カテゴリー「教材研究」の記事

国語科:読みの力をつける教材研究はどのようにすればよいか    渡邉 徹

 読みの力をつける教材研究について渡邉 徹はつぎのように述べている。
 教材をどう読むか。
 ここに、子ども一人ひとりに読みの力をつけるか否かのポイントがある。
 教材に書かれている事実から、いかに書いていない書き手の思いにせまっていくことができるか。
 言葉に内包されているものをいかに読み取っていくかの力量が求められるのである。
 その方法として、教材文を書き写して言葉一語一語に寄り添ってみることである。
 そうして、自分なりに思いついたこと、感じたこと、調べてみたことなどを書き込んでみる。
 関係がありそうな言葉と言葉を線で結んでみる。
 すると、思わぬことを発見する。
 主人公の行動を追っていくと、心の屈折が見えてくることもある。
 はじめは、指導書を参考にすることもよい。
 少しずつ、書き手の息遣いが聞こえてくるだろう。
 書き手は、この言葉にこんな思いを託しているに違いないと推察できてくる。
 また、書き写さないまでも、コピーしてそれに書き込んで考えてみるとおもしろい。
 この繰り返しで、教師に教材研究の力がついてくるのである。
 こうして、分析したのちに、どの言葉を通して、どんな力を一人ひとりの子どもにつけてやるのかを明確にしていくことがどうしても必要なことである。
 読みの力をつけるには、より精密な教材研究が欠かせない。
 同じ作者の作品を読むこともいい。
 パソコンから資料を引き出すこともいい。
 それよりも教材文に寄り添って読む、書くことを勧めたい。
 すると、そこにその言葉がおかれている意味がわかってくる。
 書いてあるものから、書いてないものが見えてくるのである。
(渡邉 徹:静岡市立小学校長、幼稚園長を歴任。「日本国語教師の会」に所属)

 

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私の教材集めの方法とは

 教師が日常生活で情報を集めるのに2つの型がある。
 一つは、指導の目標や内容のはっきりしている教材あるいは資料の収集である。
 たとえば、詩や俳句を集めるとか、同テーマの文章や新聞の切り抜きを集めるなどである。
 もう一つは、発想のヒントを得るために集めるというものである。
 新聞のコラムに盛られた内容を読み、そこから考えられる要素を自分の生活、体験、知識、教養と関係づけて問題を明確にし、思考の方向性を導きだそうとするものである。
 授業を構想し内容をきめていく元になる素材というべきものである。
 発想をうむための源で、そこから発想しようというのである。
 教師個々の生活のパターンによるが、一般的にはマスコミ(新聞、テレビ、ラジオ)から得るものは多いと思う。
 気になったら集め、切り抜き取っておく。
 あとでひらめいたりすることが出てくるのである。
 保存するとき箱に入れておいて、学期に一度取り出して分類するという方法もある。
 全国各地、いろいろな行事がある。ニュースで取りあげられることもある。参加できることもあろう。
 その地域でしか知らないこと、人々の思いや願いがこめられている。
 それを子どもたちに共有させたいということも出てくる。
 旅は新たな発見があり、出会いがありで、視野が広がる。
 異なる視点のあることを知り、ことばをおぼえ、文化を知る。
 ずれを発見することの大切さを知り、教室に生きてはたらく。
 人の生き方に対しての好奇心である。
 その人の生きてきた道、出合ったいろいろなこと、そこから出ることば(思想のあらわれ)に興味を持つことだ。
 日ごろから人への興味、好奇心を持っていると、授業づくりのヒントになってくる。
 インタビューや教室にきていただいてお話をということも。
 仕事の達人、外国人、身近な先輩など「人」は有力な教材である。
 集めるにしろ、心にとまったものをメモするにしろ、教師の思いや意志がなければ、外界の何かに触れたところで動き出しはしない。
 集めたメモや切り抜きは、それを広げたり、学習者である子どもたちを思いおこしたりしたときに予期せぬ動きを起こす。
 その動きが授業構想につながるのである。
 蓄積されて、それがエネルギーになるのである。
(安居総子:1933年生まれ、35年間中学校国語教師を勤めたあと岐阜大学教授、大正大学教授を歴任した。学習者側に立つ国語教室の運営を通して、国語教育実践理論の研究を進めた)

 

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面白くて、わかる教材「学習ゲーム」というのは、どのようにして生まれたか

 横山験也さんは「学習ゲーム」という新しい分野を創り出した人だ。
 横山さんが学習にパズルやゲームを取り入れた理由を次のように述べています。
 まじめに授業すると、子どもたちののりが悪い。
 それで、常に笑いをとるような授業したんです。
 そしたら、子どもたちが食いついてきた。
 また、パズルやゲームといった楽しみを取り入れたら、ものすごい喜びよう。
 やる気とは「楽しみをまぶすことで、引き出されるものかもしれない」と思って、パズルを作り始めたんです。
 つまり「わかる=おもしろい」というのが、それまでの教師の方程式だったけれど、横山さんは「おもしろい=わかる」を目指して教材開発をした。
 面白くて、楽しくて子どもが「もっとやろう」と言う活動を通して勉強ができるようにするのは簡単なことではない。
 面白いだけなら「エンタの神様」に出てくる人の方が圧倒的に面白いだろう。横山さんの場合は「おもしろい」仕掛けを学習の中に入れているのだ。
 横山さんの活動が全国区になったのは、小学館の学年誌がきっかけでした。
 横山さんが、ひょんなことで会った小学館の編集の人に、授業にパズルなどを取り入れていることを話したら「ぜひうちの雑誌にも!」といわれました。
「小学一年生」などに載せてもらったら、これが大好評。授業中の楽しみが、家庭でも受け入れられることがわかりました。
 それから、ゲームを絡めた家庭学習用のパソコンソフトやクイズ中心の児童書を作ったら、なんとすべて大当たりでした。
 そのころ、算数の学力向上にはパソコン教材が有効だと気付いたときだったので、大好きな算数のために、僕もなにかできるかもしれないと退職。
 退職したのは、伊能忠敬に感動したからです。
 横山さんが40代半ばに、江戸の測量家・伊能忠敬について知る機会がありました。
 50歳で天文学を勉強し、生涯かけて実測し日本地図を作った人。年をとってもやればできるんだって感動しました。
「デジタル算数の祖」といわれることが、横山さんの夢になりました。
 横山さんは「誰にでも分かって貰える教え方をみつけたい」「算数で泣いている子を算数好きにしたい」との思いから、自作教材などを作り続け、パソコンと出会う。
 コンピュータの持つ表現能力、高速な演算処理力で、横山さんの表現領域は一気に開花。
 自らプログラミングを学び「わかりやすい教材を自分の手でつくる」ことを続けて、開発したソフトは1700本を越えた。
 横山さんの教材を使っている教師は次のようにのべている。
 初めの出会いは書籍だった。教室ツーウェイの別冊で「楽しい学習ゲーム」というのが出ていた。その編集長をしていたのが横山さんだった。
 パズルやゲームを通じて学習を進めるという方法は面白い視点だと思った。
 教材が出る度にコピーして教室に行くと、いつも子どもが集中した。
 その子どもたちの姿を見ながら、これなら教科力がなくてもできるかもしれないと思ってしまった。
 私もいろいろ自作してみたけれど、上手くいかない。
 きちんと教材・教科を分析する力が無ければ、楽しくて学力のつくものなどできないのだった。
(横山験也:1954年生まれ、千葉市立小学校教師(24年間)を経て、教育ソフト開発研究所代表取締役、さくら社代表取締役。算数ソフト開発の第一人者。ICT算数研究会会長)

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授業を成功させるために、教材の解釈と授業の展開は、どうすればよいか

 授業の展開を成功させるためには、授業が明確な方向性を持ち、単純化されていなければならない。
 それではじめて授業は力を持ち、リズムとドラマを持つ。
 根本的には、教材の方向性と授業の方向性をどこで一致させるかということが、授業展開を成功させる条件である。
 授業展開の方法を考えるには、
(1)教材の方向性を考える
(2)自分の方向を考える
(3)現実の子どもを考える
(4)子どもに実現したいことを考える
(5)教材のなかからもっとも適切なものを抜き出し拡大する
 一つの教材によって方法論を持つことが、授業での教師の方向性であり、授業に方向性があることである。
 授業展開を単純化しようとする場合は、何をどう切り捨てるかということが大事になる。
 授業の展開を成功させるためには、
(1)教材の解釈
 教材を一般的にわかるとか説明できるということではない。
 教材を分析し、自分に問いかけたり、疑問を持ち、発見・創造したりする。
 そのなかから新しい疑問、思考、論理とかを積み重ねていくことである。
 全人間的に教材と対面し、専門家に近い読みと解釈、自分の考えを持つこと。
 深く読みとることができるまでおこなう。
 血の出るような思いでつかみとったことが、生きた知識となり、授業で生き生きと子どもにぶっつけることができる。
 そういう解釈をするためには、すぐれた人生経験を持ち、職場に授業を中心とした研究体制ができていることが必要となる。
 荒い一般的理屈だけの読み方を、みんなに否定される職場体制があること。
(2)授業を構造化する
 教材の解釈を学級の一人ひとりの子どもとつき合わせ、かみくだいていく。
 現実にいる学級の一人ひとりの子どもを頭に入れての教材解釈である。
 子どもたちに何をどのように考えさせ、教えようとするか。
 教師がひとりの人間として読み取り解釈したものを、学級全体や一人ひとりの子どもと具体的につき合わせ対策を考えていく。
 具体的に教材が子どもとつながり構造化されるわけである。
 何を教え込まなければならないかを、現実の学級を対象にして考え決定する。
「何を取り上げ、何と何は切りすてるか」を決定する。
 教師が「読み取ったもの」「解釈したもの」「疑問に思ったもの」「発見したもの」のなかから、こんどの授業では「何を取り上げ、何と何は切りすてるか」を決定する。
 授業の展開に方向性を持たせるために、単純化し明確にするために惜しげもなく切りすてる。
 子どもに理解困難だと思われるところをみつけだしておく。
 そして、子どもの状態に即して教えたり、考えさせたりすることができるようにしておく。
 重要な問題について、子どもがどのような思考や解釈のあやまりをするか予想を立てておく。
 それに対して教師としての説明の仕方とか、反ばくの仕方とかを考えておく。
 この作業のとき、教師自身がそれまでの自分の解釈や考えを、もう一度疑ってみたり、幾つかのちがう考えや解釈をつくり出しておくことも必要である。
 これにより、授業展開を豊かにしたり、子どもの考えを否定したり、反ばくしたりすることもできるからである。
(3)教材を分析
 教材にはかならず授業展開の核とか中心とかになるものがある。
 授業はそれを手がかりにして展開していく。
 それを教師がしっかりとつかまえておかないと、授業展開はスムーズにいかない。
(4)授業展開のなかでの新しい発見
 実際の授業展開で教材に新しい発見をするときがある。
 例えば、教師自身が発見する場合、子どもの疑問を契機にして発見する場合、子どものすぐれた発言からの発見がある。
 授業で新しい発見ができるのは、教材を媒介にしながら激しく教師と子どもが体当たりし合うからである。
 そのことにより、教師や子どもを変えていかなければならないのが教育の仕事である。
 それができるためには教師が、
 1 ものを鋭くみぬく力を持っていること。
 2 相手の心の内側にはいり、相手の心の動きを的確に追っていくことができること。
 3 豊かで、大きく、強い追求力と実践力を持っていること。
(5)教材解釈と展開の関係
 教材の説明と思考を区分けする。
 教材の解釈と思考をする場合は、次の区分をはっきりする。
 1 教師が教材を明確に説明することによって、既成の法則・原理・知識をはっきりと教え込む。
 2 子どもに考えさせ・追求させる。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)

 

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教材研究の方法を林竹二との出会いによって、問い直しを迫られた

 伊藤功一の教師人生に大きな影響を与えたのが、林竹二との出会いであった。
 当時、古代ギリシャ哲学(ソクラテス)の研究者で宮城教育大学学長であった林は各学校を訪れ授業をする「授業巡礼」に力を注いでいた。
 林の存在を「授業 人間について」(国土社)で知った伊藤が、林にお願いして学校に招待して、「人間は動物だろうか」の授業を行ってもらった。
 林は「人間は動物だろうか」と子どもに問い、一人ひとりの子どもに、なぜそのように考えたのかをとことん問い詰めていった。
 子どもたちは次第に無言になり、後半は林の説明が続く授業となった。
 教師たちは、林の授業から何らかの奥深さを感じとっていた。
 林の授業は、子どもたちに問いと真剣に向き合い、自分で考え抜くことを求めるものだった。
 林は、授業が授業として成立するには、教師が自分自身の授業をあらためて問い直す必要があることを身をもって示したのであった。
 伊藤は、林との出会いからの四年間は、授業の問い直しを迫られ、自分の授業を否定することの苦悩に耐えながら、少しずつ自分の殻を脱ぎ捨てていった。
 教材研究は、授業を前提として教材から教えるべきものを取り出すのではなく、一人の人間として教師自身の興味のおもむくままに調べ「第一次教材解釈」がまずある。
 その後、教師として授業してみたいものを精選して授業案を立てる「第二次教材解釈」へと進むことが必要となることに気づいた。つまり、
(1)授業を意識しない、学問的追究の楽しさを感じる。
(2)その感動を胸にして、子どもたちへの授業の動機が生まれる。
(3)こんなことを考えさせたい、伝えてやりたいという意欲につながっていく。
(4)そこから、子どもたちの真剣な思考が生み出されていく。
 ことを見いだしたのである。
(伊藤 功一:1930-2009年、元青森県内中学校教師、教育委員会、小学校校長)

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子どもが興味を持つ教材をさぐる方法と、実際どのような教材で子どもが興味を示したか

 子どもたちは、一人ひとり、その子なりの興味(教材)をもっている。しかし、普通の状態では外から見えない。
 それが、何か物を見せたりすると、子どもがどんな興味(教材)をもっているか見えてくる。
 そのために、調査という名で、予備の教材を子どもにぶつけてみて、その反応をさぐる方法がある。
 子どもが動き出すか動かないか、動く場合、どんな動き方をするか、などをさぐって、子どもの中にどんな興味(教材)があるか推測するのである。
 また、ふだんの生活、特に遊びなどを注意して見たり、他の教科の授業をしているとき、子どもの興味・関心・欲求などが、どのへんにあるかさぐるのである。
 この意味で、授業は次の授業のための調査の時間、実態さぐりの時間でもある。
 どんな教材(ネタ)で子どもは実際に動くのでしょうか。
 授業で生きる教材(ネタ)開発の視点は、
(1)固定観念をひっくり返す
(2)思考のあいまいさをつく
(3)子どもの意表をつく
(4)教材と新鮮な出会いをさせる
(5)事実を確かに見させる
 などである。
 これによって、子どもに「驚き・困惑・葛藤・感動」を引きおこさせ、切実な問題をもたせるようにするのである。
 子どもを動かすことができたネタを分類すると、次のようになる。
(1)「実物」を教材(ネタ)にして導入
 特に社会科に弱い子ども、嫌いな子どもを引きつけ、積極的に学習させるのに効果がある。
(例) 長さ3mのさとうきび17本を教室に持ち込む。「どうして、みんな同じところで曲がっているの?」から沖縄地方の人々のくらしを追究する問題が出てくる。
(例)「これは、日本の重要な産業をあらわしています」といって、「五円玉」を配る。子どもは「まさか」と五円玉を必死でみる。
 五円玉は農業、工業、水産業をあらわしていることがわかり、社会科の学習の導入ができる。
(2)「意表をつく発問」を教材(ネタ)にして導入
 教材研究は、発問の「キーワードさがし」ともいえる。高学年になるほど効果的で、おもしろい問題を引き出すことができる。
(例)「小学生のみなさんは、税金をはらっているでしょうか?」「この学校には、便器の数は何個あるでしょうか」等、子どもの意表をつく発問で切り込むことがある。
(3)「絵・図・統計資料」を教材(ネタ)にしての導入
 子どもに絵などを見せて問いかける。ときには実物以上の効果をあげることができる。
(例)長篠の戦の絵、源氏物語の絵巻、統計「富士山が見える日」
(4)「構成活動やごっこ活動」を教材(ネタ)にしての導入
 低学年の「店づくり」「パンづくり」「バスごっこ」などの単元では、構成活動やごっこ活動を通して問いを深め、エネルギッシュな追究活動ができる。
(5)「体験活動」を教材(ネタ)にして問題を発見させる
 この方法は、時間はかかるが、学習問題も、追究も、子ども自身のものになり、学習意欲も高めることができる。
(例)「みかんづくり」の見学や「パンづくり」で本当にパンづくりを体験させるなかで問題を発見できる。
(6)「物語・民話・童謡・民謡」を教材(ネタ)にしての導入
「一寸法師」で戦国時代の様子や、「づいずいずっころばし」の歌で、江戸時代の身分制度や世の中のしくみを追究させたり、「お江戸日本橋」の歌で、江戸時代の旅の様子をクローズアップしたりした。
(7)「子どものアイディア」を教材(ネタ)にしての導入
 たとえば、伝統工芸の学習中、子どもが人間国宝にインタビューしてきて、それを発表しながら授業を進めたことがある。
(有田和正:1935-2014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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教材研究をしっかりおこなうと、子どもの誤解するところがわかり、どう発問すべきか明らかになる、どうすればできるようになるか

 教師が理想の状態を具体的に把握していると、子どもの不備や不足、不十分に気づき、授業において何を指導すべきか、指導するべきことを的確に発見することができます。
 教科における「理想の状態」は「正解」を指します。
 当然のことながら、教師は「3+7」の正解が「10」であると把握しています。
 それがなければ子どもを指導できません。
 教師が正解を知っているからこそ、子どもが「9」や「11」と答えたときに誤りであると指摘し、指導できるのです。
 例えば、読み取りにおける「理想状態」とは「読み取りの理想」を意味します。
 教師が素材研究をしっかり行い「読みの理想」を確立すれば、
「子どもにはここの論旨がわからないだろう」
「ここで誤解するのではないか」
 と、予測できるようになります。
 それは、子どもの読み取りが抱え込んでいる不備、不足、不十分と呼んでもいいし、子どもの中にある「読みの理想」との乖離と表現してもいいでしょう。
 それらを補うことによって、子どもの読みを理想に近づけることが指導であり、補うための具体的な項目が、指導事項に当たります。
 どこを指導すべきかが判断できたら「何をどう発問すべきか」というということも、おのずから明らかになり「なんとなくの発問」ではない、価値ある発問を創案できます。 
 読み取りにおいては、事実は一つでも解釈はさまざまです。解釈とは、作品の価値をどのように見出だすかということであり、人によって視点も深さも異なります。
 素材研究の力量は、教師がそれまでどれだけ多くの本を読み込んでいるかにかかわっています。
 私は千葉大学附属小学校に勤務していた20年間、毎月、保護者と文学読書会を開いていました。
 日本の名作や芥川賞を受賞した作品などを読み合いました。20年の間には、約200点の作品を読み込んだことになります。
 保護者の中には、ドイツやイタリア文学を専攻していた人もいて、作品解釈の実力を高めるうえで大いに参考になりました。
 文学について大人の人と論じ合うことを避けていては、本当の深みのある授業はできないかもしれません。
 残念なことに、ほとんどの教師は、教科書に掲載された作品を読むだけで、幅広く児童文学や一般の作品を読もうとはしていないようです。
 教師が自分の教師としての実力をつけるために、私は次の5つのステップをお勧めしています。
1 サークルに属すること
 多くの本を読むと決めても、一人ではなかなか理想どおりに進まないものです。メンバーとしての義務が生じますから易きに流れずにすみます。
2 出かけること
 会合に出かけて、新しい刺激に出会うことです。私はさまざまな会に属し多くの刺激を受けています。
3 問うこと
 発言したり質問したりすることです。働きかけないと傍観者にとどまってしまいます。
4 まとめること
 会で得た情報を、自分なりに整理することです。
5 発表すること
 新しい知見を、他の人にもわかってもらえるように表現することで、その情報が確実に身につきます。
 こういったサイクルによって、自ら自分を律せざるを得ない場に、自分を追い込むのです。とても有効です。
(野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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授業の準備をする時間が少なく、教材研究も思うように進みません、どうすればよいのでしょうか

 小学校の教師は、多くの教科等の指導を充実させるために、教材研究を欠かすことはできません。
 しかし、放課後にも様々な会議や出張、各種行事の準備や資料の作成などが予定されています。
 また、子どもたちのトラブルの解決や、保護者からの連絡が突然入ったりするなど、教材研究を行う時間を十分に確保することが難しい状況にあります。
 教師が教材研究を行うために管理職は、どうすればよいのでしょうか。
 明日の授業の準備ができず精神的に不安にならないように、学年主任や教科主任が教師たちにアドバイスするよう管理職が働きかけます。
 経験に基づいて適切な発問のヒントや補助教材なども提供してもらえるでしょう。
 緊急を要する場合には、管理職も加わって翌日の授業の準備や週案簿の作成に力を貸し、努力をほめたり、励ましたりしたいものです。
 そうしたアドバイスによって授業が成立し、自信をもって指導をすることができるようになります。
 一人ひとりの教師に具体的な指導方法をアドバイスするとともに、管理職は学校の体制を整え、教材研究を滞りなく進めることができる環境を次のように整えることに配慮します。
1 学年主任の役割を生かす
 学年で教材研究を行う時間を設定し、ワークシートや練習問題などを共有化することを企画します。
 それぞれの教師の得意分野を生かして役割分担を行い、教材研究の内容を伝え合うような学年会を運営できるようにします。
2 教科主任の役割を生かす
 職員室等の身近な場所に教材コーナーを設け、教科ごとにファイルに自作の資料等を保管するようにします。次年度も活用できるよう教材を蓄積することがポイントです。
 コンピュータを活用し、教職員用のサーバーに教材に関するファイルを保存して共有化することも可能です。
3 授業支援ボランティア等の活用
 学習支援ボランティアや理科支援員などの制度を活用し、教材研究を支援する体制を整えるようにします。
 その際、学年・学級の考え方や指導の方針、子どもの特性等について事前の打ち合わせを綿密に行うことが大切です。
 人的パワーを生かすことによって充実した授業を行うことは、子どもの学力を高めるとともに、教師にとっても充実感や達成感を得ることができ、指導力を高めることにつながります。
 予算的な措置が必要な場合は、教育委員会に相談することも管理職の重要な役割のひとつです。
(藤井千恵子:国士館大学教授)

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質の高い教材をつくるには、どのようにすればよいでしょうか

 私はセミナー「有田実践の継承と発展」(2015年)に参加した。
 その講座で、有田和正氏の仕事部屋の様子をDVDで見せてくださったのだ。非常に興味深かった。
 たくさんの本棚にはビッチリと本が詰められていた。それだけではない。無造作に本や資料が山積みされていた。驚くほどの本や資料の量である。仕事机の上の天井には地図まで貼ってある。
 新聞の切り抜きを毎日集めている映像もあった。
 なんの教材になるか、その時は分からない。気になった物は、あまり考えずに何でも集める。なんとなく面白いなあという「カン」が頼りだ。有田氏が嬉しそうに笑顔で語るので私も嬉しくなった。
 新聞などの切り抜きを集めたネタ帳の現物も初めて見た。一冊の厚さは10cm近く。しかも、使えるのは、その中で2つか3つだと言う。
 私も多くのネタ本を出版してきた。しかし、このDVDを見て、名人と凡人の差を嫌というほど思い知らされた。
 では、名人・有田氏と凡人・中村の差は何か? 圧倒的な情報「量」の差だ。
 私も一時期、ネタ帳を作ってネタを集めていたことがある。しかし、あれほどの「量」の本は読んでいない。新聞の切り抜きもしていない。
 あれだけ多くの情報から生み出されたネタだから、有田氏のネタは「質」が高いのだ。
「量」を求めることで「質」が上がるのだ。
 私が10から1つのネタを生み出しているとすれば、有田氏は100、いや1000から1つのネタを生み出している。10分の1のネタと1000分の1のネタでは「質」が違うのは当然だ。
 有田氏は、圧倒的な「量」を集めることで「質」の高いネタを開発していたのだ、と改めて思い知らされた。
 それにしても、昔の教育書は面白いなあ。私のような凡人が「普通の」学級づくりや授業づくりについて書く本とは明らかにレベルが違う。
 若手教師の修行も「質」を求めてもうまくいかない。
 例えば、1冊の教育書を精選して読むよりは、10冊の本を乱読した方が良い。
 若手教師は、そもそも、どの教育書が自分の役に立つかなんてわからない。10冊読めば、それらの本のどこかがヒットするだろう。
 そうやって、たくさんの「量」を読んでいけば、自分に必要な本が分かるはずだ。そうなってから「質」を求めればよい。
 とにかく「たくさん」の本を読み、「たくさん」のセミナーにでかける、「たくさん」の研究授業をする、「たくさん」の優れた授業を追試する、「たくさん」の学級通信を書く、「たくさん」の実践記録を書く。
 とにかく「たくさん」と「量」にこだわって修業をすることが大切だ。
「たくさん」していく中で、必ずポイントが見えるはずだ。そうすれば「質」も上がる。
 要領よく、なんて思わずに、要領悪く学ぶことが大切だ。無駄だったかな、なんてことが、結局後でものすごく役に立つことも多い。
(中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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教材研究は三度の下ごしらえをすると、深みのある授業ができる

 教師にとって授業は生命線です。
 その授業の教材研究が楽しくなれば、授業に挑む気持ちも変わりますし、教師としての生活がとっても楽しいものになります。
 日々の授業は正直、しんどいこともたくさんあるし、上手くいかないほうが多いのですが、悲壮感を抱くのではなく、楽しんでしまえということです。
 何でも「やり過ぎる」と「面白さ」が見えてきます。一つの教材をとことん分析してみます。
 例えば、国語の教材研究です。「大造じいさんとガン」の教材研究をします。
 まず、教材文を三つ用意します。
 コピーするときは、周りに余白ができるようにコピーします。
 教科書は見開きB4なので、コピー機のA3モードで取れば余白ができます。
 三つの教材文は次のように使います。
(1)自分の思ったことをどんどん書き込んでいく
(2)指導事項に関わる部分に線を引きながら書き込んでいく
(3)子どもたちが初めて物語と出会ったときの感想文の中から、これというものを書き込んでいく
 勝負をする単元は、このように下ごしらえを三回します。
 そして、授業にかけるものを絞り込んでいく。
 教材によって絞り込む三つは変わります。
 このように観点を変えて教材にアプローチをしておくから、授業に深みが出るのです。
 教師の授業をする際のオーラも変わってきます。
 たくさん切り込んでおいて、どんどん捨てるからこそ、深みのある授業ができるのです。
(森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

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