カテゴリー「人間の生きかた」の記事

仕事は人々に喜びを与えると考えれば喜びをもって仕事ができ、春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じる

 仕事というものは、人々に喜びを与え、世の中の向上、発展を約束するものだと考えれば、失敗や危険を恐れずに勇ましく立ち向かっていくことができると思います。
 たとえば、麻雀の道具をつくっている会社の従業員が、麻雀をするのはよくないことだ、と思っていたら、その会社の経営はうまくいかないでしょう。
 一日、一生懸命働いている人にとって、仕事後にする麻雀は気分転換になり、喜びになるだろう。
 その喜びのためにわれわれは麻雀の道具をつくって売っているのだと思ってこそ、堂々とその仕事をやっていけるわけです。
 そして、その上に、一人ひとりが喜びをもって仕事を進めていけば、会社は自然に成功するはずだと思います。
 春は、草木が芽を出し、つぼみが成長する万物が成長のときといえるでしょう。
 私たちは、春を楽しみ、大いに成長していかなければならないと思います。
 春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じます。
 長い人生には不愉快なこと、面白くないときもありますが、春を楽しむように人生を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、心もやわらいで、生きがいも感じられてきます。
 野山の木々が年輪を加えていくように、去年より今年、今年よりも来年と一年一年成長していくと思うのです。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

 

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どうすればよいかわからないときは、他の人に意見を聞き、自分の行き方、性格をしっかりとつかんだ上で、参考にするとよい

 日々、常に「いかにするべきか」という迷いが生じてくるのが人生だと思います。
 例えば、自分はこの仕事に向いているのだろうかといった基本的な迷いをもつこともあれば、新しい仕事にどう対処していったらいいかというような具体的な悩みにも出会います。
 どうすればよいかわからないときや、迷ったときには、他の人に意見を求めてみるとよいと思います。
 自分をしっかりつかみ、素直な心で耳を傾けていく。そこから確かな人生の歩みが始まります。

 私たちは、日々の生活の中で、さまざまな迷いによく直面します。一生を左右するほどの決断から、日々のこまごまとした選択まで、常に「いかにするべきか」という迷いが生じるのが人生だと思います。
 そこで、その迷いを解決するときには、一つにはやはり、ほかの人に意見を求めてみることだと思います。
 自分をよく知ってくれている人に尋ねてみる。そうすると、そこに具体的な方向がしだいに明らかになってくる場合が多いと思うのです。
 私もこれまで、自分でわからないことがあると、できるかぎり他人の意見を求めるよう努めてきました。
 自分だけでは判断がつかないこともしばしばあります。そんなときには、事情を説明して「あなたなら、どう思いますか」と尋ねるわけです。
 そうすると「それは松下くん、ムリやで」とか「きみの今の力ならやれる。大いにやるべきだ」とかいろいろ言ってくれます。
 そのとき、自分がすぐ納得できたら、そのとおりに実行します。
 しかし、どうもピンとこない場合には、また他の人に聞いてみると、また違った立場からの意見を言ってくれます。
 そうした意見を参考にして自分なりによく考え、結論を出すようにしてきたのです。
 意見を求めてみると「それは、よく聞いてくれた。見ていて、内心こうしたらよいと思っていたんだ」と、言ってくれる人が案外多いのではないでしょうか。
 ですから、ちゅうちょせず、思い切って尋ねてみることだと思います。
 ただ、その場合に忘れてはならないのは、あくまで自分というものをしっかりつかみ、そのうえで、素直な心で聞くということでしょう。
 自分をつかんでいないと、相手の言うことがみな正しく思えて、聞くたびに右往左往することになりかねません。
 また、私心にとらわれて、自分の利害や体面などが気になって、自分に都合のいい意見ばかりを求めてしまうことにもなるでしょう。
 それでは、聞く意味がなくなってしまいます。

 こうしたことは、人に意見を聞く場合のみではなく、本を読んだり、テレビを見たりする場合でも、同様に大切なことだと思います。
 他の人の意見を取り入れて、その通り自分でやってみても、人それぞれに天分、個性が違うのですから、同じようにはいきません。
 人には人の行き方があり、自分には自分の行き方がおのずとあるわけです。
 だから、やはりまず自分の考え、性質を正しくつかんで、そのうえで他人を参考としていかなければならないと思うのです。
 人間一人の知恵才覚というものは頼りないもので、だからこそ、迷ったときは何ごとにも積極的に他の人の知恵を借りることが必要です。
 自分のカラに閉じこもったり、頑迷であったりしてはならないと思います。
 しかし、人の意見を聞いてそれに流されてしまってもいけない。聞くべき聞き、聞くべかざるは聞かない。
 そのへんがなかなかむずかしいところですが、それができれば、お互いの人生の歩みは、より確かなものになっていくのではないでしょうか。

(松下幸之助:18941989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)



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私の座右の銘は「青春とは心の若さである」、青春時代と同じように新たな気持ちを持ち、なすべきことをなしていけば道は無限にある

 私があるヒントを得て座右の銘としてつくった言葉は
「青春とは心の若さである」
「信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり、青春は永遠にその人のものである」
 当然ながら、人はみな毎年歳をとっていく。それはいわば自然の掟である。
 しかし私は、精神的には、何歳になろうとも青春時代と同じように日々新たな気持ちを持ち続けることができるはずだと思う。
 その精神面での若さを失いたくないというのが、かねてからの私の強い願いなのである。
 お互い人間というものは、常にみずから新しいものをよび起しつつ、なすべきことをなしていくという態度を忘れてはならないと思います。
 お互いが、日々の生活、仕事の上において、そういう心構えを持ち続けている限り、一年前と今日の姿にはおのずとそこに変化が生まれてくるでしょう。
 また一年先、五年先にはさらなる新たな生活の姿、仕事の進め方が生まれ、そこに大きな進歩向上がみられるでしょう。
 大切なことは、そういうことを強く感じて、熱意をもって事に当たるという姿勢だと思います。
 そうすれば、まさに道は無限にあるという感じがします。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

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自分の持ち味を生かすことが不満や悩みの解消に役立ち、生きる喜びをもたらす

 人間としての生き方はみな異なるものだと思います。人間の生き方は、自分に与えられた天分(持ち味)を生かし、使命(責任をもって果たさなければならないつとめ)をやり遂げること。これこそが人間としての成功と呼べるものではないでしょか。
 ある人が靴を作る仕事をはじめたとします。靴を作って人の役に立ち喜ばれることが成功となります。
 つまり、人間として成功かどうかの基準は、社会的な地位や名誉や財産ではなく自分に与えられた天分、使命を十分に生かすか、生かさないかというところにある。
 地位や名誉や財産はどんなに努力しても全員がえられるものではないでしょう。しかし、
天分を生かそうとして、人生を生きることは考え方によっては全員が可能だと思います。
 自らの天分に生きている人は、地位や財産があろうとなかろうと、いつもいきいきと、自分の喜びはここにあるのだという自信と誇りをもって、充実した人生を送ることができると思います。
 そういう人が多ければ、豊かな活力が生まれ、力強い発展がもたらされるのではないでしょうか。
 最近は、昔に比べれば生活が豊かになったにもかかわらず、不平や不満、不安に悩む人が多くなったと言われます。
 その原因として、人間の成功をどのように思うかが関係しているように思います。地位や名誉や財産に重きを置き過ぎて、自分の独自の天分を生かし、使命に生きることの大切さが忘れられている傾向があります。それが不満や悩みを増やしているのではないかと思います。
 人生や人間としての成功を、自分の天分を生かすことにあると考え、それを求めていくことによって、不満や悩みの解消に役立ち、個人としての生きる喜びも、社会全体の発展や繁栄も、より高いものになると思います。
(松下幸之助:1894~1989 パナソニック創業者、経営の神様と呼ばれ、日本を代表する経営者)

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身を捨てる度胸をもつと、困難だと思っていたことがスムーズにいって、よい結果を生む、ということにもなる

 人生というものには、いろいろな問題があります。
 しかし、それらのことも過ぎ去ってみると、
「あのとき迷わないで、やって、ほんとうによかったな」
というような場合が多いのです。
 そこが大事なところだと思います。
 ある場合には、迷うこともあるでしょう。しかし、しょせん迷っても、自分の知恵裁量というものは、ほんとうは小さいものです。
 だから、
「これは、もう仕方がない」
「ここまできたのだから、これ以上進んで結果がうまくいかなくても、それは運命だ」
と、度胸を決めてしまう。
 そうした場合には、案外、困難だと思っていたことがスムーズにいって、むしろ非常によい結果を生む、ということにもなるのではないかと思うのです。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

 

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不満や悩みの解消に役立ち、生きる喜びも高いものになる人間としての生き方とは

 人間としての生き方はみな異なるものだと思います。
 人間の生き方は、自分に与えられた持ち味を生かし、使命(責任をもって果たさなければならないつとめ)をやり遂げること。これこそが人間としての成功と呼べるものではないでしょうか。
 例えば、ある人が靴を作る仕事をはじめたとします。靴を作って人の役に立ち、喜ばれることが成功となります。
 つまり、人間として成功かどうかの基準は、社会的な地位や名誉や財産ではなく、自分に与えられた持ち味、使命を十分に生かすか、生かさないかというところにある。
 地位や名誉や財産はどんなに努力しても全員がえられるものではないでしょう。
 しかし、持ち味を生かそうとして、人生を生きることは考え方によっては全員が可能だと思います。
 自らの持ち味を生かして生きている人は、地位や財産があろうとなかろうと、いつもいきいきと、自分の喜びはここにあるのだという自信と誇りをもって、充実した人生を送ることができると思います。
 そういう人が多ければ、豊かな活力が生まれ、力強い発展がもたらされるのではないでしょうか。
 最近は、昔に比べれば生活が豊かになったにもかかわらず、不平や不満、不安に悩む人が多くなったと言われます。
 その原因として、人間の成功をどのように思うかが関係しているように思います。
 地位や名誉や財産に重きを置き過ぎて、自分の独自の持ち味を生かし、使命に生きることの大切さが忘れられている傾向があります。それが不満や悩みを増やしているのではないかと思います。
 人生や人間としての成功を、自分の持ち味を生かすことにあると考え、それを求めていくことによって、不満や悩みの解消に役立ち、個人としての生きる喜びも、社会全体の発展や繁栄も、より高いものになると思います。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

 

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どうすればよいかわからないときは、他の人に意見を聞き、自分の行き方、性格をしっかりとつかんだ上で、参考にするとよい

 日々、常に「いかにするべきか」という迷いが生じてくるのが人生だと思います。
 例えば、自分はこの仕事に向いているのだろうかといった基本的な迷いをもつこともあれば、新しい仕事にどう対処していったらいいかというような具体的な悩みにも出会います。
 どうすればよいかわからないときや、迷ったときには、他の人に意見を求めてみるとよいと思います。
 自分をしっかりつかみ、素直な心で耳を傾けていく。そこから確かな人生の歩みが始まります。
 私たちは、日々の生活の中で、さまざまな迷いによく直面します。一生を左右するほどの決断から、日々のこまごまとした選択まで、常に「いかにするべきか」という迷いが生じるのが人生だと思います。
 そこで、その迷いを解決するときには、一つにはやはり、ほかの人に意見を求めてみることだと思います。
 自分をよく知ってくれている人に尋ねてみる。そうすると、そこに具体的な方向がしだいに明らかになってくる場合が多いと思うのです。
 私もこれまで、自分でわからないことがあると、できるかぎり他人の意見を求めるよう努めてきました。
 自分だけでは判断がつかないこともしばしばあります。そんなときには、事情を説明して「あなたなら、どう思いますか」と尋ねるわけです。
 そうすると「それは松下くん、ムリやで」とか「きみの今の力ならやれる。大いにやるべきだ」とかいろいろ言ってくれます。
 そのとき、自分がすぐ納得できたら、そのとおりに実行します。
 しかし、どうもピンとこない場合には、また他の人に聞いてみると、また違った立場からの意見を言ってくれます。
 そうした意見を参考にして自分なりによく考え、結論を出すようにしてきたのです。
 意見を求めてみると「それは、よく聞いてくれた。見ていて、内心こうしたらよいと思っていたんだ」と、言ってくれる人が案外多いのではないでしょうか。
 ですから、ちゅうちょせず、思い切って尋ねてみることだと思います。
 ただ、その場合に忘れてはならないのは、あくまで自分というものをしっかりつかみ、そのうえで、素直な心で聞くということでしょう。
 自分をつかんでいないと、相手の言うことがみな正しく思えて、聞くたびに右往左往することになりかねません。
 また、私心にとらわれて、自分の利害や体面などが気になって、自分に都合のいい意見ばかりを求めてしまうことにもなるでしょう。
 それでは、聞く意味がなくなってしまいます。
 こうしたことは、人に意見を聞く場合のみではなく、本を読んだり、テレビを見たりする場合でも、同様に大切なことだと思います。
 他の人の意見を取り入れて、その通り自分でやってみても、人それぞれに天分、個性が違うのですから、同じようにはいきません。
 人には人の行き方があり、自分には自分の行き方がおのずとあるわけです。
 だから、やはりまず自分の考え、性質を正しくつかんで、そのうえで他人を参考としていかなければならないと思うのです。
 人間一人の知恵才覚というものは頼りないもので、だからこそ、迷ったときは何ごとにも積極的に他の人の知恵を借りることが必要です。
 自分のカラに閉じこもったり、頑迷であったりしてはならないと思います。
 しかし、人の意見を聞いてそれに流されてしまってもいけない。聞くべきを聞き、聞くべかざるは聞かない。
 そのへんがなかなかむずかしいところですが、それができれば、お互いの人生の歩みは、より確かなものになっていくのではないでしょうか。
(松下幸之助:18941989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

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この世に才能だけで食える飯など一粒もない、私はどのようにして小説家になったのか

 私は子どもの時分から、突出した能力が何もなかった。ただし、劣っている部分もこれといってなかった。
 今しにして思えば、これはお役人か大企業のビジネスマンの才能であったろう。この資質についぞ気付かなかった私は愚かであった。
 趣味といえば読書で、これだけは並みはずれていた。
 だが当時は、勉強もせず野原で遊びもせずに本を読む子どもなど、けっしてほめたものではなかった。
「一日一冊」の習慣は、実にこのころから今日まで続いているのである。
 学校の図書室の蔵書を読みつくすと貸本屋に通い、小遣いのあらかたは本代に消えた。
 面白い小説は声に出して読んだ。それだけでは飽き足らず、原稿用紙に書き写した。さらには「こうしたほうがもっと面白い」と原作をかいざんするようになった。
 かくして、ついに小説を書き始めたのである。
 ちなみに、三つ子の魂百までとはよくぞ言ったもので、今も読書をしている最中にいい文章に出会うと、思わず声に出して読む。何枚かを書写することもしばしばである。
 私はおよそ小説家らしからぬ時間割を持っている。
 夏には午前五時に目覚める。しかるのちコーヒーをいれて書斎にこもり、仕事を始める。朝食と昼食のために執筆を中断するのはせいぜい十分間で、いわゆる昼休みというのはない。
 午後二時ないし三時には、どれほど興が乗っていても筆をおく。過ぎたる情熱はともすると文章を乱すからである。常に一定の熱量を維持していなければ良い文章は書けず、面白い物語を思いつくこともできない。
 それから夕刻までの四時間は読書にいそしむ。かくして午後十時には床に就く。
 この世に才能だけで食える飯など、一粒もあるまいと思う。
 たしかに天賦の才というものは存在し、しかも神様はあんがい公平に、何かしらの才能をそれぞれに与えている。
 己には才能がないと嘆く者は、才能に気付かざるか、あるいは磨かざるかのいずれかであろう。
 才能とは、さほどに厄介な代物なのである。まず自分自身でも発見しづらい。発見すればしたで、磨かざれば珠にならぬ。その努力がまた、なまなかではない。
 歴史的に考えればごくたまに、珠玉の才能を持って生れついた人間がいないわけではないが、いわゆる天才と称すべき彼らは、必ずと言っていいほどその天才の代償として早死にしてしまう。こうした気の毒な公平さも、神が定めたことであろう。
 初めて原稿が売れたのは35歳、単行本を上程したのは39歳のおわりであった。
 幸か不幸か、私は五十を過ぎてこうした原稿を書いており、天才ではない。
 だとすると生きとし生ける者のすべては、すみやかに才能を発見し、それを磨かなければならない。
 この世に才能だけで食える飯など一粒もない、とはそういう意味である。
 才能とは一種の資格証明であろうか。「これで飯を食ってもよい」と、神様がお墨付きを持たせてくれたのだが、ごく稀なる天才のゴールドカード以外は、全能のパスポート以外は、全能のパスポートではない。
 相当な努力を払わなければ、紙切れ同然という程度の資格である。
 では努力とはいかなるものかというと、個人的には一文の金にもならぬ読み書きの、不断の継続であった。
 実は何も好き好んで、いまだに修行僧のような生活をしているわけではない。
 そうした努力の継続をしなければ神様から貰った資格を行使することができず、このさきも資格の維持が困難だと思うからである。
(
浅田次郎:1951年生まれ、小説家。本名、岩戸 康次郎、日本ペンクラブ元会長。 陸上自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。時代小説の他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、映画化、テレビ化された作品も多い)

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私たちが生きている意味、人生の目的はどこにあり、素晴らしい人生をおくるにはどうすればよいのでしょうか

 私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。
 私は「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると思います。
 欲に迷うのが人間のさがです。私たちは財産や地位を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
 しかし、そういうものは、いくらたくさん溜め込んだとしても、あの世へ持っていくことはできません。この世のことは、いったん清算しなくてはならないのです。
 だから「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は「生まれたときより、少しでもましな人間になる。わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。
 様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息耐絶えるその日まで、うまず、弛まず一生懸命に生きていく。
 その日々を磨き砂として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも、少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。
 私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。
 昨日より、ましな今日、今日より、よき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。そのたゆまぬ営みにこそ、私たちが生きる目的や価値が存在しているのではないでしょうか。
 生きていくということは、苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。
 しかし、そのような苦しき人生だからこそ、その苦は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。
 人生における苦労とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
 試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人。さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人。
 そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。
 素晴らしい人生を送るためには「心に抱く思いによって人生が決まる」という真理に気づくことが大切です。
 心に善き思いを持ったとき、それは善き力となって出ていく。
 幸福で満ち足りた人生を望むならば、善き思いをベースとして生きなければならない。
 
「そんな思いやりに満ちた心などと言っていて、厳しいこの社会をわたっていけるのか」と、疑問に思われることもあるでしょう。
 そうではありません。善き心こそが、強大なパワーを持っているのです。純粋で気高い思いには、素晴らしいパワーが秘められています。
 
「与えよ、さらば与えられん」と、愛が持つ偉大な力が古今東西で説かれているように、あなたが差し出した愛は、必ずあなたに返ってきて、あなた自身を幸福にしてくれるのです。
 心に抱く「思い」が純粋で善き思いであるように努めて、誰にも負けない努力を重ねれば、人生は必ず豊かで実りの多い、素晴らしいものとなることが約束されているのです。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)

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人生はいつだって、今が最高のときなのです

 人生は、あなたの思っているよりも、十倍も愉(たの)しいところです。あなたの人生観を不愉快から愉快と言う字に書き直してください。
 するとあなたは、気がつくことでしょう。人間というものは、愉快なこと、明るいことを好むものだということに、気がつくでしょう。
 私はふだんから、明るく生きていく習慣を持っていたいと思っています。それは、ちっとも難しいことではありせん。何でもものごとを明るく陽気に考えるようにすることなのです。
 私は、ものごとを否定的に考えるのが好きではない。私が「気分は最高です」と言えば明るい気分になる。部屋の中にも明るい空気が流れる。言葉には魔力があるのである。
 自分のことを「運のよい人間だ」と思うようになってください。きっと自分の思った通りになりますから。運というものは、自分で拓()くものです。
 出来ると確信さえすれば、どんな不可能と見えることでも可能なのです。人間の心というものが、そういう不思議な働きを持っているのです。
 私は割合、人を信じるほうです。「私が相手を信じた分量だけ、相手も私を信じる」というのが私の持論です。
 これは私が若いときに人を好きになったとき「私が相手を好きになった分量だけ、相手も私を好きになる」と信じた。はずれることはなかった。人間同士の張っているアンテナにも、正確に電流が通じるのです。
 陽気な人は人に好かれる。生きていくことが上手な人は、何よりも快活な人である。すぐそばの人にうつる大きな力を持っている。
 ありのままの人間をそのまま愛し、その人をまるごと受け入れることが真の愛である。
 自分が変わると、相手が変わって見える。私が、からを脱いだセミのように変わると、相手が変わって見えるのである。
 人と人との間は、悪意も善意もそのまま伝染する。それが善意であると、受け取った人も、相手に善意を感じる。
 言い争いになったときは、じっと辛抱して、ちょっと笑顔をして見せるとよい。相手の笑顔を見て、腹を立てることは誰にもできない。
 
「あなたは、とても偉い人です」と言われて、よい気持ちにならない人はありません。相手はよい気持ちになって喜ぶからです。この方法は、私がなが年の間に獲得した、人に元気を与える方法なのです。
「あなたはやさしいのね」「あなたの表情は美しいわ」「あなたの声はすてきね」、これらの言葉は魔法使いである。
 人間の考えることは、ものごとを否定することと肯定することの、二つしかありません。あの人はいい人だ、素敵な人だ、と思うことは肯定することです。肯定する習慣くらい人間にとって幸福なものはありません。
 人の顔つきも習慣である。笑顔が習慣になれば、しめたものである。
 私は辛いと思うことがあると、その辛いことの中に、体ごと飛び込んでいく。飛び込むと、辛いと思う気持ちに体が馴れてきて、それほど辛いとは思わなくなる。これが私の、生活の術なのである。
 悩みや心配ごとから解放されるコツはこだわらないこと、これ一つです。
 私は、自分に興味のあること、したいことを追い求めて忙しく生きてきた。過ぎたことをくよくよしているひまはなかった。
 思い出したくないことは、つぎつぎ忘れ去ってしまった。この忘れるという特技が自分自身を救う一種の精神的治療法になったような気がしている。
 実際、人間って、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りだと思う。
 世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になりやすいものですけど、実際にはそんなことはありません。
 別の場所では、よいお天気なところもあるのです。ちょっと気を変えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出してみる。
「おや、こんなところに出たわ」と自分でも信じられないほど、明るい場所に出るものです。
 何事をするにも「それをするのが好き」という振りをするとよい。ものまねでもいい。すると、嫌いな人もなくなる。自分自身を救う最上の方法である。
 物事は何事にもよらず、夢中になってそのことに熱中すると、必ず何かを生み出してくれます。
 何でも、面白さを見つける。その中に入っていく。私はどこでも自分流のたのしみ方を見つけて生きる名人です。
 
「忙しい」というのは、追いかけられることではない。追いかけられて暮らすのは禁物である。自分が追いかけるような気持ちでいることである。
 どんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じる暇がない、という状態になったら、しめたものである。
 私は、何か思いついて、新しいことをし始めると、生き生きと熱中して、夢中になってしまう癖があるのでした。
 私の生涯の中の不幸も幸福も、今になって考えると、この熱中癖から生まれたものが大部分なのではないかと思います。熱中しているうちに過去は消えます。
 人生はいつだって、今が最高のときなのです。
(
宇野千代:1897- 1996年、小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていた)

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