カテゴリー「教育法規」の記事

女児を蹴る男児を注意すると暴言し唾を吐いたので、胸ぐらをつかみ壁に押しつけ叱ったら、母親から体罰だと抗議があった、これは体罰でしょうか

 廊下を通りかかる女児を蹴ったりしていた男児を教師が注意したところ
「てめえの言うことなんかきくもんか」
と言って唾を吐いたので、胸ぐらを掴んで壁に押し当て
「そういう口の聞き方をしてはダメだ」
と叱ったところ、その夜、母親から「体罰だ」と抗議の電話をうけました。これは体罰でしょうか。
 この設問は、平成21年最高裁判例を脚色したものです。
 1,2審では「胸元をつかむ行為は不穏当」、「男児の恐怖心は相当なものだったと推認される」として
「社会通念上、教育指導の範囲を逸脱するもので体罰に該当する」としました。
 これに対し、最高裁の判決は、体罰に該当するものではないとしました。
 教師の行為は「有形力の行使」に当たるとしながらも「罰として肉体的苦痛を与えるために行われたものではない」と認定。
「目的、態様、継続時間などから判断して、教員が児童に行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱したものではなく、体罰に該当するものではない」と結論付けました。
 この判決の背景には、児童生徒による対教師暴力の増加や、授業規律の揺らぎ等の教育現場の実態、およびそれに対する世論の変化が考えられます。
 女児に暴力を振るう男児への注意は教師として当然のことです。
 誰もが安心・安全に過ごせる学校づくりを推進するには「非は非」として毅然とした指導を行う必要があります。
 単に教師の私憤による報復的行為とは思えません。
「体罰か否か」のグレーゾーンはしばしば保護者のクレームの対象になります。
「とりあえず謝っておけ」というクレーム対応は、決して「子どもの最善の利益」につながりません。
「体罰だと騒げば、学校(教師)は平身低頭、ひたすら謝る」という体験を積んだ子どもは、
「言ったもん勝ち」、「ごね得」、「自らの非は認めず、相手を責めるに限る」
といった、誤った価値判断をするようになってしまいます。
 今回の事例のような場合は、
(1)
母親と直接会う機会を設ける。
(2)
母親が子どもの訴えを聞いて、わが子を不憫に思った気持ち、教師を憎く感じた気持ち、すなわち心理的事実を受容する。
「〇〇くんをかわいそうと思う、そんな気持ちにさせて申しわけありませんでした」
と、心理的事実は受け入れ、謝罪します。
(3)
事実関係をはっきりと説明し、男児の行動の非(客観的事実)には厳正な姿勢を貫きます。
(4)
体罰との抗議には毅然とした態度で臨む。
ことが求められます。 
 なお、最高裁の判決は「体罰容認」ではなく「極めて限定的に力の行使を認めた」ものである点に留意し「胸ぐらを掴んで何が悪い」というような姿勢は厳禁です。
「うまく指導できなかった」との謙虚な気持ちは持ち続けたいものです。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師、教育研究所指導主事、中学校長、日本学校教育相談学会会長等を経て神田外語大学教授
)

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価値観が多様化した社会状況において法律を理解することが、保護者からのクレーム対応の処方箋となる

 保護者からのクレームの解決の過程で「教師が謝って当たり前」という空気が充満してきてしまっているように思えてならないのです。もっと教師が状況と対等に立ち向かえないか。そんな思いに私はかられていました。
 そんなとき、あるセミナーで弁護士に出会いました。学校のトラブルについて相談をすると、意外な答えが返ってきたのです。
 
「一定の対応を終えた後の保護者からの長時間の電話は、教師側から切ってもいいんですよ。それ以上の長電話が業務上、問題となると判断されれば、電話を切ってもまったく問題ありません」
 
「学校には『裁量権』といって、自分たちで決めることのできる権利があるのですから」と。まさに目からうろこが落ちました。
 
「法的には、教師と周りとの関係は対等である。しかし、法律について、あまりにも教師が無知であるがために、その空気感の中で間違った認識をしてしまっているのだ」と私は気づいたのです。
 保護者の学校に対する期待があまりにも過度であった場合や、保護者の行動が不当な範囲に至る場合は、教育的効果を阻害することになりかねません。
 以前は、常識の範囲で対応できたいたことでも、価値観が多様化した社会状況においては、人によって常識も異なり、解決の決め手とならないこともしばしばです。
 このような状況の中では、社会の客観的な基準となっている法律を利用するのが適切といえるでしょう。
 法律では、誰にどのような権限があたえられ、どのような対応が本来予定されているか、といった法律の枠組みを理解することが、クレーム問題の対応の処方箋となるのではないかと考えています。
 法律の世界では、同じような事案でも、実際の問題解決にあたっては、認定される事実関係、当事者等の状況により、すべて異なります。個々の事案に応じた対応が重要なものとなります。
 法的な枠組みを理解したうえで、個別事案に応じた血の通った対応がなされることが大切です。
 保護者からのクレームの基本的な流れは、
(1)
クレームの内容と要求の把握
 教師は、保護者のクレーム内容(要求事項とその根拠となる事実)を正確に把握するまでは、反論を一切おこなわず、しっかりとメモします。安易な同調や回答をしないよう注意します。調査・検討のため、十分な回答の期限を設定しておくことが重要です。 
(2)
回答に必要な事実関係の調査をし、法的・教育的観点から検討する
 まずは、要求の根拠となる事実関係の調査を行う。事実関係がつかめない場合は、回答の期限を延期してもらいます。
 判明した事実関係をもとに、法律的な観点から要求に応える義務があるか、教育的な観点から応えるべきかを検討します。
(3)
クレームに回答する
 クレームの内容が正当と判断した場合は、その責任の範囲と対応を決定し保護者に回答します。必要な範囲で謝罪し、対応の根拠を説明して、学校の今後の対応について理解してもらうよう協議を重ねなます。保護者の要求にすべて応じるかどうかは別の問題です。
 クレームの事実関係が認められない、事実があっても法的な義務が認められない、教育的な措置をとることが妥当でない場合は、要求を拒絶する回答を行うことになります。根拠を示して、明確な回答を行います。
(4)
クレーム回答後の対応
 保護者の要求が受け入れられないと回答した後、保護者から限度を超えて執拗に要求が繰り返される場合は、不当要求として対応を検討します。
 要求をのませるための暴言などに対しては、毅然と対応し、限度を超える電話については「回答した通りである」と、それ以上は応じないようにします。
 法的な観点での見解の相違であれば、弁護士に委任し、裁判等の法的に決着が望ましいでしょう。
 納得できない保護者が、掲示板やSNSで中傷することなどがあります。このような場合は、保護者全体への説明会を設け、調査結果の公表など、保護者全体に事態と正確な認識を共有してもらうようにすべきでしょう。 
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)

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いじめには注意をはらい指導する法的な義務がある

 いじめについて、法的な立場から弁護士はつぎのような事例を記載している。
 いじめは繰り返し、長期にわたって継続されることが多いことから、いじめによる被害の予見可能性が高いといえる。さらに心身の発達に影響を及ぼし、不登校や自殺に至る重大な事態を引き起こすおそれがあるため、回避する義務も高いといえる。
 特に学級担任は日常、子どもと接し、指導する責任があるため、日頃から子どもの生活実態をきめ細かく把握し、いじめを早期に発見するように努めなければならない。また、いじめがあった場合、子どもの身体等の被害の発生を阻止し、安全を確保するために、加害者に対して迅速かつ的確な指導をする必要がある。
 教師が、このような注意義務を怠り、漫然としていじめの発生に気づかなかったり、気づいても適切な指導をとらなかったために、子どもの生命、身体等に被害が生じた場合は、教師に過失があるとして、学校側等に対して損害賠償が認められることになる。
 いじめを受けている子どもから学校に、相談や申告があった場合には、学校側は関係する子どもや保護者から事情聴取するなどして、その実態を調査し、適切な防止措置をとることがもとめられる(福島地裁いわき支平成2年)ことから、損害賠償が認められる可能性が高くなるといえる。
 そのような申告がない場合でも、いじめは人目につかないところで行われ、いじめを受けていても仕返しをおそれるあまり、いじめを否定したり、申告しないことが多い。学校側はあらゆる機会をとらえていじめが行われていないか細心の注意をはらい、いじめが窺われる場合は、事情聴取するなどして適切な防止措置を取る義務がある。(大阪地裁平成7年)
(関口 博・菊池幸夫:弁護士)

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法的視点からいじめ問題を見ると

 文部科学省は「いじめは、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛をかんじているもの」と定義している。
 いじめにあたるかの判断は「いじめられた子どもの立場に立って行うものとする」とし、被害者の主観を重視する姿勢を示している。
 学校は子ども同士の接触や衝突を通じて社会性を身につけ成長していくところである。
 それゆえに学校としての裁量は「衝突等が一切起こらないように、常時監視を行って児童の行動を抑制し、管理しようとすることは適当ではなく、その衝突等が児童間に通常見られる程度を超えるような過激なものであって、集中的かつ継続的に行われるような場合でないかぎり、教育的な観点からその実状に応じて柔軟にその対応を考えていく」必要があるといえる。(東京地方裁判所 判決 平成2417)
 法的視点からいじめ問題を見ると、特定の者に対するいじめ行為が認められたとしても、加害者は直ちに不法行為等の責任を負うとすることは妥当ではない。いじめが集中的、継続的に繰り返され心理的、物理的、暴力的な苦痛を与える行為が、受忍限度を逸脱した場合に法的責任の追究が可能となる。
 いじめ被害については、これまで刑法(暴行、傷害、恐喝等)、民法(損害賠償)で対処してきた。しかし、これら法規の限界を認識し、いじめ撲滅に向けた総合的な対策を実施するため2013年にいじめ防止対策推進法が制定された。いじめ防止のための対応がつぎのように学校に求められることになった。
 いじめ防止対策組織を設置する。心を養うため、道徳教育及び体験活動の充実を図らなければならい。早期に発見するために調査を実施すること。いじめにより心身等に重大な被害が生じた疑いがあるとき事実を明確にするための調査を行う。いじめ被害者の教育を受ける権利が擁護されるよう配慮する。いじめ相談ができる体制を整備する。いじめ加害者に出席停止を含む懲戒を加えることが求められる。いじめが犯罪行為、生命等に重大な被害が生じるおそれのあるときは警察署と連携する。
(
坂田 仰:1960年和歌山市生まれ、公立学校教師を経て日本女子大学教授。専門は公法学、教育制度論)

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