったことで、自分の感情を確認できます。
 子どもが教師を信頼するようになると、「どうしたの?」と聞くと「あのね・・・」と話し始めます。注意を素直に聞く心の準備ができます。
 あいさつはよりよい人間関係を築くうえで、大切なことです。あいさつができない子をそのままにしないで、その指導法を模索しましょう。挨拶をしても返せない子どもには、あいさつされているんだと感じさせるため、「Aくん、・・・・、おはようございます」と名前を呼んだ後に間を置くと、挨拶をする心の準備ができます。
 子どもがあいさつできるようなれば、挨拶の後に「今日も登校も早いね」などと言葉を付け足すと子どもとの関係がさらに良くなります。
 クラスが荒れてくると、子どもたちの態度がよそよそしくなります。教師が話しかけると「別に」などと無視するならば深刻な状態です。子どもと話す機会をつくる工夫が必要です。関係修復のきっかけは、公的時間の授業です。机間指導などをしながら話しかけます。繰り返していくうちに関係が少しずつ改善されます。
 子どもが興味関心のあることを話題にして、給食や休み時間に声をかけます。子どもは自分が興味を持っていることに関心を示してくれると、相手に好感を持つようになります。共通性を見いだすと、心を許すようになるのです。教師のことを好意的にとらえるようになります。
 クラスの荒れに一つの方法で対処してもダメなときは「この方法でもだめなんだなあ」と割り切り、「それもまたよし」とおうように構えて、新たな一手を考えます。深刻にならないで、長いスパンで考えることが大切です。
(
城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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思春期の子どもとのコミュニケーションはどのようにすればよいか

 思春期の子どもとのコミュニケーションの取り方について月村祥子はつぎのように述べています。
 私は臨床心理士の資格を持って少年相談専門職員ということで相談をお受けしています。相談は、親、子ども、学校関係者などが自主的にお見えになり、中学生・高校生についての相談が主になります。
 思春期は自立に向けて親離れ子離れという時期で、一時的に親子関係が悪くなります。友だちのほうが大事になります。
 思春期の子どもとのコミュニケーションの取り方として注意することは、たとえば「何々しなさい」とか「どうせこうだろう」という命令口調や断定的な言い方や上から目線でものを言うようなことは気をつけていただきたい。
 可能であれば「どう思う?」というようなことを言って、子どものほうが多く話すような環境をつくる。
 あとは、過去の話を持ち出さない、だらだら話さない、短くわかりやすい言いまわしをすることなどが大切だと思います。
 それから、子どもの要求を予測して親のほうが振り回されないようにします。思春期の子どもというのは「携帯を買ってくれないと学校へ行かない」と、親がドキッとするようなことを言うんですね。そこで「それは別のことでしょう」とうまくかわしたり、ユーモアで返すというようなことをしていただきたい。
 子どもと適度な距離を保つことも大切です。
 話をしていて子どもがイライラしてきたら、やめて親がその場からいなくなるというような、親が引くことも大切だと思います。また、別の機会に同じことを話すようにします。
 話し合いというと対話をしなければと思いがちですが「とりあえず言っておく」ということも大事なことだと思っています。子どもは言われると「ウザい」と言うのですが、言わないと「言われなかったからやらなかった」と言います。ですから、子どもがゲームをやっている後ろ姿にでもいいから「とりあえずこうだよ」と伝えておく。そして、あとで考えさせる。そういう距離を保ったつき合い方ができればいいと思います。
 注意などはメールで伝えて、顔を合わせるときは楽しくする。メモで置いておくなど、いろいろ工夫をしていただきたい。
 思春期の子どもなので、その子なりのプライド、落としどころを考えておく、ということも大切です。家出した子が「帰ってきてやった」という態度を示したりしても、気にしないで、いまはそうなんだろうと受け止めていただく。
 やはり大人のほうが、なるべく先入観を持たずに広い視野に立って、プラスの解釈をしてあげるということ。それから、子どものした「わずかなことでも評価して努力を認める」こと、自己肯定感を持ってもらうこと、失敗したことを怒るよりは、次に失敗しないような方法を考える、などが、できればいいと思います。「悪いところをなくすよりは、いいところを伸ばす」ほうが早いと感じています。
(
月村祥子:警視庁巣鴨少年センター少年相談担当主査を経て東京都世田谷区役所教育センター 総合教育相談室主任教育相談員)

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関わりを拒否する子どもでも、必ず関わりを求めている、安心感が与えられると、子どもは人とつながり自分で育っていく力を持っている

 たくさんの子どもたちの立ち直りに寄り添う中で、うまく動けないでいる子は、実は子ども自身が「自分とつながれない」中で生きてきたということを知りました。
 自分とつながっていないと、他人とつながれるわけがありません。その結果、自分をもてあまし、こちらが理解できない行動を取ってしまっていたのです。
 その「自分とつながれない」でいる子どもの隣に座って、子どもの世界を受けとめるだけで、子どもたちは安心して自分を出せるようになっていきます。
 安心感というのは、自分が自分でいいという、生きるための最低の保障です。これがないままに、教え込まれることは、ますます、自分はダメなのだと不安にさせるものなのです。
 嘆かれること、あきらめられること、怒り、大人たちの自分に向けるすべてのことを子どもたちは敏感に感じとります。そして、そんな大人を「嫌い」と避け、そう思わせている自分をもっと否定します。
 けれども、ひもといていくと、どんな関わりを拒否する子どもでも、ほんとうのところでは必ず関わりを求めています。親や先生に受けとめられて、自分らしく正しく導いてもらい、育ちたがっています。その土台は子どもたち自身では作れないのです。
 私は多くの子どもたちとの歩みの中から、子どもは「安心というふかふかの土壌が与えられる」と、それを栄養にして、人とつながり、自分で育っていく力を持っていることを教えられました。
 考えてみれば、私たち大人も、多くの人の愛を受け、力を借り、失敗や悩みの経験が大人に成長させてくれました。
 大人が手に入れた価値観や方法ばかりに縛られて、子どもをありのままに見られなくなっています。
 愛するわが子と上手につながることができて、子どもが立ちあがって歩き出せるように見守るためにも、私たちは、そんな自分自身を点検する必要があるのです。
 子育てに行きづまったり、悩むときにこそ、今まで気づかなかった自分や子どもを理解して、変化していくチャンスなのです。
 子育てや教育というものは、子どものためだけでなく、私たち大人が人間として成長するチャンスを与えてくれるのですね。そのカギは、ほかでもなく、私たち大人の心の中にあるということ。
 どうか信じて、子どもと向かい合ってみてください。子どもをあるがままに受けとめて歩むことで、お子さんとつながることができ、いっしょに笑える日がきっと訪れるはずです。
(
魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)


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まるごと、その子と向き合えるか

 子どもたちは、至らないところがいっぱいある。当たり前のことである。それを当然のこととして受けとめ、ずるさやいいかげんさも含めた、まるごと子ども全部を心から大切に思えるようになるには、時間がかかることだろう。
 教師はおしなべて、良い子がすきである。私も若いころ良い子が好きだった。良い子には私なりの基準があって、成績や運動能力や外見とは無縁のものではあったが、私なりのおメガネにかなった子どものほうが愛おしかった。
 しかし、遅刻が続く子どもたちの背景に何があるのかを知り、校則違反という不器用な自己アピールに隠された子どもたちの思いを知る機会を積み重ねていくうちに、私なりのおメガネがどんどん変容してきた。
 子どもたちをちゃんと知りたいと願い、ちゃんと知ろうとしてあがくなかで、子どもたちの抱える暮らしや、せつなさや寂しさや、怒りやおびえ、夢や願いに出会い、圧倒され、自分の物差しや価値観で子どもを決めつけることを慎むようになってきた。
 「ちゃんとしなさい!」は、今のあなたではいけないという断罪型の上から目線メッセージである。「どうしたの? 何かあったの?」は、今のあなたの状況を心配し、あなたのことをもっとよく知りたいと願う共感型のメッセージ。
 子どもたちは、矯正の対象として自分と向き合っているのか、共感の対象として向き合っているのか、瞬時にして区別してのける。
 気にかけられているという思いは、必要とされている思いとなり、自分はここにいてもいいのだという安心感に結びついている。
 まるごとその子を受けとめる。そのうえで「これはアカンやろ」という話が始まっていくのだ。難しい理屈はいらない。まずは「どうしたの?」から始めようではありませんか。
(
土田光子:1952年生まれ、35年間中学校教師。各地で講演をしている)

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子どもの問題行動の本質はつながりだ、どう指導すればよいか

 子どもの問題行動は、人とうまくつながれず、行き詰まっているところに行き着く。いじめも、人や家族とうまくつながれないイライラやわだかまりが、他の子に向かうことで起きる。少年院に来る子も同じだった。
 子どもたちの見せるさまざまな問題行動は、人とうまくつながれない葛藤の表れであり、できるだけ早い段階でそこをすくい上げ、丁寧に見てあげることが大事である。いけない行動だけを見た指導で終わらせてはならない。問題行動は人とのつながりを学ぶ大事な経験であり、仕切り直しをするチャンスなのである。
 私が関わった問題の9割以上のケースに改善が認められる一方で、なぜかうまくいかないケースがある。その違いの要因を探っていくと、教師や親の関わり方に同じ共通点があることがわかってきた。
 いい方向に変わっていくケースというのは、教師にしても親にしても、自分自身を柔軟に変えていける場合だ。
 自分自身の視点のズレに気づき、視点を切り替え、新しいスタンスで動いていくことができる。子どもの問題行動の意味を理解し、子ども目線で一緒に考えられるために、子どもとつながるのも早い。そこが安心の居場所となるために、改善がスムーズなのだ。
 一方、なかなか変わらないケースは、自分のこれまでの見方にとらわれて、どうしても切り替えられない場合である。
 いけない行動という視点から抜けられず、問題の意味や背景を踏まえて、理解しようとすることができない。「そんなことしても、どうせ無駄」「変わりっこない」と最初から決めてかかっていて、日々の関わりもこれまでと同じ対応になる。「やっぱり変わらない」と嘆いてしまう。
 頑なに自分の経験則にとらわれ、視点が切り替わらないと、こう着状態が延々と続くことになる。しかし、関わり方のささいな部分を変えただけで、翌週から事態が動き始めたりする。
 かたくなに動こうとしてくれなかった人でも、何かをきっかけにストーンと腑に落ちると、視点が切り替わる。すると、子どもも変わり始める。こんなことで、変わるのだと初めて納得してくれる。
 周囲の大人のつながる力が問われているということだ。結局、問題改善のために何が一番大切かといえば、私たち大人が、子どもの問題を通して子どもと共感的につながり、共に考えていける関係になることなのである。
 それだけで、問題の半分以上が改善するといっても過言ではない。なぜなら、それこそが、子どもが安心して育つ環境になるからである。
 子どもが育つのは、安心と信頼の土壌の上である。自分を理解してくれる周囲の大人に見守られる中で、初めて足元が定まり、自分らしく育っていけるのだ。そんな大人たちの中で、つながり方も学んでいく。
 いじめ、不登校、ひきこもり、虐待、自殺といった問題は、どれも、うまくつながれない子どもの叫びであり、それはそのまま私たち大人が抱える問題の表れなのだ。
 子どもの問題を通して、私たち大人が自分の問題として受け止め、子どもに寄り添う中で、共に成長していけたらと思う。
 周囲の大人がその子を見る視点や意識が変わったとき、子どもが育ち、生まれ変わることができるのである。
(
魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)

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うまく動けない子どもは自分とつながれない中で生きてきた 

 たくさんの子どもたちの立ち直りに寄り添う中で、うまく動けないでいる子は、実は子ども自身が”自分とつながれない”中で生きてきたということを知りました。
自分とつながっていないと、他人とつながれるわけがありません。その結果、自分をもてあまし、こちらが理解できない行動を取ってしまっていたのです。
 その”自分とつながれない”でいる子どもの隣に座って、子どもの世界を受けとめるだけで、子どもたちは安心して自分を出せるようになっていきます。安心感というのは、自分が自分でいいという、生きるための最低の保障です。これがないままに、教え込まれることは、ますます、自分はダメなのだと不安にさせるものなのです。
 嘆かれること、あきらめられること、怒り、大人たちの自分に向けるすべてのことを子どもたちは敏感に感じとります。そして、そんな大人を「嫌い」と避け、そう思わせている自分をもっと否定します。
 けれども、ひもといていくと、どんな関わりを拒否する子どもでも、ほんとうのところでは必ず関わりを求めています。親や先生に受けとめられて、自分らしく正しく導いてもらい、育ちたがっています。その土台は子どもたち自身では作れないのです。
 私は多くの子どもたちとの歩みの中から、子どもは、安心というふかふかの土壌が与えられると、それを栄養にして、人とつながり、自分で育っていく力を持っていることを教えられました。
 考えてみれば、私たち大人も、多くの人の愛を受け、力を借り、失敗や悩みの経験が大人に成長させてくれました。
 大人が手に入れた価値観や方法ばかりに縛られて、子どもをありのままに見られなくなっています。
 愛するわが子と上手につながることができて、子どもが立ちあがって歩き出せるように見守るためにも、私たちは、そんな自分自身を点検する必要があるのです。
 子育てにいきずまったり、悩むときにこそ、今まで気づかなかった自分や子どもを理解して、変化していくチャンスなのです。
 子育てや教育というものは、子どものためだけでなく、私たち大人が人間として成長するチャンスを与えてくれるのですね。そのカギは、ほかでもなく、私たち大人の心の中にあるということ。
 どうか信じて、子どもと向かい合ってみてください。子どもをあるがままを受けとめて歩むことで、お子さんとつながることができ、いっしょに笑える日がきっと訪れるはずです。
(魚住絹代:少年年院で非行少女の立ち直りに携わる。訪問指導アドバイザー)

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子どもにとって信頼できる教師になるためにはどうすればよいか

 生徒と教師の良い関係は、単に「好き」という感情だけでは成り立たない。確かに、「若さ」とか「かっこよさ」は子どもから好かれる要素ではある。
 しかしそれだけでは長続きはしない。子どもから見て信頼できる教師(大人)であるかどうかが決定的に重要である。
 高齢で風采のあがらない私のようなものにも子どもたちが笑顔で近寄ってくれるのは、私に、「教える知識や教え方の技量に対する信頼」だけでなく、私に「人間としての信頼」を子どもたちが寄せてくれているからに違いがない。
 教師として、このもっとも大切な「人間としての信頼」はどこから生まれるのだろうか。
 それは教師が「子ども一人ひとりを真にかけがえのない尊い存在と受けとめている」ところから人間としての信頼が生まれてくるのである。
 そのように子どもたちを受けとめるためには、その根拠が必要である。
 シュタイナー教育論では、「子どもたちに内在する限りない向上意欲」にその根拠があると見ている。つまり「どの子どもも生まれた瞬間から善意に満ち、個性的で、より良く成長する内発的なエネルギーを持っている」ということである。
 その子どもたちの事実を尊く受けとめるのである。
(大阪隆夫:1941年生まれ横浜市立中学校四校に勤務。「生き方を探求する会」会長として道徳教育を研究。シュタイナー教育を研究し各種学習会等で講義。ネット上の教育相談室で相談員)

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