カテゴリー「教師の人間としての生きかた・考えかた」の記事

担任に不満を持つ保護者との出会いが私の教員人生に大きな影響を与えた

 初めて学校に赴任したとき「自分こそ世界で一番優秀な教師だ」と、私は思っていた。
 新任で五年生を担任し、初めの頃こそ、若い教師ということで、多くの保護者から笑顔で歓迎を受けた。
 しかし、時が経つにつれて「学習の進度が遅い」とか「教室が汚い」とか「子どもの言葉づかいが悪くなった」といった不満が保護者の間から出てくるようになり、それとともに保護者の顔から笑顔が徐々に消えていった。
 私自身も保護者に会うのがおっくうになり、保護者会の日は私が不登校になりそうであった。
 そのような状況を感じて私なりに、子どもと休み時間、一緒に遊ぶとか、子どもが提案してきた早朝のマラソン練習に付き合うなど、少しずつ努力をしていたが、保護者にはならなか理解してもらえず、苦情はいっこうになくなることはなかった。
 五年生も終わりに近づき、学年末の保護者会が行われた。学年末ということもあり、保護者の私への批判は、ますます拍車がかかった。
 次々に出される私の実践への不満、保護者会の雰囲気は重苦しいものになっていった。そして、いつも私に一番厳しい苦情をいう学級代表のお母さんがスッと立ち上がって発言を始めた。
 私は、路整然と完膚なきまでに私の批判が語られると想像した。重っ苦しい気持ちを通り越して「どうにでもなれ」と、開き直ってしまった。
 しかし、その母さんから語られた言葉は
「皆さん、いろいろとご意見があると思いますが、先生が担任されて、私たちの子どもがたくましくなったのは、どなたも感じることではないでしょうか」
「私は、先生のこの面を大切に見守っていきたいと思います」
ということだった。
 今までの重っ苦しい教室内の空気がこの発言でガラッと変わった。発言の最中に何人かの保護者のうなずく姿も見えた。
 私はこのお母さんのひと言を聞いて
「ああー、私はこのひと言で生きて行ける。これからの教員生活、死にもの狂いで努力していきたい」
と、思った。
 教師は誰でもみんないい教師でありたいと願っている。ただ、一生懸命努力しても人間関係のゆがみや、相互理解の不足などによって、自分の持ち味が発揮できない場合がある。
 そのようなとき、保護者のひと言でやる気を起こしたり、反対に意欲を失ったりする。私の場合、あの厳しい学級代表のお母さんがいたおかげで、やる気が出て努力する教師になれたと思う。
 このお母さんが厳しかったのは「本音で私の実践を見つめてくれていたからだ」と、思うようになった。
 
「子どもや保護者と、ともに本気で、人生を一緒に生きることの大切さ」を、私はこの母親との出会いで学んだ。
 その後、六年生の担任として、自分の実践を保護者にしっかり伝えようと、学級通信を毎日出した。その結果、子どもに毎日、日記を書かせることになった。
 また、学級通信が授業の資料にもなった。さらに、学級通信に後押しされて、実践を最後まで頑張りぬいた。
 初めのうちこそ、苦手だった保護者会が、私の学級経営の重要な柱の一つになった。
 一人の母親との出会いが私のその後の教員人生に大きな影響を与えたのである。
(
西島興蔵:元東京都公立小学校管理職)

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若い教師は、どうすれば「子どもたちが必要とする」教師になることができるのか

 私が新任だったとき、教え子との決定的な出会いがあった。A子という強烈に個性的な子を、中学一年で担任した。彼女との出会いが、私の教師人生を決定づけたといってもいい。
 教師になる半年ほど前から、地域の子ども会の指導員のアルバイトをしていた。当時小学六年生だったA子は「いやだ」と言ったら「てこ」でも動かない。キレたらすべてを投げ飛ばす。
 口は誰にも負けないほど達者で、ちょっとした教師の弱みや隙をねらって、突いてくる。嫌いな教師は徹底して嫌い、こびようとする教師は鼻先で笑う。
 大きな体を揺らし、肩で風を切って学校中をかっぽしていた。でも、憎めないお人好しで、親分肌で、寂しがりや。勉強がからっきしダメ。読み書きもろくにしようとしない。鉛筆を持たせるだけで1時間かかることもあった。
 授業中はいろんな教師とぶつかった。教室を混乱の渦に巻き込み、挙句の果ては教室を飛び出した。これほどのスケールの子はそうそうお目にかかるものではない。
 先輩教師から「教育とは『今日行く』ということ。家庭訪問して足で稼ぐのが同和教育や」と言われ、子ども会指導員時代にすでにA子の家にも、頻繁に家庭訪問した。
 家庭訪問した翌日、A子はがんばってくれるだろうと、甘い期待を持って教室に入っても何も変わっていない。あいかわらずのわがまま勝手。
 
「お母さんの気持ちが分からんのか」と説教すると「うるさいんじゃ、おまえに何が分かるねん」とはね返された。
 一学期も終わる頃、A子の授業拒否、授業妨害はピークに達していた。授業妨害をめぐって、他の教科教師から苦言が来るし、学年会でも話題になった。
 私なりに、A子が「勉強を分かりたいけど、どうしようもなく分からない」と、苛立ち、押しつぶされそうになっているのが痛いほど分かっていた。
 放課後、残って勉強を教えることもあったけれど、長続きしない。クラスの子がかかわろうとするが「うるさいんじゃ、ほっとけ」の一点張り。ついにA子に匹敵するくらいのパワーの持ち主であるB子と正面衝突して、修羅場となった。
 仲裁に入った私がB子側に立っていると思ったらしい。裏切られたと感じたA子が「お前なんか、うっとおしいんじゃ、もう学校に来るな」と吐き捨てられた。
 わたしは悔しくて悔しくて、体を震わせた。「こんなに一生懸命、この子のことで昼も夜も考えている私が、どうしてこんな暴言を吐かれるのだ」と、私は教室を飛び出した。
 職員トイレに駆け込み、ドアを閉めて思いっきり号泣した。どれだけトイレに籠っていたのだろう。やっと気持ちが落ち着いて「今日はもう、帰ろう」と、トイレのドアを開けた。
 すると、そこにヌッとA子が立っていた。私の号泣を1時間以上聞き、ずーっと声もかけられずに立ちつくしていたA子がいた。でも、私は未熟だった。顔を背けて無言で出て行ってしまった。どうして「心配してくれてたんやね」と言えなかったのだろう。
 そして、次の日も、まるで何ごともなかったように、A子とのバトルは続いた。でも間違いなく、A子との友情は深まっていったと思う。
 私がA子を愛し、A子も私を必要としてくれていると感じられることがあれば、少々乱暴でもいいんじゃないかなあと考えている。
 新任まもなく結婚した私の結婚式にも、A子はクラス代表として数人の子らと参加してくれた。長男が誕生したときも、ベビー服を持って訪ねてきてくれた。
 間違いなくA子は、私の教師人生のスタートを方向づけてくれた教え子だと思う。
 日々、子どもたちとバトルをくり返しているあなたへ。「もう、教師を辞める」と思っては、気を取り直して頑張っているあなたへ。すっかり自信を失っているあなたへ。
 おめでとう。「大物」の子どもと出会えたあなたは、とてもラッキーな教師生活のスタートを切ることができたということ。格闘の日々の中で、これからの教師人生で宝物になるものを、きっと見つけられるはずです。
 若い教師がはじめから、子どもに「自分を開く」なんて、怖くてできないし、そんなにうまくいくはずもない。教師らしく説教しようとか、教師としての格好をつけても滑ってしまうこともしょっちゅう。
 
「どうして分かってくれないのか」なんて、恨みがましく思うより、真っ正面から直球勝負を挑んで、そして子どもにスカーンとホームランを打ち返されたらいいと思う。
 大事なことは、あなたがその子の存在を放っておけないということ。それは、その子のいいところも悪いところも、ひっくるめて、いとおしいと思えたら、もうこっちのもの。
 
「この日を迎えるために、自分は格闘してきたんだなあ」と、思える日がきっと来る。自分を信じて、子どもを信じて、進むしかない。
 私は「子どもとぶつかって泣くのは、プライドが許さない」「私はこんなに一生懸命なのに、どうしてあの子は分かってくれないのか」なんて、傲慢で薄っぺらな気持ちは、いつの間にか跡形もなく消えて、子どもの前で大泣きする教師になっていた。
 
「教師は、子どもたちによって教師にしてもらう」のだと、私は思う。
(
新保真紀子:徳島県生まれ、大阪府公立中学校教師(11)、大阪府人権教育研究協議会(7)等を経て神戸親和女子大学教授)

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22 87 プロ教師をめざすにはどのようにすればよいか

 何といっても「意欲」のある教師は伸びる。教師修業の原点は「真のプロ教師になりたい」という意欲を持つことだ。
 自分なりの目標を決めて、どうしたら自分らしい学びができるか、どうしたらよりよく学べるか、考えることだ。グループを作って学び合うのもよい。あちこちの研究会に身銭を切って出かけるのもよい。本や雑誌から学ぶのもよい。
 しかし「学び達人」といわれる教師に学ぶと効果が大きい。「まね」をしながら自分の方法(学び方)を創り常に工夫するくせをつけることだ。「あこがれ」(達人の学び方)を持ち、それに近づくにはどうしたらよいか、と常に工夫し、常に何かを試してみることだ。
 そして「学ぶことは、人生、一番最高の贅沢な遊びである」と考えるようにすることだ。学び、研究し、工夫することほど楽しいことはないと思えるようになったとき、その人は大きく成長しているといえる。
 私(有田正和)の場合、どのようにしてきたか振り返ってみる。
 私が高校に入って本格的な歴史を教わり「これはおもしろい」と思った。テストでよい点を取れていたので、ますます面白いと思うようになった。しかし、大学の歴史は全くおもしろくなく興味関心はなくなっていった。
 教育実習に行ったとき、担当の教師が社会科専門で、社会科の面白い授業を見せていただき、社会科への興味関心が再び高まり現在まで続くことになった。大学で満たされなかったものが、一気に満たされた感じがした。
 教職二年目に郡の社会科研究会で研究授業をすることになった。そこで「社会科の授業ではない」とこぴっどくたたかれた。社会科的な発言や考え方が全くできていない。教材が地域の事実に基づいたものではなく、足で取材した教材ではなかったことを叱られたのである。資料が抽象的で理解できるものではないことも指摘された。
 私は変わった。バイクを購入して、教材になりそうなところを見て回るようになった。実力者教師のまねをして、本や雑誌を購入して読むようになった。
 この努力が認められたのか、郡のテストを作成する委員になった。またもや、みそくそにいわれ、作り直しを命じられた。内容、つまり教材の研究がなされていないテストであったのだ。基礎基本を問う内容のないテストだったのである。
 指導法ばかり研究して、かんじんの教材研究を本気でやっていないことに気づいた。そして、奈良女子大付属小学校の研究会で長岡文雄先生の「ポストの授業」と出会い「授業とは何か?」と考えるようになった。
 
「自分を変えなければ」と最初に思ったのは、教師になって初めて卒業生を送り出すときであった。卒業しようとしている子どもから「先生は暗い。もっと明るく、おもしろい先生になってほしい」といわれた。
 この時、ジックを受けるとともに「絶対に明るく、おもしろい教師になろう」と思った。これから、ネアカ修業を始めた。
 明るく、おもしろい先輩教師を見習い、ユーモアやジョークの本を読みあさった。落語を聞き、漫才を聞くことを楽しむように努力した。
 しかし、ネアカ修業の時、ユーモアの最大の先生は子どもであることに気づくまでには、時間がかかった。例外はあるが、子どもはもともとネアカで、おもしろいことが大好きである。この先生に学べるかどうか。それが、成長できるかどうかのポイントである。 
 31歳の時、福岡教育大学附属小倉小学校へ転勤することになった。小倉の町のことを全く知らないのに、11回も地域教材を取り上げた研究授業を行わなければならなかった。
 研究授業のたびに完膚なきまでたたかれて、それまで自分で築いてきたものが音をたてて瓦解するのがわかった。夢にまで批判の様子が出てきて、うなされる毎日であった。
 社会科・学習・指導・案・単元・教材・内容とは何か、発問と質問はどう違うのか、本質とは何か、等々基礎的基本的なことを問われ、何も答えられなかった。
 つまり、社会科とは何かわかっていない自分を発見した。教材研究するといいながら教材とは何かわかっていなかったこともわかった。これまで築いてきたことは、と問いかえすと、何もなかったことに気づいたのである。
 附属小倉小学校に入って、たたきのめされ、自分を変えるしかなかった。30歳まで何をしていたのだろうと思った。大したものをもっていないのに、自分ではかなりのものを体得したと思っていたのだ。
 そこで、今までのものはきれいに捨てさり、新しい自分と、新しい自分らしい社会科を創り出さなければ、これからさき生きていけないと考えた。他人から批判してもらうことが、成長のカテになることに気づき、思いきり批判してもらった。
 そこで、基礎的な勉強をすることになった。「入門書」をさがし求めて読んだ。同時に、小倉の町を歩き回り、教材になるものをさがした。水道の断水があり「断水の歴史」を調べて教材化したりした。
 
「社会科とは何か?」と自問自答しながら、自分らしい教材、自分らしい社会科授業を新しく構築していこうとしたのである。
 
「小倉の町のごみ」という単元をつくり、子ども(三年生)とともに追及した。これは大変おもしろかった。「教材がおもしろければ子どもは追及する」ということがわかった。「ごみ日記」を書いたりする子どもも出てきた。予想もしなかった動きを子どもたちがしたのである。
 この実践をまとめて、共著で「市や町のしごと-ごみの学習」という本にまとめることもできた。ほんの少し自信らしきものができた。しかし、修業は続いた。続けなければ「有田社会科」の輪郭が描けない。まだ入口にきた程度であることがわかっていたからである。
 本当に苦しく、厳しい九年間であった。だが、この小倉時代がわたしの基盤になっている。修業につぐ修業の九年間であった。
 私に多少の資質・能力があるとしたら、それは「努力と挑戦」ができることだろうと思う。私と同じような環境におかれても、全く変わらない人もいる。こういう人は「今の自分でいい。今の実力で十分だ」と考えているのだろう。
 
「生きる力」というのは、生涯にわたって成長できる力であり「努力と挑戦」を続けることができる力である。
 子どもが変われば、それに合わせて自分を変えなければ、時代の変化にとり残されることになる。「成長という時計」を止めないのが本当の教師である。
 しかし、止めている人に時々出会う。そんな人をみて、自分を反省し、努力と挑戦をしたい。 
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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若い教師が教職を通して自分を確立していくには、どのようにすればよいか

 若い教師が教職を通して自分を確立していくためには、日々の教職の仕事のなかにどれだけ「教職のやりがい感」を見出せるかが重要になります。
 教師が感じる「教職のやりがい感」には
(
) 子どもとの関わりと職場環境の満足感
(
) 対外的な評価への満足感
(
) 働く内容への満足感
(
) 労働待遇への満足感
の分野があります。
 このなかで、() () ()は、若い教師の発達の問題を考えるうえで特に重要になってきます。この三つが、若い教師がアイデンティティを形成するための核となり、自己の確立につながっていくからです。
 したがって、若い教師が、この三つのなかのいずれかを実感できるかがポイントになるわけです。
「教職のやりがい感」を実感するには、どのようにすればよいのでしょうか。その方法は
(1)
教師仲間と一体感を実感する
(2)
周囲から認められる
(3)
自分なりに、やれていることを確認する
(4)
自分の関心の視野を広げる
ことが考えられます。これを若い教師に当てはめてみると、
「心を許せる同世代の教師仲間を、生活環境のなかで確保する」
ことが大事になってくるでしょう。
 心を許せる教師仲間が、たとえ一人でもいれば、(1)(4)はそれなりに満たすことができると思います。例えば、こんな具合です。
(1)
教師仲間と一体感を実感する
 悩みを語り合うことで、うまくいかないで悩んでいるのは自分ひとりではないんだ、ということを理解し合える。安心し、同じ苦労をしている仲間同士ということで、一体感を感じることができるのです。
 時には愚痴りあって、学校のストレスを発散し合うのもいいでしょう。一緒に食事したり、飲みに行ったり、カラオケをするのもいいでしょう。
(2)
周囲から認められる
 同じ職場の先輩教師からほめられなくても、自分なりに苦労してやったことを語り合い、それを同じ目線で聞き合って、言葉にし合って認め合うのです。
 同じ世代、同じ教職経験の者同士ならば、相手の言いたいこと、認めてほしいことは痛いほどわかるものです。
(3)
自分なりに、やれていることを確認する
 大きな行事の後とか、学期の筋目の時期などに、それまでの期間に取り組んだ内容について一緒に語り合うのです。
 できた成果を自慢し合うのではなく、取り組んできたこと、そのなかで感じたことを率直に語り合うのです。
 このような語り合いのなかで、自分なりにやれていること、自分の取り組んでいることの意味がより明確に意識されてくると思います。
(4)
自分の関心の視野を広げる
 夏休みや連休など、少しまとまって時間がとれるときなど、一緒に連れ立って、教育委員会主催でない研修会やシンポジウムに参加してみるのです。教育から少し離れてもいいと思います。
 教師としての自分に、日常の現場とは少し違う面での刺激を与えてくれるものがいいのです。
 地方の教師ならば、東京や大阪などで開催される大きな大会に、宿泊を伴って参加してみるものいいでしょう。研修会で知的刺激を得るだけでなく、会場でのいろいろな人との出会いも楽しみなものです。
 研修後は、みなで連れ立って,研修内容をサカナにして食事や飲み会で交流するのも、とても楽しいことです。
 心の許せる教師仲間が職場にいれば最高です。しかし、そうでない場合のほうが多いのです。そのような場合には、自分からつながっていく行動がとても大切だと思います。同じ町の同期の教師、大学の知り合いの教師と連絡をとる、などです。
 小学校、中学校、高校と、たとえ学校種が違ってもいいのです。つながるなかでの交流が大事なのです。メールを交換しあうのもいいと思います。
 心を許せる、自分の教育観を語り合える、本音の思いを開示し合えるような教師仲間との交友はぜひ取り入れてほしいのです。
 そのような関わりを通して、お互いに育っていくものなのだと思います。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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私が教師になって大切にしていたこととはなにか

 私は「人間は自分のために生きなければ生きられないが、他人のために生きる意志のない者は決して幸福になれない」という言葉を自分の座右の銘にしています。
 教育というのは、教師が体を張って実践し、その教育実践の中から理論を構築していくものであると思うのです。
 教育は実践の裏付けのない発言というのは、まずいのではないでしょうか。私はこれまで、体当たりで教育実践、カウンセリング、教育相談をやってきました。
 これを理論化することで、世の中の悩めるお父さん、お母さん、教師たちに、現場からの生々しい体験談を送り続けたいと思っています。そうすることにより、教育のひっそく状況に風穴をあけたいと思っています。
 私は教師になってからずっと、国語の力こそ、どの学力にも通じる知力になると考えていました。音読・読み聞かせは、どの学力にも通じる知力になると。
 たくさんの本を読む経験が考える力を伸ばし、想像力や感性を磨き、ものごとに柔軟に対処できる能力を育むのだと、今も確信している。
 だから、授業には必ず読書を採用した。毎日必ず5分か10分、音読授業をするのである。
 私が音読授業に必ず取り入れたのは、宮沢賢治と金子みすゞの作品だった。一草一木にも生命が宿るという、その優しいトーンに包まれるとき、子どもたちは深く心を打たれるようである。
 クラス中が一番しーんと静まりかえって、48人の子どもたちのうち、46人が涙したというほどの衝撃的な物語は、
宮沢賢治の「よだかの星」であった。
 ほかの生きものを殺して食べなければ自分が生きていけないというカヌマに苦しみ、いじめに苦しんでも生きなければならない「よだか」。
 それは宮沢賢治が晩年肉食を絶ち、矛盾に苦しみながらも清い心で奉仕を怠らなかった生き方にも通じて悲愴である。
 よだかの眼を通してすべての事象をとらえ、物語の世界にはばたけるのだ。深い余韻が残る名作である。
 そのほかに、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、夏目漱石の「こころ」も楽しめた。
 ハリー・ポッターの物語も、両親がいない悲しさ、いじめに耐える辛さを描きながら、その中にはあふれるほどの夢と希望をちりばめて、愛と勇気と正義をたたえている。
 また、イギリス社会の厳格なしつけ・悪に対峙する正義・死生観が随所に見られて興味深く、楽しく夢中になれる。
 ハイネの詩集を朗読したときは、「こんな恋愛をしようよ」という話になって、みんな真剣だった。
 読み聞かせや音読授業を始めてみると、子どもの理解力の深さに舌を巻いてしまうのが常である。
 素晴らしい物語を声に出して読むこと、友だちと一緒に感動を共有することは、何よりも心の肥やしになる教育であると私は思っている。
 それに、私は子どもたちの能力を伸ばすために、優れている点を見つけて表彰するようにしていました。
 私の授業は、ほめてほめまくることで子どものよさを引き出し、それを勉強や遊びのエネルギーにしていたので、子どもたちの成績はどんどん伸びた。
 初等教育では、とくに励ますこと、ほめることが非常に大事である。「やればきっとできるよ」と、言ってあげたら、子どもはどんどん伸びるものなのである。
 子どもたちのいちばん優れている点を見つけて、チャンピオンに任命することにした。 勉強面ばかりにこだわらず、その子のいいところをほめてやろうと思ったのだ。
 例えば、計算のチャンピオン、マラソンのチャンピオン、我慢強さのチャンピオン、水泳のチャンピオン・・・。
 どの子にも必ず、人に負けないいいところがあるはずだ。そういう思いで子どもたちを見ていると、誰もが一つどころではない、たくさんの優れた面を秘めていた。
 友だちに優しい子など成績として評価できなくても、それを賞として与えることで、友だちを見直したり、励まし合ったり、張り合ったり、相手のよいところを認め合えるようになってきたのだ。
 チャンピオン賞を始めてから子どもたちが確かに変わった。生き生きして自信を持つようになり、じつに楽しそうなのである。
 当時、毎日新聞から取材(昭和57年、見出しは「チャンピオン」)があったので、内容をつぎに引用する。
 チャンピオン賞の対象は勉強、運動だけでない。「おもいやりのチャンピオン」というのもある。だれもが一目おく長所を一人ひとり見つけてほめてやるのだ。
 先生が表彰状を読みあげると、みんなが拍手する。多少テレながらも目をキラキラさせて心からうれしそうに受け取る。
「その表情を見たさに一年間がんばっているようなものです」と
濤川先生。
 教師になりたてのころは、子どもの良くない点を直すのに叱ってばかりいたんです。でも、叱るだけでは私の言うことが子どもの心にスッと入らないと気がつきましてね。
 良い点を見つけてほめると、子どもに自信を与え、ほかの能力も伸ばすことがわかりました。子どもはみんな「宝物」を持っています。それを見つける眼力が教師には必要です。
(
(なみ)川栄太:19432009年、20年間の小学校教師を経て、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者、40年間つとめた教育相談では、悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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教職2年目の若手教師が経験したこと、めざそうとしていることとは

 教職1年目、小学校四年生の担任となった。初任者指導の教務主任に私の授業を見ていただいた。そのときの私の授業は、子どもたちは落ち着きを失い、勉強に集中できるような状態ではなかったことを憶えている。そのあとの教務主任の授業は、授業が進むにつれて子どもの表情が柔らかくなり、集中できるようになってきた。
 子どもたちは楽しそうで、それでいて課題に対して一生懸命考えている。教務主任の温かい雰囲気に引きこまれているように思えた。私は「こんな授業がしたい。この先生を目標にしよう」と心に決めた。授業、温かい人柄ともに師匠と今も思っている。
 私が教師になって一番のテーマにしている「子どもをどれだけ大事にできるか」は、この師匠に教えていただいたことである。
 二学期に大きな壁に当たった。夏休み明けの子どもの変化へのとまどいである。一学期にきちんとできていたことすら、できなくなっていた。
 そのとき、私は叱るばかり。子どもたちとの距離を感じ、自分ではどうしていいか、わからなくなってきた。そこで何度も学年主任に相談したのである。
 そのとき教えていただいたことは、子どもたちとたくさん話をして、今、子どもたちはどういう状態にあるのかを見きわめ、そして、学校での目標をしっかり設定してあげる。その中で、少しずつあせらず指導していくことだった。
 そのときから、教師の思いを一方的に伝えるだけでなく、ありのままの子どもたちの姿を理解し、受け止め、今の子どもたちにどう声をかけてあげればいいのか、何をしてあげればいいのかを考えるようになった。
 こうして、丁寧に子どもたちの表れを理解していくことが教師としての私の成長につながるのではないかと思うようになった。そこで、子どもと一緒に成長する材料として、行事を子どもたちと楽しむことを選んだ。
 行事が成功して、子どもたちの自信にあふれた笑顔を見せてもらい、教師という仕事の喜びを感じることができた。
 教職二年目の学級づくりがスタートした。私は三年生の担任になった。その始業式で私は面食らった。ほかのクラスはピシッと体育座りをしているのに、自分が受け持つクラスは寝そべっている子、ずっと隣としゃべっている子、なかには隣の子とケンカをして泣き出す子もいた。「こりゃ、すごいクラスだな」と思った。
 四月、五月は殴り合いのけんかは起きる、物はなくなる、授業を始めても数人が教室に帰ってきていない、毎日だれか一人は泣く、そうした状態であった。一つ問題が起きるたびに子どもたちの話をよく聞き、そして、ときには大声で叱ることもあった。
 学年主任からは「今年は、よく怒鳴り声が聞こえるね」と、言われた。だが、私は決してやたらと怒鳴っていたわけではない。私自身、去年より怒鳴ることが多いのは気になっていた。だから、子どもの表情や行動を見て、怒鳴るようにしていたのである。
 あまり怒鳴りすぎると、子どもたちは私の顔色ばかりをうかがうようになる。また、怒鳴られることに慣れてしまい、怒鳴っても言うことを聞かなくなる。
 そうなるのが一番怖かったので、怒鳴っても後には決して引きずらない、怒鳴る回数よりもほめることを増やすなど、クラスの雰囲気が悪くならないように努めていた。
 そうして学級経営をしている中で、子どもたちからは「先生は、悪いことしたとき怒鳴ってくれるから好き」という声も出てきた。
 そのことについて考えてみると、クラスでの集団生活の中で、何か悪いことをしたとき、それを毅然とした態度で指導してくれないと、子どもたちは安心して生活できないのだと思う。
 怒鳴ることが必ずしもいいこととは思わないが、怒鳴ることが必要なときもあることを感じている。今では、ほとんど問題は起こらないようになったし、それでいて、元気に授業中に発言したり、外で走り回ったりしている。
 四月、五月の状態を思い返すと「この子たちも、すごく成長したなあ。私もがんばろう」という思いがこみ上げてきて、私もやる気が出てくる。こうしたとき、子どもからエネルギーをもらっていると感じる。
 
「子どもを大事にするということはどういうことか」と問われたら、私の場合、その時々にできる細心の配慮をすることであると思う。  
 どんな小さな問題も真剣に考え、どんな授業も全力で取り組む、問題に対して前向きに取り組む、というのが私の姿勢である。
 この考えに気づいたのが、学生時代の教育実習であった。実習が始まり私は悩んでいた。「おれって、力ないな。頭が悪いな」こんな思いが頭から離れなかった。ある瞬間、パッと考えがひらめいたのである。
 
「自分の力についてあれこれ考えるより、明日の授業をどうすればいいか考えるほうが生産的なんじゃないか」
 
「もともと力があるわけないんだし、今やらなきゃいけないことを一生懸命に考えればいいんじゃないか」
 と、思ったのである。このときのことは今でも鮮明に覚えている。そして教師になった今でも授業や学級経営について悩むことはあっても、自分の力について悩むことはない。 
 
「自分の力について考えるよりも、今、目の前の問題をどうするかを考えたほうが楽だよ」と思っている。
(山崎準二編:1953年生まれ、静岡大学教授などを経て学習院大学教授。専門は教育方法学・教師教育論)

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面白くなければ授業ではない、教師の道に惚れ込み、面白さを見出すのがいい

 教師にとって授業が面白くなければ、子どもにとっても面白いはずがない。面白いということは、笑いがあるということである。笑いがある授業は楽しいのである。野口芳宏は面白い授業を求め続けている。
 笑いというものは楽しい時にしか生まれないから。良い授業には必ず楽しさがある。子どもの表情が生き生きするのである。そういう面白い授業を子どもたちにしていく、心がけが必要である。
 しかし、むろん笑いだけが面白さではない。笑いはしないが、考え合い、問いつめ、新しい解決の糸口を見つけ出せた時の喜びは格別すばらしいものである。
 そういった「知的興味の充足」も「面白さ」である。そのような面白さは、問いや、課題の質によって決まってくるとも言える。
 知的な面白さのコツは、ちょっとむずかしい問題を出し、初めは「わからない」と思わせ、少しずつその不満状態を解決していくプロセスをドラマにしていく点にある。
 野口の「うてとこ」の授業(「子どもを動かす授業の技術20+α」明治図書刊)などはその一例になろう。
 また、初めの考えが、時間の経過とともに否定され、やがて脱皮し、成長していくそのプロセスも、十分に子どもの知的興味をかきたてる。
 さらに、子どもが教師を乗り越えていくこともまたすばらしいドラマを生み、子どもを大いに楽しませる。
 教師の解答に不満や誤りがあり、子どもがそれを見つけ、教師の考え方を改めさせていくという面白さは、本当に教師も子どもも燃えに燃えることになる。その例としては、野口の実践「菜畑」が好適である。
 いずれにせよ、授業は面白くなければいけない。面白くなければ授業ではない、とさえ言ってよいだろう。野口は、あえて自らにそう言いきかせている。それをめざすところに、授業の腕を磨く楽しみもまた生まれてくるに違いない。
 教師の道を選んだなら、教師の道に面白さを見出し、教師の道に惚れ込んで、のめりこみをするのがいい。
 だから、どうしても教師という仕事、授業という仕事に面白味を見いだせないとしたら、教師としての人生はさぞ味気ないものになるだろう。また、そういう教師に教わる子どもたちの不幸も大きいことになるのではないか。
 私は人生にとって何に「面白さ」を見出すかということがたいへん、たいせつであるように思うのである。できうれば自らの選んだ職業の中に「面白さ」を見出し、それにのめりこんでみることが良いと思う。そういう、のめりこみの姿勢こそが、自らの人生の「探究」そのものになるのだと思うのである。 
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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教師にとって大切なことは「HOW TO」技術か、「見方・考え方」か

 私は、若い頃「HOW TO」を学びたくてしかたがなかった。「HOW TO」があれば「HOW TO」がわかれば、子どもたちによりよい学びが保障できるとずっと考えていた。早く技術が欲しいと必死になった。しかし、ある時、はっきりとわかった。教師は技術を大切にするだけではいけないことを。
 では、教師にとって一番大切なものは何か。それは「見方・考え方」である。「見方・考え方」がどれほど教師をつくりあげているかを知れば知るほど、教師は「見方・考え方」で生きているのだと実感する。自分の生きてきた人生を含んだ「見方・考え方」に大きく左右されるのだということを。
 だから、保護者のクレーマーにとりつかれた教師は自信をなくし、精神疾患に陥るかもしれない。また、いくら経験年数を積んでも、子どものことが読めず、学級崩壊を起こしてしまう教師もいる。
 これらは、子どもに向き合い、真剣に悩み、取り組んだ結果であろうか。どこか、逃げたり、後ろ向きになってはこなかっただろうか。これも「見方・考え方」の問題と関係しているのである。
 教師にとって大切なことは、子どもに向き合う本物の「見方・考え方」をつくりあげることである。それは、教師の「正義感」と「センス」と言ってもよい。教師は、自分の「見方・考え方」で勝負するべきである。それを一番よく見ているのは、子どもたちなのだから。
 教育の「哲学」と「HOW TO」の峡間を埋める力が、より重要になってきていると私は感じている。現場の教師にとって、そこが意外に弱点でもあるからである。
 教育の「哲学」と「HOW TO」の峡間を埋める力、それは「教育戦略力」であると私は思う。私の言う「戦略力」とは、現場や状況に合わせて、自分の手だてを柔軟に変えていけるというものである。
 それはいわゆる、職人がその日の天候やさまざまな状況の変化にも対応して一流の物を作りあげる過程に内在するものに近い。
(
成瀬 仁:新潟県公立小学校教師。国立大学教育学部非常勤講師、オーストラリア公立小学校での勤務経験がある。また、幼稚園の経験もあり、多彩な教職経験を生かし、子どもと環境、教師の雰囲気を考えている)

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教師が身につけておくとよい「生き方や考え方」とは何か

 教師はプロフェッショナルであると私は考えている。しかし、人並みのあいさつもできず、時間も厳守できず、人とも談笑もできないプロフェッショナルになってはならない。教師は人間味があって世間の常識もわきまえ、人生を肯定的に生きている人である。
 教師がそうなるためには、何を心がけるとよいでしょうか。そのためには
1 生き生きとした教師
 生き生きとした教師とは、若年寄でない教師のことである。若年寄の教師は、よくいえば素直であるが、わるくいえば覇気がない。いかにも重厚で人生のことは何もかも承知している雰囲気の人である。若年寄の教師は、子どもとの心のふれあいがもちにくい。
 こういう人は、本当の自分を抑えて外界にあわせて生きている。人に気に入れられるための人生であったことにやがて気づく。ある年齢になってから猛烈に自分を取り戻したくなる。しかし、今さら人の期待にそむくわけもいかず悩むことになる。
 人生は人に好かれるために生きているのではない。何かをなすために生きているのである。教師は無軌道になるくらいの自由な精神の持ち主になる方がよい。仕事も楽しくなるし、私生活も豊かになるからである。  
2 創造性のある教師
 創造性は感情と知的レベルのものがある。
 感情レベルのものとは、うれしいときにはうれしい顔ができ、泣きたいときには泣けることである。つまり感情表出の豊かな教師が創造性の高い教師ということになる。これをタイミングよく行っている教師が「自己開示」の上手な教師である。
 教師が自己開示するから子どもたちも自己開示しやすくなり、そこに心のふれあう人間関係が生まれるのである。
 創造性の第二の意味は、「既存のものに新しい関係を発見する能力」のことである。これは知的で思考を要する作業である。じっとしているだけでは出てこない。つぶさに知りつくそうとしているうちに、新しいアイデアが生まれるのである。
 創造性の第三の意味は、「既存のものを発想の転換、柔軟思考で、新しい意味を発見する」ことである。創造性の乏しい人は、それまで教わった意味づけしか知らないので、それ以外の受け取り方が思いつかない。それゆえ、世も末だと思い込んでしまったりする。
 創造性が育つためには、行動の自由と特定の「ねばならぬ」思考から解放されることである。創造性の育成がなぜ大事なのかを考えると。今の世の中は昔のように行動様式や教育の指導法が一定していないからである。それゆえ、そのつど頭を働かす必要がある。
3 生きがいをもつ
 教師は子どもの模倣になる立場である。それゆえ自分の実感から生きがいのある人生観をもつ必要性がある。生きがいとは、人生に生きる意味があり、虚無感や無気力、自暴自棄にならず、人生を楽しんでいる状態である。
生きがいが生じるのは、
(1)
時間の流れの中で今を見つめること
 悩む人、落ち込む人、絶望する人は、今が人生のすべてであると、今しか目には入らないからである。行動科学の理論を知っていれば先を推論できる。またイマジネーションを利用し、自分が子どもや親に感謝されている状況をイメージして生きがいを作り出すのである。
 もう一つあげると、自己暗示で「人生に八方ふさがりはない」「朝の来ない夜はない」等を信じるのである。私は苦境のとき、こういった教えを心に秘めて人生の希望を見出したことが何回もあった。
(2)
自分の役割をもつ
 自分の居場所があるということである。それゆえ、教師が学校、家庭、サークル、仲間づきあいで自分の役割をもつ体験はきわめて大事である。役割には必ず権限と責任が伴うのでグループ体験をすることが自分の「生きがい」を育てることになるのである。学校行事を教師が協力してこなす体験は、他の関係の中で自分を自覚する生きがいの源泉であるといえよう。
(3)
人と感情交流をもつ
 人は孤立感が強いとき生きる意欲は出てこない。他とのつながりがあるときには人生のフラストレーションに耐えることができる。これまで親・配偶者・上司・同僚に今まで「してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を思い出す。これによって感謝の念が湧きおこってくるのである。
4 人生哲学
 哲学というのは私たちの言動の前提になるものである。哲学(思想)があるから感情も生じるのである。生活を通じて哲学を吟味することである。この前提が定まらないと、子育ても教育も一貫性が出てこない。日常生活の前提(哲学)を提言すると
(1)
自分が人生の主人公である
 自分が自分の主人公であるという勇往邁進(目的に向かって,わきめもふらず勇ましく進んで行くこと)の気概をもつことは好ましいものである。
(2)
「べき」からの解放
 「人は○○すべきである」等の「べき」がある限り、自己嫌悪、人を嫌悪、人生をうらむという結果になるのが常である。
5 余暇と教養
 教師の仕事はストレスの多い仕事である。良心的な教師ほど「燃え尽き症候群」になりやすい。燃え尽き症候群にならないためにも、人生を楽しむためにも余暇の使い方と教養を豊かにすることは大事である。
 人生とは時間をいかに費やすかである。時間の費やし方にバランスのある人が生き方のモデルになる。人生は仕事のほかに、余暇活動、つきあいなど時間の費やし方がいくらでもある。それぞれを上手にバランスをとって生活に組み込んでいる人が人生の達人である。
 完全壁から脱却することである。時間がいくらあっても足りない。そこで重要度にランキングをつけて、低位のものは切り捨てることである。
 教師にとって教養は、人生を自分の専門である教職以外の目で見るという意味がある。プロは時々刻々と変動する状況の中でそのつど、自分で判断して行動を選ぶところにある。自分の専門だけを拠りどころにしては判断を誤ることがある。
 子どもの人生に関わる教師としては幅広い教養にふれて、できるだけ複数の観点になじんでおく方がよい。例やたとえ話に不自由しないし、子どもたちに共感的に理解を示すことができる。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長なども歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)

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「逆境こそわが恩師、飛躍のとき」という生き方が、自分を最高に輝かせてくれる

 私が新任の頃は、熱血で気合いが入っていました。先輩の声に耳を傾けようとしませんでした。生徒に対して力でおどしていました。生徒は私が恐いものですから、おもしろいように指示が通ります。体育会や音楽コンクールも優勝、成績もいつも上位で「どんなもんだい。俺みたいに学級をビシッとまとめてみろよ」と、先輩をバカにし、私はうぬぼれていました。
 しかし、一年が終わろうとした頃、弱いものいじめの問題が起こったのです。この問題を解決するために学級会で話し合ったとき「先生は、目に見えるものしかわかっていない。私たちの心が何もわかっていない」と言われ、私はショックを受け、その日をさかいに、生徒の行動の奥を考えるようになり、私は変わり始めました。
 
「生徒は、私を本物の教師に導いてくれる先生かもしれない」と考えるようになり「生徒に学ぶ姿勢」をもつようになっていきました。他の教師や本からも学ぼうとしました。東井義雄先生の本を読むと、私は心の底から感動して涙が出てきました。
 「私も東井先生みたいになりたい」と思うようになりました。私を教師として開眼させてくれたのです。「東井先生のように、優しくあたたかい心で、子どもをやる気にさせ、『今日も頑張るよ』と登校する、そういう教育ができる、本物の教師になりたい」という願いが生まれてきました。
 そのような学びの日々の中で、「生徒に学ぶ」「本を読み、深く感動した本の著者に感想を送る」「毎年、最低一本の実践記録を書く」ということを行うようになっていきました。
 教職について八年目に、次のような信念と方針をもつようになりました。
1 教師としての信念
(1)
人間にくずはない(金澤嘉一)
(2)
どの子も心のスイッチさえ入れば、必ず光りだす(東井義雄)
(3)
千の子どもに千の花が咲く(吉田六太郎)
2 信念に基づいた方針
 自分の仕事は、生徒一人ひとりが、自分で自分の花を咲かせるように支援すること。自分は、次の三領域から生徒と学び合うよう勝負する。
(1)
道徳
 
先達の生き方や考え方に出会い、感動し「こんなふうに生きたいなぁ」と、生徒が本心から「あこがれ」をもつようにします。
(2)
学級・生徒会活動
 自分たちの生活をより豊かにしようとしたり、仲間とともに問題を解決していこうとする中で「できる自分」「やれる自分」を実感し、自分に対する自信をもてるようにする。
(3)
社会科の授業
 「考えあう授業」を行い、思考力・判断力・表現力等を培うようにします。
 教師としての自分をふり返り、自分を少しでも高めるために、私は生徒たちに先生の通知表を書いてもらうようにしています。
 私にできること、それは、いつも自分をふり返ること、反省すること、そして、努力すること、学び続けることです。
 ふり返ってみますと、逆境のときに自分が成長していることがわかります。生徒に反抗されたとき、自分の手に負えない生徒に出会い「どうしたらいいのか」わからなかったときなど、私にとって逆境と思えるものが、私をめざめさせてくれているのです。
 天が私をきたえるために、逆境と先達を与えてくださっているんではないかと、つくづく思います。私にとって「逆境こそ飛躍のとき。逆境こそわが恩師」これは、私にとって絶対の真実です。
 「この学校は荒れているからイヤだ」「なんで、こんなきつい仕事をせないかんのだ」「あの子の担任だけはなりたくない」「なんでこんな病気や事故に会うんだ」と、いう考えはもたず、天が与えてくれるすべてのものを、自分を鍛えてくれるものとして感謝の心で受け入れる。
 その時、その場で、全力投球していく。そんな生き方をしていきたいと思っています。そういう生き方をしていくことが、自分を最高に輝かせることであり、真実の世界にめざめさせていく生き方だということを体験的に学んでいると確信しているからです。
(
赤坂雅裕:1959年福岡県生まれ、福岡県公立中学・高校教師、スペイン国日本人学校教師、福岡県教育センター研修主事を経て、文教大学教授。茅ヶ崎市教育委員会教育委員長)

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