カテゴリー「教材研究」の記事

教材研究の仕方がよく分からない、とくに苦手な教科はどうすればよいのでしょうか

 教材研究は、これから教える教育内容と、その指導に必要な資料を検討することである。例えば、国語であれば
(1)
教材を読みこなす
 教材の書き出しをする。その上で十分に読みこなす。
(2)
教材の解釈
 その教材を解釈する発想が浮かべば書き込む。多いほど子どものいろいろな考えに対応できる。文学や詩歌では、作者の伝記や当時の社会情勢に触れることもあるが、特別な場合を除き、作品中心に扱う。
(3)
理解を深める
 重要ポイントやまぎらしい事項をチェックする。不明確にしたままにしないで具体的に理解しておく。
(4)
山場を検討する
 教材の山場を検討する。子どもの考えは教師と異なる場合があるので、その対応も準備しておく。
(5)
発問や討論を考える
 子どもの実情を勘案して、発問の内容とそれに対する回答予想から、討論の方法などを立案する。
(6)
精選する
 以上の書き込みの中から、精選して指導案に盛り込む。指導案に取り上げなかったものも教師のメモとして豊かな授業の展開の裏づけになる。
 教材研究を研修するには、
(1)
学習指導要領の精神を検討する
 各教科のねらいを、具体的にとらえることができ、教材研究の出発点になる。
(2)
他の教師の教材研究を参考にする
 先輩教師などの教材研究を参考にするとよい。目の前の子どもと対比できるので、実践向きである。無条件で受け入れるのではなく、自分の観点をはっきりさせておいて検討することが肝要である。
(3)
研究会に出席する
 一つの教材についても多様な研究と見方があることがわかる。特に優れた教師の授業を参観すると、今まで知らなかった教材の知識や解釈が得られる。その授業で、子どもたちの反応をしっかり見ることが教材の新しい解釈の参考になる。
(4)
本で調べる
 新しい考え方や疑問の解明に役立つ。しかし、本は現実の授業から遊離した抽象的な説明が多いことや、専門家の独自性を強調した編集がなされていることがあり、適切に取捨選択する必要がある。
 小学校では、教師は全教科を担当するのが一般的である。だから、ほとんどの教師は、得意教科も不得意教科も担当しているのがふつうである。
 不得意な教科は指導書などに頼りきりになり、子どもの実情や自分のアイデアを生かす余裕がなく、説話だけの中味の薄い授業になりがちである。また、子どもに任せにしてその場をしのぎ、満足しない子どもから反発を受けたりして、教師としての自信を失ってしまうことがある。
 しかし、不得意の教科や領域でも、子どものために学ぶ意思があれば、その克服は難しいことではない。「どうやったらわかるか」という教師の考察が、子どもの指導に生きることになる。子どもたちは教師の努力する姿勢に触発されて、学習に対する活動意欲が増すのではなかろうか。
 不得意な教科でも、無理に教え込むのではなく、子どもの豊かな可能性を育み伸ばす指導を工夫すれば、子どもの意欲を引き出し、学習の効果は高くなると考えられる。例えば
(1)
育てる指導と結びつけた実践をする
 課題解決学習など、いろいろな学習方法を活用したり、グループ学習、作業や実験、体験学習など子ども自身が体を動かし、自ら考えて学習する方法を多く取り入れた授業は、単調な教え込み授業より子どもたちは意欲的に活動する。
(2)
視聴覚教材の活用
 視聴覚教材は、具体的で学習への興味関心を高めるとともに、子どもの理解が得やすいように開発されている。教師自身も新しい情報を得たり、指導内容の適切なまとめ方の参考になる。
(3
新しい指導法を開発する
 教師間で連携し協力して指導法の情報を交換したり、研究授業や他の教室の参観などで研修し、指導法を改善するように努める。
 不得意な教科をなくす取り組みは、よりよい指導の方法を求める改善の努力に通じる。
(
関口 寛:1931年生まれ、宮城県教育研修センター指導主事を経て元仙台市立小学校長)

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授業名人が「おもしろい授業をする」ときの教材研究のコツとは何か

 「材料七分に腕三分」という言葉が、料理の世界にあるという。料理する腕がいくらよくても、材料が悪ければどうにもならない。逆に、材料がよければ少しくらい腕が悪くても、それなり味を楽しめるということである。
 では、よい材料をみつけるのは誰か。それは、料理人自身である。これは、教育の世界でもいえることである。子どもの実態にマッチしたおもしろい教材を発掘できたとき、授業は成功したも同然である。逆に、材料が悪ければ、授業にならない。
 このことに気づいてから、よい教材を発掘することに、大きな精力を注ぐようになった。
すると、子どもの追究が鋭くなり、迫力が出てきた。
 子どもの意欲を高め、鋭い追究ができるようにするには、よい材料をすばやく見ぬく目と、それを鋭く料理してよい教材にしあげる腕が、教師に要求される。
 子どもたちを「追究の鬼」に育てること、それが私の授業にかける信念の中心であった。そこで重要になってくるのが、ネタ(子どもたちにとって意外な事実を含む教材のこと)の存在である。「この教材を出せば、きっとあの子はこんな反応をして、またあの子はこんなことを言い出して・・・」という構想を楽しめるのは教師の特権である。そのためには、常日ごろから生活のなかに教材化できる素材を見つけるためのアンテナを張っていることが求められる。
 私は「ネタ論」を主張している。それは、取材によっておもしろいネタをみつけ、それを子どもにぶつけると、子どもが夢中になって追究するという事実を目のあたりにしたからである。社会の変化とともに、子どもも変わる。当然、授業のネタも変わってくる。したがって、ネタの開発も次々としなければならなくなってくる。
 授業のネタは、子どもの思考をひっくり返し、固定観念をくずすものでなくては、ネタとしての価値は低い。子どもに棹さす(逆らう)教材を教師が提示すれば、子どもの固定観念がひっくり返り、どうしてそうなるか追究したくなる。
 子どもの考えの中にない、意表をつかれた、新鮮な出会いをした教材は「生涯の伴侶」となり、長くその子どもの中で教材としてとどまることになる。
 子どもが本気になって追究しようとするネタがない授業では、子どもは低いレベルのところで遊ぶことになってしまう。授業づくりで第一に考えるべきことは、何で子どもの気持ちを引きつけ、興味をもたせるかということである。つまり、ネタを何にするかということである。
 教材研究というのは、子どもに「何を教えたらよいか」そのエキスをつかむことである。私はどの教科書でも、最低20回は読む。これが教材研究の入門である。2030回読むと「はてな?」が必ず出てくる。そこで参考資料をさがして読むのである。指導書もここで読むことだ。
 教材研究をしてみて、「教師が面白くない」と思ったことは、教えるべきではない。面白いと思うようになるまで、内容を深めてから指導することだ。意欲のない子どもをやる気にするには、教材が「面白くなくてはならない」のである。
 わたしは、1つの事象を調べるのに、最低2030冊の本を集める。それをかたっぱしから読む。すると、中心になる事がきまってくる。以後は、この事を中心に他の本の内容を関連づけて、書き込んでいく。教科書がまっ黒くなるほど書き込む。資料ははりつけて折り込む。
 「自分の足で取材するうちに、謙虚な目で物事を見つめ直すようになる。それではじめて、既成概念にとらわれない新鮮な感覚が芽生えるのではないか、と思うのである」と柳田邦男氏はいう。教師の世界においても同じことだと思う。自分の考えを変えることは容易なことではない。これをより良いものへ変えようと思うならば、若いうちに教材の取材に出かけることだ。
 社会科の場合は、私はほとんど現地に取材にいく。本をよみ、資料を読んで「百聞」をもって取材にいく。しかし、現地にいくと、必ず「+α」がある。これが楽しいのである。これがあるから取材をやめられないのである。
 教材の内容がきまったら、それを端的に表現できる資料を集める。更に教材を深め、「発問」を浮きぼりにする。「発問」が先に浮かんで、それに合わせて資料を作り直すこともたびたびである。「発問・指示」が浮かぶまで教材研究を深めること、それを面白がることがコツである。
 授業を計画するとき、教師は「目標→内容→方法」という順序で考えるのが普通のパターンである。
 まず「目標」を考える。次に、目標に対応した「教材内容」を考える。そして、教材(ネタ)で、子どものどんな考えを引き出せるか、おかしな考えが出てきたら、どう対応していくか、などを考える。
 このための、発問や手順、資料などを考え、指導案を書きあげる。というパターンが圧倒的に多い。この思考パターンをくずすことだ。
 まず、立派な目標を考える前に、どんなネタで勝負するか考える。そして、おもしろいネタをみつけよう。ネタがみつかったら、目標をもっともらしく考えればよい。
 たとえば、「一寸法師」をネタにしようと決める。すると「一寸法師で戦国時代の下克上をつかませる」という目標が、自然にきまってくる。「一寸法師のモデルは誰か」と、発問することによって、「信長・秀吉・家康らの戦国武将を引き出す」という目標も出てくる。
 授業の形態は、当然「じっくり考え合う」ということになる。なぜなら、かなり抵抗のある内容だからである。資料は、一寸法師のあらすじの典型場面をあらわした絵、四枚が必要だろう。絵本もあった方がよい。一寸法師の歌も準備しよう。
 ここまでくると、展開順まできまる。まず、一寸法師の歌を聞かせる。子どもが笑いながらも、いつの間にか歌い出す。歌詞があらすじになっていることに気づく。そこに四枚の絵を提示する。
 おもしろい授業をするには、「何で勝負するか」ということを、第一に考えよう。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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各教科を断片的知識として学ぶのではなく、子どもの人生と結びつけて学ぶようにする

 小学校の教科は実に多様である。これを一々専門的に学ぶのであったら、いたずらに断片的知識を修得するに過ぎない。したがって教育的価値も乏しい。
 学ぶのは意義ある人生を送るためである。教科や教材が多様であっても、子どもの人生に結びつけて学ぶことによって、渾然とした一教科として解することができよう。
 然るに今は多くの大人の人生を解釈するような材料を、そのまま子どもに持って行くから、子どもとはほとんど没交渉で、趣味もなく、理解もしないで、一時記憶しておかねばならない重荷と化してしまう。
 子どもの学ばんとすること、求めんとすることに応じて、適材をもって授業をしたら、諸教科は人生科の一分科として解せられるだろうと思う。
(
芦田恵之助:18731951年、東京高師附属小学校教師を経て全国各地で授業をして授業の名人と呼ばれた。国語教授法や随意選題の綴り方教授法を考え実践した)

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子どもは「どんな教材に興味があるのか」をどのようにして知るか

 子どもたちは、一人ひとり、その子なりに教材に対して興味をもっている。しかし、普通の状態では外から見えない。それが、見学をしたり、何か物を見せたりすると、子どもがどんな教材に興味をもっているか見えてくる。
 たとえば、「パン工場」の見学をすると、A児は、機械にものすごく興味を示し、B児は、パンの種類や味のことに興味を示し、質問もする。子どもたちの興味は一人ひとり異なる。
 同じパン工場を見ても、このように見方の違いが出てくる。この違いは、一人ひとりの子どもの経験や知識の違いであり、子どもの中にある教材についての興味の違いである。それが、何かの活動をすると表出してくる。
 授業で、子どもに教材を提示すれば、子どもの中にある教材についての興味は表出するが、これでは遅い。授業する前に、あらかじめ子どもの興味をわかっている方がよい。
 そのために、調査という名で、予備の教材を子どもにぶつけてみて、その反応をさぐる方法がある。子どもが動き出すか動かないか、動く場合、どんな動き方をするか、などをさぐって、子どもの中にどんな教材に興味があるか推測するのである。
 また、ふだんの子どもたちの生活、特に遊びなどに注意してさぐる。あるいは、他の教科指導をしているとき、子どもの興味・関心・欲求などが、どのへんにあるかさぐるのである。
 この意味で、授業は次の授業のための調査の時間、実態さぐりの時間でもある。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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国語科:教材を読むとき一回一回「初心で」読むと発見があり感動が生まれる

 教材を読むとき、その一回一回を「初心で」読むことが望ましい。そうすることによって読む度に新たな発見があり、感動が生まれるからである。
読みを進めながら、私はつぎのようなことをする。
(1)
ほ、ほう、と思った所に線を引く。
(2)
いい表現だなあ、すばらしい言葉だなあと思った所に波線を引く。
(3)
これはキーワードだ、と思った所を四角で囲む。
(4)
ここは大事なところだ、この表現の言葉が分からなくてはいけない、というような所には小さな○を連ねたりする。
(5)
子どもには、この意味は分かるまい、難しいだろうなあ、と思う所には◎を連ねたり、「?」をつけたりする。
 私は、授業をする教材については、どんなに少なくとも二十回は通して読むだろう。苦痛ではない。楽しいのである。そんなことをしながら、授業をする場面や箇所を絞りこんでいく。
 授業で使うところは、私の場合、子どもの「向上的変容」が実現できる可能性が高い所ということになる。それは、要するにつぎのような所である。
(1)
子どもには、とてもこの深い意味は分からないだろうという所。あるいは、そういう所が含まれている表現。
(2)
子どもは、きっとこの所は勘違いをして誤読をするのではあるまいか。私が指導を加えなければ、きっとその誤りに気付かぬままで終わるだろうという場所。
(3)
子どもの力ではきっと浅く、狭く、断片的、羅列的にしか理解できないだろうというような所。
 要するに、子どもの力だけでは、「読み過ごす」「読み流す」「浅くしか読みとれない」「誤った読みとりをする」「偏った読みとりをする」「羅列的に読みとり、構造的には読みとれない」だろう、という所を私は授業場面に選ぶのだ。
 換言すれば「子どもの、不備・不足・不十分」が生ずるであろうという所を、何度も読み返しながら探し当てるのである。というよりも、何度も読んでいると何となくそれらに気付いてくる。それらが見えてくる、のである。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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社会科:ネタを生かした授業づくり

 1980年代になると、実用的な日々の実践に直結する方法や指導技術がもてはやされるようになった。
 有田和正は、教材づくりを中心とした授業づくりを徹底して研究し、60冊もの本を出版した。これほどまで有田を突き動かした動機は何だったのか。
 有田は教師になって4,5年後マンネリを打ち破るため、研究発表会(奈良女子大附属小学校)に出かけ、そのとき自分の授業のまずさに強いシッョクを受けた。
 それに、学校現場にはびこる、流行の教育学者や有名教師の影響を受けて、形だけをまね、子どもの成長のない授業に強い不満をもった。
 有田は、質の高い授業づくりと、子どもの成長を徹底的に掘り下げていくことを、実践家としての自らの使命と考えたのである。
 やがて、有田は、附属小学校に転勤し、月一回の研究授業を行うなかで、教材づくりの重要性や教材研究のおもしろさに気づくようになった。
 有田は「子どもが本気になって追究しようとするネタがない授業では、子どもは低いレベルのところで遊ぶことになってしまう。授業づくりで第一に考えるべきことは、何で子どもの気持ちを引きつけ、興味をもたせるかということである。つまり、ネタを何にするかということである」と言う。
 子どもたちを「追究の鬼」に育てること、それが有田の授業にかける信念の中心であった。そこで重要になってくるのが、ネタ(子どもたちにとって意外な事実を含む教材のこと)の存在である。
「この教材を出せば、きっとあの子はこんな反応をして、またあの子はこんなことを言い出して・・・」という構想を楽しめるのは教師の特権である。
 そのためには、常日ごろから生活のなかに教材化できる素材を見つけるためのアンテナを張っていることが求められる。
(有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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どのような教材と、どのような形で子どもたちと出会わせるかが、授業をつくるうえでもっとも重要である

 教材や視点や発想によっては、今でも子どもたちが心をはずませて学ぶような授業を創っていくことは可能です。
 一見、学ぶ意欲などなさそうに目に映るその同じ子どもたちが、価値あることや、自然や社会や人間の本質にかかわることには、不思議と目が輝きだすのです。
 子どもたちは、恐ろしいほどに、教材が学び値するものかどうか、一瞬にしてかぎ分けてしまいます。現代の子どもたちは学習意欲がないのではなく、むしろ真の学びに飢えているのです。そんな子どもたちの要求にどう応えるかが、私たち教師の課題です。
 そのためにも、どのような教材と、どのような形で子どもたちと出会わせるかが、授業をつくるうえでもっとも重要なことの一つです。
 すぐれた教材には、子どもたちを引きつける魅力があるからです。子どもたちは一瞬にして、教材の値打ちをかぎ分けてしまいます。その感覚の鋭さには、感心するばかりです。それだけに、教材にこだわり続けるということは、授業を創っていくうえで不可欠です。
 理科の授業で魚の卵についての学習を考えてみます。
 魚も仲間を増やすために、たくさんの卵を産みます。タラの卵を数えることで、子どもたちに魚の繁殖力の大きさを実感してもらうことにしました。
 タラコは、朝早く近くにある市場へ出かけて買ってきました。教室でタラコを出すと、子どもたちの目はグーンと輝き出します。「タラの卵を簡単に数えるいい方法はないだろうか」と問いかけると、みんなで考え合いました。すると「タラコ全体の重さを量り、そのあと、1gのタラコをとり、卵を数え、それにタラコの重さをかけると、タラコ全体の卵の数がでるはずだ」ということに気づいたのです。
 子どもたちは、グループで夢中に数を数え始めました。教室はしーんとしています。子どもたちは自分のグループのタラコの卵の数が全体でいくつになるか興味しんしんなのです。結果のでた班から黒板に卵の数を書いてもらいました。275065個、398130個、284960個と、タラコの大きさがちがうから、数はかなりちがっていました。
 子どもたちに授業の感想を書いてもらいました。「ぼくのうちで食べているタラコの卵の数がいっぱいあるなんて、とてもびっくりした。タラコ一つに何十万個のいのちを入れているんだなあと、とても勉強になった」
 みんなで知恵を出し合えば、いい方法が見つかるものであることを体験したのです。
 学ぶということは、この自然や現実をとらえる多様なものさしを自分のものにしていくことでもあります。毎日の授業を通して、学ぶ意味を肌で感じとっていきます。
 子どもたちは、現実や自分たちの生活が見えてくるような学習には、強い関心を示すものです。子どもたちの姿は、授業や教育のあり方を教えてくれます。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)

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教材研究を3段階に分けて行なう

 教材研究の方法をつぎの3段階に分け考える。
1 第一段階
 教養として、あるいは少し興味を持っていることを調べたりする程度の知識である。専門職として教材研究とはいえない段階である。
 有田は常に、いろいろなことに好奇心と問題意識をもっている。本や新聞を読み、常にメモ用紙をもってメモする。逆思考を訓練し思考のパターン化を防ぐ。ひとつのものが多様に見える目とセンスをみがく。
2 第2段階
 上記の知識をもとに、調べに出かけたりして、子どもに「追求させたいこと」を鮮明にもつ段階である。徹底的に納得のいくまで調べているうちに、しだいに「追求させたいこと」が形をととのえてくる。
 出張や旅行を取材のチャンスにして、現地に行き、先入観を取り去って何でも見て、人にたずね取材で常識をこわすこともひとつの方法である。
3 第3段階
 子どもの実態にマッチするように、切込み口を工夫したり、内容のかみくだきをする段階である。具体的に授業を組織することを念頭に教材研究をする。教材には精通しているのに授業はさっぱりうまくいかない、というのは、この第3段階の教材研究が不足しているからである。
 子どもの動きを追い、事実をさぐり続け、子どもが熱中するネタを考える。
子どもが熱中するネタは、
(1)
具体的で目に見えるもの
(2)
おもしろい内容のつまった絵や図を準備する
(3)
どこか欠けたところや落とし穴がある
(4)
大きな物やきっちりした数字をさがしだす
(5)
教師が驚きおもしろく調べてみようと思ったこと
などが考えられる。
(
有田和正:1935年生まれ、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授を経て,東北福祉大学教授。教材・授業開発研究所代表。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し授業の名人といわれている)

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子どもは教材の新鮮さに感動する

 私が行っていた授業は教科書に頼らない授業、自分で資料を豊富に用意した単元授業でした。ですからたくさんの本を買って読んで、本以外の資料も探して、準備は大変でした。
 でも、せっかく用意したのだからと、その教材を使って何度も授業することが、私にはできませんでした。二度目になると、初めて教材を見つけて用意するうれしさがわいてきません。私自身がいそいそと教室に入れるのは、新しいものを持って行くときだけなんです。それを一度味わうと、そのときめきがないものを持って教室に行くことがいやになります。
 それに、自分が前の授業でよくわかっている展開、こなしてしまった教材、それらをやるときには自分の心の中に小さな慢心がうまれます。謙虚さが減ります。
 そして自分だけにわかる程度かもしれませんが「一生懸命になる」その程度がちょっと違うのです。
 子どもは新鮮さに感動します。私自身が、新しいものへの小さな不安と期待をもちつつ、子どもに向けて、その教材を提供している、それが子どもを動かすのです。なのに、二度めだと、子どもと同格に胸がときめかない。それが、私はいやだったのです。
大村はま:1906-2005年、長野県で高等女学校、戦後は東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力と課題に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)

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教材研究は「発問・指示」をさがし求めることといってもよい 

 どのような発問・指示をすればよい授業になるのか。
 「これだけは何としても教えたい」という「ねらい」にそって、発問・指示は考え、つくり出されるものである。
 いい発問・指示は、教材研究をしているときに考えつくものである。というより、「発問・指示」を思いつくまで教材研究をすることである。
「教材研究をする」ということは、「発問・指示」をさがし求めるといってもよいのである。
 授業のうまい人は発問・指示がうまいので、記録をとってみたりしながらよく見ることである。

A.バスの運転手は、どんな仕事をしているでしょう?
B.バスの運転手は、どこを見て運転しているでしょう?

AとBの発問は、どちらがよいでしょうか。
Aは、優秀児しか答えられない。大人でも答えに困る。
Bは、全員挙手できる。つまり全員反応できる。「前」という。
「では、バックミラーは何のためにあるのか?」と、後ろも、横も、バスの中も見ていることに発展するから よいのである。
Bのような発問を考えることである。
(
有田和正:1935年生まれ、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授を経て,東北福祉大学教授。教材・授業開発研究所代表。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し授業の名人といわれている)


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