カテゴリー「ものの見方・考え方」の記事

他人と過去は変えることができない   安次嶺敏雄

 他人と過去は変えることができないと安次嶺敏雄はつぎのように述べています。
 学級担任として、目の前にいる子どもたちが学習や遊びに取り組むようにするには、どこから、どのように手をつけていいのか苦悩の連続であった。
 しかし、早く何とかしなければと焦れば焦るほど、問題は一層泥沼化し、小言や叱責が多くなり、子どもたちは私から一人、二人と離れていき、孤立無援の状態になることが度々あった。
 そんなとき、経験豊富な生徒指導主任は、私の一部始終を見ていたかのように、たった一言、
「『他人と過去は変えることはできない』という言葉があるよ」
 と、何気なくつぶやいた。
 初めのうちは、その言葉の意味がよくわからなかったが、生徒指導の本を貸してもらったり、雑談を交わすうちに、少しずつ理解できるようになった。
 子どもに対する私の要求や思いがあまりに強く前面に出て、一人相撲となり、子どもを追い詰め、自分自身をも窮地に落とし入れたのではないかと気づいたのである。
 子どもの問題行動が起きたとき、担任として一気に解決を図りたいという思いが強い。
 私はこの思いを長年胸に抱きつつ、注意・説教・約束など、あらゆる方法で解決に取り組んできた。
 ところが、結果的に問題解決につながったものは、なかったように思う。
 人は脅しや約束、説教で変わるものではない。
 子どもにすれば教師との約束は一時しのぎに過ぎない。
 その後の子どもたちの行動を見れば火を見るより明らかである。
 つまり、外からの圧力や指示よりも、自尊心や人間性など内面への働きかけが、いかに有効であるか、身を持って痛感させられた。
 人間は、指示や命令で変わるものではなく、子どもといえども、人格と人格、魂と魂のふれあいによるものでなければ、人は変わるものではないことを、失敗や苦悩する中から、やっと気づき始めた。
 教師としての思い上がりが、ときとして子どもへの指導という名の一方的な強制であったり、押しつけであったりしていないか、反省している。
 子どものあるがままを受け入れ、内面を理解して自己変容を図るという、教育相談的な手法について、気づかせてもらった。
 いい先輩教師とのめぐり合わは、教師としてラッキーだったと感謝している。
(安次嶺敏雄:元沖縄県公立小学校校長)

 

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つらいときほど運がたまる   萩本健一

 つらいときほど運がたまると萩本健一はつぎのように述べています。
 実はぼく、30歳のころ自殺しようとしたことがあるんです。
 週刊誌にボコボコに叩かれたことがあってね。
「萩本健一は血も涙もない男」だとか「どこそこの記者を殴った」とか。
 もちろん殴ってなんかいないのに、ひどいね。
 さすがに落ち込んで、熱海の崖から飛び降りて死のうかなと思ったら、当時のディレクターの常田さんや母親の顔が浮かんできた。
 あっ、常田さん、泣いちゃうよ。母ちゃん、泣いちゃうよ。
 そう思ったら、死ねなくなった。だから死なないことにした。
 これ、優柔不断な性格も幸いしたね。
 仕事でもそうだけど、自分のためだけじゃなくて、誰かのためにやっていると、途中で投げ出さないよね。
 自分のためだけだと、つらくなると、やめてしまうでしょ。
 でも、たとえばお世話になった人にお返しをしたいと思ったら、途中で投げ出せないよ。
 ぼくなんか、まさにそうだった。
 コメディアンの才能がないってわかったけど、ぼくが子どものころ、借金取りに土下座して、泣いていた母親のことを思うと、途中でやめるわけにはいかなかった。
 極度のあがり症などでうまくセリフが言えず、演出家から「君は才能がないからやめたほうがいい」と言われて落ち込んだ。
 先輩芸人が演出家を説得し「大丈夫、演出の先生に言ってきた。ずっといていいよ」とぼくを引き止めた。
 その後、演出家から、
「萩本は才能がない。しかし、これほどいい返事をする若者はいない。あいつの“はい”は気持ちがいい。“はい”だけで置いてやってくれ」
 と、先輩芸人が説得したことを知らされた。
「芸能界はどんなに才能がなくても、たった1人でも応援する人がいたら必ず成功する」
「もしかしたら、お前を止めさせないでくれという応援者がいる。お前は成功するから頑張れ」
 と、言われ奮起した。
 誰も居ない劇場で早朝に大声を出す練習をしたり、先輩芸人の真似を何度も繰り返した。
 お金持ちになって、母親の家を建ててやりたとい思ったからね。
 伝記やイソップ物語にもずいぶん助けられました。
 偉くなった人や名を残した人って、子どものころや若いころに貧乏したり、ひどい目に遭っている人が多いでしょ。
 つらいことがあっても、これは運が育っていて、将来は運が開くんだと思えた。
 人生、つらいことや大変なことはあるけれど、見方や視点を変えることで、運を呼び込めることもある。
 ぼくが貧乏しているとき「今は運がたまっているときなんだ」と思ったようにね。
 人生、考え方一つ、行動一つで、楽しくなるんじゃないかな。
(萩本健一:1941年東京都生まれ、コメディアン。コント55号で人気を集めた。その後、テレビの司会・舞台などの演出などで活躍した。社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督として人気球団に育てた)

 

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お茶の侘び寂びの心とは何か   千 玄室

 戦後、日本が立ち直ってきたのは偉大な文化があったからです。
 その文化の主流がお茶道です。
 晩秋は、ススキがたなびいているばかり。
 この枯れきった大自然の風情こそ、ほんとうの侘びの世界で、そこに茶の境地がある。
 利休は、この心にさらに雪間の草の美と自然を力強く生きぬこうとする道理で、さらに一歩追究した。
 春四月、草木は色香を競い、野鳥も春を謳歌する。
 しかし、遠い山のいただきには白雪が消えず、山里には冬のなごりの雪が残っている。
 その下には草の新芽がふき出している。
 ものいわぬ草にも冬の試練に耐え抜いてきたという誇らしげな力強さが盛り上がってきている。
 これから動き出そうとする静寂の境地なのである。
 時到れば、はっしと発するこの堂々とした自然の力にいい知れぬ美と心を感得し、これこそ茶の道だけがもつ心でなければならないと説かれたのである。
 晩秋が行きついた陰の極、この雪間の草の春は、これから動き出そうとする陽のはじめである。
 それはまったく紙一重、背中あわせの距離にある。
 この両極をもたせなければ茶道はなりたたないとした利休の大きさはたとえようもなく広大である。
 無限の大道である。
 捨て身になって修業し、実践して、はじめて道がつけられるものなのである。
 私どもは雪間の草の美を見いだす感覚の鋭さをもたねばならない。
 そこに侘び寂びの心を把握し、この道の両極をしっかりわきまえなければならないのである。
 濃茶は抹茶のなかでも質のよいもの。
 一つの茶碗に練り、正客から順に回し飲みします。
 同じ器から同じものをいただく、そこに自然と和の気持ちが養われるのです。
 茶を共にいただき味わい、主は客に心をこめて、もてなしをなす。
「わび」「さび」が生まれるのも「もののあわれ」からで、「もの」に対するいたわり、すなわち自然観の表れであると、茶の湯者の珠光が弟子の古市播磨に与えた一紙がある。
 その『心の文』の中に、茶をする者の心掛けは、世のもののあわれを知り、我執を戒めることと記されている。
 もののあわれは自然体である。
「わび」は「侘(わ)ぶる」から生まれたものといわれ、飾りのないそのままの姿形をいう。
 西行や芭蕉は自然に振る舞えた「無」の境地にあった人であった。
「さび」は枯れ果てた中に芽生える自然の力を表し、何もかもそのもの一つにすがり生きようとする意でもある。
 どん底、すなわち何もないところから生きようとするところに「わび」「さび」の哲学が生まれる。
 日本人の精神的な支柱は、こうした無の境涯と生きようとする努力が自然とともにあるのだろう。
(千 玄室(せん げんしつ):1923年生まれ、1964年から2002年まで茶道の裏千家15代家元。世界60か国以上を訪問し、茶道を通じた世界平和と日本文化の国際的な理解の促進につくす。ユネスコ親善大使にも任命されている。京都大学大学院特任教授・大阪大学大学院客員教授として、伝統芸術研究領域における指導に当たる)

 

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不運なことがおきても、考え方をかえるだけで人生にこわいものなし

 日常生活を送っていると、いいこともありますが、不運なことも起き、心が折れてしまうこともあります。
 そういう場合の対処法として、植西 聰は「楽天の発想」を提唱しています。
 どんな深刻な場合でも、マイナスの心をプラスの心に転換させてしまう考え方です。
 自分の心の中を変えるだけで、逆境がバラ色に変わってしまうのです。
 この発想法を身につけてしまえば、人生は怖いものなしです。
 植西は「楽天の発想」を身につけたことで、様々な問題を解決してきました。
 植西は次のような体験事例を紹介しています。
1 自分が変われば世界は変わる
 植西が就職したとき、人間関係で悩みました。
 どうしたら職場の人たちとうまくやっていけるか悩み、辞めようかとも思いましたが「楽天の発想」で乗り切ったのです。
「この職場は人間修業にはもってこいの環境だ」
「性格も価値観も全く違う人たちと、うまくやっていくことができれば、心が広くなりどんなタイプの人ともうまくやっていく能力が身につく」
 と考えたのです。
 相性が合わない人がいても、その人の考えを変えようとするのではなく、自分が変わればいいのです。
 自分が変われば世界は変わるのです。
 その結果、どんな人としでもうまくやっていく知恵が生まれ、苦痛から楽しみに変わったのです。
2 不運のあとに幸福がやってくる
 私が海外へ行った帰りの空港で財布を落としてしまったことがありました。
 不運なことが身に降りかかってきたら、
「不運のあとに幸福がやってくる」
 と、ポジティブに考えれば、心はマイナスの状態からプラスの状態に変わっていくのです。
 一週間後に空港の人から「財布が届いている」と連絡がきたのです。
 どんな逆境に遭っても、悩まず、落ち込まず、前向きに考えていれば、やがて幸運に恵まれるのです。
3 出来事の「プラス面」に注目する
 私は運転免許を取得して5年経った頃、山道で対向車が寄ってきて、道路下に転落したのです。
 幸いにも一回転して止まったのです。一歩間違えれば下の方まで落ちてしまい、大けがをしてしまうところだったのです。
「こんな事故を起こしたにもかかわらず、かすり傷ひとつ負わずに済んだ」
「私はなんて運がいいのだろう」
 と、プラス面に心をフォーカスさせたのです。
 たとえ、マイナスのことが起きても、あくまでもプラスの面に心をフォーカスすれば、すぐに立ち直ることができるのです。
 私はどんなマイナスの状態になっても、この「楽天の発想」で人生を乗り切ってきました。
 私は何が起こっても
「起こることすべてよし」
「自分に降りかかってくる全てのことは、神の恵みである。したがって何事にも感謝」
 と考えています。
 すべては心の中側の問題です。
 自分の心の中を、マイナスからプラスに変えることができれば、どんな逆境でも乗り越えられ、立ち直れるのです。
(植西 聰:資生堂を経て著述家、心理カウンセラー)

 

 

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音楽を聴きに来る人は、指揮者や楽員の幅や高さや深みなどの人間性を見にきている

 小澤征爾は音楽、指揮について、つぎのように述べています。
 音楽を聴きに来るお客さんにとって大事なのは、楽員が弾いているバイオリンの曲や書いた作曲家をどう解釈して弾いているのか。解釈した人間性が出てこなきゃいけない。
 弟子を教育していて考えるのだけれど、一番悪い弟子はね、僕の真似やカラヤンの真似をしたりする人。
 カラヤンはカラヤンの育ちがある。ピアノがうまく才能もすごい。
 そうじゃない人が真似をしたってダメだろうと思う。
 表面的なことは真似ができても、人間の中身は真似ができませんから。
 指揮者は楽員の7割ぐらいが納得してくれれば相当うまくいく。
 指揮者の考えに3割の楽員が賛成じゃなくても、
「まあ、しょうがない小澤征爾だから」
 と、信頼して弾いてくれる。
 信頼してついてくるようになるためには、こうやれというのではなくて、
「あなたはどう演奏したいの?」と。
 で、ちょっとその楽員の向きや方向を指揮者がつくってあげて、それにその楽員を乗っけてあげる。
 そうするとその楽員も自然にやりたいように演奏する。
 ほかの人たちも指揮者をみて、
「なるほど、ああいうふうにいくんだな」
 と、なるわけね。
 楽員は指揮者にコントロールされているかはわからないが、
「演奏したいように演奏しているようになっていくのが一番いい流れ」
 だと思うんです。
 悲しみや喜びは人から教われないから、自分が見たり、悲しんだりした経験が大事です。
 特に、ずっとまじめに音楽の技術を勉強してきた人ほどわかっていないことがある。
 音楽での悲しみや喜びの表現は奥深いんです。
 一人ひとりの経験の中からじわじわっと出てくる。
 結局、お客さんは音楽を聴きに来て、幅や高さや深みがあったりすることで満足してくれるわけです。
 楽譜に書いてある通り几帳面にやって、
「はい、これで終わり」
 の演奏をされたら、みんなバカバカしくなって音楽を聴きにこなくなっちゃいますよ。
 音楽を聴きに来るお客さんは楽員や指揮者の人間性を見にきているんだと思うんです。
(小澤征爾:1935年生まれ、指揮者。2002~2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。日本人音楽家として最も世界的に成功した音楽家)

 

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「変わりたい」と切に願った瞬間、眠っていた良い遺伝子が目を覚す

「変わりたいと切に願った瞬間に、眠っていた遺伝子が活性化する」とは、新しい遺伝子が目覚めることであり、それまで活発だった遺伝子が影を潜めることに他ならない。
 子どもの頃はおとなしくて目立たなかった子が、大人になって有名になったということはよくあるし、その逆もしかりである。
 村上和雄は言う、
「ある環境に巡り合うと、それまで眠っていた遺伝子が『待ってました』と活発にはたらき出すことがあり、そういうとき人は変わることができる」と。
「新しいものにふれることは、OFFになっていたよい遺伝子を目覚めさせる絶好の機会」なのだそうだ。
 なるほど、「中学生デビュー」や「高校生デビュー」というものがあるのもうなずける。
 人間の能力を抑える最大の阻害因子は、マイナス的なものの考え方です。
 生き方の鍵を握っているのが「ものの考え方」だということです。
 マイナス発想は好ましくない遺伝子を働かせる可能性があります。
 感動で涙をこぼすと、人は良い気持ちになります。良い遺伝子が働くからです。
 人間の遺伝子の中には、代々の祖先だけでなく、過去何十億年にわたって進化してきた過程の記憶や能力が入っている可能性があります。
 極端に言えば一人の人間の遺伝子に人類全ての可能性が宿っています。
 だから優れた親は、パッとしない自分の子どもを見てガッカリしてはいけないのです。
 実際に働いている遺伝子は5~10%に過ぎません。つまり人間の持つ潜在能力はとてつもなく大きいのです。
 パッとしないのは遺伝子がONになっていないだけ。いつどこでどんな才能に火がつくかわかりません。
 遺伝子の働きは、それを取り巻く環境や外からの刺激によっても変わってきます。
 ある環境にめぐり合うと、それまで眠っていた遺伝子が「待ってました」と活発に働き出すことがあります。そういうとき、人は変わることができます。
 行き詰まりを感じている時、環境を変えてみるとよいようです。
 動くと人は伸びます。新しいものに触れることは、OFFになっていた良い遺伝子を目覚めさせる絶好の機会です。
 40年近い研究生活の結論として「人の思いが遺伝子の働き(オン・オフ)を変えることができる」と村上氏は確信するようになりました。
 昔から「病は気から」という言い方があります。
 心の持ち方一つで、人間は健康を損ねたり、また病気に打ち勝ったりするという意味ですが、村上氏の考えではそれこそ遺伝子が関係しているということなのです。
 つまり、心で何をどう考えているかが遺伝子の働きに影響を与え、病気になったり健康になったりします。
 心を入れ替えると心の変化により、今まで眠っていた遺伝子が活性化します。
 阻害因子を取り除けば人間の能力は百倍も千倍も発揮できます。
 悪い遺伝子をOFFにし、良い遺伝子をONにする方法として、どんな境遇や条件を抱えた人にでもできるのは、「心の持ち方」をプラス発想することです。
 自分にとって不利な状況の時こそ、プラス発想が必要なのです。
 プラス発想をする時、私たちの体はしばしば遺伝子がONになるのです。
 どんなにマイナスに感じられる局面でも、結果をプラスに考えるのが、遺伝子コントロールのためには何よりも大切なことなのです。
 また、感動、喜び、笑い、などによっていきいきワクワクすれば、眠っている遺伝子の目を覚まさせることができると村上は確信しています。
 遺伝子をONにするもう一つの方法は、ギブ・アンド・ギブの実践であると村上氏はいいます。
 人間関係の基本はギブ・アンド・テイクと一般には考えられていますが、でも心構えとしてはギブ・アンド・ギブが正解なのです。
 遺伝子をONにもっていきたいのなら、ギブ・アンド・ギブの方がはるかに効果的です。
 本当に大きなテイクは天から降ってくる。そういうテイクをとりたいのなら、ギブ・アンド・ギブでいくべきです。ギブ・アンド・ギブでやっている人の周りには人が集まってきます。
(村上和雄:1936年奈良県生まれ、DNA解明の世界的権威、筑波大学名誉教授)

 

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ノイローゼ気味になっていた私を治してくれた名医が、川であった

 医者になって三年経った頃、いくらかノイローゼ気味になっていた私を治してくれた名医が、ほかならぬ川であった。
 総合病院に研修医として勤め始めてみると、治る病気は教わったマニュアルの適用をまちがわなければ、ほとんど自然に治っていった。
 そして、まるで目の粗いフルイにかけられたように、治らない病気が残り、いかに努力してみても患者さんたちは亡くなっていった。
 長男が生まれた頃、私は死のことばかり考えていた。
 生まれて数か月の長男を風呂に入れていると、病院から呼び出しの電話が鳴る。病棟で患者さんの最期を看取って帰宅すると、新しい生命は妻の乳房を一生懸命に吸っている。
 数時間の間に、人間の出発と臨終の光景を交代に見せつけられる生活を繰り返しているうちに、思考が停止してしまった。
 ある日、病院の中にこれ以上居続けていると発狂しそうな気がして、裏を流れる川の岸に出てみた。
 おだやかな初夏の陽光を体一杯に受けて、川岸の石に腰をおろし、川面を見ていた。
 水の反射に目が慣れてくると、水中の様子がよく見えてきた。生まれたばかりらしいハヤの子たちが浅瀬に群れていた。
 これから待ち受けているはずの自然淘汰の荒波も知らぬげに、精一杯水流に逆らっていた。
 そして、さらに深い流芯を、アユの群れが泳いでいた。たった一年しか生きないこの魚たちも、自分たちの受けた貴重な生を完全に燃焼しつくそうとしているかのように、鋭い泳ぎで上流に登っていった。
 川岸の乾いた砂の上に、私の猫背の影が映っていた。静止し、活気のないその影を見ているうちに、なぜだか目頭が熱くなってきた。
 思考するのを拒否していた頭の中に、生命の誕生と死の間を結ぶ川のようなものが流れ出した。
「あいつらとおなじなんだ」
 ほとんど声に出して叫びたい衝動を抑え、大きな深呼吸を二、三度してから、私は背を伸ばし、一歩一歩に力を込めて病院にもどった。
 それ以来、なにかあると川を見る。
 誕生が山の湧き水だとするなら、死は海であり、人生は川の流れそのものだと言えるだろう。
 人間は川の流れに乗った考える藻にすぎない。どんなに考えたところで、川は海に向って流れて行く。それならば、まず流されている自分を自覚するところから、考えることを始めればいい。
 生まれたばかりのハヤの子や、短命のアユ、そして、流れている川そのものが、生きることに疲れたふりをしていた私に、貴重な忠告をしてくれたのだった。
(南木 佳士:1951年群馬県生まれ、芥川賞作家、医師)

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心の悩みや苦しみをなくすには、どのようにすればよいのでしょうか

 実に多くの人々が苦しんでいます。生きがいが見出せないと悩んでいます。何をしても楽しくないと思っています。どうすればよいのでしょうか。
 心に苦しみを抱かえていては、地位も、財産も名声も意味を持ちません。「一番大事なのは心であり、心が苦しまない」ことほど大事なことはないのです。
 これこそ釈尊が一生をかけて伝えようとしたことなのです。私は心を楽にする方法として、禅の考え方が非常に大事だと思うようになりました。
 禅とは、私たちが「本来の心」に気づく方法です。人間の心は不思議なものです。心を覆う暗雲に気づくだけで、サーッと晴れ、ものすごく楽になれるのです。
 私たちを苦しめる最大の悩みは「過去を思い出す」ことです。失敗、つらい体験、受けた侮辱などを思い出し、人を憎み自分を責めます。
 恨みを晴らそうとしても何も得るところはないのです。その結果「自分はだめだ」と自己否定の気持ちがつのってきます。
 釈尊の「諸行無常」(すべてのものは一瞬として同じ状態になく、別の状態に変化する)の考え方が、この苦しみから私たちを救います。
 
「過去」の私や他人と「今」の私や他人は「別人で関係ない」ことがわかります。今のこの瞬間にしか存在しないということです。
 釈尊は、私たちが苦しむのは、不必要なことを考え、思い出すからだと言っています。考えても意味がないことは考えない、それが最も大事だというのです。
 過去を考えなければ地獄は生じません。心を気楽に保つためには「過去を思い出さない」のひとことに尽きるのです。
 将来は「思わず」が非常に大切です。考えることで将来への不安が生まれ、心配が強められるからです。将来への不安は、他人との比較が原因である場合が多いので「比べず」が重要なのだとわかってきます。
 何にもならない心配をして心を労するのは、ばかげています。そんな心配をしないよう、私は「思わず、思い出さず、比べず」と、毎朝、自分に言い聞かせています。
 思いだしても考え続けないことが、心を楽にする最も大事なことだと、私は思うようになりました。そこで、何かが思い出されたときは「五秒待てば必ず消える」を実践するようにしています。
 五秒の間は、思い出したことに取り合わないのです。すると、本当に嫌な思いが消えるのです。「五秒、妄想に手をつけないようにしよう」というのが、今の私の生き方です。
 釈尊は、私たちは無限の能力のある仏と同じ心を持っていると悟りました。能力を発揮できないのは、妄想、煩悩、欲望の雲が心を覆っているからです。この雲をできるだけ少なくするのが禅の修行です。
 
「禅は考えない修業だ」と言った人がいますが、まさにそうです。心を苦しめるさまざまな思いに満たされています。それを「考えない」「思いださない」のが禅の修行です。
 道元禅師は、座禅すると「宝蔵自開」するといいました。私たちの持っている無限の能力の蔵がおのずから開かれ、力を使うことができるというのです。何とすばらしいことではないでしょうか。
 私は毎朝、座禅しています。「心を正したい」「心を乱すことを考えない」ためです。
 私たちが「考えまい」「思い出すまい」とするのを邪魔するものがあります。いうまでもなく人間関係です。
 人間関係で大切な、他人への対し方は、他人の自分への対し方と合わせ鏡であるということです。
 人間は、自分を嫌う人を必ず嫌います。不思議なくらいそうなのです。ですから、人に好かれようと思ったら、こちらが好きになる以外にないのです。
 相手に親切にし、やさしくします。相手が反応しなくても、やめてしまってはいけないのです。こちらが思うように相手は変わらないからです。続けることです。続けているうちに相手の心は必ず開けます。
 あせるのはいけません。「なるようにしかならない」「時節がくればわかってくれる」と気楽に構えて努力すればいいのです。やがて事情が変わったり、理解してくれたりして、関係はよくなるでしょう。
 人間はどんなよい意見でも嫌いな人の言うことは信じません。つまり自分を信じてもらうには、まず好かれることが大切で、好かれるにはお世辞も大事だということです。
 人をほめることは非常に大事なのです。欠点は取り上げず、よいところだけほめると、人間関係をよくします。人は欠点を批判されると非常に傷つき耐えることはできません。
 私たちは意識せずとも、人の笑顔を見ると自分の顔もやさしくほころび笑顔になるのです。人は楽しい思いをしたいのです。明るい笑いがあることを望んでいるのです。
 ぜひ他人に笑顔で接しましょう。あなたが笑いかければ、それを見た相手は必ず楽しくなり、笑みを返すのです。
 私は、自分が欠点だらけだと思っていた頃は、自分自身が嫌いでした。同時に自分を批判しそうな人を嫌いました。その当時は、多くの人間関係がうまくいかなかったものです。
 ところが自分を好きになるように努力すると、他人の批判にもそれほど過敏でなくなり、嫌うことも少なくなって、人間関係が万事うまくいくようになったのです。
(
高田明和:1935年静岡県生れ、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て浜松医科大学名誉教授。専門は大脳生理学、血液生理学。医学博士。テレビやラジオ、全国での講演を通じて、心の健康に関する幅広い啓蒙活動に勤しむ)

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苦しいときこそ「笑いのある場」に身を置けたら救われる

 苦しいときこそ笑いましょう。意識的にわらうことが大切です。私は新聞記者として日々事件を追っていたが、なぜ「笑い」に魅せられたのか。明石屋さんまといった大阪の芸人さんを取材して、笑いに興味をもったのがきっかけです。
 面白いことを積極的に見つけ「多く笑う」ことが、今の世の中で最も強く求められていることではないか、と私は思います。
 東日本大震災で家を流失して避難所生活を送っている婦人がいました。仲間とともに食事を作っているときに、誰かが冗談を言うと、そのつど笑いがおき、笑うことでみんなが支え合っていたと後に彼女は語っています。
 避難所生活には、希望を取り戻そうとする人々の結束があります。同じ哀しみを抱く人々が寄り添う場があります。この場は被災者に限らず、すべての人が欲しているものだと思います。不安と孤独を抱えながら生きる人が「笑いの共同体」に身を置けたら、どれだけ救われるかわかりません。
 ここでの笑いに求められるのは、話術ではなく、まして毒舌や皮肉でもなく「やさしさ」です。「やさしさ」には強さも必要です。人を元気にしたいなら、自分の中にもパワーがなくてはなりません。そこで、「自分で自分を笑わせる」ことも、重要になってきます。
 「相手を笑顔にしよう」という思いやりに基づく、たわいのない冗談。これなら芸人なみの技術などなくとも、みんなにできるでしょう。
 それには、どうすればいいでしょうか。答えは簡単です。「笑顔をつくり、笑い声を立てる」だけでいいのです。笑顔をつくると、表情筋の変化を感知した脳は「面白いと感じている」と認識します。笑い声を立てると、同じく脳が「楽しいのだ」と思い込み、幸せな気分になれるのです。
 この笑いのトレーニングは、お風呂で、笑顔をつくって「ワハハハ」と五回、言ってみてください。言い終わったとき、確実に気持ちが明るくなっていることを感じるはずです。
 コミュニケーションに笑いを増やすには、ネタが必要です。相手を笑顔にできるような話題を、数多く仕入れておきたいところです。「ネタなんて見つけられない」などという心配はご無用。日常のあらゆるところに、笑いのモトは転がっているものです。
 例えば、先日、私がバスの中で聞いた女子高生たちの会話。「『煮炊きもの』ってなに?」「ニタキモノ? 知らない」「どこで売ってるんだろ」・・・・・笑いをこらえるのに苦労しました。
 劇作家の中島らもは、これを「笑いの天使」と表現していました。呼んでもいないのに笑いの天使が降ってくると語っていました。私たちの周りにも、必ず笑いの天使がいて、そっと目の前に立っているはずです。
 天使と目が合ったら、ぜひ笑ってください。そして、誰かにその話を伝えましょう。そうして人から人へと広がる笑いは、この世界をきっと、明るく照らすでしょう。
(
近藤勝重:1945年愛媛県生まれ、毎日新聞社特任編集委員)

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人間には本来、悩みなどないと考えるべきだ、悩みが生まれるのはとらわれた見方をしているからだ

 人間には本来、悩みなどないと考えるべきだ。もし悩みがあるとすれば、自分がとらわれた見方をしているからだ。
 からだが弱い、失恋をした、人間関係がうまくいかない、仕事で失敗をした、など人それぞれにいろいろな悩みがあるでしょう。そうした悩みというものは、なぜ生まれてくるのでしょうか。
 本来、悩みなどない、と考えるべきではないかと思っています。本来ないものがあるのは、自分がとらわれた見方をしているからだ。
 人それぞれ事情があっていちがいには言えないと思います。けれども総じて言えば、そうした悩みというものは、物事の一面のみを見て、それにとらわれてしまっているところから生まれている場合が多いのではないでしょうか。
 私はどちらかといえば神経質な方で、毎日が悩み、不安の連続であった。しかし、あとで考えてみると、やはり一つの見方、考え方にかたより、とらわれていることが多かったように思う。
 ただ、不安に終始してしまうということはなかった。そのとらわれている見方から離れ、別の考え方に立つことによってその不安や動揺を押しきるというか、乗り越えるように努めてきたわけです。
 その一例としてつぎのようなことがありました。私の会社が大きくなり、社員を50人ばかり使うようになったころ、その中に一人、ちょっと悪いことをする者がいました。その人をやめさせたものかどうか迷い、気がかりで夜も眠れないのです。
 ところが、あれこれ考えているうちに、ハッと思いつくことがありました。それは、今、日本に悪いことをする人が何人ぐらいいるかということです。悪いことをする人を完全になくすことはできない。しかも、とくに悪いことをする人たちは監獄に隔離するけれど、刑法にふれない軽い罪の者はこれを許し、見のがされている。
 だとすれば、自分が、いい人だけを使って仕事をするということは、虫がよすぎる。そう考えると、悩みに悩んでいた頭がスーッと楽になりました。そして、その人を許す気になったのです。それから後は、そういう考えに立って大胆に人が使えるようになりました。
 こうした体験が、これまで数知れずありました。日々の悩みや不安、動揺がきっかけとなって物事を考え直し、それがかえって後々のプラスになることが多かったのです。
 考えてみれば、今日のように変転きわまりないめまぐるしい環境の中で、次々に生じてくる新しい事態に直面して、そこに何らの悩みも不安も感じないということはあり得ないと思います。あれこれと思い悩むのが人間本来の姿でしょう。
 やはりお互いに、日々、悩み、不安を感じつつも、敢然としてこれに取り組み、そこから一つの見方にとらわれずに、いろいろな考えを生みだすよう努めていく。
 そうすれば物の見方にはいろいろあって、一見マイナスに見えることにも、それなりのプラスがあるというのが世の常の姿ですから、そこに悩みや不安を抜けだし克服していく道もひらけてきます。
 つまり、それらが悩みや不安ではなくなって、ことごとく自分の人生の糧として役立つという姿が生まれてくると思うのです。
 そのようなことから、お互い人間には、本来、悩みなどない、と考えるべきではないかと思っています。本来ないものがあるのは、自分がとらわれた見方をしているからだ、と考えて自らを省みることが、悩みの解消のためには最も大切ではないかと思うのです。
(松下幸之助:18941989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

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