カテゴリー「人間の生きかた」の記事

私はなぜ政治を志し、学校を創立して成果を出すことができたのか

 私(田野瀬良太郎)は、政治や教育とは縁もゆかりもない環境に育ちました。私の母親は、今で言うシングルマザーです。私が政治家になろうと決めたのは旅の途中です。学校づくりのきっかけは政治家になってからです。
 私の母は、4人の子どもを食べさせていくだけで精一杯でした。私は自分で稼いだお金で大学へ行きました。必死にアルバイトし30万円を貯めると大学に休学届を出し、海外放浪の旅へと飛び出したのです。
 
「足りなければ現地で稼げばいい、旅の移動はヒッチハイクにしよう」と無謀でしたが、外国を見て体験する期待感のほうが、大きかったのです。
 当時の学生は社会主義のソ連に憧れを抱いている人が多かった。モスクワは見ると聞くとでは大違いでした。「働いても、働かなくても給料が一緒だから」と、みんな無気力でした。人間は頑張ったなりに報われなければ、意欲や生きる気力を失ってしまうのだと痛感しました。 
 当時、日本の成長が著しく、旅のあいだ先々で「日本はどんな国か」と聞かれました。出発のときは「世界を見てやろう」と思っていましたが、フタを開けたら日本のことばかりを考える毎日となりました。
 タイにたどり着いたとき、ほぼ1年が終わろうとしていました。私は旅の総括をしました。「たしかに、日本には良いところも悪いところもあるが、やれば報われる今の自由な社会を守っていかなければならない」と。
 その考えをみんなに伝え、日本をもっとよい国にしていける仕事ってなんだろう。思いついた答えは政治家でした。大学を卒業して薬品会社に就職した後、30歳で市会議員になりました。
 39歳で奈良県の県会議員になった私は、学校不足に悩む奈良県の窮状を知り、議会で議論していくうちに、机上の空論ではなく、学校現場に飛び込んで実践をしてみたいと強く思い、学校づくりにチャレンジしました。
 奈良県に西大和学園を開校(1986)した当初は中堅公立高校のすべり止め、教師もまた公立学校教員採用試験の不合格者だった。
 開校2期生の教員採用試験で、私は特に面接を重視しました。ポイントに置いたのは「ところできみ、お酒は飲めるの?」といった雑談です。
 もちろん、お酒が飲めない人はダメというわけではありません。重要なのは、コミュニケーション能力があるか、ないかです。
 私は「自分の教科を教えるだけではあかんと思う。一つの教科を10年も教えたら、誰だってスペシャリストにもなれるし、東大の問題だって教えられる」
 
「でも、人間力というのは、必死に勉強して身につくもんやない。人間的に魅力のある教師でなければ、生徒を引っ張れない」と考えていました。
 そんな中で日本一の進学校を目指した。そこから、わずかな年月で東大、京大、国公立大学へ多数の合格者を出す進学校になった。
 実は開校した年は、私の長男が高校へ進学した年でもありました。私も高校生の親。だから保護者の声はどれもうなずけるものばかりで、可能な限りその要望に応えてきました。
 
「保護者の声をかなえる学校」というランキングがあったら、開校から現在までの30年間、西大和学園はトップの座をキープし続けていたのは間違いありません。
 
「熟や予備校で勉強するぶんまで学校がカバーする」という、他の進学校では珍しいやり方も、もともとは保護者の要望から始まりました。
 子どもを一番愛しているのは、なんといっても親です。その親が出す意見に理があるのは当然です。ならば、耳を傾け、かなえることが私たちの仕事ではないでしょうか。
 西大和学園が進学校として急激に伸びたのは、この保護者の声をかなえる仕事をやり続けてきたからだと私は自負しています。
 私は高校を手始めに中学、食堂、寮、武道場などの施設を充実させていきました。そのほとんどは借金です。
 親の大切なお金は、親や子どもたちが満足するように生かしていく。それも、学校に限らず経営の基本だと思うのです。
(
田野瀬良太郎:1943年奈良県生まれ、大学時代に1年間アルバイトをしながらヨーロッパや中近東、アジアなど33か国を歴訪。政治を志し、市会・県会・国会議員になった。教育が重要と痛感し、保育園・中学・高校・大学を創立した)

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資産10億ドルの実業家になれるかどうかは、内面の心や精神で決まる

 世界の資産10億ドルを保有する実業家の実態を調べた人はいない。そこで、透明性のある市場において、自力で富を築いた120人について調査した。すると、一般的に信じられている次のような間違いがあきらかになった。
(1)
若くして成功した
 7割以上が30歳代以降に成功のきっかけをつかんだ。
(2)
IT長者である
 業種は19種類におよび、ITも含まれるが目立って多いわけではない。
(3)
一発当てた人
 9割以上は複数の事業で大きな成功をおさめている。
(4)
モラルが低い
 同業者にくらべて社会的責任への意識が高い。
(5)
一夜にして大成功をおさめた
 長いあいだ試行錯誤を重ね、成功するために多くを投資してきた。半数は18歳以下で仕事を経験し、30歳以下で起業した人が75%もいる。
(6)
天賦の才能に恵まれている
 早くから働き仕事の経験を多く積んでいる。仕事を通じてスキルを磨き、努力して才能を伸ばしたのである。
 では、資産10億ドルを保有する実業家の本当の特徴とはいったい何なのだろうか。
 共通点は外的な要因ではなく、その人の内面、すなわち心や精神にあるらしい。莫大な富を生み出す秘密は心や精神にある。長い年月をかけてその能力を磨き上げてきたのである。
 その心や精神とは「矛盾や対立を包含する思考」なのである。
 顕著なのは、普通の人がばらばらに捉える物事を、ひとつにまとめる能力だ。
 一般的には、対立する概念を排除し、問題を切りわけて単純化するほうが簡単だ。裏を返せば多くのことを見逃している。
 矛盾する考えや行動を排除せず、頭のなかに大きな器を用意し、すべて投げ込んでしまい、自分のなかでうまく共存させる。正反対のものを抱かえながら、それでも思考が混乱しない。
 内面には対立を抱え込む器があり、異なる概念、視点、尺度といったものを無理なく持ち続けることができるようだ。つまり
(1)
現実をありのままに把握しながら、自由奔放に想像を広げることができる。
(2)
全速力でプロジェクトを進めながら、忍耐強く時機を待ちつづけることができる。
(3)
自分の考えとは正反対の人を受け入れ、力を合わせて高い成果を上げることができる。
 資産10億ドルを保有する実業家の思考や行動の習慣が身につけば、日常のあらゆる問題を複合的に捉えることができる。習慣になっている行動をするとき、とくに意識しなくても体が動くのと同じだ。
 もっとも重要な5つの特徴とは。
(1)
共感力と想像力で未来を描く:「アイデア」
 現実の顧客が抱かえているニーズを読み取る共感力を持っている。実際の体験や出会いを通じて、人々が潜在的に求めているものを感じとる能力だ。
 すぐれたアイデアのきっかけは共感力だ。共感力はビジネスの勘を養い、顧客のニーズを見抜くことを可能にする。
 それと、誰にも思いつかないような製品をイメージする想像力も持ち合わせている。共感をベースに、その先を思い描く能力だ。その共感力と想像力の融合が爆発的な大ヒットを生みだすのである。
 既存の情報をもとに、さまざまな考えを自由にめぐらせ、どんどん思考を広げてまだ見ぬアイデアにたどり着く。
 決定づけるのは、情報の質と多様さ、想像力の強度である。すごいアイデアは幅広い知識から生まれる。情報収集を欠かさない。
 知識を蓄え、経験を積み、ひとつのことにじっくり取り組んできた成果として、あるとき最高のひらめきが訪れるのだ。
(2)
最速で動き、ゆっくりと待つ:「時間」
 ビジネスはタイミングが命だ。タイミングが予測不可能であることを知っている。だから「短気」と「気長」の両面を同時に持ち合わせている。
 チャンスをつかむために最速で動く一方、機が熟すのを誰よりもゆっくりと待つのだ。成功の影には、地味で苦しい待機期間が隠れている。
 つねに手と頭を動かし、試行錯誤と改善をくり返しながら、アクティブにチャンスを待ちかまえるのだ。
 長期的な視点をつねに持ちながら、あたかも目の前の仕事しか存在しないかのように行動する。
(3)
創造的にルーティンワークをこなす:「行動」
 クリエイティブなアイデアを考えるのと同じくらい熱心に日々の仕事にも創造性を発揮し、新たな価値を生みだすことができる。
 大きな夢を見るだけでなく、小さな実行をけっしておろそかにはしない。製品や業務のデザインを一から見直すことで課題を乗り越えることが多い。
 自分で経験したことのない人には、売るというのがどういうことかけっして理解できないだろう。若いうちに営業を経験した人が多く、実に8割の人が営業を経験している。
 仕事で多くの人を説得するなかで、相手を見抜く術を経験的に身につけている。
 売り方をデザインすることによって、これまでにない製品やサービスを世の中に広めていく。
(4)
現在の金銭的損失よりも将来の機会損失を恐れる:「リスク」
 今あるお金を失うリスクよりも、将来の可能性を逃すリスクを何よりも気にする。未来のために失敗を恐れず何度でもチャレンジする。爆発的なヒットをつかむまでに複数の事業を立ち上げている。
 失敗は恐れるべきものではなく、成功のための大事なステップなのである。
 自分が本当にほしいものを見失なわず、より広い視野でリスクを評価するから、見かけ上のリスクにだまされることがない。
 すべてを賭けて自分を危険にさらさず、うまくいかなかった場合にどうするか、次善の策を考えている。確実な収入源や資金源をどこかに用意しておく。
(5)
自分と正反対の人を仲間にする:「仕事相手」
 大半が対照的なタイプの人間と長期的なパートナーシップを結んでいる。
 並外れた成功を手にするためには、ありとあらゆる能力が必要になる。だから自分にないものを持った人を仲間に引き入れる。ビジネスの限界を突破するのだ。
 かならず実務に長けた相棒が存在している。自分と正反対の人物を受け入れ、協力関係を築き上げている。補完的な能力を持つ人と組むことで、得意分野に専念することができる。
(
ジョン・スヴィオクラ:元ハーバード・ビジネススクール助教授。世界的コンサルティングファームPwCパートナー。多数の企業に助言を行う)

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「人の長所を観察する、考える」習慣で、壁を乗り越え、新たな道が開けた

 身長が低いが全日本女子バレーボール選手代表として活躍しました。つねに続けてきたのは「考える」ことです。そのおかげで、いろいろな出来事を乗り越えてこられた気がします。
 バレーボール選手として最大の壁は、159cmという低い身長でした。身長が高いほうがバレーボール選手として有利です。高校卒業後も、どこのチームからも声がかからず、実業団入団後も控えの選手であることが長らく続きました。
 それでも、あきらめずにいられたのは、つねに「そうであるならば、どうする」と考えてきたからです。バレーボール人生を通して続けていたのは「考えることから、逃げない」ことです。「身長が低いから通用しない」ではなく
「身長が低くても通用するためには、どうすればよいか」
「何を頑張れば、世界で通用するか」
「チームの中で、自分の居場所をどうつくるか」
といった、「できない理由」ではなく「できる方法」を考え、あらゆることを実践してきました。
 考えないほうが、生き方としては楽だし、簡単です。考え始めれば悩みも出てきて、悩んでいる間は苦しい。しかし、周囲の助言も聞き入れながら、考え続けていると、必ずいい道がひらけてくるものです。
 考えるなかで、もう一つ日常的に行ってきたことは「観察」です。これは「セッター」(攻撃する選手に向けて球を上げる)という私の役割が影響しています。
 セッターは、いわばチームの司令塔です。仲間の選手にサインを出し、球を攻撃する選手に向けて上げるという重要な仕事です。チームの力を最大限に発揮するうえで、各選手の特性や性格をよく理解していなければ、この仕事はつとまりません。
 選手の性格や考え方などはさまざまです。気の合わない人も必ずいます。しかし、一人ひとりをじっくり観察すれば、どんな選手も長所や強みは必ず見えてきます。
 そのうえで「この選手の強みと、あの選手の強みはこんな風に活かせないか」と考えるようにする。長所をパズルのように組み合わせ、シミュレーションすることを続ける。
 このように考えて練習したことが成果につながり、少しずつ評価を得ることができたのだと思います。
 選手たちの長所を探せば、新しい発見ができて、いい関係が生まれる。チャンスが広がるし、人間関係も豊かにしてくれる。
 勝ために始めた「観察」は、その後、すっかり私のクセになっています。
 頑張っても報われないことは、いくらでもあるでしょう。しかし、努力は必ず人生のどこかで「何か」につながります。自分自身が強くなれたり、成長できたり、周囲の信頼を得られたり、新たな道が開けたりします。
 2012年のロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得することができました。
 コツコツとした努力は、いたって地味な繰り返しで、その時は意味があるのか、ないのかわかりにくいときもあります。しかし、実は一番、その人の人生を変えるものだと思います。
(
竹下佳江:1978年福岡県生まれ、元全日本女子バレーボール代表キャプテン。2012年のロンドンオリンピックで銅メダルを獲得。女子バレーボールチーム「ヴィクトリーナ姫路」監督)

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器の大きい人、ふところが深い人とはどういう人か

 私は京都・祇園に生まれ育ち、15歳で舞妓になり、芸妓を経て、24歳でお茶屋の女将になりました。器の大きい人や、ふところが深い人をたくさん見てきました。
 日頃、人と接する中で「器の大きい方やなあ」と思うのは、人脈の広い人ですね。何かたのみ事をした時「うん、わかった」とすぐ関係先に連絡をとって手配してくれる人がいます。
 自分が何から何まで動くのではなく「それなら、こんな人を知っているから言うてあげる」と、適切な人につないでくれるのです。
 よく「ものを頼むなら忙しい人に頼め」といいますが、ほんまやなあと思います。忙しい人は忙しいからこそ、チャッチャッと手配をしてくれる。人脈が広いということは人望があるということでもありますしね。
 器の大きい人は決して偉ぶらないというのも共通点です。お客様のなかには大きな会社でそれなりの立場の方もいらっしゃいますが、うちへ来られた時は、名乗りもされません。お帰りになってから「あの方、気楽にいろいろと楽しくしゃべらせてもろたけど、どなた?」と聞かれ、答えたらびっくりされるということがあります。
 ただ、どんな人であっても、いつも「器の大きい人」でいられるわけではないと思うんです。関係性や場によってもかわりますよね。ある人から見たら長所でも、違う人が見れば短所かもしれません。気前のいい人を器の大きい人と受けとめる人もいるでしょうが、「ええかっこして」と思う人もいます。
 大事なのはその場の状況をみながら、その時に応じたふるまいができること。TPOを心得て、自分に合った判断ができることですね。
 それにはもう、経験を重ねるしかありません。出しゃばりでもよくないし、引っ込み思案でもいけません。時には失敗しながら勉強していくものなんでしょうね。長年、私の店に通ってくださるお客さまを見ていて、お若い時とはずいぶん違ってこられたなと思うこともありますよ。
 肩書きは関係なしに「器の大きい人」、「えらいなあ」と思う人もみなさん、前向きで好奇心をもっていらっしゃいます。
 いつも先のことを考えたり、前向きに見ておられるから、話をしていても楽しい。人も寄ってきて人脈もできる。
 結果的にこういう人が「ふところが深い」「器が大きい」と言われるようになるのと違いますやろか。
(
高安美三子:京都生まれ、舞妓、芸妓を経て祇園のお茶屋女将。店内にあるバーは経営者や文化人の交流の場として人気を集めている)

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「1%」生き方を変えるだけで、個人も社会も幸福になる

 どんな人にも変われる可能性があるのです。生き方を変え、「1%だけ」誰かのために生きてみてください。1%だと肩の力が入らないですみます。「まず1%」と思うと、心や体が動かしやすく、やり抜くことができます。
 人生がおもしろくなり、生きるのがラクになります。1%は小さいけれど、とてつもない力を持っています。みんなが「1%」生き方を変えるだけで、みんなが生きやすくなっていく。個人も社会も幸福に近づきます。
 今、時代は確実に悪い方向に動いてきている。陰惨な事件が頻発している。とんでもないことに、多くの加害者が自分は被害者だと思っている。みんな自分のことしか考えられなくなっている。
 事件にはならないけど、生活の周りで嫌なことがいっぱいおきている。すべて自分、自分、自分のことしか考えない。こんな時、1%でもいいから、相手の身になってみることが大切だと思います。誰かのためという一人ひとりの思いには、優しくする力がある。それに触れた人たちや社会や地域を変える力があります。
 人生は思い通りにならない時があります。人間はひとりでは生きていけない弱い動物です。人はみな愛に飢えています。だから、自分の悲しみは横に置いて、誰かのために何かをしてあげ、「あなたに感謝します」と言ってもらえると、悲しみは癒されます。
 人は自分のために生きてよいが、その上に1%、誰かのために生きると、思いやりホルモンが分泌され、幸せで健康で長生きができることがわかってきました。誰かのために生きると体にいいのです。1%でも相手の身になってみると、職場・家庭・地域の空気も、変わります。
 私は「1%は誰かのために」と思って生きてきました。
 私が院長を引き受けた時、赤字が2期続いていました。やったことはたった2つ。朝早く病院の玄関に出て、患者さんを迎え「おはようございます」と挨拶をしました。私を含めた幹部の手当を1%カットしました。
 これで院内の空気も、地域の人々の見方もいっきに変わり、赤字もすべて解消しました。1%がミソです。1%なら出来るような気にしてくれます。この感覚が大事なのです。
 私は健康づくり運動を40年間やってきました。「1%だけ生活習慣を変えてみませんか」と住民の人たちに訴えました。身につけた生活習慣を変えるのは大変です。でも1%なら変われると住民は思えたのでしょう。1%で地域が大きく変わりました。長野県が日本一長寿になりました。
 1%というのは不思議な数字です。実は無限大の力を持っている可能性があるということです。人生も1%で変わり始めることに気がつきました。
 みんなが1%、生き方を変えれば、私たちの社会も変わっていく。1%には不思議な力があります。誰かのための1%が社会を変えるのです。その1%が回り回って自分に力を与えてくれているように思います。
 人間は弱い生き物だけど、実は強いのです。一人の人間の中に強さと弱さが共存しています。人間の関係の中で人は強くもなり、弱くもなる。弱い人間が強く生きるためには、人間の関係を少し変えればいいのです。
 自分の中にある「強い自分」に気づいて、いい刺激を与えることが大切です。0でない限り1%でも、そこをきっかけに良い展開が始まることがあります。
 その大事な「強い自分」を動かすためには、良い人間の関係が必要なのです。1%は無限の可能性を持っているのです。
(
鎌田 實:1948年東京都生まれ、長野県諏訪中央病院名誉院長。院長となり潰れかけていた病院を再生させた。「健康づくり運動」を実践し長野県が長寿日本一となる。日本・チェルノブイリ連帯基金(JCF)理事長、日本・イラク・メディカルネット代表)

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才能のあるなしにかかわらず、とことん悩まないと成長はない

 東京美術学校の三年のころ、私は絵の才能がないと思い、転学受験のために成績表をもらいに行ったら、新任の先生に言われた。「君は池の底に足がついたんだ。君の絵はこれ以上、下手にならない。あとはゆっくり登っていけばいい。焦らなくていい」と言って、私をビアホールに連れていってくれた。ビールを飲んで私は絵をやめることをやめた。
 私は広島で中学生のときは戦争中であった。三年生のとき学徒動員で働いていた。そのとき被爆した。建物の中にいたが目の前に真っ黄色の閃光が走った。もし外にいたら失明し絵を描くことができなかったかもしれない。学徒動員は重労働で、ろくな食べ物もなかった。下宿に帰ってから絵を描き続けた。いつ死ぬかわからないから、生きたという証を残しておきたかった。自分らしさ、自分なりの価値観 
 今の学生は自由すぎて、かえって不自由になっていると思う。私が勤労動員していた当時は、将来への希望は見えず、空腹で疲れていた。「不自由な時代の自由」と、「自由な時代の不自由」このことを今の若者たちが考え、感じ取ってほしい。
 私が東京芸術大学の学生たちに伝えたいのは、アイデンティティ(自分の生き方や自分なりの価値観の確立)とオリジナリティー(独創性)だ。志をどこに置くのか。高く置くほど準備と才能が必要となるが、志が低ければ一流から遠ざかる。芸術の世界は長い勝負だ。いっときヒットを放っても後が続かないことも少なくない。才能のなさに気づくこともあるし、せっかく才能があっても磨かない人もいる。ただ、一つだけ断言できる。才能のあるなしにかかわらず、とことん悩まないと成長はないということだ。
 私も自分の才能に自信がなかった。結婚していたから生活に余裕はなく、成果を上げなければと焦った。しかし、被爆の後遺症で身体が衰弱し、心身ともに窮まった。このころ、私は原爆に対する怒りとか告発を絵のテーマにしていた。しかし、いくらスケッチしていても心が安まらない。怒りではなく「平和への祈り」こそが私のテーマなのだとやっと気づいた。
 それが、奈良・薬師寺に玄奘三蔵の壁画を描くことを思いついたきっかけである。玄奘三蔵は打ち首にされる寸前でも人の道を説き、相手は弟子入りした。なぜそんなことができたのか。命がけだったからなのだと思う。私の背後にも戦争で死んでしまった仲間が大勢いる。私も倒れるまでやるしかない。約30年描き続けてきた薬師寺の壁画が完成した。 私はまだ描き続ける。若者よ、あなたたちも自分を磨いてください。
(
平山郁夫:1930年-2009年、広島県生まれ、東京美術学校卒、前田青邨に師事、「仏教伝来」が注目を浴びる。シルクロードをテーマに旺盛な創作活動を続けた。東京芸術大学学長、日本美術院理事長を務めた。文化勲章受章)

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世阿弥の能役者としての人生の過ごし方とは

 世阿弥が生きた時代は14世紀の中ごろから15世紀の初めまでである。しかし、世阿弥の人生の過ごし方は、現在でも充分に通ずる。世阿弥は日常をしっかりと見つめていることに気づく。
 世阿弥は能役者の人生の過ごし方を語っている。
 7歳ころは、子どもにまかせて、心のままにさせること。「よい」、「悪い」とは教えてはいけない。あまり強く諌めると、子どもはやる気を失って、能物くさく成り、やがて能の成長は止まる。子どもの心理の洞察をし、子どもを飽きさせないように配慮している。
 12,3歳のころに稚児としての美しさがはっきりとあらわれる。しかし、年齢からくる美しさであって、まことの花ではない。この年代では、あまり細かい演技はさせないで、その年頃の花が生きるような単純なことをやるようにして、声も舞も基礎をしっかりとかためなければならない。
 17,8歳の頃になると声変わりし、美しい童形の稚児的な魅力が衰え、あまりぱっとしなくなる。この頃が芸の転機で、この時こそ能を生涯の仕事と覚悟するときである。けっして能を捨ててはいけない。自然そのものから意志によって生きる人生への転機である。
 24,5歳になって、いよいよ能役者として本当の天分が試される時となる。この頃に声も体つきの良さも決まってしまう。この年代では芸もしっかりしてくるので人々がほめそやすこともあるが、それはあくまでも若さがもたらす華やかさとめずらしさからであって、本当のものではない。まことの花と思いこんでしまうととんでもないことになる。
 世阿弥はその花が一時のものであって、歳を重ねれば失われてしまうものであることを誰よりもよく知っていたのである。この時こそ、ここを初心とこころえて稽古に身をいれ、名人と言われる人の話を謙虚に聞かねばならない。若さゆえの花が失せた時のための準備をしなければならない。能という身体芸術を、身体の衰えをこえて一生のものとする人間の覚悟である。
 34,5歳は能の絶頂期であると世阿弥はいう。この年代に名声を得ることがなければ、以降は衰える一方であるから、まことの花を得ることはむずかしいと世阿弥は言いきる。
 44,5歳になれば、観客から見ても身体的に花が失せてくるのがはっきりしてくる。はげしい動きのものや肉体の衰えがわかるものはしてはいけない。
 世阿弥の父、観阿弥が52歳ときの能は、そこに花を見る思いがするような美しさがあった。観阿弥は老いて軽やかに能を自由の境地で舞ったのである。世阿弥は老いることに自由をさえ見ようとしている。「老いる」ことは自由そのものである。あらゆる能の段階を成就してから、大衆受けのするくらいの低い曲を軽やかに舞った父を見て、のびやかな喜びへの憧憬があったのかもしれない。
 こうして、世阿弥の芸術家の人生を追っていくと、その修行は三つの段階をのぼっていくことであることがわかる。「自然の身体」、「意志の身体」「自由の身体」の段階である。
 この三段階の間にあるのは、日常の試練と、年齢という試練である。これをこえていくのは、稽古による鍛錬と、人生の不可抗力をすりぬけていく戦略である。
 子どものあるがままの美しさから、自分でつくりあげていく芸への段階に進み、究極に芸術の領域を自由に移動する場に立つことになる。
 老いることは、衰えることである。しかし、衰えることを知る者は、その衰えをひょいと飛びこすことができる。世阿弥はそう生きよ、と言う。そこに、人間だけが知る自由の境地がある。
(
土屋恵一郎:1946年東京生まれ、明治大学教授。法学者・能研究家)

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子どもたちは自立心と友だちをつくり助け合うことの喜びと大切さに気づいてほしい

 私は1944年に軍人としてフィリピンに着任し、終戦(1945)後も潜伏していたフィリピンのルバング島から1974年、53歳で日本に帰国した。日本はすっかり変貌して知らない国のようだった。
 どんな仕事をしてよいかわからずにいたとき、ブラジルに移住していた兄から「牧場をやらないか」と勧められた。ルバング島30年の体験で、熱帯の風土や気候は肌で知っている。自然と牛が相手なら、人間関係に悩むこともないだろうと考えてブラジル移住を決めた。
 簡素な木造の家には電気も通っていなかったが、寝る間も惜しんでブルドーザーを運転し、ジャングルを開拓した。現在、私の牧場は牛を1800頭を飼育している。
 牧場経営が軌道に乗ってきたとき、日本の少年犯罪が多発していることを新聞で知り「日本の子どもたちは追いつめられている。このままでは日本がダメになる」と考えた。ブラジルの牧場経営は私がつきっきりでいる必要はなかったので、1984年に日本に帰り、富士山麓で子どもたちのキャンプ場を開いた。
 私は子どものとき、親に反抗し、困らせてばかりいた。私に子どもを指導する資格があるとは思えないが、自然のなかでサバイバル技術と知恵なら子どもに授けられる。この自然塾での子どもの指導は私の人生の最後の仕事となった。
 キャンプは小学三年生から中学生まで約80人。三泊四日と六泊七日のコースがある。一人で生き抜くつらさ、困難、寂しさ、友だちをつくり助け合うことの喜びと大切さに気づいてもらうことが目的だ。
 キャンプで火をおこし、森にある道具だけを使った牛肉の燻製づくり、ナイフやロープの使い方、北斗七星やカシオペアの位置から時間を計る方法などを教えている。
 もちろん、どのグループの指導も順調にはいかない。年長の子が年少の子の面倒をみようとしなかったり、衣服が汚れるから地べたに座れない子もいる。それに、友だちをつくるのが下手だ。
 親が子どもをペットの犬をかわいがるように子どもを育てていると、子どもは増長する。犬は成犬になってからの調教は難しい。待て、座れ、お預けは子犬のときに教え込むしかない。叱られたことのない犬は、自分をその家の権力者だと勘違いし、気にくわないと飼い主を噛むようになる。
 暴力や学級崩壊は、秩序や礼節が欠落してしまった家庭の破綻の延長線上にあるのではないか。犬も人間も、しつけができていないと手に負えなくなる。怖いもの知らずがいちばん怖い。
 キャンプでは腕力や気の強さの違いがすぐわかり、強い子が弱い子をたたく心配も出てくる。私はキャンプの初めに「自分がされて嫌なことは他人にしないこと。他人をたたけば、その子は私たちスタッフに強く叱られても文句は言えないよね」と必ず話している。
 教師は人にやさしくしなさいと教えるが、強くなければ、やさしくはできない。寒い山の中で凍えている人に自分の上着をかけてやるのはやさしい行為だが、上着を脱いだ自分はさらなる寒さに耐えないといけない。「頑張れ」と言葉で励ますだけなら、見物人と同じである。
 私はジャングルで一人だったが、子どもたちには、手を伸ばせば手をつないでくれるかもしれない仲間がいる。サバイバルのいちばんの術は、自立心と仲間・友だちなのだ。
 私は今年、80歳を迎える。私の人生はすでに一回、減価償却してしまった。小学校の同級生も三分の一は戦死した。私は何かのはずみで死なずにすんだだけで、残りの人生はもうけものだと思っている。もうけは独り占めにするのではなく、子どもたちに返したい。
 松下幸之助さんは、かつて成功の秘訣を聞かれ「成功するまで続けること」と答えた。私が子どもたちに伝えたいこともこれである。
(
小野田寛郎:1922年-2014年和歌山県生まれ、1944年陸軍軍人としてフィリピンのルバング島に着任し1974年に帰国した。半年後ブラジルに移住して牧場を経営。少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛め、健全な日本人を育成したいと、サバイバル塾『小野田自然塾』を主宰。自らの密林での経験を元に逞しい日本人を育成するとして、講演会や野営等を行った)

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いじめのおかげで私は成長した、人生の出発に年齢はない

 父は荻原朔太郎です。名の知れた詩人で、娘である私は何不自由のなく育ってきたと思われているようだ。しかし、家庭のぬくもりはまったくなかった。妹は五歳のとき高熱を出したが母は恋に夢中のため手遅れになり、知恵おくれの後遺症が残った。母は31歳のとき「子どもたちの犠牲にはなりたくない」と私と妹を捨て、家を出て恋人のもとへ走り去った。
 その後、祖母が母代わりなった。祖母は憎い嫁の子である私を恨み、毎日「虫けらにも五分の魂というが、葉子には一分の魂もない」、「お前は死ぬしか能がない」などと罵倒した。少女時代の私は、自分を虫けら、ダメな人間と決めつけ、毎日死ぬ場所をうろうろ探していた。
 私が21歳のとき父が亡くなった。父の死後、親族が家を乗っ取り私と妹は身一つで追い出された。
 私は職場結婚したものの、四畳半一間のアパートで内職をし、その日食べるだけで精一杯だった。貧困生活と夫の暴力に鬱々した暮らしに明け暮れた。やがて母は夫に捨てられ私が引き取った。母はわがままで脳軟化症となり妹とけんかをし、刃物が私の足元に飛んでくることもあった。母は夫とも刃傷ざたまで演じた。夫とは八年後離婚した。
 私は38歳から執筆活動を始めた。あの悲惨な少女時代を書かずに死んだら、それこそ虫けら以下、犬死にになってしまうと思った。虫けらにも取りえはあるはずだ。自分の体験を文学に昇華させ、完結させることが、私の人生の課題だと思うようになった。
 「蕁麻(いらくさ)の家」(女流文学賞を受ける)は、こうした私の小学校三年生から21歳のとき父が亡くなるまでの家族の出来事を題材にした小説です。蕁麻の葉と茎の毒のように、家族に毒のトゲを刺されて苦しむ少女のイメージを重ねて題材にした。
 この作品は悲惨で暗いのに、ベストセラーとなり、連日たくさんの手紙が読者から届いた。「自分と似た運命で感動して読んだ」「自分よりずっと困難ないばらの道を歩いてきた人がいることを知り、死のうと思っていたがやめた」という手紙が多かった。「親に反抗していましたが、反省しました」と書かれた小学生からの手紙もあった。
 自分を不幸だと思っている人が、自分よりもっと不幸な人の存在を知ることは魂の浄化になるようだ。この作品で私は自分を解放したが、お会いしたこともない読者のお役に立ったことを素直に喜んだ。
 虫けらはいつまでも虫けらのままではない。サナギになり、やがて蝶になる。私も作品を一つずつ仕上げることで脱皮していき、蝶に近づいていった。死ぬことばかり考えていた少女時代と比べれば格段の進歩である。
 私の信条は「人生の出発に年齢はない」である。実際、私が「蕁麻の家」を書き始めたのは四十代後半、猫を中心としたオブジェ創りは六十代半ばからで個展も開いている。
 人間はだれしも「楽」を望むらしいが、私は不思議なことに楽を追求したことはない。楽は人間をダメにする鬼門だと思っている。
 これまでの私は苦しみの連続で、今日の明るい自分など想像もしなかった。楽のできる環境だったら、このような暮らしは訪れなかっただろう。自分の能力探しや生き方も「蕁麻の家」が出発だった。その意味で父に感謝してよいのかもしれない。
(
萩原葉子:
19202005年東京都生まれ、小説家、エッセイスト。「父・萩原朔太郎」で日本エッセイストクラブ賞を受賞、「天上の花」で田村俊子賞、「蕁麻の家」で女流文学賞を受ける)

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何かを変えたいと思ったら、まずあなた自身が変わらなくてはいけません

 女性実業家の広岡浅子()は人生の生き方についてつぎのように述べています。
 私たちには、素晴らしい力が秘められています。ところが、その力を十分に活かしきれていない人がほとんどです。
 人は無意識のうちに、先入観や思いこみにとらわれて生きていることがあります。みずから勝手につくりあげた常識や、生活習慣、生き方に縛られているのです。頭の中でつくりあげた生き方が、自分の限界をつくり出し、あなたの成長を阻んでいるかもしれません。それを捨て去ってしまえば、あなたの人生はもっと自由な生き方ができるようになるでしょう。
 自分の力を思うぞんぶん発揮するには、知識の入れ替えが必要です。そのためには、まず、いったん古いものをはき出して、新しいものが入ってくるスペースをつくること。それが、あなたの新しい世界を創造する第一歩です。
 何かを変えたいと思ったら、まずあなた自身がみずから立ち上がり、変わらなくてはいけません。ただ考えているだけでは、何もかわりません。これまでの古いものを脱ぎ捨て、殻を破り、新しい自分を手に入れなさい。
 前に進んでいくためにはプランが必要です。自分の強み、弱みは何か。何を持っていて、何が不足しているのか。これから成長していくために、必要なことは何か。みずからを振り返ってみれば、おのずと道は見えてきます。
 何かをなしとげ、成功をおさめた人たちはみな、常軌を超える勢いで突き進んでいます。情熱は天をも動かします。信念を燃え上がらせることで、巨大な変化を生み出すことができたのです。
 いまこの瞬間、最善で最大の努力をしましょう。人生の希望は、いまこの瞬間にこそあります。それが本当の希望です。その努力は、必ずあなたをひとまわり成長させてくれます。挑戦と成長をくり返ししていくうちに、いまの自分では考えられないほどの高みに到達していることでしょう。
 すべてを捨て、心をひとつに集中して仕事にとり組んでいると、自分が自分ではないような気分になることがあります。その結果、まるで精霊の助けを得たかのような、奇跡とも思える成果を生み出すことだってできるのです。
 もし何かに失敗しても、失敗のまま終わらせないことが大切です。失敗から学べることが、たくさんあるからです。失敗が教えてくれるものは何か、考えてみる。原因を究明し、次は同じことをくり返さないよう手を打つ。そうすれば失敗を重ねることはありません。
 人生に悲劇が訪れたとき、人は世の中に対する失望感に包まれます。けれども、それはものごとの表面にすぎません。そこには学びの種がひそんでいることに気づいてください。厳しい逆境を乗り越えたとき、新たな人生がひらけ、人生はもっと価値のあるものになり、より深くその後の人生を生きることができます。
 私の座右の名は「九転十起生」です。たとえ九回転んでも、10回起き上ればいいのです。
(
)広岡浅子:18491919年、NHK「あさが来た」(2015)のヒロイン。京都の豪商三井高益の子として生まれる。大阪の豪商加島屋(米問屋・両替商)に嫁ぎ、崩壊の危機を救う。九州の炭鉱を経営、加島銀行や大同生命の創業に参画。日本初の女子大学(日本女子大)の創立に尽力した)
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坂本優二:東京都生まれ、日本歴史学会員、歴史家・文筆家。NHK文化センター等の各種機関の講師)

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