カテゴリー「教師の人間としての生きかた・考えかた」の記事

挨拶は心の定期預金、必ず子どもの心に積み重なり、応えるようになっていく

 中村 諭先生は、教員生活31年のうちの23年間を、崩壊寸前の学校ばかりに教諭、教頭、学校長として派遣されました。
 中村先生は、
「組織や集団の秩序を回復したいと思ったら、一番最初にすることは挨拶じゃないか」
 といって、学校で生徒の顔を見るたびに、
「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「元気?」
 などと言い続けた。
 最初は、生徒の方が変な顔をして、そっぽを向いて足早に去っていきます。
 そのときに「こら、待て。おまえは何で挨拶をしないんだ?」と言ってはいけないというんですね。
 そうではなく、それでも、ニコニコして「おはようございます」と言い続ける。
「挨拶は心の定期預金だ」と言うんですね。
「必ず相手の心に積み重なっていく」
「相手は気持ちの負担を感じて、小さい声で『おはようございます』と応えるようになる」
 というんです。
 中村先生は「教育というのは、火を点けることです」と言う。
 みなさんは、教師が子どもに火を点けることと思っているでしょう。
 そうではなく、子どもが教師に実践の火を点けることなのです。
 子どもたちからのメッセージを本当に教師が受けとめ、教師が、
「これまでの自分たちの実践を見直す」という実践の火を点けるというのが中村先生の持論です。
 中村先生の尊敬する山口良治先生(伏見工業高校ラグビー部総監督)は「子どもたちの問題行動は愛を求めるシグナルだ」と。
 中村先生の赴任された学校は、兵庫県宝塚市内の中学校で、20年間の犯罪件数が、毎年市内でナンバーワンという学校だったんです。
 それが、挨拶を続けていくことですっかり穏やかな学校になって、よその人が校門を入って来ても「こんにちは」と生徒の方が挨拶をするような学校になったといいます。
 中村先生に転任の時期が来て、いよいよ学校を去ることになりました。
 最後の卒業式で、生徒の代表が謝恩の辞を述べるのですが、途中で自分が感極まってしまって、全くのアドリブになってしまうんですね。少し読んでみますと、
「数え切れないほど言い争いをして、先生には迷惑を掛けてしまいました」
「でも、それも俺の中ではめっちゃ良い思い出になりました」
「先生の方も『良い思い出ができた』ということにしておいてください」
「これからも、俺みたいな問題児が現れるかもしれないけど、挫けずに頑張ってください」
 と言うんですね。
 その後、今度は生徒会長が立ち上がって、
「僕たちの気持ちです。先生、どうぞ受け取ってください」
 と言うんです。
「何だろう?」と思って立っていると、ピアノの前に生徒が座って『仰げば尊し』を黙って弾き、生徒の大合唱が始まった。
 もちろん、先生も生徒もボロボロ泣いてしまったそうです。
 昔から、禅のお坊さんは「一波は動かす、四海の波(一つの波が動けば、海全体の波が動き出す)」ということを言いました。
 この「波」というものを、「祈り」といってもよいし「思いやり」といってもよい。
「あの学校に行くとみんなが挨拶をするよ」など、何か特色をもった学校づくりができていくというのは、素晴らしいことだと思うんですよね。
 ひとつの波が動けば、海の波は動くんですよね。
 何もしないで、
「言葉つきが乱暴だ」「すぐキレる」「危ない」
 というだけで、子どもたちに対して距離感を持ってしまう。
 それが一番の大きな問題なんです。
 なぜ大人が踏み込んでいかないのでしょうか。
「この子はこんな良いところがある」という目で、子どもたちを見るということです。そうすると子どもたちの輝きが増していくのです。
 そうやって、分かってくれる子、つまり、お互いに心を交換できる子を増やしていくことによって、つっぱっていた子が、
「つっぱっていても、つまんねえよな。」
 と、必ず応えてきます。
 根っからの悪い子なんていないんですよ。 そこをもう一度考えてみたいという気がします。
(中村 諭:1948-2003年兵庫県生まれ、兵庫県公立小中学校教師、同教育委員会指導主事、同公立中学校校長、読売教育賞児童生徒指導部門優秀賞受賞)
(草柳大蔵(評論家):文参照)

 

 

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「学びの共同体」の学校改革と、「いのちの授業」を命が尽きるまで子どもたちに伝えた

 大瀬敏昭校長は、新しく創設する浜之郷小学校を「学びの共同体」の理念に掲げて、東京大学の佐藤学教授と共に学校づくりに取り組んだ。
 浜之郷小学校の改革は徹底していた。ひとつは教員の意識改革だ。
 子どもを教え、導くのはあくまで教師である。教師こそが学校の根幹であり、教育の要である。
 「1年に一度も研究授業を行っていない教師は、公立学校の教師と認めない!」と徹底的に教師のスキルアップを断行した。
 それにより、報告書によると年間174回以上も研究授業が行われた。
 研究授業もユニークで、指導マニュアルを持たず、各先生が自由に考えて行った。
 授業を途中でやめても良いし、延々続けても良い。失敗したらもう一度挑戦する。
 授業公開も自由で、参観者も授業に参加しても良いという、かなりフリーな設定だ。
 研究協議という時間を設け、教師全員の発言を原則として、長い時間の討議を何度も繰り返した。
 また授業研究に時間を割くことを優先にし、職員会議以外の会議を禁止した。
 開校2年目に大瀬校長のガンが発覚し「いのちの授業」が始まった。
 大瀬校長は、ガンが再発し、余命わずかと宣告されながら、子どもたちに命の尊さを伝えようと、最後まで教壇に立ち続けた。
 命の終えんをどうやって子どもたちに見せるか。
「やせ衰えていく自分の姿を見せることで命の重みを伝えたい」と、自分の体を教材に「いのちの授業」をはじめた。
「ガン」と、大瀬校長は、黒板に書いて、静かに語りだした。
「校長先生が、がんを手術したことはみんなも知ってるね」
 子どもたちに緊張感が走り、教室は静まりかえった。
「実は校長先生は、がんが再発しました。明日死ぬかもしれない。とても恐ろしくて、怖い。けれども、お医者さんの指示に従ってがんと闘っています」
 大瀬校長は淡々と話を続け、もう一度黒板に向かって話のキーワードとなる言葉を記した。「生命」「からだ」「生」と。
 大瀬校長にとって、死への不安・恐怖を和らげてくれたのが絵本であった。
「いのちの授業」は、絵本の読み聞かせから始まった。
「いのちの授業」を始めたころの授業は、つぎのようなものであった。
 がんという病気について話す。自分ががん患者であることを知らせる。
 死の不安・恐怖から救ってくれたのが絵本であったことを知らせる。
 絵本は「わすれられない おくりもの」(スーザン・バーレイ)、「100万回生きたねこ」(佐野洋子)、「ポケットのなかのプレゼント」(柳沢恵美)を読み聞かせた。
 最初は、授業というにはあまりにも単純で、子どもたちは、ただ私の話と本の読み聞かせを聞くだけである。
 その後は、素材を教材化したり、話し合いの場面を組織したりして、いわゆる授業らしくなっていった。
 子どもたちに「いのちの授業」をするうえで、大瀬校長は命をつぎの三つの側面で理解したいと考えていた。
(1) 限りがある命
(2) 連続する命
  人間として、種として、家族としてのリレーされる命である。
(3) 心や魂としての命
  無限な命であり永遠の命。
 人間が生きていく中では、どちらかというと、辛いことや苦しいことが多い。
 そういうとき、自分を支えてくれる「もの」をもつということである。
 それは、何かを信じる心であり、あるいは家族である、ということを最後に子どもたちに伝えたいと願った。
 いのちの授業は答えを求める授業ではなく、自分だったらどうするかを自分なりに考えさせる授業である。
 大瀬校長の行った「いのちの授業」は、大瀬校長自身ががん患者であり、死が近いかもしれないということを、子どもたちも知っている中で行っている。
 そうした緊迫した中での授業であるから、子どもたちの心のもち方も変わってくるのだと思う。
 そういう状況でない場合「いのちの授業」はどのようにすればよいのだろう。
 それにはまず「いのちの授業」を行う教師自身が、どれくらい自らの命について真剣に向き合っているかということが求められる。
 もっと言うと、よりよく生きようとしているかを、自分の内面にもてるかということが、何よりも求められてくると思う。
「いのちの授業」は自らの生き方に目を向けることができる教師なら、誰にでもできると、大瀬校長は思っていた。
 大瀬校長はフランクルの言葉を思い出す。
「われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者」であり、自分の人生に対して「毎日毎時、正しい行為によって必答してなければならない」のである。
 そして限りある日々に対して、自分自身を辱めることなく精いっぱい誠実に生きることである。
 このように生きてこなかった自分を恥じ入るだけである。
 死が不可避となったいま、何かと、そういう自分になりたいと思うようになっていった。
 私という個性を完成させて、死にたいと願うようになってきた。
 このように、死と対座することは、生を考えることである。
 その意味において、死というのは、人間として成熟するための最後のチャンスなのである。
「いのちの授業」をとおして、大瀬校長自身が「家族・いのち・愛」について多くのことを学ぶことができた。
 授業をしながら、子どもや保護者の感想文を読んだ。
 子どもたちの授業の感想文には、こうつづられていた。
「えいえんの命っていうのは、みんなが、こうちょうせんせいのことがすきだから、えいえんのいのちだとぼくはおもいます」
「ぼくは、えいえんって、とこに気がついたことが、いのちだとおもいます」
「死んだんだから、もうこの世にいないと、言いはる人がいますが、わたしはそうはおもいません。死んでしまっても、人の心の中で生きていると思います」
 感想文を読みながら、大瀬校長自身が変わっていった。まさに「学ぶことは、変わること」だ。
 それにしても、大瀬校長に遺された時間がどれくらいあるかわからないが、限りある時間を、
「いのちは神に委ね、身体は医師に委ね、しかし、生きることは自分が主体」
 という姿勢で、生きていたいと願っていた。
(大瀬敏昭:1946-2004年、茅ケ崎市公立小学校教師・教育委員会指導課長・浜之郷小学校初代校長。「学びの共同体としての学校」を創学の理念に掲げ、東京大学の佐藤学教授と共に学校づくりに取り組んだ。開校2年目に大瀬校長のガンが発覚し「いのちの授業」が始まる。ガンが再発し余命わずかと宣告されながら、子どもたちに命の尊さを伝えようと、最後まで教壇に立ち続けた)

 

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不登校・高校中退をした経験から「自信こそが生きる原動力」と考え、シンガーソングライターなどさまさざまな表現活動をして教育にあたっている

 大野実先生は小学校、中学校と不登校の経験を持ち、京都の進学高に進んだものの、競争主義、学歴主義の教育のあり方に疑問を持ち、高校1年のときに不登校となり高校を中退した。
 中学時代の恩師の説得により、高校を再受験し、大学を卒業。
 表現することの楽しさを知り、大学時代よりミュージシャンをめざし、路上ライブをしたりして本格的に活動するが挫折した。
「人前で何かをする仕事」をキーワードに仕事探しをしているとき、教師の仕事にめぐり合い、その後、教員資格を取得し、教師として24年間教師生活を送った。
 京都市にある私立高校長就任中も、ラジオパーソナリティ、シンガーソングライターとしてさまざまな表現活動を行い、不登校、高校中退、と挫折をくりかえしてきた自身の経験を生かし、悩みを抱える若者の相談にのり、子どもたちに勇気を与えている。
 今の学校教育は、子どもの自信を失わせる作用の方がかなり大きい。
 子どもの能力を点数化して頑張らせる。
 頑張れる子は良い。結果を出せたなら、成功体験、達成体験になる。
 でも、どうしても数字を上げて行けない子だっている。
 自分が数字として、シビアに突きつけられていると感じもする。
 点数化できる能力だって、それはきっと限られたものだと思う。
 そんな一部分の能力で、それだけでその子を評価してしまうのはとてもこわい。
 学校は、子どもに成功体験・達成体験を積む場所であってほしい。
 大野先生は「あなた」は「あなた」のままで良い。そんなメッセージを送り続けている。
 教師の仕事は、子どもたちの心に「夢の種」を蒔くことである。
 夢は、諦めなければ必ず叶うもの、とオリジナルの応援ソングを弾き語りし、夢を持ち続けることの尊さについて語り、子どもに自信を、保護者に安心を与えるトーク&ライヴショーを催している。
 時代は、集団から個へと確実に変化してきた。
 実力や能力主義という個人の力が試される中で、どう生きていくのか。
 教育の果たす役割は、感性を育むことである。
 不登校や引きこもりの中にそのヒントはある。
 自己表現とコミュニケーションが夢を支え、活き活きと生きる力を生み出してくれる。
 大野先生は子どもの頃、不登校であった。だから不登校やいじめに真剣に向き合っています。
 大野先生は「歌う校長 夢の種をまく」の本の中でこう書いておられます。
 人は、だれか味方がいたら、死んだりできないものです。
 ほんまに、一人ぼっちやと思うから、死を選んでしまう。
 いじめている子、いじめられる子の間にいて、傍観している子どもたちに、勇気とやさしさを示してもらえたら、追いつめられて、死のうとしている子が、思いとどまるんやないかなと思います。
 そしてきっと、いまは傍観している子の中に、その子のことを、気にかけている子がいるはずやと思っています。
 その子たちに、勇気を出してほしい。
 いじめられている子に、自分はあなたの味方だ、というメッセージを伝えてあげてほしい。
 そんな思いで「明日はきっと晴れる」という歌をつくりました。
「明日はきっと晴れる」作詞作曲 大野実 編曲 大村篤史
 「ひとりぼっちじゃないよ わたしがついているよ」
 やさしい言葉が心に届く
 ただそれだけで生きていける
 かけがえのない生命 かぎりある生命
 なくさないで なくさせないで
 勇気だして やさしさ伝えて
 あなたのやり方で あなたの言葉で
 笑顔見せて 生命つないで
 あなたの生き方で あなたの声で
「あなたが心配だ、あなたが大切だ」
 熱い思いが心にしみる
 その人のために生きていける
 かけがえのないあなた この世に一人のあなた
 忘れないで 忘れさせないで
 勇気だして やさしさ伝えて
 あなたのやり方で あなたの言葉で
 笑顔見せて 生命つないで
 あなたの生き方で あなたの声で
 みんないっしょに明日創ろう
 明日はきっと きっと晴れる
 大野先生は、自身の経験や、これまでの長年にわたる教員生活での体験をとおして、子どもたちや保護者の思いを、歌にしている。生の演奏を聴いて感動します。
 電話相談にかかってくる子どもの声を聴いて、感じるのは自己肯定感の低さです。
 誰もほめてくれないのなら、自分で自分をほめればいいんです。
 自分で自分を、認めてあげればいいんです。
 そんな子どもたちに対して、大野先生の「自画自賛」という歌もあります。
 「自画自賛」作詞作曲 大野実 編曲 大村篤史
 自分なりに一生懸命やってきたことが
 他の誰にも認められなくても
 額に汗して築いたものが
 一瞬のうちにくずれ去ったとしても
 それはそれでいいじゃない
 やるだけのことをやったのなら
 自画自賛 自画自賛
 自分を精一杯ほめてあげよう
 自画自賛 自画自賛
 自分をもっと好きになろう
 失敗を恐れて何もしないより
 自分の可能性を試してみよう
 たとえうまくいかなかったとしても
 そのすべてを見てきた自分がいるから
 夢はいつか叶うはず あきらめさえしなければ
 自画自賛 自画自賛
 自分をほめれば輝き出す
 自画自賛 自画自賛
 自分に惚れれば夢動き出す
 成功したヤツらを 羨むよりも
 これからの自分をおだて育てよう
 生きているからくやしいこともある
 生きているからはじけることもある
 つまずいても立ち上がれる 勇気と力の合言葉
 自画自賛 自画自賛
 この世に一人の自分のために
 自画自賛 自画自賛
 最強の味方さ 自分のために
 大野先生の好きな言葉は「心の元気」、座右の銘は「生きていることと死んでいないことは違う」である。
(大野 実:1953年生まれ、京都市私立高校教師、京都市私立高校校長を経て社会福祉障害者支援センター所長、八幡市社会福祉協議会チャイルドライン京都理事。シンガーソングライター、フリーのラジオパーソナリティ)

 

 

 

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いじめられ、自殺を考えた成績がオール1の生徒が有名大学に合格し高校教師となった、その経過とその思いとは

 宮本延春先生は、小学生時代に酷いいじめを受け、勉強も学校もすべてが嫌いになり、九九もいえない「オール1」の落ちこぼれになる。
 中卒で見習い大工として就職。16歳で母親を、18歳で父を亡くし、兄弟も親戚もなく天涯孤独の身となる。
 23歳の時、偶然アインシュタインのビデオを見て、物理学に興味を持ったことから勉強を始める。
 24歳で定時制高校に入学。27歳で名古屋大学に合格し、母校の高校数学教師として、生徒たちと正面から向き合う毎日を送っている。2007年、内閣教育再生会議有識者メンバーに選抜された。
 宮本先生は、小学校2年生の時に些細な事件をきっかけに嫌がらせを受けるようになり、それがだんだんとエスカレートするようになった。
 毎日のように無視や暴力など、陰湿ないじめを受け続けているうちに勉強に身が入らなくなり、いつのまにか落ちこぼれてしまった。
 先生も両親もそんな宮本先生を救う術を知らず、中学1年生で最初にもらった成績はオール1。
 いきなり突き飛ばされ、鼻血が出るまで殴られ、ものを隠され、無視される…。
 学校での壮絶ないじめは、幼い宮本先生を精神的にも肉体的にも傷つけた。宮本先生は自殺を考えた。 
 いじめられないために習いはじめた少林寺拳法で、初めて自分に自信を持てた。
 職業訓練校を経て、16歳で大工見習いとして就職するものの職場に希望を見いだせず、好きな音楽を生業とするためにフリーターとなった。
 はじめて親身になってくれた大人と出会った建築会社への就職。
 少林寺拳法を通じて後に妻となる女性と出会う。その彼女から手渡されたビデオで「アインシュタインの相対性理論」を知り、物理に強い興味を抱くようになった。
 そこで、宮本先生は1年間で小学校3年生から中学校3年生までの勉強をし、24歳で定時制豊川高校に入学し、必死の勉強の後、27歳で難関といわれる名古屋大学に合格し、大学院を経て母校の豊川高校に数学教師として赴任した。
 宮本先生は、
「絶望の淵をさまよった自分でも、人との出会いの中から生きる目標を見いだし、それに向かって努力、邁進することができた。その事実を知ってもらうことで、自分に自信が持てない子どもたちに勇気を与えたいと思った」
「確かに私は特殊な半生を歩んできたとは思います。しかし、教師として生徒に対峙する真摯さにかけては誰にも負けないつもりです」
 全国各地の講演に招かれ、自身のいじめ体験や教師となるまでの苦労話をする際にも、
「こうすべきだという教育論へと展開するのではなく、淡々と自分の経験や感じたことを語る中から、何かを感じてもらえば十分だ」という。
「自分がそうだったように、子どもの視野はとても狭いものです」
「学校でいじめられれば、世界のすべてが地獄のように思える」
「ほんの少しつまずいただけで、自分が本当に駄目な人間のように思えるんです」
「大人は、少なくとも子どもよりは世の中を知っているはず」
「ですから、先人として『大丈夫だよ』『きっとできるよ』『逃げたっていいんだよ』とメッセージを伝え続けることは大人の義務だと思うんですよ」
 宮本先生は「○○すべき」と断定的に正論として伝えるのではなく「こんなことがあった」「こんなふうに感じた」と自らを主語に、事実だけを淡々と語り、その上で、自分に置き換えたときの可能性を「感じてもらう」ことができれば本望と思っている。
「なりたいものがないといっている子どもだって、まだまだ目標となる可能性のあるものが、彼らの視野に入っていないだけなんです」
 迷い苦しみ続けた青少年時代を経て、そして今度は教師という導く立場に立って、宮本さんは改めて「大人の役割」の在り方とその大切さを痛感しているという。
 学校では壮絶ないじめに耐え、家庭では父親の暴力におびえる。その中で自分に自信をなくし「自ら物事を解決する力」を奪われていたという宮本先生が、そこからどうやって自らの足で立ち直ることができたのか。
 宮本先生は、その問いに対してまず「目標を持つことができたこと」をあげる。
「私が生まれて初めて持った目標は、少林寺拳法を習って強くなることでした」
「情けなくも『いじめられたくない』という一心からきたこと」
「しかしそれだけなら、なかなか上達しないことにしびれを切らして、やめてしまったかもしれません」
「でも『なかなか飲み込みがいいね』『がんばり屋だね』と誉めてもらうのがうれしくて」
「道場に通い始めた唯一の友人の存在もあって、続けていくことができました」
 大人にしてみれば、ごく些細な成功体験に過ぎないが、宮本先生にとっては大きな一歩だった。
 目標なく努力し続けることは、人間には難しいもの。
 憧れることは簡単だが「やればできるはず」という確信を持ち、実現しようと努力してはじめて「目標」となる。
 成功体験がなく、自分に自信が持てない子どもは、たとえ何かに憧れたとしても、あきらめてしまう。
「私自身も自信のない子どもでしたが、師範や友人の励ましがあったからこそ厳しい少林寺拳法の練習を続けられたわけです」
「意志が弱くても、周りの励ましがあれば、続けられる」
「人に助けられながらでも『やりとげることができた』という自信が生まれれば、次の目標に走り出すための原動力になるはずです」
「そう、それが成長するということでしょう。私も少林寺拳法に打ち込んだ結果、いじめられっ子には変わりがありませんでしたが、小説を読んだり、音楽に親しんだり、新しいことに対する好奇心が生まれてきたのです」
 しかし、技術と音楽が2、あとはすべて1の成績では高校進学は無理。教師に勧められて大工見習いとなったものの、親方の理不尽な扱いに疑問を覚え、職場での「目標」を見いだすことができなかった。
「目標のない人生を生きていかなくてはならないのか、1週間部屋に閉じこもって自問自答しました」
「それで考え抜いた末に『やりたいことをやって死にたい、やらずに後悔するより、夢に到達できなくてもやった方がいい』と思ったのです」
「母は亡く、父は入院中という不安定な時期でしたが、迷いはありませんでした」
「結果、大好きだった音楽の道を目指して仕事を辞め、アルバイトでわずかな収入を得るだけで、雑草や蟻を食べたほどの貧乏生活でしたが、精神的には充実していましたね」
 宮本先生は、その後、短期のアルバイトのつもりで就職した建設会社で、社長をはじめ親身になってくれる人たちと出会い、人に求められ、役に立ち、認められるという「働くことの楽しさ」を知ることになった。
 結局、人は「目標」がなければ生きてはいけない。そして、人は敬愛する人々との出会いや、ふれあいの中で成長する。子どもの頃のむなしさが何であったのか、宮本さんは身をもって実感したのである。
「『がんばれ』『やればできる』という言葉は、落ちこぼれには届きません」
「そもそもどうがんばっていいのか、どうやればいいのかわからないわけですから」
「また、どんなにやる気があっても、方法がわからなければ疲弊してしまうでしょう」
「建築会社では、孤独だった自分を家族のように受け入れてくれて、どうすれば役に立てるのか明確なアドバイスをしてくれた」
「そして、がんばったことに対して評価してくれたからこそ、働く楽しさと成長の喜びを実感できたのだと思います」
 仕事は充実し、少林寺拳法を通じて恋人もでき「このままこの会社で一生働いてもいいな」と思っていたある日のこと、宮本さんは新たな「師匠」と出会うことになる。
 のちに妻となる恋人に手渡されたドイツ出身の理論物理学者アインシュタインを特集したテレビ番組を録画したビデオだった。
「かけ算も満足にできない男がアインシュタインの相対性理論に感動したのか、と不思議がられるんですが、事実なんです」
「できるだけ数式を使わずに、映像で説明されていたこともあるのですが、自分がこれまで『当たり前』と思っていたことが覆され、新しい世界が広がっていたことに、ただただ圧倒されました」
 それをきっかけに、宮本先生はさまざまな物理の本を読みあさり、数学がわからないために理解ができないことに対していらだちを感じたという。
 そしてそれ以上に、あらゆる世の中の不思議に対して、純粋な興味がわいてくるのを実感した。
「おそらくちゃんと勉強してこなかったというコンプレックスがあったのでしょう」
「生活が充実して、精神的に安定した時、アインシュタインのビデオがトリガーになって『勉強したい』という欲求が吹き出したんじゃないかと思うんです」
「アインシュタインは9歳まで満足に言葉を話せなかったという説もあると聞いて、劣等生だった自分と重ね合わせたりしていましたね」
「いじめがあったから、少林寺拳法と出会い、妻と出会い、アインシュタインと出会えた。学ぶことへの渇望や勉強し続ける根気だって、いじめがあったからこそ養えたのかもしれません」
「あの痛みは決して無駄ではなかった。ある意味、心の成長痛だった
「でも、おそらく過ぎたことだからそういえるんです。決して、子どもたちには経験してほしくないですね」
 しかし、こうした経験があったからこそ「いじめは絶対に許さない」「どんなに落ちこぼれてもやりなおすことができる」という言葉が、真実味をもって子どもたちに届くのではないか。
「その気持ちだけは誰にも負けないつもりです。でも、教師としてはまだまだ未熟者です」
(宮本延春:1969年愛知県に生まれ、愛知県私立豊川高校数学教師)

 

 

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子どもの心をうち、子どもを変えるには、どのようにすればよいのでしょうか

 人の心をうつには、相手に感謝する気持ちを身につけることが必要です。
 感謝をする気持ちが謙虚さを生みます。それは人に伝わります。
 例えば、音楽ライブは演奏者と聴衆とのかかわりの中で音楽が創造されます。
 人を感動させるよい音楽は、その根底に主客合一(自分と対象者が一つになろうとする)の世界があります。自分のはからいを越え、演奏者と聴衆が一体となることです。
 感謝をするという行為を通して、他とのかかわりを意識し、自己を客観化できます。
「演奏を聴いていただく」という謙虚な心、素直な気持ちがあれば、よい音楽が生まれ、聴衆を感動させることができます。
 もっと突き詰めれば、祈りの心です。
 よい音を出し、みんなに聴いていただく、そのために多くの方々の協力をいただいていることを自覚し、感謝し、祈りにまで昇華されたとき、人の心をうつ本物の演奏ができます。
 授業も同じです。板書しているときでも、教師は背中で子どもの空気を感じ、それに対応していく力が必要です。
 机間指導をしているときに、全体の雰囲気を感じながら、進め方を修正していくのです。
 その場に応じた指導が出きるようになると一体感のある、すばらしい授業ができます。
 子どもの気持ちを理解することが出来ると授業も一流になれます。そういう授業づくりを目指していって下さい。
 子ども全員が出きるようになると、喜びは大きいです。子ども同士の一体感、子どもと教師との一体感が生まれます。
 運動会のリレーで声援をあげて応援する時には、保護者、子ども、選手が一体になります。
 勝敗は別にして会場全体が一つになります。そういうことを意識して演出していくことが、教育では大切なのです。
 人間には得手不得手がある。
 勉強の得意な子ども、掃除の得意な子ども、作業の得意な子どもといろいろいる。
 一律に勉強だけを押しつけるのではなく、作業の好きな子供はその面を伸ばしていけばよい。
 無理をして詰め込むのではなく、やさしい基礎・基本を指導して得意な面を伸ばしていくようにすればよいのである。
 人に伝えたいという「気」がないとメッセージは伝わりません。「気」を感じさせることが大切ですね。
 生きる元気がでるというのは、最高の教材です。
「気」をもたらすことのできる教材づくり、授業づくりをしたいと思っています。
 心にゆとりを持つことは教育にとっても大切です。
 授業者に余裕がなければよい授業は生まれません。
 教材や方法を熟知し、それがあふれ出るようでなければ子どもの動きを変えることはできません。
 子どもがやる気を出すのは、例えば、超一流のものに出会って感動した時である。
 私自身、感動や強いあこがれを常に求め、一流になるよう生きていきたいと願っています。
「至誠通天」という私の大好きな言葉がある。誠が人を動かします。課題に誠実に取り組み努力をすれば、必ず願いは叶います。
 子どもを変えるのは教師の人間性です。
 大変な子どもには「必ず良くなりますよ」と心の中で手を合わせて話を聞く。その時、目を見てじっと聴く。どれだけその子を思うかです。
 人間を根底から動かすものは、むずかしい理論や理屈ではなくて、全身(いのち)の感動であり、腹の底からの納得であると思います。
(根本正雄:1949年、茨城県に生まれ、元千葉県公立小学校校長。「根本体育」を提唱し,全国各地で体育研究会・セミナーにて優れた体育指導法の普及に力を注いでいる)

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教師は素敵な仕事です、教師は子どもと共に歩みながら一緒に成長するものです

 初任地であった中学校に講演の講師として呼ばれた時に、久しぶりに中学校勤務時代の教え子に会いました。
 控え室に、わざわざあいさつに訪れてくれたのです。
 熱意だけで突っ走った新任教師と、おてんば女子中学生との会話が、時を超えて始まりました。
 あの時の恥ずかして失敗や苦い思い出も、笑顔に消されていきます。
 しばらく談笑し、別れ際に、ふと自分の予想をはるかに超えた子どもたちの成長を見たとき、これこそが教師の喜びなのだと感じたのです。
 だからこそ、教師はやめられないのです。
 私が担任した子どもたちは、社会の中でそれぞれに活躍しています。
 そして、その教え子たちがいま私の大学で学んでいます。
 私が初めて担任したある卒業生は、いま母となって、私が行う大学での行事に家族で参加してくれます。
 その子どもたちの相手をしているのが、私の教えている学生たちなのです。
 その姿を見ながら、一緒に昔を思い出します。彼女は
「先生はいい加減だったよね、授業もいつも立ち往生していたね」と、
 からかってきますが、本当にそうだったのですから反論できません。
 新規採用だった私は、彼女に助けられたように思いますが、それでも私を信頼し、いい歳になってもついてきてくれます。
 教師になってよかったと思う瞬間です。
 確かに、その頃の自分はしっかりした教師ではなかったように思います。
 その後、幾多の失敗を重ねながら、いまの私があるとすれば、教師は子どもと共に歩みながら、一緒に成長するものだと確信します。
 教師に関心のある人、教師をめざしている人、ぜひ教師になってください。
 教師は素敵な仕事です。
「教師の喜びって何でしょうか」と何人かの教師に聞いてみると、様々な回答が得られました。
 例えば、「授業中に『わかった! できた!』と言って子どもたちが大喜びしたときだ」と答える教師。
 また、「これまで問題児と言われていた子どもが、ある日、友人たちに優しい行動をとっている姿を見たとき」と言う教師。
 やはり子どもの「変容」や「成長」がキーワードであるようです。
 教師は子どもとともに歩むという職種だけに、学習面や生活面でいい影響を与え、それを契機に子どもが成長してくれれば、それこそが教師にとっての達成感であり、成就感なのです。
(阪根健二 1954年神戸生まれ、香川県公立中学校教師、指導主事、教頭、香川大学助教授を経て鳴門教育大学教授。専門は学校危機管理,生徒指導)

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教師が中年になっても教師という仕事を通して自分の人生を充実させるには

 現在の教師という仕事が厳しい状況にあります。教師が教育実践をするとき、次のような環境の変化を感じています。
(1)一人ひとりの子どもに対応する難しさと、集団に対する教育の難しさ
(2)保護者の多様で強い要求やクレーム
(3)地域社会のモラルの低下と対応の難しさ
 学校教育のストレスが高まり、教師の心の健康の悪化は、一教師の問題ではありません。すべての教師たちが抱かえている問題であり、現在の教師が社会的に置かれている環境に起因する面があると思います。 
 悪戦苦闘する学校現場での仕事のなかで、教師が中年になっても、自分の人生を充実させ、喜びを見出せる境地になるには、どのようにすればよいのでしょうか。
 現状に満足することなく、さらによりよい実践を求めるようにします。
 学校現場の変化にもかかわらず、今の自分のやり方、教師としての自分に強くこだわるのではなく、目の前の子どもたちに一番いいやり方に柔軟に変えていくようにします。
1 一つの成功経験に固執せず、逆の立場のやり方にも、なじんでおき、子どもに対応する幅を広げておく
 新しいものを取り入れる姿勢をもち、学ぶ謙虚さを失わないようにする。
 対応が難しいと感じたときは、新たな知識や技術を習得するための学習や研修を本格的に行う必要がある。
2 教える立場だけでなく、学ぶ側の子どもを意識する。 
3 自分が前面にでる役割だけでなく、人をサポートする役割を経験し、その意義を学んで、いろいろな役割の中に、それぞれ意義があることを知る。
4 仕事の役割をもふくむ大きな人格を形成できるような人間関係、趣味を持つ。生き方を自由に語り合う仲間を形成しておく。
 友人、趣味の仲間、本音で熱く語れる教師仲間、尊敬でき指導してくれる先輩や恩師を持つ。
5 これでいいという自己満足的な発想から、与えられた条件のなかで、マイベストでよりよい実践をしようという姿勢を持つ。 
 「私はこれでいい」「悪いのは、すべて相手」というような頑固な、融通のきかない教師が形成されてしまわないようにする。
 教師という仕事を通して自分の人生を充実させていきたい。
 大きな変化の時代に生きるには、固い強い意志や信念と、それを具現化するための、柔軟な考え方、教育技術、人間関係能力が必要だと思います。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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不器用で教師として劣等感を持つ人間が「顔つきと言葉」で演じる教師へ変身した

 私は、不器用で軟弱で、教師としてかなりの劣等感を持つ人間であった。
 私は貧相な顔立ちが嫌で、嫌でしかたがありませんでした。
 痩せこけて「先生」と呼ばれるには威厳がないなと、自分でもつらい思いをしていました。
 そんな人間がいきなり学校現場の荒海に投げ出された。
 どうやって学校現場で溺死せず泳ぎきるか、大きなハードルでした。
 あるとき、小さな町の小劇場で観た役者の演技に私はハッとするものを感じたのです。
「あの役者は、決して見栄えのしない人間だ。でも、なんだか卑屈になっていない」
「あの晴れ晴れとした演技はなんだ」
「あの、みんなの目と耳と心を引きつける迫力はなんだろう!」
 私は、自分がプロの教師でありながら、何も変わろうとしていない、何も演じていない自分に気づかされたのです。
「自分の顔つきと、言葉を変える」は、それからの私の生涯を通しての課題となったのです。 
 そんなとき、ある先輩教師が
「前田先生、目つき、顔つきというように、顔に生気が漂っている教師に出会うと、子どもたちからも信頼されて、尊敬されるようになるね」
と話してくれたのです。
 私は「顔つき」という言葉にハッとしました。顔立ちではなくて「顔つき」です。ふだんから顔に劣等感を持っていた私には、とても新鮮に思えたのです。
「顔つき」ということは、喜怒哀楽をしっかりと表すといえば、わかりやすい。
 私は、学生時代から「教師は喜怒哀楽をあまり露わにしてはいけない」と思ってきた。
 小中学校の教師のヒステリックな表情で「これだけ言っているのに、なぜやらないのだ!」と激怒している顔を思い出すのです。
 教師のヒステリックさはなくしたいものです。
 そうではなく、教師が「子どもを人間に育てること」に立ち向っていく中で
「いけないことはいけない」と叱り、
「うれしいことは、子どもたちと一緒になって喜び」
「悲しいことには、心を共有してくれる」
 教師の存在こそ、誠実な人間としての「先輩」の営みだなと思えてきました。
「真剣になって怒る、本気になって楽しむ、一緒になって喜ぶ」
 そういう教師としての「色をしっかり演じる」ことのできる存在感のある教師になりたいものだ。
 私は「教師の信念や情熱をだす武器は『顔つきと言葉』だ」、教師の実践力を支えるものだと思い続けてきました。
(前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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子どもたちに学ぶ楽しさを教えられる本物の教師になるには、どのようにすればよいのでしょうか

 私は、小さい頃に、子ども向けの物語や雑誌に夢中になりました。小学校では作文、高校生の頃には俳句を詠むことが好きになりました。
 意識していたわけではありませんが、そんな経験が私を国語教師という仕事へ導いたのだと思います。
 読む力は「読む」という行為を通じてしか、育ちません。書く力も「書く」経験の中からしか育ちません。ですから、読みたい、書きたいと思う気持ちがもっとも大切なものです。
 美術の先生には、生涯を通じて創作活動やけいこを続けていく人が多いように思えます。
 教えるための技術習得のためだけでなく、自分自身の喜びのために、新しい世界に挑み、脱皮し続ける。そんな人は、いつも若さを保ち続け、伸びていきます。
 ですから私は、教師たるもの、ぜひとも何らかの創作活動や稽古に携わるべきだと考えます。
 授業を向上させ、質を追求することとはまた違う次元で、創作活動や稽古は自分の心を謙虚にします。
 努力することの喜びで満ち、向上的変容の佳境へと導いてくれます。そして、その感動がまた、授業に力を与えてくれるのです。
 自らを変えていくための実践を常に続けていく。そういう教師であってはじめて、子どもたちに学ぶ楽しさを教えられる本物の教師と言えるのではないでしょうか。
 子どもたちは教師の素顔を見抜こうとします。
 どんなに言葉に力を込めても、教師自身が自分の人生に喜びを抱いていなければ、学ぶ楽しさは伝えられません。
 人生において、何に自分なりの面白さを見出すか、これはとても大切な事柄です。
 教師という職業を選んだ以上、まずは授業にこそ面白みを見出すべきでしょう。
 授業の向上へのエネルギーを生み続けるための活動を行うべきです。
 もし、どうしても教師という仕事にのめりこめないようなら、その人は別の職種へ身を移すべきです。その方が本人はもちろん、何よりも子どもたちのためになるはずです。
 人間にとっての、向き、不向きは能力のレベルの問題ではありません。どれだけ、楽しめ、夢中になってのめりこめるか。結局のところ、それが職業選択の分岐点でと思うのです。
(野口芳宏:1936年生まれ、公立小学校・千葉大学付属小学校教師を経て、公立小学校校長。退職後、北海道教育大学・植草学園大学各教授、千葉県教育委員会委員等を歴任し、植草学園大学名誉教授。「鍛える国語教室研究会」「授業道場野口塾」「実感道徳研究会」各主宰)

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教師が最初の3年間をどのように生きるかは決定的な意義をもつ

 教育という仕事は、子どもたちの生命に火を点じて、これを目ざめさす点にある。
 それはまた、真に主体的に自己を確立させることだといえましょう。
 それには、何よりも先ず、教師自らが生命に火を点じなくてはならぬからです。
 かくして、真の教育は、教師自身が自ら主体的に生きることによってのみ、行われると言えましょう。
 教師として、ひとかどの生き方をしようとするためには、最初の3年間をどのように生きるかは、その人にとって決定的な意義をもつ。
 これは不動の真理といってよいと思います。
 では、その3年間の基礎時代に、われわれ教師はいったいどのような生き方をすればよいでしょうか。
 大別すると。
(1)
教材に関する問題
 子どもの実力に大きなひらきができるということは、教師の教材に対する研究というか、そのこなし方が不十分ということが、何といっても一番大きな原因といってよい。
 教科書の研究は、少なくとも3種類以上の、他の教科書会社の教科書の研究を全学年にわたりする必要があると思う。
 次に、教授法の研究です。学校現場のすぐれた実践人の実践記録につねに最大の関心を寄せる必要があると思います。
 こうした研究は、自分ひとりでやるよりも、グループでやる方が、比較的やり易いと思います。有志が集って、そうしたグループを作るようにするのがよい。
(2)
授業の仕方に関する問題
 学習指導で一番大事なことは、基礎学力です。
 どうすれば子どもたちの基礎学力をつけることができるでしょうか。
 要するに、まず国語の本をスラスラ読めるようにすること、算数の四則をしっかり身につけさせることは、不動の鉄則といってよいでしょう。
 教師は1時間に少なくとも3回は机間を巡視して、1回に3人から5人くらいの子どもに、たとえホンの一言でもよいから言葉をかけて、その子どもの学習状態に一つのクサビを打ち込めるようでありたいと思います。
 板書は、芦田恵之助先生に教わったことですが、一字一字を清書のつもりで、ていねいに書くように努力してください。
(3)
学級経営
 学級経営の一番大事なことは、いうまでもなく、子どもたちの心をつかむことであるといえましょう。
 それには、教師も子どもも等しく一人の人間であるという自覚に立って、子どもたちが考えていることを、自由に話させるようにさせることだといえましょう。
 たとえ教師が、子どもを思い心から愛していたとしても、それが保護者の心に通じる具体的な通路がひらかれていなかったとしたら、保護者は心を開いてはくれないでしょう。
 教師の子どもたちへの愛情が、親たちに分かるようになるには、持続的な努力以外にその途を知りません。
 例えば、ノートや作文など子どもたちの提出物を、丹念に心をこめてみてあげることも、保護者の立場からは、その教師の愛情を最も端的に伺い知る事柄といってよいでしょう。
 家庭訪問で大事なことの一つは、必ず長所を聞き出すことを忘れてはならない。
 そうすると、その後親たちにも、わが子の教育方針に、方向転換を与えるキッカケともなります。
 教師の実践の研究は、到達した結論のみでなく、プロセスの記録の方がより大切であり、意義が深いと考える。
(4)
生活指導
 非行の問題は、その原因が家庭における愛情の欠乏にあるわけですから、根本対策としては、保護者を説得して目覚めさせるしかない。
 しかし、それが不可能な場合は、教師自身が、親代わりになって、どこまで愛情を注いでやれるかの問題だといってよいでしょう。
 そして、クラスの子たちが「あんな子にしたのはわれわれの共同責任だ」と考えるようになり、クラス全体の空気を高めることが出来たら最高です。
(
森 信三:1896年-1992年、愛知県生まれ、哲学者・教育者。全国を教育行脚した。神戸大学教育学部教授、神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設)

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