カテゴリー「人間の生きかた」の記事

この世に才能だけで食える飯など一粒もない、私はどのようにして小説家になったのか

 私は子どもの時分から、突出した能力が何もなかった。ただし、劣っている部分もこれといってなかった。
 今しにして思えば、これはお役人か大企業のビジネスマンの才能であったろう。この資質についぞ気付かなかった私は愚かであった。
 趣味といえば読書で、これだけは並みはずれていた。
 だが当時は、勉強もせず野原で遊びもせずに本を読む子どもなど、けっしてほめたものではなかった。
「一日一冊」の習慣は、実にこのころから今日まで続いているのである。
 学校の図書室の蔵書を読みつくすと貸本屋に通い、小遣いのあらかたは本代に消えた。
 面白い小説は声に出して読んだ。それだけでは飽き足らず、原稿用紙に書き写した。さらには「こうしたほうがもっと面白い」と原作をかいざんするようになった。
 かくして、ついに小説を書き始めたのである。
 ちなみに、三つ子の魂百までとはよくぞ言ったもので、今も読書をしている最中にいい文章に出会うと、思わず声に出して読む。何枚かを書写することもしばしばである。
 私はおよそ小説家らしからぬ時間割を持っている。
 夏には午前五時に目覚める。しかるのちコーヒーをいれて書斎にこもり、仕事を始める。朝食と昼食のために執筆を中断するのはせいぜい十分間で、いわゆる昼休みというのはない。
 午後二時ないし三時には、どれほど興が乗っていても筆をおく。過ぎたる情熱はともすると文章を乱すからである。常に一定の熱量を維持していなければ良い文章は書けず、面白い物語を思いつくこともできない。
 それから夕刻までの四時間は読書にいそしむ。かくして午後十時には床に就く。
 この世に才能だけで食える飯など、一粒もあるまいと思う。
 たしかに天賦の才というものは存在し、しかも神様はあんがい公平に、何かしらの才能をそれぞれに与えている。
 己には才能がないと嘆く者は、才能に気付かざるか、あるいは磨かざるかのいずれかであろう。
 才能とは、さほどに厄介な代物なのである。まず自分自身でも発見しづらい。発見すればしたで、磨かざれば珠にならぬ。その努力がまた、なまなかではない。
 歴史的に考えればごくたまに、珠玉の才能を持って生れついた人間がいないわけではないが、いわゆる天才と称すべき彼らは、必ずと言っていいほどその天才の代償として早死にしてしまう。こうした気の毒な公平さも、神が定めたことであろう。
 初めて原稿が売れたのは35歳、単行本を上程したのは39歳のおわりであった。
 幸か不幸か、私は五十を過ぎてこうした原稿を書いており、天才ではない。
 だとすると生きとし生ける者のすべては、すみやかに才能を発見し、それを磨かなければならない。
 この世に才能だけで食える飯など一粒もない、とはそういう意味である。
 才能とは一種の資格証明であろうか。「これで飯を食ってもよい」と、神様がお墨付きを持たせてくれたのだが、ごく稀なる天才のゴールドカード以外は、全能のパスポート以外は、全能のパスポートではない。
 相当な努力を払わなければ、紙切れ同然という程度の資格である。
 では努力とはいかなるものかというと、個人的には一文の金にもならぬ読み書きの、不断の継続であった。
 実は何も好き好んで、いまだに修行僧のような生活をしているわけではない。
 そうした努力の継続をしなければ神様から貰った資格を行使することができず、このさきも資格の維持が困難だと思うからである。
(
浅田次郎:1951年生まれ、小説家。本名、岩戸 康次郎、日本ペンクラブ元会長。 陸上自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。時代小説の他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、映画化、テレビ化された作品も多い)

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私たちが生きている意味、人生の目的はどこにあり、素晴らしい人生をおくるにはどうすればよいのでしょうか

 私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。
 私は「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると思います。
 欲に迷うのが人間のさがです。私たちは財産や地位を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
 しかし、そういうものは、いくらたくさん溜め込んだとしても、あの世へ持っていくことはできません。この世のことは、いったん清算しなくてはならないのです。
 だから「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は「生まれたときより、少しでもましな人間になる。わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。
 様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息耐絶えるその日まで、うまず、弛まず一生懸命に生きていく。
 その日々を磨き砂として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも、少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。
 私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。
 昨日より、ましな今日、今日より、よき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。そのたゆまぬ営みにこそ、私たちが生きる目的や価値が存在しているのではないでしょうか。
 生きていくということは、苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。
 しかし、そのような苦しき人生だからこそ、その苦は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。
 人生における苦労とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
 試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人。さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人。
 そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。
 素晴らしい人生を送るためには「心に抱く思いによって人生が決まる」という真理に気づくことが大切です。
 心に善き思いを持ったとき、それは善き力となって出ていく。
 幸福で満ち足りた人生を望むならば、善き思いをベースとして生きなければならない。
 
「そんな思いやりに満ちた心などと言っていて、厳しいこの社会をわたっていけるのか」と、疑問に思われることもあるでしょう。
 そうではありません。善き心こそが、強大なパワーを持っているのです。純粋で気高い思いには、素晴らしいパワーが秘められています。
 
「与えよ、さらば与えられん」と、愛が持つ偉大な力が古今東西で説かれているように、あなたが差し出した愛は、必ずあなたに返ってきて、あなた自身を幸福にしてくれるのです。
 心に抱く「思い」が純粋で善き思いであるように努めて、誰にも負けない努力を重ねれば、人生は必ず豊かで実りの多い、素晴らしいものとなることが約束されているのです。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)

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人生はいつだって、今が最高のときなのです

 人生は、あなたの思っているよりも、十倍も愉(たの)しいところです。あなたの人生観を不愉快から愉快と言う字に書き直してください。
 するとあなたは、気がつくことでしょう。人間というものは、愉快なこと、明るいことを好むものだということに、気がつくでしょう。
 私はふだんから、明るく生きていく習慣を持っていたいと思っています。それは、ちっとも難しいことではありせん。何でもものごとを明るく陽気に考えるようにすることなのです。
 私は、ものごとを否定的に考えるのが好きではない。私が「気分は最高です」と言えば明るい気分になる。部屋の中にも明るい空気が流れる。言葉には魔力があるのである。
 自分のことを「運のよい人間だ」と思うようになってください。きっと自分の思った通りになりますから。運というものは、自分で拓()くものです。
 出来ると確信さえすれば、どんな不可能と見えることでも可能なのです。人間の心というものが、そういう不思議な働きを持っているのです。
 私は割合、人を信じるほうです。「私が相手を信じた分量だけ、相手も私を信じる」というのが私の持論です。
 これは私が若いときに人を好きになったとき「私が相手を好きになった分量だけ、相手も私を好きになる」と信じた。はずれることはなかった。人間同士の張っているアンテナにも、正確に電流が通じるのです。
 陽気な人は人に好かれる。生きていくことが上手な人は、何よりも快活な人である。すぐそばの人にうつる大きな力を持っている。
 ありのままの人間をそのまま愛し、その人をまるごと受け入れることが真の愛である。
 自分が変わると、相手が変わって見える。私が、からを脱いだセミのように変わると、相手が変わって見えるのである。
 人と人との間は、悪意も善意もそのまま伝染する。それが善意であると、受け取った人も、相手に善意を感じる。
 言い争いになったときは、じっと辛抱して、ちょっと笑顔をして見せるとよい。相手の笑顔を見て、腹を立てることは誰にもできない。
 
「あなたは、とても偉い人です」と言われて、よい気持ちにならない人はありません。相手はよい気持ちになって喜ぶからです。この方法は、私がなが年の間に獲得した、人に元気を与える方法なのです。
「あなたはやさしいのね」「あなたの表情は美しいわ」「あなたの声はすてきね」、これらの言葉は魔法使いである。
 人間の考えることは、ものごとを否定することと肯定することの、二つしかありません。あの人はいい人だ、素敵な人だ、と思うことは肯定することです。肯定する習慣くらい人間にとって幸福なものはありません。
 人の顔つきも習慣である。笑顔が習慣になれば、しめたものである。
 私は辛いと思うことがあると、その辛いことの中に、体ごと飛び込んでいく。飛び込むと、辛いと思う気持ちに体が馴れてきて、それほど辛いとは思わなくなる。これが私の、生活の術なのである。
 悩みや心配ごとから解放されるコツはこだわらないこと、これ一つです。
 私は、自分に興味のあること、したいことを追い求めて忙しく生きてきた。過ぎたことをくよくよしているひまはなかった。
 思い出したくないことは、つぎつぎ忘れ去ってしまった。この忘れるという特技が自分自身を救う一種の精神的治療法になったような気がしている。
 実際、人間って、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りだと思う。
 世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になりやすいものですけど、実際にはそんなことはありません。
 別の場所では、よいお天気なところもあるのです。ちょっと気を変えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出してみる。
「おや、こんなところに出たわ」と自分でも信じられないほど、明るい場所に出るものです。
 何事をするにも「それをするのが好き」という振りをするとよい。ものまねでもいい。すると、嫌いな人もなくなる。自分自身を救う最上の方法である。
 物事は何事にもよらず、夢中になってそのことに熱中すると、必ず何かを生み出してくれます。
 何でも、面白さを見つける。その中に入っていく。私はどこでも自分流のたのしみ方を見つけて生きる名人です。
 
「忙しい」というのは、追いかけられることではない。追いかけられて暮らすのは禁物である。自分が追いかけるような気持ちでいることである。
 どんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じる暇がない、という状態になったら、しめたものである。
 私は、何か思いついて、新しいことをし始めると、生き生きと熱中して、夢中になってしまう癖があるのでした。
 私の生涯の中の不幸も幸福も、今になって考えると、この熱中癖から生まれたものが大部分なのではないかと思います。熱中しているうちに過去は消えます。
 人生はいつだって、今が最高のときなのです。
(
宇野千代:1897- 1996年、小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていた)

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私はなぜ政治を志し、学校を創立して成果を出すことができたのか

 私(田野瀬良太郎)は、政治や教育とは縁もゆかりもない環境に育ちました。私の母親は、今で言うシングルマザーです。私が政治家になろうと決めたのは旅の途中です。学校づくりのきっかけは政治家になってからです。
 私の母は、4人の子どもを食べさせていくだけで精一杯でした。私は自分で稼いだお金で大学へ行きました。必死にアルバイトし30万円を貯めると大学に休学届を出し、海外放浪の旅へと飛び出したのです。
 
「足りなければ現地で稼げばいい、旅の移動はヒッチハイクにしよう」と無謀でしたが、外国を見て体験する期待感のほうが、大きかったのです。
 当時の学生は社会主義のソ連に憧れを抱いている人が多かった。モスクワは見ると聞くとでは大違いでした。「働いても、働かなくても給料が一緒だから」と、みんな無気力でした。人間は頑張ったなりに報われなければ、意欲や生きる気力を失ってしまうのだと痛感しました。 
 当時、日本の成長が著しく、旅のあいだ先々で「日本はどんな国か」と聞かれました。出発のときは「世界を見てやろう」と思っていましたが、フタを開けたら日本のことばかりを考える毎日となりました。
 タイにたどり着いたとき、ほぼ1年が終わろうとしていました。私は旅の総括をしました。「たしかに、日本には良いところも悪いところもあるが、やれば報われる今の自由な社会を守っていかなければならない」と。
 その考えをみんなに伝え、日本をもっとよい国にしていける仕事ってなんだろう。思いついた答えは政治家でした。大学を卒業して薬品会社に就職した後、30歳で市会議員になりました。
 39歳で奈良県の県会議員になった私は、学校不足に悩む奈良県の窮状を知り、議会で議論していくうちに、机上の空論ではなく、学校現場に飛び込んで実践をしてみたいと強く思い、学校づくりにチャレンジしました。
 奈良県に西大和学園を開校(1986)した当初は中堅公立高校のすべり止め、教師もまた公立学校教員採用試験の不合格者だった。
 開校2期生の教員採用試験で、私は特に面接を重視しました。ポイントに置いたのは「ところできみ、お酒は飲めるの?」といった雑談です。
 もちろん、お酒が飲めない人はダメというわけではありません。重要なのは、コミュニケーション能力があるか、ないかです。
 私は「自分の教科を教えるだけではあかんと思う。一つの教科を10年も教えたら、誰だってスペシャリストにもなれるし、東大の問題だって教えられる」
 
「でも、人間力というのは、必死に勉強して身につくもんやない。人間的に魅力のある教師でなければ、生徒を引っ張れない」と考えていました。
 そんな中で日本一の進学校を目指した。そこから、わずかな年月で東大、京大、国公立大学へ多数の合格者を出す進学校になった。
 実は開校した年は、私の長男が高校へ進学した年でもありました。私も高校生の親。だから保護者の声はどれもうなずけるものばかりで、可能な限りその要望に応えてきました。
 
「保護者の声をかなえる学校」というランキングがあったら、開校から現在までの30年間、西大和学園はトップの座をキープし続けていたのは間違いありません。
 
「熟や予備校で勉強するぶんまで学校がカバーする」という、他の進学校では珍しいやり方も、もともとは保護者の要望から始まりました。
 子どもを一番愛しているのは、なんといっても親です。その親が出す意見に理があるのは当然です。ならば、耳を傾け、かなえることが私たちの仕事ではないでしょうか。
 西大和学園が進学校として急激に伸びたのは、この保護者の声をかなえる仕事をやり続けてきたからだと私は自負しています。
 私は高校を手始めに中学、食堂、寮、武道場などの施設を充実させていきました。そのほとんどは借金です。
 親の大切なお金は、親や子どもたちが満足するように生かしていく。それも、学校に限らず経営の基本だと思うのです。
(
田野瀬良太郎:1943年奈良県生まれ、大学時代に1年間アルバイトをしながらヨーロッパや中近東、アジアなど33か国を歴訪。政治を志し、市会・県会・国会議員になった。教育が重要と痛感し、保育園・中学・高校・大学を創立した)

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資産10億ドルの実業家になれるかどうかは、内面の心や精神で決まる

 世界の資産10億ドルを保有する実業家の実態を調べた人はいない。そこで、透明性のある市場において、自力で富を築いた120人について調査した。すると、一般的に信じられている次のような間違いがあきらかになった。
(1)
若くして成功した
 7割以上が30歳代以降に成功のきっかけをつかんだ。
(2)
IT長者である
 業種は19種類におよび、ITも含まれるが目立って多いわけではない。
(3)
一発当てた人
 9割以上は複数の事業で大きな成功をおさめている。
(4)
モラルが低い
 同業者にくらべて社会的責任への意識が高い。
(5)
一夜にして大成功をおさめた
 長いあいだ試行錯誤を重ね、成功するために多くを投資してきた。半数は18歳以下で仕事を経験し、30歳以下で起業した人が75%もいる。
(6)
天賦の才能に恵まれている
 早くから働き仕事の経験を多く積んでいる。仕事を通じてスキルを磨き、努力して才能を伸ばしたのである。
 では、資産10億ドルを保有する実業家の本当の特徴とはいったい何なのだろうか。
 共通点は外的な要因ではなく、その人の内面、すなわち心や精神にあるらしい。莫大な富を生み出す秘密は心や精神にある。長い年月をかけてその能力を磨き上げてきたのである。
 その心や精神とは「矛盾や対立を包含する思考」なのである。
 顕著なのは、普通の人がばらばらに捉える物事を、ひとつにまとめる能力だ。
 一般的には、対立する概念を排除し、問題を切りわけて単純化するほうが簡単だ。裏を返せば多くのことを見逃している。
 矛盾する考えや行動を排除せず、頭のなかに大きな器を用意し、すべて投げ込んでしまい、自分のなかでうまく共存させる。正反対のものを抱かえながら、それでも思考が混乱しない。
 内面には対立を抱え込む器があり、異なる概念、視点、尺度といったものを無理なく持ち続けることができるようだ。つまり
(1)
現実をありのままに把握しながら、自由奔放に想像を広げることができる。
(2)
全速力でプロジェクトを進めながら、忍耐強く時機を待ちつづけることができる。
(3)
自分の考えとは正反対の人を受け入れ、力を合わせて高い成果を上げることができる。
 資産10億ドルを保有する実業家の思考や行動の習慣が身につけば、日常のあらゆる問題を複合的に捉えることができる。習慣になっている行動をするとき、とくに意識しなくても体が動くのと同じだ。
 もっとも重要な5つの特徴とは。
(1)
共感力と想像力で未来を描く:「アイデア」
 現実の顧客が抱かえているニーズを読み取る共感力を持っている。実際の体験や出会いを通じて、人々が潜在的に求めているものを感じとる能力だ。
 すぐれたアイデアのきっかけは共感力だ。共感力はビジネスの勘を養い、顧客のニーズを見抜くことを可能にする。
 それと、誰にも思いつかないような製品をイメージする想像力も持ち合わせている。共感をベースに、その先を思い描く能力だ。その共感力と想像力の融合が爆発的な大ヒットを生みだすのである。
 既存の情報をもとに、さまざまな考えを自由にめぐらせ、どんどん思考を広げてまだ見ぬアイデアにたどり着く。
 決定づけるのは、情報の質と多様さ、想像力の強度である。すごいアイデアは幅広い知識から生まれる。情報収集を欠かさない。
 知識を蓄え、経験を積み、ひとつのことにじっくり取り組んできた成果として、あるとき最高のひらめきが訪れるのだ。
(2)
最速で動き、ゆっくりと待つ:「時間」
 ビジネスはタイミングが命だ。タイミングが予測不可能であることを知っている。だから「短気」と「気長」の両面を同時に持ち合わせている。
 チャンスをつかむために最速で動く一方、機が熟すのを誰よりもゆっくりと待つのだ。成功の影には、地味で苦しい待機期間が隠れている。
 つねに手と頭を動かし、試行錯誤と改善をくり返しながら、アクティブにチャンスを待ちかまえるのだ。
 長期的な視点をつねに持ちながら、あたかも目の前の仕事しか存在しないかのように行動する。
(3)
創造的にルーティンワークをこなす:「行動」
 クリエイティブなアイデアを考えるのと同じくらい熱心に日々の仕事にも創造性を発揮し、新たな価値を生みだすことができる。
 大きな夢を見るだけでなく、小さな実行をけっしておろそかにはしない。製品や業務のデザインを一から見直すことで課題を乗り越えることが多い。
 自分で経験したことのない人には、売るというのがどういうことかけっして理解できないだろう。若いうちに営業を経験した人が多く、実に8割の人が営業を経験している。
 仕事で多くの人を説得するなかで、相手を見抜く術を経験的に身につけている。
 売り方をデザインすることによって、これまでにない製品やサービスを世の中に広めていく。
(4)
現在の金銭的損失よりも将来の機会損失を恐れる:「リスク」
 今あるお金を失うリスクよりも、将来の可能性を逃すリスクを何よりも気にする。未来のために失敗を恐れず何度でもチャレンジする。爆発的なヒットをつかむまでに複数の事業を立ち上げている。
 失敗は恐れるべきものではなく、成功のための大事なステップなのである。
 自分が本当にほしいものを見失なわず、より広い視野でリスクを評価するから、見かけ上のリスクにだまされることがない。
 すべてを賭けて自分を危険にさらさず、うまくいかなかった場合にどうするか、次善の策を考えている。確実な収入源や資金源をどこかに用意しておく。
(5)
自分と正反対の人を仲間にする:「仕事相手」
 大半が対照的なタイプの人間と長期的なパートナーシップを結んでいる。
 並外れた成功を手にするためには、ありとあらゆる能力が必要になる。だから自分にないものを持った人を仲間に引き入れる。ビジネスの限界を突破するのだ。
 かならず実務に長けた相棒が存在している。自分と正反対の人物を受け入れ、協力関係を築き上げている。補完的な能力を持つ人と組むことで、得意分野に専念することができる。
(
ジョン・スヴィオクラ:元ハーバード・ビジネススクール助教授。世界的コンサルティングファームPwCパートナー。多数の企業に助言を行う)

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「人の長所を観察する、考える」習慣で、壁を乗り越え、新たな道が開けた

 身長が低いが全日本女子バレーボール選手代表として活躍しました。つねに続けてきたのは「考える」ことです。そのおかげで、いろいろな出来事を乗り越えてこられた気がします。
 バレーボール選手として最大の壁は、159cmという低い身長でした。身長が高いほうがバレーボール選手として有利です。高校卒業後も、どこのチームからも声がかからず、実業団入団後も控えの選手であることが長らく続きました。
 それでも、あきらめずにいられたのは、つねに「そうであるならば、どうする」と考えてきたからです。バレーボール人生を通して続けていたのは「考えることから、逃げない」ことです。「身長が低いから通用しない」ではなく
「身長が低くても通用するためには、どうすればよいか」
「何を頑張れば、世界で通用するか」
「チームの中で、自分の居場所をどうつくるか」
といった、「できない理由」ではなく「できる方法」を考え、あらゆることを実践してきました。
 考えないほうが、生き方としては楽だし、簡単です。考え始めれば悩みも出てきて、悩んでいる間は苦しい。しかし、周囲の助言も聞き入れながら、考え続けていると、必ずいい道がひらけてくるものです。
 考えるなかで、もう一つ日常的に行ってきたことは「観察」です。これは「セッター」(攻撃する選手に向けて球を上げる)という私の役割が影響しています。
 セッターは、いわばチームの司令塔です。仲間の選手にサインを出し、球を攻撃する選手に向けて上げるという重要な仕事です。チームの力を最大限に発揮するうえで、各選手の特性や性格をよく理解していなければ、この仕事はつとまりません。
 選手の性格や考え方などはさまざまです。気の合わない人も必ずいます。しかし、一人ひとりをじっくり観察すれば、どんな選手も長所や強みは必ず見えてきます。
 そのうえで「この選手の強みと、あの選手の強みはこんな風に活かせないか」と考えるようにする。長所をパズルのように組み合わせ、シミュレーションすることを続ける。
 このように考えて練習したことが成果につながり、少しずつ評価を得ることができたのだと思います。
 選手たちの長所を探せば、新しい発見ができて、いい関係が生まれる。チャンスが広がるし、人間関係も豊かにしてくれる。
 勝ために始めた「観察」は、その後、すっかり私のクセになっています。
 頑張っても報われないことは、いくらでもあるでしょう。しかし、努力は必ず人生のどこかで「何か」につながります。自分自身が強くなれたり、成長できたり、周囲の信頼を得られたり、新たな道が開けたりします。
 2012年のロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得することができました。
 コツコツとした努力は、いたって地味な繰り返しで、その時は意味があるのか、ないのかわかりにくいときもあります。しかし、実は一番、その人の人生を変えるものだと思います。
(
竹下佳江:1978年福岡県生まれ、元全日本女子バレーボール代表キャプテン。2012年のロンドンオリンピックで銅メダルを獲得。女子バレーボールチーム「ヴィクトリーナ姫路」監督)

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器の大きい人、ふところが深い人とはどういう人か

 私は京都・祇園に生まれ育ち、15歳で舞妓になり、芸妓を経て、24歳でお茶屋の女将になりました。器の大きい人や、ふところが深い人をたくさん見てきました。
 日頃、人と接する中で「器の大きい方やなあ」と思うのは、人脈の広い人ですね。何かたのみ事をした時「うん、わかった」とすぐ関係先に連絡をとって手配してくれる人がいます。
 自分が何から何まで動くのではなく「それなら、こんな人を知っているから言うてあげる」と、適切な人につないでくれるのです。
 よく「ものを頼むなら忙しい人に頼め」といいますが、ほんまやなあと思います。忙しい人は忙しいからこそ、チャッチャッと手配をしてくれる。人脈が広いということは人望があるということでもありますしね。
 器の大きい人は決して偉ぶらないというのも共通点です。お客様のなかには大きな会社でそれなりの立場の方もいらっしゃいますが、うちへ来られた時は、名乗りもされません。お帰りになってから「あの方、気楽にいろいろと楽しくしゃべらせてもろたけど、どなた?」と聞かれ、答えたらびっくりされるということがあります。
 ただ、どんな人であっても、いつも「器の大きい人」でいられるわけではないと思うんです。関係性や場によってもかわりますよね。ある人から見たら長所でも、違う人が見れば短所かもしれません。気前のいい人を器の大きい人と受けとめる人もいるでしょうが、「ええかっこして」と思う人もいます。
 大事なのはその場の状況をみながら、その時に応じたふるまいができること。TPOを心得て、自分に合った判断ができることですね。
 それにはもう、経験を重ねるしかありません。出しゃばりでもよくないし、引っ込み思案でもいけません。時には失敗しながら勉強していくものなんでしょうね。長年、私の店に通ってくださるお客さまを見ていて、お若い時とはずいぶん違ってこられたなと思うこともありますよ。
 肩書きは関係なしに「器の大きい人」、「えらいなあ」と思う人もみなさん、前向きで好奇心をもっていらっしゃいます。
 いつも先のことを考えたり、前向きに見ておられるから、話をしていても楽しい。人も寄ってきて人脈もできる。
 結果的にこういう人が「ふところが深い」「器が大きい」と言われるようになるのと違いますやろか。
(
高安美三子:京都生まれ、舞妓、芸妓を経て祇園のお茶屋女将。店内にあるバーは経営者や文化人の交流の場として人気を集めている)

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「1%」生き方を変えるだけで、個人も社会も幸福になる

 どんな人にも変われる可能性があるのです。生き方を変え、「1%だけ」誰かのために生きてみてください。1%だと肩の力が入らないですみます。「まず1%」と思うと、心や体が動かしやすく、やり抜くことができます。
 人生がおもしろくなり、生きるのがラクになります。1%は小さいけれど、とてつもない力を持っています。みんなが「1%」生き方を変えるだけで、みんなが生きやすくなっていく。個人も社会も幸福に近づきます。
 今、時代は確実に悪い方向に動いてきている。陰惨な事件が頻発している。とんでもないことに、多くの加害者が自分は被害者だと思っている。みんな自分のことしか考えられなくなっている。
 事件にはならないけど、生活の周りで嫌なことがいっぱいおきている。すべて自分、自分、自分のことしか考えない。こんな時、1%でもいいから、相手の身になってみることが大切だと思います。誰かのためという一人ひとりの思いには、優しくする力がある。それに触れた人たちや社会や地域を変える力があります。
 人生は思い通りにならない時があります。人間はひとりでは生きていけない弱い動物です。人はみな愛に飢えています。だから、自分の悲しみは横に置いて、誰かのために何かをしてあげ、「あなたに感謝します」と言ってもらえると、悲しみは癒されます。
 人は自分のために生きてよいが、その上に1%、誰かのために生きると、思いやりホルモンが分泌され、幸せで健康で長生きができることがわかってきました。誰かのために生きると体にいいのです。1%でも相手の身になってみると、職場・家庭・地域の空気も、変わります。
 私は「1%は誰かのために」と思って生きてきました。
 私が院長を引き受けた時、赤字が2期続いていました。やったことはたった2つ。朝早く病院の玄関に出て、患者さんを迎え「おはようございます」と挨拶をしました。私を含めた幹部の手当を1%カットしました。
 これで院内の空気も、地域の人々の見方もいっきに変わり、赤字もすべて解消しました。1%がミソです。1%なら出来るような気にしてくれます。この感覚が大事なのです。
 私は健康づくり運動を40年間やってきました。「1%だけ生活習慣を変えてみませんか」と住民の人たちに訴えました。身につけた生活習慣を変えるのは大変です。でも1%なら変われると住民は思えたのでしょう。1%で地域が大きく変わりました。長野県が日本一長寿になりました。
 1%というのは不思議な数字です。実は無限大の力を持っている可能性があるということです。人生も1%で変わり始めることに気がつきました。
 みんなが1%、生き方を変えれば、私たちの社会も変わっていく。1%には不思議な力があります。誰かのための1%が社会を変えるのです。その1%が回り回って自分に力を与えてくれているように思います。
 人間は弱い生き物だけど、実は強いのです。一人の人間の中に強さと弱さが共存しています。人間の関係の中で人は強くもなり、弱くもなる。弱い人間が強く生きるためには、人間の関係を少し変えればいいのです。
 自分の中にある「強い自分」に気づいて、いい刺激を与えることが大切です。0でない限り1%でも、そこをきっかけに良い展開が始まることがあります。
 その大事な「強い自分」を動かすためには、良い人間の関係が必要なのです。1%は無限の可能性を持っているのです。
(
鎌田 實:1948年東京都生まれ、長野県諏訪中央病院名誉院長。院長となり潰れかけていた病院を再生させた。「健康づくり運動」を実践し長野県が長寿日本一となる。日本・チェルノブイリ連帯基金(JCF)理事長、日本・イラク・メディカルネット代表)

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才能のあるなしにかかわらず、とことん悩まないと成長はない

 東京美術学校の三年のころ、私は絵の才能がないと思い、転学受験のために成績表をもらいに行ったら、新任の先生に言われた。「君は池の底に足がついたんだ。君の絵はこれ以上、下手にならない。あとはゆっくり登っていけばいい。焦らなくていい」と言って、私をビアホールに連れていってくれた。ビールを飲んで私は絵をやめることをやめた。
 私は広島で中学生のときは戦争中であった。三年生のとき学徒動員で働いていた。そのとき被爆した。建物の中にいたが目の前に真っ黄色の閃光が走った。もし外にいたら失明し絵を描くことができなかったかもしれない。学徒動員は重労働で、ろくな食べ物もなかった。下宿に帰ってから絵を描き続けた。いつ死ぬかわからないから、生きたという証を残しておきたかった。自分らしさ、自分なりの価値観 
 今の学生は自由すぎて、かえって不自由になっていると思う。私が勤労動員していた当時は、将来への希望は見えず、空腹で疲れていた。「不自由な時代の自由」と、「自由な時代の不自由」このことを今の若者たちが考え、感じ取ってほしい。
 私が東京芸術大学の学生たちに伝えたいのは、アイデンティティ(自分の生き方や自分なりの価値観の確立)とオリジナリティー(独創性)だ。志をどこに置くのか。高く置くほど準備と才能が必要となるが、志が低ければ一流から遠ざかる。芸術の世界は長い勝負だ。いっときヒットを放っても後が続かないことも少なくない。才能のなさに気づくこともあるし、せっかく才能があっても磨かない人もいる。ただ、一つだけ断言できる。才能のあるなしにかかわらず、とことん悩まないと成長はないということだ。
 私も自分の才能に自信がなかった。結婚していたから生活に余裕はなく、成果を上げなければと焦った。しかし、被爆の後遺症で身体が衰弱し、心身ともに窮まった。このころ、私は原爆に対する怒りとか告発を絵のテーマにしていた。しかし、いくらスケッチしていても心が安まらない。怒りではなく「平和への祈り」こそが私のテーマなのだとやっと気づいた。
 それが、奈良・薬師寺に玄奘三蔵の壁画を描くことを思いついたきっかけである。玄奘三蔵は打ち首にされる寸前でも人の道を説き、相手は弟子入りした。なぜそんなことができたのか。命がけだったからなのだと思う。私の背後にも戦争で死んでしまった仲間が大勢いる。私も倒れるまでやるしかない。約30年描き続けてきた薬師寺の壁画が完成した。 私はまだ描き続ける。若者よ、あなたたちも自分を磨いてください。
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平山郁夫:1930年-2009年、広島県生まれ、東京美術学校卒、前田青邨に師事、「仏教伝来」が注目を浴びる。シルクロードをテーマに旺盛な創作活動を続けた。東京芸術大学学長、日本美術院理事長を務めた。文化勲章受章)

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世阿弥の能役者としての人生の過ごし方とは

 世阿弥が生きた時代は14世紀の中ごろから15世紀の初めまでである。しかし、世阿弥の人生の過ごし方は、現在でも充分に通ずる。世阿弥は日常をしっかりと見つめていることに気づく。
 世阿弥は能役者の人生の過ごし方を語っている。
 7歳ころは、子どもにまかせて、心のままにさせること。「よい」、「悪い」とは教えてはいけない。あまり強く諌めると、子どもはやる気を失って、能物くさく成り、やがて能の成長は止まる。子どもの心理の洞察をし、子どもを飽きさせないように配慮している。
 12,3歳のころに稚児としての美しさがはっきりとあらわれる。しかし、年齢からくる美しさであって、まことの花ではない。この年代では、あまり細かい演技はさせないで、その年頃の花が生きるような単純なことをやるようにして、声も舞も基礎をしっかりとかためなければならない。
 17,8歳の頃になると声変わりし、美しい童形の稚児的な魅力が衰え、あまりぱっとしなくなる。この頃が芸の転機で、この時こそ能を生涯の仕事と覚悟するときである。けっして能を捨ててはいけない。自然そのものから意志によって生きる人生への転機である。
 24,5歳になって、いよいよ能役者として本当の天分が試される時となる。この頃に声も体つきの良さも決まってしまう。この年代では芸もしっかりしてくるので人々がほめそやすこともあるが、それはあくまでも若さがもたらす華やかさとめずらしさからであって、本当のものではない。まことの花と思いこんでしまうととんでもないことになる。
 世阿弥はその花が一時のものであって、歳を重ねれば失われてしまうものであることを誰よりもよく知っていたのである。この時こそ、ここを初心とこころえて稽古に身をいれ、名人と言われる人の話を謙虚に聞かねばならない。若さゆえの花が失せた時のための準備をしなければならない。能という身体芸術を、身体の衰えをこえて一生のものとする人間の覚悟である。
 34,5歳は能の絶頂期であると世阿弥はいう。この年代に名声を得ることがなければ、以降は衰える一方であるから、まことの花を得ることはむずかしいと世阿弥は言いきる。
 44,5歳になれば、観客から見ても身体的に花が失せてくるのがはっきりしてくる。はげしい動きのものや肉体の衰えがわかるものはしてはいけない。
 世阿弥の父、観阿弥が52歳ときの能は、そこに花を見る思いがするような美しさがあった。観阿弥は老いて軽やかに能を自由の境地で舞ったのである。世阿弥は老いることに自由をさえ見ようとしている。「老いる」ことは自由そのものである。あらゆる能の段階を成就してから、大衆受けのするくらいの低い曲を軽やかに舞った父を見て、のびやかな喜びへの憧憬があったのかもしれない。
 こうして、世阿弥の芸術家の人生を追っていくと、その修行は三つの段階をのぼっていくことであることがわかる。「自然の身体」、「意志の身体」「自由の身体」の段階である。
 この三段階の間にあるのは、日常の試練と、年齢という試練である。これをこえていくのは、稽古による鍛錬と、人生の不可抗力をすりぬけていく戦略である。
 子どものあるがままの美しさから、自分でつくりあげていく芸への段階に進み、究極に芸術の領域を自由に移動する場に立つことになる。
 老いることは、衰えることである。しかし、衰えることを知る者は、その衰えをひょいと飛びこすことができる。世阿弥はそう生きよ、と言う。そこに、人間だけが知る自由の境地がある。
(
土屋恵一郎:1946年東京生まれ、明治大学教授。法学者・能研究家)

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