カテゴリー「教師の人間としての生きかた・考えかた」の記事

教師が最初の3年間をどのように生きるかは決定的な意義をもつ

 教育という仕事は、子どもたちの生命に火を点じて、これを目ざめさす点にある。
 それはまた、真に主体的に自己を確立させることだといえましょう。
 それには、何よりも先ず、教師自らが生命に火を点じなくてはならぬからです。
 かくして、真の教育は、教師自身が自ら主体的に生きることによってのみ、行われると言えましょう。
 教師として、ひとかどの生き方をしようとするためには、最初の3年間をどのように生きるかは、その人にとって決定的な意義をもつ。
 これは不動の真理といってよいと思います。
 では、その3年間の基礎時代に、われわれ教師はいったいどのような生き方をすればよいでしょうか。
 大別すると。
(1)
教材に関する問題
 子どもの実力に大きなひらきができるということは、教師の教材に対する研究というか、そのこなし方が不十分ということが、何といっても一番大きな原因といってよい。
 教科書の研究は、少なくとも3種類以上の、他の教科書会社の教科書の研究を全学年にわたりする必要があると思う。
 次に、教授法の研究です。学校現場のすぐれた実践人の実践記録につねに最大の関心を寄せる必要があると思います。
 こうした研究は、自分ひとりでやるよりも、グループでやる方が、比較的やり易いと思います。有志が集って、そうしたグループを作るようにするのがよい。
(2)
授業の仕方に関する問題
 学習指導で一番大事なことは、基礎学力です。
 どうすれば子どもたちの基礎学力をつけることができるでしょうか。
 要するに、まず国語の本をスラスラ読めるようにすること、算数の四則をしっかり身につけさせることは、不動の鉄則といってよいでしょう。
 教師は1時間に少なくとも3回は机間を巡視して、1回に3人から5人くらいの子どもに、たとえホンの一言でもよいから言葉をかけて、その子どもの学習状態に一つのクサビを打ち込めるようでありたいと思います。
 板書は、芦田恵之助先生に教わったことですが、一字一字を清書のつもりで、ていねいに書くように努力してください。
(3)
学級経営
 学級経営の一番大事なことは、いうまでもなく、子どもたちの心をつかむことであるといえましょう。
 それには、教師も子どもも等しく一人の人間であるという自覚に立って、子どもたちが考えていることを、自由に話させるようにさせることだといえましょう。
 たとえ教師が、子どもを思い心から愛していたとしても、それが保護者の心に通じる具体的な通路がひらかれていなかったとしたら、保護者は心を開いてはくれないでしょう。
 教師の子どもたちへの愛情が、親たちに分かるようになるには、持続的な努力以外にその途を知りません。
 例えば、ノートや作文など子どもたちの提出物を、丹念に心をこめてみてあげることも、保護者の立場からは、その教師の愛情を最も端的に伺い知る事柄といってよいでしょう。
 家庭訪問で大事なことの一つは、必ず長所を聞き出すことを忘れてはならない。
 そうすると、その後親たちにも、わが子の教育方針に、方向転換を与えるキッカケともなります。
 教師の実践の研究は、到達した結論のみでなく、プロセスの記録の方がより大切であり、意義が深いと考える。
(4)
生活指導
 非行の問題は、その原因が家庭における愛情の欠乏にあるわけですから、根本対策としては、保護者を説得して目覚めさせるしかない。
 しかし、それが不可能な場合は、教師自身が、親代わりになって、どこまで愛情を注いでやれるかの問題だといってよいでしょう。
 そして、クラスの子たちが「あんな子にしたのはわれわれの共同責任だ」と考えるようになり、クラス全体の空気を高めることが出来たら最高です。
(
森 信三:1896年-1992年、愛知県生まれ、哲学者・教育者。全国を教育行脚した。神戸大学教育学部教授、神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設)

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教師が身につけておくとよい「生き方や考え方」とは何か

 教師はプロフェッショナルであると私は考えている。
 しかし、人並みのあいさつもできず、時間も厳守できず、人とも談笑もできないプロフェッショナルになってはならない。
 教師は人間味があって世間の常識もわきまえ、人生を肯定的に生きている人である。
 教師がそうなるためには、何を心がけるとよいでしょうか。そのためには
1 生き生きとした教師
 生き生きとした教師とは、若年寄でない教師のことである。
 若年寄の教師は、よくいえば素直であるが、わるくいえば覇気がない。
 若年寄りの教師は、いかにも重厚で人生のことは何もかも承知している雰囲気の人である。
 若年寄の教師は、子どもとの心のふれあいがもちにくい。
 こういう人は、本当の自分を抑えて外界にあわせて生きている。
 人に気に入れられるための人生であったことにやがて気づき、ある年齢になってから猛烈に自分を取り戻したくなる。
 しかし、今さら人の期待にそむくわけもいかず悩むことになる。
 人生は人に好かれるために生きているのではない。何かをなすために生きているのである。
 教師は無軌道になるくらいの自由な精神の持ち主になる方がよい。
 仕事も楽しくなるし、私生活も豊かになるからである。  
2 創造性のある教師
 創造性は感情と知的レベルのものがある。
(1)
感情レベルの創造性
 感情レベルのものとは、うれしいときにはうれしい顔ができ、泣きたいときには泣けることである。
 つまり感情表出の豊かな教師が創造性の高い教師ということになる。
 これをタイミングよく行っている教師が「自己開示」の上手な教師である。
 教師が自己開示するから、子どもたちも自己開示しやすくなり、そこに心のふれあう人間関係が生まれるのである。
(2)
既存のものに「新しい関係」を発見する能力
 これは知的で思考を要する作業である。じっとしているだけでは出てこない。
 つぶさに知りつくそうとしているうちに、新しいアイデアが生まれるのである。
(3)
既存のものを「発想の転換、柔軟思考」で、新しい意味を発見する能力
 創造性の乏しい人は、それまで教わった意味づけしか知らないので、それ以外の受け取り方が思いつかない。それゆえ、世も末だと思い込んでしまったりする。
 創造性が育つためには、行動の自由と特定の「ねばならぬ」思考から解放されることである。
 創造性の育成がなぜ大事なのかを考えると。今の世の中は昔のように行動様式や教育の指導法が一定していないからである。
 それゆえ、そのつど頭を働かす必要がある。
3 生きがいをもつ
 教師は子どもの模倣になる立場である。
 それゆえ自分の実感から生きがいのある人生観をもつ必要性がある。
 生きがいとは、人生に生きる意味があり、虚無感や無気力、自暴自棄にならず、人生を楽しんでいる状態である。
 生きがいが生じるためには、
(1)
時間の流れの中で今を見つめること
 悩む人、落ち込む人、絶望する人は、今が人生のすべてであると、今しか目には入らないからである。
 行動科学の理論を知っていれば先を推論できる。またイマジネーションを利用し、自分が子どもや親に感謝されている状況をイメージして生きがいを作り出すのである。
 もう一つあげると、自己暗示で「人生に八方ふさがりはない」「朝の来ない夜はない」等を信じるのである。
 私は苦境のとき、こういった教えを心に秘めて人生の希望を見出したことが何回もあった。
(2)
自分の役割をもつ
 自分の居場所があるということである。
 それゆえ、教師が学校、家庭、サークル、仲間づきあいで自分の役割をもつ体験はきわめて大事である。
 役割には必ず権限と責任が伴うのでグループ体験をすることが自分の「生きがい」を育てることになるのである。
 学校行事を教師が協力してこなす体験は、他の関係の中で自分を自覚する生きがいの源泉であるといえよう。
(3)
人と感情交流をもつ
 人は孤立感が強いとき生きる意欲は出てこない。
 他とのつながりがあるときには人生のフラストレーションに耐えることができる。
 これまで親・配偶者・上司・同僚に今まで「してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を思い出す。
 これによって感謝の念が湧きおこってくるのである。
4 人生哲学
 哲学というのは私たちの言動の前提になるものである。
 哲学(思想)があるから感情も生じるのである。
 生活を通じて哲学を吟味することである。
 この前提が定まらないと、子育ても教育も一貫性が出てこない。
日常生活の前提(哲学)を提言すると
(1)
自分が人生の主人公である
 自分が自分の主人公であるという勇往邁進(目的に向かって,わきめもふらず勇ましく進んで行くこと)の気概をもつことは好ましいものである。
(2)
「べき」からの解放
 「人は○○すべきである」等の「べき」がある限り、自己嫌悪、人を嫌悪、人生をうらむという結果になるのが常である。
5 余暇と教養
 教師の仕事はストレスの多い仕事である。
 良心的な教師ほど「燃え尽き症候群」になりやすい。
 燃え尽き症候群にならないためにも、人生を楽しむためにも余暇の使い方と教養を豊かにすることは大事である。
 人生とは時間をいかに費やすかである。
 時間の費やし方にバランスのある人が生き方のモデルになる。
 人生は仕事のほかに、余暇活動、つきあいなど時間の費やし方がいくらでもある。
 それぞれを上手にバランスをとって生活に組み込んでいる人が人生の達人である。
 完全癖から脱却することである。
 時間がいくらあっても足りない。そこで重要度にランキングをつけて、低位のものは切り捨てることである。
 教師にとって教養は、人生を自分の専門である教職以外の目で見るという意味がある。
 プロは時々刻々と変動する状況の中でそのつど、自分で判断して行動を選ぶところにある。
 自分の専門だけを拠りどころにしては判断を誤ることがある。
 子どもの人生に関わる教師としては、幅広い教養にふれて、できるだけ複数の観点になじんでおく方がよい。
 例やたとえ話に不自由しないし、子どもたちに共感的に理解を示すことができる。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長なども歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)
 

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私の教師生活は 子どもの光り輝くところに目を向け、そこを出発点にしてやってきた

 私たち教師は、子どもをどう見ていくべきかを考えてみたい。
 今、以前よりも子どもの実像がなかなか見えにくくなっている。
 私の学校でも、荒れ、授業が成り立たないといった状態に近い問題が出てきた。
 職員会議で「現在の子どもたちの様子を語り合おう」というテーマで何回か考え合ってきた。その中で、今の子どもについての見方や問題点がいくつかでてきた。
(1)
管理的に指示すれば言うことを聞くけれども、柔らかな指示は通りにくい。
(2)
子どもとの会話で人間同士の温かさを感じるといった心地よい喜びを、なかなかあじわえなくなってきている。
(3)
人間としての大切なルールが育ちきっていない。
(4)
何か言うと「うっとうしい」「むかつく」「死ね」という言葉が飛び交うようになっている。
(5)
すぐにプッツリ切れてしまう。切れてしまったら抑えがきかなくなってコントロールできなくなる。
(6)
授業に集中できない子、私語、立ち歩きなどが増えている。
(7)
まじめにしていることがだめだという風潮を感じる。
(8)
みんなの雰囲気にのっていかないと自分が取り残されていくような不安を感じている。
 今、子どもの問題点のとらえ方がずいぶん変わってきている。以前(1980年頃)の子どもの問題点を、私のメモから拾い出してみると、
(1)
忘れ物が多い
(2)
行動が鈍い
(3)
根気がない
(4)
ものを大切にしない
(5)
集中力にかける
(6)
思いやりがない
(7)
考えようとしない
 などと書いてある。今の子どもの問題点とはずいぶん変わってきているように思う。
 共通しているのは、子どもを語るときに「子どもによい面があるのではないか」という視点がなかなか出にくいということだ。
 そこを教師はしっかりと考える必要がある。
 子どもはこんなこともできない、あんなこともできない、こんなに大変なんだ、ということだけでは教育は前に進まない。
 子どものよい面にしっかりと目を向けていかないと教師自身がしんどくなっていく。
 宗像誠也氏は「子どもの虚像にふりまわされていてはだめだ。そのもっと奥に子どもの実像がある。そこに教師は目をむけなければならない」と。
 私は、今もこの考えが頭から離れない。
 子どもの実像を今、見極めていかなければならないと思う。それはなかなか見えにくいものであるけれども、ちょっとしたきらめきに目を向けるべきだ。
 私は、基本的には、子どもはすばらしいものを持っているものだと信じている。
 今起こっている、さまざまな問題点は偽りの像であると思う。
 子どもはそんな存在なんだと、子どもを信じることだと思う。
 光り輝くところがたとえ小さなことであっても、私はそれをみつけるように努力してきた。
 子どもの光り輝くところに教師が目を向け、そこを出発点にしてやっていくことが大切ではないか。
 私は、そこから子どもと同じレベルで歩んでいった。それが教育の基本だと思う。
 私は、ここを基本にして教師生活を歩んできたつもりだ。
 私は、教師生活40年間、子どもを受け入れ、受けとめ、作文を書かせ、ゆっくりと一人ひとりの表現を楽しんできた。
 そして、言いたいこと、考えていること、感じていること、悩みや苦しみを聞くということだけは、やってきたのではないかと思っている。
 子どもの光り輝くところを見つけていきたいと思っている。
 映画監督の新藤兼人氏は「私の映画人生は試行錯誤の連続だった」とインタビューに答えた。私の教師生活もまた、試行錯誤の連続だったと思う。
(
青山佳嗣:1936年大阪府生まれ、元大阪府公立小学校教師。退職後も小学校に勤務し、小学校経験は通算45年間。元大阪綴方の会代表、大阪国語教育連盟委員
)

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新任のとき自分の指導力のなさを痛感させられ、先輩教師の実践の中から価値あるものを見つけ自分を鍛えていった

 新採教師となり、夢に見た教師の仕事ができる喜びをかみしめながら赴任校に向かった。学校に着くと「ようっし、やるぞ」と感激が体中を走った。
 教師の仕事が本当に楽しかった。休みの日にもよく学校に行って仕事をしていた。学校で子どもたちと遊ぶ約束をして一緒に遊んだ。
 当時、私の赴任した学校では、郡内の絵画展に力を入れる教師が多かった。授業が進み作品が次々仕上ってきたころ、前担任のM教師が私のクラスの子の絵を見るなり
「高本先生、絵の具の塗り方を指導しましたか」とたずねられた。M教師が担任していたときは特選が数人いたらしい。
 私は、塗りたい色で塗ることしか言ってなかった。私の指導力不足を感じられたのだろう。私はその場で、M教師に絵の具の塗り方を教えていただいた。
 しかし、時すでに遅し、私の学級からは、入選に入ったのが数人いただけであった。
 このように、新採用の私は、自分の指導力のなさを日々痛感させられた。とにかく悔しかった。
 私にもっと力があれば、子どもたちをたくさん伸ばし、自信をつけてやれたのに。そういう悔しい思いでいっぱいだった。
 ただ、このように悔しい思いがあったからこそ、教師としての勉強がしたいと強く思うようになり、次のステップがあったのだと思う。
 悔しさをかみしめた分だけ、得るものも大きい。私の修業の始まりは、この悔しさを味わったところから始まった。
 私の性格上、悔しくて落ち込むことはあっても、ずっと沈み込んでいるということはない。むしろ、必ず相手を見返すぐらいに大きくなってやるという意欲が湧く。
 力のなさを痛感させられていた私は、先輩方の授業に興味を持った。先輩教師がどんな授業をして子どもたちに力をつけているのかを知りたいと思っていた。
 幸いなことに、そのときの学校では、年に数回は必ず授業公開があった。私は食い入るように先輩方の授業を見つめた。発問やちょっとした声かけも聞き漏らさず、いいと思うことはどんどんメモをとった。もちろん録画できるときは録画させてもらった。
 先輩教師の授業には驚かされた。授業が指導案通りに流れていく。教師の発問に子どもたちがどんどん食いついていく。
 教師の指示も的確で、その通りにやれば必ずできるような気がした。授業のリズムもよく、流れるようだった。
 こんな授業をすれば子どもは伸びていくに違いないと思った。私もあんな風に力をつけたいと感じざるをえなかった。
 M教師の道徳の授業では環境問題を取り上げて、その教材を読むことで、子どもたちの討論が生まれた。
 子どもらしい意見がどんどん出された。その授業では「教材づくりの大切さ」や「討論を仕組むコツ」などを学んだ。
 校内だけでなく、郡内の研究会で他校の教師の授業を見せていただいた。
 サークルでは、他府県まで出かけ、向山、野口、有田、酒井、根本先生など、著名な方々の授業にも出会えた。
 こうしたすばらしい授業を見ることは、自分の力量を高める糧となった。生の授業を見ることで、声の大きさや話すスピード、ちょっとした仕草、授業のリズム、間の取り方など、教師としての技術をつかむことができた。
 鍛えられた子どもとはどんなものか、を目にすることは自分が指導するときの達成度をイメージすることができる。
 良い実践をたくさん見る。見た中で価値あるものを自分のものにする。そうすることは、自分の力量を高める近道である。
 授業を見るときには、私流の見方がある。
(1)
授業を肯定的に観察し、良い点を盗む。
(2)
子どもたちが、どれくらい反応するかで、その指導効果をはかる。
(3)
その授業で提案されていることが何であるかを判断する。
(4)
子どもたちを向上的変容に導く技術を見つけだす。
 だが、いつもすばらしい実践が見られるわけではない。だから、本を読むのである。できればたくさん読むといい。
 たくさん本を読んでいる人は、たくさんの知識をためている。そのときに役に立たないと思っても、将来役に立つことが必ず出てくる。また、たくさん本を読むと読むスピードも速くなるので、気楽に読むことができる。
 すばらしい授業を見たり、本を読んで勉強したり、研修に行って教わったりしたことは、そのままにしないで、必ず実践してみるべきである。
 使えるものは、すぐ使ってみる方がよい。つかんだ技術や授業のネタも、まだ自分の中で十分再現できるときに使ってみるのである。そうしないと身に付いていかない。
 また、実践したら必ず評価することが大切である。本当に子どもができるようになったか。子どもたちが喜んで授業に取り組んだか。子どもたちにとって、どうであったか、だけを見つめるのである。
 うまくいかなければ、何が違うのか考えてみる。もう一度、本や研修記録を読み返したり、授業を見せていただいた先生に聞いてみたりしてみる。
 それからもう一度やってみる。それでもダメなときがある。そのときは、もう一度確認してみる場合と、切り捨てる場合がある。
 価値あるものだけを選び身につけていけばよい。見抜く力を同時に鍛えていなければならない。これも実践の中で磨かれる。だから実践を通すのである。
 実践の中から価値あるものを見つけ、実践の中で自分を鍛えていくのである
 たまには、自分の実践を誰かに見てもらって評価してもらうとよい。自分では気づかないことを教えてもらえることがある。
 H教師は私にこんな話をしてくださった。
「自分が若い頃は、とにかく一流の授業がしたくてしょうがなかった。だから体育の授業を見てもらいたいと思ったら、教育委員会に電話して、体育で有名な教師を教えてもらって見ていただいた。それぐらいこだわってやっていたよ」
私はすごいと思った。
 すごい実践家の人に自分の授業を評価してもらうのは、とても勇気のいるものである。しかし、これも修業である。
 心ある教師ならば、このプレッシャーにひるむことなく立ち向かっていくだけの勇気は必要である。
 確かに厳しいことを言われるかもしれないが、その分、得るものは大きい。
(
高本英樹:岡山県公立小学校教師。学級崩壊で苦しんでいる教師の支援を行っている。初等教育研究会岡山支部理事長。サークル「GROWUP」代表
)

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私の教師としてのスタンスをつくるうえで、決定的に影響を与えことは何だったか 

「小学生の頃から教師になりたかった」と言う教師によく会います。
 私は、そういうタイプの人間ではありませんでした。さほど「人間好き」ということもないし「子ども好き」ということもないのです。
 大学4年生のとき「自分にとって、中学生と一緒にいることが私にとって幸せなことだし、ほんの少しは彼らを励ませるかもしれない」と考え、教師になる決心をしました。
 私が教師になった1980年代は、全国的に中学校が荒れ、私が生徒に「席について」と言っても、何人かはすぐに席にはつかなかった。
 私は「やさしい先生」から「恐い先生」に変身しようと必死になっても、そううまくはいかなかった。
 給食時には肉が飛び交うこともあり、私は教室の真ん中に仁王立ちし、プリンが誰かに取られていないか、食べ物を床に落さないかを監視する日々が続きました。
 やんちゃな二人を中心にしていじめが起きていました。問題も続発しました。
 私は「教師になんて、なるんじゃなかった」と思い悩み、いじめられる子どもを「体を張ってでも守ろう」と思いました。
 私は胃かいようになり、何日も学校を休みました。お見舞いに生徒や教職員が来てくれました。うれしくて、情なくて涙が出ました。
 生まれてから現在までの私をふり返ってみると、いろいろな体験や、そのとき考えたこと、乗り切ったことが、自分の教師スタイルを形づくっています。
 私が、教師としてのスタンスをつくる上で決定的に影響を与えたことをあげると
(1)
 教師っていうのは、学習しないと、前にきりひらくことができない
 特に学校が荒れているときに、思ったことは「教師っていうのは、学習しないと、前にきりひらくことができない」ということです。
「いうことを聞かない子」「攻撃的な子」「学ぶ意欲がない子」など、教師はいろんな子に出会います。
 そんなとき「どうしょうもない子」と思い、その子を責めたりします。本当ならば、
「その子どもが、なぜそのようなっているのか」
「そこからぬけ出て行くために、教師はどんな手をうったらよいのか」
という発想を常に持っていたいと思います。
 子どもたちを客観的にとらえ、指導方法を研究していく。そのとき、自分が研修し、学ぼうとしているか、いなかは、教師としての飛躍を勝ち取れるかどうかという点で決定的なことです。
 荒れた子どもたちがいても、教師をやめなかったのは、研究サークルの学習会に参加できたからでした。今でも、1年間に50日はさまざまな研究サークルの学習会で学んでいます。
 教育は創造的な仕事であるからこそ、これからも学びつつ教師をつづけていきたい。
「今度は、どんな実践をしようか」と、時に流されないで、実践を創っていく教師人生を過ごしていきたいと思います。
(2)
他人の喜びを自分の喜びに
 私が育ってきた中で影響を受け、教師としてのスタイルをつくったものを、一つあげるとすると、受験競争のもとで過ごした中学校時代でした。
 常に競争していて、他人の喜びが自分の喜びにならない自分だったのです。
 時には、他人の成功がやっかみになり、自分の劣等感を刺激することもある。そんなとき、理性では制御できない自分に、苦しさを感じることもあります。
 子どもたちを前にして、いつも考えていることは
「どうしたら、いろいろなタイプの子どもたちの交わりが、さかんになっていくのか」
「違ったタイプの人間を認め合える集団をつくるには、どうすればよいか」
ということです。そして、子どもたちには、
「自分のことだけではなく、まわりの友だちのことも考えられる『自分』になってほしい」
ということを、子どもたちに要求します。
 このことが、子どもたちを前にしたときの私の信条になっていると思います。
(
本山 明:元東京都公立中学校教師、教育科学研究会常任委員)

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若い教師に塾の運営や私学中・高校長の経験から伝えたいこと

 私は20年以上塾の国語の先生と塾の運営に携わってきた後、私学の中・高等学校の学校長を任された。その経験から若い教師に伝えたいことは
 悪いニュースこそ、すぐに報告しなければならない。自分だけで解決しようとして、問題がさらに複雑化することを避けねばならない。
 仕事の上で自分の得手は何かということに早く気づき、それを伸ばすことが、人生で成功する近道だ。自分が興味関心のあるテーマの知識を深めていくことを実践しよう。
 気づいたことや思いついたことを、メモしよう。そして寝る前に必ずメモに目を通して、1日のふり返りを行う。
 大事な箇所にはマーカーを入れて、時々読み返す。理解が深まり、人間としての成功につながる。
 仕事を通じて学び、仕事を通じて魅力ある人になろう。自己成長のネタはすべて、仕事の中に隠れている。
(
江口宗茂:1959年兵庫県生まれ、学習塾を20数年、組織運営を経て、教育コンサルティング業務会社設立、2011年~2016年私学の中・高等学校の学校長歴任の後、教育コンサルティング業務再開)

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挫折した不良少年が、なぜ教師となり、ヤンキー先生と呼ばれるようになったのか、その生き方とは

 僕は立派な先生ではありません。少年時代、僕は哀しい不良少年でした。自分の弱さから目をそらし、誰にも心を開かない少年でした。
 僕が生まれてすぐに両親が離婚。すぐに父親が再婚するも、物心ついた時から孤独を感じ「反抗」という形でしか自らを表現することができなくなっていきました。
 中学生になると髪を染め、酒にタバコ、更にバイクを乗り回し喧嘩を売る毎日。強く見せたかった。高校進学後も孤独を紛らわせるために、暴れに暴れ、気づけば一年生で番長に。手のつけられない悪ガキでした。
 そして16歳の時、事件を起こし当然のように、高校から追放され、生まれ育った家からも追われ、里子にだされました。
 全てを一瞬に失った僕は、何もできない、何も知らない「子ども」だったんだということを心の底から思い知らされました。
 僕の何が間違っていたのか、これからどうやって生きていけばいいのか、里親さんに与えてもらった部屋に1年間、膝を抱かえながら、引きこもり、孤独の中で考え続けました。
 今までの生活から抜け出したい一心で、やり直そう、もう一度学校に行こう。本当の友だちを作ろう、大嫌いだった先生と、改めて心を開いて向き合おうと決心しました。
 
「やり直しを賭けようとする者の過去は問わない」という記事が新聞に掲載されているのを見て、高校中退生や不登校を受け入れる、北海道の北星学園余市高校の門を叩きました。
 先生たちは一生懸命だった。下宿の人も、あたたかく、地域の人たちもみな優しかった。
 僕が問題を起こしたとき、担任の安達先生は、満面の笑みで、あなたは「宝物だから」と指導された。初めて心から温もりを感じたのです。僕は変わり、先生や友と向き合うようになった。
 高校を卒業し、大学に進学して弁護士になろうとひたすら法律を勉強しました。しかし、司法試験を直前に控えて、バイク事故を起こしてしまった。内臓を激しく損傷し、意識不明の重体なった。
 事故の一報を聞いた安達先生は病院に駆けつけ、意識が朦朧としている僕に、涙しながら「死んではダメ、あなたは私の夢だから」と、何度も何度も伝えてくれた。
 あの瞬間、苦しんできた全てが肯定された気がした。この事実だけあれば俺は生きていけるって。何としてでもこの温もりに執着したいって思いました。
 救われた命だから、世の中に傷つき涙している子どもたちがたくさんいる。これからはその子どもたちに寄り添いながら生きていこうと。安達先生の歩いてきた教育の道を歩いていこう、教師になろうと思った。
 大学を卒業して北海道の大手進学塾に就職。塾の講師として、教育の場に飛び込みました。そして教師として母校に帰りました。
 多くの編入生を受け入れていた余市高校は心に大きな傷を負った生徒が多く、赴任早々から問題は山済みでした。かつての自分がそうだったように一筋縄ではいかない相手に対し、とにかく全力で向き合ったのです。
 昔の僕のような生徒たちに、大切なことを教えてあげるために、そして、なによりも、あの日、心に宿した「ありがとう」を思いだけでなく、行動で伝えたかったからです。
 いわゆる普通ではない教師としての歩みがテレビ局の方の目にとまり、2003年「ヤンキー母校に帰る」というドキュメント番組が全国放送され、連続ドラマ化や映画化されました。
 ヤンキー先生と呼ばれるようになり日本中から注目されました。たくさんの著書も出版し、講演もしました。横浜市の教育委員や、国の教育再生会議の室長も務め、国会議員にもなりました。
 でも、私はあの頃と何も変わっていません。変わってしまったなら、その瞬間、昔のようにさみしい人間に戻ってしまうことを誰よりも知っているからです。
 挫折を知らない大人が唱える「きれいごと」ではなく、本当に暗く、悲しい少年時代を乗り越えてきたからこそ伝えられる、祈りにも似た、子どもたちへの思い、
「『あなたは、僕の夢です』共に歩いていこう」
 この時代のど真ん中で、泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、後悔したりしながら、私はただ、あの日みた夢の続きを、子どもたちと一緒に、追いながら生きていこうと思っているだけです。
(
義家弘介: 1971年長野県生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、塾講師、母校の教師となり活躍し2005年に退職する。横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

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さまざまな失敗や保護者とのトラブルから学んだことは何か、どうして教師を続けてこられたか

 私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。教師になって失敗と自信喪失の連続であったと、六年間をふり返って表現できるかもしれない。
 教師生活二年目に小学校三年を担任した。A子が教室の後ろの席でおしゃべりしていたので「おしゃべりしたいなら、家に帰ってすればいい。教室にはいらない」と注意したら、かばんを持って教室を飛び出した。
 あわてて呼びもどしたとき、私に対する不満が爆発し「先生なんかきらい!」と言われた。A子は泣きながらも胸の内を話してくれた。
 家では母親に姉と比べられ自分はダメだと思うようになっていた。学校でも家でも怒られてばかりだと。
 この件で保護者と話し合う必要性を感じ、職員室でA子の母親と話し合った。
 私は今回の出来事の詳細を説明し、今後の支援のあり方を相談するつもりであった。しかし、私への不満が矢継ぎ早に飛び出してきた。
 母親は「家では先生の悪口しか言いません」「先生のことは最初からあきらめていました」と言われた。
 胸につきささる言葉で、ぼう然自失で母親の目を見ることもできなかった。教師として言ってはいけない言葉を発したことを、わびることで精一杯であった。
 4月からA子や母親から発せられていた私への不満の信号を、その場その場できちんと受け止め、解決しようとしていたら、こんな事態にはならなかったかもしれない。思い返せば、心当たりはいくつもあった。
 自分の発する一つ一つの言葉の重み、それが子どもや親にどれほど大きな影響を与えるか、ということを痛感させられる貴重な機会であったと今は思う。
 教師になって四年目、自分に欠ける「一人ひとりの子どもをじっくりみる」ということを支援学校で勉強してみたいと考えるようになった。
 支援学校に赴任して、C男というADHD(注意欠陥多動性障害)の子の担任になった。登下校で乗るスクールバスの中で暴れ、けがを負わせるという事件が起きた。
 その後も学校や家で自傷、他害行為を繰り返し「もう、どうしたらいいのかわかりません」と母親が言ったが、まさに私も同じ気持ちであった。
 なぜC男が暴れるのか、ストレス源となっているのは何なのか、どうすれば落ち着いて過ごせるのか、母親と何度も話す機会をもった。
 母親からは、家で暴れる原因は学校でのストレスではないかとか、私のC男へのかかわり方のまずさを責められたこともあった。
 落ち込んでいる暇はない。とにかく考えられるありとあらゆる手だてを一緒に考えていった。「約束カードを作って、守れたらシールをはろう」「C男の好きな歌を一緒に歌ってみよう」など、そのたびに一喜一憂した。
 ここまで一人の子どものことを考えたのは初めての経験であった。格闘を繰り返す中で、C男のよだれを汚いと思わない自分がいた。
 親になったことのない自分が、親と同じ気持ちで子どもに「こうなってほしい」と願った。C男の行為がおさまってきたとき、母親と一緒にC男の成長を喜ぶことができた。
 C男との出会いによって、私は教師としてはじめて本気で一人の子どものことを考えることができたのだと思う。
 言い換えれば、一人ひとりの子どもに「こうなってほしい」という、強い願いをもっていなかったということである。
 こんなふうに、私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。そのときは、私は教師に向いていないと自信を失い、もうやめてしまいたいと思った。
 何度も泣いたし、辞表の書き方を考えたこともある。そんな私がなぜ、今も教師をやめずに続けてこられたのか。
 それは「教師をやっていてよかった」と、思える瞬間があるからだ。
 まず、子どもの笑顔を見たとき。落ち込んだ状態で教室に行ったときも、子どもの笑顔を見ると「がんばらなきゃ!」と気合いを入れ直すことができる。
 「できた!」というときの子どもの顔も私の心の支えである。
 私は学級通信に保護者の意見や感想を無記名でアンケートをつけています。手厳しい意見もありますが「うちの子が明るくなりました。先生が担任でよかった」といった、励まし、認めてもらえる声を見つけたときは元気がでます。
 このような言葉は、今でも落ち込んだとき、やめたくなったときに、思い出しては自分を励ましています。
 こうして振り返ると、私は失敗をしてこなければ、何も学べなかっただろうということである。まさに「失敗の中から学ぶ」教師生活であった。
 教師という職業はつらいことや嫌なことが百あれば、うれしいことは一つかもしれない。 
 でも「教師をやっていてよかった」と思えることが一つでもあるのは確かである。その一つを求め、私はこれからも教師を続けていくつもりです。
(
山崎準二編著。B女性教師、小学校、支援学校、教職歴6年)

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若い教師が「ほどほど」に教師をやっていたら、ベテランになったとき、自信を失って周りに迷惑をかけるようになるかもしれない

 私は20歳代の頃は、勢いがあって口が悪くて、世界が自分を中心にまわっていて、すぐに人を責めて、ばかにしていました。
 しかし、実践研究だけは、まったく手を抜かずに資料だけは百枚も二百枚もつくって、研究会で三枚くらいの資料で発表する人を見て「まじめにやっていない」と断罪して、まったくいけすかない人間でした。
 もしも、当時の私が、いまいたら「こいつは見込みのある教師だ」と可愛がるでしょう。
 若い教師で有望な人というのは、いけすかない人であることが多いように感じています。
 教師という職業は、若いうちから一国一城の主になれる稀な職業です。その分、一人で突っ走りやすい職業ですし、若いうちから「自分はいっぱしの者だ」と勘違いしやすい職業でもあるわけです。
 しかも、能力が高くて将来、大物になる可能性を秘めている教師ほど、そういう勘違いに陥りやすい。
 長年、若い教師を観察していて感じるのは、教師の成長には
「自分をいっぱしの者だ」と思う、
(1)
その勘違いを謙虚に戒めて成長する
 人間関係を重視しながら、ストレスに見舞われる日常を過ごす。
(2)
その勘違いに実質を伴わせて、勘違いではなくしてしまう
 血のにじむような努力して、だれも文句を言えないほどの実績をあげる
場合と、二つの道があるということです。
 私の教師人生は自分で言うのも何なのですが、(2)の道を20歳代、30歳代で、(1)の道を40歳前後から意識し始めたという感じです。
 いまは、50歳代を目前にして「バランス感覚をもってほどほどに」を信条に生きています。
 でも、よく思うのは、若い頃にがむしゃらにやった「溜め(たくわえ)があるから、いまがあるのだな」ということです。
 若い頃から「ほどほど感覚」で教師をやっていたら、いまごろは自信を失って毎日が地獄だったかもしれない。周りに迷惑ばかりかけていたかもしれない。そんなことを感じるのです。
 おそらくいま、若い教師が多いと思います。どうぞ、自分なりの「茨の道」を突き進んでほしいと思います。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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教師になって三年目までが勝負、すばらしい出会いが教師を変える

 私は、中学校社会科教師をめざしていたが、採用試験に不合格となり、学習塾に勤めてやっと岩手県の小学校の教師になった。希望の職業になれた嬉しさで「張り切って仕事をするぞ」という思いであった。
 三年生の担任になり、毎日校庭でサッカーや遊具で遊んだ。しかし、教材研究や指導技術もないに等しいのだから、子どもたちが集中せず、反応も悪いのは当然であった。
 そういう状況のなか、六月に新採用教師対象に研究授業をすることになった。校内の先生方の授業を見る機会がなかった。「どうやって勉強したらいいのだろう」と考えているうちに、また次の日が来てしまうありさまだった。
 研究授業まであと10日あまりになったとき、他校の研究授業を参観する機会があった。ベテラン教師の六年生社会科の授業だった。
 
「これが本物の授業なんだ」と目を開かされる思いだった。教師が使う資料が独自に調べたもので、中尊寺のポスターに、子どもたちが「美しい、すごい」という声があがり、子どもたちが一気に引き込まれていく様子がよくわかった。
 しかも、学級全員がよく集中している。ユーモアある発言には、よく笑う子どもたち。とにかく教室が明るかった。
 また、授業のまとめの場面では、子どもたちが自主的に立って発表していた。いつも指名ばかりだった自分は「こんな方法もあるのか」と衝撃を受けた。
 どんな人と出会ったか、どんな授業と出会ったかで、その教師の人生は大きく変わる。
 初めて参観した授業がすばらしいものだったことは、私にとって偶然に得た幸運であった。
 すばらしい研究授業との出会いで「理想とする授業」のイメージができた。取り組みにも意欲的になった。本や教育雑誌を一気に購入した。読んで見ると、いかに自分は学習方法を意識していなかったかがわかった。
一回目の研究授業の経験で、研究授業は
(1)
自分がその分野について新しい知識を本や同僚教師から身につけられる。
(2)
学級の子どもたちの「発言力や学習規律」を伸ばす場となる。
(3)
教師の授業力をアップする場になる。
以降、私は研究授業を求められれば積極的に手をあげるようにした。新採用の年には五回の研究授業を行った。
 本や雑誌から学ぶことも多かったが、いちばん勉強になったのは、やはりベテランの同僚教師から学ぶことだった。
 私が苦手とした図工は校内の研究授業を参観したことが一番参考になった。音楽も苦手だったが、音楽に堪能な教師と合同で練習した。生で音楽指導を見ることができた。
 五年生を担任していたときに、週に一時間の空き時間があった。その時間を利用して、他の先生にお願いして授業を見せてもらった。家に帰ってから、自分の学びを1ページくらいにまとめ、ファイルにした。
 2年目、新校長の授業参観があった。感想を聞きたいと校長室を訪ねると「この分野ならあの先生にと言われるようになりなさい」と言われた。社会科が小学生のときから好きだったので社会科の授業に力を注いできた。
 それ以外に他の先生より努力できそうなのは学級通信だった。
 発行は教職2年目の二学期からだった。発行してみると実に面白い。学級の情報を保護者に伝えられる喜び。子どもたちが「ぼくの作文が載っている!」と喜ぶ。そして私自身の実践が記録される充実感。
 学級通信を発行してから確実に変わったことは
(1)
保護者の反応
 「学校の様子がよくわかります」「社会科の授業、私も受けてみたいです」といった好意的な声をいただいた。
(2)
私の教育実践
 学級通信に授業の様子を掲載することは、同時に自分の実践記録の蓄積につながった。実践ネタが増えることになる。時には教育研究集会の資料になった。
(3)
子どもたち
 子どもたちの励みになるように、作文、よい行い、エピソードを具体的に名前入りで紹介した。帰りの会で「今日のお便りのヒーローは○○さんです」と話した。その子が家で誇らしげに見せたというのを聞いて、私は学級通信を発行する意義を改めて感じた。
 保護者対応は私にとって苦手であった。もともと人と積極的に交わるタイプではない。そんなときに、変わるきっかけとなったのは地区のPTAバレーボール大会であった。その練習の誘いを受けた。
 週2回、夜間2時間は負担と思ったが「まずは参加してみることが大事」と考えた。参加してみると、大きなメリットがあった。一緒に運動することで親近感が生まれ、保護者との距離が縮まった。気軽に雑談もできるようになった。
 それまでは保護者ということを意識して「何か言われるのではないか」と構えていたのかもしれない。「子どもを成長させたい」という思いは同じなのだから「パートナー」と考えればいいのだ。そのように思い直した。
 見方が変われば対応も変わってくる。保護者から「○○してくれませんか」と注文を受けたときも「自分が責められているのではない。子どもの成長のために言っている」と思うと素直に受け入れられた。
 また、保護者との距離が縮まると、積極的に連絡をするようになった。特に成長が見られたときは、連絡帳に書くようになった。喜ばない保護者はいない。
 苦手だった保護者対応も、少しずつ手応えを感じるようになった。
(
佐藤正寿:1962年秋田県生まれ。岩手県公立小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに教材開発に力を入れている)

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